2012年11月14日水曜日

両親

たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
石川 啄木

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 ちょうど今朝から『ハーバードの人生を変える授業』という本を読んでいる。最初のページのタイトルは感謝。毎日感謝する事の効能が書かれていた。その際、たとえば感謝する対象として「両親」とするなら、両親の姿をきちんと頭の中でイメージする事と書かれている。そんなところを読んだためか、両親に感謝するという事を考えてみた。

 そんなのはありきたりで当たり前のような気がするが、そう思える事自体ありがたい事だと今さらながら思う。しかし、子供の頃はと言えば、正直言って金持ちの家に生まれたかったと幾度となく思ったものである。別にひもじい思いをした事などなかったのだが、やっぱり大きな家に住んでいる友達や好きなものを自由に買える友達には引け目を感じた事は事実だ。

 家に友達を呼んだのも小学校の低学年までで、高学年ともなると、何となく家を見られるのが嫌で呼ばなくなったと記憶している。もっとも、あの頃は家族で一間のアパート住まいという友達もいたから、一軒家で伯父夫婦と上と下に分かれての生活はそんなにおかしくもなかったと思うが、そこは子供心というやつだろう。


 父は次男、母は三女という夫婦で、ともに故郷の長野県をあとにして東京に働きに出て来た経歴だ。親父などは住んでいる地域自体が貧しかった事もあり、中学を卒業してすぐの上京だった。何の支援もない状態で、それでも何とかやりくりしての生活だっただろうから、大変だったと思う。

 蒲田に住んでいた叔父も似たような暮らしぶりだったが、そんな苦労を子供は知るはずもない。
運動会や授業参観に来てくれたのはすべて母親だった。着物姿で教室の後ろに立っていた姿を今でも覚えている。友達家族と海へ行った時も、従兄弟の家に遊びに行った時も、一緒にいたのはすべて母親。たぶん親父は仕事が忙しく、日曜日くらいは体を休めたかったのだろう。

 先週末は、息子とキャッチボールをした。楽しそうに、そして一生懸命ボールを取っては投げてよこす我が息子。そんな息子を見ていると、こちらも楽しくなる。キャッチボールが楽しいのは、子供だけではない。自分は父親とキャッチボールをしただろうかと考えてみると、実ははっきりとした記憶がない。息子とそんな一時を持てなかったというのは、実は親父にとっても気の毒だったと思う。

 家の事は女がやるという時代風潮もあっただろうが、親父に遊んでもらった記憶はほとんどない。学校の事も、ほとんど口を出された記憶がない。今日は何をしただとか、試験で何点取っただとか、運動会で何をやるとか、どこの高校に行きたいとか、どこの大学を受けるのだとか。それらの記憶はみんな母親だ。

 だが大学に合格した時には、突然時計を買ってもらったし、結婚や家を建てるといった節目にはそれなりの事をしてもらったから、親父も心の中では思ってくれていたに違いない。物静かな親父と口やかましい母親と、典型的なコンビのような両親だが、居てくれて良かったし、社会に出るまで居心地の良い家庭を維持してくれた事はやっぱり感謝すべき事だ。

 世の中には、そんな両親も家庭も持てない人もいるわけだし、それは決して自分の招いた不幸ではなく、ただただ不運だったとしか言いようがないのだから、尚更そう思う。結婚して最初に住んだアパートの隣の家は、子供を小学校にすら行かせていなかった。将来あの子がどんな大人になるのかわからないが、それはあの子の責任ではない。自分がそんな不幸を背負っていたとしても、不思議はなかったわけである。

 結婚したらそんな両親ともども一緒に生活を、なんて考えていた事もあったが、実際に結婚してみると残念ながらそれは実現困難な事だった。一緒に暮らせている他人を見るにつけ、今でも羨ましく思う。世の中自分の意思だけではどうにもならない事もある。最近はすっかり不肖の息子となってしまっているのを申し訳なく思うだけだ。

 感謝なのだか、反省なのだかわからなくなってしまったが、そんな両親にはしっかりとした家庭を築いている姿を見せなければと強く思う。いろいろと思う通りに行かない事が多いのであるが、それはそれで努力だけは怠らないようにしたい。受取ったバトンは、しっかりと次に渡さないといけない。

 そうしてせめて心配だけはかけないようにしていこうと思うのである・・・


【本日の読書】
ハーバードの人生を変える授業 - タル・ベン・シャハー, 成瀬まゆみ 運命の人(四) (文春文庫) - 山崎 豊子






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