2011年3月3日木曜日

移民政策を憂う2

民主党による「1000万移民構想」を始めとして、日本の少子高齢化・生産人口減少を解決する手段として移民政策を主張する声があちこちにある。
それについては個人的には反対している。
机上の理論と違い生身の人間は理屈通りにはいかない。
その最大の要因は「文化の違い」だ。
それは決して「足して2で割る」事のできないものだ。

例えば中国人。
東洋学園大学の朱健榮教授によれば、中国は「自己主張の文化」、日本は「恥の文化」だと言う。
中国人は4割知っていれば「知っている」と言い、日本人は9割知っていても「知らない」と答える。
一歩下がる謙譲が美徳とされる文化と誰もが我こそはと出る杭になりたがる文化。
どちらが良いとか悪いとかという事ではなく、ただ大きく違うのである。

いつだったか「ガイアの夜明け」で、中国に進出した日系企業が中国人労働者の扱いに悩む姿を映していた。合理的で、その日のノルマを達成してしまうと仕事をやめてしまう中国人労働者と、決められた5時まで働かせようとする日本人管理職の意識のギャップがそこにはあった。
辟易した中国人労働者は手抜きして5時までに終わるように仕事を「調整」するようになっていた。
中国人労働者の考え方もよくわかる。ただ、肩を並べて一緒に働けるか、という事だ。

「郷に行っては郷に従え」であれば、日本に来たら日本流に合わせてもらうべきだと思うかもしれない。でも1000万人も「自己主張の文化」の人たちが来たら、「恥の文化・謙譲の文化」はそれを自己主張できるだろうか?以前中国滞在経験のある同僚に聞いた生身の中国人の話を思い出せば、どうなるかは火を見るより明らかだ。

繰り返すがどちらが良い悪いではない。
まさに水と油ほど交われないものなのだ。
一緒に入れても理想通り混ざり合うのは難しいだろう。
仮に混ざり合ったとして、その時日本人が廃墟から経済大国に上り詰めた原動力となった「日本人の文化」が、果たして維持できるだろうか。

移民先進国のドイツでは、地域によっては移民が住民の9割を越え、なんとそこの学校ではドイツ人の子供が「ドイツ人だという理由で」いじめに遭っているとテレビで紹介されて話題となっていた。
移民の流入により街の雰囲気が変わり、経済的に余裕のあるドイツ人たちはよそへ出て行き、余裕のないドイツ人が少数派となって残されてしまったようである。
そして、ドイツのメルケル首相自ら、「移民政策には反対しない」と前置きしつつ、「ドイツの多文化主義は失敗した」と公の場で語っている。

また、「3K労働者を入れれば治安が悪くなるかもしれないが、教育水準の高い人たちを入れれば大丈夫だ」という主張もある。だが就職先がないと嘆く軟弱な若者たちが、母国語と日本語を操る外国人に太刀打ちできるのだろうか。一層就職難になって、外国人が一流企業に就職し、日本人が就職難民になっても社会は穏やかでいられるのだろうか。

「移民政策で日本の活力を維持しよう」なんて机上の空論にしか思えない。
一度入れたら過ちに気付いても追い出すわけにはいかない。ドイツのように、である。
ドイツは対岸の火事ではないし、もって他山の石とすべき貴重な経験を我々に教えてくれているように思うのである・・・


【本日の読書】
「錨を上げよ(上)」百田尚樹

   

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