2023年11月26日日曜日

老いる

 母が先週86 歳の誕生日を迎えた。この週末、いつものように実家に行き、好きなショートケーキを買って簡単なお祝いをした。歳の話になり、父の祖父は70代半ばで亡くなったという話になった。帰ってきて調べてみると、亡くなったのは昭和24年で69歳であった。老衰だったと言うが、今の感覚からするとあり得ない。しかし、当時はそうだったのかもしれない。ちなみに祖父は先日亡くなった伯父と同じく89歳で亡くなっている。父も86歳。もうちょっと頑張れば祖父と伯父を抜く。私の目標にもなるし、頑張って欲しいところである。

 母方の祖父母も60代と70代で亡くなっている。今の感覚では若い。両親とも86歳であるが、この年齢は比較すれば長生きである。日本人の平均寿命は、男が81.05歳、女が87.09歳であり、母はまだだが、父は平均を超えたことになる。健康寿命という言葉があるが、父は耳が遠くなり、母も腰が痛いと繰り返し、定期的な通院が欠かせない。何をするにしても気力が衰えるのか、実家もだんだん雑然としてきている。家事を担う母も衰えは目立っており、料理もできなくなっている。歳を取るとはこういうことかと感じること、しばしばである。

 考えてみれば、機械も使っているうちに不具合が出てくる。スマホはバッテリーの持ちが悪くなるし、パソコンは反応が鈍くなる。私も昨年6年ほど使ったMacを買い換えたが、劇的にサクサク動くようになって感動した。人間は機械とは違うが、それでも機械と同様、細胞の劣化は免れない。髪の毛は白くなるし、怪我は治りにくい。シニアラグビーをやっているが、首も膝も痛めて一年以上経つがなかなか治らない。以前は楽にできていた筋トレがしんどくなってきているのも体が劣化しているからだと思う。

 自分ではなかなかわからないが、写真の推移を見れば自分が歳を取っているのがよくわかる。20代、30代が若々しいのは当然だが、40代そして50代の前半でさえ若いと感じる。それはすなわち現在の自分と比べてであり、当たり前だが確実に歳を取っているとそこで感じることができる。肉体だけでなく、記憶力の劣化も衰えを感じるところである。顔と名前が覚えられないのは元々としても、人に話した記憶や聞いた話もよく忘れる。仕事では困ることになるので常にメモを手放さないようにしているが、短期記憶力の劣化は自覚症状大である。

 そんな自分だから、もっと歳を取っている母の劣化もやむを得ないと思うしかない。つい3分ほど前に話したことを忘れてもう一度話す事はしょっちゅうだし、医者に言われた事もすぐ忘れる。同席した私が覚えていて注意するが、毎週末に行くたびに注意し続けてようやく先週末に自分からやっているのを見た次第である。腰も痛みを訴えているが、医者でもない私にはどうしようもない。せめて毎週顔を出し、買い物をして夕食を作って両親と一緒に食べて帰っている。一食でも作ってもらえると嬉しいらしい。

 母の記憶力の劣化は時折私を苛立たせる事もある。いまだに自転車に乗っている(本人は「押している」と言っている)のも危ないと、買い物カートを勧めて一緒に選んだ。赤がいいか青がいいかと散々迷った末、青がいいというので購入した。ところが本人はそれを使いたくないと言い出した。曰く、「そんなの押しているところを見られたら恥ずかしい」と言うのである。「年寄りに見られる」という発言には怒りを通り越して笑ってしまったが、それでもわざわざお金を出して買った身としては笑いたくないものがある。

 そんな母の姿を見ていて、そして自分自身の劣化を感じていると、「自分は大丈夫」という根拠のない自信も揺らいでくる。それどころか、「自分は大丈夫だろうか」という疑問の声が大きくなる。今から心配するのも無駄なことではあるが、少なくともやりたい事があるなら今のうちにとは思う。「仕事を引退してから」などと悠長なことを言っていたら、引退した時にはもうできなくなっているかもしれない。さもなくとも70歳まで働こうと思っているのだから、仕事をしつつやるという考え方でないといけないだろう。

 経年劣化はやむを得ない。見てくれも大事かもしれないが、見てくれのアンチエイジングよりも「機能」の劣化を防ぐ方向での努力は続けたい。ラグビーもまだまだ続けようと思う。たとえあちこち痛もうとも。まだまだ沢山本を読み、映画を観て、ドラマも観る。ラグビーもやって、観てと楽しむ。何よりその原動力となるのは気力だが、その気力は健全な肉体にこそ宿る。「まだまだ」という気持ちで、やっていきたいと痛む膝をさすりながら思うのである・・・

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【本日の読書】

 




2023年11月23日木曜日

人見知り

 自分の性格として認識している一つは「人見知り」である。基本的に一人でいることを好み、人と一緒だと落ち着かない。それでも友人や会社の同僚などはまだいい方で、初対面の人だとどうにも会話に苦手意識が先行する。駅員さんや店員さんなどとの事務的な会話は苦にならないが、仕事関係での持続的な会話となると精神的な負担が大きい。それでも会話の内容が必要な仕事の内容であるだけならまだいいが、これが私的な話になると負担感は増大する。人間誰でも得手不得手はある。それが私には「人付き合い」ということである。

 子供のころから引っ込み思案であったと思うが、いろいろと思い出してみるとそうでもない。友達の中でリーダーシップを取るタイプでもなかったと思うが、割と中心にいたことも多い。小学校の5、6年のころだったか、仲の悪かったKを野球チームの仲間から外したことがあった。クラス対抗で試合をしたのだが、どういう経緯だったのか忘れてしまったが、Kをメンバーから外したのである。レギュラーという意味ではなく、ベンチ入りすらさせなかったという完全な仲間外れである。そしてその中心人物は私であった。それは私とKとの対立の結果である。仲間外れは褒められたものではないが、ただそのあとすぐにKの逆襲にあって、第2戦は私が仲間外れにされたのだから「おあいこ」だろう。

 引っ込み思案どころか、劇の主役をやったこともあった。今でもなぜ学芸会の劇の主役に選ばれたのかは覚えていない。今の自分なら推薦されても絶対にやらないだろう。運動では走り高跳びではクラスで一番になったし、運動会では常にリレーの選手だったし、スポットライトの中心に近いところにいつもいたように思う。と言ってもそれは友達の中での話であるからかもしれない。その輪から外れたところではそうでもなかったと思う。小学校3年の時に近所の少年野球チームに入ったが、母に連れられて監督の家に入部希望の挨拶に行った際、蚊の鳴くような声で「入れてください」と言ったことを覚えている。

 人見知りとは言え、慣れてしまえば本領発揮というところだったのかもしれない。それでも本質的に他人との関わり合いに一定の距離を置きたいという気持ちは強くある。それをもっとも感じたのが社会人になってから。銀行に入った私が、やがて行員同士の会話にしばしついていけなくなったのは「行員人事」について。サラリーマンは人事情報に関心が高い。やたら行内の人事情報にみんな詳しい。「誰々はどこそこの支店長をしていた」という類である。「〇〇は出世コース」という話も、私は「よくみんな知っているなぁ」と感心していたものである。

 その手の人の情報にやたら詳しい人がいる。「〇〇はどこの大学を出てどこの支店にいた」とか、「今度の人事で〇〇になるんじゃないか」という話に関して、私はいつも蚊帳の外であった。思うに「そんなのどうでもいいじゃないか」という思いが強い。だから聞いても覚えていられない。「好きこそものの上手なれ」ではないが、みんな他人に関心があるからそういう話についていけるのだろうという気がする。私に一番欠けているのは、もしかしたらこの「他人への関心」なのかもしれない。

 人見知りとは言っても、「コミュ障」とは違う。他人とのコミュニケーションはうまく取れると思う。それはたとえ初対面の人であってもだ。それは仕事という意識もある。ただ、会話を継続するのにものすごくエネルギーを消耗する。だから会社帰りに同僚と一緒に帰るのも苦手である。帰りのエレベーターで一緒になった暁には、「この人はどの方面に帰るんだっけ」と一生懸命考える。しかし、もともとの無関心のなすせいか、以前聞いた記憶があっても覚えていなかったりする。そして苦し紛れにわざと「一服する」と言って時間をずらしたりするのである。

 それが今は、人事の採用担当として地方出張に飛び回っている。かつて今の社長が総務部長時代に切り開いた採用ルートを維持しているのだが、担当者の顔と名前を覚えるのに苦労している。その時々の会話はそつなくこなせるが、顔を覚えられない(コロナでマスクをしている影響もある)。さらにその人に関する情報を覚えられない。一緒に同席していた社長が前回の会話の内容を覚えているのに私は覚えていない。社長は自然に相手との交流を楽しんでいるが、私は「仕事」として無理なエネルギーを費やしているからそうなのかもしれない。これから大丈夫だろうかと案じている。

 Facebookでは友達の数が数百人という人がいるが、私は221人である。自分でも見事だと思うが、自分から友達リクエストをしたのはこのうち1人か2人である。基本的に「友達は100人より親しい人5人でいい」という考えである(実際、大学時代の友人は6人である)。それでいいのかと思うも、自分に無理なく生きるにはそういうやり方しかない。たぶん、親父の血を引いたのではないかと思う。幸い、その血は息子には受け継がれていない。私と違ってひょうきんで友達も多いようだ。ただ、残念ながら娘は私の血を引いてしまったように思えてならない。

 それでも長く付き合っている自分のそれが性格であるから仕方がない。パソコンで言えばOSであり、いまさら変えるのは不可能である。そうは言っても我が社のエンジニアにはコミュニケーションが不得意な面々もいるし、それよりははるかにマシである。今のところはその本性がバレないようにうまくやっていくしかない。これから先もうまくやっていくしかない。そしていずれ引退した時、この性格は「孤独に強い」という長所がある。その時は毎日一人きままに暮らしていけるのだろうと思っている。その時までは、人一倍エネルギーを費やしてでも、人見知りをなんとかごまかしていきたいと思うのである・・・



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【今週の読書】

2023年11月19日日曜日

仕事についての雑感

 大学に入るのに一浪した私は、卒業時に一浪の価値として、「一年働く期間が短くて済む」と前向きに考えたものである。定年の60歳まで働くとして、22歳で卒業すれば38年、23歳で卒業すれば37年働くだけで済む。あと一年でその60歳になる今思うことは、引退どころかいつまで現役で働けるだろうかという思いである。「最低70歳+α」というのが今の正直な気持ち。昔とはだいぶ考え方が変わったと思う。それは「70歳まで住宅ローンが残っている」という現実的な理由もあるが、仕事自体に対する考え方の変化も大きい。


 就職当時、私にとって仕事とは生きていくための義務であり、「しなくてはならないもの」、「避けては通れないもの」であった。しかし、今では「したいもの」、「できるだけ続けたいもの」に変わっている。「仕事は楽しいかね?」と聞かれたら、迷わず「楽しい」と答えるだろう。もちろん、実際の毎日はいろいろと予想外の出来事があり、思い通りにいかないことも多い。社員90名弱の中小企業は、とても業績安泰とは言えず、9月の決算も計画を大幅に下回り、先行きは厳しい。それでもそれはそれで楽しさに影響はない。


 そもそもであるが、仕事は何でもうまくいく、思い通りになると考えるとストレスになるが、「問題は起こるもの」という前提でいれば気持ちが凹むことはない。問題は頭が痛いし、厄介ではある。されど避けて通りないものであれば、そういうものだと考えればいい。ラグビーの試合でも相手がいるからこそ楽しいと言える。練習ではうまくいったサインプレーも相手がいれば思い通りにはいかなかったりする。それどころか負けて悔しいこともある。されどそもそも相手がいなければ、ラグビーは面白くも何ともなくなってしまう。問題があってこその仕事である。


 しかし、世の中には仕事が面白くないという人も多い。そういう人の仕事はどんな様子なのかと興味がある。つまらない仕事だからつまらないのか。内容ではなく、人間関係というのもあるかもしれない。とにかくやりたくない事は何であれやりたくないと思うのか。私の場合、比較的仕事は何でも楽しめるというところはあると思う。銀行を退職した9年前、再就職までしばらく間があったのでアルバイトをした。工場での梱包作業という軽作業である。仕事は単純だったが、それなりに工夫して楽しくこなした。単純な仕事でも楽しめると思う所以である(もちろんその仕事を10年も楽しく続けられるかというとわからないが・・・)。


 今は財務・人事を中心とした総務の責任者として経営の一翼を担っている。最近は小さい会社をM&Aで買収したが、自分がいなければやれなかったと思うし、会社を動かしていると実感できている。思う通りの仕事ができれば仕事はより楽しくなる。役員だから定年は関係ないし、世間では60歳で一旦退職し再雇用というのが一般的だが、給料は大幅に下がる。されど今の私にはそれも関係ない。会社が傾かない限りは今の収入をずっと維持できる。銀行員を続けていたらとても無理だったが、中小企業に転職したからこそ得られた自由と言えるかもしれない。


 そういう職に就けたのは運という要素が大きい。しかし、運だけでは当然ない。そこには仕事を楽しむというスタンスが良かったのだろうと思っている。今でも面倒だなと思うことは数多くある。されど、「我がものと思えば軽し傘の雪」である。問題は起こるものであり、それを解決するのが自分であり、それによって会社での存在感を示せるのであれば、問題こそ仕事を面白くしてくれる要因だとさえ言える。これから70歳まであと11年。できればそれ以上。楽しく働いていきたいと思うのである・・・

 

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【今週の読書】

  




2023年11月15日水曜日

論語雑感 述而篇第七(その22)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰天生德於予桓魋其如予何

【読み下し】

子し曰いはく、天てん德とくを予われ於に生なせり、桓魋くわんたい其それ予われに如しくこと何なにぞ。

【訳】

先師がいわれた。

「私は天に徳を授かった身だ。桓魋かんたいなどが私をどうにも出来るものではない。」

『論語』全文・現代語訳

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 「天に徳を授かった身」と自ら言ってしまうところが、自己主張の強い中国人気質なのか、日本人的には抵抗感のある物言いである。それはともかくとして、桓魋という人物との関係がよくわからない中、この言葉だけを採り上げて何かを論じるのは適さない。言葉はその時々の前後の状況によって解釈が変わるからである。一説によると、孔子は桓魋に命を狙われていたという。その理由はよくわからないが、己の信じるところに従い、危険などに怯みたくないという孔子の思いなのであれば、強い信念を感じる言葉である。


 自分に何か確たる考えがあり、それを他人によって変えさせられたくないというのは、現代でも良くあること。徳を授かったとまでは言わなくとも、「正義は我にあり」くらいは誰にでもあることだろうと思う。1年半にわたって裁判で争った前職の社長との係争も和解することになった。お互い「正義は我にあり」という思いを抱いているわけで、どちらが正しいのかは立場によるのだろう。


 改めて振り返ると、持病もあって会社経営を終わらせたいと考えた社長は、M&Aで会社を売却した。購入した相手は「従業員はいらない」という条件を出し、社長は全員に解雇を告げた。一応、就職先として知古の上場企業に再就職の斡旋をしてくれた。ただし、正社員ではなく契約社員であり、給料は保証してくれるものではなく、私などは半減であった。退職金は「規定がない」という理由で支給を拒否された。とうてい受け入れられるものではなく、社員を代表してそれは酷いだろうと抗議したら、一応、雀の涙ほどの退職金の支給に応じた。私などは1ヶ月分の給料にも満たない額である。

 

 その会社は、もともと親が金を出して設立し、社員も親が集めてできた会社で、その息子は用意してもらつた社長の椅子に苦労もなく座ったのである。社長とは言いながら何か考えがあって経営していたわけではなく、会長として後見していた父親が亡くなると、途端に経営は迷走。私が誘われて入社した時点で、過去8年中6年赤字を計上し、累積赤字は1億を超えて債務超過一歩手前であった。それを私がテコ入れし、他の社員の協力を引き出して、在籍していた6年間すべてで黒字計上し、累積赤字も一層した。最終年度は過去最高益を計上したが、そこでお役御免となったのである。


 裁判も我々社員vs社長という構造。社長は裁判で、「退職金の多寡は立場によって意見が分かれるもので、十分払った」と自らの正当性を主張するのに終始。我々からすれば呆れる主張だったが、元々自分の父親が金を出して設立した会社であり、「会社のすべての資産は受け継いだ自分のもの、社員にはきちんと給料とボーナスを払って来たので十分報いている」という意識があったようである。それはそれでわからなくもない。自分も病気を抱えて先行き不安であるし、会社を売ったお金を(億単位なのであるが)すべてもらって何が悪いということなのだろう。


 そこはお互いの正義があり、相手が何と言おうと自分の正義に従って恥じることはないのだろう。「天に徳を授かった身」と思っているか否かは別として、己を正当化する心理はお互いに共通であろう。人は皆そういうものではないかと思う。条件的には負けに等しい和解であり、忸怩たるものがあるが、そこは仕方がない。気持ちを切り替えて今の仕事に邁進するしかない。お互いに正義を信じていても、その正義は人の数だけあるものなのだろう。自分が信じるものを絶対視するのは、今も昔も変わらぬ人の心理であると思うのである・・・

 

Sang Hyun ChoによるPixabayからの画像


【本日の読書】

  




2023年11月11日土曜日

海水浴の思い出

 先日、金沢へ出張に行った。北陸新幹線に乗るのは初めてであったが、線路は糸魚川で日本海に行き当たり、そこから西へと進路を変える。窓の外には日本海が見える。その日本海を見ていて、小学生の頃、一度だけ直江津に海水浴に行ったのを思い出していた。当時、長野県の御代田に住む従兄弟の家に春休みと夏休みに1人で遊びに行くのを楽しみにしていたが、その時ちょうど町内会で海水浴に行くことになっており、私も一緒に連れて行ってもらったのである。長野県には海がない。近い海となると、関東へ出て太平洋というより、北上して日本海だったのだろう。

 初めての日本海。そこは直江津の海水浴場だったが、波がとにかく静かだったのを強烈な印象として覚えている。朝早かったのと、電車の中でおにぎりを食べた事以外はほとんど忘れてしまったが、波が本当にかすかにあるというくらいの海だけは覚えている。それまで太平洋の波を見ていて、それが普通だと思っていた。波が打ち寄せる音と波飛沫が飛び散るのが当然だと思っていたので、そよそよと打ち寄せる波に驚いたのである。外洋につながる太平洋に比べると、日本海は内海だから波も穏やかだというような説明をされて納得したものである。

 その頃、御代田に遊びに行く以外の楽しみと言えば、海水浴だった。あまりたくさんは覚えていないが、小学校の低学年の時には、木更津や鎌倉に行った記憶がある。木更津は友達2人とその母親とで、確か友達のお母さんの1人の実家だったように記憶している。そこで生まれて初めて潮干狩りをしたのである。父親がいなかったのは、当時は週休1日の時代で、平日たっぷり働いた父は貴重な休みの日まで出かけたくなかったのかもしれない。友達とその母親とみんなで伊豆に行った記憶もある。どこも昭和の週末母子家庭だったのかもしれない。

 その中でも鎌倉は唯一(記憶に残っている限りという意味でだ)、家族で行った海水浴である。旅館の部屋で父が海水パンツに履き替えている時、中居さんがガラリと引き戸を開けて入ってきた。慌てて、「すみません」と戸を閉めたが、何を思ったのか親父は「いいですよ!」と声を掛けて母に咎められた。子供の頃は、そういうつまらないエピソードをよく覚えていたりする。その時の記憶なのかよくわからないが、夕方遅くまで海に入っていて遊んだ記憶がある。

 小学校の高学年になるともう少し記憶も鮮明になってくる。千葉の九十九里浜に少年野球の合宿で行ったのを覚えている。午前中に練習して、午後はプールだった。波が荒くて子供を遊ばせるのは危険だと思ったのだろうか、海水浴ではなくプールだった。さらに中学の頃だったかもしれないが、やはり友人とその母親と3組くらいでどこぞの海に行ったこともある。その時の強烈な記憶は、夜の浜辺で見たUFOと思しき不思議な光だろうか。動きからしてスピードもあり、その時はUFOかもしれないと思ったが、真相は謎である。

 高校時代に海水浴の思い出はなく、最後は大学の時だ。ラグビー部の同期の男だけで千葉に実家のある男の家に泊めてもらい、近くのビーチに繰り出した。男だけでよくも行ったものだと思う。女の子に声をかける勇気があるわけでもなく、浜辺で腕相撲などくだらないことをしていた。1人ウィンドサーフィンの経験がある者がいて、ボードを持ってきていたのでみんなでやってみた。しかし、まともに立つことすらできず、傍から見ていたらコメディグループに見えたかもしれない。

 その後、社会人になると、場所は海外に移る。セブ島では体験ダイビングをやり、ニューカレドニアでは無人島に行き、娘はワイキキビーチで海デビューした。グアム、サイパン、国内では沖縄。子供が生まれると、自分の楽しみというより、子供を楽しませたいという目的に変わる。自分と比べると、私の子供はずいぶんと恵まれている。足の指が見えるくらい透明度の高い海ばかりだと、海というのはみんなそんなものだと思いもしないかと心配になる。由比ヶ浜などに行こうとすれば、濁った海水と渋滞とで辟易するに違いない。

 子供も大きくなると、家族で海水浴ということももうない。次は孫ができた時かもしれない。何年先になるかわからないが、その時体力がなくなっていれば一緒に楽しむのも覚束なくなるだろう。「財布」として呼んではくれるかもしれないが、一緒に海に入って楽しむ日が再びくるだろうかと思ってみたりする。新幹線の車窓に広がる日本海を見ながらそんな事を考えていた。仕事でなければ途中下車して浜辺まで行ってみたいと思った。日本海の波はやっぱり静かなのか。機会があればもう一度行って確かめてみたいと思うのである・・・

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【本日の読書】

 





2023年11月5日日曜日

楽しいラグビーとは

 先日、高校のOBチームで試合をした。相手は毎年定期戦をやっている別の高校のOBチーム。試合は勝ち負けをガチガチに競うというより、親善的な要素の色濃いもの。試合に出る者には80代(紫パンツを履く)もいれば70代(黄色パンツを履く)もいる。私もルールに従い、今年から赤パンツ(数えで60代)の仲間入りをしたが、上の世代とまともにやっては怪我人が出てしまう。そこでいつも緩和ルールを敷いている。「楽しいラグビーをしよう」とみんなが言う。しかし、私はいつも「楽しいラグビーってなんだ」と思う。「普通に激しいコンタクトをするラグビーは楽しくないのか」と。

 ラグビーは激しいコンタクトを伴うゆえに、試合が終われば大きな怪我をしなくても普通にあちこち痛むもの。ゆえに連戦などとても難しい。せめて2週間くらいの間隔は欲しい。先日開催されたラグビーのW杯は、1週間間隔だったから、選手はさぞかしキツかったと思う。しかし、そこから得られる満足感はそれゆえに格別である。コンタクト制限したラグビーは、確かに「痛くはない」かもしれないが、そういうラグビーをやりたいか、見たいかと問われると、やはり答えはNOである。ラグビーはコンタクトを伴うからこそ面白いのである。

 また、別の日、私は所属するチームの定期戦に出場した。その日は赤黄パンツの試合と、白紺パンツ(白は40代以下、紺は50代)である。私は赤黄の試合に出たのだが、赤同士の試合は拮抗していたが、後半は相手が黄パンツメンバーが中心になると、俄然我々赤パンツチームが圧倒した。相手を抜くと簡単に振り切れるし、相手の当たりを止めるのも容易。こちらのダメージも少なく、私自身トライを2本も取ることができて、それなりに「楽しい試合」であった。相手が弱かったと言えばそれまでであるが、人間はどうしても老化は避けられない。黄色パンツの人たちもかつてはもっと手強かったはずである。年齢を経て力が衰えたのである。それは当然のことであり、だからラグビーは年齢別で試合をするのである。

 その日、メンバーの関係で私は紺白の試合にも後半だけ出場した。相手は抜くよりも当たって崩すタイプのチーム。味方もタックルに行くが次々に跳ね飛ばされてトライを取られていった。見ているうちに沸々としたものが心に湧いてくる。怪我人も出たりして、最後の後半にメンバーが足りないとわかると思わず手を挙げていた。試合は案の定、ディフェンスに終始。正面からタックルに行くが、フォワードの選手とは体重差もあり跳ね飛ばされる。それが1本、2本と続く。ますます闘志が湧き、本来はフォワードの選手が行く場面もそれを押し除けてタックルに行った。

 それで試合結果が覆せるほど甘くはなく、チームは大敗した。しかし、私には満足感が漂っていた。気持ちよく「負けたぁ〜!」と叫べる試合とでも言えるだろうか。初めに出た赤黄相手の試合より、トライを2本取るよりも、私にとっては「面白かった」と言える試合であった。これが「楽しいラグビー」でなくて何が楽しいラグビーなのだろうかと思う。人によって「楽しいラグビー」の定義は様々だ。学生や社会人でやり切って、もう体力もないと早々に現役を退く人もいれば、紫のパンツを履いて頑張る人もいる。それぞれに「楽しいラグビー」の定義があるのだろう。

 コンタクトのない「痛くないラグビー」が楽しいという人もいるだろう。高校のOBチームの親善試合では、「怪我しないのが一番」という合言葉でやっている。それはそれでいいのである。私にとっては違うけれども、まぁ「練習の一環」だと考えれば十分許容範囲内であり、「こんなのは楽しいラグビーとは言えない」などと言って空気を壊すほど大人気なくはない。いずれ自分も体の老化が進み、今のようにコンタクトができなくなったら、「楽しいラグビー」の定義も変わるかもしれない。それまではコンタクトのあるラグビーを楽しみたい。今の「楽しいラグビー」を心から楽しもうと思うのである・・・

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【本日の読書】

  








2023年11月2日木曜日

ラグビーワールドカップ2023雑感

 4年に1度のラグビーワールドカップが終わった。今回も全48試合をテレビで観戦した。Jスポーツは本当にありがたいと思う。普段からテレビのチャンネル権がない私としては、毎朝1時間早く起きてみんながまだ寝静まっている中、1人楽しんだ。決勝戦も、また私が事実上の決勝戦だと思っていた準々決勝の南アフリカ対フランス戦も紙一重の差もない実力拮抗した試合で、手に汗握る好ゲームだった。それ以外のどの試合もため息が出るような一流の技術を観る事ができて大満足であった。

 全48試合の中で、個人的にベストプレーだと思ったのは、南ア対フランス戦での南ア・コルビ選手のキックチャージだろうか。トライが決まった後、コンバージョンキックでフランスは追加点を狙うが、ルール上ではこのキックに対しチャージができる。しかし、実際には難しい(ゴールラインからキッカーまで全力疾走しても大抵は間に合わない)のと、ゲームが止まっている間に息を整えたかったりして黙って見ている選手が多い。それをコルビ選手は全力疾走してなんとチャージしてゴールを阻んでしまった。

 例えば普通の試合でも、終了間際で逆転がかかった時などは全員でチャージに行くなんてことはあるが、試合の中盤ではあまりない。それを真面目にやって、しかも成功させてしまったのには驚いてしまった。最終的にこの試合は1点差で南アが勝ったが、このチャージがなければ逆にフランスが1点差で勝っていたので、まさに試合を分けるチャージだったわけである。誰にもできないようなスーパープレーもいいが、こういう誰もが本当はやらないといけないような地味なプレーこそ、世界中のラグビープレイヤーがお手本とすべきもので、さすがワールドカップ・プレーヤーだと思う。

 その試合も決勝戦も1点差の死闘。どっちが勝ってもおかしくはなく、もう一度やってもどっちが勝つかわからない。運次第とも言えそうな内容はさすがに世界のトップレベルである。何気なく蹴ったボールの飛距離など、私が全力で蹴っても飛ばない距離だし、パスのスピード、距離、ハンドリングスキル等は見ていてほれぼれするもの。簡単にこなしているが、おそらくあのレベルにまでいくには、もともと持っている運動神経だけではなく、かなりの量のトレーニングの賜物でもあると思う。まだシニアでラグビーをやっているものとしては、1ミリでも近づけるようになりたいと思うものである。

 全試合を録画していたが、試合として最後に観たのは、プール戦の最終戦であるトンガ対ルーマニア戦。どちらもすでに3敗していて予選敗退は確定しているが、「1勝」をかけて激突。国歌斉唱の時点で涙ぐむ選手もいて、勝利にかける意識が伝わってくる。ラグビーファンの関心は決勝トーナメントに向いていたと思うが、そんな地味な試合でもそれにかけている選手がいて、現地で応援するファンがいる。試合はトンガが勝ったが、ルーマニアの奮闘も素晴らしく、好ゲームであった。満足のいく48試合目であった。

 4年前にワールドカップが日本に来て、「にわかファン」なるものが急増し、日本におけるワールドカップも盛り上がったが、今回は日本が予選で敗退してしまうと、終息感が漂っていた。どのスポーツでも自国が負けてしまうとファンの関心もしぼんでしまうものだとは思うが、たとえ自国以外であろうと、決勝戦に目を向ける人こそがコアなファンだと思う。さらに言えばどの試合であろうと目が行く人こそそうであろう。私もJスポーツをうっかりつけて、どこのチームかわからない試合でも、ついつい見入ってしまったりする。そういう人が少しずつ増えていくと、もっと放送も増えるのかもしれない。

 季節はちょうど大学生の公式戦が佳境に入る頃。そろそろ上位校同士の戦いが始まるので、次はそちらに目が行く。対抗戦にリーグ戦、観ようと思えば関西のリーグ戦まで観られるが、ワールドカップのように片っ端から録画して毎朝観るというのもしんどい。学生が終わればトップリーグも始まるし、テレビとは言え、観戦は控えないと他のやりたいことに支障が出てしまう。こちらはほどほどにセーブして楽しみ、あとは自分でプレーする方に回したいと思う。次のワールドカップは2027年オーストラリア。こちらは現地に行きたいなぁと思っている。仕事とお金を今から意識して何とかしようかという思いが脳裏をよぎる。

 39年ぶりにオーストラリアの地を踏むというのも悪くはないなと思うのである・・・


【本日の読書】

 



2023年10月31日火曜日

論語雑感 述而篇第七(その21)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「三人行、必有我師焉。擇其善者而從之。其不善者而改之。」

【読み下し】

子し曰いはく、我われ三人にんと行ゆかば、必かならず我わが師しを得う。焉いづくんぞ其その善よき者ものを澤びえら而て之これに從したがはん。其その善よから不ざる者ものをし而し之これを改あらたむ。

【訳】

先師がいわれた。

「三人道連れをすれば、めいめいに二人の先生をもつことになる。善い道連れは手本になってくれるし、悪い道連れは、反省改過の刺戟になってくれる。」

『論語』全文・現代語訳

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 何にでも誰からでも学ぼうと思えば学べる。今では当たり前のことのように言われる事であるが、もしかしたらその大元はこの言葉なのかもしれない。通常、誰かから学ぶとすると、その人は「良い手本」であるが、当然、世の中には唾棄すべきような人もいる。そんな人から学ぶことなど何もないかと思えば、「そんな行為をすれば人に軽蔑される」という「反面教師」の部分もある。「反面教師」とはその言葉通り「やってはいけない事を教えてくれる先生」である。唾棄すべき行為をする人からすら学べるという考え方は大事だと思う。


 私の前職の社長は、私の高校の先輩で既知の間柄であったが、私が銀行を辞めるのを知って自分が経営する会社に誘ってくれたのである。三顧の礼とは言わないが、三度誘いの言葉をかけていただき、私も面白そうだと入社した。当時、その会社は赤字まみれであり、メイン銀行から新規融資を断られる状況だった。そこで私は一から事業のやり方を変え、最後には社名まで変える改革をし、一年目から黒字(と言ってもスレスレの黒字だったが)を計上し、以降6年連続で黒字計上して債務超過も解消した。6年目は過去最高益を見込むほどであった。


 そんなところ、新たな年度の始まりに突然全社員が解雇された。社長が、自分が引退するにあたり、誰にも告げずにM&Aで会社の売却を決めてしまったのである。買手から「社員は不要(その会社は不動産資産を多数所有しており、それだけが欲しかったのである)」と言われ、全職員を解雇したのである。しかも退職金は「退職金規定がないから払わない」というあきれた理由で、抗議したところ雀の涙ほどの退職金で「さようなら」であった。黒字にしてもらったところで用なしとされたのである。私の感覚ではよくそんなことができるなと思ったが、平気でできてしまう人であったのである。


 そういう人間であることを見抜けなかったのは私のミスと言えばミス。その後裁判にまで発展したが、来月和解するまで約1年半、不毛な時間を費やしてしまった。和解と言っても3:7で負けといったところである。ただ、その間、味わった諸々の経験はいい経験と言っても良い。世の中善人ばかりではないという当たり前の事実をしっかり認識できたし、今は結果的に良かったと思っているので、もう何の憤りもない。事実上負けの和解であるが、これで完璧に縁が切れるし、「勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる」と考えればこれもまた良しと考えている。


 良い手本から学ぶのはある意味当然であるが、苦い経験、忸怩たる思いを味わわされた経験も糧とする考え方も大事だろうと思う。何より精神的な安泰につながるところが大きい。実際、今の仕事と前職とを比べれば今の職場の方がはるかに良い。会社も大きいし、収入もここにきて前職を超えたし、第2・第3の給料によってこずかいも大幅に増えた。前職の社長が善人であったなら、そのまま経営を担っていただろうし、10人の会社でどこまで飛行できたかを考えると、結果としては圧倒的に良かったとしか言いようがない。そう考えると、恨みも雲散霧消してしまう。


 また、良い手本から学ぶのは誰でもできると思うが、「年下(目下)の者から学べるか」も重要であろう。そこには当然抵抗感があるのだが、その抵抗感をなくし、特に年下(目下)の者から学ぶ意識を持つのもできるようでないといけない。私も、ともすれば抵抗感に襲われるが、そこをぐっと意識して教えてもらうようにしている。それができるようになったのも、面白いことに「反面教師」の存在である。


 若い頃は、今のような「ハラスメント」という言葉などない時代で、上司は威厳を保とうとしている人が多かった。自分の指示ミスなど認めないし、そういう人に限って部下のミスには厳しい。当然、部下は陰口を叩くことになる。そういう経験をしてきた事もあり、私は自分のミスがあればすぐ認めるし、部下がミスをしても、それを事前に防げなかった自分が悪いと考えて対応している。たぶん、(他のことではわからないが)陰口は叩かれていないと思う。それにかつての上司のように知ったかぶりもしないし、わからないことは素直に部下にも教えてもらっている。


 それはラグビーでも同じ。自分より若い人でも上手い人がいれば素直に教えてもらうようにしている。相手も丁寧に教えてくれる。ラグビーなど、もろにできるできないがわかるから、下手にカッコつけても始まらないという事情もあるが、年下の者に教えてもらうのに抵抗感を持たなくて済む。間違えれば謝ればいいし、わからなければ教えてもらえばいい。上司だから、年上だからと威厳を保とうとすると、かえって失敗する。当たり前の事である。だが、かつても上司はできない人も多かった。


 改めて孔子の言葉として知ると、こんな昔から真理というのは変わらないのだと思う。そして改めて、かつての上司はみっともなかったと思う。自分は、もういい年になってきたが、何からでも誰からでも学び続けられるようでありたいと思うのである・・・


G.C.によるPixabayからの画像


【本日の読書】

   







2023年10月26日木曜日

人によって感覚は違う

 仕事で送られてきた書類に印鑑を押し、返信用の封筒に入れて返送する。返信用の封筒を眺めていつも思う。そこには宛名に「〇〇行」という文字がある。マナーとして、普通は「行」を斜線で消して「様」または「御中」と横に書いて投函する。ほんのささいな行為だが、なかなか面倒くさい。始めから「様」または「御中」としておいてくれればそのまま投函できるものを「行」としてあるから斜線で消してという作業をしないといけなくなる。クラス会の出欠を問う往復はがきでも同様だ。個人的にどうしても違和感を禁じ得ない。

 日本は謙譲の文化の国である。自分宛ての返信に「様」をつけるのはおこがましいとして「行」とする。しかし、受け取って返信する方は、そのままだと失礼だとして「様」に書き換える。最初から「様」にしておくか、「行」のまま送り返せばその分よけいな手間暇がかからなくて済む。ビジネス的には「無駄を省く」のは基本であるから、ここはどちらかにしたいところだ。「ちょっとぐらい」の手間やコストが積り積る。「ちょっとぐらい」という考え方自体がよくない。わずかな手間でも省く努力をするのがビジネス的には正しい。

 そういう考えで、最近は企業宛のはそのまま「行」で返送している(たまに気がついた女性社員が「様」に直してくれているが)。だが、個人宛だと躊躇してしまう。「マナー」を知らないのかと思われるのも癪な気がするが、知っててそのまま返信する真意を勘ぐられてもよろしくない。それに、「へりくだり」、「敬う」文化は無駄なことであっても大事だという風にも思う。O・ヘンリーの『賢者の贈り物』みたいなものと言えるかもしれない。お互いの無駄がお互いの思いやりとも言える。そう考えて、個人とビジネスとを今のところ分けて対応している。

 通勤電車では、毎朝一つ隣の駅で始発電車に乗っている。今朝、いつものように並んでいたら、隣のサラリーマンがおにぎりを食べていた。また、そのあと、会社の前の横断歩道を渡っていたら、反対側から歩いてきたOLと思しき女性がパンを齧っていた。いずれも私ならやらない行為である。歩きながら食べたり、外で立って食べるという行為に対し、どうも拒絶感がある。しかし、彼または彼女が常識知らずかというと、その「常識」も疑わしくなる。「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」というアインシュタインの言葉が脳裏をよぎる。

 毎朝寄る喫煙所は、このところ混みあっている。そんな時は外で少し待つのだが、そこでもう煙草に火をつける人がいる。電子タバコならまだしも、紙のたばこだと灰が落ちる。どうせ待っても数分なので、私はスマホでニュースを見ながら待つのだが、待てないで吸い始める人の感覚が理解できない。しかし、その人の感覚ではOKなのである。こういう感覚または常識の違いはどこから生じるのだろうかと思う。学校では教わらないことであるが、家庭の躾とかそれまで本人が置かれた環境の中で培ったものだろうが、不思議なものである。

 高校のラグビー部のOB会では事務局長を任されているが、会長はとにかく「メールに返信しない」人である。いちいち目下の者に丁寧に返信をしてくれとは言わないが、どうするかという問い合わせをしているのに返信してこない。私であればすぐに返信するのであるが、この会長の考えも理解できない。すぐに決められないなら決められないで、その旨返信してくれればいいものをそうしない。これは感覚・常識というより単に相手のことを考えないだけだろう。コミュニケーションとして重要な事であり、改善して欲しいと思うが、直接意見するのも憚られるので難儀している。

 考えてみれば、他人同士で衝突するのはたいていこの感覚・常識の違いによるものではないかと思う。「他人は自分とは違う感覚・常識で動いている」という理解があれば、無駄な衝突にはならず、相手に対する悪意を持つこともない。しかし、自分の感覚・常識で相手を測ろうとすると、それに反した行動を取る相手には「常識がない」という批判を浴びせてしまう。私も自分の感覚・常識で行動する人間の1人であり、もしかしたら「行」のまま送られてきた返信用の封筒を受け取り、その担当者から「常識がない」と思われているのかもしれない。

 みんなが同じ感覚・常識を備えていれば、人と人の間の衝突なんて起こらないように思う。されどそんな同じ感覚・常識で動くというのも、それはそれで問題がありそうに思う。そもそも「感覚」の点においては、違和感を防ぐことは不可能である。それは返信用封筒の「行」の記載1つとっても明らかである。通勤の始発電車に並んでいたサラリーマンだって、今朝はどうしても時間がなく、やむなくだったかもしれない(それでも私なら「食べない」という選択肢を選ぶだろうが・・・)。

 実家の母親も年齢のせいか、やたらと「常識外れ」という他人批判を繰り返す。私にはそんな母の「常識」もいかがかと思うが、母は「自分の常識」が世の中の常識だと信じて疑わない。そんな母の「常識」はちょっと相手の立場に立って考えれば非常識とは必ずしも言えない事が多い。そこには視野の狭さがある。たいていはそういう事が多いのではないかと思う。感覚の違いもいちいち目くじらを立てないようにすればなんでもないこと。人に迷惑がかからなければスルーするのが懸命だろう。そんな風に柳に風のごとく受け流していきたいと思う。

 ただ、必要事項に返信をよこさない会長の対応はやはり迷惑であり、イライラさせられる。これもあまり酷ければ辞任という形で距離を置くしかないと思うのである・・・



Stefan SchweihoferによるPixabayからの画像

【本日の読書】

 




2023年10月22日日曜日

遺伝の影響はどこまであるのか

 先日、『生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』という本を読んだ。人間の遺伝にまつわる話である。内容的には特に興味を引くというものではなかった。もともと「遺伝」ということにあまり関心はなく、自分には大して影響も無い話だと感じていた事もあるし、内容的には当たり前のように感じる部分が多かった事もある。自分にはどうする事もできない遺伝の影響と言えば、顔形とか、特定の病気になりやすいとか、その程度だろうとなんとなく日頃感じているからである。

 決定的に否定できないのは「顔」だろうか。私の顔は父とも母ともあまり似ていない。それゆえに「橋の下で拾われてきた」と言われても、確信を持って否定できない。ところが、父の若かりし頃の写真を見ると、なんとなく自分に似ていると思う。初めて父の若い頃の写真を見た時、「間違いなく父の子である」という実感を持てて嬉しかったのを覚えている。さらに祖父の20代の頃の写真を見た時は尚更であった。私はむしろ父よりも祖父に似ているとさえ感じたのである。

 一方、同じ血を分けた兄弟である弟の方は、あまり父とは似ていない。昔の写真を見てもそうである。私自身、弟と似ていると思ったことはなく、父と祖父との繋がりの確信を得られた後となっては、むしろ弟の方が「橋の下」であると言えるかもしれないと思うほどである。だが、弟が生まれたという知らせを受け、父に連れられて生まれたばかりの弟を見に行った記憶がある(第一印象は「猿みたいだ」である)ので、もちろん、「橋の下」ではない。似ていないのは、遺伝子は両親から受け継ぐので、母親の遺伝子もかなり入っているからなのだろう(と言っても弟は母にもそれほど似ていない)。

 娘が生まれ、しばらくすると、なんとなく自分に似ていると思うようになった。小学生の頃は特にそうだったし、ママ友などにもよく指摘されていたから、自他ともに認めるところであった。娘は父親に似るとはよく言われるが、それは我が家の場合真実である。それに対して、妻は複雑な思いを抱いていたようだが、私としては確実に自分の遺伝子が生きていると実感できて喜ばしかったものである。今、成長して大人の女性になったが、今は残念ながらそれほど似ていないように思う。

 遺伝の影響はどの程度かはわからないが、夫婦2人の遺伝子が組み合わさっているのだから、子供に伝わる私の遺伝子は理論上50%である。という事は、何から何までまったく同じという事はあり得ず、従って「似ている」と言ってもパーツ的なものにとどまるのだろう。それに同じ人間でも年齢を経れば変わるので、親子であっても兄弟であっても、そっくりになるのは稀なのだろう。先の本でも、「遺伝と環境の影響は半々」と説かれていた。私も弟とはまったく性格が違う。同じ両親の元に生まれ、育っているにも関わらず、である。

 もっとも、「環境」も同じようでいて違うという。私は長男だが、弟は次男。「生まれた時に兄がいる」という環境は、私と弟とでは異なるわけで、兄弟だから同じ環境というわけではない。母はよく、「同じように育てているのに」とぼやいていたが、同じではなかったのである。さらに人は環境の影響を受ける。私は小学生の頃は漫画や小説にかなり人格面で影響を受けている。弟とは漫画の好みはまったく異なっていたので、この点でも同じではない。遺伝子もそこまで影響はしない。

 娘に続き、息子が生まれた時、私は同じ男として息子には「私が良かれと思う考え方」を伝授しようと思ったが、それはなかなか至難の業であることがわかった。何より息子と接する時間は妻の方が圧倒的に多い。「すべての息子をダメにするのは母親」という信念が私にはあるが、大いに危惧する状況が多々あった(が、何も口出しできなかった・・・)。遺伝子の影響も50%だし、思う通りには育てられないというのは、早々に悟った。育っている環境も、もちろん私とは大きく異なる。私にできることは、折に触れ、「父の考え」を語ることだけであると思う。

 遺伝の影響でもう一つ感じているのは、「基礎体力」だろうか。私はこれまでの人生でインフルエンザに罹った事は(記憶は、の方が正しいかもしれない)ない。高校生の時に熱で遅刻、早退はあるが、「病欠」はない。それは大学、社会人を通じて今に至るまで続いている。娘は肺炎で入院したが、息子はそういう経験は今のところない。病欠はほとんどない。父もそうであったし、89歳まで生きた祖父がどうだったかはわからないが、なんとなく、この丈夫な遺伝子はありがたいと思う。風邪は気合いで治せるし・・・

 遺伝という自分にはコントロールできないものに、いろいろと原因を求めるのは私の性には合わない。したがって、遺伝に原因を求めるのは、せいぜい顔形や病気になり難さくらいである。あとは自分の努力次第。できないのは力が足りないのであって遺伝のせいではない。ちなみに、先の本では、身体的な特徴は80%の確率で遺伝するというが、それもほどほどに考えている。確かに、息子は同じ年頃の時の私とほぼ同じ体型だが、そもそも明治の時代の日本人は皆背が低かったわけだし、環境の影響も多分にある。これも遺伝に原因を求める気持ちはない。

 本でも主張されていたが、「良いところは遺伝、悪いところは努力不足」と考える方が、生きる上では大切だと思う。遺伝とはそういうものと、これからも考えていきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】