2025年9月27日土曜日

日本は多民族化するのか

 最近、身の回りに外国人が増えてきた。外出すれば大きなスーツケースを持った観光客に会わない事はない。勤務先は新大久保に近く、店舗を構えている韓国系の人はもちろん、その他の国の方もいて、(英語はもちろん、韓国語、中国語系、フランス語、ロシア語は意味は分からなくともそれとわかるが)聞いてもどこの国の言葉かわからない外国語が飛び交っている。我が社の今年の新入社員5名のうち1名は外国籍だし、中途採用でも2名の外国籍の社員を採用している。さらに来春入社予定の内定者7名のうち3名は外国籍である。中途採用においては人材紹介会社に斡旋を頼んでいるが、紹介される人材の8割は外国籍である。

 我が社は国内オンリーのドメステ企業であり、大手企業のように社内公用語が英語などという事はなく、日本語オンリーである。したがって、外国人の採用に際しては日本語能力を必須としている。しかも、日本語のレベルとして「N1」、「N2」、「N3」とあるうちの、最低でも「N2」というレベルを要求している。採用に至る外国人はみなこのレベルをクリアしている。そして採用に至る外国人はみな優秀である。通常のエンジニアとしての能力の他に日本語も習得しているわけであり、その努力には頭が下がる思いがする。

 翻って我が社の社員を見てみると(優秀な社員ももちろんいるのだが)、なんとなくのんびりしている者が多い。エンジニアは技術者であり、勉強が必要ではあるが、この勉強をあまりしていない者が多い。必要な範囲内ではしているのだろうが、貪欲にさらなる向上を目指してというほどではない。「資格にチャレンジします」と言っても、それは「取れれば取ります」という感じで、「何が何でも取ってみせます」という覚悟のほどではない。勉強に向き合う姿勢が違うのである。いわゆる「ハングリー精神」というものが顕著に違うのである。

 考えてみればそれも当然の事で、そもそも我が社の外国籍社員には「外国へ行って仕事をしよう」という強い意思があるわけである。何となく学校を卒業して、働かないといけないので就職して、というレベルとは次元が違う。「外国人だから優秀」というわけではなく、「優秀な外国人」が来日しているのである。それはミャンマーのように国内の政情不安から逃れて少しでも明るい未来を目指してという人もいれば、韓国や中国もそれぞれ自国に限界を感じての国外脱出であろう。言葉に不自由しない自国を出て、単身外国に行こうという決断は、考えれば大変だと思う。我が社に入社したメンバーには幸福をつかんでほしいと思う。

 日本の労働力不足も新聞で読むだけの現象ではなく、身の回りの現実である。そしてそれを外国人が埋めている。我が社の例だけではなく、飲食店やコンビニに行けば当たり前のように外国人が働いている。温泉地の旅館に泊まればそこにも外国人の仲居さんがいる。政府もそんな現実を踏まえ、移民政策の転換というのではなく、現行の制度内で門戸を開放しているように思える。私もかつては外国人が増えれば日本の繊細な文化が破壊されると思って移民には反対していたが、目にする外国人はみな日本の繊細な文化に馴染もうとしているように思える。何となく以前感じていた移民に対する考えは杞憂だったのかもしれないと思える。

 もちろん、例外もいる。交通法規がわからなかったのか、事故を起こす外国人のニュースはちょくちょく目にするし、刑法犯罪でも然り。しかし、だから外国人はダメというのもおかしなもの。日本人だろうが外国人だろうが人が増えれば事故も犯罪も増える。それをもって外国人はけしからんというのもおかしいだろう。ただ、物価の上昇に与える影響については歯がゆいものがある。都内の地価上昇には海外からの投資マネーが影響しているという。高値でもポンポン買うからマンションなども値上がりする。必然的に普通の庶民が手を出せなくなってしまっている。

 聞くところによると、ニューヨークではラーメンが一杯3,000円だと言う。日本に来れば半額以下で食べられる。となれば1,500円のラーメンを食べるのに躊躇しないわけであり、昼食費をいかに減らすかと頭を悩ませるサラリーマンには脅威である。インバウンド価格が浸透したら、とても昼飯を外では食べられなくなる。外国人には大いに来てほしいと思うが、物価高を連れてこられるのには閉口してしまう。日経新聞では中古マンションで億ションが話題に上がっていた。観光客には我が国で大いに気前よく消費していただきたいが、国内向けの価格転嫁はほどほどにしてほしいと思う。

 子供の頃のうっすらとした記憶では、外国人を見かけると「外人だ!」と思うくらい外国人は珍しい存在だったと思う。今はそれは遠い過去の話で、まわりで飛び交う言葉も英語だけではなくなっている。映画『ブレードランナー』ではどこの国かわからない文化がごっちゃになった街が出てきた。SFの世界と思っていたが、いずれ遠くない未来の東京の姿なのかもしれないとふと思う。ラグビーの日本代表チームはおよそ半分が海外にルーツを持つ選手が占めている。いずれ「日本人」が外見ではわからなくなる日がくるのかもしれない。

 そうなっていくのは構わないが、今の日本の居心地の良い文化だけは変わってほしくないと思う。自己主張の文化に謙譲の文化は脇へ押しやられてしまうと思っていたが、踏ん張ってくれるのならどこの国から来た人であろうと気にはならない。今の良き文化を守った「日本人」がこれから先も日本に住み続けてほしいと思う。ついでにきな臭い国際情勢も共存の精神であふれるのが理想的である。残りの人生で、そんな世の中を見られたらと思うのである・・・


Rupert Kittinger-SereinigによるPixabayからの画像

【今週の読書】

  全体主義の起原 新版(1) ハンナ・アーレント  数学の世界史 (角川書店単行本) - 加藤 文元  星を編む - 凪良ゆう






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