2011年3月21日月曜日

リビア空爆に思う

日本では震災一色である。
それが我々の第一関心事項なのだから当然である。
しかしながら、そうしている間にも世界は動いているわけで、それを改めて感じたのがリビアに対する空爆のニュースである。

内戦状態に入っていたリビアに対し、国連がリビア上空の飛行禁止空域設定などを盛り込んだ新たな対リビア武力行使容認決議案を賛成多数で採択した。
ここで注目したのは、英仏が中心になっている事だ。
今までであれば、当然アメリカが音頭を取っていたところだろう。
しかし、今回はそうではない。
最初の空爆を行ったのはフランス軍だし、アメリカは協力せざるを得ないという感じでの参加姿勢に思える。

おそらくもうアメリカにも主導権を発揮する余裕はないのであろう。
イラクでは石油利権確保という国益のために、「大量破壊兵器」だとか「アルカイダ支援阻止」などという名目を並べ立てて攻め込んだアメリカも、国際社会の反発と予想外の戦死者と厭戦気分とリーマン・ショックによる経済の疲弊とが諸々重なり、今回は手を出しにくいのだろう。
そこにアメリカの没落の始りを感じてしまう。

かつて読んだ「大国の興亡」という本では、覇権国家のライフサイクル論が語られていた。
スペイン・ポルトガルから始り、オランダ、英仏、米ソと覇権国家が推移してきた。
ソ連の崩壊により、アメリカが唯一のスーパーパワーとして君臨してきたが、それも下り坂に入ったのかもしれない。とはいえイギリス軍の使用したトマホークミサイルはアメリカ製だし、今も世界最大の軍事大国には変わりないし、一応アメリカも空爆には参加しているし、すぐに次の覇権国家が現れるという事もないのかもしれない。

さてその空爆であるが、表面上は国連決議を経て、正当性を強調してのものであるが、本当の理由は我々にわかるはずの事ではない。イラクではアメリカにみすみす奪われた石油利権だが、リビアはフランスからすれば地中海の向こう岸。もともとアメリカとは距離を置くフランスだし、自らのお膝元ゆえにしっかりと利権を確保しようとしたのかもしれない。
イタリアも名乗りを上げているのは、同じ理由からかもしれない。

国際情勢は表面上の建前とは裏腹に、しっかりと各国が国益に沿って行動しているようだから、表面上のニュースだけ見ていても真の姿というのはわからない。
マスコミの伝えるニュースだけ見ていたってわかるはずもない。
しかしそれにしても同じ国の中で二つに分かれて殺し合うというのも、何とも言えない事である。

国際社会が間に入って停戦させるというのは良い事だと思うし、本当は日本だってその役割を担うべきだと思う。
ただ国内の空想的平和主義者が唱える自衛隊の海外派遣反対論とは別にして、複雑に思惑の絡み合う国際情勢の中に出ていくのもいかがなものかとも思う。
日本人は根本的に外交下手だと思うし、いわゆるインテリジェンスは苦手としているから、下手に手を出さない方がかえって良いのかもしれない。

いつか日本の自衛隊も、国際社会の中で積極的な平和活動を求められる日がくるかもしれない。
ただその時までに、国民レベルで国際情勢というものについてきちんと理解できるようになっておかないと、魑魅魍魎の巣くう世界ではいいように利用されてしまうかもしれない。
こうしたニュースに触れた時は、いろいろと考えてみたいと思うのである・・・
    

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