孔子はしばしば過去の君子を褒めたたえる。しかし、それがどんな様子だったのかまでは明らかにされていないので、何がどれほど素晴らしかったのかわからない。「大きく荘厳な君徳」とはいったいどんな君主だったのかと興味深い。そもそも名君の条件とは何であろうか。前回も同様の話であったが、世の君主は誰もいい点と悪い点があり、無条件で名君とは決めかねるように思う。ある人にとっていい施策が別の人には不利益である事も珍しくないだろう。名君の条件とは何であろうか。現代に置き換えれば、さしずめ「良い政治家とは」という事になるのだろうか。
先日、就活の学生に何気なく「日本の総理大臣は誰だか知っている?」と聞いたところ、驚いたことに答えられなかった。家に帰って恐る恐る息子に同じ質問をしたところ、「石破茂」と、なんでそんな当たり前の事を聞くのかと言いたげな怪訝な顔をして答えてくれた。ちょっと安堵したが、知らない方が悪いのか、知られていない方が悪いのか、微妙なところであるが、どちらにしろ日本の総理大臣は、日頃何をしているかよくわからないし、我々の生活に直接の影響を及ぼしているように思われないせいかもしれない。
戦後の日本の総理大臣は何人もいるが、メジャーなところでは、吉田茂、岸伸介、佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三といったところが挙げられる。みなそれぞれに功績があり、優れた宰相だとは思うが「名君」かと聞かれると答えに窮してしまう。そもそも「名君」の条件がよくわからないし、表に現れない人となりもわからない。ただ、日本のトップの地位に上り詰めたわけであるから、それなりに優れた人物であることは間違いない。民主主義のリーダーは独裁者ではないから、すべて1人で決めるわけでもない。名君かどうかはよくわからない。
歴代の総理大臣の中には、女性問題でわずか3か月ほどで辞任せざるをえなかった人もいる。小沢一郎のように力があっても総理大臣になれなかった人と比べてどうなのかと思う。総理大臣がすべてではないが、「名君」を考えるなら総理大臣の立場にあった事が必要になるだろう。それにしても総理大臣になった時には得意絶頂だっただろうに、わずか3か月で辞任せざるをえなかった心境はいかばかりだっただろう。「英雄色を好む」ではないが、みんなそれぞれにそういう相手はいただろうにと思う。
名君と言っても、人間である以上、完全無欠で非の打ちどころのない人物などいないだろう。であれば、女性問題くらいどうという事もないように思うが、「男には2種類しかいない。浮気をする男とそれがバレる男」(ドラマ『夫婦の世界』)という言葉を鑑みれば、バレる時点でダメとも言える。芸能人なら袋叩きにされる問題であるが、「名君」の条件はやはり政策面であるだろうし、浮気の有無は「する、しない」ではなく、「バレる、バレない」であるのだろう。
政策面も後から評価されるという事もある。田中角栄など、金権政治で最後はロッキード問題で批判一色になったが、後に復権ともいうべき再評価がされている。安部総理も批判勢力がすごかったが、歴代最長の在任期間に現れているように、特に外交面で優れた実績があったと思う。想像でしかないが、総理大臣にまで登り詰めた人であれば、あと求めるのは名誉だけだろうから、善政を敷いて「名君」の評価を得られるようにするのではないかと思える。結果はともかく、みんなそれなりにいい政治を心掛けるのではないかと思える。
現代の名君とはどんな政治家になるのであろうか。名君であるかどうかはともかく、みんなそういう名君を目指してほしいと思うのである・・・
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