論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】
子曰、「三人行、必有我師焉。擇其善者而從之。其不善者而改之。」
【読み下し】
子し曰いはく、我われ三人にんと行ゆかば、必かならず我わが師しを得う。焉いづくんぞ其その善よき者ものを澤びえら而て之これに從したがはん。其その善よから不ざる者ものをし而し之これを改あらたむ。
【訳】
先師がいわれた。
「三人道連れをすれば、めいめいに二人の先生をもつことになる。善い道連れは手本になってくれるし、悪い道連れは、反省改過の刺戟になってくれる。」
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何にでも誰からでも学ぼうと思えば学べる。今では当たり前のことのように言われる事であるが、もしかしたらその大元はこの言葉なのかもしれない。通常、誰かから学ぶとすると、その人は「良い手本」であるが、当然、世の中には唾棄すべきような人もいる。そんな人から学ぶことなど何もないかと思えば、「そんな行為をすれば人に軽蔑される」という「反面教師」の部分もある。「反面教師」とはその言葉通り「やってはいけない事を教えてくれる先生」である。唾棄すべき行為をする人からすら学べるという考え方は大事だと思う。
私の前職の社長は、私の高校の先輩で既知の間柄であったが、私が銀行を辞めるのを知って自分が経営する会社に誘ってくれたのである。三顧の礼とは言わないが、三度誘いの言葉をかけていただき、私も面白そうだと入社した。当時、その会社は赤字まみれであり、メイン銀行から新規融資を断られる状況だった。そこで私は一から事業のやり方を変え、最後には社名まで変える改革をし、一年目から黒字(と言ってもスレスレの黒字だったが)を計上し、以降6年連続で黒字計上して債務超過も解消した。6年目は過去最高益を見込むほどであった。
そんなところ、新たな年度の始まりに突然全社員が解雇された。社長が、自分が引退するにあたり、誰にも告げずにM&Aで会社の売却を決めてしまったのである。買手から「社員は不要(その会社は不動産資産を多数所有しており、それだけが欲しかったのである)」と言われ、全職員を解雇したのである。しかも退職金は「退職金規定がないから払わない」というあきれた理由で、抗議したところ雀の涙ほどの退職金で「さようなら」であった。黒字にしてもらったところで用なしとされたのである。私の感覚ではよくそんなことができるなと思ったが、平気でできてしまう人であったのである。
そういう人間であることを見抜けなかったのは私のミスと言えばミス。その後裁判にまで発展したが、来月和解するまで約1年半、不毛な時間を費やしてしまった。和解と言っても3:7で負けといったところである。ただ、その間、味わった諸々の経験はいい経験と言っても良い。世の中善人ばかりではないという当たり前の事実をしっかり認識できたし、今は結果的に良かったと思っているので、もう何の憤りもない。事実上負けの和解であるが、これで完璧に縁が切れるし、「勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる」と考えればこれもまた良しと考えている。
良い手本から学ぶのはある意味当然であるが、苦い経験、忸怩たる思いを味わわされた経験も糧とする考え方も大事だろうと思う。何より精神的な安泰につながるところが大きい。実際、今の仕事と前職とを比べれば今の職場の方がはるかに良い。会社も大きいし、収入もここにきて前職を超えたし、第2・第3の給料によってこずかいも大幅に増えた。前職の社長が善人であったなら、そのまま経営を担っていただろうし、10人の会社でどこまで飛行できたかを考えると、結果としては圧倒的に良かったとしか言いようがない。そう考えると、恨みも雲散霧消してしまう。
また、良い手本から学ぶのは誰でもできると思うが、「年下(目下)の者から学べるか」も重要であろう。そこには当然抵抗感があるのだが、その抵抗感をなくし、特に年下(目下)の者から学ぶ意識を持つのもできるようでないといけない。私も、ともすれば抵抗感に襲われるが、そこをぐっと意識して教えてもらうようにしている。それができるようになったのも、面白いことに「反面教師」の存在である。
若い頃は、今のような「ハラスメント」という言葉などない時代で、上司は威厳を保とうとしている人が多かった。自分の指示ミスなど認めないし、そういう人に限って部下のミスには厳しい。当然、部下は陰口を叩くことになる。そういう経験をしてきた事もあり、私は自分のミスがあればすぐ認めるし、部下がミスをしても、それを事前に防げなかった自分が悪いと考えて対応している。たぶん、(他のことではわからないが)陰口は叩かれていないと思う。それにかつての上司のように知ったかぶりもしないし、わからないことは素直に部下にも教えてもらっている。
それはラグビーでも同じ。自分より若い人でも上手い人がいれば素直に教えてもらうようにしている。相手も丁寧に教えてくれる。ラグビーなど、もろにできるできないがわかるから、下手にカッコつけても始まらないという事情もあるが、年下の者に教えてもらうのに抵抗感を持たなくて済む。間違えれば謝ればいいし、わからなければ教えてもらえばいい。上司だから、年上だからと威厳を保とうとすると、かえって失敗する。当たり前の事である。だが、かつても上司はできない人も多かった。
改めて孔子の言葉として知ると、こんな昔から真理というのは変わらないのだと思う。そして改めて、かつての上司はみっともなかったと思う。自分は、もういい年になってきたが、何からでも誰からでも学び続けられるようでありたいと思うのである・・・
G.C.によるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
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