先日久しぶり出張に行った。
行く先は高崎。新幹線で1時間ほどだから、それほど大げさな出張ではない。本を読んでの往路はあっという間。ちょっと疲れた復路は、ぼうっと外の景色を眺めていた。
外には田畑を中心に田園風景が広がる。
水田には水が満ち溢れている。
川には何やら網を持った人が入っていたが、魚でも採ろうとしていたのだろうか。
のんびりとした時間が流れていそうな景色が、熊谷の市街地が見えるまで続いていた。
子供の頃遊んだ御代田での楽しい思い出があるせいか、私は田舎暮らしに憧れているところがある。将来仕事を引退したら、本気で田舎暮らしをしようかと思うところもある。先輩Hの生活に憧れるのも、そういう背景がある。
どの家も敷地はゆったりしている。キャッチボールをやる場所を求めて、あっちこっちうろうろする必要なんてまったくないだろう。いたるところに墓地がある。たぶん、昔は何もないところだったのだろうが、今では周りが切り開かれて周囲から浮いてしまっている感がある。ただこういう環境下なら、子供たちにも自然と祖先を敬うという事を教えられる気がする。
その昔読んだ「都会のネズミ、田舎のネズミ」という童話を思い出した。
田舎のネズミが都会のネズミを訪ねてくる。都会のネズミはごちそうをして田舎のネズミをもてなす。田舎のネズミは豪華な食べ物などの都会の暮らしに驚くが、一方で車や人間などの危険にも気付く。田舎のネズミは質素でも安全で快適な田舎暮らしの良さを実感して帰るという内容だったと記憶している。
確かに都会は便利だ。どこへ行くにも交通機関を利用して行ける。実は出張先では最寄りの駅まで相手の担当者に迎えに来てもらったのだが、その理由は「駅でタクシーが拾えないから」というものだった。都会ではまずありえない。
田舎とは言っても最近はバカにできない。ちょっと車を走らせれば、車窓から見えたベイシアなど郊外型のスーパーセンターがあるし、高崎など大きな駅の周辺にはヤマダ電機だってあるし、吉野家もあって都会と変わらない。映画館だってオンデマンドの世の中だし、今くらいのペースで映画館に行くくらいなら十分満足できる。
本気で考えたいところだが、妻は絶対に嫌だと冗談でも「いいわね」とは言わない。確かに車がないと不便だし、年寄りになって運転できるかというと、そろそろ運転をやめろと日頃から父に言っている手前、大丈夫だとは言いかねる。亡くなった祖父などはよく耕運機を車代わりに乗り回していたが、そういう不安は確かにあるだろう。結局はどちらが良いかという問題ではなく、好みの問題なのだろうが、個人的には田舎で暮らしたいと思うところだ。
新幹線はすぐに東京駅のホームに入る。降りて10分後にはオフィスの自分のデスクに座ってパソコンを立ち上げていた。田舎暮らしの将来的な実現可否はわからないが、日々の仕事はどちらにせよ大事な事には変わりない。のんびり週末を過ごしたら、また頑張って働こうと思うのである・・・
2013年6月29日土曜日
田舎暮らし
2013年6月22日土曜日
お酒の話
今週は、同僚の送別会があった。もともとそんなに酒が飲める方ではない私は、たいていの場合、ジョッキでビール一杯+サワー一杯程度しか飲まないのであるが、去りゆく人に半ば無理に勧められるまま日本酒を飲んだらすっかり調子が狂ってしまった。この頃ではちょっと珍しい事だった。
職場でも飲むのが好きな人は、毎日のように飲みに行っているようである。そこまでとはいかなくとも、家で晩酌が欠かせないという者も多い。私はと言えば、晩酌はしないし、飲みに行くのも歓送迎会+αくらいだし、せいぜいが週末の夜に一人映画を観る時にバーボンを少し飲むくらいだ。それで十分不満はない。
初めてビールを飲んだのは中学生の時だった。お盆に田舎で近所から集まって来たおじさんたちに飲まされたのであるが、たいがいの人と同様、「こんな苦いものを大人たちはよくうまそうに飲むな」というのが感想だった。ビールの味に慣れたのは大学生の頃だったと思う。その他の酒についても同様だ。
初めは自分が酒に強いか弱いかなんてわからない。ただ、そこは体育会系。「できない」とは言いたくない性分なので、それこそ吐くまで飲む。それで次第に限界がわかってくる。「ひょっとしたら自分はそんなに強くないな」と、学生時代を通して気がついたと言えるだろう。
酒に対する耐性は遺伝なのだろうか。親父はやはり飲めない方で、飲めば顔が真っ赤になる。だが、祖父は飲ん兵衛で、顔には出ないタイプだった。私はと言えば、目の周りだけが赤くなる。遺伝であるようなないような気がするが、祖父と父と半々ずつ受け継いだとは言えるだろう。
そんな程度なのでこれまで酒で失敗したという事はあまりない。でもやはり酒で失敗する人はいるもので、銀行に入って最初に配属になった支店には、飲むと見事に180度人が変わるという酒乱の人がいた。日中は穏やかで冗談を言っては周囲を和ませ、仕事も得意分野の個人ローンでは知識豊富でみんなに頼られていた。ところが飲むと酷い絡み酒。同僚からも、飲みに行った先々の店の人からも嫌われていた。誘われる時はジキル博士状態なので、のちのハイドの姿を想像し複雑な気分であった。
幸い自分はそんなにおかしくなる性質ではなかったが、ただ困ったのはすぐに眠くなる事だ。特に接待の時は困った。注がれて飲まないのは失礼だし、飲んで寝るのは尚失礼。これでよくあとで上司に怒られた。今でもそうだが、こればかりは意識でコントロールできるものではない。「気がついたら落ちている」状態だから性質が悪い。それで自然とそんなに飲んでいなくても飲んでいる雰囲気を出す事ができるようになったと思う。
ただ、プライベートでは時としていつの間にか限界オーバーしていた時もあった。自分でも危ないと思ったのは線路に落ちた時だ。日本酒を飲み過ぎて、なぜか途中下車した駅でフラフラ歩いていたらもの凄い衝撃があり、気がついたら目の高さにホームがあったのだ。すぐにホームに上ったが、電車が来ていなくて良かったと思う。しかしながらそれでもきちんと“着地”した自分の運動神経には、改めて関心した次第である(そのあと駅からの帰り道に電信柱に正面衝突もしてしまったなぁ・・・)。
そんな程度の失敗はご愛嬌だ。これまでやけ酒というものは飲んだ事がないし、これからもそれはないだろう。その点では、楽しく上手に飲んでいると言えるのではないだろうか。
いずれ子供たちが大きくなったら酒を飲むようになるだろうか。妻の家系は徹底して下戸だし、父親もそんな状態だから、たぶん強くはならないのではないだろうか。
事実、息子がまだ赤ん坊の頃、試しにバーボンを舐めさせたら真っ赤になった(あの時は妻にばれたら大変だとこっちは青くなった・・・)くらいだから、たぶん飲めない遺伝子は受け継いでいると思う。まあ飲めないなりに、飲み方はレクチャーしてあげたいと思うし、ちびちび一緒に楽しみたいとも思う。
あるかないかどっちがいいかと問われれば、やっぱり酒はあった方がいい。そんなに飲めなくとも、まったく飲まないのはつまらないし、これからは特にビールのおいしい季節である。友達と会う時はやっぱり飲んだ方が楽しい。これからも付かず離れず、楽しく酒とは付き合っていきたいと思うのである・・・
2013年6月16日日曜日
父の日に思う
息子に実現されるのを見ようとするのは、
すべての父親の敬虔な願いである
今日は父の日。実家の父には昨日、ワインを渡してきた。ここのところ、甘口フルーティなワインを嗜んでいるとの事で、まぁ何にしようか選ぶのも大変なので、手っ取り早く決めてしまった感もある。
自宅に帰れば今度は自分が父親。されど子供たちからは何もなく、ごく普通の週末であった。中学生の娘は午前中から友達とカラオケに行き、小学校2年の息子こそ家にいたものの、取り立てて何をするという事もなかった。
幼稚園の頃は、子供たちも幼稚園でお父さんの絵を描かされたりしていたから、それをプレゼントしてくれていたが、小学校はさすがにそんなものはない。そのためには、わざわざ何かをしないといけない。さすがに娘は5年生までは絵を描いてコメント付でプレゼントしてくれたが、息子はもうしてくれない。
もっとも息子に言わせれば、学校の宿題や子供チャレンジの課題や、週末に録画してママと観る「八重の桜」や、レゴで遊ぶので「とても忙しい」らしい。まぁ仕方ないのだろう。子供たちからの絵のプレゼントは2011年でストップという事になりそうだ。
そもそも父という漢字は、手に斧を持った男性を指すそうで、家族を守り、養い、率いる役割の象徴という事らしい。「母なる大地 父なる太陽」という言葉があるが、父親には近寄り難く、それでいて必要な時には必要な光を授け、時には雷も落とす存在という事らしい。我が身を振り返ると、だいぶ違うようである。
自分の父親と比較すれば、子供たちと接触する頻度は遥かに高いと思う。父が私の授業参観に来た記憶はないし、わずかにサイクリングをしたり、海に連れて行ってもらったりした記憶がある程度である。時代も「男は仕事」の雰囲気に満ち溢れていたし、裸一貫で田舎から出てきた両親は、それだけで生活も大変だっただろうから仕方がないと思う。
その点、今の自分は時代にも恵まれ、子供たちとより多くの接点を持てるのはありがたい事である。そんな現代において父の役割とは何だろうかと考えてみる。やはり自分の経験から、「自立して生きていける力」、「考え方」を身に付けさせたいと思う。その鍵は、勉強する事とコミュニケーションだ。
勉強は学校の勉強だけに留まらない。社会人になっても、その時その時必要な勉強を継続できる力だ。帰りの電車で漫画を読み、帰宅しても晩酌をしながらお笑い番組を観て寝るだけというような社会人にはなってほしくない。
コミュニケーションも重要だ。これは友達との関係でも、今から実践で十分学べる。社会へ出ても恋人や上司や同僚たちとうまくやっていくには、コミュニケーション力が必要である。自分が初めに躓いた所でもあるし、しっかり教えてあげたいところだ。
そしてそんな教えを素直に聞いてもらうためにも、まさにコミュニケーションが大事だろう。今でこそ実家の父には何の遠慮もなく話ができるが、子供の頃はやはり何かあればまず母親だった。父に何かを相談すると言う事がなかったのは、やっぱり接点が少なかった事が大きい。自分としては、あまり「近寄り難い存在」にはなりたくないと思う。
これから子供たちもますます大きくなる。話題もより大人の話題になっていくだろう。人生の岐路に悩む事もあるだろう。そんな時に、「必要な光」を与えられる父親でありたいと思う。そのためには、まだまだ日々是修行だと思うのである・・・
2013年6月13日木曜日
性格
最近仕事である僚友店の担当者と頻繁にやり取りをするようになった。こちらから事務対応をお願いするのだが、その担当者は実に気持ちよく引き受けてくれる。モノによっては面倒なものもあり、担当者によっては電話口から面倒だという気持ちが伝わってくる人もいるのだが、この人はまったくそんな事もない。いつも気持ちよく仕事を引き受けてくれてありがたいのだが、自分は果たしてどうだろうかと我が身を振り返ってみる。
なるべく、頼まれれば気持ちよく引き受けているつもりではある。仕事を頼む時は丁寧にお願いし、相手がミスした時も、最終自分がチェックしているのであなたの責任ではないと言うようにしている。事実、自分のミスなら許せるが、他人のミスだとやはりいい気がしない。ならみんな自分のミスにしてしまうようにすればいいと考えている。
そんな風に考えられるようになったのも、社会人になってからだ。学生時代から比べると、随分成長したものだと我ながら思う。「性格は変えられないが、対応は変えられる」とは、いつだったか研修で教えてもらった言葉だが、それを聞いて随分楽になった記憶がある。
自分の元々の性格はと言えば、人と関わり合うのがあまり好きではなく、どちらかと言えば孤独を好む方だ。真面目だが明るくバカになりきれないところがある。一人で音楽を聞いて鼻歌を歌うのは好きだが、みんなでカラオケに行くのはゴメンだ。大勢でワイワイやるより、数人で静かに語り合うのが好きだ。そんな自分の性格は親父譲りだと思う。
子供たちを見ていると、そんな私の性格を長女は多少受け継いでいる。群れる事を良しとせず、自分の好きな世界がある。孤独にも耐えられる。傍から見ていると、心配になる部分はあるが、カラオケは好きらしく、よく友達とつるんで行っているようだから、少しは安心できるかもしれない。
息子はと言えば、誰の性格を受け継いだのか、クラスではひょうきん者で通っているらしい。「面白いのよ」と担任の先生のお墨付きも得ている。お姉ちゃんに比べたらだいぶズボラなのであるが、家族内でもずっとしゃべり続けているし、愛すべきキャラクターだ。友達にも愛されるのではないかと期待している。
どちらが良いとは思わないが、やっぱり息子のように明るい性格の方が苦労しない気がするし、それは間違いないだろう。「笑う門には福来る」とも言うし、仕事をしていても、明るい人にはモノを頼みやすいし、ミスしても許してもらいやすいだろう。従兄弟にもそんな明るい性格の者がいるが、やっぱり友達は自分よりたくさんいるようだ。
それはそれで羨ましい限りだが、ではこれからそんな明るい性格になれるかと言えば、確実に無理だ。やっぱり性格は変えられない。娘も100%私の性格を受け継いでいるわけではないから、多少は安心だ。だが、やっぱりこの世は人と人との関係で成り立っている。時によっては対応は変えていかないといけない。相手が気分良く自分と付き合ってくれるような対応を心掛けないといけない。いずれそんな事も子供たちには教えたいものである。
とは言え、自分のこの性格を愛する事ができるのも自分だけ。ずっと付き合ってきたし、これからもずっとこれでやっていく。周りの人に対する対応には気をつけながら、愛すべきこの自分の性格と末永く付き合っていきたいと思うのである・・・
2013年6月6日木曜日
ゴースト~天国からのささやき~
今ちょっとある海外ドラマにハマっている。それは、『ゴースト~天国からのささやき~』というドラマである。と言ってももう本場アメリカでは、シーズン5くらいまでやって放送も終わっているようだし、日本でも既に民法で放映されたようである。ふとしたきっかけで観始めたら、面白くてやめられなくなってしまったのである。
主人公のメリンダ・ゴードンは霊能力者。子供の頃から代々受け継いだ能力を持ち、人には見えない霊が見え、そして話ができる。結婚して小さな町に住み、そしてアンティーク・ショップを経営しているのだが、その片手間に人助けならぬ“霊助け”をしている。
ドラマの設定では、人は死ぬとみなあの世へと行く。しかし、何かこの世に想いを残すと、あの世へ行かずこの世に留まってしまう。メリンダが話をするのはこういうこの世に留まってしまっている霊たち。メリンダは、彼ら彼女らの心の内を聞き、その心残りを取り除いてやる。そうする事によって、霊たちは無事「光の中=天国?」へと旅立って行ける。
踏切事故で亡くなった男の子が、その踏切で母親を待ちつづけている。古い屋敷に留まる火事で焼け死んだ子供たち。ベトナム戦争で死んだ男が、故郷に残してきた妻と幼い子供を案じる。自分の死後、反目する父と息子に心を痛める母親。そんな霊たちを助けるメリンダ。気がつくと毎回のようにウルウルしてしまっている。
ドラマの設定は、映画「ゴースト~ニューヨークの幻」や「シックス・センス」などと似ている。だいたい日本でも同じだろうか。よく霊能力者だとか、霊感が強くて「見える」などという人の話を聞くが、実際のところはどうなんだろうと考えてみる。
実は個人的には、幽霊というものはまったく信じていない。子供の頃は、田舎へ行くと、夜トイレまでの暗い廊下を歩けないなんて事もあったが、今ではまったく信じていないから、幽霊屋敷でも平気で一人で泊まれる(たぶん)。それでも古今東西、幽霊の話はあちこちにあるから、何らかのものはあるのかもしれないとも思う。
たぶん、それは人間の生体エネルギーのようなもので、それが死後も残ったりして、いわゆる霊感の強い人はそれが見えるという事なら、あるのかもしれないと思う。それなら心霊写真だって説明がつく。誰もいないエレベーターに乗り込んだり、誰かが入っていたトイレに入った時に、香水やその他の残り香が漂っていたりするようなものだ。
ただ、もしそうだとしても、それは残留物であって、それが思考するなどという事はありえないだろう。写真がモノを考えないのと同じだ。思考はあくまでも脳細胞の活動の結果だからだ。だからこそボケるのだ。死んでしまった人間が、生きている時のようにあれこれ思考する事は、どう逆立ちしたところで想像できない。「我思う、ゆえに我あり(COGITO ERGO SUM)」である。
なんでも理屈で考えてしまう私は、人間の霊魂をそんな風に考えている。それはそれとして、もしもドラマのようだったとして、果たして自分は素直に昇天できるだろうかと考えてみる。この世に想いを残す事なく、あの世に旅立てるだろうかとなると、少々心もとない。というか、今は完全に無理だろうと思う。まだまだ責任の残っているものがたくさんあり過ぎる。それらを放り出すのは、あまりにも無責任だ。間違いなく、成仏できずに残るだろう。
ではあと30年くらいしたらどうだろう。その時までには、あらかたの責任はきちんと果たし、穏やかな心境でいたいと思う。老後は午前中は毎日喫茶店に行って本を読み、午後は映画館へ行き、夜はブログを更新し、フェイスブックにも投稿しと、そんな老後を送っていたいがどうだろう。そんな老後まで、まだまだ人生長いし、楽しみはあるし、責任もあるし苦悩もあるが、そんな諸々も生きる証と考えていきたいものだ。
メリンダの活躍はドラマの中だけで楽しみたいし、もしもドラマのような世界があるとしても、残された家族やお世話になった人たちにお礼のメッセージを託けるくらいで済むようにしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
2013年6月1日土曜日
誕生日に思う
49回目の誕生日を迎えた。
今回は週末とあって、ゆっくり朝寝坊。
いつもと変わらぬ朝を迎えられて何よりである。
突然49という意味を考えてみた。
日本人的には、ついつい「4始終9苦労する」とか「四苦八苦」などと考えてしまう。
アメリカ式だと49ersだろうか。フットボールのチーム的にはカッコイイが、一攫千金を夢見たゴールドラッシュの元祖49ersはみな夢破れた人たちだと考えると、どうやら今年もまだまだ一苦労しないといけないのだろうかなどと思ってみたりする。
心配のタネは既に出ていて、母親がまた入院している。
検査入院とは言うものの、薬で症状を抑えられなくなってきているのかもしれず、心配なところである。原因の一つにストレスがあると考えているが、その最大なものは我が妻との悪関係であり、私の力ではどうしようもない。
先日も見舞いに行った際、ついつい議論してしまい、また母親を論理でねじ伏せてしまった。それがまたストレスになるかもしれないと考え、自己嫌悪の日々である。
そんなパパの心とは関係なく、娘は朝から学校の試験勉強だ。
中間試験、期末試験と、そう言えば自分も中高生の時はあったなぁと懐かしく思う。
娘からは、成績が良かったら臨時こずかいをくれと要求されている。中学に入ってから友達と遊びに行ってお金を使うようになり、毎月のこずかいでは足りないようだ。
まぁそんな目標もあって良いかもしれないと思う。
せっかくの好天気に息子を誘いだして石神井公園へと出掛けていく。
我が家からだとちょっとしたサイクリングだ。
適当なところで自転車を止め、あらかじめ持参したグローブを取り出してさっそくキャッチボール。初めの頃は固い軟式ボールを怖がっていたが、この頃では普通にキャッチボールができるようになった。
キャッチボールで大切な事は、相手が取れるボールを投げる事だと息子に説く。
自分の投げたい球を投げる事ではない。
相手が取りやすいように、胸元へ向けて投げる。
取れないボールを投げれば、相手は取り損なってボールを体にぶつけて痛い思いをするかもしれない。後逸すれば、ボールを取りに行く時間が無駄になる。
そして何よりも、きちんと投げる事は自分のコントロールの練習にもなる。
それはそのまま言葉のキャッチボールにも当てはまる、とふと思う。
論理と感情のボールを互いに投げ合って、相手のボールを受けとめようとしない。
だから母親とのコミュニケーションがうまく取れていない。
にもかかわらず、母親からは誕生日を祝うメールが届いた。
「11時42分(原文では1142分となっている)に生まれた ただ嬉しかった」
そんな言葉が綴られていた。嫁姑問題はもう解決は無理かもしれないが、自分と母親との関係改善はまだまだ十分可能だ。せめてそのくらいの「苦労」はしないといけないだろう。
始終苦労しても良いじゃないかと思う。
四苦八苦も避けられるものではないというのが仏の教え。
ならば、ラグビーをやっていた者として、「倒れる時は前へ」という気概で迎えなければなるまい。親や家族の想いをすべて受け止めよう。
そんな49erでありたいと思うのである・・・
2013年5月26日日曜日
コミュニケーション・ギャップ
日本維新の会の橋下徹共同代表は13日夕、今月初めに沖縄県の米軍普天間飛行場を訪問した際、司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と進言した、と明らかにした。市役所で記者団に語った。
先週は橋下さんの発言を巡っての騒動があった。橋下さんについては、特段どうこうという感情はないものの、いろいろな事を感じさせた騒動であった。そもそもであるが、米軍の普天間基地を訪問した際、司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と進言したそうであるが、もの凄く大胆な発言だ。風俗と言えば、明るい所で語るには相応しくない話題。政治家が、米軍の司令官に向かって言うなんてなかなか度胸があるところだ。
沖縄駐留の米兵が乱暴狼藉を働く事はしばしばニュースになっている。聞くところによると、沖縄に限らず、米軍内での強姦等の事件は山のように起こっているらしい。自衛隊ならともかく、いつ死ぬかわからない米軍の場合、そもそも兵隊になろうなんて志願してくる人は、お金に困った若者が多いそうで、とてもではないが紳士とは言えない荒くれ男たちばかりなのだそうで、それは当然の帰結なのだろう。
そんな男たちを命令で押さえつけようとするより、発散させた方が良いというのは、実はもの凄く合理的な考え方だ。ツイッターで橋下さんの弁明を読んでいたが、さすが弁護士だけあって、その主張にはきちんと筋が通っていた。それに対する反論はと言えば、概ね感情論が強かったようである。
「理論」と「感情」が衝突した場合、双方ともに噛み合う事はなく、当然きれいな解決などあり得ない。ロジックでいくら正しくとも、やはり白日のもとに晒す内容ではない。風俗を「性的なエネルギーを合法的に解消できる場所」と橋本さんは説明していたが、そもそも例えばソープランドが合法的かと言えば、明らかに違法だ。
売春が違法行為である事は自明の事だし、ソープランドで行われているサービスは男ならみんな知っている通りであるから、改めて議論するまでもない。言ってみれば、憲法上の都合で軍隊を自衛隊と言っているのと同じ事である。必要悪と認められているから、警察なども暗黙の了解で目を瞑っているだけなのだ。それを“合法”だと堂々と言うのはおかしな事だし、そもそも良識ある人なら、フォーマルな食事の席で下ネタなど持ちださない。内容は正しくとも、公の場で言う事ではなかったという意味で、橋下さんの負けだろう。
それにしても、それに対する感情論には辟易するのも確か。橋下さんも「慰安婦制度じゃなくても風俗業は必要だと思う」なんて、「慰安婦」などという禁断の言葉を使うから、よけいなところからの反発も招いていた。慰安婦問題こそ、理論対感情論の衝突の見本のような問題。いくらロジックを重ねてみたところで、感情論には通用しない。
「お前には理屈ではかなわない」と親に匙を投げられている私。親と議論をし、いくら丁寧に順を追って自らの考えを主張しても、両親は納得しない。「理屈ではかなわない」という事は、「筋が通って正しいから」と考える私に対し、両親は「頭が悪いから正しい自分の考えを説明できないだけ」と考える。橋本さんの怒涛のようなツイッターの主張を読んでいて、いくら正論を吐いたところで通用しないだろうなと感じてしまったのも、そんな自らの体験からくるものである。
そう感じるなら、自分も親に対する接し方を変えれば良いと、頭では理解できる。だが、そのためにはどうしたらよいのだろうかと、「筋道を立てて」考え始めている。だからなのだろう、いつも両親は私に対して不満気だ。「理解してから理解してもらう」というスタンスが必要なのだろうが、まだまだ修行が足りないようである。
今日もまた不毛な議論をしてしまい、自己嫌悪に陥っている。コミュニケーションって本当に難しいと思うのである・・・
【今週の読書】
2013年5月19日日曜日
結婚の形
いつも拝見しているブログ「Chikirinの日記」に、<婚外子の比率の変化>という数字が示されていた。これは、「全出生数に占める、婚外子の出生数比率」、すなわち「結婚していない母親から生まれた子供の比率」の国際比較である。「Chikirinの日記」の趣旨とは離れてしまうが、この数字を見ていていろいろと考えてしまった。
スウェーデン 39.7% → 54.7%
フランス 11.4% → 52.6%
------------------------------------------------
イギリス 11.5% → 43.7%
オランダ 4.1% → 41.2%
米国 18.4% → 40.5%
ドイツ 15.1% → 32.1%
スペイン 3.9% → 31.7%
------------------------------------------------
カナダ 12.8% → 27.3%
イタリア 4.3% → 17.7%
------------------------------------------------
日本 0.8% → 2.1%
この表を単純に見ると、スウェーデンやフランスでは、子供二人のうち一人は未婚の母、今風に言えばシングルマザーの子供であるという事である。日本の感覚から言うと、想像するのは難しい。
もっともよくよく定義を確認すると、「結婚していない母親」とあるだけで、「未婚の母」ではあるけれど、「シングルマザー」ではないかもしれないと気がつく。「両親とも揃って家族で暮らしているが、両親は(法的に)結婚していない」という状況も含まれているだろうからである。そうなると感覚的には少し近くなる。
日本でも同棲は珍しくないが、それでも同棲していて子供が出来たら、自然と結婚となるだろう。「デキ婚」という言葉がある通り、日本的感覚では、「子供ができたら結婚する」というのは若い世代でも同じだと思う。それはなんでなのだろうかと言えば、やっぱり「世間の目」と「現実の生活」なのだろう。
今でこそ、女性の社会進出もかつてよりは進んで、「女性の幸福は結婚して子供を生んで幸せな家庭を築くこと」なんて言う人は少なくなっているだろうが、それでも「結婚しないのに子供を生んで働いている女」が良いイメージでとらえられる事はない。
それと現実的に子供を預けて働いて、男と遜色ない収入を得ていくという事を考えると、女性には限りなくハンディがある。スウェーデンを始めとした欧米諸国には、そうした社会的・経済的ハンディがないからこその、上記の結果なのだろう。それはまた離婚率という形でも表れてくる問題だと思う。
日本では結婚して子供ができてしまうと、女性は離婚しにくくなる。それは世間体というより、今度は経済的事情が大きくなるだろう。「子供のために我慢している」という「家庭内離婚」の話はよく聞くし、ひょっとしたら我が家もそうなのかもしれないなどと青くなってみたりもする。
婚外子の比率が低いから、あるいは離婚率が低いから、我が国は欧米よりも夫婦仲がよい幸福な社会だなどとは言えない。「子はかすがい」という言葉が我が国にはあるが、それも古くから家庭内離婚が存在していた事を表している証拠だと思う。
女性の社会進出が進んでより一層の経済力をつけた時、欧米のように婚外子が増えるかどうかはわからないが、子供の成長によって「かすがい効果」を喪失し、離婚率が増える事は間違いない気がする。
動物界を見まわした時、つがいが生涯添い遂げるという種は少ないようである。人類も子孫を残す時だけつがいになり、役目を終えればそれぞれ離れ離れになるという時代が来るのであろうか。それとも法律的な結婚は意味を喪失し、単に事実婚が増えていくだけの事なのだろうか。
自分の先行きと合わせて考えてみると、何だか複雑な気分になるのは、私だけだろうかと思うのである・・・
2013年5月15日水曜日
安倍政権に思う
政権誕生以来、アベノミクスで世の中は湧きたっている。政権支持率も高く、民主党の反動だけでなく、安部総理自身2度目の正直ともいうべきか、船出以来順調に航海を続けている。そして憲法改正にも言及し、どうやら夏の参院選のテーマの1つにもなってきそうである。
もともと個人的には憲法改正論者だし、それはそれで悪くない。何といっても第9条は早く第2項を削除すべきだし、専門家によると89条なんかは私立大学への助成金など違憲になりそうであるらしいし、その他にもあるかもしれないし、一度現代にあった形に修正すべきである。
だが、安倍さんの掲げている憲法改正のターゲットは第96条。最初は何かわからなかったが、憲法改正の要件を定めた条項だ。「議員の2/3以上の賛成」が必要とされるところを「1/2」に変えるのだとか。いきなり“本丸”第9条にかかるよりも、まずは外堀から埋める「冬の陣」作戦なのだろうか。たぶん、2/3を取るという事が、相当ハードだと考えているのだろう。
世論も今では憲法改正賛成派が過半数を越えていると言われているから、国会さえ通せば「イケル」と考えているのだろう。まあこの程度は良いんじゃないかと思う人も多いだろうし、最後は国民投票というハードルがあるし、問題は多くはなさそうな気がする。
共産党系のように、「一文字でも変えるのはダメ」という雰囲気の人は認めないだろうが、これで絶対反対の野党を除き、ゆるやかな野党を仲間に入れて2/3をクリアしようというのだろう。「将を射んとすれば馬より」といったところだ。
それはそれそれで理解はできるのだが、どうも個人的に諸手を挙げて賛成という気分にはなれない。確かに、家康は大阪冬の陣でうまく立ち回って外堀を埋めさせ、そして夏の陣で無敵の大阪城を落とした。そのやり方は、正面突破方式よりも、被害も少なく効率的に豊臣家を滅ぼせたのかもしれない。しかし、どうせなら錦の御旗を掲げ、堂々と正面突破してほしいものだと個人的には思う。
そもそもであるが、ここまで順調に来て今やるべき事が憲法改正なのだろうか。私が総理大臣だったら、まずは「国会議員削減」と「公務員削減」だ。「0増5減」なんてお茶を濁している場合ではない。このテーマは「嘘つき民主党」が堂々と掲げてやらなかった「人気政策」だ。今こそ100議席ぐらい減らすと掲げて衆参ダブル選挙に打って出るだろう。「公務員削減」とセットにして、「自民党は民主党と違って言った事はやる」「いつやるか、今でしょ!」とやるのだ。
消費税を上げたって国家財政は改善しないし、崖に向かって突っ走っている状況には変わりない。国民誰もがやれと思っていて、誰もやらなかった事をやると堂々と掲げたら、それは国民は支持するだろう。選挙対策なんて何もしなくても圧勝できるはずだ。第96条なんて言う前に、2/3の議席確保だって夢ではないだろう。そうしたら、ゆっくりコーヒーを飲みながら憲法改正議論ができるはずだ。
民主党は、小沢さんが本来党を支えなければならない時に、自我を優先して崩壊の道を辿った。チームが勝たなければならない時に、個人記録を優先したようなものだ。荒れ狂う波間に漂う船中で、船長の座を争って民主党は坂を転げ落ちた。今自民党は順風満帆で追い風が吹いている。ならば先を急ぐ前に、もっと帆を広く張る事が、結局は早く遠くへ行く事に繋がると思うのは私だけだろうか。
なんとももどかしく感じるのである・・・
【本日の読書】
2013年5月12日日曜日
国民栄誉賞
先日、長嶋と松井が国民栄誉賞に輝き、ジャイアンツファンとして、そして何よりも長嶋ファンとしてそのニュースを喜んでいた。その後、ミスターは多摩川グラウンドを訪れたとニュースでやっていた。そのニュースを見て、小学生の頃、はるばる自転車を飛ばして同所へ行き、ミスターにサインをもらった事を懐かしく思いだした。
それはそれで良いのだが、興奮が冷めてくると何だか疑問に思う事がでてきた。受賞そのものには何の異論もないし大賛成なのだが、なんでこの時期なんだろうとか、他にはいないのだろうかとか、諸々である。たぶん、時期としては松井が引退した事が大きいのだろう。だが、ミスターは何で今まで放っておかれたのかわからない。
ONコンビの王さんは、ホームランの世界記録というタイミングだったが、ミスターは相応しいタイミングがなかったのだろう。たまたま時期に巡り合った松井が候補に上がり、「松井がもらうのにミスターがもらわないのがおかしい」となったのだろう。たぶんそれがなければ、ミスターの受賞は死んだ時だったに違いない。
事実、過去の受賞者22人+1団体のうち12人が没後受賞だ。死んではじめて“思い出された”と言える。そういう意味では、タイミングがすべてのようだ。亡くなってから「あぁそうだ」って思いだしてもらえるか、オリンピックなどで活躍して話題になるか。
松井は謙虚な人だから、受賞を恐縮していたようだが、プロ野球界だってふさわしい人はたくさんいる。神様稲尾、カネやん金田、野村監督、安打製造機張本、世界記録だったら金本もそうだ。野球以外でもたぶんふさわしい人はたくさんいるだろう。
受賞にあたっては何かルールがあるのかと言えばそうでもないようだ。時期もバラバラ。2000年に高橋尚子がシドニーオリンピックで金メダルを取ってもらっているが、そのあとは9年後だ。しかもその2009年は遠藤実(1月)、森光子(7月)、森繁久爾(12月)と連発。まぁもともとルールなんてないようだし、時の政権がその時々で選んでいる。だから、「政権の人気取り」なんて声も聞こえてくる。
もう少しルールを明確にして、毎年表彰するようにしても良いのではないかという気がする。没後受賞もいいけれど、できれば生前受賞の方が良いに決まっている。「政権の人気取り」と陰口を叩かれるようなものでない事が良いだろう。毎年大晦日に発表したりしても良いのではないだろうか。
長嶋さんが没後受賞なんて寂しい事にならなかったのは実に幸いであるが、そんな風に思った国民栄誉賞なのである・・・
2013年5月6日月曜日
GW
GWも早や最終日である。
今年は前半3日、3日間おいて後半4日という構成であった。
もっとも1日休みをもらったので、3-2-5という構成となった。
世間もまだまだ厳しいところが多い中、ありがたいことだと思う。
考えてみれば、私が社会人になった26年前は銀行はまだ土曜日の営業をしていた。振替休日の制度はもっと早く始ったような記憶があるが、日本人の働き過ぎが海外で批判を浴び、休日が増えていったように記憶している。5月4日は、いつもカレンダーと睨めっこしてうまく休みと重ならないかと思っていたものだが、いまや堂々と祝日(みどりの日)となっている。そうした恩恵が、今回は後半の4日間に活きている。
せっかくのまとまった休日ではあるものの、どこかに旅行に行こうなどという話は我が家では出てこない。それは金銭的な理由もあるが、一番大きな理由は渋滞・混雑だ。この時期、間違ってもディズニーランドに行こうとか、新幹線や高速を使って遠方に泊まりに行こうなどという話は、我が家では出てこない。事実、鉄道や高速道路の渋滞のニュースが、その判断に正当性を与えている。
近場でも鉄道が繋がった横浜の中華街や川越、そしてスカイツリーなどの観光スポットも大変なにぎわいだったようだ。どうしてそうなるのかと言えば、やはり日本人の勤勉性のゆえだろうかと思う。例えばスカイツリーがオープンしたから、休みを取って行こうなどとは普通は思わないだろう。我が家も行くとしたら土日だし、それも混んでいるだろうからしばらく経ってからという有り様だ。まぁ子供の学校があるから、私が仮に休みを取ったとしても同じではあるのだが・・・
だいぶ緩和されたとは言え、まだまだ「働く事は美徳、休むのは悪」という考え方は日本社会に広く浸透していると思う。それゆえに海外から「日本人は働き過ぎ」と批判されても休まず、わざわざ休ませるために祝日を作らないといけなかったのだと思う。祝日まで作って、ようやく“仕方なしに”“みんなが休むから”休むのであって、それゆえにみんなの休みが集中するから混雑するのであろう。
今となっては「働き過ぎ」と批判の声は聞かないが、それはよく休むようになったためというよりも、日本の経済力が落ちてきたせいではないと思う。我が職場でも、実は休みはむしろ推奨されているが、仕事が残っていると別にそれが急ぎのものでなくとも、何となく休みを取る事に抵抗感がある。それは帰るにしても同じで、みんなが仕事をしている中、一人先に帰るのは何となく心苦しく感じる。日本人の平等意識もあるのだろうが、仲間が働いているのに休んだり先に帰ったりするのに抵抗感を覚える者は少なくないと思う。
「働くのが美徳」という風潮は悪い事ではない。戦後の荒廃から日本が復活した原動力だと思うし、それが今でも経済大国を支えている要因だと思う。問題は、それが行き過ぎて「休むのは悪」となってしまっている事だろう。メーカーのように会社全体が休みになる所は問題ないだろうが、交代で休むとなると“実害”が出てくる。
それは周りの同僚に休み中の対応をしてもらうという負担をかける事であるが、普通の感覚の持ち主であれば、「気兼ねなく」というのは難しい。ただそうした負担は「お互い様」と割り切れば、気兼ねがなくなるのも事実。それが証拠に、夏休みはみんな遠慮なく取れる雰囲気になっている。それが普段にも及べば、休みも取りやすくなるだろう。
夏休みだって、子供がいれば無理だろうが、そうでなければわざわざ夏に取る必要もない。そういう意識が我が職場だけでなく、日本人のDNAに刷り込まれれば、お盆や正月、連休にどこもかしこも混雑するという状況が少しは改善されるのではないかと思う。
まあ現状でも工夫次第のところはある。遠くへ泊まりで行かなくても、我が家は江戸東京博物館へ行き、恒例の森林公園に行き、近所に新たにオープンしたイオンを買い物がてら見に行き、『夜更かしデー』と称した家族での映画鑑賞は子供たちに大好評であった。もともと天の邪鬼だから、人とは反対の行動を取りたがるところがあるのだが、おかげで渋滞や混雑のストレスはほとんどなかったし、これはこれで楽しい過ごし方だったと思う。
子供たちももう少し大きくなってくると、またGWの過ごし方の変わっていくのかもしれない。子供たちが社会に出る頃には、働く事と休む事のバランスがどのようになっているのだろう。「働く事が美徳」というDNAは是非残していってもらいたいが、「休む時は(みんな一緒でなくても)休む」という賢い選択ができるようになっていればいいだろうにと思う。
まあ定年まであと10数年。「毎日が日曜日」となるまでは、工夫をこらした休みを過ごしたいと思うのである・・・
2013年5月3日金曜日
ジパング
以前は毎週金曜日に漫画喫茶に行くのを習慣としていた。一週間の仕事の対価に、リラックスして漫画を読むのが気に入っていたのだ。その習慣がここのところしばらく絶えていたのは、忙しいのもあったが、これといった漫画がなかった事もある。それが最近復活しつつある。その理由がこの漫画。
ストーリーは、海上自衛隊のイージス艦「みらい」が、太平洋を航行中、なぞの気象現象により1942年6月にタイムスリップしてしまうというものである。何だか、その昔映画(『ファイナル・カウントダウン』)にあったようなストーリーである。『ファイナル・カウントダウン』は米海軍の原子力空母だったが、それがここではイージス艦である。
太平洋戦争当時の軍事力と比べたら、原子力空母の威力は凄いが、イージス艦もまた然り。世の中の人がどのくらいイージス艦の事を知っているかわからないが、これがかなりのシロモノ。見かけは昔の軍艦などから比べると劣るものの、近代装備で武装した戦力は相当なものらしい。
かつて韓国軍と日本軍が戦ったら、というシミュレーションがなされたらしいが、韓国海軍は1時間足らずで壊滅したという。その原動力となったのがイージス艦である。優れた電子装備とミサイルやら魚雷やらを搭載し、空からでも海の中からでも、「どこからでも来い」という感じらしい。
その昔、『亡国のイージス』という映画化もされた本を読んだが、そこでもその優れた戦力は説明されていたし、だからこそ物語に取り上げられるのだろう。それは価格にも表れていて、海上自衛隊のイージス艦「こんごう」クラスだと、1隻で1,244億円するらしい。それが今日本には6隻あるという・・・
韓国海軍を1時間で壊滅させられるほどの戦力が果たして必要なのだろうかと考えると、それは必要なのだろう(「どこの国にとって」必要なのか、はあえて言うまい)。それだけの高性能の軍備となると、アメリカもやたらな国には売れないだろう。下手したら、自分の所の空母の脅威になる(ちなみにアメリカの原子力空母ニミッツは3兆円するらしい)。持たせても安心で、しかも黙ってポンと買ってくれる同盟国はそうそうないだろう。
そんな破格な高装備なわけであるから、せめて映画や小説や漫画の中ぐらいでは活躍してもらわないといけない。第1巻では、さっそく米海軍(太平洋戦争時の、だ)の潜水艦と遭遇。その突出した能力で米潜水艦を手玉に取った。2巻、3巻と続き、いよいよ“現地の海軍将校”と接触したみらい。どんな展開になるのだろう。歴史のパラドックスは?
この先、金曜日の夜がまたちょっと楽しみになりそうである・・・
2013年4月29日月曜日
浜松餃子ツアー
2年前は宇都宮。
昨年は月島もんじゃ。
我が家のGW恒例となりつつあるグルメツアーであるが、今年は浜松餃子ツアーに決定。「やっぱり東の宇都宮を制したあとは西の浜松じゃない?」との我が家のグルメ族の意見に従った次第である。
まあ新東名高速も一度利用してみたかったし、ちょっと遠いけどGWだし、ドライブを兼ねていいだろうと家族の意見も一致。その新東名であるが、渋滞は御殿場で解消したため、スイスイと快適なドライブ。道路がゆったりと作ってあるのだろうか、スピードを出している感覚がまるでなく、我が家の警報機である妻も珍しくスピードに何も言わない。それどころか、自ら110キロ以上出して運転していても平気な顔をしていたくらいだから、何か工夫がされているのかもしれない。
現地に到着したのは昼過ぎ。渋滞でスケジュールが少し狂ってしまった。事前にグルメランキングをいくつかチェックして、全部で4店を回る。最初に訪れたのは“石松”。されど1時間半待ちという状況で、時間も惜しく、断念して“豚猿”へ向かう。
「初代G1を制した店」という触れ込みであったが、残念ながらどうもパンチ力が弱い。おいしい事はおいしいのである。だけど、こちらはわざわざ東京からその為だけに来ているわけで、宇都宮レベルと比べてしまうと弱い。その昔は食べ物にあれこれ言わず何でも黙って食べていた私であるが、妻と結婚して以来舌が肥えたようで、こういう味感覚もいつのまにかついていると自覚。
続いて“福みつ”へ移動。待つ事約40分。ここは皮が特徴的。さらに“むつぎく”。ここは小ぶりで、野菜中心。だんだんとレベルが上がっていく感じ。そして最後に訪れたのが、昼間断念した“石松”。
あちこちのグルメ大会を制している有名店だそうで、お待ちも半端ではない。最後だから腰を据えて待つ事1時間半。その甲斐あってか、ここが一番おいしかった。少し甘みがあって、「皮と中身とのバランスが一番良い」(我が家のグルメ大臣評)。宇都宮の名店に対抗しうるレベルだった。
難を言えば、店舗運営だろうか。メニューが餃子だけの割には待ち時間が長すぎる。外の駐車場も3ヵ所の連絡がうまくできていないようだし、妻の観察によれば案内の手際も悪かったようである。まぁそれでも駐車場の誘導員をしていたおじいさんは、気の良い田舎のおじいさんという感じで悪い気はしなかったが、少しアドバイスをしたいところだった。
東京でおいしい餃子というと王将くらいしか知らないし、それから比べると4店それぞれ個性があって良かったが、最後の石松はともかく、やっぱり「餃子は宇都宮」というのが我が家の結論。2年前の宇都宮では早々にギブアップした長男も、今回は最後までしっかり食べていた。家族4人で食べた餃子の総数は144個だった。
さて、早くも「来年はどうしよう」という声が上がる。東名高速の途中で目にしたのは「富士宮」。まずは「富士宮焼きそばツアー」が候補に上がった。まあ来年までゆっくり議論をしていく事になるだろう。その前に、今年はもう少し走ってシェイプ・アップしようと思うのである・・・
2013年4月25日木曜日
アジアの友
麻生副総理も「世界中で祖国のために尊い命を投げ出した人たちに、政府が最高の栄誉で敬することを禁じている国はない」と主張。古屋圭司国家公安委員長は「国会議員として、国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは当然だ」と述べた。
いや実にはっきりとしたモノ言いで痛快である。もともと安倍さんは、この手の発言を繰り返していたようだが、政権に返り咲いて、しかも高い支持率をバックによけい強気になっているのかもしれない。言っている事はまさに正論であって、一分の異論もないところである。問題は中韓に対する影響だろう。
一つは文化の違い。中韓とも強烈な「自己主張の文化」の国。一方日本は「謙譲の文化」。相手の事を慮って譲るのを美徳としている文化と、とにかく自分の意見を強烈に主張して欲しい物を獲得しようとする文化は、水と油。自分達のモノサシで相手を測るのは、正しくない。
互いに自己主張をぶつけ合っている文化圏の人々だ。こちらが自己主張をぶつけたって怯まない逞しさは備えているだろう。それにいじめっ子が虐めるのは、相手が反撃しないからに他ならない。抵抗しないとわかっているから、嵩にかかって攻めるのである。そんな反撃は、100年前なら戦争になっていただろうが、現代ではその心配はない。恐れずに一度トコトン主張してみるべきだと思う。
それにしても侵略の歴史は如何ともしがたいものがある。我が国にとっては、侵略もやむなきものであったとしても、相手にとってはそうではない。諸悪の根源は、帝国主義を振りかざして世界中を支配しようとした欧米列強なのであるが、我が国は最後にババを引いてしまった不運がある。中韓の人たちは、その恨みを欧米列強にはぶつけられず、大人しい我が国にぶつけてきているのである。我々にとってこの侵略問題は、キリスト教で言う原罪なのだと思う。
しかし、ではずっとこの先も耐えていかなければならないのだろうかと思うと、それもどうかと思う。真っ向から自己主張して喧嘩をすべしとは思うものの、それもしんどいところがある。ではどうすべきか。答えは「他のアジアの国々と仲良くする」だと思う。
何も自分を憎む相手と無理に仲良くしなくてもいいだろう。最低限度の付き合いだけ保って、あとは目を南に向けるのだ。目を地図の下に向ければ、何より親日国の台湾がある。震災の時に一番多くの援助を寄せてくれた国だ。同じ日本支配下にあってもなお、親日でいてくれる。それにタイもあるし、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポールと多くの国々がある。反日的な国はない。
先の大戦では、日本が欧米列強を追い払い独立のきっかけを作ってくれたと認めてくれている。こういう国々ともっと親しくなるべきだ。最近、台湾映画を観る機会が増えて来たが、なかなかどうして面白い。韓流ドラマなんかやめて台湾の映画でもドラマでも観たらいいのだ。アジアの国々の映画やドラマをもっと観たら、さらに理解も進んで良いと思う。引け目を感じながらの付き合いなど、普段の人間関係をみても正常とは言えない。敬意をもって付き合えば、きっとお互い幸せな関係を築けると思うのである。
それにしても、冒頭のニュースも何かいかがわしいものを感じる。中韓が反発する事がわかっていながら、靖国参拝を大きく報じ、国会答弁を取り上げる。これぞ国賊モノだと思えてならない。他の神社に参拝しても同じように報じるか?靖国神社参拝を報じるのは、「それがニュースになる」からだ。黙っていれば、中韓だって一々監視しているわけではないからわからないだろう。実は喧嘩を「煽っている」のはマスコミなのである。
この国は政治家を一新する前に、マスコミを掃除するところから始めないとなかなか良い国にはなれないとつくづく思うのである・・・
2013年4月21日日曜日
将来の職業
平日は家族と食事の時間が合わないが、週末は家族で食卓を囲む。テレビはつけず、みんなで会話するようにしている。と言っても、普段は妻と子供たちの食卓に週末私が加わるといった図式だろうか。ただ私からしてみると、子供たちの近況や考えを知る一つの機会となっている。
今回は娘の職業観を聞く事となった。将来は薬剤師の資格を取るのだと言う。中学1年になったばかりで、どこから仕入れて来たのか、堅実な目標を掲げるものだと意外に思う。聞けば免許があれば食いっぱぐれないでしょうという返事。どこかでそう教えられたのだろうか。
父親的には、もっと夢のある理由を語って欲しかったところである。例えば病気を治す手伝いをしたい、とか。研究職みたいなものに興味があるというから、新しい薬の開発をしてみたいとか。「資格があればお金になるんでしょ」という発言からすると、どうやら目的はお金のようである。
子供らしい、と言うのだろうか言えないのだろうかは微妙なところだが、少々軌道修正が必要なようだと感じる。資格というものは、ただ「その仕事ができる」というものにしか過ぎない。問題はその資格を使って何をするか、だ。お金儲けなのか、人類への奉仕なのか、その目的はともかくとして、「資格を取れば安泰」と考えているなら親として正してやらねばなるまい。
私も世間の親並みに、子供には安定して穏やかな人生を送ってほしいと思う。ただ、だから公務員になれとか、資格を取れというのは、そのためのアドバイスにはならないだろう。何のためにその仕事をするのか、したいのか。まずは目的意識からだろうか。「就職難の時代だから薬剤師の資格を取っておく」というのは、最終的には悪くはないが、中学1年生の語る理由には相応しくない。
考えてみれば、ある程度現実を知る親の立場として、どんなアドバイスを送るのかは難しいところだ。例えば自分が卒業を控えた大学生に戻ったら、就職はどうするだろうか。また銀行員になるのだろうかと問われれば、答えはたぶんNoだ。別に嫌な職業だというのではなく、もう25年もやったから今度は別の仕事がしてみたいという単純な興味だ。では何が良いかと言うと、なかなか悩ましい。
お金という要素も重要だ。やっぱり夢のある仕事をしたいと思うが、生活苦を抱えていては夢もしぼむだろう。「お金で幸せにはなれないが、不幸は追い払う事ができる」とは、私の好きな言葉でもあるが、ある程度の収入は必要だ。薬剤師の資格を取っても、薬局のオーナーか店員かでも収入は違うし、企業に勤めて研究するのもまた違う。娘にはそんな話をした。オーナーでも儲かっている店とそうでない店とでもだいぶ違う。
目的と手段とをきちんと選択しないといけないだろう。理想的にはきちんとした目的(何がしたいか)があって、そのためにどうする(どんな職業に就く)と考えたいものである。そのためには、薬剤師も悪くはないが、そもそももっと目を広く向けて、いろいろな職業を知る事が大事な気がする。
自分自身を思い返してみても、中学生の頃は「将来こんな職業に就きたい」なんて希望はあまりなかった気がする。それはそもそも視野が狭くてわからなかったというのが大きい。そこで、『新 13歳のハローワーク』をさっそくアマゾンでオーダーしてみた。今度娘と一緒に見て、いろいろと話をしてみようと思う。
親でさえ悪戦苦闘中なのだ。あまり偉そうな事は言えない。ただ自分の足できちんと歩いて行ける大人になってもらうためには、歩く練習には真面目に付き合ってあげたいと思うのである・・・
2013年4月18日木曜日
Amazonが便利
その昔、長野県の御代田という町に住む従兄弟の家に、毎年春休みと夏休みに遊びに行っていた。かれこれ35年ほど前になるが、当時従兄弟の家の周辺はと言えば、買い物には不便なところだった。何か買おうと思っても、近所にあるのは小さな店が一軒だけ。
今でもよく覚えているが、その小さな店の戸を開けて中に入ると畳の上に商品が並べてある。とりあえず日用雑貨やお菓子などが、売られているような店だった。もちろん、すべて定価である。それでも他はと言えば、30分ほど歩いて駅まで行かなければいけなかったから、大概はそこで済ませていたようである。
翻って今は便利な世の中だ。特にネットショッピング。私もよく本を買うが、Amazonでオーダーしておけば、2~3日で家に届く。あちこちで手に入れたポイントをAmazonのギフトカードに交換して使っているから、お金もそんなにかからない。すっかり愛用している。
私にとって便利な“本屋”だったが、最近遅ればせながら本以外にも品揃えがかなり多岐にわたっているのに気がついた。以前から何となく気付いてはいたが、「本屋に電球を買いに行く」ような違和感があって、あまり意識していなかったのである。
「本はAmazon、その他は楽天市場」
何となくそんな棲み分けをしていた。
ところが、気がついてみると実にいろいろな品揃え。家電からファッション、なんとスイーツまでジャンルは多岐にわたっている。先週末にラグビーの練習に行き、25年前のジャージはさすがに古臭いので買い変えようと試しに検索したら、「あった」。娘が電子辞書が欲しいと言い出したから、どんなものかと試しに検索したら、「あった」。おじさんにグローブを買ってもらった息子に、軟式ボールを買ってやろうと思って検索したら、やっぱり「あった」。
ネットショッピングも最初の頃は、直接手に取って見る事ができないから、ファッションなんかは向いていないなんて言われていたが、ジャージなんかはどんなものか大体わかるし、値段もそんなに高くないから「えいや!」で買っても後悔はしないだろう。電子辞書に至っては、「Amazon限定モデル」なんてのもあるから、下手に家電量販店に行くよりいいかもしれない。まぁさすがにボール1個なんてのは向いていないかもしれないが、モノと値段の参考にはなる。
いつも行っていた1階の本屋だが、気がついたら2階から上は百貨店だったという感じである。これだと楽天もうかうかしていられないのではないだろうか。これからは、否が応でも両者を比較してから買う事になるだろう。同じものなら価格勝負になるが、やっぱりそう大して変わりない。
するとポイントなどの付帯サービスになるが、この点では楽天カードのある楽天の方がちょっとお得感がある。買い物やアンケートで溜まったポイントが使えるから、若干有利だ。だが、先の電子辞書のように「限定商品」などがあると、Amazonも負けていない。モノによってあれこれと比較検討する事になるのだろう。
それにしても、最近ではおもちゃを始めとして、家電以外でも“リアル店舗”では家電量販店が便利な事この上ない。ネットではAmazonか楽天か。欲しいものはまず“検索”。それから、「どこで買おうかな」だろうか。
息子の軟式ボールは取りあえず近所の高田スポーツに見に行った。狭い店内に入ると、店主ご夫婦が揃ってお出迎え。他に客はいない。笑顔で要件を聞かれ、野球のボールと答えると、サイズの説明をしてくれた上で真新しいボールを箱から出してくれた。「400円です」と言われ、瞬間的に「高いな」と思ったものの、断れる状況にはなく1個買って帰ってきた。
まぁこういう商売も、まだまだあって良いと思うのである・・・
2013年4月14日日曜日
やっぱり走ろうと思う
我が母校の大学ラグビー部にはシニアチームがある。現役を引退したが、まだボールを持って走りたい人たちが集まって、月に一回練習しているのである。
以前から声をかけられ誘われていたのであるが、まだ子供も小さいから遊んであげないといけないだろうとか、高校の財団関係のボランティアをやっているからそんなに時間を割けないとか、あれこれ考えて見送っていたのである。
しかし、やっぱり体を動かしたいという気持ちはあるし、それが12階のオフィスまで階段を上がる事とか、流行りのウォーキングだとかよりも、やっぱりボールを持って走るのがいいだろうと、とうとう重い腰を上げた次第である。
仕事から帰ると、腕立て伏せ・スクワット・腹筋のメニューをこなすのを日課としていたから、何となく基礎的な運動はできていると思っていたので、事前にトレーニングをしようなどとは思いもしなかった。
そして当日、春めいた心地良い陽気の中、国立にある母校のグラウンドへと向かう。我が街から国立までのルートは、かつて通勤経路でもあった道のり。西武池袋線の秋津駅からJR新秋津間は少し離れていて、乗り換えには3分程度歩かないといけない。知らないうちに飲食店や本屋などの店舗がたくさんできていた。考えてみると、このルートを通る事さえ10年振りくらいかもしれない。
JR国立駅も大きく様変わりしていた。5年ほど前にOBの寄付で出来あがった人工芝グラウンドを初めて目にする。懐かしい部室は、ロッカーのレイアウトが変わったままで、ほぼそのまま。自分の名前を書き込んだロッカーもどこかに残っていると思うと、「帰ってきた」感がある。トレーニングルームは立派なものができていた。現役時代にこんなトレーニングルームがあったら、たぶんグラウンド滞在時間が1時間は延びていたように思う。
さて諸先輩に挨拶を済ませて練習が始る。10分ほどで同期が一人リタイア。彼の運動不足も相当なものだ。軽く走っていたつもりだが、いつの間にか足に違和感を覚える。まだ全力疾走していないのに、だ。心臓の方はそれほどでもなかったが、それはつまりそこまで激しく運動していなかったという事に他ならない。
何とかリタイアだけは避けたいと、(20も年上の先輩が走っているから尚更だ)最後まで参加したが、それが精一杯。帰りはキャンパス内を散歩でもして帰ろうか、などと考えていたのだが、それどころではない。同期に頼んで駅まで車で送ってもらい、足を引きずりながらやっと帰りついた有り様。家に帰っても、「足が痛い」などと口にしようものなら、「それ見た事か、年甲斐もなく」と妻に罵られるのがわかっていたから、じっと忍の一字。妻の肩こり用のしっぷをこっそりくすねて貼って耐える。
正直言って運動不足がここまで酷いとは想像もしていなかった。自分の体が自分の思う通りに動かない。いくつになっても元気にグラウンドを走り回りたいとは思わないが、昔は簡単に振り切っていた同期に追いつけないというのもなかなかのショック。これを反省材料にして、少し体を動かそうかという気になっている。
モチベーションアップのために、まずはジャージを新調しよう。25年前のジャージはさすがに指摘されるまでもなく時代遅れだ。ボールを持ったのは、考えてみれば5年ぶりだったが、その感触は昔のままだった。懐かしい感触を糧に、頑張ってみようか。少し継続すれば、すぐにある程度は戻るだろう。まずは走るところからだろうか。
一夜明けて筋肉痛は甚だしいが、何だかちょっと心地良い気がするのである・・・
【今週の読書】
2013年4月11日木曜日
中学時代
娘が中学に進学した。小学校は入学式も卒業式も参列したが、さすがに中学は行かなかった。またすぐに卒業となるような気がする。いつの間にかどんどん大きくなっていく感じである。楽しい中学校生活を送ってほしいと思うが、自分の中学時代はどうだっだろうとふと思う。
品川区立荏原第六中学校に入学したのは昭和52年のことだから、もう36年前という事になる。正直言って、入学当時の事はほとんど覚えていない。ただ、他の小学校から上がってきたツッパリがあれこれといて、暗澹たる気持だったのをほんのりと覚えている。小学校時代もジャイアンみたいな奴がいたが、それがあちこちから集まってきていたのだ。
当時は私も気が弱く、喧嘩なんて口先だけだったから、からまれない事を願うばかりだった。手先になるのは嫌だったから、大体近寄らないようにしていたと思う。それでも同じ学校、同じ学年の悲しさで、何度も接触をしたが、その都度うまく逃げていた。1度だけ殴られたし、カンパと称して100円巻き上げられた事があったが、その程度で済んだと言えるかもしれない。
その後高校でラグビーを始めるのだが、体を鍛えて筋肉がついてくると度胸も備わってきて、おまけにぶつかり合いに慣れたせいか、喧嘩度胸もつくようになった。今にして思うと、あの頃今の度胸があったら上を向いて堂々と廊下の真ん中を歩けただろうし、ずっと楽しい中学生生活だったのではないかと思う。中学時代を思い返してみると、あまり明るい気持ちにならないのは、半分くらいはツッパリグループから逃げていたような思い出ばかりだからだろう。
高校は受験というフィルターを通るせいか、譬えれば澄んだ水のようで、ツッパリグループなどは存在しなかった。高校に入って何より嬉しかった事だ。それに比べると中学はいろいろと混じり合った泥水の中で、それなりの逞しさがないと楽しくは過ごせなかったのだ。
2年になって、バスケ部に入部した。なぜ1年から入らなかったのか、もう覚えていない。それなりに運動神経も良かったから、すぐにある程度のレベルには達した。ただ1年からやっていたメンバーがいたから、3年になってもレギュラーにはなれなかった。高校に入ってバスケ部に入らなかった理由は、身長が足りないと思った事と、中学でレギュラーになれなかった引け目があったからである。
バスケ部でも思い出と言えば、試合に途中から出してもらった事と、1年上の先輩から理不尽なシゴキを受けた事だ。練習を休んだという理由で、先生のいない時に休んだメンバーだけで“特訓”を受けさせられたのである。そのあと1週間くらい激しい筋肉痛で苦しんだ事を覚えている。ここでも思い出は、良い悪いが半々だ。
英語の授業は印象的だった。山口先生という慶応出身の20代後半の若い先生が教えてくれたのだが、英語の発音がネイティブ並みで、日本人でも流暢な英語が喋れるのだと希望を持たせてくれた。海外経験もあって、授業の合間に話してくれるアメリカやアメリカ人の話がとても面白かった。英語が好きになったのは、間違いなく山口先生のおかげだろう。
だが、3年になると転任してしまった。後任は“じゃぱにーず・いんぐりっしゅ”の中年の先生だったから、その落差たるやナイヤガラの滝レベルだった。こうして振り返ってみると、楽しかった思い出も嫌な思い出も、みんな友達や先生が絡んでくる。学校の思い出は、みんな周りの人たちとの思い出だから当然なのだが、それだけにどんな友達や先生に巡り合うかが、大きな影響を及ぼすことになる。
娘の通う中学には、どんな人たちがいるのだろう。娘が通うのは、地元の公立中学。雑多な泥水となるわけだが、自分の経験の割には、そういう泥水も成長過程では良いかもしれないと思ってみたりもする。どんな中学校生活になるかわからないが、それでも我が娘だし、泥水の中だけにできるだけ関心を持って見守ってあげたいと思うのである・・・
2013年4月7日日曜日
我が街
我が街大泉学園に住み始めて、早や17年になる。
その年数はほぼ結婚年数とイコールである。
元々実家は品川区であるが、関西人の妻と結婚するにあたり、どこに住もうかと考えこの地を選んだのである。
元々土地勘があったかと言うと、実はそれほどでもなかった。
当時、銀行のラグビー部に所属していた私は、週末には我が街の沿線にあるグラウンドに通っていた。我が街はその途中にあり、何となく馴染みがあったという程度である。
結婚する事になり、当時住んでいた千葉県は船橋市の独身寮を出る事になったのだが、どこに住もうかとあれこれ考えた。妻は関西人だから、どこだろうとわからない。
まさに私の一存で決められるという状況。
あれはそう何度も味わえるという経験ではないが、楽しいものであったと思う。
実は、最初は隣町の石神井公園にしようと考えていた。
何よりも近くに大きな公園があるから、週末の早朝に散歩したりしたら気持ちいいだろうと思ったのである。予算と睨めっこしながらいくつか物件を見てみたが、気に入った物件に出会えず、不動産屋のお姉さんの提案で一つ先の町にまで足を伸ばしたところ、最初に住んだマンションに行き着いたという次第である。一目惚れと言えば大げさだが、私も妻も一発で気に入ってしまったのである。
以来17年。
当時田舎情緒溢れていた駅舎は、その後劇的に駅ビルへと生まれ変わり、駅周辺の様子は一転してしまった。先見の明があったとも言えるが、個人的にはあの頃のローカル線の雰囲気漂う旧駅舎の方が良かったと今でも思っている。
「いつか住むなら映画館のある街がいい」と思っていたが、我が街には映画館もちゃんとある。たまに深夜のナイトショーを観に行き、ほとんど貸切状態で映画を堪能する事もあるが、車だと5分で帰ってこられる距離である。この深夜のナイトショーは時折楽しんでいるが、贅沢な気分にさせてくれるものである。
そして藤沢周平と松本零士という、小説と漫画の世界で私が好きな作家がともに住む(住んでいた)所でもあり、映画と本と漫画と3つの趣味で愛着を感じる事ができる土地である。
家の近在には畑が点在する。100円を入れて野菜を持って行けるスタンドはあちこちにあるし、いちご農家なんかもある。
川の源流があって、そこは公園となっている。
川には鯉が泳ぎ、カモが親子で水浴びをし、亀が甲羅干しをしている。
子供たちが小さい頃は、よく見せに連れて行ったものである。
そんな自然環境が残りながら、交通の利便性も割合恵まれている。
どこであろうと「住めば都」である事は確かであるが、それにも関わらずこの地は住み心地の良いところだと自負している。
難を言えば、戦後人口が急増した土地で歴史が浅いためだろうか、お祭りのような地域行事があまり盛んでないところだろうか。昭和30年代の航空写真を見た事があるが、我が家を含む周辺は一面の田畑であったようだ。子供たちの通う小学校も開校から50年ちょっとの歴史しかない。実家のある武蔵小山界隈の地域と比べると、人々のつながりは希薄かもしれない。
子供たちが大人になった時にどこに住むかはわからないが、我々夫婦は何事もなければこのままこの地で暮らしていくつもりだ。考えてみれば子供たちにとって、この地は“故郷”だ。
良いところだし、この地を選んで正解だったと思うし、終の棲家としたいと思うのである・・・
2013年3月31日日曜日
25年
期末であり、年度末でもある3月が終われば、また新しい年度。
今年も多くの新入社員が社会に出てくるのだろう。
ふと気がつくと、明日1日で社会人になって26年目となる事に気がついた。
もう四半世紀働いている事になる。
銀行員として25年。
すっかりプロの銀行員(と自負している)として定着したが、これが天職だっただろうかと考えると、どうだろうかと思えてくる。数字を扱う商売なのに、細かい数字は嫌いときている。
しかし決算書などの数字をあれこれと眺め、そこから何らかの意味を見出したりするのは好きである。企業の特徴は数字にきちんと現れるから、そんな数字を読みとったりするのは好きだったりする。仕事は面白いかと尋ねられたら、迷いなく面白いと答えられるから、まぁ良いと思う。
大学に入る時、将来は弁護士になろうと思って法学部の門を叩いた。しかし3年になって法律の勉強を専門的に始め、そして1年やってみて自分には向いていないと思った。その結論には満足しているが、何せその時はもう就職活動が始る時。方向転換するにも時間がない。今でも「教養課程」と称する1~2年の大学の授業のあり方には疑問に思うところである。
就職活動にあたっては、マスコミ(報道記者)と銀行と二つに絞った。
マスコミの方は、就職活動中に何となく自分の中のイメージと現実の姿がずれてきて、結局やめにした。その後、湾岸戦争時に真っ先にバクダッドから避難した日本のマスコミを見て、自分の出した結論は間違っていなかったと実感した。もしも日本にCNNがあったら入っていたかもしれないし、入らなかったら後悔していたかもしれない。
銀行を思い描いたのは、4年まで就職など考えてもいなかったので十分な企業研究ができなかったのと、法学部卒で経済もわからないのに社会に出てやっていけるのかと不安になったからだ。その点、お金という社会の“血液”を扱う銀行ならば、ある程度勤めれば社会の基礎がわかるだろうと考えたのである。もしもついて行けなくなって辞めたとしても、経理の知識ぐらいつくだろうし、どんな業種のどんな企業だろうと経理のない会社はないだろうし、何とかなるのではないかと考えたのである。
それから25年働いた今となってみると、たぶん経理でも財務でもどちらだろうとどこでも人並みにはこなせると思うから、贅沢さえ言わなければ仕事はできると思うし、思った通りにはなったわけである。銀行の中でも企業財務と接点のある部署をこなしてきたから、門前の小僧よりは経を習ったと言えるわけである。
何の職業にしてもそうかもしれないが、銀行も良いところと悪いところがある。
その中で、自分としてどんなやり方で仕事をしていくかというのは、途切れなく続く自分の課題のような気がする。
2013年3月28日木曜日
卒業式
期末の忙しい時期であったが、半日休暇をとって参列。
一般に卒業式と言っているが、正式には「卒業証書授与式」となっていた。
そうだっただろうか、と記憶を辿ってみるも思い至らない。
まあそんなものなのかもしれない。
早いもので、入学したのがついこの間のような気がする。
子供の成長は早い、と昔から言われているが、最近その通りだと実感する。
ランドセルに隠れていたような後ろ姿も、いつのまにか同じランドセルが小さくなっている。
今年は桜の開花が早く、入学した時と同じ桜の花の下での卒業式となった。
卒業式が近付くにつれ、「寂しい」と事あるごとに娘は漏らしていた。
幼稚園の卒園の時はニコニコしていたものだが、当日の娘は妙に神妙な表情。
おニューの洋服なのに、あんまり嬉しそうでもなかった。
やっぱり6年生ともなると、感情もそれだけ豊かになるのだろう。
式は「君が代」とともに始る。
こういう時は私もしっかり歌う。
そしてすぐに「授与式」。
130人が一人一人壇上で卒業証書をもらう。
娘の番の時は、漏らさぬようにビデオを構える。
あちこちで鼻をすすりあげる音が聞こえる。
お母さんたちも、子育ての一つの節目を迎え感無量なのだろうと、ふと目をやれば何とお父さんがハンカチを目に当てていた。
最近はついにここまで来たかと思う。
授与が終わると、校長先生の挨拶。
それは良いのだが、来賓の挨拶で指名されたのは、練馬区の文書なんとかの課長さん。
区長、教育委員長の代読だと断っての挨拶。
それを聞きながら、区長とか教育委員とかは区立の小学校の上部団体に当たるのではないかとふと思う。校長からすれば、「上司」ではないか、と。「上司」が主賓って言うのも変ではないのか、とくだらないことが脳裏を過る。たぶん、あの場でそんな事を考えていたのは私だけかもしれない。
130人みんなが順番に言葉を交わす。
そう言えば、自分も小学校卒業の時にやったよなと思う。
しかし、残念ながら「蛍の光」と「仰げば尊し」は歌わなかった。
これも時代なのだろうか。
退場する娘は涙顔。
乱暴者で有名なクラスメイトも何だか神妙な顔つき。
私も自分の小学校の卒業式では、あんまり好きでもなかった担任の先生に最後に握手してもらいに行った事を、ふと思い出した。
やっぱり当時の乱暴者も先生と握手していた。
そういう雰囲気があるのかもしれない。
「次は息子だな」と呟くと、「その前に中学の卒業式よ」と妻に言われた。
そうだ、息子はまだ1年。
その卒業前にもう娘は中学を卒業だ。
次もあっと言う間だろう。
あんまり急いで大人にならなくてもいいのだがと思う親父の立場なのである・・・
【本日の読書】

2013年3月21日木曜日
税金
ネットビジネスで巨額の年収を稼ぎだすある人物は、昨年家族ともどもシンガポールへ移住した。かの国の方が税金がはるかに安いというのがその理由。何でも家一軒建つほど違うらしい。日本の国に住むというメリットを放棄する価値があると言うことなのだろうが、アメリカなどでも話題となっている富裕層への課税はこういうリスクをはらんでいる。
豊かになればなるほど、あの手この手と節税策を工夫する事になる。節税か脱税かは微妙なところである。当然バカじゃないだろうから、税理士などが総力を結集して「節税」に取り組んでいる事は間違いないだろう。税理士にしても、いかに納税額を少なくするかが顧客を繋ぎとめる生命線となるから、あの手この手と工夫を重ねる。あれこれ研究して法の網の目をくぐり抜けると、くぐり抜けられた網の目はすぐにふさがれ、そしてまた次の網の目を探す。まさにイタチゴッコの世界だ。
我々のこの世界は当然税金で成り立っている。だから納税は市民の義務であるし、積極的に納めるべきものであるし、高額納税者は世間の尊敬を集めても当然だと思う。とは言え、そうした総論はともかく、実際に自分が納めるという各論になれば、「出来る限り少なく」と思うのは人の常、総論賛成各論反対の場となる。
サラリーマンは源泉税として否応なく持って行かれるから逃れようがないが、自営業者や会社経営者は日頃から節税意識が鋭い。ただ実際に本当にわかっているのかどうか怪しい人もいる。例えば「税金で落ちるから」と領収証をもらう行為。本当に使わないといけないなら仕方ないが、「(税金で)落とせるから」と使わなくてもいいお金を使うのは問題だ。
なぜなら税金で控除されるにしても、(交際費なら)損金算入限度額の制限があるし、その範囲内だとしても使ったお金が全額戻ってくるわけではないからである。例えば、法人税が約40%とすると、10,000円の利益で税金は4,000円。税金を払っても6,000円は手元に残るが、「落とせるから」と10,000円使えば、当然10,000円がなくなる。4,000円を「節税」するために、10,000円使うと言う事になりかねない。
まあ本当は認められない「家族での飲食を会社の交際費にする」といったものなら、使わざるを得ない(個人の)10,000円を使ってさらに(会社の)税金4,000円も節税してしまうと言うことになるので、理屈は通る。あれこれ節税に務めるのは「年貢米」の昔からそうなのかもしれない。
ただ、その使い道を見ていると、やっぱり納税意欲は減退する。3月ともなれば、年度末で「予算消化」のための事業があちこちで行われていると耳にすると、やっぱりそう思う。単年度会計の弊害なのだろうが、獲得した予算はその年度に使わないと次の年から不要とされてもらえなくなる。だから何が何でも使う事になる。民間のように、「無駄に使わずに貯めておいて使う」という事はできない。
映画『プリンセス・トヨトミ』では、税金の無駄遣いをチェックする会計検査院が登場した。その仕事は重要だと思うが、「無駄使い」はチェックできても、予算通り使われていれば、「本当は工夫すれば使わなくても済んだ」というところまではチェックできないだろう。予算を使わないで済ませられたら、その分必要な時に優先的に配布されるとか、賞与に反映されるとか、そうした仕組みがないと、一歩さらに進んだ「無駄の排除」はできないだろう。
税金でも何らかの団体の会費などでも、有益に使われていないという事は、納付のモチベーションを著しく下げる。正しく、あるいは有益に使われていると実感できれば、少しは余分に納めようと言う気にもなるが、そうでなければ例え100円でも惜しいと思う。
丸源ビルのオーナーが「ゲーム感覚」で節税する目的がなんであるかはわからない。使い道に対する不満なのかもしれないし、それともただ単に国家に取られる事が嫌なのかもしれない。ただ、80歳を過ぎて独身で家族もいないと言う。そうすると、その莫大な資産は何もしなければ国庫へ行く事になる。だとすれば何のために節税に勤しむのであろうか。
もしも金の亡者ではなく、ゲームとしての節税を楽しむのが目的で、貯めるだけ貯め込んで、節税するだけ節税して、最後にはすべて国庫に寄贈するつもりでやっているなら、実はあっぱれな人物なのかもしれない。願わくば、喜んで税金を納めたくなるような使い方をしてほしいものだし、いかに税金を納めたかが称賛されるような社会であってほしいと思う。
個人的には今のままでも年収が2倍になったら、喜んで税金を払うと思うところである(たぶん)・・・
【本日の読書】
2013年3月17日日曜日
レ・ミゼラブル
毎月1回は映画館に足を運んで、その時上映されている映画を観に行く事にしている。先月観に行ったのは、『レ・ミゼラブル』。正直言って、ちょっと遅れた鑑賞であった。
内容的には言うことなしで、1996年版と比べてもそれを上回る良い映画であった。そして例によって、映画を観ながらいろいろと考えた。
舞台は19世紀前半のフランス。貧しい民衆が蜂起してなされたフランス革命によって王政が倒されたものの、庶民の生活は依然苦しいまま。主人公のジャン・バルジャンは、パン一切れを盗んで投獄され、19年を獄中で過ごす。酷い話ではあるが、パン一切れがそれだけ(19年と言っても窃盗で5年、そのあとは脱獄の罪)貴重であったという裏返しだろう。
アン・ハサウェイが演じてオスカーをとったファンテーヌは、工場で働いている。背景はわからないが、一人身で幼い娘を他人に預けて働いている。たぶん、一緒に暮らすゆとりはないのだろう。賃金は少なく、娘の預かり料を送れば残りは食べるのが精一杯の様子。それでも職があるだけマシで、外には食べ物を求める人が絶望的な列をなしている。
そんな状況のファンテーヌは、トラブルから工場を首になる。娘の生活のためには仕送りが欠かせない。どうにもならない中、わずかなお金のために泣く泣く髪を売り、そして体を売る。前半のクライマックスであるアン・ハサウェイの歌う「夢破れて」は、こんな状況を見ているからよけいに胸を打つ。「お金で幸せは買えないが、不幸は追い払う事ができる」という言葉は、まさに真実である。
翻って21世紀の日本。生活保護というシステムがあり、19世紀のフランスのような悲劇は起こらないようになっている。世の中の進歩という意味では誇らしいところであるが、最近は逆に生活保護の高額支給や不正受給が問題になっている。不正受給については、過去最悪の件数だと言う。
先日の朝日新聞には、生活保護として毎月29万円を受給している女性(41歳子供2名)が、困窮を訴える記事が載っていた。住居費5万4,000円、被服費2万円、子供の習い事4万円、交際費1万1,000円、携帯代2万6,000円、貯蓄1万5,000円などとの内訳も明らかにされていた。
これを朝日新聞のように“困窮”と見なすかどうかは難しいところであるが、個人的には結構楽な暮らしができていると思う。
働かなくても二人の子供に習い事までさせて、携帯など我が家(夫婦合わせて)の2倍も使って、少しではあると言え貯蓄までできるわけであるから、ファンテーヌから見れば天国のような国に思えるだろう。それだけ弱者を保護できる財力があるなら問題はないが、積み上がった借金が減る気配もない我が国の財政事情を考えると、やっぱり“過ぎたる”ものに思えてしまう。
住居費などは、今は公営住宅に空き部屋がかなりあるようだからそういう部屋を使えば不要になるのではないかと思ったりするし、習い事や我が家の2倍の携帯代って何だと思うし、それにも関わらず貯蓄までできてしまうなら、この人は働きに出て生活保護を打ち切られたら確実に“困窮”すると思えてしまう。今は本当に良い社会と言えるのだろうか。
ジャン・バルジャンは、仮出獄後の社会の冷たさに世話になった司教から銀の食器を盗み出す。警察に捕まって司教のところに連れられてくるが、司教は「それはあげたものだ」と答える。そしてあろうことか、銀の燭台までジャン・バルジャンに手渡す。その広いキリスト教的な愛に触れ、ジャン・バルジャンは改心する。そして人々に善行を施し、子供を案じながら息を引き取ったファンテーヌの子コゼットを引き取って育てる・・・
19世紀のフランスよりもはるかに豊かな現代の我が国。果たして心も同じくらい豊かになっているだろうか。少子高齢化がこれから益々進む。支えきれぬほどの老人と借金とを託されて、我々の子供たちは幸せな暮らしを送れるのだろうか。中国のみならず、これからインドやインドネシアなどが発展していくだろう。東京のような都市がアジアにたくさんできるだろう。いつまでも「経済大国」と言っていられるのだろうか。
いずれやってくる老後の未来に、自分たちや子供たちが、レ・ミゼラブル(哀れな人々)にならんことを願わずにはいられないのである…
2013年3月13日水曜日
それをお金で買いますか2
この本には、議会の傍聴席や病院の整理券を獲得するために、「並び屋」を使う例が紹介されている。実際に並ぶのはホームレスなどであり、「並び屋」を営む会社は彼らを雇って並ばせ、それを欲する人に売る。並ぶのが嫌な金持ちはお金を払って嫌な事を回避し、ホームレスは収入が得られ、両者を結ぶ仲介会社も潤うという三方良しの商売である。
日本人はかなり平等という事を意識する国民であるからか、この手の話はあまり聞かない。
みんな公平に並ぶのが当然という雰囲気があり、それをお金で買うことを良しとしないところがある。むしろ金にモノを言わせるという行為を低俗な行為ととらえるところがある。
せいぜい予約してあれば優先されるのもやむなしと思う程度であろう。
そう言えばかつてアメリカのユニバーサル・スタジオに行った時、“Front of Line Pass”という行列に並ばずにアトラクションに乗れるチケットを利用した。当然普通のパスより割高なのであるが、できるだけ一度でたくさん体験したい海外旅行者にしてみればありがたいものであった。日本のディズニーランドには、ファストパスがあるが、これは一定のルールで並べばもらえるものである。「金で買う」アメリカと「金で買うのを良しとしない」日本の違いが表れていると思う。
それに連想してダフ屋が浮かんだ。コンサートや何らかのイベント会場の外で、「チケットないチケット?」、「チケットあるよ!」とガラの良くないおじさんたちが声をかけてくるアレである。条例などで禁止されているようであるが、本当のところ違法行為なのかどうかは知らないが、実際には大っぴらにやっている。ダフ屋などからチケットを買おうなどという気にはならないが、かつて一度だけ買おうと思った事がある。
あれは1995年10月9日の東京ドーム。
今や伝説とも言えるプロレスの試合があった。
絶対観に行きたいと思ったが、その日は平日。
銀行員という仕事柄、当時はやたらに休めなかった。
もちろん、そんなに早く仕事は終わらない。
泣く泣くチケットを買うのを諦めていたが、当日になってやっぱり諦めきれず、最後のメインイベントだけでも観たいと思い、仕事が終わってから東京ドームに駆けつけた。
当然当日券など残っているとは思えなかったから、ダフ屋から買おうと決めていた。
値段も構わないと覚悟して行った。そうして何とかまだあと数試合は観られるという時間に東京ドームに着いたのであるが、周りは人気が無く閑散としている。ダフ屋らしきおっちゃんは影も形もない。何とあまりの人気にダフ屋もソールドアウトだったのである。
唯一ダフ屋からチケットを買ったかもしれないチャンスだったが、残念ながら購入には至らず。ただやっぱり時としては、法外な値段を払っても買いたいという事はあるものである。
後日、当日の試合をテレビで観たが、それまで観たいろいろな試合の中でもベストと言える満足度で、当日もし生で観ることができていたら、例えチケットに正規料金の2~3倍の値段がついていたとしても満足しただろう。
日本的な平等の精神はやっぱり良いと思う。
ディズニーランドでは常にファストパスを求めて走り回るのがパパの役目だとしても、それで手に入れられるなら走り回ろうじゃないかと思う。
ただ、やっぱりせっかく行った海外旅行先のテーマパークでは、多少高くても安心していろいろなアトラクションを利用できるチケットがあるならば、お金を出して買いたいと思うし、そういうサービスも悪くはない。混雑した病院では、子供を連れて行った時などは優先して診てもらいたいものだとよく思ったものだ。
お金を出して買えるモノと買えないモノ、売り買いの対象として良いモノとそうでないモノ。アメリカ人と日本人の感覚は異なるが、その異なり具合をあれこれと考えてみると面白い。マイケル・サンデル教授の投げかける問いはいつも面白いとつくづく思うのである・・・
【本日の読書】








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