2011年3月18日金曜日

震災雑感

仙台近郊の角田というところに住むラグビー部の 先輩H
いつも ブログを拝見しているのだが、震災以降ブログの更新が止まっていた。
何度もグーグルマップで場所をチェックしては、津波の被害はなさそうだし、大丈夫だろうとは思っていたが、ずっと気になっていた。
そうしたらようやく更新された。
何でも電気が止まっていたらしい。

電気はないが、プロパンガスが使え、なんと薪で暖も取れるという。
農家だから食料は十分。
不便だが、被災地ほど悲惨ではないようである。
というかむしろ逞しさを感じる。
関東では計画停電が実施されていて、幸い我が家は対象地域ながら停電にはなっていない。
改めて停電準備をしていたら、我が家では電気が止まるとすべて止まる事が判明した。

暖房手段のエアコンはダメ。
石油ストーブはあるが、家が高気密設計だから使い方は慎重にしないといけない。
ガスはスイッチがすべて電気だからこれもアウト。
風呂はもちろん、お湯も手に入らない。
角田の先輩に比べ、我が家はみんなでろうそくを囲んで布団に包まっているしかない。
何と脆い砂上の楼閣・・・

いつもより1時間早く家を出て、激混みの電車に揺られていつもより30分よけいにかかって通勤。
東京駅も地下通路の蛍光灯は半分で薄暗い。
帰りに寄ったスーパーも、薄暗く棚は噂通り空っぽ。
「戦時中みたい」と同僚が言っていたが、それは大げさとしてもこれはかなりの異常事態だ。

それでもみんな駅では辛抱強くきちんと並んで順番を待つ。
海外メディアでは略奪が起こらないと言う事で称賛されているらしいが、そんな当たり前の事が当たり前であるのは、やっぱり素晴らしい事なのだろう。
民主党が唱える「1,000万人移民政策」なんてやったら、こんな文化はたちまち壊れるに違いない、とあらためて思う。やっぱり移民政策など愚の骨頂である。

考えてみれば明るい街中、明るい通路に明るい店内、棚に溢れる商品群に我々はすっかり慣れ切ってしまった。電気も水道もふんだんに使え、年寄りが戦時中の苦労話をすると鼻白んだ。
こういう状態になってくると、改めてモノがある生活のありがたみを感じる。
被災地の状況から比べると、むしろもっと不自由した方が我々都民にとっては良いのではないかと思う。石原都知事の「天罰」発言は、被災地の人たちには不適切だが、我々都民にとってはある意味適切な発言ではないだろうか。

地震の犠牲者数はまだまだ増えそうだし、原発はまだまだどうなるかわからない。
今の東京の状態なんてまったく問題ではない。
もっと窮乏して一緒に痛みを分かち合うくらいでちょうどいいと思う。
子供たちにも空になったスーパーの棚を見せ、よく教え込みたいと思う。
今、我々都民は良い学びの機会を与えられていると思うのである・・・



【本日の読書】
「大前健一の資本主義の論点」大前健一ほか
「ロスト・シンボル」ダン・ブラウン

     

0 件のコメント:

コメントを投稿