別にそんな新監督に興味があるわけではないのだが、監督といえば大学時代のラグビー部のS監督を思い出す。振り返ると、小学校の少年野球チームからスタートした我がスポーツ人生だが、実は“監督”とはあまり縁がない。少年野球のチームの監督以降、中学のバスケットボールでも高校のラグビーでも、指導者はみな“コーチ”であった。大学のラグビー部で出会ったのが、実は生涯二人目の“監督”であった。
S監督は、正確に言えば三人目の監督だ。我々が3年になった年に監督に就任されたのである。二人目の監督は、いつも表情が硬く、むっつりとしていて、正直言って気軽に話しかけられるようなタイプではなかった。いわゆる“怖い”監督に分類されるタイプだ。
甲子園の常連チームだとか、ラグビーで花園へ行くチームなどは、けっこう“怖い”タイプの監督がわりと有名だ。スポーツの世界では、厳しさが必要だからそういう怖い監督に指導されたチームが強くなるのも当然なのかもしれない。だが、個人的にはやっぱり怖いタイプは苦手である。そんな苦手なタイプの後に来たのが優しいタイプのS監督だった。
説明は理論的。それまで考えた事もなかったチームの戦術を理論的に語ってくれた。チームスポーツでありながら、当時自分のプレーのみを追求していた私には「目からうろこ」の説明だった。子供の頃から筋金入りの「理屈屋」の私の心に、S監督の説明は見事に突き刺さったのである。
練習中もあまり細かく指導を受けた記憶はない。しかしながら時折褒められた事はよく覚えている。大勢の部員が練習している中で、些細なプレーを見ていてくれたのに驚いたものである。当時私は、高校時代の「教えられたプレーを教えられた通りにやるスタイル」から脱皮し、自分なりにあれこれ考えて工夫をしていた時だったから、それが認められたのでよけい嬉しかったのだ。
S監督にはよく褒めてもらった。重要な公式戦で、ライバルチームの猛攻に防戦一方となっていた時の事。相手選手の突進をゴール前でタックルで止めた。その時は必死で意識などしていなかったが、あとで「あのタックルは良かった」とS監督が言っていたぞと見ていた仲間が教えてくれた。その試合で勝ったのも嬉しかったが、褒められたのも嬉しかったのを覚えている。
S監督の元での2年間は本当に充実していた。卒業する時は、いつか結婚する時はS監督に仲人をしてもらおうと思ったほどである。自分にも他人にも甘い私だからだろうか、褒められて伸びるタイプだったためであろうか、やっぱり私にとって指導者は、あのS監督のようなタイプが肌に合っている。
卒業後10年ほどして大学のラグビー部のコーチを拝命した。S監督のようにやりたいと思ったが、なかなかどうして難しく、うまくはできなかった。1~2年の頃の怖い監督が、また監督に返り咲いていたが、現役の一人が「いつか監督にほめられたい」と語っているを聞いた。めったに人を褒めない人だったが、そういう“火のつけ方”もあるのだと知った。
チームスポーツにおいて、監督の影響はやはり大きいと思う。野村監督なども、本から伺い知るだけだが、たぶん凄かったのだろうと思う。そしてそういう監督は、選手がチームを離れた後も影響を残すものだと思う。同じ卒業生ゆえ、S監督とは今でもラグビー部の集まりでたまに顔を合わす事がある。しかし、S監督は私にとって“先輩”ではなく、やっぱり“監督”なのである。
あの2年間の指導は本当にありがたかったとつくづく思うのである・・・
【本日の読書】
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