2015年11月8日日曜日

寿司屋考

先日のこと、社長に連れられて寿司屋に行った。「社長に連れられて」行くのであるから、そこは当然、回転寿司ではない。昔ながらの、カウンターに座り、目の前で握ってもらうタイプの寿司屋である。「ここのを食べたら、回転寿司には行けなくなる」と社長に言われ、喜んでついて行ったという次第である。

喜び勇んで店に入り、威勢のいい大将の握りをしっかりと堪能してきた。確かに寿司は美味しかった。帰りにこっそり覗いてみたら、お値段はやっぱりそれ相当のものだった。いつも我が家でスシローに行くが、家族4人で食べる合計より、一人当たりの値段は高かった。それだけの価値はあったと正直思う。

しかし、冷静になって考えてみると、社長に言われていた「ここのを食べたら、回転寿司には行けなくなる」という言葉には、素直に同意しかねる自分がいた。確かに美味しかったが、スシローとの差がどれほどあるかと言えば、「そんなに差はない」というのが、正直な感想だ。と言うより、目をつぶって食べたら、どちらがどちらだかわからないかもしれないとも思う。

「もちろん、食べ慣れていないからだろう」と言われれば、返す言葉もない。だが、考えてみれば、寿司は「ネタとシャリ」からできている。そしてネタは、海で泳いでいる魚だ。回転寿司と伝統的寿司屋とで、そんなに差が出るものではない。むしろ回転寿司の方が、その巨大な資金力を生かし、よりイキのいいネタを仕入れているかもしれない。大将オリジナルの絶品ホタテは無理としても、普通のネタでは回転寿司も負けていないと思うのである。

では、伝統的寿司屋に行く価値はないかと言えば、そうはならない。静かな店内で、大将の握ってくれる寿司を食べるのは、なかなか気分が良い。大勢の人がごったがえす店内とは、比較すべきもない。子供のいない大人の空間の居心地良さが、寿司の味に加わることは間違いない。伝統的寿司屋の美味しさは、ネタだけではないのである。『100円のコーラを1000円で売る方法』で紹介されていたが、100円のコーラもリッツカールトンのルームサービスで頼めば、1,000円になる所以である。

20代の頃は、デートで寿司屋に行くなんてちょっと度胸がいるものだった。やがて回転寿司が登場し、垣根は低くなったものの、「安かろうまずかろう」が当てはまった。ところが昨今は、ついに味もレベルが上がってきた。安くて美味しい寿司を食べられるようになったのは、間違いなく回転寿司の功績だ。ただ、だからといって、伝統的寿司屋が劣ることにはならない。回転寿司では味わえない「雰囲気」が、伝統的寿司屋にはあるのである。

それぞれが、それぞれの良さを生かし、うまく共存していってくれれば、日本の寿司文化も安泰だと思う。これを機に、伝統的寿司屋にもちょくちょく行こうと思う、がそう簡単にそうと書けないところがなかなか悲しい。代表的庶民の我が家としては、伝統的寿司屋さんはとてもハードルが高い。まぁ子供を連れて行くところでもないし、と言い訳をしつつ、「いつかそのうち」としておくところだ。

当面は、素直にスシローのお世話になりたいと思う我が家である・・・

【今週の読書】
あと20年でなくなる50の仕事 - 水野 操 書斎の鍵 (父が遺した「人生の奇跡」) - 喜多川 泰, 「元気が出る本」出版部 







2015年11月5日木曜日

いたちごっこ

タワーマンション使った節税、国税庁「チェック厳しく」

タワーマンションを使った相続税の節税をめぐり、国税庁が行きすぎた節税策がないかチェックを厳しくするよう全国の国税局に指示したことがわかった。「著しく不適当」なケースは個別に評価し直す、という通達の規定があり、全てのタワーマンションの相続について適用するかどうか検討する考えだ。(朝日新聞デジタル)
2015年11月3日(火) 
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 仕事柄、この手のニュースには自然と反応してしまうのだが、「やっぱりな」というのが最初の感想である。タワーマンションを使った節税というのは、我々庶民にはあまり縁のないことであるが、富裕層の相続税の節税手段としてここのところ注目を浴びているものである。マンションの固定資産税は、フロアーの違いに関係なく、「各階一律同じ」。ところが、価格は「上に行くほど高くなる(傾向がある)」。そのギャップを利用したものである。

例えば、30階建てのタワーマンションがあるとする。同じ広さの部屋であっても、実際の価格は、1階だと5,000万円だが30階だと1億円ということがある。1億円の現金を持っているお金持ちは、そのままだと相続税は1億円分かかる。ところがマンション(不動産)を買うと、その評価額は固定資産税評価額となる。そして大概、固定資産税評価額は時価よりも安いので、不動産を買うだけで資産を圧縮できるというメリットがある。

さらに、このマンションの固定資産税評価額が、1部屋3,000万円だとすると、それは「1階でも30階でも3,000万円(広さが同じとして)」ということになる。となると、1階の部屋を買うと5,000万円が3,000万円(の評価額)になるが、30階だと1億円が3,000万円になるのである。現金だと1億円分の税金を払わないといけないのに、このマンションの30階の部屋を買えば、3,000万円分の税金で済むわけである。

タワーマンションほど、この「ギャップ」は大きく、税理士などが一生懸命お金持ちにアピールしているのである。昨今のマンション価格の高騰は、東京オリンピックを背景にした建設ブームもあるかもしれないが、こうした投資熱の影響も大きいと思う。

そんな「節税」に、国税も目をつけたというのが、冒頭のニュースである。酒税のギャップをついて、ビールメーカーが涙ぐましい努力をして発泡酒や第3のビールを出せば、国税は来年度の税制改正で酒税改正(引き上げ)を検討しているという。まぁ、お国も苦しい台所事情を抱えているから、少しでも「取れるところから取ろう」と思うのだろうが、なんとも言えない。

ただ、ビールは一般の人の反発も強いだろうが、タワーマンション課税で困るのはお金持ちくらいだろうから、庶民としては痛くもかゆくもない。どうぞご自由にという気楽さがある。しかし、一方で巧みな課税逃れをしているアマゾンなどの多国籍企業に対して、指をくわえているのは如何なものかという気がする。これについては、アメリカ政府との関係もあるから「指をくわえている」わけではないのかもしれないが、「そっちを頑張ったら」と言いたくなるのが人情というものだろう。

タワーマンションに対する「不均衡」が是正されたら、マンション投資の熱も冷め、それが価格高騰の是正につながるとしたら、それはそれで歓迎すべき事態なのかもしれないが、果たしてどうであろう。よく実際のタワーマンションの部屋を見る機会があるが、高層階の部屋からの眺めは確かに素晴らしく、毎日こんな景色を眺める生活も悪くないと思う。けれども一方で、そんなに高い所に住むことに対する漠然とした不安感を覚えるのも事実である。正直言って、「一時的ならともかく、こんな高層階にはずっと住みたくない」と個人的には思っている。

まぁ心配しなくても、住むようなことにはならないからいいのであるが、決して「すっぱいぶどう」ではないことだけは、強調しておきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
あと20年でなくなる50の仕事 - 水野 操 逆説の日本史21 幕末年代史編4/高杉晋作と維新回天の謎 (小学館文庫) - 井沢元彦






タワーマンションを使った相続税の節税をめぐり、国税庁が行きすぎた節税策がないかチェックを厳しくするよう全国の国税局に指示したことがわかった。「著しく不適当」なケースは個別に評価し直す、という通達の規定があり、全てのタワーマンションの相続について適用するかどうか検討する考えだ。(朝日新聞デジタル)

2015年11月1日日曜日

立ち止まれるべき時は

【ランズエンド闇の孤島】という映画を観た。特に面白いというほどの映画ではなく、エンターテイメントとしては、普通の映画なのであるが、観ていていろいろと考えさせられる映画であった。

主人公は刑事のジョー。ある日、少女が惨殺されるという事件が起こる。捜査線上に浮かんだのは、性犯罪歴のある男ビューリー。早速、拘束して取り調べるも、自供が得られない。有罪を立証しうる証拠もなく、やがて拘留期限が切れ、ビューリーは釈放される。

ところが、ジョーはこれが許せない。ビューリーの動向を監視し、そしてある晩、パーティーの帰りにビューティーを拉致する。そして人気のない海岸で、生き埋めにする脅しをかけ、自白を強要する。身の危険を感じたのであろう、ビューリーは自白し、ジョーは思い余って彼を殴り殺してしまうというストーリーである。

刑事とはいえ、そこまでやるとさすがに犯罪である。そしてあろうことか、やがて真犯人が明らかになり、ビューリーが無実だったことが発覚する。ジョーは、その場にいた同僚刑事でもある弟のクリシーとともに必死に隠蔽工作をするのであるが、やがて二人は追い詰められていくというストーリーである。

「怪しい」という思いと、殺された少女への同情と、ジョーが暴走していく気持ちはわからなくもない。ただ、どこかで一旦立ち止まって原点から見直してみたら、あるいはこのような悲劇は避けられたのかもしれないと思う。そういえば最近、事件から20年経って子供殺しの罪に問われていた夫婦の無罪が立証されたと報道されていた。なんでも、放火とされていたのが、実験によって自然発火だった可能性が高くなったというのが理由であった。警察もどういう捜査をしたのだろうかと疑問を感じてしまう。

だが、実は夫の方は、亡くなった娘に性的暴行を加えていたことが分かっており、夫婦には当時多額の借金があり、にもかかわらず、子供に多額の保険をかけ、しかもマンションの購入契約を結び、お金を必要としていたという事情があったらしい。これだけ聞くと、「真っ黒じゃないか」と思うのが普通だろう。正直、事件が自然発火であったとしても、それがなくてもどこかでやっていたんではないかと思えてしまう。

とはいえ、実際に無実であったのなら、20年も刑務所暮らしをさせられたのは、大きな過ちに違いない。神様ではない人間が、全てを見通すことなどできないが、自分の思いだけで突っ走るのはやはり危険なのであろう。常にどこかで一旦立ち止まって、周りの声に耳を傾け、自分の思いを疑ってみる必要があると言えるのかもしれない。

私も仕事を始めとして、基本的には自分の意見をはっきりと相手に伝える方である(ただし、家庭内で妻相手にはこの限りではない)。それはそれでいいと思うのだが、アクセルとブレーキをしっかりと意識しておかないと、さすがに犯罪は犯さないだろうが、どこかで間違えるかもしれないと思う。映画の主人公のジョーの暴走を、「バカだなぁ」と思って終わりにするのではなく、彼の悲劇を以って自分への教訓としたいと思う。

エンターテイメントとしては、大して面白いとは思えない「普通の映画」だったのであるが、なんだか思いの外、あれこれと考えさせられた映画である。まぁ、これも映画の良いところ、だと思うのである・・・
   
    

2015年10月28日水曜日

ネクタイ

 仕事で外出をした。なかなかの好天気で少し暑いくらいの1日であった。このくらいの陽気だと、外出も気持ちがいいが、もうまもなくコートの襟を立てて歩くようになるのだろう。

 さて、そんな電車の中で、ふと気がついたのだが、ネクタイを締めていないサラリーマンが多い。そういう自分は、今月からネクタイを締めているのだが、世間的にはまだクールビズ期間であることに気がついた。取引銀行の行員さんも、ノータイでやってきた。5月からのクールビズ期間もいつの間にか半年になっている。いつの間にか、1年の半分はネクタイがいらなくなっていなる。

 これがいいのか悪いのかと言えば、やっぱり歓迎すべきことだろうと思う。そもそもよくよく考えてみれは、ネクタイというのもおかしなシロモノだ。機能的には何の役割も果たしていない。唯一の役割と言えば、「見栄え」だろう。ネクタイを締めている相手は、していない人と比べると、やっぱりしっかりして見える。

 それに、締める方からすれば、気分的なものがある。朝、髭を剃ってネクタイを締めると、「さぁ仕事だ!」という気分になる。そういえば、社会人になりたての頃は、なかなか思うように締められないのをもどかしく思いながらも、「社会人になった」という自覚を得られたように思う。そんなネクタイだが、この分だといずれなくなる運命なのかと思ってみたりする。

 27年前、銀行員になって最初に配属された支店は、八王子であった。その時まで全く知らなかったのだが、八王子はネクタイの一大生産地であった。近隣のネクタイ製造メーカーの社長が窓口に来て、私のネクタイを見て、「合わないね」とやんわり指摘されたのを今でも覚えている。昨今、製造の海外移転とクールビズとで、一大生産地もかなり生産が減っているようだし、あの時の社長の会社も、もうなくなっているかもしれない。

 そんなネクタイであるが、やはり将来的には無くなっていくのであろうか。長年締めてきたためか、夏場はともかくとして、ビジネスの場では締めていたいと思うところがある。中小企業である我が社には、ドレスコードなんてないから、別にネクタイなどしてもしなくても何も言われない。ただ、やっぱり何となく思うところあって、今月初からネクタイを締めている。結局、ネクタイをする理由は、何となく「しっくりくる」という気分的なところである。

 そんなことをつらつら考えていたら、最近ネクタイを買っていないなと思い至った。特段、何かこだわりがあるとか、おしゃれに気を使っているかとかは全くないのであるが、久しぶりに買おうかなと思ってみたりする。ネクタイ文化が消失しないよう、せめて一助にでもなりたいと思うのである・・・

【本日の読書】
ヴァージン・ウェイ R・ブランソンのリーダーシップを磨く教室 - リチャード ブランソン, 三木 俊哉 逆説の日本史21 幕末年代史編4/高杉晋作と維新回天の謎 (小学館文庫) - 井沢元彦







2015年10月24日土曜日

TMO

 ラグビー日本代表の予想外の活躍で、俄然面白みを増したW杯も1次リーグを終え、先週から決勝トーナメントに入っている。国内はまだジャパン、ジャパンと帰ってきた一行の動静の報道に忙しいようであるが、まぁそれは仕方ないであろう。今週末は準決勝だし、いよいよクライマックスが近づいていて、興味は尽きない。

 さて、そんなW杯であるが、今回改めてTMOが目につく。TMOとはテレビマッチオフィシャルのことで、要は「ビデオ判定」だ。ラグビーは特に組んず解れつのスポーツなので、いかにベテランのレフリーでもなかなか正確な判定はむずかしい。アシスタントレフリーのサポートはあるが、それも限界がある。TMOはそんな時、威力を発揮する。

 そういえば、先日バレーボールのW杯を観ていたら、やっぱりビデオ判定が導入されていた。ただし、バレーボールの場合は基本的に「異議申し立て」に近く、チームから要請して行われるもののようだ。ラグビーの場合は、レフリーが自主的に行うので、回数制限もないし、より公平感がある気がする。

 ラグビーは紳士のスポーツだから、基本的にレフリーにいちゃもんをつけるわけにはいかない。だが、悔しい時は、後でこっそり「あれはトライだった」と呟くものである。そういうセリフを聞いたこともあるし、自分にも経験がある。大学3年の時の成城大学戦がそれである。

 大型フォワードを揃える成城大学との公式戦。戦前の下馬評に反し、試合中組んだスクラムからも当たりあった感触からも、大きさの割に相手の手応えは弱く、「これはイケる」と闘志をかき立てられた。そして1点差を追った後半の残り時間も少なくなった時間帯、味方が抜け出しパスが通った瞬間、逆転トライを確信したが、なんとレフリーがスローフォワードの判定。「まさか」と愕然と崩れ折れた。

 その時、レフリーは後ろから走って見ての判定だった。相手の監督も試合後、「やられたと天を仰いだ」と語っていた。試合はそのまま1点差で敗れた。勝てた試合だったし、あれほどの悔しさはない。あの時TMOがあったらと思わずにいられない。多分一生「あれはトライだった」と言い続けるだろう。

 まぁ対抗戦の下位チームの試合にTMOなど過剰であるとは思うが、W杯ともなれば国と国の威信もあるし、ファンの強い関心もある。より正確な判定は必須だ。それでも先週のオーストラリアvsスコットランド戦では、最後の逆転PGに繋がった判定が誤審だったと発表された。スコットランドの選手からすれば、やり切れないかもしれない。

 もっとも、「それも含めてラグビーなのかもしれない」と、あれから30年近く経ってみて思うことでもある。負けたこと、それもあと一歩のところまで追い詰めていて負けたことで、試合終了後思わず涙がこぼれた。学生時代、唯一負けて泣いた試合だった。

 大きな試合はともかく、TMOの不要なレベルの試合では、「それも含めてラグビー」でいいのかもしれないと今では思うところである・・・
   

誤審だったと認められたオーストラリアvsスコッランド戦





2015年10月21日水曜日

iMac

 長年愛用してきたパソコンがとうとう悲鳴を上げはじめ、しばしばフリーズを繰り返し、挙句に動かなくなってはなぜか復旧しという状態になったため、ついに買い替えることにした。そしてこの機会に、長年親しんできたウィンドウズをやめ、マックに移行することにした。

 そうと決め、早速いつものビックカメラに向かう。アップルストアに行くのがセオリーなのかもしれないが、ちょっと遠いし、それにビックカメラならポイントも使えるし貯められる。要は大してこだわりがあるということもないのである。

 さて、マックのいいところは機種が少ないところだろう。最初から「買うならデスクトップ」と思っていたから、iMacにしようと思っていたのだが、嬉しいことに3種類しかない。「松・竹・梅」と言ったところだろうか、あれこれ迷わなくて済む。ウィンドウズパソコンだとこうはいかない。結局、店員さん(アップルから派遣の方?)のオススメにより、エントリーモデルを購入することにした。

 さて、帰ってきて早速起動する。どこをどう間違えたのか、システムのガイドは全て英語表記。英語の音声ガイダンスがいちいち流れる。英語の勉強にいいやと思っていたが、やっぱり気が散ってしまう。DVDの再生はできないし、メールソフトの 立ち上げも覚束ない。「習うより慣れろ」派の私も、とうとう根負け。サポートを利用することにする。

 こういう場合、サポートにはいつ電話してもながらないものなのだが、何とアップルは予約制。日時指定で電話してきてくれるらしい。先週末の休日出勤の代休で休みだったこともあり、本日電話を待つ。そして指定時刻と10分の誤差で電話をもらう。常にすぐ繋がるのが一番だが、できないならこういう方法も素晴らしい。サポートもリモートコントロールでこちらの画面を見ながら指示してくれる。昨年、DELLの同様のサポートを利用したが、それは向こうでこちらのPCを操作するものだったが、アップルはポインタで示すだけで操作はできない様子。それも何となく安心感を抱く。おかげで疑問点はすべて解消した。

 不便といえば、これまで使ってきたワードとエクセルだろう。とりあえずインストールしなくても、保存していたファイルはそのまま使える。だが、操作はやりにくい。オフィスのソフトをインストールすれば解決するのかもしれないから、まぁご愛嬌だろう。今後色々と使ううちに、また出てくるのかもしれない。
 
 マウスもキーボードもシンプルだし、デザインにこだわるマックならではなのだろう。使いにくさもそのうち慣れるのだと思う。何より今までと勝手の違いが、何となく楽しく感じる。パソコンを使い始めた頃の感覚は、こんなだった気もする。21インチの画面は、これまでのPCより大きく、テレビのチャンネル権を持たない私がDVDで映画を楽しむことにも役立ちそう。何より楽しいのが一番。

しばらくは、「新しいおもちゃ」を楽しみたいと思うのである・・・


【今週の読書】
日本語 新版 下 (岩波新書 新赤版 3) - 金田一 春彦 モンローが死んだ日 (新潮文庫) - 小池 真理子







       

2015年10月15日木曜日

議論をするのはいいのだが・・・

 一時期フェイスブックを見ると、安保法案反対意見が溢れていた。さすがに法案成立後は静かになったが、まだあちこちで余熱が燻っている。反対派の人たちからすれば、面白くないのだろう。まだ諦めずに活動している熱意には頭が下がる気がする。基本的に賛成派の私としては、法案が成立したのはよいと思っているが、あとの「歴史の評価」が気になるところである。

 国の方針を巡って議論が盛り上がるのは基本的に良いことだと思うが、今回の安保法案関連の議論は、議論としてはどうも「いかがなものか」という感じだ。基本的にいろいろな意見を自分なりに咀嚼して、柔軟に自分の意見を決めたいと思っている私としては、納得がいけば意見を変えるのに抵抗はない。されど、反対派の意見はどうにも「理屈派」の自分には受け入れ難いものであった。一言で言えば、「理屈より感情の反対論」と言えるものだったからである。

 そもそも「レッテル」として批判されていたが、「戦争法案」という呼称からしていかがなものかと思う。イメージ操作の印象は拭えないし、中にはそのイメージだけで反対論に与しているような人が多かった。となると理屈など二の次で、そんな感情論には賛同などできない。「徴兵制」や「アメリカの戦争に巻き込まれる」などの意見は、どう考えても実現可能性は見出せない(もちろん、可能性としては排除できないが、それは隕石との衝突で地球が滅亡する可能性と「どっこいどっこい」だ)。

 そもそもであるが、問題があってその対策として安保関連法案が出てきたのだから、反対なら代替案を出すべきだ。それがまともな議論だろう。蓮舫さんは、「憲法違反なものに代替案は不要」と答えていたが、それは詭弁で「憲法違反でない代替案」を出すべきだろう。癌の治療に際し、激しい副作用があるからと言ってその服用に反対するなら、代替案を出さないと癌は治療できない。そうした議論が成り立たなかったところも、反対論に与せなかった原因である。もっと論理的に論破してほしかったと思う。

 一方の賛成派の意見も、これも弱いのは事実だ。こうした国の根幹に関わることは、もっと根本から改めないといけない。憲法を改正して国の背筋を正すのが一番であるが、歴代政権はそれを避け続けている。ただ国民の間に、「自衛隊はいいけど憲法改正はイヤ」というムードが強いことを考えると、それもわからなくもない。自衛隊は憲法違反であることを考えれば、自衛隊を取るか第9条を守るかの選択となるが、果して多くの国民にそれができるのだろうかと思ってしまう。

 そうした筋の通った議論がなされていないところが、今の世の中に不満を覚えるところだ。普段実家の母親と議論していて、そしていつも喧嘩になってしまうのは、理屈と感情の衝突となるからだ。これは本当に噛み合わない。筋を通して生きたいと言えば大げさかもしれないが、理屈に沿って考える私としては、感情論に対する術は今のところ見い出せないし、それは永久に無理だろう。

 仕事でも議論を詰めていくと、相手が苦しくなってくるのが分かる時がある。そのまま相手が折れれば良し。折れなければどこかで自分も折り合いをつけないと、後々感情的なしこりが残ってしまう。議論に勝つことが正解ではないのである。自分の中でも、そんな「ブレーキポイント」を持っていようと心掛けている。

 個人としてはそれでいいが、国としてはそうはいかない。安倍政権のやることすべてに反発する人の意見には辟易してしまうが、そういう意見はなるべくスルーして、まともな意見が出てきたらきちんと耳を傾けたいと思うのである。

「理屈と感情」
自分にとっては、一生の課題である・・・


【今週の読書】
日本語 新版 上 (岩波新書) - 金田一 春彦 モンローが死んだ日 (新潮文庫) - 小池 真理子







   

2015年10月10日土曜日

難民移民に思うこと

安倍晋三首相は9月30日(日本時間)、米・ニューヨークで開かれている国連総会の演説で、シリアやイラクの難民・国内避難民に対し、約8億1千万ドル(約970億円)を支援することを明らかにした。昨年の支援額の3倍にものぼる額で、セルビア・マケドニアなどの「EU周辺国で難民の受け入れと格闘する諸国」に対しても経済支援をしていくと発表した。
THE PAGE 9月30日(水)12時0分配信
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 ヨーロッパでは、シリア難民の受け入れが大きな問題になっている。当のシリアは、ロシアがいよいよアサド政権支援のための空爆を開始し、アメリカはそれを非難しているが、ロシアが空爆しているISは欧米にとってもテロ組織として由々しき存在。アサド政権を支持できないアメリカは、批判はすれど苦しいところだ。「敵の敵は味方」ならぬ「敵の敵はまた敵」な状況は、もうぐちゃぐちゃだ。そんなシリアから、人々が逃げ出すのは当然ともいえる。

 そうした難民を受け入れようと、ヨーロッパでは160万人をEU加盟国で分担することを決めている。中心となるドイツは総数で80万人受け入れを表明し、力が入っている。しかし、一方でEU加盟国では国境警備を強化しているとも伝えられ、「受け入れるにも限度がある」ということを暗に示しているのだろう。

 さて一方で、我が国で昨年認定された難民数は、申請のあった5,000人のうちなんと11人。シリア難民は、約60人の申請者のうち3人の受け入れにとどまっているという。直接的には、認定手続き等の困難さがあるようだが、その根底には我が国の「排他的なポリシー」があるように思えてならない。だが、それが問題かと言うと、個人的には「やむなし」というところだ。

 来る少子高齢化に向けて、「移民を受け入れるべし」という声が随分前からある。民主党などは、「移民1,000万人受け入れ」を表明しており、個人的に「移民受け入れ大反対」な立場としては、実現したら大変だと危機感を抱いている。ゆえにこうした排他的な事務手続きは、「黙って続けてほしい」と考えている。難民も気の毒だとは思うものの、だからと言って受け入れるのもいかがなものかと思う。冷たいようだが、お金で支援できるものなら、それで済ますというのが正解だと思う。

 「何でも金で解決するのか」という声が聞こえてきそうだが、日本は既に湾岸戦争時にこれをやっている。突然イラクの侵略を受けたクウェートを、アメリカが中心となった多国籍軍が武力で解放した戦争である。不当な暴力に苦しむ人々に対し、「平和」を盾に直接手を貸して助けようとはしなかったのである。「平和憲法」の意味する「平和」とは、「日本の平和」という意味なのだと認識した瞬間である。

 あの時、日本はお金を出すことによって、「責任」を果たした。ならば今回だってそれも悪くはないだろうと思う。なにせ、世界に類まれなるデリケートな文化を持つ我が国。「被災地で暴動が起こらず整然と行動できる文化」は、「グローバルスタンダード」の「暴動が起こる文化」が流入したらひとたまりもない。心を鬼にして、デリケートな文化を守るべきだと思う。

 さり気ないニュースだったが、今後もちょっと気にしていたいと思うところである・・・

【今週の読書】
声優魂 (星海社 e-SHINSHO) - 大塚明夫 日本語 新版 上 (岩波新書) - 金田一 春彦 カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) - ドストエフスキー, 卓也, 原





      

2015年10月4日日曜日

ワールドカップ2015

 ラグビーのワールドカップが盛り上がっている。ジャパンが初戦で世界ランキング3位だった南アフリカ(9/28時点で5位に転落済)を破るという予想もしなかった事態に、国内では一気に火がついた感がある。まさに、「勝てば官軍」なのだと思わざるを得ない。こうして、国内で注目を浴びれば、それが裾野の広がりにと繋がり、いずれ実力も底上げされるだろうと期待してしまう。
 
 第2戦のスコットランド戦は負けてしまったが、本来「少しでもいい試合ができればいいな」という気持ちの試合が、「勝てるだろうか」という期待に変わったのも、初戦の効果だ。それにしても、国内の「手のひら返し」には苦笑してしまう。初戦の前は、「ワールドカップって何の?」という無関心が支配していたのに、南アに勝った途端、第2戦は生放送になったし、スポーツ新聞やニュースの報道など、あらゆるところで話題になっている。さも「始めから期待していました」と言わんばかりの雰囲気だ。まぁ悪いことではないからいいけど・・・

 昨夜の第3戦は、難敵サモアに完勝だった。ワールドカップ前には、個人的に「アメリカには勝ちたい、できればサモアにも勝ちたい」と思っていたが、そのサモアに対する勝ちっぷりは1か月前からすると驚きである。最後のアメリカ戦は、順当にいけば勝てるだろう。3勝となると、決勝トーナメント進出という夢のような事態になるが、昨夜南アはスコットランド相手に完勝しているし、ポイントからしてちょっと難しそうである。あとはサモアがスコットランドを破るという「下剋上」があればだが、そこまでスコットランドも甘くはないと思う。

 さてそんなジャパンの思いがけない活躍に、すっかり観戦予定が狂ってしまったが、もともとの興味はやっぱり「オーストラリア」、「開催国イングランド」、「ウェールズ」が顔を揃えた「プールA」の戦いだ。当初はオーストラリアとイングランドが決勝トーナメントに行くだろうと思っていたが、何とウェールズがイングランドを破り、さらに昨夜オーストラリアがイングランドを破ったため、イングランドが3位で予選敗退が確定してしまった。開催国の予選敗退は、あまりみな予想できなかったのではないかと思う。

 オーストラリアの勝因は、専門家から見ればいろいろとあるのだろう。だが、個人的にはオーストラリアの「低いタックル」が何と言っても素晴らしかったと思う。特に、「一人は下に、一人はボールに」というダブルタックルが随所に見られた。大男が体を低くしてタックルにいくというのは、理想ではあるものの、「でかい体で止めて終わり」というパターンが多いゆえに(まぁそれで通用してしまうところもある)、感動的ですらあった。ジャパンのディフェンスも同様で、4年前との差を大きく感じる。

 次の興味は、オーストラリア対ウェールズがある。ウェールズは4年前の大会で、感動的なタックルを見せてくれたところ。今回も開催国イングランドを破っているし、オーストラリアとの対戦は是が非でも見たいところである。もちろん、ジャパンの最終戦(アメリカ戦)もジャパンの命運を握るスコットランド対サモアもできれば観戦したいところである。問題は観る時間だ。宅建の試験前だし、わかっていたこととは言え、なかなか悩ましいところである。

 プールCとプールDは、ニュージーランド、フランス、アイルランドあたりが順当に決勝に出てくるのだろう。あとはアルゼンチンだろうか。そちらは決勝トーナメントで観戦するとしよう。まだしばらくは、寝る間を惜しんで、録画機能もフル活用して楽しみたいと思う。しあわせな時間がまだまだ続き、嬉しい限りである・・・


【先週の読書】
なぜ今ローソンが「とにかく面白い」のか? - 上阪徹 カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) - ドストエフスキー, 卓也, 原




    

2015年9月30日水曜日

スポーツマンに引退はない

 そろそろシーズンも終わりかけのプロ野球では、先日西武の西口投手が引退登板をしたのを始め、中日の50歳山本昌投手も引退を表明、そのほかにも40代の選手が何人も引退予定である。そんなニュースに触れると、かつてプロレスラーだった馳浩衆議院議員が、「スーポーツマンに引退はない」と語っていたことを思い出す。この頃、とくにその言葉の意味を実感することが多い。

 考えてみれば、プロ野球を始めとして、毎年多くの選手が引退を表明するが、それは「現役」の引退だ。もちろん、現役を引退し、そのままスポーツと縁を切ってしまう人も多いだろうが、元ロッテの村田兆治投手のように引退後もトレーニングを続け、マスターズリーグなどで活躍している人もいる。現役を引退しても、スポーツマンとしては引退していないわけである。

 そういう自分も、先週末は母校の大学ラグビー部のOBが組織しているシニアチームの練習に参加してきた。かつては、「タックルができなくなったらラグビーはやるべきではない」との信条をもっていたが、体を動かすという意味で練習をするのならいいのではないかと考えを変えている。タックルはしないものの、ボールを使った練習で汗をかく心地良さがあり、それなりに楽しめるのである。

 やってみれば、これがなかなかの快感。この頃はジョギングもかなり一般的になってきており、それはそれで悪いとは思わないが、個人的に「ただ走っている」のは面白くも何ともない。それに比べ、ボールを持って走り、パスをし、パスした相手をフォローしてまたパスをもらったりという動きがあった方がはるかに面白い。パント(要はキックだ)を上げ、パントを取り、ディフェンスを抜く。

 こうした一連の動きは、現役学生のようなスピードはないかもしれないが、適度に息切れし、汗をかき、練習後には心地良い疲労感に包まれる。一度体を動かす楽しさを味わうと、その感覚はいつまでも残るようで、現役学生からすると運動とは呼べないようなレベルの運動でも十分快感を得られる。残念なのは、グラウンドが遠い(片道1時間だ)のと、活動が月に1回というところだ。できれば、週1回くらいあると、体ももう少し軽やかになる気がする。

 人間である以上、年を取れば体力は衰える。しかし、トレーニングを続ければ体力はある程度維持できる。先述の村田兆治投手は、60歳を超えてもなお130キロを超えるボールを投げられたというから、まぁそこまで極端ではなくても、ある程度はできるだろう。自分も3ヶ月くらいみっちり鍛え直したら、現役の学生と試合をできるところまで体力を戻せると思う(もちろん2軍相手だ)。ただ、いかんせん仕事を辞めるわけにはいかないし、空いた時間を使って、となると現実的ではない。

 よく、「定年後には好きなことをしたい」という人がいるが、スポーツは定年後にできるものが限られてくるという欠点がある。ゴルフやテニスならともかく、ラグビーはまず無理だ。頭の中では、今でも日本代表のように動けるが、現実の己ははるかに意識に遅れを取っている。昔のように激しいアタックをしたら、たちまち整形外科医のお世話になるだろう。

 ただ、そういう現実の己の姿をしっかり認識し、自分のレベルに合わせてなら、十分にできる。楕円のボールを持っての練習は、まだ体に残っている懐かしい感覚を蘇らせてもくれる。これはこれで、ずっと続けていきたいと思う。「スポーツマンに引退はない」というのは、真実だと思う。考えてみれば、それを肯定するのも否定するのも自分次第だろう。

それが真実だと、身をもって証明し続けていきたいと強く思うのである・・・


【本日の読書】
なぜ今ローソンが「とにかく面白い」のか? - 上阪徹 カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) - ドストエフスキー, 卓也, 原 






2015年9月27日日曜日

現有戦力で戦う

 プロ野球の野村監督は、「強いチームにはエースと4番がいないとダメ」というのが持論で、よくフロントにいいピッチャーと4番打者を取ってくれと要求していたという。一方、元中日の落合監督は、就任時、「補強はしない」と宣言し、現有戦力で戦い結果を出した。私は両者を比較すると、「落合派」だ。これまで基本的に、常に「現有戦力でどう戦うか」を考えるようにしてきたからである。

 かつて銀行員時代、管理職になったばかりの私の最初の部下は、なかなかできの悪い男だった。その男Yは、頭は良かったのだが、それが災いし、あまりに多い仕事量に根を上げ、「人を増やしてくれなければ無理」と事あるごとに文句を言ってきた。私は、「どうしたらできるかを考えよう」と言い続けたが、頭が良かったからだろう、「どう考えてもできるわけがない」との考えから抜け出せなかった。

 当然、そんな具合だから係全体のパフォーマンスも落ちる。私も必死にYのカバーをしていたが、そうすると本来の仕事が滞り、よく支店長に怒られた。
「お前が部下の仕事をしているから、俺がお前の仕事をしないといけない」と。
ごもっともだったが、どうしようもなかった。そして業を煮やした支店長が、他の支店から優秀な男を引き抜いてきた。

 その男AはYの同期だったが、実に優秀で、それまで溜まっていた仕事を嘘のように片付けていった。まぁ要は強弱をつけて処理したわけであるが、同じ支店内で男としては格下の仕事にあたる窓口業務に回されたYは、辞令を受けた時、泣きながらなんとかならないかと私にすがったがもう後の祭りだった。

 確かにAが来て、圧倒的に仕事が楽になった。こんなに違うのかと驚いたものである。仕事は回り出したが、それでも後味の悪さが残ったのは、それが「現有戦力で戦う」ということが続けられなかったからでもあった。何とかしてYの仕事のやり方を変え、係のパフォーマンスを上げたかったのである。

 確かにエースを連れてくるのは手っとり早い。だが、それで勝っても当たり前だろうとしかならない。今いるメンバーで、誰が何をしたら、チームとしての力が一番発揮されるのか。それを創意工夫してこそ、(仕事であってもスポーツであっても)それがチームプレーであり、そこに醍醐味を感じるのである。

 仕事であってもスポーツであっても、メンバーをあれこれ選ばない。たとえパフォーマンスが劣っているメンバーがいたとしても、それを前提に、「ではどうしたら勝てるのか」を考えればいい。常にそういう考えでいたいと思うのである。

 ただ、1点だけ例外があるとしたら、それはやる気のないメンバーがいた場合だろう。すべての前提は、本人が一緒に一丸となってやろうと思っていることだ。やる気がないメンバーはこの限りではない。落合監督だって、プロとしてやる気のない選手の面倒まではみないだろう。他のメンバーに悪影響があるとなれば、排除も考えないといけないだろう。

 そういう意味では、Yの排除も仕方がなかったのかもしれない。ただそうでなければ、基本的には「現有メンバーで戦う」。常にそういう姿勢は、これからも維持していきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) - ドストエフスキー, 卓也, 原





2015年9月23日水曜日

タクシー業界

 いつも観ているテレビ東京の『ガイアの夜明け』。先日の放送は、タクシー業界であった。大手の日本交通と国際自動車の2社の取り組みが採り上げられていた。両社ともサービス向上はもちろん、人材に至っては大学新卒採用も始めているのだという。

 この番組は、同じテレビ東京の『カンブリア宮殿』と並んで毎週欠かさず観ているのだが、「自分だったらどうするだろう」と考えながら観るのが楽しみでもある。自分がタクシー会社の経営者だったらどうするだろう。自分が学生に戻ったら、卒業してタクシー会社に就職するだろうか、したとしたら入社して何をするだろうか。

 タクシー業界も規制緩和したり再規制したりとなかなか生き残りも大変だというのは、薄々知っている。そしてこの業界は、我らが不動産業界とどこか似ているところがある(→過去の投稿)。免許があれば簡単に参入でき(父もその昔『食えなくなったらタクシーの運転手をやればいいやと思っていた』と語っていた)、簡単に参入できるということは、簡単には儲からないということであり、したがってインセンティブ(歩合制)で尻を叩きながら利益を上げざるを得ない。流れてくる人も労働意欲が低いから、ガラも悪い。そんな業界にあって、両社とも「接客」を意識し、ITを導入し、工夫を凝らしている。

 番組では、日本交通が全国展開を視野に、経営困難に陥った大阪のタクシー会社を買収している様子が紹介されていた。ドライバーの平均年齢が62歳というその会社、さっそくお客様が乗車した時の挨拶から指導を受けていたが、そんな「新しいやり方」に頭の古いドライバーがついていけるわけがない。放送ではやっていなかったが、実際は挨拶などできていないであろうことは想像に難くない。新卒から鍛えて、新しい血と入れ替えていくのは、賢いやり方だと思う。

 そもそも利用者からすると、タクシーはプライベートでは利用しにくい。料金も高いし、「贅沢」というイメージがどこかにある。ここ1年でも私がタクシーを利用したのは、先日の叔父の葬儀の時だけで、東京郊外の葬儀場で駅から徒歩20分のところだったので、やむなく利用したぐらいだ。都心では交通網も発達しているし、せいぜい終電がなくなった時ぐらいだろう。

 ビジネス利用だって、経費節減の中小企業にあっては、都内ではまず利用できない。大企業でもそれは同じで、銀行員時代だって同様だった。一度出向して外資系の金融機関の人と机を並べて仕事をしたことがあるが、彼らは移動は基本的にタクシーだった。「時間を買え」という理屈で、「経費は好きなだけ使え、その代わりたっぷり稼げ」という明確なやり方だった。自分たちもそうしたいと思ったが、日系思考ではなかなか難しいかもしれない。

 タクシーの利用となると、そんな法人需要か、セレブな方たちの買い物とかの移動か、あるいは車の運転が覚束ない高齢者などの利用が多いのではないかと推察される。我々庶民レベルでも気軽に利用できるようになったら、タクシー業界も潤うのではないかと思う。そのためには、やっぱり料金がネックになるだろう。

 初乗り730円は鉄道やバスに比べると圧倒的に高い。目的地までいくらかかるかわからないという不安もある。都内の道路は渋滞というリスクもあるし、やはり庶民が気軽に利用するにはハードルが高い。独身時代は、毎週飲みに行ってタクシー帰りだったが、今はもう体力的にも真似できないところである。

 テレビを観ているだけの業界素人に、何か経営の妙案が浮かぶわけでもない。キッズタクシーという取り組みや、高齢者需要などは、我が不動産業界にも通じるキーワードかと感じた程度である。まぁもうちょっと稼いで、気軽にタクシーを利用できる身分になろうというモチベーションにはつながったかもしれない。

 何はともあれ、これからもいろいろなヒントを求めて、毎週観るのを楽しみにしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
ようこそ、わが家へ (小学館文庫) - 池井戸潤





   

2015年9月20日日曜日

ワールドカップ開幕!

 ラグビーのワールド・カップが始まった。日本ではそれほど世間の関心を集めていないが、実はラグビーのワールドカップは、「サッカーのワールドカップ」、「オリンピック」に次いで世界で3番目に大きなスポーツイベントなのである。日本では、そもそもラグビーがそれほど人気となっていないがゆえに、注目されていないのが残念な気もする。

 イングランドで行われているこのワールドカップは、日本は常連メンバー。もはや出場することは当たり前で、いかに勝利するかが最大の目標。なにせ過去のワールドカップでは、1勝しかしていない。前回もそれまで国際試合で連勝していたトンガに敗れ、わずかな希望も砕けてしまった。ワールドカップというと、どこも特別な力が出るようである。

 今回は、日本の所属するプールには、過去2回優勝の南アフリカ、強豪スコットランド、太平洋の強豪サモア、そして唯一IRBのランキングで日本より低いアメリカが所属している。普通に考えれば、南アやスコットランドやサモアに勝利するのは困難。「何とかアメリカに勝って1勝してほしい」というのが、ささやかな期待であった。

 ところがなんと、初戦の南ア戦に奇跡の大勝利を挙げてしまった。メディアもさすがに報道しているが、そのインパクトの大きさは、開催国を始めとする各国のメディアの方が正確に伝えている気がする。
Historic win for ‘Brave Blossams’ (CNN)
Japan in massive World Cup shock(BBC)
BBCでは、過去の大金星の例を5つ挙げ、そのどれにも勝る大番狂わせだと報じている。私も夜中にJsportsで観ていて、大興奮してしまった。

 となれば、「南アより世界ランキングが低いスコットランドやサモアにも勝って決勝トーナメントにも」と期待も膨らむが、そこは冷静に次のスコットランド戦を観るとしよう。この大会で弾みをつければ、次の2019年は日本での開催となるし、地元での決勝トーナメント出場という夢にも現実味が帯びてくる。

 日本のラグビー界の将来に明るさが見える気がするが、しかしながらそこには期待よりもやはり不安の方が大きい気がする。何せ足元では少子化の進行。私がラグビーを始めた母校の高校も、今のところ部員の人数は足りているが、その内容はとなると、中学の時に運動をしていなかったような学生が多く、野球やサッカーに流れる人材と比べると、たぶん見劣りする気がする。もちろん強豪校は別だろうが、「底辺が小さければピラミッドの頂点も低い」という持論からすると、この状況は十分危惧すべきだろうと思う。

 今でも日本代表のメンバーを見ると、1/3が外国人だ。もっとも、帰化した人や高校からずっと日本でプレーしているとか、「ラグビーの世界では十分日本人」とも言うべき人もいるから一概には言えない。日本代表になれば、もう母国の代表にはなれないわけで、そういう意味では全員日本人としての意識でいると思うし、差別はしたくないが、やはりそういう「日本人離れ」した力がないと、世界では勝てないのかと思えたりもする。底辺が広がらないと、「日本人のDNAでは世界では勝てない」となりそうで嫌である。

 経済分野においては、「女性の活用」、「定年の廃止による高齢者の活用」などで、まだまだ働き手を補える方法はあると思うが、ラグビーはそうはいかない。男女別のスポーツだし、体力が影響するから高齢者の活用もできない。どうしても若い男の関心を集めて底辺を広げていかないと、頂点は沈むばかりだと思う。ラグビーだけに限った話ではないと思うが、若者たちには人生の一時期にしか使えない体力をできるだけスポーツに使ってほしいと思わずにはいられない。

 さて、興奮さめやらぬシルバーウィーク。次は23日のスコットランド戦。南アほどではないが、これに勝っても大番狂わせには違いない。是非とも期待したいと思うのである・・・


    

2015年9月15日火曜日

リーダーシップについて思う事

 いつも世話役として参加している公益財団法人小山台教育財団の社会教育事業としてやっている「寺子屋小山台」。先週末は、この「寺子屋小山台」でリーダーシップについての講座が開かれた。毎年恒例の講座ではあるが、実は「リーダー」とか「リーダーシップ」というと、どうも自分にはしっくりこないと心密かに思っている。

 そもそもであるが、自分はチームの一員として行動することに心地良さは感じるものの、「チームの先頭に立って引っ張ろう」というのは何だか面倒だし、かと言って1メンバーとして埋もれるのも好ましくないという、誠に都合のよい考え方をもっている。リーダーでも1フォロワーでもない、いわば「参謀」的なポジションに居心地の良さを感じるのである。

 高校からラグビーを始めたが、3年時にはキャプテンを務めていた。しかし、これが何とも今から思うとイマイチしっくりこないキャプテンだったと思う。キャプテンがどうあるべきか、確たる考えがなかったこともあるが、根底には合っていないという心情があったかもしれない。大学のラグビー部では、キャプテン・バイスキャプテンには選ばれず、うまい具合に「渉外」という役職を得て、嬉々としてプレーと対外交渉とを楽しんでいた。もちろん、リーダーが務まらないというのでもないと心の中で言い訳している。

 ラグビーは元々選手主導のスポーツである。キックオフの笛が鳴れば、監督やコーチの指示は選手に届かない。試合中はすべてキャプテン中心に動くのである。ペナルティの笛が鳴れば、みんな一斉にキャプテンに視線を集める。そして彼が次のプレーを選択し、チームメンバーはすぐにそれを行動に移す。「いや、それは違うんじゃないの」なんて言葉は間違っても出てこない。

 それなりに重責を担うものだし、年間を通してそれを引き受けたいとは思わなかった。ただ、練習試合でキャプテンが出場しないという状況では、流れからゲームキャプテンをやったりしたこともあったが、この程度のリーダーなら別に負担感もない。社会人になってからは、組織の中の一単位としてのリーダーにはなったものの、すぐに次にバトンタッチしたくなったものである(その気持ちは今でも変わらない)。

 逆に「参謀」的なポジションにいる時は、誠に居心地が良い。チームにとってなすべきことだと思えば、誰彼憚ることなく意見を言うし、それによってチームが動けば誠に心地良い。あれこれ指示されるのは好きではないが、組織に影響力を及ぼすのは好きなのである。なんて虫がいいのだろう、と自分でも思う。

 しかしながら、チームワークという点に関しては、ラグビーで培った”For the team”という精神がある。自分もその時がくれば自らトライを取りに行くが、他のメンバーが最適なポジションにいるなら、彼にトライを取ってもらうという考え方が、実生活でも徹底していると思う。今の会社でもそんな考え方でいる。

 結局のところ、そこが一番なように思える。チームにとって、自分がどのポジションについた方が一番良いのか。「参謀」ならより望ましいが、もしかしたらキャプテンなのかもしれない。あるいは1フォロワーなのかもしれない(まぁ居ても居なくても一緒ならほかの居場所を探したいものである)。その時々の役割を果たせるようでいたいと思う。

 それがキャプテンであるならば、しっかりとリーダーシップを発揮できる人間でいたいと思うのである・・・


【本日の読書】
ケンカの流儀 修羅場の達人に学べ (中公新書ラクレ) - 佐藤優 キャロリング (幻冬舎文庫) - 有川 浩





    

2015年9月11日金曜日

インセンティブの功罪

 銀行は様々な業種のお取引先を持っている。それぞれ特色があるが、「油断がならない」という特色を持っていたのが不動産業者である。それは何よりモラルというか、品格の欠けた人たちが多いという理由に他ならない。目的を達成するためには、嘘をつくのも平気だったりするのである(もちろん、極めて良心的な業者がいることも事実である)。

 一度、融資額を引き上げるために売買契約金額を偽造して融資の申し込みに来た業者がいた。売買契約書のコピーを取り、修正液で契約金額を実際の金額より1,000万円多く修正して持ってきたのである。幸いにして、見抜いて防いだものの、似たような事例は枚挙に暇がない。なぜそうなのか。

 そもそも不動産業は誰でも簡単に始められる商売である(宅建の免許は必要だが・・・)。仲介業など「机と電話があれば始められる」と言われているし、不動産を買って貸せばそれだけで賃貸業だ。あちらで買ったものをこちらで売るのに、難しいことは何一つない。そういう簡単なビジネスで簡単に儲かるなら、誰でもやる。そして世の中の真理として、そういう「おいしいビジネス」などそうそうない。

 簡単に始められるが、簡単には儲からない。だから給料も固定給を保証できない。経営者としては、儲けた人が儲けただけもらえる「歩合給」を導入せざるをえない。そしてこの「歩合給=インセンティブ」こそが、ゆがんだモラルの原因である。簡単には儲けられないからこそ、「何でもやろうとする」。きれいごと言ってても、お金がかかっていればそんなの構っていられないのである。

 インセンティブは、プロスポーツの世界や営業職などで耳にする。ただそれほど酷い話を聞かないのは、そこまでしなくても稼げているからなのだろうかと思ってみたりする。あるいは、不正をしようとしてもやりにくいというのもあるのかもしれない。それに比べて過当競争とも言える不動産業界は、「なりふり構っていられない」のかもしれない。

 その昔、妻と二人で近所を散歩していて、たまたま売り出し中の家を見つけた時のことだ。冷やかしで見学させてもらったが、熱心に勧める営業マンには「頭金がまだ用意できないから」と断った(銀行員である身分は当然隠している)。すると営業マンは得意気に、「秘策」を説明してくれた。契約金額を上乗せして銀行に言えば大丈夫だと。「銀行さんには見破られませんよ」と胸を張られた(いや、俺なら見破れると喉まで出かかった)。

 そんな輩がわんさといるのである。ちなみに、「大手不動産会社なら大丈夫」と言えないのが、また酷いところ。「住友」の大看板を掲げているところでも、平気で嘘をつく輩がいる。よほど信頼がおけるとわかっている人以外、間違っても信用してはいけないのが、不動産業界の人間である。

 さて、縁があってそんな魑魅魍魎の住む不動産業界に転職してしまった私であるが、当然そんな品のない事はプライドに賭けてしない。伯父にも遺言として言われたし、言われなくとも子供たちに見せられないような仕事をするつもりはない。人様の喜びを何よりの報酬としながら、しっかり会社の収益に貢献してみせようと意気込んでいる。

 少人数の中小企業ではあるものの、インセンティブは社員全員で享受するようにしていきたいと思うのである・・・


 【本日の読書】
漫画 君たちはどう生きるか - 吉野源三郎, 羽賀翔一 村上海賊の娘(三)(新潮文庫) - 和田 竜




    

2015年9月6日日曜日

美学

 サラリーマンとして長いこと通勤しているが、これまではそんなに苦にもならなかったので、電車に乗った時にあまり座ることなど考えてこなかった。しかし、転職して通勤時間が過去最長の1時間20分となり、ちょっとしんどいこともあって、最近「座る工夫」をしている。と言っても、「席取り合戦」のようなみっともないことはしたくない。あくまでも「スマートに座る工夫」である。

 狙いは山手線。約30分乗るので、やっぱりここで座っておきたい。乗るのはターミナル駅の池袋であるが、ここで座るには一本見送るという作戦もあるが、その5分がもったいないのでそれはしない。次のターミナル駅の新宿から座ることを狙う。方法は簡単で、新宿で降りそうな人の前にさり気なく立つのである。

 と言っても、誰がどこで降りるかなどわからないから、あくまでも観察と推理である。山手線は一周しているので、乗る距離も限られている。池袋から品川までは約半周。つまり、それ以上先に行く人は、反対側に乗るはず。そこから推理すれば、到着した電車に乗っていた人はまず候補に挙がる。

 次に観察の結果、ラフな格好をした人は新宿で乗り換える確率が高いとわかっている。さらに新宿で降りるとわかっている私立の制服に身を包んだ小学生だ。電車に乗り込んだ短い時間にそれらを見極めるのである。これで大体確率8割といったところだ。

 先週のこと、いつものようにドアが開くと、降りる人を待つのももどかしく車内に殺到していくおじさんたちを横目で見ながら、いつもの小学生の前に立つ。鞄を棚に上げたところで、突然横からおじさんが体を押し付けてきた。謝るどころか、さらに体をぐいぐい押し付けてきて、私をどかそうとする。何だと思ったが、その狙いはすぐにわかった。

 見ればそれはこの電車で顔なじみの同じ品川駅まで行くおじさんだ。どこの誰かは知らないが、よく「頑張って」座っているのを目にしている。その日は残念ながら席取り合戦に負けたようで、ならばと瞬間的に狙いを変え、新宿で降りる小学生に目標をチェンジしたのだ。おじさんも席取り合戦の合間にチェックしていたのだろう。そしてその日、合戦に敗れ、焦ったまま小学生を見つけ、既にその前に立っていた邪魔な私を押し退けようとしてきたのである。

 一瞬、正直言ってムカッときたのは事実だ。そこまでするかと思う。押し返してこちらの意思を明確に伝えようかとも思ったが、それはやめにした。ケンカになっても勝てると思ったが、それより何よりそんな席取り合戦はみっともない。いい大人がそこまでするものではない。おじさんと醜い席取り合戦をするくらいなら、いっそ立って行くことを選びたい。

 新宿へと向かうその間も、おじさんは少しでもポジションを確保しようと、ジリジリと私の方にプレッシャーをかけてくる。私が女子高生だったら、間違いなく痴漢に間違われるだろう。心の中で、おじさんの「努力」を苦笑しながら、読んでいた本に集中することにした。貴重な朝の読書タイムをそんなことで無駄にされたくない。それに、よく見れば小学生の隣のラフな格好をしたお兄ちゃんも新宿で降りそうである。

 果して無事、新宿で小学生とお兄ちゃんは降り、私はおじさんと並んで腰かけた。おじさんはさっそく目をつぶり、私は本に集中する。メデタシ、メデタシ。

 通勤電車のいいところは、席を譲ることを考えなくていいことだ。お年寄りや妊婦や子供を抱っこしたお母さんなどはほとんどいないから、読書にも集中できる。さすがに、そんな人を前にして本を読んで座っているのも気が引ける。そんな「美的行動」も意識していたいと思うのである。

 ただ、帰りの電車では、本を読みながらついついうたた寝をしてしまったり、読むのに夢中になってしまい、降りる駅を乗り過ごしてしまったりしているので、もしかしたら席を譲るべきところで譲れていなかったりもしたかもしれない。まぁ、意図して知らん顔だけはすまいと思っている。

 これからだんだんと年も取り、そんな”美学”も語っていられなくなるのかもしれない。ただ、気持としては、「みっともないことはしない」というこの単純なルールをいつまでも守り続けたいと思うのである・・・

【本日の読書】
村上海賊の娘(二)(新潮文庫) - 和田 竜





   

2015年9月3日木曜日

老後ビジネス

 映画『ターミネーター2』を観て感動したのは1991年のこと。当時その感動をずっと保ち続けたいと思い、ビデオが市販されると、迷わずそれを買い求めた。その値段、なんと15,000円。迷いはなかったが、躊躇はあった。

 その後、そのビデオを観たのは、24年間で2回くらいである。今ではツタヤに行けば100円くらいでレンタルできる。VHSのビデオテープはそのままではもう観たくとも観られないし、今から思うと無駄な買い物であった。もう既にその予兆は現れているが、いずれこうした映画などは、劇場公開後はすべてオンデマンドで観られるようになるだろう。観たい時に、いつでも観られ、ストックしておく場所も不要である。

 当時はそんな” 未来”は予想すらできなかったが、今はあれこれと予想を試みている。仕事では昨年から不動産業界に身を置いているが、やがて来るべきは「お一人様」の終活だろう。先日亡くなった伯父の息子と娘はいずれも独身である。つまり伯父の家系は私の従兄妹の代で途絶えるわけで、それまで築いた財産を相続する者はいない。

 そうした例は身近にかなりある。まだ兄弟に子供(つまり甥とか姪)がいればいいが、そうでなければ財産を残す相手はいない。何もしなければ国庫に行くだろう。そうした高齢者のための快適な住まいを提供するビジネスは、世の中のニーズに応えられるような気がする。自らの行く末にも活用できるかもしれない。

 一説によると、日本人は死ぬ時平均3,000万円を残していくらしい。子孫がいればまだしも、いなければそれはみな国庫に行くことになる。人口予測によると、今後50年間で3,000万人超が減るとされているから、トータルすると何と遺産総額は1,000兆円近くとなる。これがすべて国庫にいくわけではないが、今の国家の累積債務とほぼ同じ金額になるわけで、そうなると、「子孫に借金を残すのか!」と目くじら立てなくてもいいんじゃないかと素人考えで思ってみたりする。

 まぁそんなことはともかく、友人たちも独身比率は高まっているし、奥さんに粗大ごみ扱いされるなら、そんな独身の友人たちとともに過ごすのも悪くはないかもしれない。自分の都合だけではなく、そんな考えを持つ人のニーズに応えるようなビジネスをこれからやっていったら面白いかもしれないと思ってみたりする。

 大銀行の一本のネジだった頃と比べ、今はそんな考えに基づいて動いて行くことができる。変化する時代において、15,000円のビデオを買って一生楽しめると思った間違いを繰り返してはもったいない。未来を予測し、変化を楽しみつつ、自らの身の置き所を作りながら、楽しく働ければ最高である。

 間違いと言っても、買ってしまった以上、ビデオも観られるうちにもう一回くらい観ておこうと思うのである・・・


【本日の読書】
格差大国アメリカを追う日本のゆくえ - 中原圭介 村上海賊の娘(一)(新潮文庫) - 和田 竜