2015年11月8日日曜日

寿司屋考

先日のこと、社長に連れられて寿司屋に行った。「社長に連れられて」行くのであるから、そこは当然、回転寿司ではない。昔ながらの、カウンターに座り、目の前で握ってもらうタイプの寿司屋である。「ここのを食べたら、回転寿司には行けなくなる」と社長に言われ、喜んでついて行ったという次第である。

喜び勇んで店に入り、威勢のいい大将の握りをしっかりと堪能してきた。確かに寿司は美味しかった。帰りにこっそり覗いてみたら、お値段はやっぱりそれ相当のものだった。いつも我が家でスシローに行くが、家族4人で食べる合計より、一人当たりの値段は高かった。それだけの価値はあったと正直思う。

しかし、冷静になって考えてみると、社長に言われていた「ここのを食べたら、回転寿司には行けなくなる」という言葉には、素直に同意しかねる自分がいた。確かに美味しかったが、スシローとの差がどれほどあるかと言えば、「そんなに差はない」というのが、正直な感想だ。と言うより、目をつぶって食べたら、どちらがどちらだかわからないかもしれないとも思う。

「もちろん、食べ慣れていないからだろう」と言われれば、返す言葉もない。だが、考えてみれば、寿司は「ネタとシャリ」からできている。そしてネタは、海で泳いでいる魚だ。回転寿司と伝統的寿司屋とで、そんなに差が出るものではない。むしろ回転寿司の方が、その巨大な資金力を生かし、よりイキのいいネタを仕入れているかもしれない。大将オリジナルの絶品ホタテは無理としても、普通のネタでは回転寿司も負けていないと思うのである。

では、伝統的寿司屋に行く価値はないかと言えば、そうはならない。静かな店内で、大将の握ってくれる寿司を食べるのは、なかなか気分が良い。大勢の人がごったがえす店内とは、比較すべきもない。子供のいない大人の空間の居心地良さが、寿司の味に加わることは間違いない。伝統的寿司屋の美味しさは、ネタだけではないのである。『100円のコーラを1000円で売る方法』で紹介されていたが、100円のコーラもリッツカールトンのルームサービスで頼めば、1,000円になる所以である。

20代の頃は、デートで寿司屋に行くなんてちょっと度胸がいるものだった。やがて回転寿司が登場し、垣根は低くなったものの、「安かろうまずかろう」が当てはまった。ところが昨今は、ついに味もレベルが上がってきた。安くて美味しい寿司を食べられるようになったのは、間違いなく回転寿司の功績だ。ただ、だからといって、伝統的寿司屋が劣ることにはならない。回転寿司では味わえない「雰囲気」が、伝統的寿司屋にはあるのである。

それぞれが、それぞれの良さを生かし、うまく共存していってくれれば、日本の寿司文化も安泰だと思う。これを機に、伝統的寿司屋にもちょくちょく行こうと思う、がそう簡単にそうと書けないところがなかなか悲しい。代表的庶民の我が家としては、伝統的寿司屋さんはとてもハードルが高い。まぁ子供を連れて行くところでもないし、と言い訳をしつつ、「いつかそのうち」としておくところだ。

当面は、素直にスシローのお世話になりたいと思う我が家である・・・

【今週の読書】
あと20年でなくなる50の仕事 - 水野 操 書斎の鍵 (父が遺した「人生の奇跡」) - 喜多川 泰, 「元気が出る本」出版部 







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