2011年3月1日火曜日

移民政策を憂う1

ここのところブログの更新間隔が開いてきている。
雑感がないわけではないのだが、いや、それよりもむしろ増えているのだが、アウトプットの時間が悲しいくらいない。何かを捨てないといけないのだが、寝る時間はもうこれ以上削れない。
そうすると、ブログを更新する時間が犠牲になるのである。
1日26時間ほしいと真剣に思う毎日である・・・

そんな中で、「移民政策」についてここのところよく考える。
少子高齢化というのは昨今よく言われる我が国の問題点の一つである。
医療の発達もあって老人が増え続け、一方で晩婚化や未婚などの要因もあり子供が増えない。
それに従い生産人口(要は働く人だ)が減少し続けている。
それに対する対応策として、「移民」を主張する声が上がっているのである。

現在与党である民主党も「1000万人移民受け入れ構想」を掲げているし、私がお手伝いしている社会人向け勉強会「寺子屋小山台」に講師として参加していただいた朱健榮先生も、先日そう主張していた。確かに、減った分を自分たちで補えないのであれば、他所から受け入れればいいという理屈はわかる。ただ、事は人に関わる事である。そう簡単に行くものではない。

そもそもであるが、本当に人口が減少していくのは大変な事なのだろうか?
まずはそこの議論が抜け落ちている。
資源もない我が国に、果たして1億2,000万人という人口は適正なのだろうか?
江戸時代の人口は4,000万人に満たなかったらしいが、それ以降人口は増え続けてきているわけである。これからも増え続けるのが良いという事もあるまいし、ひょっとしたら日本の国土にあった人口は8,000万人くらいかもしれない。

かつてはウサギ小屋に住むエコノミックアニマルとバカにされた日本人である。
今だって都心部で庭つき一戸建てに住もうと思ったら、相当の金持ちでないと難しい。
だが人口が減れば可能になるかもしれない。
もちろん、我が国の国土は大半が山間部で、自ずから平野部に人口は集中するし、江戸時代だって庶民は長屋にひしめき合って暮らしていたわけだから、そう簡単にいくかどうかはわからない。
しかし、土地は安くなるだろうし、今よりも住環境は確実によくなるだろう。
生活の質は、住宅に関しては上がるはずだ。

今1,000円高速にした途端、問題となっている高速道路の渋滞だって緩和されるだろう。
人口が減れば消費も減る。経済規模も縮小するが、当然リストラなんてしなくても社員も減るわけだから問題はなさそうな気もする。食料自給率だって上がるだろう。
何か問題があるだろうかと思ってしまう。

もちろん、今は人口構成が逆ピラミッドなわけで、当面の問題は避けられない。
しかしいずれ老人は死に、人口の逆ピラミッドも解消されていくだろう。
その過程で産みの苦しみは出るだろうが、きちんと将来の姿を見据えて頑張れば乗り越えられなくもないはずだ。簡単に移民などと口走る前に、そうした検討をしてみてもいいのではないかと思う。

それに移民というが文化の違いと言う大きな壁がある。
それこそが最大の問題だ。
資源のない我が国がここまで発展したのは、間違いなく「勤勉な国民性」だ。
価値観の違う人が10人に1人となったら、この国民特性も失われていくかもしれない。
その結果いつのまにか我が国は、ただ単に人口が多いだけの国に落ちてしまわないかと心配になる。

そんな事を考えていると、移民などと無責任に主張する意見に腹が立ってくるのである。知恵を絞ればもっといいアイディアが出てくるように思うのである・・・


【昨日の読書】
「ハーバード白熱教室講義録」マイケル・サンデル
「錨を上げよ(上)」百田尚樹
 
 
    

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