2013年3月17日日曜日

レ・ミゼラブル

 毎月1回は映画館に足を運んで、その時上映されている映画を観に行く事にしている。先月観に行ったのは、レ・ミゼラブル』。正直言って、ちょっと遅れた鑑賞であった。

 内容的には言うことなしで、1996年版と比べてもそれを上回る良い映画であった。そして例によって、映画を観ながらいろいろと考えた。

 舞台は19世紀前半のフランス。貧しい民衆が蜂起してなされたフランス革命によって王政が倒されたものの、庶民の生活は依然苦しいまま。主人公のジャン・バルジャンは、パン一切れを盗んで投獄され、19年を獄中で過ごす。酷い話ではあるが、パン一切れがそれだけ(19年と言っても窃盗で5年、そのあとは脱獄の罪)貴重であったという裏返しだろう。

 アン・ハサウェイが演じてオスカーをとったファンテーヌは、工場で働いている。背景はわからないが、一人身で幼い娘を他人に預けて働いている。たぶん、一緒に暮らすゆとりはないのだろう。賃金は少なく、娘の預かり料を送れば残りは食べるのが精一杯の様子。それでも職があるだけマシで、外には食べ物を求める人が絶望的な列をなしている。

 そんな状況のファンテーヌは、トラブルから工場を首になる。娘の生活のためには仕送りが欠かせない。どうにもならない中、わずかなお金のために泣く泣く髪を売り、そして体を売る。前半のクライマックスであるアン・ハサウェイの歌う「夢破れて」は、こんな状況を見ているからよけいに胸を打つ。「お金で幸せは買えないが、不幸は追い払う事ができる」という言葉は、まさに真実である。

 翻って21世紀の日本。生活保護というシステムがあり、19世紀のフランスのような悲劇は起こらないようになっている。世の中の進歩という意味では誇らしいところであるが、最近は逆に生活保護の高額支給や不正受給が問題になっている。不正受給については、過去最悪の件数だと言う。

 先日の朝日新聞には、生活保護として毎月29万円を受給している女性(41歳子供2名)が、困窮を訴える記事が載っていた。住居費5万4,000円、被服費2万円、子供の習い事4万円、交際費1万1,000円、携帯代2万6,000円、貯蓄1万5,000円などとの内訳も明らかにされていた。
これを朝日新聞のように“困窮”と見なすかどうかは難しいところであるが、個人的には結構楽な暮らしができていると思う。

 働かなくても二人の子供に習い事までさせて、携帯など我が家(夫婦合わせて)の2倍も使って、少しではあると言え貯蓄までできるわけであるから、ファンテーヌから見れば天国のような国に思えるだろう。それだけ弱者を保護できる財力があるなら問題はないが、積み上がった借金が減る気配もない我が国の財政事情を考えると、やっぱり“過ぎたる”ものに思えてしまう。

 住居費などは、今は公営住宅に空き部屋がかなりあるようだからそういう部屋を使えば不要になるのではないかと思ったりするし、習い事や我が家の2倍の携帯代って何だと思うし、それにも関わらず貯蓄までできてしまうなら、この人は働きに出て生活保護を打ち切られたら確実に“困窮”すると思えてしまう。今は本当に良い社会と言えるのだろうか。

 ジャン・バルジャンは、仮出獄後の社会の冷たさに世話になった司教から銀の食器を盗み出す。
警察に捕まって司教のところに連れられてくるが、司教は「それはあげたものだ」と答える。そしてあろうことか、銀の燭台までジャン・バルジャンに手渡す。その広いキリスト教的な愛に触れ、ジャン・バルジャンは改心する。そして人々に善行を施し、子供を案じながら息を引き取ったファンテーヌの子コゼットを引き取って育てる・・・

 19世紀のフランスよりもはるかに豊かな現代の我が国。果たして心も同じくらい豊かになっているだろうか。少子高齢化がこれから益々進む。支えきれぬほどの老人と借金とを託されて、我々の子供たちは幸せな暮らしを送れるのだろうか。中国のみならず、これからインドやインドネシアなどが発展していくだろう。東京のような都市がアジアにたくさんできるだろう。いつまでも「経済大国」と言っていられるのだろうか。

 いずれやってくる老後の未来に、自分たちや子供たちが、レ・ミゼラブル(哀れな人々)にならんことを願わずにはいられないのである…


【今週の読書】               

四〇〇万企業が哭いている: ドキュメント検察が会社を踏み潰した日 - 石塚 健司 ナミヤ雑貨店の奇蹟 (角川文庫) - 東野 圭吾






2013年3月13日水曜日

それをお金で買いますか2

マイケル・サンデル教授の「それをお金で買いますか」を読んで、いろいろと考えてみた。
この本には、議会の傍聴席や病院の整理券を獲得するために、「並び屋」を使う例が紹介されている。実際に並ぶのはホームレスなどであり、「並び屋」を営む会社は彼らを雇って並ばせ、それを欲する人に売る。並ぶのが嫌な金持ちはお金を払って嫌な事を回避し、ホームレスは収入が得られ、両者を結ぶ仲介会社も潤うという三方良しの商売である。

日本人はかなり平等という事を意識する国民であるからか、この手の話はあまり聞かない。
みんな公平に並ぶのが当然という雰囲気があり、それをお金で買うことを良しとしないところがある。むしろ金にモノを言わせるという行為を低俗な行為ととらえるところがある。
せいぜい予約してあれば優先されるのもやむなしと思う程度であろう。

そう言えばかつてアメリカのユニバーサル・スタジオに行った時、“Front of Line Pass”という行列に並ばずにアトラクションに乗れるチケットを利用した。当然普通のパスより割高なのであるが、できるだけ一度でたくさん体験したい海外旅行者にしてみればありがたいものであった。日本のディズニーランドには、ファストパスがあるが、これは一定のルールで並べばもらえるものである。「金で買う」アメリカと「金で買うのを良しとしない」日本の違いが表れていると思う。

それに連想してダフ屋が浮かんだ。コンサートや何らかのイベント会場の外で、「チケットないチケット?」、「チケットあるよ!」とガラの良くないおじさんたちが声をかけてくるアレである。条例などで禁止されているようであるが、本当のところ違法行為なのかどうかは知らないが、実際には大っぴらにやっている。ダフ屋などからチケットを買おうなどという気にはならないが、かつて一度だけ買おうと思った事がある。

あれは1995年10月9日の東京ドーム。
今や伝説とも言えるプロレスの試合があった。
絶対観に行きたいと思ったが、その日は平日。
銀行員という仕事柄、当時はやたらに休めなかった。
もちろん、そんなに早く仕事は終わらない。
泣く泣くチケットを買うのを諦めていたが、当日になってやっぱり諦めきれず、最後のメインイベントだけでも観たいと思い、仕事が終わってから東京ドームに駆けつけた。

当然当日券など残っているとは思えなかったから、ダフ屋から買おうと決めていた。
値段も構わないと覚悟して行った。そうして何とかまだあと数試合は観られるという時間に東京ドームに着いたのであるが、周りは人気が無く閑散としている。ダフ屋らしきおっちゃんは影も形もない。何とあまりの人気にダフ屋もソールドアウトだったのである。

唯一ダフ屋からチケットを買ったかもしれないチャンスだったが、残念ながら購入には至らず。ただやっぱり時としては、法外な値段を払っても買いたいという事はあるものである。
後日、当日の試合をテレビで観たが、それまで観たいろいろな試合の中でもベストと言える満足度で、当日もし生で観ることができていたら、例えチケットに正規料金の2~3倍の値段がついていたとしても満足しただろう。


日本的な平等の精神はやっぱり良いと思う。
ディズニーランドでは常にファストパスを求めて走り回るのがパパの役目だとしても、それで手に入れられるなら走り回ろうじゃないかと思う。
ただ、やっぱりせっかく行った海外旅行先のテーマパークでは、多少高くても安心していろいろなアトラクションを利用できるチケットがあるならば、お金を出して買いたいと思うし、そういうサービスも悪くはない。混雑した病院では、子供を連れて行った時などは優先して診てもらいたいものだとよく思ったものだ。

お金を出して買えるモノと買えないモノ、売り買いの対象として良いモノとそうでないモノ。アメリカ人と日本人の感覚は異なるが、その異なり具合をあれこれと考えてみると面白い。マイケル・サンデル教授の投げかける問いはいつも面白いとつくづく思うのである・・・

【本日の読書】

四〇〇万企業が哭いている: ドキュメント検察が会社を踏み潰した日 - 石塚 健司 ナミヤ雑貨店の奇蹟 (角川文庫) - 東野 圭吾






2013年3月9日土曜日

それをお金で買いますか

それをお金で買いますか 市場主義の限界 - マイケル・サンデル, 鬼澤 忍, 鬼澤 忍
 先日、マイケル・サンデル教授の「それをお金で買いますか」を読んだ。世の中、売り手と買い手が合意すれば、どんなものでも売買は成り立つ。もちろん、違法品の売買は論外だが、違法でなくても「そんなものまで売買するのか」と思うようなものが紹介されていて、ちょっと驚いた。

刑務所の独房の格上げ:一晩82ドル
インドの代理母による妊娠代行サービス:6,250ドル
絶滅に瀕したクロサイを撃つ権利:150,000ドル
主治医の携帯電話の番号:年に1,500ドル~
額(あるいは体のどこか)のスペースを広告用に貸し出す:777ドル
病人や高齢者の生命保険を買って、彼らが生きている間は年間保険料を払い、死んだ時に死亡給付金を受け取る:保険内容によって異なる

 アメリカを始めとした海外の例であるが、日本人的な感覚からすると、かなりの違和感を覚える。ただ、実際に自分が売買するかどうかは別として、発想としてはかなり面白いと思った。人の思いつかないようなものを発想できるかどうかは、もしも事業家になろうと考えている人であれば重要な要素だろう。事業家になるつもりはなくとも、そういう発想力は持っていたいものである。

 そう言えば、私がかねてから参加している社会人向け勉強会「寺子屋小山台」での講義で、「政治家を雇う」という発想が出て来た。三流の政治家しかいないと嘆く我が国民に対し、「有能な政治家を雇ってはどうか」という発想だった。今だったら、誰を雇うだろうか。日本人に限らなければ、海外の著名な政治家を連れてくるなんて考えてみると、結構楽しい想像かもしれない。

 また、雇うとは違うが、政治家になりたい人が票を買うというのはどうだろうと思う。もちろん、これは公職選挙法違反行為であるが、影でこっそりやるのではなく、堂々と公平にやったら問題ないような気もする。売買するとしたらいくらになるだろうと考えると面白い。まずは買収資金の総額がいくらかが重要なファクターだ。

それに当選に必要な票数。前者を後者で割れば、一票当たりの値段が出てくる。国政選挙だと百万票単位となるだろう。1票100円としても1億円。100円じゃバカらしいし、1万円くらいはと思うと資金は100億円必要になる。政治家になっても、よっぽどうまく立ち回らないとペイしないだろう。孫さんくらいなら、ポンと出せるかもしれない。

 あるいは、企業なら自社に有利な法律でも作らせようとしたら、100億、200億と出せるかもしれない。資金力の弱い人であれば、1万票クラスの市議会レベルでないと難しいだろうか。実現したら、候補者ごとに1票の価格がランキング表示されるかもしれない。選挙会場では、電光掲示板に候補者ごとの価格が表示されていて、出足の鈍い候補者が慌てて金額を釣り上げたりするかもしれない。資金力にもよるが、価格をいくらに設定するかはなかなか難しいところだろう。専門のコンサルタントが、跋扈したりするかもしれない。

 売る方はどうだろう。高ければ何でも良いと思うだろうか。自分だったら、どうするだろう。共産党あたりだったら、よっぽど高い値段を提示しないと売らないだろうな。価格の高過ぎる候補者は却って敬遠されるかもしれない。「あいつが政治家になったら危ない」と、まともな人なら思うかもしれない。そうすると、やっぱり人物本位になるだろうか。

 人によっては、堂々とお金は出しませんと言う候補者に潔さを感じて入れるかもしれない。そうすると、結局お金を出さない方に収斂されていくのかもしれない。くだらない事をうだうだと考えてみたが、マイケル・サンデル教授は相変わらず面白い示唆を投げかけてくれるものだと、つくづく思うのである・・・


【本日の読書】

サラリーマンは、二度会社を辞める。 - 楠木 新 四〇〇万企業が哭いている: ドキュメント検察が会社を踏み潰した日 - 石塚 健司






2013年2月28日木曜日

塾へ行くの?

 数日前、上場している学習塾がこぞって業績好調だというニュースを目にした。上場約20社のうち半数近くが過去最高益なのだという。知らないうちに20社近くも上場していたというのには驚いたが、この少子化でも儲かっているらしい。我が娘の通っていた「ena」を運営する学究社もそんな過去最高益を計上している一社らしい。

 我が家もだいぶ業績に貢献したからなぁと、改めて思う。この一年、娘は熱心にenaに通っていた。もともと私はあまり塾というところが好きではない。子供の頃も塾へは行った事がない。母親からは何度も塾へ行けと言われたが、水泳や習字や野球などは何の疑問も持たず言われるがままに通った割には、塾だけは拒絶していた。何となく勉強だけしに行くというのが嫌だったのかもしれない。

 そんなわけで、娘には塾へ行かせようという気持ちはサラサラなかった。しかし、地元の都立中高一貫校を受けるという話が出た時、過去問を見たところその内容に気持ちが変わった。とてもではないが、学校の勉強をしていても受かるわけがないと思ったからである。それもいかがなものかという気はするが、郷に入っては郷に従えで、塾に行かせる事になった次第である。

 行きはじめたら、娘は「勉強は面白い」と言い出し、実に熱心に通っていた。夏は清里へ合宿に行ったし、日曜特訓、直前の冬期講習、正月特訓とまぁ片っ端から行っていた。1年間で「ハワイに行けるくらい」かかった、と妻がぼやいていたが、それだから過去最高益にも達するわなぁと思うのである。

 それにしてもenaもお金を取るばかりではなく、よくフォローしてくれていた。家にもよく電話がかかって来たし、さすがに学校と比べると受験指導は熱心だ。直前の頃は、塾の先生はみな終電まで頑張っていたようである。残念ながら合格という成果には結びつかなかったが、娘は引き続き塾へ行きたいと言う。「少しは休んだら」と言ったのは、娘を気遣ったというよりは、正直言って懐を気遣ったのであるが、敵もさる者、何と継続通学は1年間授業料タダなのだという。「それなら行け」と言ったのは言うまでもない。

 考えてみれば、塾は「実力(成果)主義」。合格者が多数出れば、塾の知名度も上がって生徒数も増えるが、合格者が少なければ他へ流れてしまう。中学受験に失敗した子供は、次の高校受験では他の塾へ行くかもしれない。1年間タダにしたところで、固定費は変わらないし、変動費など微々たるもの。失敗した子は早目に高校受験の準備を始めると考えたら、1年間つなぎとめておく効果は大きいかもしれない。「アフター・サービス」というよりも、そこにはしたたかな戦略性を感じる。

 自分としては、塾へ行きたかったとは露も思わないし、娘にも行かせたいとは今もって思わない。ただ、「面白い」と言う娘の好奇心を満たしてくれるなら、まぁ悪くはないと思う。これまで娘には、「勉強しろ」とは一言も言っていないし、これからも言うつもりはない。塾へも行きたいなら仕方ないというスタンスだ。いずれ塾に頼らずとも、自分で勉強をしていってくれるようになってほしいと思う。

 懐も共感するところだと思うのである・・・



【本日の読書】

沈黙のひと (文春文庫 こ 29-8) - 小池 真理子






2013年2月20日水曜日

親父の誕生日

 本日は、親父の戸籍上の誕生日である。「戸籍上の」というのにはわけがあって、この世に生れ出た日はどうも21日だという事なのだが、役場に届け出た誕生日が20日だったというのである。子供の頃から事あるごとに、「誕生日は20日だけど本当は21日なんだ」と聞かされてきた。個人的には「マイ・ヒーロー」であるアントニオ猪木と長嶋茂雄と同じ誕生日なんだから20日の方が良いじゃないかと思うのだが、どうもそうではないらしい。

 親父は、今は仕事を辞め、趣味にしている写真を日々の楽しみにしている。年賀状はもちろん、家にもたくさんの写真が飾ってある。写真の良し悪しなど見てもわからないが、それでも何となく良さそうなものを褒めたりすると、嬉しそうにいろいろ語ってくれる。

 親父は、長野県は山梨との県境にある富士見という町の出身。小淵沢という割合メジャーな駅が近くにあって、八ヶ岳の麓の避暑にはもってこいでいながら、それでいてまだ田舎のままの町である。そこで中学まで過ごした父は、卒業と同時に東京へ出てくる
当初は地元で大工になるつもりだったらしいが、友人が兄の招きで東京に行って働く事になり、一緒にと誘われた事から東京に出てきたという。若干16歳の春である。

 今でこそ中央高速に乗れば車で2時間ほどで行けるが、当時は汽車で6時間の旅。友人と二人とはいえ、さぞかし心細い旅だっただろうと想像させられる。着いたところは印刷会社。丁稚奉公で、朝の6時に叩き起こされ、職人さん達が来る前に一働き。昼こそ45分間の食事時間があったが、朝晩は交代でわずかな時間で食べたという。田舎では麦飯が主流で、芋など色々混ざっていて、白米は大晦日に魚一匹と一緒に食べるのが唯一の機会だったらしい。ところが東京に出てきたら毎日白米で、逆に気持ち悪くなったと言う。随分生活水準が違っていたようである。

 田舎から出てきた親父は、印刷工として丁稚奉公からスタート。下着はおばあさんが縫ったさらしのもので、親父はそれが恥ずかしく、人前で裸になれなかったらしい。半年後に下着一式をもらいようやく人前で服を脱げるようになったと言う。そんな思いなど、ありがたい事にした事がない。

 仕事は夜の12時まで続く。お腹が空いて、工場の前に夜泣きそばが来ると、みんなで食べたという。さらに寝がけにお菓子まで食べて、寝るのは1~2時。今なら間違いなく労働基準法違反だ。そんな酷使が祟って親父は体調を崩す。体というよりも心の方で、幻覚まで見えたと言う。医者の勧めで故郷で療養する事になり、隣町の医者まで母親と通う。病名は「神経衰弱」。さしづめ今ならうつ病なのかもしれない。

 やがて回復し、東京に戻って仕事を再開。丁稚時代は給料などなく、映画の切符をもらって月に一度観に行くのが楽しみだったらしい。根が真面目な親父は、他の人よりも良く働き、社長の奥さんに気に入られて、よくこっそりこずかいなどをもらったと言う。

 当時の印刷業界は、職人が腕一本で渡り歩く時代。親父もやがてあちこち転職し、その都度給料が上がる。腕も良く、転職先では次の日からすぐトップクラスの時給にしてもらった事もあったらしい。けれどいずれも中小企業の話で、ちょっと大手の印刷会社に行くとたちまち「学歴の壁」が立ちはだかる。私は聞いた事がないが、たぶん自分も高校や大学へ行きたかったという気持ちもあったのではないかと思う。

 そう言えば最近、私が大学に合格した時、親父がこっそり合格発表を見に行ったという話を母に聞いた。私が「だれも行くな」と言ったからこっそり行ったらしいのだが(私にはそんな事を言った記憶がない)、ひょっとしたら自分が行けなかった大学に息子が受かって嬉しかったのかもしれない。

 エピソードはまだ長々と続く。そんな人生の途中で私が生まれ、弟が生まれ、大きくなって今では一人前の顔をしている。冒険などしそうもない親父が独立したのは、今もって不思議に思うが、自営業になったおかげでたぶん私も大学にも行けたのだと思う。同業者の中には借金を抱えて夜逃げした人もいたらしいが、大きな勝負とは無縁に生涯一印刷屋を通し、無借金で引退した。

 嫁姑関係のこじれから、あまり孫には合わせていないのが、今は唯一申し訳なく思うところだ。せめて「本番」の明日の夜は孫からバースデーコールをさせるとしよう。まだまだエピソードを集めたいし、もう少し嫁姑の関係修復に努力して、孫と交流を持たせられるようにしよう。週末にはプレゼントとして好きなワインを届けたいと思うのである・・・


【今週の読書】

それをお金で買いますか 市場主義の限界 - マイケル・サンデル, 鬼澤 忍, 鬼澤 忍 二重生活 (角川文庫) - 小池 真理子






2013年2月16日土曜日

日本的意思決定

 先日、世話役として参加している社会人向け勉強会で、「日本的意思決定」の話が出た。その中で、ある銀行の頭取が重要案件を決める席上で、「金融庁は何と言っているのか」「前例はあるのか」「他行はどうなのか」という質問をしたと言う。会議に参加していたある外国人が、滑稽に思って広めたらしい。それを聞いて笑えなかったのは、私が銀行員だったからでもあるし、これこそ「日本的意思決定」であると思ったからでもある。

 そもそも日本は聖徳太子の時代から、「和をもって貴しとなす」(17条憲法第1条)国である。第2条(仏)よりも第3条(天皇)よりも「和」が先に来る国である。欧米の個人主義は個々の個性が尊重されるが、日本人は「和」である。そうすると、組織における意思決定も、トップダウン型よりもボトムアップ型となる。銀行では、支店長が決めて来た融資案件であっても、担当者が稟議という形でお伺いを立て支店長に改めて承認をもらう形を取るのである。


 ボトムアップ型も悪くはない。一担当者が組織に自分の考えを働きかけていける良さがある。しかしながらそこに組織の多数の意見が加わる。全員が一致して無条件に賛成というなら問題はないが、大概はいろいろな意見が出てきて調整が必要となる。どの意見も尊重すると、まとまらなくなる。どうするか。

 ここで生きてくるのが、自分達の輪から超越した意見あるいは絶対に間違いのない意見。要は「錦の御旗」であり、過去の成功体験=前例である。そしてそれがなければ、「みんなが同意していること」、つまり「みんなで渡れば怖くない」理論だ。

 先の頭取も、欧米であれば一人で決めるだろうが、「和をもって貴し」とする社会では頭取と言えども私利私欲ではない「正しい回答」をする必要がある。だから「錦の御旗」=金融庁の意見、「前例」、そして「みんなの意見」=他行動向を尋ねたのである。

 この「錦の御旗」はいろいろと形が変わる。日本が“外圧”に弱いのも、その一種だと思う。最近読み終えたばかりの「ローマ法王に米を食べさせた男」という本にも、「内側の人間は近い人間の悪いところしか見ない」という説明があった。我が子の良いところを近所の人の評価で知るという例だったが、会議で身内の人間が意見を言っても取り上げず、権威のある識者が語っていたりすると信用するというのも同じ理屈だ。

 「他所で流行っている」などという説明が説得力を持ち、だから日本人はオリジナルな創作に弱く、モノマネに強い。スティーブ・ジョブズもソニーに勤めていたら、例えアイディアを思いついてもiPhoneは作れなかっただろう。

 考えてみれば、「絶対的に正しい答え」などそうあるわけではない。どこかで割り切るしかないが、問題は「誰が割り切るか」だ。個人主義社会では絶対的トップがいるから問題ないし、そもそもそれがリーダーシップの証で称賛される。ところが和の社会では、トップと言えども調和を求められる。

 トップが創業者で、「絶対君主」なら問題はないし意思決定も早いが、サラリーマンが階段を上りつめたタイプのトップだと、みんなが正解だと思うような答えを求める。「絶対的に正しい答え」を求めるから、会議の回数も増えるし、意思決定にも時間がかかる。稟議に回す書類の形式でさえ、いろいろ意見がでると収拾がつかず、それを回避するため書式も統一したりする(ここでも前例踏襲だ)。それが高じると「フォント」の大きさや種類を直すという作業に気を取られ、時間を取られる事になる。そうしてようやく晴れて意思決定がなされる。

 稟議書の出来栄えは見事だが、ようやく卵が割れた時には、隣では同時に産み落とされた卵から孵ったヒナが成長して次の卵を産んでいたりする。国会議員の削減がなかなかできず、震災の復興が進まないのもある意味必然なのかもしれない。政治家が悪いという指摘も、突き詰めていけばそんなところに当たるのではないかという気もする。

 大きな組織になればなるほど、公平性が求められればられるほど、行きつく姿なのかもしれない。そしてそれこそが、我が日本社会の持つ特質なのかもしれないと思うのである・・・


【今週の読書】
人生の科学: 「無意識」があなたの一生を決める - デイヴィッド・ブルックス, David Brooks, 夏目 大 ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか? (講談社+α新書 697-1C) - 高野 誠鮮 ヒア・カムズ・ザ・サン - 有川 浩




  

 

 

2013年2月9日土曜日

自動改札機

 毎日通勤で、そして仕事での移動で電車を利用している。通勤で使っているのはPasmoの定期券であり、それ以外ではSuicaだ。昔のように切符を買うという事はほとんどない。それどころか、Suicaはオートチャージ機能付だから、券売機の前に立つこと自体、半年に一回の定期券の更新の時だけである。便利になったとつくづく思う。

 それと同時にふと気がついた。そう言えば、「キセル」もしなくなったと。あまり大きな声では言えないが、昔は何気なくキセルをしていたものである。乗る時だけ最短期間の切符を買っておいて、出る時は定期。それでもって、本来払うべき電車賃を最低金額で済ませていたわけである。正直言って罪の意識なく普通にやっていたものである。

 それが自動改札とPasmoとSuicaの登場によってできなくなった。ひょっとしたら、そんな今の環境下でもうまくやる方法はあるのかもしれないが、そんな事に頭をひねってわずかなお金をごまかそうなんて気持ちはサラサラない。それどころか、最近では電車賃にいくら取られているのかさえもほとんどわからないくらいである。たぶん他の人もみんな似たような状況だろうと思う。
いくら使っているのかわからないとまではいかなくても、みんな自動改札機でしっかり正規料金を払っているのだと思う。

 そう考えると、JRもさぞや儲かっているのかと思って調べてみた。平成10年と24年とで比較してみたら、運輸収入は462億円増えていた。まあこれがすべてキセル分だとは思わないが、かなり貢献しているのではないかと思うが、JRもあまり宣伝しにくい部分かもしれない。

 駅員の削減という部分を取ってみても、人件費は大きく減らせただろうし、最終的な利益はかなり増えたのではないかと思う。ひょっとしたら「キセル」という言葉自体死語になっているのかもしれないと、会社で若い女性に聞いてみたら、20代半ばのその女性はまだまだ最後の切符世代だったらしく、言葉の意味自体は知っていた。しかしその言葉が、昔の「煙管」から来ている事までは知らなかった。うまいネーミングだと思ったが、あと10年もしたら死語になっているのではないだろうか。

 銀行の店舗では、お客様が入って来た時に、「いらっしゃいませ」と声をかける。これは顧客サービスであると同時に、実は防犯対策になっている。入った途端に声をかけられて注目されているという意識が、悪い事をしようという意識を削ぐ結果になるという心理を利用しているのである。自動改札のシステムも、利便性の提供と同時にずるを防ぐ機能も持っている。「犯罪を取り締まるよりも起こさせないシステム」という意味でも、これはいいと思う。

 そう言えばその昔、原宿の駅で駅員さんに捕まった事がある。期限の切れた定期券を使って見つかったのである。その時は途中で気がついたのだが、面倒なのでわからないだろうとタカをくくっていたら、微妙な後ろめたさが態度に出たのか、不自然なしぐさが注意を引いたのか、しっかり見つかってしまった。

 嫌な体験だったので今でも覚えているが、あの時の駅員さんもきっとそうだっただろうし、そうした“嫌な体験”を防ぐ役にも立っているだろう。世の中どんどん便利で快適になっているが、こうした“死語”が増えていく事は歓迎すべき事態だろう。あとは乗客のマナーだろうが、これはなかなか一朝一夕というわけにはいかないのだろうなと思うのである・・・


【今週の読書】 
 

人生の科学: 「無意識」があなたの一生を決める - デイヴィッド・ブルックス, David Brooks, 夏目 大 ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか? (講談社+α新書 697-1C) - 高野 誠鮮




          

2013年2月3日日曜日

マニー・パッキャオ

 先週NHKで一人のボクサーの特集をやっていた。その名はマニー・パッキャオ。フィリピン人ボクサーで、有名なオスカー・デ・ラ・ホーヤに継ぐ史上2人目の6階級制覇を成し遂げた実力者のようである。

 私は、もともとボクシングは嫌いではなく、たまに観ていたりしたし、かつてマイク・タイソンの試合には随分熱狂していた事もあるくらいなのだが、この選手の事はこれまで全く知らなかった。

 6階級制覇と言われても、今は階級が細かく分かれ過ぎているからピンとこない。昔はボクシングの階級は、フライ級、バンタム級(矢吹丈はバンタム級だった)、フェザー級、ライト級、ウェルター級、ミドル級、ヘビー級などとシンプルだったが、今はスーパー○○級やクルーザー級、ミニマム級など複雑に分かれ、何と17階級もあるようだ。○階級制覇という言葉もよく聞くし、ナンボのものかと思ってしまう。

 しかし、デビューから20キロも上のクラスで戦っていると聞くと、「それは凄い」と単純に思ってしまう。ラスベガスを中心にペイパーヴュー方式で行われるアメリカのボクシング興業は、巨額のマネーが動く。マニーの試合は人気が高く、なんとファイトマネーは1試合30億円だと言う。もう庶民には想像もできない。

 確かに番組で垣間見るマニーの試合スタイルは、派手なノックアウトシーンが多く、観客の興味がそそられるのもよく分かる。だが、私が興味をそそられたのは、ファイトスタイルではなかった。ケタはずれの報酬を稼ぐマニーだが、普段は出身地のミンダナオ島に住み、地元の古ぼけたジムで幼馴染みとトレーニングをしている。

 フィリピンでもミンダナオ島は貧しい地域で、マニーも子供の頃は日々の食事にも事欠く有り様だったようである。見事なサクセスストーリーだが、それも興味の対象にはならない。興味深かったのは、今でもミンダナオ島に住んでいることだった。普通、ハリウッドあたりに豪邸を建てて、贅沢三昧の暮らしをするだろう。それがアメリカンドリームで、みんなそうしているし、結局マイク・タイソンもそれで身を持ち崩したのではないかと思っている。

 アメリカでは一部の金持ちが富を独占しているから、そうしていても不思議はないし、当然そうしていると思うのだが、彼はいまだにミンダナオ島に住んでいる。そして有り余るファイトマネーで、学校を作り、体育館を作り、台風で深刻な被害を受けた地域に15,000人分の緊急支援をしている。富を独占せずに、生まれ育った地元に還元し、自分もともにみんなと暮らしている。そんなところに心が動いてしまった。

 昨年12月に行われた試合。故郷ではみんなが一台のテレビを囲んで応援している。しかし、その試合でマニーはライバルに壮絶なノックアウト負けを喫する。負けて故郷に帰った彼を迎えたのは、地元の人々の熱狂的な歓迎。ろくに舗装もされていない道路の沿道で、大人から子供までみんなが彼の乗る車に殺到する。彼の手にしたものは、巨額のドルではない。

 33歳というボクサーとしては高齢だと思うが、まだまだ引退はしないようである。それは当然ながら、金目当てではないだろう。人間だから当然の如く褒められない部分もあるだろうが、褒められる部分は素晴らしいと思う。

 日本人にも世界チャンピオンはいるが、ラスベガスで試合をするような選手はいない。それはなぜなんだろうとふと思う。亀田兄弟とか少し前の浪速の辰吉とか人気選手がでたりするが、いかにもローカルチャンプである。ハングリー精神の違いというのもあるかもしれないが、それだけだろうかとも思う。詳しい事情はわからないから何とも言えないが、その理由には興味があるところだ。

 マニーの次回の試合がいつになるかはわからないが、ちょっと注意していて、次回はWOWOWあたりでやるだろうから、是非ともTV観戦したいと思うのである・・・


【今週の読書】

自分のアタマで考えよう――知識にだまされない思考の技術 - ちきりん, 良知高行






2013年1月27日日曜日

日本核武装論

 尖閣諸島を巡っての漁船衝突事件や国有化問題に端を発し、中国とのイザコザが収まる気配がない。今も連日のように領海や領空で、中国のプレッシャーが続いている。右寄りの産経新聞は元より、中国批判の論調は強く、私の周りでも中国との本格的な軍事衝突の可能性を訴える声を耳にする。

 そんな中で、国有化問題の発端とも言うべき石原元都知事は「日本核武装論」まで唱えている。世界唯一の被爆国として、我が国の核兵器に対するアレルギーは、たぶん世界一だと思うが、そんな中でも最も極端な意見だと思う。いつの世も過激な事を言う人たちは必ずいるものであり、石原さんもそんな一人だと片付けるのは簡単である。

 しかし、よくよく考えてみると、これは真剣に検討すべき課題なのではないかという気が最近ではしている。普通に考えれば、核戦争などやったら人類は終わりに近くなるだろうし、経済の密接し合った現代で、かつてのような戦争などやっても益はないだろうし、周辺国の反発は必至だし、持つ意味などないように思える。私は基本的に「米中等距離外交論者」だし、「中国とは友好を築くべき」だと考えている。ただ、だからこそ、その前提として「核兵器の保有」が必要だとも思えるのである。

 男の感覚からすると違和感はないと思うかもしれないが、男は子供の頃から「殴り合いの喧嘩」を多かれ少なかれ意識する。「やられる」と思えば、譲歩しなければならないし、「勝てる」と思えば交渉も強気になる。殴り合いの喧嘩でなくても、例えば上司との議論を想像してみるとわかりやすい。上司と議論して論破できるか否かは、悲しいながら上司の力量次第。

 いくら立派な理屈を並べ立ててみたところで、「俺がNoと言ったらNoだ!」と言うタイプだったら、どうしようもない。中国との小競り合いも、アメリカという後ろ盾があるから「小競り合いで済んでいる」とも言える。いじめっ子に睨まれた優等生が、かろうじていじめられずに済んでいるのは先生の目があるからである。先生がいなくなれば、手も足も出ない。

 尖閣諸島に中国軍が上陸したら、日本は単独ではどうしようもない。抗議など「蛙の面に○○」というところである。では「アメリカと徹底的に仲良くして」いれば良いかと思えば、本当に大丈夫と言いきれるだろうか。

 今朝もアメリカのケリー上院議員が中国重視の発言をしていた。アメリカは限りなく国益を追求する国である。これから益々経済力をつけてくる中国である。いつまでも日本の方が重要だと思ってくれるだろうか。

 そうした時に、核兵器を保有していれば、中国もおいそれとは過激な行動がとれなくなる。日本の技術力を背景にすれば、北朝鮮の怪しげな核兵器よりもさらに強烈なインパクトを与えるだろう。アメリカの後ろ盾を失ったとしても、中国には単独で相対できるはずである。

 今の時代、核兵器は攻撃用の兵器ではなく、あくまでも「抑止力」である。使えばお互い大変な事になるから使えない。しかし、「ある」のと「ない」のとでは大きく違う。ひ弱な優等生が空手の黒帯を取れば、いじめっ子も手を出せなくなるのである。

 「使わない兵器」というのもおかしなものであるが、核武装はあくまでも喧嘩の道具ではなく、話し合いの道具と言う事もできる。石原さんが、「軍事的な抑止力を強く持たない限り外交の発言力はない。今の世界で核を保有しない国の発言力、外交力は圧倒的に弱い。北朝鮮は核を開発しているから存在感がある」という意味が、ここにあると思う。

 経済でも軍事でも外交でも、今は中国の方が一枚上手である。そんな中国が、過去の経緯もある日本と本当に友好関係を築いてくれるか、は今は相手の力量にすべて委ねられている。しかし、核武装すれば相手は一目置いて、初めてきちんと話を聞いてくれるのではないかと思う。逆説的ではあるが、本当に友好的にやろうとするのであれば、核兵器こそその有効な後ろ盾となるのではないだろうか。

 まあ結局は自分で何とか自立するか、相手の力量に頼るかの話である。相手の力量に頼るのが一番問題は少ない。中国が「理解ある上司」であれば問題はない。人任せではなく、空虚な理想論でもなく、現実的にドラスティックな国際社会で自立していこうと思ったら、やっぱり考えなければならない事かもしれないと思うのである・・・


【今週の読書】

“悪の論理”で世界は動く!~地政学—日本属国化を狙う中国、捨てる米国 - 奥山 真司 県庁おもてなし課 (角川文庫) - 有川 浩





     

 

2013年1月20日日曜日

日記

 初めて日記をつけ始めたのは、記憶にある限り小学校3年の時だ。キャラクターの絵のついた日記帳を親がくれたのである。1年くらいはつけたであろうか。その後も何度か書いては途切れを繰り返し、今のは1999年からずっと続いている。最初の3年間は市販の日記帳。その後はパソコンの中だ。市販の日記帳にペンで書くというスタイルが一番良いと思うのだが、それだと「見られる」リスクがある。そうすると、見られてまずい内容は書けない。

 よく有名人の残した日記が公開されたりしているが、自分はそんな大それた存在でもないし、残して誰かに読んでもらおうなどとも思わない。そう考えてパソコンに保存しているのである。そういう日記は、もちろん後で読み返す事に意味がある。

 高校生以後のものは今も手元にある。文章の巧拙はあるものの、テイストはあまり変わっていない。しかしながら、やっぱり10代の“青さ”が滲み出ている文章は、とてもではないが人に見せられたものではない。いつか人生の終わりに身辺整理をする時に、忘れずに処分しないといけない。

 人間の記憶というものは、曖昧であり、頼りない。過去に過ごした一日一日はほとんど忘却の彼方だ。しかし、日記に書いてあるとその時の記憶が呼び起こされる事もある。過去の日記を読み返す事は、けっこう面白いものである。

 高校生の時に初めて女の子と付き合った。こういう記述は、例え自分のものでも一層興味深い。付き合うに至る過程の心の動きもきちんと書いてある。「若いなぁ」と改めて思う。初めてのデートの時の記憶など、完璧に失われているが、日記にはその時の様子が書いてある。これぞ、日記の効果であろう。

 自分でもわりと記録に残す事は好きな方だと思う。映画館に観に行った映画は、小学校6年の時に初めて観に行った「ジョーズ」から、先日観に行った「007 スカイフォール」まで454本に及ぶ。読書はさすがにすべての記録はないが、それでも2005年からはすべてある。近年はブログにして残してあるが、もうすでに内容を忘れてしまっているものがあるから、自分の記録として重要だ。

 日記の方は、ここ10年ではやはり子供に関する記述が多くなる。それは子供の成長記録でもある。そしてやっぱり仕事についての記述も多い。その時々に携わっていた仕事。同僚に対する意見。その時食べたランチ・・・

 くだらない事もあるし、わざわざ人に見せるほどのものでもない。覚え書き程度のものではあるが、その時過ごした一日がそこにはある。年々月日の経過が早くなっていくが、日記にはそんな矢のように過ぎ去った過去が毎日きちんと記されている。当たり前だが、早過ぎる事もなく、遅すぎる事もなく確実に過ごした一日の記録がそこにはある。それを読めば、知らないうちに時間が過ぎてしまっていたという事はないのだと、改めて実感できる。

 今度はいつまで続くだろうか。もうろくして書けなくなる時までだろうか。日記にはすべてパスワードがかけてあるから、子供たちが読む事はないし、自分が死んだらそれまでだろう。それで良いと思っている。

 せっかくここまで続けたし、毎日寝る前の良い習慣になっている。時間がなくて急いで書いたら、あとで読みなおした時に何かその日は損をしたような気になってしまう。だから、日記は優先的に余裕をもって、書こうと思う。これからも、毎日続けていきたいと思うのである・・・
  




2013年1月13日日曜日

アルバイト

 近所にあるスーパー「いなげや」にはよく買い物に行く。スーパーのレジは大抵パートのおばさんなのであるが、時にアルバイトと思しき若者たちが立っている。挨拶の仕方など一連の動きがすべて同じなので、たぶんマニュアルで規定されているのだろうと思うのだが、そんなアルバイトの中に男の子がいる。別に男が悪いわけではないのだが、なんとなく自分の中でマッチしないものがある。

 自分も社会人になる前はアルバイトの経験がある。初めてのアルバイトは中学3年の時、と言っても高校に入る直前の春休みだ。近所の幼馴染みのお父さんが棟梁だった伝手で、建設現場でお手伝いをしたのが記念すべき初めてのバイトだった。そこは以後も休みのたびに働かせてもらい、こずかいを稼がせていただいた。おかげで、高校生になってからというもの、親からこずかいをもらわなくて済んだのである。

 これに味をしめて、高校・大学に入っても当然ながらバイトでこずかい稼ぎを続けた。さすがに学費まではカバーできなかったので、教科書代や通学交通費などの学業に関わるものは親に出してもらい、こずかいは自分で稼ぐという事を貫いた。自分で言うのも何だが、随分感心な学生だったと思う。

 アルバイトは親の知り合いの本屋さんというのもあったが、自分で探す事もした。普段はラグビー部の活動があって時間もなく、家庭教師くらいしかできなかったが、今の時期などのシーズンオフはいろいろと探した。年賀用のひよこのお菓子を売った事もあったし、店頭でカメラのフィルム売りの呼子をやった事もあった。その中でも一番のお気に入りは、やはり肉体労働系であった。

 最初の建設現場もそうだったが、大学時代にやった築地魚河岸のバイトや防水工事の会社でのバイトなどがなかなかのお気に入りだった。魚河岸の朝は早く、怒声の飛び交う現場に最初は面食らったが、すぐに慣れて怒鳴り返していた。防水工事では、毎日いろいろな現場に連れて行かれ、9時から5時まで作業をした。

 10時と3時にはきっちり「一服タイム」が入る。作業が終わって事務所に帰ってきて、その日の報酬をもらって帰る。そのうち新入りのバイトから、「社員さんかと思いました」と言われるほどになった。20数年前の当時で一日7,000円前後は貰えたが、報酬にも内容にも満足していた。

 当時も選り好みするつもりはなかったが、それでもスーパーのレジというのは選択肢には入らなかった。その理由を探っていくと、何となく男がする仕事ではないという感覚がある。批判するつもりはないのだが、自分ではやらないだろうし、将来息子がやると言ったら反対するだろう。それは偏見なのだろうか。

 もっとも最近では男もお肌の手入れをしたりするようだし、それほど大げさとは言わなくても何の抵抗感もないのかもしれない。そこにニーズがあって、それを満たすのに男女差は関係ないという事であれば、誰がやろうが構わないのも事実だ。そういう意識は偏狭なのかもしれない。

 それはともかくとして、アルバイトはいいものだと思う。社会に出る前に稼ぐという体験ができるし、世の中の仕組みもなんとなくわかる。ひよこのお菓子を売った時は、当日の朝、その日付の製造日の日付判を押してから売っていた。当然製造日の表示の偽造であり、今ならまずいと思うのだが、当時は「こんなものか」と思ったものである。

 世の中数多ある職業をいろいろと体験する事は難しいが、アルバイトはそんな職業のいくつかを疑似体験できる。子供たちもいずれそんな年齢になるだろうし、その時は積極的にこずかい稼ぎをさせようと思う。どんなバイトがいいだろうか。自分の事ではないものの、今から考えても面白いかもしれないと思うのである・・・

     

2013年1月6日日曜日

我が家の子供たち

この年末年始は何と9連休だった。
無事にお正月を迎えられる上に、長く休む事もできて、つくづくありがたいと思う。
娘は受験勉強に勤しむ毎日。
塾も積極的に居残りをしている。

そんな娘に妻は厳しい。
今朝も娘は、今ハマっている「踊る大捜査線」の録画(最初のTVシリーズ)を観ようと6時半に早起き。終わってから朝の勉強。ところが妻は、そんな娘に厳しく言う。
「TV観るために早起きなんて・・・受験が終わってからにしなさい!」

合否に不安な妻は、事あるごとにこんな調子。妻の言い分もわからないでもない。しかし、普段だったら娘は8時まで寝ているところ。それをTV観たさに早起きする努力は認めてあげないといけない。8時に起きてそれから顔を洗って準備して勉強するのと、TVを観て終わって7時半から勉強するのとどっちが良いのか、考えるまでもないのだが、妻にはその判断もつかなくなっている。

かつて受験生がいる家では、「すべった」とか「落ちた」とかは禁句だといったものがあった。非常に滑稽だと思っていたのだが、それくらいピリピリしていたのだろう。だけどそうしなければ受からないというものでもない。まだ小学生だという事を考えれば、もっと考えてあげないといけない。私はと言えば、眠い目をこすりながら6時半に起きて一緒にTVを観てあげた。趣味は一緒に楽しむ人がいれば尚更楽しいし、当然ながら娘もそれを喜んでいるようだった。そういう応援をしていきたいと思うのである。

一方息子はここのところ日本の歴史にハマっている。特に戦国武将にご執心だ。『そーなんだ!歴史編』という歴史漫画を、本当は歴史に苦手意識を持つ娘のために購読したのだが、逆に息子がハマってしまったという有り様。せっかく47都道府県を覚えたと思ったら、今度は「尾張の国」だとか「美濃の国」だとか、そっちが気になるようだ。徳川15代将軍の名前を知りたがったり、家系図にも興味が派生しているようである。

挙句の果てに、「我が家の家紋は何か」と尋ねて来た。良い機会だと思って「おじいちゃんに聞け」と答えたら、さっそく実家に連れて行った時に質問し、「丸に根笹」と教えてもらい、さらにそのキーホルダーまでもらってご満悦。
「お姉ちゃんはお嫁に行くから、僕が名前を継ぐんだよね」
と涙ぐましいセリフまで吐いてくれた。「お嫁に行ってくれればね」というセリフをぐっと呑み込み、「そうだね」と答える。

それぞれに、それぞれの子供たち。
今年は子供たちにとってどんな年になるのだろうか。
自分のばかりでなく、子供たちの一年もしっかりと見守りたいと思うのである・・・

丸に根笹


【本日の読書】
完全なる経営 (日本経済新聞出版) - アブラハム・マズロー, 金井壽宏, 大川修二 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか - 増田俊也






2013年1月3日木曜日

2013年新春雑感

「君が当たっている大きな壁は、重いけど扉かもしれないよ」
(『ブラック・ジャックによろしく』7巻)
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2013年が始った。
今年はいつもと違うスタートだ。
まず長女が受験という事もあって、大阪の妻の実家訪問はなし。
長女は元旦のみ休んで、2日から塾だ。
塾の先生も娘の話によると連日終電帰りという事。
先生たちも書き入れ時らしい。

元旦はいつも家族そろって近所の北野神社へお参りに行くのだが、例年よりも遅めに家を出る。長女は起きてこないので置いて行った。家族そろって行くものだという意識はあったが、いずれ子供たちもバラバラとなってそうもいかなくなるだろう。そんな事を考えて、敢えて置いて行ったのだ。いずれ夫婦二人でのお参りとなるのだろう(それとも一人だろうか)。

そのあとは恒例行事として、私の実家へ。妻と母は表面上は穏やかな会話。母親も年末のゴタゴタについては気に病んでおり、体調も悪いらしく、そのあたりは大分気になっていたが、また改めて様子伺いをしようと思う。嫁姑問題が少しでもデタントに向かうよう、今年はこの問題に諦めずに対応していきたいと思う。

さらに気になるのは、祖父母と孫との関係だ。妻の両親と子供たちは会話が多いが、私の両親とはあまり会話が続かない。その最大の要因は、接触時間の長さが影響している。妻は年間にして約1ヶ月実家に帰省する。それに対して私の実家へは年間数回だ。この差は大きいと思う。これも今年は少しでも改善したいと思うが、妻の顔色を見ながらという事になるのだろう。

2日から長女は塾に行く。
正月特訓である。
我が娘ながらよく頑張る。
受験は親がやかましく言ったところでどうなるといったものではない。
何よりも本人のモチベーションが重要。
幸いな事に本人がやる気になっているところが、良いところ。
塾通いは親の懐には優しくないが、そこは親も耐えないといけない。

長女が塾へ行って勉強する間、私はテレビでラグビーの大学選手権を観戦。
これも恒例行事。結婚前は、毎年国立競技場へ行っていたものであるが、結婚してからは大阪への移動日になるため、半分くらいしか観られない。
仕方がないと諦めてはいるが、今年はじっくり観る事ができた。

特にする事もない三が日。あれこれと今後の事を考えてみる。常に、「昨日より少しだけ良い今日、今日よりも少しだけ良い明日」と考えて生きている。しかしながら、このところ停滞しているようにも思う。仕事でも家庭でもその他でも、これまで割と自分なりに努力しているつもりなのだが、あまり成果は上がっていない。正直言って辛いところではあるが、かと言ってやめるわけにもいかない。成果を焦らず必要な事を続けていくしかない。

嫁姑問題も含めて、今年はネバー・ギブアップ~できるまでやる~をテーマとして頑張ろうと思うのである。

【本日の読書】

完全なる経営 (日本経済新聞出版) - アブラハム・マズロー, 金井壽宏, 大川修二 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか - 増田俊也





2012年12月31日月曜日

2012年年末雑感

 大晦日。早いものでもう2012年も終わりである。終わりよければすべて良しという言葉があるが、良い年だったと思うにはちょっと厳しい年だった。それは仕事でもそうだし、親子関係・夫婦関係でもそうだ。それ以外にもうまくいかずに悪戦苦闘しているものがある。人生に試練は付き物だと思うが、自分の場合、ちょっと重すぎるのではないかと最近感じている。

 娘は中学受験に備えて勉強している。年末年始も塾通いだ。お受験などバカにしていた私だが、最近では都立高校も中高一貫化しており、我が娘が目指す地元の都立高校もそうなってしまったから仕方がない。それにしても自分の小学校6年の時と比べると、娘は遥かに勉強している。同じ学年で比較すれば早くも親を越えたと言える。親としては子供にどんな影響を与えられるだろうかとよく考えている。基本的に財産はそんなに残せないから、それに代わる無形の資産をたくさん残してやりたい。それにはいろいろと語って聞かせる事だろうと思う。

 息子は今日本の歴史にハマっている。特に戦国武将に興味を惹かれているようである。一緒に風呂に入るとあれこれと質問してくる。大した答えができるわけではないが、それでも思いつくまま答えていると、目をキラキラさせながら聞いている。こういう瞬間を大切にしたいところだ。

 嫁姑問題は、一朝一夕にはいかないだろう。自分ですべて解決できるとは思わずに、周りの手も借りながら少しずつ歩みを進めていくしかない。自分の事でないから、なかなか難しいところだ。今年がどうだったかという事も大事だが、来年どう生きるかはもっと大事。やっぱり「昨日よりも今日」、「今日よりも明日」と日々より良く生きたいと思う。常に良き夫、良き父親、良き息子、良き友人であるかを自らに問いかけていきたい。そしてそれに応えられるように、今日も明日もより良く生きたい。

 ありきたりではあるが、一日一善の善行を心掛けていば、最後にサイコロの目が良い方に出るかもしれないと信じてそう行動したい。小さな事でも構わないから、来年はそんな日々を過ごしてみようと思う。また明日から新しい一日、新しい月、新しい年が始る。
顔を上げ、前を向き、常に前傾姿勢で倒れる時も前に倒れる。
そんな姿勢で行きたいと思う。

 より良き明日に備えて、2012年の完了キーを押したいと思うのである・・・


【本日の読書】

完全なる経営 (日本経済新聞出版) - アブラハム・マズロー, 金井壽宏, 大川修二 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか - 増田俊也






2012年12月28日金曜日

難問(嫁と姑)

底荷のない船は不安定でまっすぐ進めない
一定量の心配や苦痛・苦労はいつも誰にも必要である

ショーペンハウアー
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 誰にでも悩みごとの一つはあるものだと言うが、やっぱりそうなのだろうか、とふと思う。今の自分にも頭の痛い問題がある。それが嫁姑問題である。結婚した頃は、嫁姑問題なんてどこか他所の話かと思っていた。今の妻と結婚しようと思ったのも、この女性なら母親ともうまくやってくれるだろうと思ったのが理由の一つでもあった。いずれ両親が年老いたら同居も、などという考えも抱いていた。すべて幻想となった今、何が悪かったのだろうと考えてみるも、これという理由は思い浮かばない。

 その昔は、結婚とは「嫁をもらう」事であり、女は文字通り家に入って嫁となった。「嫁ぐ」とはそういう事であった。家に入ればそこには既に君臨している女帝がいるわけで、厳しい指導にお嫁さんも苦労したし、そこから衝突して嫁姑の争いとなったのだろう。だが今は、我が家もそうだが、互いに独立した家庭であり、そんなに接点があるわけではない。なのにどうしてうまくいかないのだろうか。

 原因は姑、つまり私の母親にある。というか、あったと言った方が正しいかもしれない。妻もはじめから喧嘩腰で結婚したわけではない。始めは、旦那の母親に気に入られようという健気な気持ちであったと思う。それが母親の「悪気はないけど余計なひと言」、「軽い気持ちで言った傷つく一言」が積み重なり、次第に反発を覚えていったようである。

 人間、感情は隠していても態度に出る。やがて、母親に対する反発心が知らず知らずのうちに態度に出る。それを母は面白くないと思うし、時として気分を害する。もちろん、何で妻がそんな態度を取るのか思い当たる節は何もない。「自分は娘ができたと思って仲良くしたいのに・・・」と言いつつも、そんな態度に対する不満がまた余計な一言になって表に出てくる。あとはその泥沼のような連鎖である。

 双方その不満のはけ口は、間に立つ人間、すなわち私に来る。私もまた事態を軽く考え、真剣に受け止めなかった。
「またこんな事を言われた」→「気にしなければいいじゃん」
「何でああなの?普通は○○するでしょう」→「世代も違うし、自分たちの常識をあんまり押し付けるのもどうかと思うよ」
積もり積もった積年の思いが、ついに先日火をふいた。

 直接衝突したわけではないが、妻の怒りの矛先は鋭く私に向けられた。双方からその言い分をじっくりと聞く。妻との話し合いは、深夜にも及ぶ。双方それぞれ言い分があり、双方それぞれもっともである。大体、喧嘩なんてそんなものだ。みんな自分には自分の正義があるのだ。どちらも正しいから答えは出ない。長い年月の経過は、その原因を曖昧にする。

 アラブとイスラエルの紛争が良い例だ。どちらの主張にも正義があり、だからこそ解決が難しい。互いに歩み寄る気持ちがあれば、と思うのだが、それも「相手が非を認めるならば」と双方が考えている。何とかうまく取りまとめようと何度も試みたが、双方それぞれを立てるとそれぞれから反発を喰らう。
「母親に何も言えない」
「嫁の言いなりになっている」
双方からの私に対する批判は手厳しい。

 今のところ解決の糸口は見えない。双方もう少し寛容にとも思うが、それは私の立場だから言える事なのだろうか。解決できない問題はないと言われるが、こればっかりは難しそうだと思うのである・・・

 
【本日の読書】
完全なる経営 (日本経済新聞出版) - アブラハム・マズロー, 金井壽宏, 大川修二 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか - 増田俊也





2012年12月20日木曜日

選挙雑感2012

選挙が終わった。
事前の予想通りの自民党の圧勝。
前回は民主党が怒涛の大勝利。
その結果はともかく、これだけ大きく振れるのはどうなんだろうという気がする。

自民党もこの勢いで国民の期待に応えてくれればいいのだが、自ら自滅して政権を開け渡した3年前からどれだけ復活できているのだろうかという気もする。私が投票した地元の議員さんは見事小選挙区で当選を果たした。自民党の議員さんだが、「自民党だから」という理由で投票したのではない。個人的に頑張っているなと感じての投票だ。

前回の選挙でも投票したのだが、前回は民主党旋風の前に小選挙区で落選し、比例代表で復活していた。今回は堂々の小選挙区での、それも圧倒的な勝利であった。そして前回、「民主党だから」という理由で当選していた議員さんは、残念ながら落選。選挙前に民主党を離党し、今度は「民主党だから」という理由で落選するのを回避しようとしたようだ。さらにそれだけでは不安だったのか、直前になって日本未来の党の看板を掲げて選挙に臨んだのだが、我が選挙区の選挙民はそれほど甘くはなかったようだ。「看板頼み」も限界があるだろう。

民主党も、大物議員が次々と落選するという逆風下でも、立派に小選挙区で当選している議員さんはいる。こういう人は勝負できる「自分の看板」がしっかりとあったのだろう。政治家だったら、やっぱり「自分の看板」で勝負できるようでないとダメだろうと思う。

比例代表は、今や大物議員さんの「セーフティネット」みたいになっている。今回は菅直人前首相もこれで救われている。個人的には比例代表制も悪くはないが、今のあり方はどうかと思う。本当は比例代表はもっと数を減らし、「自分の看板」を持たない有望な若手議員を並べ、政界でキャリアを積んだ議員は、「自分の看板」で勝負するのが理想のような気がする。

若手議員はキャリアを積むにつれて比例名簿の順位が下がるようにしておく。
次の選挙までに自分の看板を作らないと、その先はない。
そうなると、必死で頑張るのではないかと思ってみたりもする。
まあ保身に忙しい政治家の先生に、そんな制度を受け入れる度胸はないだろう。

前回の選挙の時に思った事を読み返してみたが、ある程度民主党政権の失敗はわかっていたのだと改めて思う。前回感じた通り、民主党にとってみれば、ここで膿を出せれば次回また機会が巡ってくるのではないかと思う。「権力は腐敗する」との格言通り、一党支配はやはり良くない。今回は第三極と言われる勢力が出て来たが、いずれ二大政党くらいにはなってほしいと思う。

選挙に行く朝、長女から「どういう基準で選ぶの?」と聞かれた。
子供からの純粋な質問に時として戸惑う事もあるが、この時もそうだった。
「みんな『選挙で当選したらこんな事をやります』と言っているから、それをよく聞いて選ぶんだ」とありきたりな答えをした。
しかし、基本はそうだ。

前回は民主党の勝利後、マスコミはこぞって「マニュフェストに拘るな」と大合唱し、私の周りでもそれに賛同する人が多かった。私は一人、「拘らなくては困る」と言い続けていた。当選したあとに手のひらを返されたら困るからだ。そして今、野田さんは「マニュフェストになかった消費税増税をやった」と批判されている。いい加減なマスコミだから、国民もマスコミの報道なんかに左右されずもっと考えて行動しないといけない。右に左に極端に振れるのは、考えていないからに他ならない気がするのである。

政治家は国民の姿を映す鏡。
政治家が情けないと思うなら、それが日本国民の姿だと考えないといけない。
韓国の大統領選の投票率は75.8%だったという。
それに対して我が国は59.6%。
この投票率の低さこそが、大きな問題だろうと思えてならない。

さて、安部総理は日本では珍しい「返り咲き」総理だ。
前回は途中降板だったが、今回は先発完投を目指してほしい気がする。
もうコロコロ総理大臣が代わるのはみっともないし、せっかくだから大いに期待したいと思う。

また次の総選挙の時にはどんな事を感じているだろう。
その時またこの文章を読み返してみるのを楽しみにしたいと思う。
あっ、衆議院の影に隠れてしまったが、同日行われた都知事選では猪瀬副知事が当選した。
かねてから著書を読んでいた事もあって、清き一票を入れさせていただいた。
オリンピック誘致はいかがかと思うが、こちらも頑張ってほしいと思うのである・・・


【本日の読書】

13歳からの道徳教科書 - 道徳教育をすすめる有識者の会 海賊とよばれた男(下) (講談社文庫) - 百田尚樹




2012年12月11日火曜日

より良く生きるために

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

(草枕)
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 およそこの世は人間関係がほとんどすべて。仕事でも家庭でもその他においても。人間社会の中で生きていくには仕方のない事であるが、この人間関係というものが世の幸不幸の大部分を占めているような気がする。

 そしてその人間関係の鍵となるのが、「言葉によるコミュニケーション」=「言葉のキャッチボール」であると思う。「モノは言いよう」と言うが、本当にこの言葉の使い方一つで、同じ事を言っていてもまったく結果は違ってくる。「そういう言い方はないだろう」と、文句を言いたくなる事は日常茶飯事。言い方一つで気分を害する例は枚挙に暇がない。

 20代の頃は、棘のある言葉に接すると、真っ向から歯向かっていた。気分が悪い時は、相手を不快にさせるとわかっていて、そういう言葉を使った事もあったと思う。30代で多少考え方が変わった。そうあちこちで対立ばかりしていても疲れるだけだと悟ったのだ。

 また、気持ちの良い対応をされると嬉しくなるのは誰でも同じだろうが、自分もまたそうであった。それに輪をかけたのは、片思いの影響もあった。どうしたら、意中の女性に愛されるのだろうかと考えたら、他人と勇ましく対立ばかりしている人間が対象になるとは思えなかったのだ。

 40代になって、『自分が源泉―ビジネスリーダーの生き方が変わる』という考え方に触れた。「目の前のすべての結果は自分が作り出していると考える」考え方は、自分にしっくりとくるものだった。だがそれでも、何気ない相手の一言や対応に腹の立つ事は絶えない。仕事でも家庭でも極力感情を抑えようとはしているものの、なかなか難しいところがある。

 そんな時に「距離を置く」というのは一つの解決策だ。嫌な相手とは接触の機会を断ってしまえば、それ以上ストレスは感じないで済む。しかし、仕事でも、そして家庭では特に逃げる事はできない。であれば、正面から受け止めるしかない。最近ようやくこの受け止め方がわかって来た。

 相手は相手なりに自分が正しいと思っている。そしてしばし、そこに悪意はない(と考える)。時に鈍感になり、言葉の棘の痛みをやり過ごす。自分で転んだ時は、痛くても誰にも当たれないように。相手が悪意で言って来ても、『自分が源泉』の立場に立てば、それを言わせたのは自分だとなる。

 考えてみれば、「キャッチボール」は「キャッチ」ボールであって、「スロー」ボールではない。投げるのではなく、捕るのがキャッチボールなのである。相手の胸に向けて、(取りやすい)ボールを投げるのがキャッチボールの基本とされているが、実は相手の投げたボールを、例え取りにくくても頑張って捕るのがキャッチボールの本来の意味なのかもしれない。

 そう考えれば、言葉のキャッチボールも受け止め方が大事だと言えるだろう。自分にはまだまだ練習が足りないと改めて思う。人生もそろそろ半分を過ぎただろうし、好きな事をして楽しく毎日を暮らしたいと思うが、それには上手な言葉のキャッチボールが必要だと思う。

 元旦に「今年一年は家では腹を立てない」と決めた。もうそろそろ期限を迎えるが、今のところはうまくいっている。相手が気分がよければ、それは自分にも伝播する。上手なキャッチボールは何よりも自分のより良い人生に直接結び付く。50になるまでまだ少し時間がある。

 それまでにはこの境地をもう少し極めたいと思うのである・・・

【本日の読書】

マスタースイッチ - ティム・ウー, 坂村健, 斎藤栄一郎 海賊とよばれた男(上) (講談社文庫) - 百田尚樹




2012年12月6日木曜日

雨について思う

先日家族でディズニー・シーに行った。
この時期の我が家恒例の年中行事である。
しかし空は生憎の曇り空。
天気予報は無情の「夕方から雨」を告げていた。
そして、その通り、夕方暗くなると同時にパラパラと雨が降り出した。

雨は降っても困るし降らなくても困るという、考えてみれば誠に奇妙な現象だ。しかしながら雨というキーワードで過去を振り返ってみると、せっかく後楽園球場に野球を観に連れて行ってもらったのに試合が中止になってしまったりとか、旅先で恨めし気に空を見上げたとか、そんなネガティブなものが多い。「恵みの雨」とは言うけれど、よくよく考えてみればそれは農家の人たちとかで、我々都会人にはやっぱり煩わしいものである。

妻などはよく「洗濯物が乾かない」と嘆いているし、それは主婦にとっては共通の認識でもあるだろう(そういう妻は小学生の頃、運動会の前の日に真剣に雨乞いしていたそうである)。都会人にとっては、雨は嫌われ者と言えそうだ。いざという時の雨は、本当に嘆かわしいものだ。もっとも私自身は自称「晴れ男」なので、雨に泣かされる事は少ない方かもしれない。


雨で印象深いのは、やっぱりラグビーだ。高校に入ってラグビーを始めた時、一番驚いたのが、「ラグビーの試合は雨でも中止にならない」という習慣だ。それまで野球をやっていたから、これはちょっとした驚きだった。困ったのは、「だから練習も中止にしない」という最もな理屈。

それでも主要グラウンド(通称A面)は学校が使わせてくれなかったから、雨の日の練習はもっぱら通称“C面”と 呼んでいた、グラウンドというよりも体育館の裏の空き地だった。狭いから大した事はできず、もっぱら地面のボールを滑り込んでキープするような練習ばかりさせられた。練習後の姿は想像するに難しくないと思う。

年に一度の夏合宿では、やっぱり辛くてみんなで雨乞いをした。「雨でも練習する」という習慣を忘れたわけではなかったが、それでも雨乞いせざるを得なかった。「ひょっとしたら」という奇跡にすがったと言えるが、結果はやっぱり雨の中で練習は続けられた。

当然試合も雨の中で何度もやったが、相手も同じ条件とは言え、実力が十分発揮できたとは言えない。ボールはすべるし、ぬかるみに足は取られるし、動きも大きく制限されてしまう(もっとも最近は人工芝化も進んでいるので、状況も少し違うかもしれない)。

雨の日の試合は、やっぱり悲壮感が漂う。ドラマでも、傷心の主人公が雨にずぶぬれになるのは定番のパターンだが、雨にはそういう効果がある。「涙雨」という言葉があるくらいだし、「氷雨」は悲しい内容だし、雨がふって楽しいのは童謡くらいではないだろうか。

外出する時に雨というのはやっぱり鬱陶しい。しかしながら、この世に生きていく以上、雨は避けられない。避けられないものなら、それなりに受け入れるしかない。それが休みの日だったりしたら、諦めて晴耕雨読の精神で穏やかに過ごしたいと思うのである・・・



【本日の読書】

マスタースイッチ - ティム・ウー, 坂村健, 斎藤栄一郎 






2012年11月30日金曜日

イスラエル

 イスラエルは中東のど真ん中に位置する国である。世界の火薬庫と言われた紛争地帯で、つい先日もイスラエルとハマスがガザ地区で衝突した。ハマスは1週間で1,000発を越えるロケット弾をイスラエルに撃ち込み、イスラエルは、“Iron Dome”という迎撃システムで300発ほどそれを撃ち落としたものの、着弾被害も免れず70人程の被害者が出ている。

 イスラエルは、報復として空軍によるピンポイント爆撃を行い、幹部の自宅やハマス政府ビル・警察・ミサイル基地など1,300カ所を破壊している。
ようやく休戦になったものの、あくまでも休戦に過ぎない。

 突然飛んできたロケット弾で、母親と自らの指を失ったユダヤ人の男の子の話や、イスラエル軍の爆撃で瀕死の重傷を負い、ガザでは手当てできず、イスラエル側の病院に恐る恐る入院したパレスチナの子供の話がCNNのニュースで紹介されていた。この子たちも大人になったら、やっぱり憎しみ合って戦うのだろうか。日本人的な感覚では、どうにか話し合いで仲良くできないものだろうかと思わざるを得ない。

 されど2000年の放浪生活を送り、世界各地で嫌われ迫害されたユダヤ人は、身を守るために身につけた商才も「金持ち忌み嫌われる」で嫌われ、それはシェイクスピアにも強欲な商人として叩かれる(「ベニスの商人」)ほどだった。ナチスによるホロコーストを乗り越え、ようやく先祖の地に自らの国を築いたユダヤ人には同情しうるものがある。

 されどユダヤ人が追い出されたあと、2000年も祖国として暮らしてきた土地に、突然ユダヤ人がやってきて国を作り、追い出されたとなっては、パレスチナ人の無念もよくわかる。たかだか230年ちょっとのアメリカの歴史を考えてみても、2000年の歴史は長い。ちょっとやそっとでは、やっぱり解決しないだろう。

 私がこの地に興味を持ったのは、もう中学生くらいの事だ。この頃から歴史好きだったのだが、キリストの時代のこの地域の事に特に興味を惹かれたのである。たまたま友人の家が教会であった事もあり、頼んで聖書を一冊売ってもらったのだが、創世記から始る旧約聖書はなかなか面白い「読み物」であった。

 チャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」はこの時代の物語であり、もちろん、キリストも出てくる。そのものすばり「ナザレのイエス」という映画を観に行った事もあった。しかし、かと言ってキリスト教に帰依するまでには至らなかった。新約聖書を読んで、確かにキリストの言動には心を動かされるものはあったし、「愛の宗教」と言われるキリスト教が世界に広まった理由も良く分かったが、聖書は私にとってあくまでも歴史書であったのである。

 3つの宗教の聖地であるエルサレム。この何とも言えない響きの名前を持つ都市を訪れてみたいという気持ちはいまでもある。ゴルゴダの丘やなげきの壁を見てみたいし、死海に入って浮かんでもみたい。旧約聖書の舞台に対する憧れは今でも強い。


 しかし、自爆テロがあったり、ロケット弾が飛んできたりという一触即発の紛争地に、のんきに観光気分で訪れるのも、なんだかなぁと言う気がする。この地に真の和平が訪れるのはいつの日の事なのだろう。

 シリアのアサド政権が倒れ、民主政権が誕生したら、イスラエルとの間に和平の空気が訪れるだろうか。シリアが折れれば、ヒズボラも後ろ盾を失うから武闘派は大人しくなるだろうか。北が平和になれば、南のガザもそういう空気になるのだろうか。自分が生きて元気なうちに、和平が成立しないものだろうか。

 平和なエルサレムに、いつの日か訪れてみたいと思うのである・・・

【本日の読書】

もし、日本という国がなかったら (角川ソフィア文庫) - ロジャー・パルバース, 坂野 由紀子 ジェノサイド 上 (角川文庫) - 高野 和明











   

2012年11月23日金曜日

ブログ4周年

 いつの間にか11月も終わりに近づいている。朝晩めっきり寒くなり、そろそろコートを着ようか、まだ早いかと迷いつつ、毎朝家を出ている。道路脇の銀杏もだいぶ黄色くなってきている。


 この頃、非常に忙しくなってきた。家に帰ってきてもやりたい事がいろいろあって、なかなかこのブログの更新ができない。このブログをはじめてちょうど4年たった。当初は2日に一度の更新ペースであった。毎日でも書く事があった。それが徐々に間隔が空きだして、最近はとうとう一週間に一度のペースになってしまった。

 これが実はストレスになっている。書く事がないというわけではないのであるが、書く暇がないというのが実情。「暇など工夫次第でいくらでも作れる」というのが信条な自分であるが、確かにブログを最優先にすればできない事ではない。しかし、そうはいかないからストレスなのである。

 あれもこれもと手を広げ過ぎているのは事実だが、やりたい事を楽しみながらやろうと思っていたら、こうなってしまった。やめるのはもっとストレスだから仕方がない。まあなるべくマイペースでやろうと思っている。

 中学受験を控えた娘は、意外によく勉強している。地元の都立中高を目指しているのだが、自分で行きたいという気持ちがあるからだろうが、塾にも熱心に通い、帰って来てからも復習し、私にもよく質問してくる。国語や算数は何とか答えられる。しかし、小学生の算数はなかなか手ごわかったりする。何せうっかり連立方程式を使って簡単に解こうものなら、「Xなんてやり方習っていない」と言われてしまう。そしてXを使わずに解くのはなかなか難しかったりする。

 困るのは理科系だ。何せ私は根っからの文系人間。高校時代唯一“実力で”赤点を取ったのが化学だった男だ。やっぱり社会人になってもそれは生きている。

 先日のこと、塾へ娘を迎えに行った帰り道、二人で夜空を見上げて月がきれいに見えるという話をしていた時の事だ。文系人間としては、「昔の人が夜空を見上げて思った事」なんてロマンチックな話をしたかったのだが、娘は「どうして冬は空気が澄んで、月がきれいに見えるの?」と聞いてきた。「う~む、夏は暑くてもやもやしているからじゃないか」と答える私。答えていて情けない思いをしたのは言うまでもない。

 これから寒さも本格化するだろう。それはそれで大変であるが、四季折々、寒さも楽しみたいと思うところである。
「冬来たりなば、春遠からじ」
 来年の春は娘にとっても明るい春になってもらいたいと思うのである・・・


【本日の読書】

もし、日本という国がなかったら (角川ソフィア文庫) - ロジャー・パルバース, 坂野 由紀子 ジェノサイド 上 (角川文庫) - 高野 和明





2012年11月14日水曜日

両親

たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
石川 啄木

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 ちょうど今朝から『ハーバードの人生を変える授業』という本を読んでいる。最初のページのタイトルは感謝。毎日感謝する事の効能が書かれていた。その際、たとえば感謝する対象として「両親」とするなら、両親の姿をきちんと頭の中でイメージする事と書かれている。そんなところを読んだためか、両親に感謝するという事を考えてみた。

 そんなのはありきたりで当たり前のような気がするが、そう思える事自体ありがたい事だと今さらながら思う。しかし、子供の頃はと言えば、正直言って金持ちの家に生まれたかったと幾度となく思ったものである。別にひもじい思いをした事などなかったのだが、やっぱり大きな家に住んでいる友達や好きなものを自由に買える友達には引け目を感じた事は事実だ。

 家に友達を呼んだのも小学校の低学年までで、高学年ともなると、何となく家を見られるのが嫌で呼ばなくなったと記憶している。もっとも、あの頃は家族で一間のアパート住まいという友達もいたから、一軒家で伯父夫婦と上と下に分かれての生活はそんなにおかしくもなかったと思うが、そこは子供心というやつだろう。


 父は次男、母は三女という夫婦で、ともに故郷の長野県をあとにして東京に働きに出て来た経歴だ。親父などは住んでいる地域自体が貧しかった事もあり、中学を卒業してすぐの上京だった。何の支援もない状態で、それでも何とかやりくりしての生活だっただろうから、大変だったと思う。

 蒲田に住んでいた叔父も似たような暮らしぶりだったが、そんな苦労を子供は知るはずもない。
運動会や授業参観に来てくれたのはすべて母親だった。着物姿で教室の後ろに立っていた姿を今でも覚えている。友達家族と海へ行った時も、従兄弟の家に遊びに行った時も、一緒にいたのはすべて母親。たぶん親父は仕事が忙しく、日曜日くらいは体を休めたかったのだろう。

 先週末は、息子とキャッチボールをした。楽しそうに、そして一生懸命ボールを取っては投げてよこす我が息子。そんな息子を見ていると、こちらも楽しくなる。キャッチボールが楽しいのは、子供だけではない。自分は父親とキャッチボールをしただろうかと考えてみると、実ははっきりとした記憶がない。息子とそんな一時を持てなかったというのは、実は親父にとっても気の毒だったと思う。

 家の事は女がやるという時代風潮もあっただろうが、親父に遊んでもらった記憶はほとんどない。学校の事も、ほとんど口を出された記憶がない。今日は何をしただとか、試験で何点取っただとか、運動会で何をやるとか、どこの高校に行きたいとか、どこの大学を受けるのだとか。それらの記憶はみんな母親だ。

 だが大学に合格した時には、突然時計を買ってもらったし、結婚や家を建てるといった節目にはそれなりの事をしてもらったから、親父も心の中では思ってくれていたに違いない。物静かな親父と口やかましい母親と、典型的なコンビのような両親だが、居てくれて良かったし、社会に出るまで居心地の良い家庭を維持してくれた事はやっぱり感謝すべき事だ。

 世の中には、そんな両親も家庭も持てない人もいるわけだし、それは決して自分の招いた不幸ではなく、ただただ不運だったとしか言いようがないのだから、尚更そう思う。結婚して最初に住んだアパートの隣の家は、子供を小学校にすら行かせていなかった。将来あの子がどんな大人になるのかわからないが、それはあの子の責任ではない。自分がそんな不幸を背負っていたとしても、不思議はなかったわけである。

 結婚したらそんな両親ともども一緒に生活を、なんて考えていた事もあったが、実際に結婚してみると残念ながらそれは実現困難な事だった。一緒に暮らせている他人を見るにつけ、今でも羨ましく思う。世の中自分の意思だけではどうにもならない事もある。最近はすっかり不肖の息子となってしまっているのを申し訳なく思うだけだ。

 感謝なのだか、反省なのだかわからなくなってしまったが、そんな両親にはしっかりとした家庭を築いている姿を見せなければと強く思う。いろいろと思う通りに行かない事が多いのであるが、それはそれで努力だけは怠らないようにしたい。受取ったバトンは、しっかりと次に渡さないといけない。

 そうしてせめて心配だけはかけないようにしていこうと思うのである・・・


【本日の読書】
ハーバードの人生を変える授業 - タル・ベン・シャハー, 成瀬まゆみ 運命の人(四) (文春文庫) - 山崎 豊子






2012年11月11日日曜日

大学について

 先日、田中真紀子文科相が認可を見送った3大学だが、批判の嵐に屈したのか、あっという間に逆転認可になってしまった。そもそも手続的に不認可としてもおかしくはないし、認可前に建物は建ててしまうし、教員も募集してしまうしという話を聞くと、何のための大臣の認可だかわからない。それにそもそも新たな税金投入して、大学を増やす必要性があるのかもわからないままだ。

 大学全入時代と言われているが、それが本当に国力に結び付くならありだろうと思う。かつて鎖国をしながらも寺子屋体制で、世界一の識字率を誇った我が国である。国民すべてが大学卒であるくらいのレベルであれば、世界の中でも経済大国の地位を維持していけそうな気もする。本当に国際競争力がつくならもっと増やせばいいと思うのだが、果たして今の大学はそれに値するのであろうか。

 そんな疑問を持つのも、自らの体験談があるからである。私自身、猛烈な受験勉強を経て大学に入ったが、待っていたのは「一般教養課程」と称する“高校の延長のような授業”。法学部に入ったのに、英語や数学や体育まであった。法律の勉強は週2コマ(1コマ90分)くらいだったと記憶している。

 第2外国語のロシア語はそれなりに面白かったが、英語の授業などひたすら英文和訳だけで面白くもなんともない。ただ1年上の先輩が同じ講義を受講していて、時折指されては独創的な解釈の和約を披露してくれたのが面白かったくらいだった(なにせ先輩の和約は難しくて、英文を読まないと何を言っているのか良く分からなかったのだ)。

 すでにラグビー部の門を叩いていた私にとって、体育などはチャンチャラおかしくてやれるものではなかった。まぁそれなりに「体を動かさない」あるいは「やってみたい」と思うものから、アーチェリーやテニスを選択したが、これはこれで正解だったと言えるが、それ以外は苦痛の時間だった。こうした一般教養課程は、学生の学びたいという意欲を奪う効果がある。

 周りはみんな授業になど出ていなかったし、週12コマ授業に出ていた私は、かなり変り者の存在で、友達が少なかったから正確にはよく分からないが、知る限りの範囲では、平均の2倍以上の出席率だったと思う。それに加えて体育会のラグビー部での活動もたっぷりやったし、成果は乏しかったが合コンにもたくさん参加した。文“部”両道で満足のいく4年間だった。

 しかしそれも文系の甘さもあったようで、理系はそもそももっと授業に出ないといけなかったようなので、授業に出ない事が粋というな雰囲気は、文系大学の傾向なのかもしれない。今のこのボーダレス時代に失われた20年をもがいている真因は、こんな学生たちが社会の中核にいるからではないのかという気もする。

 個人的には大学は狭き門でも良いように思う。選ばれた人しか入れないとなれば、入るためにみんな一所懸命勉強するし、出口を絞れば入ったあとも勉強するだろう。大学側は大学側で、高校生のレベルが低いという事を問題視しているようだが、それは言い訳に過ぎないと思う。

 本当に日本の将来を考えるのなら、頑張って勉強して入ってこそであり、滑り止めで受けて他に行くところがなくてしかたなく行く大学に意味があるとは思えない。教育を受ける権利を主張するのであるならば、それなりの義務(努力)は必要だろう。それは本来、学力があっても経済的な理由でいけない人に対してこそ、満たされるべきものであるはずだ。

 せっかく不認可にした3大学を、恐らくそこで潤う人たちの思惑で、我々の税金がまた無駄に流されるのは何ともやりきれない。こんな事をしていると、本当に我が国はダメになってしまうだろう。せめて自分の子供たちは、きちんとした考え方を身につけさせ、「まともな」大学に通わせたいと思うのである・・・
      




2012年11月4日日曜日

マスコミが国を滅ぼす2

常々マスコミのあり方には疑問を抱いている。
マスコミは本来、事実を事実として報道していればそれでいいと思う。
その事実について、独自の見解を述べる必要はないと思うのだが、それは間違った考え方なのだろうか。そんな事を考えさせられるニュースが、また一つ目についた。

【田中文科相 答申否定は裁量権の逸脱】*****************************************************************
不安が現実になった。田中真紀子文部科学相が大学設置・学校法人審議会の答申を覆し、来春開校予定の3大学の設置申請を不認可とした。ルールを無視した判断で、到底認められない。 田中文科相は不認可とした個々の具体的理由に言及せず、「大学が全国で約800校ある中、大学教育の質が低下している」「大半の(審議会)委員が大学(関係者)で、大学同士が互いに検討している」と述べた。
*************************************************************************************************** 産経ニュース

 田中文科相が、大学の設置申請を不認可とした事を取り上げたニュースである

この場合、「田中文科相が来春開校予定の3大学の設置申請を不認可とした」というのが事実だ。だが、記事では「ルールを無視した判断で、到底認められない」となっている。
これは事実に加えられた“独自の意見”だ。

 さらに、
①「歴代文科相が任命した現委員による従来の大学設置基準に沿った答申を否定することは、裁量権の逸脱である」
②「いずれも短大や専門学校からの改組で、申請に不備はなかった」
③「しかも、副大臣ら政務三役にも事前の相談がなかった」
④「政治主導を通り越して、大臣の独断専行に近い」
と続くが、①と④も“独自の見解”である。
それに②は当たり前の事だし、③はそもそも大臣に権限のある事なら別に問題ないだろうし、相談していれば良かったとでも言うのだろうかと問い質したい。
 
 締めくくりは、「田中文科相は、不認可の決定を取り消すべきだ」となる。
また、「田中氏は11年前、小泉純一郎内閣の外相に就任したが、事務当局との無用な軋轢で混乱を招き、米国要人との会談を直前にキャンセルするなど非常識な言動が目立った。大臣としての適性に欠ける政治家を文科相に起用した野田佳彦首相の任命責任は極めて重い」とたたみ掛ける。

 もう慣れっこなのだが、マミコミには自分の“勝手な意見”の前に事実をもう少し詳しく説明して欲しいと思う。 たとえば、今回対象になったのは、秋田公立美術大(秋田市)、札幌保健医療大(札幌市)、岡崎女子大(愛知県岡崎市)の3つらしい。

そもそもこれらの大学が本当に必要なのか、という議論がまずあるべきだろう。
失礼ながら候補の3つは、他に行くところがない学生を救済する意味しかないのではないかと思えてならない。


 田中文科相は、それを議論した学校法人審議会は身内の慣れ合いで不適切と断じている。それを否定するなら、身内でないことを証明すればいいだけだが、事実だからそれはできない。そんな身内のなあなあな取り決めは、誰が考えても問題である。さらに本当に行きたいと思っている学生がどれだけいるのか、ニーズがどれだけあるのか、我々にはわからない。

 また、税金は使われるのか、使われるとしたらどれくらいなのか。大学であれば国立も私学も税金での補助がなされていたと思うが、その点ではどうなのか。消費税を上げるという中で、どのくらいの税金が使われるのか、個人的には関心が非常に高い。

 そもそも1990年代には大学の数が500校だったらしい。それが規制緩和で今や800校。
一方で無駄を削除しろと大合唱しながら、正直言って「他に行くところのない学生」を受け入れるような大学を設置する意味はあるのだろうかと思う。
このように考えれば、田中文科相の決断を支持する人だって出てくるだろう。

 同じ事実でもどう伝えるかによって、受け手の感情は180度変わる。マスコミは確実に世論を操作できる。今の政治家がポピュリズムに走って3流というレッテルを貼られるのも、本人の資質だけの問題とも言いにくい。そこには“4流”マスコミの害悪も確実に存在する。

よけいな事はしなくていいから、マスコミには事実だけを報道してほしいと切に願うところである・・・


⇒ マスコミが国を滅ぼす1      
   
  

2012年10月30日火曜日

仕事について

旧ソ連の共和国の一つウズベキスタン。その首都タシケントに国立ナボイ劇場がある。終戦直後のソ連によるシベリア抑留で捕虜となった日本人が強制労働で建設させられた劇場である。タシケントには戦後2度の大地震があり、多くの建物が倒壊したが、ナボイ劇場は無傷で残る。強制労働に従事させられながらも、見事な仕事をした日本人に対し、現地の人たちは尊敬の念を抱いてくれているらしい。そんな事もあってか、ウズベキスタンはかなり親日的な国なのだと言う・・・
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 私が運営のお手伝いをさせていただいている高校の財団では、高校生に対して奨学金を支給している。その応募にあたっては、「将来私のやりたい仕事」と題する作文(800字)を提出してもらっている。以前は「将来の夢」としていたそうであるが、もう高校生となれば将来の職業を具体的に意識してもいいだろうと考えて変えたのだそうである。

 そう言えば私も高校生の時は、将来の職業として弁護士を考えていた。今から思えば、世の中にどんな仕事があるのかもよく知らず、単に映画「ジャスティス」を観て感動し、弁護士になろうと安易に決めたのだ。あの頃もう少しいろいろな選択肢が見えていたら、私の人生もだいぶ違ったものになっていたと思う。

 結局弁護士にはならなかったが、それはけっして司法試験という難関試験に挫折したわけではない。一言で言えば、法律の仕組みが私の性分に合わなかったのである。同じ結論なのに解釈の仕方の違いでそこに至る過程が違っていたり、そもそも法律は万能ではなく必ずしも正義が実現されるわけではないといった限界があったり、そういう部分が私の性格に合わなかったのである。

 特に印象的だったのは、ある憲法の授業だった。その時、90分の講義時間をフルに使って、教授がいかに自衛隊が憲法第9条に違反しているかを説明してくれたのである。そのロジックは実に見事で、私は説明を聞きながら教授の一言一句を聞き逃すまいと一所懸命ノートを取った。これぞ大学の授業だと感激したのだが、あとで冷静になって考えてみれば、憲法の条文を素直に読めば自衛隊が憲法違反である事は誰でもわかる。それをあそこまで見事に説明するという事に、むなしさを感じたのだ。

 
 近所のスーパーにポルシェに乗っていく必要などない。ある法律の条文について、○○説ではどうだとか、△△説ではどうだとか、そんな議論はバカらしくてしかたなかった。どっちでもいいじゃないかと思う私に、それが重要だという世界の水は合わなかった。しかも大学は、最初の2年間は教養課程という名の高校の延長のような苦痛の授業が続く。

 ようやく3年になって専門課程が始り、ワクワクしながら飛び込んだ法律の世界の実態に気付いたのは、4年になってから。今と違って、就職活動は引く手あまただったが、企業研究だとかその他の進路の研究などしている暇もなく銀行に就職が決まってしまった。

 今となっては、それでも良かったのだが、やはり同じ銀行員になるにしても、もう少し世の中の事を知って、たくさんの選択肢の中から選びたかったと思う。ひょっとしたら、自分にはもっと適している天職があったかもしれないと思う事もある。まあどんな職業であれ、プロとしてのプライドを持って一生懸命やる事が大事だから、そんな事は関係ないのだが・・・

 そんな事をつらつら思うのは、将来我が子にどんなアドバイスをするべきだろうかと、この頃よく考えるからだ。娘に対しても、いずれ結婚までの腰かけお茶くみOLにはなって欲しくないし、息子はなおさらだ。上場企業でも倒産するし、リストラはあるし、今は優良企業でも30年後はわからない。JALだって会社更生法のお世話になるくらいだから、もう絶対安心なんて所はない。

 「どこへ就職するか」よりも、どこでもいいけど「どんな(やり方で)仕事をするか」がやっぱり重要だろう。プロ意識を持って、品質の高い仕事をしてほしいと思う。我が子に望む前にまず自分自身だな。まだまだ定年まで先は長いし、定年後も何とか働かないとのんびりはしていられないだろう。
ナボイ劇場を作った日本人のDNAを受け継ぐ一人として、恥ずかしくない仕事をしないといけないし、そうした上で、我が子にも背中で語れるようでありたいと思うのである・・・


【本日の読書】
セーラが町にやってきた - 清野 由美 V字回復の経営―2年で会社を変えられますか - 三枝 匡






2012年10月23日火曜日

初めの一歩

 週末、突然小学校一年の息子がそばに来て、「パパ、ママがパパに野球のルールを教えてもらえって」と言ってきた。なんでもテレビで野球を観ようとしたら、妻にそう言われたらしい。どうせパソコンの前に座って遊んでいるだけだろうと思われたのだろう(まあ事実だから仕方がない)、そんなセリフが出て来たようである。他の事ならともかく、そういう事であればと息子と一緒に野球を観る事にした。

 時にセ・リーグのクライマックス・シリーズ。圧倒的有利を予想していた我がジャイアンツだが、予想外の3連敗の崖っぷち。負けたら日本シリーズに出場できないとくる。シーズンの圧倒的成績からして、それはちょっとないだろう。まあいい機会だから、一緒に応援しようと言う事になった(たぶん息子はこうして必然的にジャイアンツファンになるのであろう)。

 さて、説明を始めると、実は息子は何も知らないとわかった。
「今はツーアウトだろ、」
「ツーアウトって何?」
「・・・」
「つまり、ストライクが3つで1アウト、」
「ストライクって何?」
「・・・」
こんな調子なのである。

 考えてみれば、「将来プロ野球選手になりたい」と言いながら、さらに叔父さんに夏の甲子園に連れて行ってもらいながら、誰もルールなど教えていない事に気がついた。私も普段はほとんどテレビで野球など観ていないし、学校で友達だって教えてくれないだろうから知るはずもないのである。今さらながら当然の事に愕然としつつ、改めて1から教える事にした。

 ストライク3つでバッターは3振と言って攻撃できなくなる。アウト3つで「スリーアウト・チェンジ」、攻撃交代。幸い画面にはストライクゾーンが表示され、投げたボールの位置が点灯するから教える方も教えやすい。そう言えば昔はストライクを先に表示していたが、今はボールを先に表示している。日本人のメジャー進出が盛んになって、メジャーのテレビ放送が増えた影響だろうが、やっぱり違和感がある。それがカッコイイとでも思ったのであろうか。

 1塁と3塁とに引いてあるラインより後ろに飛んだ打球はファウルと言って、ツーストライクまではストライクに数えられる。ゴロで飛んだボールはバッターが着く前に1塁に投げないとアウトにならない。上に上がったフライは取るだけでアウト。一つ一つのプレーをその都度解説していく。一度に覚えられるはずもない。

 風呂に入っても続く。ピッチャー、バッターの他にファースト、セカンド、サード、ショート、外野はレフト、センター、ライトとポジションの名前を教える。興味津々の目で説明を聞く息子。慣れない言葉を一生懸命覚えようとする。自分もそうだったのだろうか、とふと思う。

 たぶん親父はそんな面倒見が良くなかったはずだから、一緒に観ながらあれこれと質問する私に、ぼそっと答える形で教えてくれたのかもしれない。あの頃は毎晩のように一緒にナイターを観ていたと思うから、そんな繰り返しで覚えて行ったのだろう。「野球狂の詩」、「ドカベン」、「あぶさん」など夢中で読んだ水島新司の漫画の影響もあると思う。

 戦術的な事は、近所の子供たちと一緒に野球をやりながら覚えたかもしれない。今の息子には、「1番バッターがノーアウトでヒットを打って塁に出たら、2番バッターはバントでランナーを送って3番につなぐ」などというセオリーを説明しても、まだ理解は難しい。たぶん私も時間をかけてルールやセオリーを覚えていったのだろうと思う。あの頃は、身の回りでは誰もが野球を観ていたし、やっていたと思う。

 今はサッカーも台頭し、昔は我が物顔だったナイター放送も、今はドラマやバラエティに押されてしまっている。時代の移り変わりもあるが、父と子で一つのスポーツを観て応援するというのも、何だか必要な事のような気もする。

 さて親子での応援の成果か、ジャイアンツはその日崖っぷちで踏みとどまる。さらに翌日から連勝して、ついに大逆転で日本シリーズ進出を決めた。まだ日本シリーズが何なのかよくわかっていない息子であるが、「一緒に応援しよう」と言ったら嬉しそうに元気な返事が返ってきた。

 自分がどれだけテレビの前で時間が確保できるかという問題はさておき、ジャイアンツの応援もだが、息子の野球に対する興味をこそ、応援してやりたいと思うのである・・・
 
             
【本日の読書】

ブランドで競争する技術 - 河合 拓 ドラマ「半沢直樹」原作 ロスジェネの逆襲: 2020年7月スタートドラマ「半沢直樹」原作 - 池井戸 潤




   

2012年10月18日木曜日

監督

 プロ野球はペナントレースを終え、上位チームはクライマックスシリーズに突入している。しかしながら、下位チームは来年の新体制への動きが活発化している。新しい監督が任命されたと言うニュースがちらほら出ている。WBCの監督も山本浩二に決まった。

 別にそんな新監督に興味があるわけではないのだが、監督といえば大学時代のラグビー部のS監督を思い出す。振り返ると、小学校の少年野球チームからスタートした我がスポーツ人生だが、実は“監督”とはあまり縁がない。少年野球のチームの監督以降、中学のバスケットボールでも高校のラグビーでも、指導者はみな“コーチ”であった。大学のラグビー部で出会ったのが、実は生涯二人目の“監督”であった。

 S監督は、正確に言えば三人目の監督だ。我々が3年になった年に監督に就任されたのである。二人目の監督は、いつも表情が硬く、むっつりとしていて、正直言って気軽に話しかけられるようなタイプではなかった。いわゆる“怖い”監督に分類されるタイプだ。

 甲子園の常連チームだとか、ラグビーで花園へ行くチームなどは、けっこう“怖い”タイプの監督がわりと有名だ。スポーツの世界では、厳しさが必要だからそういう怖い監督に指導されたチームが強くなるのも当然なのかもしれない。だが、個人的にはやっぱり怖いタイプは苦手である。そんな苦手なタイプの後に来たのが優しいタイプのS監督だった。

 説明は理論的。それまで考えた事もなかったチームの戦術を理論的に語ってくれた。チームスポーツでありながら、当時自分のプレーのみを追求していた私には「目からうろこ」の説明だった。子供の頃から筋金入りの「理屈屋」の私の心に、S監督の説明は見事に突き刺さったのである。

 練習中もあまり細かく指導を受けた記憶はない。しかしながら時折褒められた事はよく覚えている。大勢の部員が練習している中で、些細なプレーを見ていてくれたのに驚いたものである。当時私は、高校時代の「教えられたプレーを教えられた通りにやるスタイル」から脱皮し、自分なりにあれこれ考えて工夫をしていた時だったから、それが認められたのでよけい嬉しかったのだ。

 S監督にはよく褒めてもらった。重要な公式戦で、ライバルチームの猛攻に防戦一方となっていた時の事。相手選手の突進をゴール前でタックルで止めた。その時は必死で意識などしていなかったが、あとで「あのタックルは良かった」とS監督が言っていたぞと見ていた仲間が教えてくれた。その試合で勝ったのも嬉しかったが、褒められたのも嬉しかったのを覚えている。

 S監督の元での2年間は本当に充実していた。卒業する時は、いつか結婚する時はS監督に仲人をしてもらおうと思ったほどである。自分にも他人にも甘い私だからだろうか、褒められて伸びるタイプだったためであろうか、やっぱり私にとって指導者は、あのS監督のようなタイプが肌に合っている。

 卒業後10年ほどして大学のラグビー部のコーチを拝命した。S監督のようにやりたいと思ったが、なかなかどうして難しく、うまくはできなかった。1~2年の頃の怖い監督が、また監督に返り咲いていたが、現役の一人が「いつか監督にほめられたい」と語っているを聞いた。めったに人を褒めない人だったが、そういう“火のつけ方”もあるのだと知った。

 チームスポーツにおいて、監督の影響はやはり大きいと思う。野村監督なども、本から伺い知るだけだが、たぶん凄かったのだろうと思う。そしてそういう監督は、選手がチームを離れた後も影響を残すものだと思う。同じ卒業生ゆえ、S監督とは今でもラグビー部の集まりでたまに顔を合わす事がある。しかし、S監督は私にとって“先輩”ではなく、やっぱり“監督”なのである。

 あの2年間の指導は本当にありがたかったとつくづく思うのである・・・


【本日の読書】

ブランドで競争する技術 - 河合 拓 ドラマ「半沢直樹」原作 ロスジェネの逆襲: 2020年7月スタートドラマ「半沢直樹」原作 - 池井戸 潤





2012年10月13日土曜日

親父、本を読む

先日、実家に顔を出した。
普段あまり良い息子していないから、せめて顔を見せておこうと思ったのだ。
とりとめもなくあれこれと話をしていたら、母親が「そういえば、お父さん最近本を読んでいるのよ」と教えてくれた。見れば棚の上に文庫本が重ねられている。

親父が読書というイメージは私にはない。
一昨年膝の手術で入院した時に、暇つぶしにと何冊か差し入れしたら、またたく間に読んでしまい、ちょっと驚いた事があった。
どうやらその時から興味をもったらしい。

もっとも、その時私が差し入れた「容疑者Xの献身」を面白かったと言いながら、翌年自分で買って読み、私に「これ面白いぞ」と言ってきたのには笑ってしまった。
1年経って、読んだ事すら忘れていたのだ。
そんな親父が、最近になって自ら本を買って読んでいるなんて。
興味を持って積み重ねてある文庫本のタイトルを見てみた。

「ダイイングアイ」、「プラチナデータ」、「こころ」、「吾輩は猫である」
「へぇぇ」と思った。
東野圭吾はわかるのだが、夏目漱石は意外だった。
そう感想を伝えたところ、タイトルは知っている有名な本なのに読んだ事がないから、という答えが返ってきた。「本なんて読む暇なかったからな」とポツリと親父が呟く。

「言ってくれれば、持ってきたのに」と親父に言う。
私も夏目漱石はかなり読んだ。
手放せなくて、まだ自宅の本棚のどこかにある。
それらはみんな学生時代に読んだものだ。
夏目漱石以外にも国内外の作家の名だたる本は、この時期に読んでいる。
それだけ暇もあったからでもある。

そういう親父は中学を卒業するとともに、生まれ育った長野県は富士見の町をあとに上京。
知り合いのつてを頼って印刷会社で勤め始めた。
その時は朝の6時から夜の12時まで働かされたとよく聞かされた。
労働基準法も何もあったものではなかった時代だ。

以来、印刷一筋。
日本全体が猛烈に働いていた時代。
会社員時代も独立して自営で仕事をしていた時代も、遅くまで働いていて、きっと本を読むゆとりなどなかったのだろう。そう考えると、自分がとっくに読み終えて“卒業”した文豪の小説を今になって読んでいる親父の姿がちょっと切なく見えた。

学生時代は当たり前のように本を読み耽っていた。
考えてみれば親父はその年の頃はもう必死で働いていたのだ。
好きなだけ本を読んで、ラグビーやって、もちろん授業にも当たり前のように出席して、合コンなんかにも行ったし、やはり随分恵まれた生活だった。
さすがに車を乗り回すほどではなかったが、充実した高校・大学時代を過ごせてありがたかったと思う。

「今度来る時何冊か持ってくるよ」と親父には伝えた。
若い頃できなかった事を歳とってやろうと思っても、できる事とできない事がある。
だが本を読む事は簡単だ。
「でもなぁ、前の日に読んだところもわすれちゃうんだよなぁ」と親父がぼやく。
1年前に読んだ本を、読んだ事すら忘れるのだから無理もないかもしれない。
「でも何回でも新鮮に楽しめていいじゃないか」
そんな答えを返しておいた。

この週末は家の本棚の棚卸だ。
夏目漱石以外にも芥川龍之介もあるし、三島由紀夫もあった。
個別には「氷点」なんかもオススメだ。
外国のものでも「風邪と共に去りぬ」は本で読んでもいいし、「エデンの東」もいいかもしれない。現代の作家では浅田次郎が断トツだろうか。

今度持って行くのを選んでいたら、結構な量になってしまった。
どんな感想を持つのだろうかと思うと、ちょっと楽しみな気がする。
それに手に取ってみたら、久しぶりに自分でも読んでみたくなった。
20代の頃と比べれば、遥かに人生経験豊富になったし、またあの頃とは違った感想を持つかもしれない。

普段読もうと思って積み上げている本の上に、夏目漱石も置いてみる事にしたのである・・・


2012年10月6日土曜日

祖母

 先週末は毎年恒例の義理の祖母を囲む食事会であった。毎年敬老の日にやっているのだが、今年は子供たちの運動会に義理の母と義理の妹夫婦が遊びに来ていたので、どうせなら大人数でと、この日にずらしたのである。義理の祖母は今年90歳。我が家の子供たちからすると「曾婆さん」という事になる。祖母からしても曾孫は我が家の子供たちだけだから、双方にとって貴重な存在と言える。

 その祖母は今義理の叔母夫婦と神奈川県で暮らしている。毎年の祖母を囲む会は、近所のバイキング・レストランへ行くのが恒例になっている。しかし、みんな食べるのに夢中だし、耳の遠くなった祖母はみんなの話が聞こえないと言い、今年は伯母の家で「家パーティー」という事になった。正直言ってがっかりしたのであるが、まぁ主役のリクエストだから仕方ない。

 いつもよりの大人数の家パーティー。叔母もたくさんの食事を用意してのおもてなし。祖母は希望通り、近くでみんなに囲まれて幸せそう。最初に孫姉妹(つまり我が妻とその妹)、続いて妹の夫、そして私、続いて曾孫と入れ替わり立ち替わり話し相手になる。

 祖母もいろいろ語ってくれた。大正11年8月8日生まれ、8人兄弟の8番目。一昨年の8月8日の88歳の誕生日は、8続きで感無量だったと言う。生まれは北海道の朝日村(今の士別市朝日町)。20歳でお爺さんと結婚。そのお爺さんは学校の先生で、転勤に伴って北海道各地を転々としたらしい。

 住まいはいずれも学校の敷地内の官舎だったという。給料の他に僻地手当、寒冷地手当等がついていたので、給料5万円は全部仕送りしていたと笑って語ってくれた。我が家の娘が生まれた時に、一度だけ札幌に訪ねて行った事がある。そしてそのあとすぐ事情があって、祖母は神奈川の叔母の家にきた。「北海道で80年、こっちに来て10年」としみじみ語ってくれたが、そこにはもう帰る事のない北の大地への思いが滲み出ているようだった。

 祖母お手製の貝の飾り手先が器用で、折り紙や裁縫でいろいろと作ってしまう。食いしん坊で、いまだに食欲は旺盛。足腰は弱ってしまい、歩くのは大変らしいが、今はデイサービスを利用して気晴らしをしているらしい。我々みんなで交代で話を聞き続け、曾孫たちは折り紙を教えてもらい、祖母には楽しんでもらった様子。

 翌日叔母からお礼の連絡をもらった。なんでも次の日も祖母の興奮はさめやらず、デイサービスでは会う人会う人に曾孫たちが遊びに来た事を語っていたと言う。そんな話をする叔母も嬉しそうだったと言うし、そう報告する妻も嬉しそうだったし、それを聞いた私もいい気持ちだった。その日は祖母の喜びが我が家にも伝播してきて満ちていた。


 また来年も、と思う。今度もレストランでなくてもいいだろう。私の祖父母はもういないから、義理であっても貴重な存在である。また行って、いろいろな昔話を聞かせてもらおうと思うのである・・・





【本日の読書】
心を上手に透視する方法 - トルステン・ハーフェナー, 福原美穂子 ふがいない僕は空を見た(新潮文庫) - 窪美澄