2023年11月23日木曜日

人見知り

 自分の性格として認識している一つは「人見知り」である。基本的に一人でいることを好み、人と一緒だと落ち着かない。それでも友人や会社の同僚などはまだいい方で、初対面の人だとどうにも会話に苦手意識が先行する。駅員さんや店員さんなどとの事務的な会話は苦にならないが、仕事関係での持続的な会話となると精神的な負担が大きい。それでも会話の内容が必要な仕事の内容であるだけならまだいいが、これが私的な話になると負担感は増大する。人間誰でも得手不得手はある。それが私には「人付き合い」ということである。

 子供のころから引っ込み思案であったと思うが、いろいろと思い出してみるとそうでもない。友達の中でリーダーシップを取るタイプでもなかったと思うが、割と中心にいたことも多い。小学校の5、6年のころだったか、仲の悪かったKを野球チームの仲間から外したことがあった。クラス対抗で試合をしたのだが、どういう経緯だったのか忘れてしまったが、Kをメンバーから外したのである。レギュラーという意味ではなく、ベンチ入りすらさせなかったという完全な仲間外れである。そしてその中心人物は私であった。それは私とKとの対立の結果である。仲間外れは褒められたものではないが、ただそのあとすぐにKの逆襲にあって、第2戦は私が仲間外れにされたのだから「おあいこ」だろう。

 引っ込み思案どころか、劇の主役をやったこともあった。今でもなぜ学芸会の劇の主役に選ばれたのかは覚えていない。今の自分なら推薦されても絶対にやらないだろう。運動では走り高跳びではクラスで一番になったし、運動会では常にリレーの選手だったし、スポットライトの中心に近いところにいつもいたように思う。と言ってもそれは友達の中での話であるからかもしれない。その輪から外れたところではそうでもなかったと思う。小学校3年の時に近所の少年野球チームに入ったが、母に連れられて監督の家に入部希望の挨拶に行った際、蚊の鳴くような声で「入れてください」と言ったことを覚えている。

 人見知りとは言え、慣れてしまえば本領発揮というところだったのかもしれない。それでも本質的に他人との関わり合いに一定の距離を置きたいという気持ちは強くある。それをもっとも感じたのが社会人になってから。銀行に入った私が、やがて行員同士の会話にしばしついていけなくなったのは「行員人事」について。サラリーマンは人事情報に関心が高い。やたら行内の人事情報にみんな詳しい。「誰々はどこそこの支店長をしていた」という類である。「〇〇は出世コース」という話も、私は「よくみんな知っているなぁ」と感心していたものである。

 その手の人の情報にやたら詳しい人がいる。「〇〇はどこの大学を出てどこの支店にいた」とか、「今度の人事で〇〇になるんじゃないか」という話に関して、私はいつも蚊帳の外であった。思うに「そんなのどうでもいいじゃないか」という思いが強い。だから聞いても覚えていられない。「好きこそものの上手なれ」ではないが、みんな他人に関心があるからそういう話についていけるのだろうという気がする。私に一番欠けているのは、もしかしたらこの「他人への関心」なのかもしれない。

 人見知りとは言っても、「コミュ障」とは違う。他人とのコミュニケーションはうまく取れると思う。それはたとえ初対面の人であってもだ。それは仕事という意識もある。ただ、会話を継続するのにものすごくエネルギーを消耗する。だから会社帰りに同僚と一緒に帰るのも苦手である。帰りのエレベーターで一緒になった暁には、「この人はどの方面に帰るんだっけ」と一生懸命考える。しかし、もともとの無関心のなすせいか、以前聞いた記憶があっても覚えていなかったりする。そして苦し紛れにわざと「一服する」と言って時間をずらしたりするのである。

 それが今は、人事の採用担当として地方出張に飛び回っている。かつて今の社長が総務部長時代に切り開いた採用ルートを維持しているのだが、担当者の顔と名前を覚えるのに苦労している。その時々の会話はそつなくこなせるが、顔を覚えられない(コロナでマスクをしている影響もある)。さらにその人に関する情報を覚えられない。一緒に同席していた社長が前回の会話の内容を覚えているのに私は覚えていない。社長は自然に相手との交流を楽しんでいるが、私は「仕事」として無理なエネルギーを費やしているからそうなのかもしれない。これから大丈夫だろうかと案じている。

 Facebookでは友達の数が数百人という人がいるが、私は221人である。自分でも見事だと思うが、自分から友達リクエストをしたのはこのうち1人か2人である。基本的に「友達は100人より親しい人5人でいい」という考えである(実際、大学時代の友人は6人である)。それでいいのかと思うも、自分に無理なく生きるにはそういうやり方しかない。たぶん、親父の血を引いたのではないかと思う。幸い、その血は息子には受け継がれていない。私と違ってひょうきんで友達も多いようだ。ただ、残念ながら娘は私の血を引いてしまったように思えてならない。

 それでも長く付き合っている自分のそれが性格であるから仕方がない。パソコンで言えばOSであり、いまさら変えるのは不可能である。そうは言っても我が社のエンジニアにはコミュニケーションが不得意な面々もいるし、それよりははるかにマシである。今のところはその本性がバレないようにうまくやっていくしかない。これから先もうまくやっていくしかない。そしていずれ引退した時、この性格は「孤独に強い」という長所がある。その時は毎日一人きままに暮らしていけるのだろうと思っている。その時までは、人一倍エネルギーを費やしてでも、人見知りをなんとかごまかしていきたいと思うのである・・・



Erika VargaによるPixabayからの画像

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