2013年9月16日月曜日

『のぼうの城』に学ぶリーダーシップ

 台風到来とあって、家族での予定を入れなかったこの3連休。暇さえあれば映画三昧の身ゆえ、何本かの映画を観たのだが、そのうちの一つが昨年公開された「のぼうの城」。戦国末期の北条氏配下の支城である忍(おし)城の物語。豊臣方と対立した北条氏に味方し、3千の兵でもって2万の大軍と戦って城を守り抜いた成田長親を主人公とした物語である。

 映画そのものも面白かったのであるが、観ている中で気がついたのはリーダーシップ。まずは主人公の“のぼう”(『でくのぼう』からきている)こと成田長親のそれ。リーダーシップは私が参加している社会人向け勉強会『寺子屋小山台』のテーマの一つでもあるから、よけいに目が行ったという事もある。


 長親は、いわゆるリーダーというイメージに相応しい人物ではない。日頃は畑で農民たちと交わり、武芸は苦手で、城主の従兄弟ゆえにみんなは臣下の礼はとるものの、内心困った人だと呆れている。むしろ、家臣の丹波守利英の方が武芸に秀で、将としての器に相応しい。しかし、のぼうはリーダーとしての片鱗を随所で見せつける。

 密かに豊臣側に通じた城主からは、「戦わずに開城せよ」との命を受けていたのにも関わらず、のぼうは石田三成側の使者の横柄な態度に思わず戦いを宣言する。驚く家臣たちであるが、すぐに一致団結してその決定を支持する。よく企業のトップなどが無謀な決定を下し、部下がそれに意見を言えないで失敗するという事が多々ある。ここでも2万の大軍を相手に、農民を入れても3千の兵力で戦うのは無謀だ。だが、違うのは部下が喜んで従った事だ。

 元々開戦派だった者はともかく、冷静かつ慎重な丹波も従っている。丹波自身も戦わずに開城する事に忸怩たる思いを抱いているのだが、お家と城と城主の命とを考え、気持ちを抑えていたのであるから、のぼうの決意がそれを解き放ったのだろう。リーダーには何よりも人の心を動かすモノが求められる。

 ちなみにここで石田側の使者に対し、開戦の返事をするシーンはなかなか良い。降伏するだろうと思っていた相手が戦うと宣言し、驚く使者。そしてその瞬間、のぼう方の武士たちは右側に置いていた刀を一斉に左側に移す。武士は、座る時に右手が効き腕という前提で、刀を右側に置くのがマナーだったそうである。それを左側に置くと言う事は、「いつでも抜ける」という事を意味する。胸の熱くなるシーンである。

 また、この時丹波の態度は、組織の№2としてのフォロワーシップの観点からも優れている。彼があくまでも反対したら、組織はまとまらなかったであろう。

 丹波が農民たちに協力を求めに行った時、農民たちは反感を示したが、戦いがのぼうの意志とわかると一転して協力姿勢を見せる。この影響力に丹波自身も気がついていたのだろう。
「勇気を以て意見具申せよ」
「決定が下ったら従い、命令は実行せよ」
後藤田五訓にある二つを丹波は実行しているが、この姿勢が残りの部下に勇気を与えている。

 そしてリーダーシップが問われるのは、なによりも不利な状況下。水攻めで籠城を余儀なくされ、時間の経過とともに厭戦気分が広がる忍城内。そこでのぼうの取った行動により、みんなの心に再び火がつく。ラグビーでも点差の離れた後半、戦意が落ちる負け試合で最後まで戦意を保てるかは、キャプテンのリードに負うところが大きい。そのまま総崩れとなるか、せめて次に繋がるトライを一本でも取れるか。のぼうは見事にそれをやってのけている。

 また、この時丹波の態度は、組織の№2としてのフォロワーシップの観点からも優れている。 彼があくまでも反対したら、組織はまとまらなかったであろう。

丹波が農民たちに協力を求めに行った時、農民たちは反感を示したが、戦いがのぼうの意志とわかると一転して協力姿勢を見せる。この影響力に丹波自身も気がついていたのだろう。
「勇気を以て意見具申せよ」
「決定が下ったら従い、命令は実行せよ」
後藤田五訓にある二つを丹波は実行しているが、この姿勢が残りの部下に勇気を与えている。

 そしてリーダーシップが問われるのは、なによりも不利な状況下。水攻めで籠城を余儀なくされ、時間の経過とともに厭戦気分が広がる忍城内。そこでのぼうの取った行動により、みんなの心に再び火がつく。ラグビーでも点差の離れた後半、戦意が落ちる負け試合で最後まで戦意を保てるかは、キャプテンのリードに負うところが大きい。そのまま総崩れとなるか、せめて次に繋がるトライを一本でも取れるか。のぼうは見事にそれをやってのけている。

 リーダーとして、組織に影響力を及ぼすには、まず何より人柄だろう。「この人に言われたら」と思ってもらえたら、他には何がいるだろう。のぼうも権力を背景に威張るだけだったら、農民たちを動かす事はできなかっただろう。そして意地というのか、誇りというのか、一本筋の入った信念。これがないと指示もブレて一貫性がなくなる。近年の政治家によく見られるから、わかりやすい事である。史実はともかく、エンターテイメントとして楽しみつつ、そんな事を考えていた。

 「あいつはその点ではダメだ」と言うは易し。自分はどうだろうかと考えてみると、どうだろう。少し意識してみたい、と思うところである・・・



【先週の読書】
「日本の経営」を創る: 社員を熱くする戦略と組織 - 三枝 匡, 伊丹 敬之  新装版 風の果て (下) (文春文庫) (文春文庫 ふ 1-56) - 藤沢 周平




    
   

2013年9月11日水曜日

秋の日雑感2013

 先週末から涼しい日々が続いている。9月と言えばもう秋であるが、それを実感させてくれる。いつのまにやら蝉の声もまばらだし、まだ聞こえてきたりすると、遅れをとってしまった負け組のような気がして、哀れに思えてくる。

 週末は息子の尻を叩いてかけっこの練習。運動会が今月の最終土曜日に迫っているのである。運動会と言えば、なによりかけっこ。自分も大好きな種目だったし、小学校の頃は燃えていた。というか高校生になっても、ラグビー部内で足の速さを競っていたくらいである(残念ながら大したライバルはいなかったが・・・)。息子にも当然、同じモノを求めてしまう。

 準備運動からスタートの練習。そして、本番さながらに走らせる。腕を振って、あごを引いて、前傾姿勢で、と指導。本当は毎日やりたいところだが、平日はこちらも仕事がある。その代わり、残る週末はみっちりやろうと思う。

 娘は期末試験の勉強。この時期に期末試験というのも違和感があるが、娘の中学は2学期制を取っている。3学期制で育った身としては、この2学期制というのはどうもしっくりこない。前期が終わって通知表を持って帰ってきたら、翌日から後期が始るのである。夏休みと正月明けに新学期を迎える3学期制の方が良いのにと思えてならない。

 娘はどうも生真面目だ。我が家系に連綿と続く性格だから仕方ないのかもしれないが、真面目に勉強するたけでまだ感情面での幅がない。勉強と平行してもっと感情面が豊かになるような刺激を与えたいと思っている。映画や漫画や小説や、それらに接して涙するような経験をもっと積ませたいと考えている。あれこれと気にしてはいるものの、まだ中学生には難しいかもしれないと思えたりして、なかなか探すのも難しい。

 日曜日の夜、夕食を終えると息子はまもなく布団に入り、娘は机に向かい、妻はテレビの前で自分の世界に入ってしまう。そこで思い立って映画を観に行く事にする。もともと子供の頃から「映画館のある街に住みたい」と考えていたが、我が町はその点では理想的な街である。車で5分のところに映画館があり、気軽に出掛けていける。

 観に行ったのは、『マン・オブ・スティール』。クリストファー・ノーランが製作に入った「スーパーマン」で、以前から観に行きたいと思っていたものだ。夜の9時15分からのレイトショーは、値段も安いし何より空いている。まばらな観客席は、ほとんど貸切状態。残念ながらレイトショーでは3Dが観られず、それだけが玉に瑕だった。

 すさまじい映像のド迫力に大満足して映画が終わる。それから車に乗り込み、我が家に着いてエンジンを切るまで約10分。深夜で道が空いているという事もあるのだが、15分後には風呂に入っていた。この身近さが「映画館のある街」のメリットだ。会社帰りに銀座や池袋で映画を観ても、こういう芸当はできない。つくづく良い街に住んでいると思っている。

 まだまだ残暑はあるのだろうが、考えてみれば本当の意味の夏は正味1ヶ月半くらいだから、冬に比べると実に短い。もう少し子供たちとプールに行きたかったと思うところである。とはいえ、毎朝大好物の幸水を食べ、さんまもおいしい季節だ。過ぎゆく夏は名残惜しい限りだが、また来年までのお別れだ。もたもたしていると、冬が来てしまうし、その前に秋を楽しまないといけない。

 忙しい期末ではあるが、周りのモノにいろいろと目配りをしながら、日々楽しく過ごしたいと思うのである・・・

2013年9月6日金曜日

祖父のアルバム

 先日、実家に行ったところ、父が田舎から借りてきたというアルバムを見せられた。それは昔、祖父が存命中に見せてもらった従軍アルバムである。祖父の死後、どうなったのだろうと思っていたが、同じ思いだった父が借り受けて来たらしい。さっそく、画像データにしてCDに落としてもらってきた。自分でも20年振りぐらいに見たのだが、懐かしい祖父のとっておきの一枚は、さっそくフェイスブックにアップした。

 さて、もらったCDを見ていくと、昔見た記憶が蘇ってくる。それは祖父が応召し、始めは中国、そして二度目は朝鮮へ出征した時のアルバムである。中には生首の写真もあって衝撃的なのであるが(ちなみに日本軍の仕業ではないそうである)、概ね出征地ののどかな景色とかしこまって写る軍人さんが中心である。

 当時、自分のカメラなど持っていなかった祖父であるが、どうやら記念にと購入したらしい。アルバムの写真は、中国(上海)と朝鮮と、どうやらごっちゃになっているが、現地での軍隊の様子がうかがい知れるものとなっている。初めて見た時は、祖父に「これはどこだ」などと聞いて説明してもらったが、もうすっかり忘れてしまっている。「茂山」などという地名らしきものが出てくるが、今となってはどこなのかわからない。

 果たして祖父のように応召した兵隊がみな写真を手にできたのか、あるいは希望者のみ購入という形で手にできたのかはわからないが、もし後者なら今日子孫がその恩恵に与っていると言う事になる。祖父は二度目の出征時、病気になって除隊した。それはそれで幸運だったのだと思う。

 アルバムには当時の看護婦の写真がある。聞くところによるとかなり重い病気だったらしいが、回復に向かってからは看護婦さんたちと楽しく交流していたらしい。「じいちゃん、もてたの?」と聞いたら、ニコニコしながら「もてたさ」と答えてくれたのを今でも覚えている。

 さらになぜか水着姿の女性の写真まである。当時は水着も、それを写した写真も珍しかったのではないかと思うが、つくづく、生前もっと祖父を「追求」しておけば良かったと思う。今から80年以上も前の世界。今ではそこに写っている人たちは誰もこの世にいないと思うが、そんな写真を眺めているのも不思議な感じがする。

 今では誰もがカメラを持つ現在、自分達も何気なく何枚も撮っている写真は、果たしていつまで残るのだろうかとふと思う。デジタルデータが大半だから、祖父の写真よりは保存が容易いのかもしれない。今は普通に眺めている景色を、「昔はこんなだったんだね」などと言って子孫たちが見るのかもしれないと思うと楽しい気がする。

 そう言えば、旅行に行っても我が家は夫婦で撮るものが違う。妻は家族の写真、私は風景だ。独身の頃から、旅行先では風景を中心にカメラに収めた。それは自分の曖昧な記憶を補う意味もある。自分の足跡を記した場所を記録に残しておきたいと思うからだ。

 レストランに行けば、テーブルの上の料理とそれを食べる家族の写真を撮る妻。そして出てきた後、振り返って店の外観を撮る私。カメラは一台だから、バランスが撮れていていいかもしれない。しかし、撮るだけ撮って全然整理もしていない。これだと子孫も迷惑かもしれない。いずれ時間を作って整理しようかと思うのだが、データになった現代は、どうやって整理すればいいのだろう。

 ゆっくり研究するとしようと思うのである・・・





2013年8月31日土曜日

JRのキャンペーンを斬る!

 最近、JR駅構内を歩いていると、さかんに「エスカレーターみんなで手すりにつかまろうキャンペーン」なるものを宣伝している。なんのこっちゃと思うが、よく聞いていると、「右側に立って」「歩行する事なく」と続き、どうやらエスカレーターでの歩行をやめさせようというものだとわかってくる。

 エスカレーターに乗ると、みんな左側(大阪ではなぜか右側)に立ち、右側(大阪ではなぜか左側)は歩く人に譲っている。ここ10年くらいの間に定着した慣習である。それを変えようというのは至難の業だと思うが、JRもなかなか思い切った事をやるなあと感じた。

 では、このキャンペーンは成功するだろうかと考えると、それはまったくもって不可能だと思う。おおよそ社会の中で自然発生的に生まれた慣習を変えるのは並大抵の事ではなく、相当な力技が必要だ。それなのに、そもそも「エスカレーターでの歩行はやめましょう」と直接訴えるのではなく、「手すりにつかまろう」と遠回しな言い方になっている事からして無理だと思う。私のようなアマノジャッキーは、「歩く時手すりにつかまればいいんだろう」と思ってしまう。

 この企画がJRの中でどのようにして生まれ、そしてどのようなプロセスを経て認められたのか、実に興味深い。トップダウンかボトムアップか。「何かキャンペーン企画はないか」と問われた若手が提案し、他に何もなくてスルスルと認められたのだろうか。

 そもそもであるが、本気でやめさせようとしたら、かなりのエネルギーがいるだろう。少なくとも構内放送で呼び掛けるだけでは、効果などまったく期待できない。エスカレーターごと、とはいかないまでも、主要なエスカレーターのところで駅員さんが立って呼び掛け、注意を促し続ける必要があるだろう。それこそ、今キャンペーンでやっているように、「駅員が右側を立って利用する」事も当然必要だろう。

 ただそれでも問題があって、それは「エスカレーターがあるのはJR駅構内だけではない」という事である。接続する私鉄沿線にもあるし、空港やデパートやショッピングモールなどありとあらゆるところにある。例えJRの駅構内だけ歩かないようにしようとしても、その他で変わらなければその慣習自体を変えるのは難しいだろう。そう考えると、この試みは効果なく終わるだろうと言う事がわかる。

 しかしそれ以前に、なぜエスカレーターの歩行が危ないのだろうかと考えてみる。床が動いている以上不安定だという理屈はわからなくもない。ただある程度動きに合わせて歩けばそれほど危ないとは思えない。お年寄りや子供などは危険度は増すと思うが、それはそういう人は歩行を控えれば良いわけだし、そういう人たちには利用者も配慮するのは当然だ。

 エスカレーターの歩行が危ないというが、例えば事故率とかの根拠があるのだろうか。いや、例えあったとして、そもそも階段でもコケる人はコケるわけで、それが「エスカレーターだったから」コケたのか、階段でもコケたのかはわからない。まあ「ただでさえ」階段は危ないから、エスカレーターならよけいに危ないという事は言えるかもしれない。

 そうであるならば、やはり歩行はやめましょうではなく、まず「手すりにつかまりましょう」と言うべきだという事になる。その上で、「出来ることなら歩行はやめましょう」という事なのかもしれない。そう考えると、このキャンペーンも理屈にあってくるような気がする。
だがなぁ、とも思う。

 人がエスカレーターでコケる事まで心配してくれるというのも、ありがたいものなのだろうか。子供にはよくいろいろな場面で、「危ないよ」と注意するが、大人には言わない。子供並みと思われているのだろうか、それとも「自分が転んだのは、路上の石を放置していた道路管理者である国の責任」と言って訴えるような人もいるかもしれないと考えての事だろうか。

 休みの日に少し酔った頭で、くだらない事をあれこれ考えてみるのも、くだらなくて面白いと思う自分である・・・

2013年8月24日土曜日

消費税は増税するべきか

 参院選で大勝利し、ねじれ国会も解消し、安倍政権もいよいよ本領発揮というところ。そろそろ世間では、来年春に迫った消費税引き上げを巡る議論が始ったようで、いろいろなところで賛否両論を目にする。
「予定通り上げるべきだ」
「いや、ここで上げたら元も子もない」
賛成、反対それぞれ耳を傾けているが、正直自分でもよくわからない。

 消費税率を引き上げることの最大の意義は、財政の健全化を進めること。国の借金残高(国債、借入金、政府短期証券)は6月末で初めて1,000兆円を超え、なお止まる気配はない。GDPの2倍近い水準は先進国では最悪。財政を圧迫する最大の要因は社会保障費の増加で、急速な少子高齢化の進展で、年金・医療費など社会保障費は年1兆円規模で増加しているらしい。これ以上この状態を放置すると、日本の国債の国際的な信認は落ち、金利が上昇し、その負担が覆い被さるのだという。そして消費税率を1%引き上げると、年間で約2兆7,000億円の増収につながるらしい。

 一方で、税率を引き上げた場合の懸念材料は、景気を冷やす恐れだ。黒田日銀総裁は、「消費税を上げても経済成長は続く」と強気だが、大和総研の試算では、夫婦どちらかが働く年収500万円の4人家族の場合、消費税が10%となった後の2016年には、5%の2011年に比べ、消費税負担が年間16万7千円増えるとしている。厚生年金の保険料増加など消費税以外の負担増を含めると年間31万~32万円に達しするというから、相当な負担増である。これだけ増えても経済成長に貢献できるほどの消費生活を送れるかと考えると、我が家に限ればほとんど不可能だ。

 1997年4月に消費税率を3%から5%に上げた際は、同年4~6月のGDPは、個人消費や住宅投資の落ち込みの影響で年率換算で3.7%減と大幅に落ち込んでいる。さらに極め付けは、肝心の税収。1997年の税収は53.9兆円であるが、以後税収はこれを上回っていない。つまり消費税を上げても所得税及び法人税が減ってしまい、トータルでの税収は増えていないのである。

 どちらもそれなりに専門家が主張している事であり、素人の自分がどちらが正しいなどという事はできない。ただ、我々の生活実感からしてみれば、やっぱり上がらない方がいいに決まっている。私の乏しいこずかいがまたまた目減りするのは確実だからだ。国家のためには仕方ないのかと思う反面、何だか相変わらず違和感を覚える議論だ。どうして「入り」の議論ばかり熱心で、「出」を抑える議論が聞こえてこないのだろう。

 身の周りでもおかしな事が多い。その一つが道路の拡張。最近我が家の比較的近所では大きな道路が開通した。さらに娘が通う中学校の真ん中を通る道路の計画がどうやら動き始めた。両親の住む実家は、戦後間もなくの道路事業がいよいよ認可になり、数年後には立ち退きが必要と告知された。いずれも「なくても困らない道路」だ。そんなお金、どこにあるのだろう?

 老朽化が進んでいる首都高の補強とか、トンネル事故の例をだすまでもなく、道路の補修・補強工事は仕方がない。だが、なぜ住民から要望があるわけでもない(娘の中学分断道路などは反対論が出ている)道路を作るのだろう?これこそ「無駄」というものに他ならない。

 東京オリンピックと言って騒いでいるが、これだって景気浮揚効果も一時的だろうし、一体いくらの税金を使うのだろう。現実的に長野オリンピックでは、長野県は莫大な県債を抱え込んだと報じられていた。東京都は豊かだから大丈夫だとかいう話ではない。それだけ豊かなら住民税を還付してもらった方がはるかに良い。「無邪気にオリンピック誘致」などと浮かれている人は、そうしたところを考えているのだろうか。

 個人の生活はいくらでも自助努力するが、こういう社会の問題は自助努力の範囲外だ。だからよりよい判断をして欲しいと思うところだ。新しい道路の建設はすべて凍結し、オリンピックはさっさと辞退し、その分住民税を大幅に下げて都内の景気刺激策とする。まずこれだけでもやる効果はあるだろう。

 その上で消費税だが、やっぱり上げない方が正解な気がする。それが生活者としての実感である・・・

2013年8月17日土曜日

過ちは繰り返せない

 終戦の日を境に、ネットではツイッターを含めて様々な「戦争観」が飛び交っている。自虐史観と言われる「日本がすべて悪い」という考え。靖国史観に代表される「やむを得なかった」という考え。考え方はひとそれぞれ、いろいろあっていいと思う。ただ自分としては、“事実”から冷静に自分の考えを導きたいと常に思っている。

 原爆の慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれているそうである。では、「過ち」って何なのだろう。日本はどこでどう道を誤ったのだろうと考えてみる。

 学校での日本の歴史の勉強は、明治維新から始めるべきだと、個人的には考えている。その方が大事な昭和史をきちんと学べるからである。黒船による開国から、不平等条約の解消を目指していた「坂の上の雲」の時代。日本は先進国に追いつき追い越せと国を挙げて富国強兵に励んでいた。しかし鎖国時代ならともかく、富国強兵に必要なのは石油や鉄などのいわゆる資源。日本には決定的に欠けていたものである。

 当時は先進国はみな帝国主義を掲げ、世界各地に植民地を建設。それが国富の元であった。日本はもともと識字率も高く、勤勉な国民性もあって、アジアで唯一先進国グループの末席に潜りこんだ。しかし、欧米に伍していくには資源が必要。世界中に植民地を建設していた先進国が、最後に残された中国大陸に押し掛ける。

 既にアヘン戦争によってイギリスは香港を奪い、南下策を取るロシアは、日露戦争で一旦は押し返されたものの、すぐにソ連に変わって圧力を増してくる。ぐすぐすしていたら、日本の取り分はなくなってしまう。そして資源を外国から売ってもらうと言う事は、貿易が当たり前の現代ならいざ知らず、当時は「扉を閉ざされたらそれまで」の恐怖を意味する(事実、日本はABCD包囲網でこれをやられ、戦争へと舵を切った)。日本が朝鮮半島、中国大陸へと侵略していったのはこういう背景だ。

 これが過ちの一つだと言えるが、侵略を見送っていたなら、たぶん中国は英米ソら先進国によって分割されていただろう。日本もロンドン海軍軍縮会議で抑え込まれたが、もっと簡単に先進国によって杭打ちされていただろう。アジアでは日本とタイのみが植民地化されていなかったが、これもどうなっていたかわからない。不平等条約のような屈辱に喘いでいたかもしれない。

 だが、我が祖先はそこで先進国に負けじと、先進国と「同じ方法」で富国を図った。日本“も”中国大陸に駒を進めたのである。そして先進国と分捕り合戦を展開。ここで健闘し過ぎてしまった。だからアジアで日本の台頭を心良く思わない欧米を敵に回してしまったのである。

 イギリスやアメリカが正義だったから戦争に勝ち、日本が悪の侵略国だったから戦争に負けたのではない。世界の覇者として影響力のあるイギリスとの同盟を失うような対応を取り、資源を十分に確保しているアメリカと戦争をしたから、負けたのである。そして歴史は勝者によって作られる。「勝てば官軍」である。

 いち早く中国に侵略し、香港を奪い、その後100年にわたって香港を占領していたイギリスに中国が何も文句を言わないのは、「敵の敵は味方」の理屈で支援してくれたアメリカの同盟国だったからだ。単独では日本に勝てなかった中国だから、助けてくれた英米に文句は言えないのである。そして同じ侵略国でありながら、日本だけが敵視されるのは、もちろん日中戦争の相手だからであるが、戦争に負けた「池に落ちた犬」だからに他ならない。

 何が“過ち”だったかと言えば、やっぱり「アメリカを敵に回した事」に尽きるだろう。「喧嘩する相手を見極め、そしてうまく立ち回る」これができなかったのである。日露戦争ではアメリカは日本の側についたし、三国干渉もしなかった。うまくアメリカと歩調を合わせていたら、歴史は違ったものになっていたかもしれない。中国もどうなっていたかわからないし、日本の敗戦を機に一気に独立へと動いたアジアの植民地諸国の独立ももっと遅れていただろう。もっともあまり追随していると、のちにベトナム戦争に参戦した韓国のようになっていたかもしれないから、微妙なところではある。

 今は今。不幸な歴史はこれで良かったとは言えなくとも、仕方のないものなのだろう。戦争反対は結構だし異論はないが、歴史をよく知った上でそれに基づいた意見を語ってほしいと思う。それに歴史の教訓ではないが、中国とはもっと距離を縮めておいた方が良いと思う。昭和史はまだまだ学ぶ余地はありそうだ。これからもライフワークの一つとして興味を持っていきたいと思うところである・・・




  

2013年8月15日木曜日

終戦の日

 本日は、終戦の日。祝日ではないものの、日本では誰もが知っている日である。68年前と言われても生まれる前だし、教科書の中にあるその日は、想像力を逞しくしてもなかなか想像できるものではない気がする。

 そんな中、安部首相に対して靖国神社への参拝が注目されていたが、首相は“私費で”玉串料を納めるにとどめた。代わりに稲田行革相らの議員90名が靖国神社を参拝したと、「朝日新聞」が報道した。毎年、誰が参拝するのかがいつも報じられる。

 そもそもであるが、靖国神社は、国のために命を落とした軍人・軍属等の戦没者が英霊として祭られているところである。アメリカでもアーリントン墓地が有名であるが、国のために命を落とした人たちを祭るという事は当然すべき大事な事であり、他所の国の人にとやかく言われるべき事ではない。いつでも堂々と行けば良いと思う。

 ただ、それが中国・韓国に対して不快感を与え、両国がいつも過敏になっている問題であり、そこをどう考えるかが難しいところだ。「自分がやりたいと思うから、やる権利があるからという理由で、人の嫌がる事を敢えてするのか」という点は大きな問題である。

 個人的には、韓国は大嫌いだから気にする必要はないと思う一方、中国には一定の配慮は必要だという複雑な思いだ。ましてや国を代表する政治家であれば、個人的な感情は抜きにして真剣に考えないといけない事だろう。安部総理が参拝を見送ったのは、賢明な判断だと思う。

 靖国神社の問題点は、戦犯が眠っているというところだが、戦犯と言っても我々の立場からすればとんでもない事であり、勝利者のアメリカが自らの罪は棚に上げ、すべての責任を裁判という形で敗戦国に押し付けた恥ずべき行為。対外的な思惑を別とすれば、本来であれば国を挙げて参拝すべきところなのである。

 それにしてもいつまで中国・韓国の顔色を伺い続けなければならないかと考えると、困った問題である。解決策はないのだろうかと考えていて、ふと思ったのが、内緒で行けば問題ないのではないだろうかということだ。我ながら実に姑息な手段だが、静かに行って静かに参拝して帰ってくれば問題も起こらないと思うがどうだろう。国民もみな見て見ぬふりをするのだ。中韓だって、わからなければ不快な気分にもならないだろう。

 そう考えるとマスコミもこの問題に対して注目し過ぎだ。8月も近付くと、首相は参拝するのか、閣僚は、誰が行くのか行かないのか、と騒ぎだす。そして、中韓の反応を面白おかしく書き立てる。まるで煽っているようだ。朝日新聞などは、この問題が大きくなる事を望んでいるかのような報道ぶりだ。

 よくよく考えてみると、問題はマスコミにあるのかもしれないと思い至る。「お~と、今年も閣僚の○○が参拝するぞ、さあそれに対して中韓の反応は?案の定、抗議が来た、抗議が来ました、さぁ総理はどうする?どうする?問題だ、問題だ!」プロレスの実況中継よろしく、問題を煽りたてて正義感ぶっている。いったい、どこの国のマスコミなんだか・・・

 事実を事実として報道して何が悪いというのが、マスコミの立場なのだろう。事実であれば人が不快に思う事でもなんでも報道するのが、その“使命”なのだから仕方ないのだろう。ご立派な使命だとつくづく思う。

 戦国武将好きから高じて歴史好きに移行しつつある我が息子。学校で借りてきて読んでいる「日本の歴史」シリーズも、第2次世界大戦が含まれる近現代に及んでいる。本の記述には怪しいところもあるし、ここは親としてしっかり“歴史教育”をしようと思う。靖国問題もしかり、だ。

 そしてそれと平行して、相手への思いやりという事も忘れぬように教えよう。先祖に恥じる事のない日本男児に育つよう、自ら手本になる意識も忘れぬよう教えていきたいと思うのである・・・

【本日の読書】

借入は減らすな!―――『無借金経営』は愚の骨頂! (あさ出版電子書籍) - 松波竜太



2013年8月9日金曜日

忙しい昼の合間に

 平日のランチは、大概社員食堂で済ます事が多い。しかし、外出時と重なる時は、当然外出先で探す事となる。その時、真っ先に候補に上がるのが、「どんぶり系」である。マックなどのファーストフード系はまずない。そして「どんぶり系」と言えば、牛丼の「吉野家」、天丼の「てんや」、親子丼の「なか卯」といったところが、「3大候補」となる。もちろん、吉野家などはもともとファンであり、独身の頃は毎週末のランチは必ず吉野家へ行っていたくらいの“中毒”である事もあるが、忙しい時間帯ゆえに「安くて、早くて、おいしい」という利点があるのが大きいと言える。

 どんぶりと言えば、実は最大の好物は「かつ丼」なのであるが、これは残念な事においしいチェーン店がない。個々の店ならたぶん探せばあるのだろう。ただ、大阪にある「 喝鈍滝見小路」のように、泣きたくなるくらいおいしいかつ丼屋さんがあれば毎日でも通うかもしれないが、そんなところがないのが実に残念。と言っても探す努力をしていないのも確かだから、それは今後の課題だ。

 上に挙げた3つはいずれもチェーン店だから、外出先でどこに行っても探しやすいというのが利点でもある。たいがいの駅の周辺にはいずれかがある。これも実に便利だと思う。その他にも条件を満たす店舗はある。例えば牛丼で言えば、松屋やすき家が大手としてある。ただ味という点では、吉野家が頭一つ抜けている。すき家の場合、牛丼以外にもメニューがあるので、いざとなった時には代替案としては十分採択できる。ただ松屋はダメだ。

 たまに「牛丼戦争」などと言って、ニュースで安売り合戦をするのを耳にする。だが、個人的には関係ない。例え吉野家の牛丼が500円で、松屋の牛丼が10円でも松屋には行かないからだ。人それぞれだから他人の事はとやかくは言わないが、松屋は食事をするところとは思えない。

 今は飲食店は厳しい時代。デフレで売価は下げねばならず、そのためには極力人件費を削って店舗運営コストを下げないといけない。そのためアルバイト中心の運営になるし、調理も店舗でするのは簡単なものとなる。だからだろう、味はひどいものだし、サービスも当然アルバイトのレベルだ。以前の出来事に恨みを持っているわけでは決してないが、あそこで食事をしても、腹はふくれるかもしれないが幸せな気分にはなれない。たかだかワンコインの世界で、そこまで身を落としたくはない。
どうしても松屋しかなかったら、コンビニでおにぎりを買った方がまだ良いだろう。

 モノを食べる時に幸せな気分になれるかどうかは大事なところだ。こずかいが多いわけではないが、その一線は守りたいと思う。
一方、ラーメンという捨てがたい選択肢もある。ただラーメンの場合、おいしい店は行列が出来ている事が多いので、仕事で外出中の時間に余裕のない時には利用しにくい。それにあらかじめ知っている所ならともかく、そうでなければ探す手間もある。やっぱりチェーン店のネットワーク網に勝るものはない。

 仕事の合間のささやかな楽しみという点で、やっぱり上記の3大チェーン(+1)は重宝したいところだ。これからもへんな安売り競争に巻き込まれる事なく、堅実経営を維持して変わらぬ味を提供していただきたいと思うのである・・・



2013年8月2日金曜日

2013サイパン旅行記~観光客編~

 その昔、友人と大学の卒業旅行でオーストラリアに行った。
あちこちで景色の写真を撮るたびに、その友人は「日本人が写る」と腹を立てていた。
それほどどこへ行っても必ず日本人がいたのである。
サイパンなど、日本人だらけだったと聞いている。
そんな話も今は昔。

 今回サイパンに初めて行って感じたのは、「中国人だらけ」という印象だ。統計を取ったわけではないが、皮膚感覚では日本人より多いのではないかと感じた。耳に入ってくる言葉を聞けば中国語だというのはわかるが、それが北京語なのか広東語なのかまではわからない。だから中国人と言っても、本土以外に台湾人も混じっていたかもしれない。

 そしてその次に多かったのが韓国人。ホテルでもビーチでも、中韓に圧倒された感じであった。さらに意外なのがロシア人。白人系は、やっぱりアメリカだからアメリカ人かと思っていたが、よくよく聞き耳を立ててみるとロシア語を話していた。モスクワなどからだと距離もあるが、ハバロフスクなど極東なら距離的にもそんなに遠くない。伝統的に南進の歴史のある国だから、案外手頃な観光地なのかもしれないと感じた。

 そんなわけで、プールサイドでは、中国語、韓国語、ロシア語に地元の従業員が話すチャモロ語、さらに関西弁が混じってなかなか国際色豊かであった。プールサイドでは国際色豊かでも、DFS(免税店)へ行くと中国一色である。中国人はわりと家族単位で来ているようだが、免税店では数で圧倒。私も時計に興味を惹かれて寄って行ったが、10万円以上の高級時計のショーケースの前は中国人グループに占拠されて近寄れなかった。

 まぁ別に支障はなかったのだが、店員さんも中国系で、お互い中国語でやり取りをしている。今回あちこちで、「ジェットスキードウ?」「マッサージ、ヤスイヨ!」とカタコトの日本語で話しかけられたが、それらが中国語に変わるのもそんなに遠い未来ではないと思う。

 いろいろ観察していると、韓国人はカップルで来ている人が多いようだった。恋人同士なのか夫婦なのか、子連れの若い夫婦も含め、大概が若いカップルだった。中国人はその外見で大体それとわかる。ファッションが日本人と違う(特にメガネとヘアスタイルはすぐわかる)というのが一番であるが、その点韓国人は見かけで判断するのが難しかった。大陸系の顔立ち以外ではちょっと見分けられない。それだけ韓国とは距離が近いのかもしれないと思われた。反韓人を公言して憚らない私であるが、いろいろ観察してみると、実際会話でもしたら反韓の印象が変わるかもしれないと、なぜだか漠然と感じたのである。

 中国人はファッションの相違に加え、態度も気になった。レストランでもDFSでも、「金持ってるんだぞ」という雰囲気を醸し出していた。まさに田舎の成金という感じだ。それらは見ていてあまり気分の良いものではない。ただ考えてみると、かつての日本人もそうだったようだし、「中国人だから」と決めつけるのは良くないだろう。そういう姿を見て、日本人も自らの態度を省みる必要があるだろうし、「人の振り見て我が振り直す」良い機会なのかもしれないと思う。

 かつて日本人ばかりと嘆いた友人Kだが、今のサイパンを訪れたら何と思うだろう。たぶんこの傾向はもっと加速するような気がする。もしも溢れかえる中国人旅行者に不快感を抱くとしたら、それはそのままこれまで日本人が与えてきたものかもしれないと思った方がいいのだろう。

 仮にもしも中国人旅行者がもっと増えて、我々日本人の肩身が狭くなったとしても、そうなったからと言って何も嘆くほどの事はない。周りがどうであろうと、自分達の旅を楽しめば良いだけの事だ。時折見かけたロシア人旅行者たちは、実に悠然と過ごしているように見えた。我々もまたそれを見習って悠然と過ごせば良いだけだ。我が物顔に札びらを切って大きな顔をするのではなく、地元の人に愛される旅行者になるように振舞うべきなのだろう。

 今回の旅行を通じていろいろと思うところも多かった。我が家もそんな旅行者になれるよう心掛けたいと思うのである・・・
    




2013年8月1日木曜日

2013サイパン旅行記~飲食編~

 旅行の楽しみの一つは、現地での食事。
我が家はただでさえ、「生きる事は食べる事」という信念の持ち主が二人もいるから尚更なのだが、そういう私も昔から旅先での食事は楽しみにしていた。
それも思いっきりローカルな食事である。

 その昔、独身時代にシンガポールや香港、マニラなどへ遊びに行ったし、結婚してからもセブ島、バリ島などローカルの人しか行かないような店に行くのが大好きだったものである。それは今でも変わりない。今回もいくつか行ってみた。


At the Park

 朝食で2回行ったのは、“At the Park”という、その名の通り記念公園に面したカフェ。店内には地元のおじさんが新聞を広げていたり、何やらパソコンを開いていたりする人たちがいる。パンケーキやハンバーガー、オムレツなどの食事が飲みモノとともに提供される。

 例によってアメリカンサイズで大きいから、大人二人子供二人の我が家では3プレートで十分であった。コーヒーはスタバのようなスペシャリティコーヒーが種類も豊富。ただ、チョコレートラテはめちゃくちゃ甘過ぎて閉口した。

 昼に行ったのは“Shiery’s”。ここも店内の客は、地元の人が大半を占めていた。大皿にどさりとライスが盛られ、チキンなどの料理がつくプレートが目につく。ここも3皿(娘はワンタン麺だった)で間にあう。日本の米とは違うが、ちょっと細身のアジア米のガーリックライスで美味この上なかった。




Coutry House
 夕食で行ったのは、“Country House”。ここはステーキ店。やはりアメリカと言えばステーキ。店内にはジョン・ウェインやインディアンの写真が飾られ、西部の雰囲気。サイパンで西部かと言うなかれ、やはりアメリカの一部には違いない。そのステーキも、最小の225グラムで十分。付け合わせのいんげんやニンジンやポテトも美味で文句なし。ビールはもちろん、バドワイザー。スーパードライもあったが、ここでそれを飲むのは無粋というものだろう。


 最後の夜に行ったのは、“Bobby Cadillach”。ここはハンバーガーとピザとその他のローカルフードのお店。ここではハンバーガー&ピザを堪能。普段、マックのハンバーガーを食べ慣れていると、パンにハンバーグとオニオンとピクルスを挟んだだけのシンプルさが新鮮。ケチャップをたっぷりかけてかぶりつく。味も美味。飲みモノをオーダーすると、缶のまま出てくるところが何とも言えない大雑把な味わい。

 今回もホテルのレストランは結局一度も利用しなかった。街中をブラブラ歩きながら、レストランを訪ねて行って食べるのも旅先ならではの味わいというもの。それにしても、価格面ではほとんど国内と遜色はない。毎食ごとに30ドル程度かかるし、ステーキなどは150ドル近くかかったし、やっぱり経済的にも旅先のみの楽しみというところだろう。

 基本的に支払いはカードを利用した。来月には請求が回ってくるだろうが、それまでは楽しい余韻に浸っていたいと思うのである・・・

Bobby Cadillach
 
 
 
 

2013年7月31日水曜日

2013サイパン旅行記

 夏休みに突入し、今年の我が家はサイパンへ行ってきた。基本的に我が家は、「南の島でのんびり」を旨としている。これまでグアムには二度行っているため、今年は少し趣向を変えて行き先をサイパンへと定めたわけである。当然、南の島はもっといろいろとあるわけであるが、そこは恥ずかしながら経済的な事情も加味されているわけである。

フィエスタ・リゾート&スパホテル 
 早くからJTBのツアーに申し込み、宿泊はフィエスタ・リゾート&スパ/サイパンにした。部屋へ入ってみると、窓から海が一望できるし贅沢を言えばキリがないので、まずまず満足な水準。着いた翌早朝、一人浜辺を散策。初日の予定が空白だったため、どう一日を過ごすかプランを立てるための準備である。大黒柱も楽ではないのである。

朝の空気に触れ、白い砂浜の感触を楽しむ間もなく、「社長サン!」と随分古典的な呼び掛けに会う。「ジェッスキー、ドウ?、バナナボートイイヨ!」と現地のチャモロ人なのだろうか、真黒な顔のおじさんに話し掛けられる。

 滞在中、ビーチを歩けばこの呼び掛け、街をあるけば「マッサージ」と何回声を掛けられただろう。残念ながら、我が家のニーズとは合わず、すべて辞退した。日本人の人の良さであろうか、何だか断るのも忍びないのであるが、わずか20分程度のアクティビティに家族4人6,000円の価値は見出せなかったので仕方ない。これが600円なら、笑って付き合っただろうと思うが、物価は総じて日本より高目の観光地価格なので、シビアに選別せざるを得なかったのである。

 それはそれとして、ホテルの目の前に広がるビーチにはまず満足。翌日行ったマニャガハ島の透明度からは比べるべくもなかったが、それでも日本本土の水準からすれば遥かに透明。浜辺で遊ぶ子供たちを尻目に、ビーチチェアーに夫婦で寝そべり、青い空に眩い陽の光をヤシの葉が遮る下で、潮風に頬を撫でられながらまったりとまどろむ贅沢・・・


マニャガハ島
 今回の目玉の一つが、子供たちとのシュノーケリング。目の前を魚たちが泳ぐ様を見る機会はそうやたらに作れるものではない。マニャガハ島は、我々が泊まったフィエスタホテルのビーチからすぐ沖合に浮かぶ孤島で、船で10数分で行き来できる。ここに簡単な施設が作られ、利用者が様々利用できるようになっている。

着いてすぐにがっかりさせられたのが遊泳ゾーン。せっかくの島を囲む海なのに、狭い一画を区切られ、そこで遊泳するようにと指導される。狭い区画にたくさんの人が泳ぐせいか、魚もそんなに見られない。やむなくボートシュノーケリングのオプションを申し込む。島の沖にモーターボートで移動し、サンゴの海でシュノーケリング。そこはさすがに文句なく、水深も3メートルくらいあって、目の前に広がる海の中の世界に子供たちも狂喜していた。

 その遊泳区画であるが、よく見ればその他のところでも中国人らしき一群が泳いでいるのを発見。ならばとそちらに移動して、おっかなびっくり海に入る。そこは波も強く、かなり流されがちであるが、なんと珊瑚が広がっていて魚たちの種類も豊富でシュノーケリングにはむしろこっちの方が良い事が判明。

 よくよく観察してみれば、「ライフセイバー不在」との看板は出ていたが、「遊泳禁止」とはなっていない。たぶん日本的な感覚で、好きなところで観光客に好きな事をさせて、万が一の事があった時の責任やら何やらを考えて、安全な囲いの中に「誘導」したのであろう。当然十分な情報提供はして欲しいが、基本的には自己責任だし、必要以上に安全性優先で知らぬうちに楽しみを奪われるのは堪ったものではない。子供連れだし無茶はいけないが、考える力を失うと自分で判断できない羊になってしまうだろう。

 その他にも到着時には既にチェックインが済まされていたし、帰りの時間は朝少し早かったが、なんと頼みもしないモーニングコールをかけてきたりと、サービスとよけいなお世話が混合。予定よりも早く起こされて腹が立った事もあり、担当者にやんわり注意しておいたが、あまり至れり尽くせりというのも考えモノだ。JTBあたりは、何でもかんでもお膳立てし過ぎるきらいがある。高品質を支える「メイド・イン・ジャパン」の発想なのだろうが、海外旅行は多少「不便を楽しむ」くらいでちょうど良いと思うところである。

 まぁそれはこちらの心掛けにもよるところがあるだろう。便利は便利で利用させていただいて、自分で判断する部分はしっかり残しておけばいいのだと思う。満足いくサイパンの旅であったが、来年はハワイへ行きたいと密かに思うのである・・・
    



2013年7月24日水曜日

参院選雑感

 先週末の参院選は、事前予想通り、自公の圧勝で終わった。ねじれ国会も解消し、いよいよアベノミクス本格化のお手並み拝見といったところだ。前回の衆院選は、反民主党の結果という感が強かったが、今回は自民党支持の結果だろう。まあここ何年かの政権の中では間違いなく良いし、安部総理も「古い自民党に戻ったら未来はない」と発言しているし、ここは素直に期待したいと思う。

 それにしても投票率52.61%というのは、嘆かわしい数字だ(我が家の妻も誘ったが行かなかった)。有権者の半分しか投票しないという現実。ここに我が国の悪いところの原因があると思う。みんな人ごとで、どうでも良いことなのだ。日本の政治が三流なのは、四流のマスコミに騙されているのが原因ではなく、この無関心なのだと思う。

 開票結果を見てみると、私は今回は迷わず自民党に投票したのだが、案外民主党が頑張っているなと感じた。もちろん前回からは大幅に議席を減らし、「惨敗」と書かれていたが、自民から大きく引き離されたとは言え、それでも自民65に次いで2番目の議席数17である。まだ支持する人がいるわけで、この逆風下でも当選する人は、確固たる地盤を築いているというわけであるから、また自民が悪くなった時に備えていただきたいものだと思う。

 もうひとつ意外だったのが、共産党の奮闘。今回地味に議席数を増やしている。自民も民主も嫌だという有権者の票を地味に集めているのだと思う。私も若い頃は共産党に気持ちが行っていた事もあるから、そういう有権者の気持ちはわからないでもない。だが、誰かが言っていたように、若い頃の共産党支持は麻疹みたいなもので、社会人になってからは非現実的な理想論に愛想を尽かし、きっぱりと断ち切っている。人それぞれだから、批判するつもりはないが、「反自民」や「反民主」の受け皿がないというのも現実なのかもしれない。

 今回投票こそしなかったものの、その政策に大いに共感しているのが「みんなの党」である。主要政策はほぼ完全に同意できる。それに対し、自民党は原発政策推進という点で共感できないところがある。みんな「喉元過ぎれば」、というところがあるようで、「あの時の恐怖心」をすっかり忘れてしまっているようだ。シェールガス革命が本格化すれば、原発よりも低コストの発電が可能になるという意見も耳にするし、日本が「本気になれば」道は簡単に開けると思うのである。

 そんなみんなの党であるが、結党以来地味に勢力を伸ばしている。特に「電力団体」「医療団体」「農業団体」を既得権益3兄弟として敵視しているところは大いに共感できる。今回は見送ったものの、次回からはまた支持しようと思うところである。嘆かわしい投票率であるが、やれる事はやっている。

 妻を毎回懲りもせず、ふられるのを覚悟で誘っているし、将来のタネまきもしている。家庭では常に子供の視線を意識して、選挙のたびにきちんと投票に行く姿は見せている。本当は会場まで連れて行って、投票するところまで見せたいのだが、現状はなぜかそれが禁止されている。だからせめて行く姿勢だけでも見せたいのである。未来の「権利を行使する」有権者をきちんと育てたいと思うのである。

 願わくばこれでしばらくは選挙の必要性がない状態が続いてほしいものである。そして次回はみんなの党にすべきか、多大な成果を上げた自民にすべきか、死ぬほど迷わせてほしいと思うところである・・・


2013年7月20日土曜日

日本経済はアベノミクスで復活するのだろうか

 明日はいよいよ参院選である。ここまでのところ、安倍政権は安定しており、どうやら自民党は公明党とあわせて参院でも過半数を獲得しそうな感じである。別にそれはそれで不満はないし、ねじれ解消後のお手並み拝見という気分もあるから応援したいとさえ考えている。だが、本当に大丈夫なんだろうかと言う気持ちも、正直言ってある。

 すでにアベノミクスで日銀は大胆な金融緩和を実施。物価を2年間で2%上げると息巻いている。過去失われた20年と言われ、その元凶はデフレだと言われているから、2%の物価上昇でデフレ脱却し、日本経済大復活という狙いなのだろう。だが、本当にそれが正しい処方箋なのだろうか。

 私は経済理論に詳しいわけではないから、それに対して明確に語れる意見など持ち合わせていない。おそらく世の中の大半の人がそうだろうと思う。しかし、何となく「それでホントに大丈夫なのか」と漠然と思う。

 例えばデフレの正体だが、これは簡単で、一言で言えば内外価格差だ。つまりそれまで国内で高く作っていたものを、海外で安く作れるようになった事によるものだ。私が1988年に大学を卒業し、卒業旅行で中国経由オーストラリアへ行った時、中国の物価が日本に比べて恐ろしく安かったのに驚いたものである。

 コーラだけはそんなに差がなかったが、タクシーをチャーターして半日天安門広場を見学し、ランチして3,000円くらいだった(実はタクシーの運ちゃんに吹っかけられているのはわかっていたが、あまりにも安くて断る気になれなかったのだ)。

 その頃、「製造」→「1次卸」→「2次卸」→「小売」と商品は流れ、最終消費者である我々が買っていたものを、今はユニクロなどが「製造→小売」となっている。しかも「製造」は中国だから、「製造→1次卸→2次卸」の部分が国内からなくなってしまったのである。ここの部分を占めていた人たちが職を失い、それで価格が下がったのがデフレである。元に戻すならここの人たちを復活させないといけないのではないか、と単純に思うわけである。2%物価が上がっても、それが「小売価格」なら、潤うのはユニクロだけだ。

 例えばスーパーの物価が2%上がるなら、スーパーの仕入価格も2%上がるとする。するとスーパーに卸す農家や漁民や中小製造業者も2%収入が増える。だが、それが給料に還元されないと、消費者はスーパーで上がった値段でモノを買えない。収入が増えるまでは、相変わらず安いところを探すか、必要最低限に財布のひもを益々固く締める事になる。そうなるとモノは売れないのではないかと思うのである。

 例えば100万円の商品を売る会社がある。原価率40%、経費率50%、利益率10%だとする。2%物価が上がると商品価格は102万円となる。上がった2万円の内訳は、原価部分が8,000円、経費は10,000円、利益は2,000円だ。このうち人件費は経費に含まれる。経費の内10%が人件費だとすると、1,000円。従業員が100人いたら、一人当たり10円。理屈でいけば、売っている商品の価格が20,000円上がっても、給料は10円しか上がらない。

 もちろん、1,000万円、1億円と売っている会社もあるから、それぞれであるが、イメージとして物価が上がるほどには給料は上がらないと言えると思う。企業の論理として、給料を上げるのは最後だ。ギリギリまで据え置いて、上げてもやっていけると判断して初めて賃上げとなる。つまり物価の上昇が先行するわけだ。

 我が家で言えば聖域である家計費は不動だから、物価の上昇→家計費値上げ→こずかい減少となる。これは実に恐ろしいシナリオだ。個人的にはデフレの方がマシではないかと思ってしまうが、これは間違っているのだろうか。デフレを脱却して、その先に豊かな生活が、果たして待っているのだろうか。

 誰か、上の理屈のどこが間違いで、アベノミクスによってデフレを脱却し、日本経済大復活となる理屈を説明してくれないだろうか。日曜日は、おっかなびっくり選挙に行く事にしようと思うのである・・・

2013年7月15日月曜日

ミレー

 中学1年の娘が夏休みに美術館へ行きたいと言い出した。何でも早くも夏休みの宿題が出て、それは「美術館へ行って絵画を鑑賞しレポートを書いて提出せよ」というものであるらしい。それを聞いて真っ先に思い浮かべたのは、山梨県立美術館である。

「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」 
 実は私は昔から絵画が好きで、確か中学の頃だったと思うのだが、山梨県立美術館へミレーの絵を見に行った記憶がある。その時いたく気に入って、ポストカードか何かを買って帰ってきた。たぶん、「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」だったと思う。そんな経緯から、それなら娘にもミレーを見せようと思った次第である。

 幸い、この週末は毎年恒例の桃狩りに行く予定を組んであった。調べてみると、いつも行くイチフル農園から山梨県立美術館はわりと近い位置にある。もう娘も桃狩りのあとは近くの公園で水遊びというわけにもいかない。桃狩りの後、どうするかと思っていたのでちょうど良かった。それにいつもほうとうを食べる「小作」の支店も美術館の目の前にあると言う事もあり、スケジュールが決まったのである。


山梨県立美術館 
 さて、訪れてみると非常にきれいな美術館で、私の記憶にはまったくない建物。建て替えたのかもしれないし、そもそも忘れてしまったのかもしれない。ミレーの絵は、山梨県立美術館所有という事で常設展として展示されている。

 パリ近郊のバルビゾン村という農村に住み、生涯にわたって働く農夫たちを描いたミレー。
「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」を始めとして、有名な「種をまく人」や「落ち穂拾い」の「夏」版などが展示されていた。静かな館内に展示されているミレーの作品を前にじっとたたずむ娘。

 小学校2年の息子はさすがに退屈そうで、「冬、凍えるキューピッド」の前で、そこに描かれたキューピッドを見て、「おちんちん!」と喜んでいる有り様だった。宿題では好きな絵を3点選んでレポートを書くことになっているが、娘は「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」、「冬、凍えるキューピッド」とモンティセリの婦人像を選んでいた。

冬、凍えるキューピッド
モンティセリ「婦人の肖像」 
 若干、好みは違ったものの、良い選択だと思う。個人的には、ミレーだと「晩鐘」が一番好きであるが、残念ながら本物はパリのオルセー博物館に行かないと観る事はできない。いつかパリに行くか、向こうから来るか、いずれにせよ本物を拝む機会はすぐにはありそうもない。

 絵を見ていると、本当に飽きない。いつまででも眺めていられる気がするから不思議である。なぜかと問われても答える事は難しい。もちろん、当時の貧しいフランスの農民たちの暮らしぶりが珍しいという事あるだろうが、それだけではない。才能ある画家によって切り取られた一瞬、一瞬に目が行くとでも言えるのだろうか。それはある面で写真にも通じているのかもしれないと思う。

 自分でも絵を描きたいとその昔思った。しかし、どう考えてみても自分にはその才能がない。ならば学ぼうと高校に入った時に決意。美術部の門を叩いたが、同時に入ったラグビー部の練習が忙しくて、一度も参加しないまま幽霊部員にもなれなかった。いまでもその気持ちがなくなったわけでもなく、「いつかそのうちに」と思う気持ちはまだ残っている。

 「いつかそのうち」という日は永遠にやってこないとわかっているが、子供の教育・教養という意味では、本物を見せるという事は必要なのかもしれない、と改めて思う。自分の趣味はともかくとして、また機会を作って行くのも良いかもしれないと思うのである・・・



晩鐘

落ち穂拾い




2013年7月10日水曜日

航空自衛隊

 先週末、いつも参加している勉強会で空自の幹部の方にお話を伺う機会があった。私も伯父が航空自衛隊に勤務していたし、11月には入間基地に何度も航空ショーを見に行っているし、そんなわけでただ講演を聞くだけでなく、直接あれこれ質問できる機会はありがたかった。

 意外だったのは、航空自衛隊の主力戦闘機であるF-15の話。入間基地で見た時は、もの凄い爆音で驚いたものであるが、もう機体自体は30年以上前のものだし、日本の航空戦力は遅れているのだろうという認識だった。なにせ中学の頃、空軍のF-15、海軍のF―14と比較されていて、どっちが凄いと友達と言い合っていたものである。その海軍のF―14(愛称トムキャット)は既に引退しているのであるから、尚更である。

 ところが、機体は古くとも、中味の電子装備は格段にグレードアップされ、衛星と連動したシステムはいまだに世界最先端の“新鋭機”なのだという。しかも導入国は、米国以外ではイスラエルと日本とサウジ、そしてつい最近韓国が加わったものの、世界で5カ国だけだという。F-15に対抗し得る戦闘機はロシアのスホーイで、配備されているのがロシア、中国、インドで、以上8カ国が、「装備面でみた」世界の空軍強国らしい。

 イスラエルはアメリカが防衛に肩入れしている国だから、実践的な意味が大きいと思うが、実践とは程遠いサウジと日本には“無用の長物”と言えなくもない。導入国が少ないのも価格が高いからという理由もあるだろう。アメリカだってバカじゃない。「売っても安心」で、「買う事ができる国」という条件からすると、日本もサウジも「良いお客さん」なのだろう。

 自衛隊が必要かどうかと問われれば、迷わず「必要」と答えるだろう。だから憲法改正だって、96条改正には賛成できないが、第9条改正には賛成だし、「国防軍」という名前は別として、堂々と軍隊を保有するべきだと思う。だが、だからと言って武力で領土分捕り合戦をするべきだなんて、当然思わない。ただ備えとしては必要だろうと思うのである。

 共産党や社民党などの政治家は、何も考えず「軍隊反対」と唱えているが、災害救助面で果たす役割は疑問の余地はない。それに海外で紛争・災害となった場合、すばやく移動して国民保護に当たるなどの可能性を考えれば、適役だと思う。イラン・イラク戦争時に、イランから出国できなくなった日本人を脱出させる事ができず、トルコに助けてもらった例を挙げたってそれは明らかだ。

 それに例えば朝鮮半島で北が崩壊し、武装難民が日本海沿岸に押し寄せてくる事だって考えられなくはない。その時、田舎の駐在さんで対応できるかと言えば、無理に決まっている。当然、軍隊が出ていけば、それだけで静かに指示に従うかもしれない。
いわゆる"抑止力"というやつである。それは空の上にも言えるだろう。

 ただそれが高額な装備である必要性があるかどうかは、今の私の知識ではなんとも言えない。“抑止力”という意味で、効果が大きいなら仕方ないのかもしれないが、もっと価格の安いユーロファイターあたりで代用できそうな気はする。とは言え現実的には、アメリカが“好いカモ”を手放すとも思えないから、難しいのだろう。

 しかし、と思う。“抑止力”としてどうかなんて事よりも、やっぱり戦闘機はカッコいいと男の子としては思う。ブルーインパルスは、戦闘機とは言い難いところだが、F-15あたりはモロ戦闘機という匂いでいい。ただし、実際の空戦となると、もはや電子技術の世界で、人間には対応できない世界らしい。

 それはそれとして、もはや衰えた視力で自ら操縦桿を握ってみたいなどという夢を見ようとは思わないが、後部座席に座って飛ぶという夢なら持っていたいと思う。いつかそんな夢は実現できないだろうか。密かに夢見て、そしてチャンスを伺ってみたいと思うのである・・・


【本日の読書】

ビジョナリー・カンパニー4 自分の意志で偉大になる - ジム・コリンズ, モートン・ハンセン, モートン・ハンセン共著, 牧野洋   



  

 

2013年7月5日金曜日

宇宙戦艦ヤマト2199


 最近、日曜日の夕方に「宇宙戦艦ヤマト」のアニメが放映されている。「宇宙戦艦ヤマト」と言えば、私も小学生から確か中学頃にかけてまで、夢中になって観ていた記憶がある。最初のテレビシリーズは再放送で何度も観たし、映画も観に行ったし、夜中にラジオでやっていたのを布団の中でこっそり聞いた事もある。

 しかし、そんなに好きだったにも関わらず、実は映画版の2作目までしか観ていない。映画版は、最初のテレビシリーズの映画化から5作くらい続いたと思うが、3作目以降は観ていないのである。というのも2作目の映画版で、ヤマトは最後に敵艦に体当たりして果てるのであるが、テレビシリーズではしっかり生き残って、3作目以降に続いたのである。

 2作目の映画版で、せっかく子供心に大感動したのにそうしたやり方は何だか興醒めで、2匹目のドジョウどころか3匹目、4匹目を狙った商業主義に違和感を感じたのである。その後原作者の地位を巡って、漫画家の松本零士とプロデューサーの西崎義輝氏が訴訟騒動を起こしたのも興醒め+αだった。いずれにせよ2作目の映画をもって私のヤマトは終わっている。

 今回復活したヤマトは、「宇宙戦艦ヤマト2199」と称して、最初のテレビシリーズをベースに、オリジナルストーリーも交えて作られている。何となく観始めたが、これが実に面白い。まず目についたのが、宇宙空間での戦闘シーン。実にリアリティに富んでいる。最近はCGの登場によって実写の映像技術が格段に優れているが、最新のアニメもあわせて進歩が著しい。

 例えばヤマトにしても、3年前に公開された実写版「SPACEBATTLE SHIP ヤマト」なんかは、映像の迫力は嬉しくなるほどだった。それに比べると、昔のアニメは子供の絵みたいに思えてしまう。アニメはかつては実写で表現できない世界を描くのに適していたが、今は立場が逆転してしまっている。

 そんな中で登場したこの「2199版」だが、「子供の絵」からは大きく進歩している。戦艦というと、図体がでかくて動きがトロいというイメージがあるが、それは地球上の話。宇宙空間では重さがないから、例え戦艦でも戦闘機のように動けるわけであるが、一方無重力であるがゆえに、飛行機が旋回するように簡単に向きは変えられない。右へ行きたければ左へ噴射して向きを変える必要がある。そんなディテールにも配慮を加えながら、迫力ある映像が楽しめる。

 合わせてストーリーも厚みを増している。ガミラスに最初に攻撃を仕掛けたのは実は地球だったとか、旧作では語られなかったエピソードが加わり、物語がよりリアルに描かれている。また、ガミラス人同士の会話では、わけのわからないガミラス語を話させたり、地球を「テロン」と呼ばせてガミラス側からの視点も加えている。

 もちろん、旧作の名場面もそのまま生かされている。第1話では、降伏を呼び掛けるガミラス艦隊に対し、劣勢装備の最後の地球防衛軍を率いる沖田艦長は、「『バカめ』と言ってやれ」と渋く命じる。最後まで敵と戦う事を主張する古代守に対し、沖田艦長は「明日のために今日の屈辱に耐えるのだ」と諭す。ストーリーの最初の見所であるがゆえに、きちんと描かれていたのは嬉しい限りだ。

 一方新しい新キャラクターも何人か加わっているが、ほとんどが女性だ。戦う男の物語であり、男中心のキャラクター陣だったのに、これも時代の反映なのだろうか。その職務も旧作は「生活班」という「非戦闘部門」だったのが、新キャラクターは艦載機のパイロットに情報部門まで進出している。舞台となる22世紀にはもっと進んでいてもおかしくないような気もするが・・・

 それにしてもよくわからないのが「日曜夕方5時」という放映時間。一体誰をターゲットに考えているのだろう。昔夢中になっていた「かつての子供たち」だろうか。翌日仕事を控え、のんびりくつろぐお父さんたちと言うことなら、私もぴったり当てはまる。

 物語はこれからいよいよ後半戦。既に動画サイトでは観ようと思えば観られる。だが、せっかくなので毎週1本、慌てずゆっくり楽しみたいと思う。オリジナルのストーリーも随分あるようだし、アニメだからと言って「今の子供」だけに楽しませるのももったいない。幸い、チャンネル競争のない時間帯でもあるし、その点でも一人で堪能したいと思うのである・・・


【今週の読書】

天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方 - ジョン・アレン・パウロス, 望月 衛, 林 康史





2013年6月29日土曜日

田舎暮らし

 先日久しぶり出張に行った。
行く先は高崎。新幹線で1時間ほどだから、それほど大げさな出張ではない。本を読んでの往路はあっという間。ちょっと疲れた復路は、ぼうっと外の景色を眺めていた。

外には田畑を中心に田園風景が広がる。
水田には水が満ち溢れている。
川には何やら網を持った人が入っていたが、魚でも採ろうとしていたのだろうか。
のんびりとした時間が流れていそうな景色が、熊谷の市街地が見えるまで続いていた。

 子供の頃遊んだ御代田での楽しい思い出があるせいか、私は田舎暮らしに憧れているところがある。将来仕事を引退したら、本気で田舎暮らしをしようかと思うところもある。先輩Hの生活に憧れるのも、そういう背景がある。

 どの家も敷地はゆったりしている。キャッチボールをやる場所を求めて、あっちこっちうろうろする必要なんてまったくないだろう。いたるところに墓地がある。たぶん、昔は何もないところだったのだろうが、今では周りが切り開かれて周囲から浮いてしまっている感がある。ただこういう環境下なら、子供たちにも自然と祖先を敬うという事を教えられる気がする。

 その昔読んだ「都会のネズミ、田舎のネズミ」という童話を思い出した。
田舎のネズミが都会のネズミを訪ねてくる。都会のネズミはごちそうをして田舎のネズミをもてなす。田舎のネズミは豪華な食べ物などの都会の暮らしに驚くが、一方で車や人間などの危険にも気付く。田舎のネズミは質素でも安全で快適な田舎暮らしの良さを実感して帰るという内容だったと記憶している。

 確かに都会は便利だ。どこへ行くにも交通機関を利用して行ける。実は出張先では最寄りの駅まで相手の担当者に迎えに来てもらったのだが、その理由は「駅でタクシーが拾えないから」というものだった。都会ではまずありえない。

 田舎とは言っても最近はバカにできない。ちょっと車を走らせれば、車窓から見えたベイシアなど郊外型のスーパーセンターがあるし、高崎など大きな駅の周辺にはヤマダ電機だってあるし、吉野家もあって都会と変わらない。映画館だってオンデマンドの世の中だし、今くらいのペースで映画館に行くくらいなら十分満足できる。

 本気で考えたいところだが、妻は絶対に嫌だと冗談でも「いいわね」とは言わない。確かに車がないと不便だし、年寄りになって運転できるかというと、そろそろ運転をやめろと日頃から父に言っている手前、大丈夫だとは言いかねる。亡くなった祖父などはよく耕運機を車代わりに乗り回していたが、そういう不安は確かにあるだろう。結局はどちらが良いかという問題ではなく、好みの問題なのだろうが、個人的には田舎で暮らしたいと思うところだ。

 新幹線はすぐに東京駅のホームに入る。降りて10分後にはオフィスの自分のデスクに座ってパソコンを立ち上げていた。田舎暮らしの将来的な実現可否はわからないが、日々の仕事はどちらにせよ大事な事には変わりない。のんびり週末を過ごしたら、また頑張って働こうと思うのである・・・


【今週の読書】

天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方 - ジョン・アレン・パウロス, 望月 衛, 林 康史  マスカレード・ホテル (集英社文庫) - 東野 圭吾 とんび (角川文庫) - 重松 清







2013年6月22日土曜日

お酒の話

 今週は、同僚の送別会があった。もともとそんなに酒が飲める方ではない私は、たいていの場合、ジョッキでビール一杯+サワー一杯程度しか飲まないのであるが、去りゆく人に半ば無理に勧められるまま日本酒を飲んだらすっかり調子が狂ってしまった。この頃ではちょっと珍しい事だった。

 職場でも飲むのが好きな人は、毎日のように飲みに行っているようである。そこまでとはいかなくとも、家で晩酌が欠かせないという者も多い。私はと言えば、晩酌はしないし、飲みに行くのも歓送迎会+αくらいだし、せいぜいが週末の夜に一人映画を観る時にバーボンを少し飲むくらいだ。それで十分不満はない。

 初めてビールを飲んだのは中学生の時だった。お盆に田舎で近所から集まって来たおじさんたちに飲まされたのであるが、たいがいの人と同様、「こんな苦いものを大人たちはよくうまそうに飲むな」というのが感想だった。ビールの味に慣れたのは大学生の頃だったと思う。その他の酒についても同様だ。

 初めは自分が酒に強いか弱いかなんてわからない。ただ、そこは体育会系。「できない」とは言いたくない性分なので、それこそ吐くまで飲む。それで次第に限界がわかってくる。「ひょっとしたら自分はそんなに強くないな」と、学生時代を通して気がついたと言えるだろう。

 酒に対する耐性は遺伝なのだろうか。親父はやはり飲めない方で、飲めば顔が真っ赤になる。だが、祖父は飲ん兵衛で、顔には出ないタイプだった。私はと言えば、目の周りだけが赤くなる。遺伝であるようなないような気がするが、祖父と父と半々ずつ受け継いだとは言えるだろう。

 そんな程度なのでこれまで酒で失敗したという事はあまりない。でもやはり酒で失敗する人はいるもので、銀行に入って最初に配属になった支店には、飲むと見事に180度人が変わるという酒乱の人がいた。日中は穏やかで冗談を言っては周囲を和ませ、仕事も得意分野の個人ローンでは知識豊富でみんなに頼られていた。ところが飲むと酷い絡み酒。同僚からも、飲みに行った先々の店の人からも嫌われていた。誘われる時はジキル博士状態なので、のちのハイドの姿を想像し複雑な気分であった。

 幸い自分はそんなにおかしくなる性質ではなかったが、ただ困ったのはすぐに眠くなる事だ。特に接待の時は困った。注がれて飲まないのは失礼だし、飲んで寝るのは尚失礼。これでよくあとで上司に怒られた。今でもそうだが、こればかりは意識でコントロールできるものではない。「気がついたら落ちている」状態だから性質が悪い。それで自然とそんなに飲んでいなくても飲んでいる雰囲気を出す事ができるようになったと思う。

 ただ、プライベートでは時としていつの間にか限界オーバーしていた時もあった。自分でも危ないと思ったのは線路に落ちた時だ。日本酒を飲み過ぎて、なぜか途中下車した駅でフラフラ歩いていたらもの凄い衝撃があり、気がついたら目の高さにホームがあったのだ。すぐにホームに上ったが、電車が来ていなくて良かったと思う。しかしながらそれでもきちんと“着地”した自分の運動神経には、改めて関心した次第である(そのあと駅からの帰り道に電信柱に正面衝突もしてしまったなぁ・・・)。

 そんな程度の失敗はご愛嬌だ。これまでやけ酒というものは飲んだ事がないし、これからもそれはないだろう。その点では、楽しく上手に飲んでいると言えるのではないだろうか。
いずれ子供たちが大きくなったら酒を飲むようになるだろうか。妻の家系は徹底して下戸だし、父親もそんな状態だから、たぶん強くはならないのではないだろうか。

 事実、息子がまだ赤ん坊の頃、試しにバーボンを舐めさせたら真っ赤になった(あの時は妻にばれたら大変だとこっちは青くなった・・・)くらいだから、たぶん飲めない遺伝子は受け継いでいると思う。まあ飲めないなりに、飲み方はレクチャーしてあげたいと思うし、ちびちび一緒に楽しみたいとも思う。

 あるかないかどっちがいいかと問われれば、やっぱり酒はあった方がいい。そんなに飲めなくとも、まったく飲まないのはつまらないし、これからは特にビールのおいしい季節である。友達と会う時はやっぱり飲んだ方が楽しい。これからも付かず離れず、楽しく酒とは付き合っていきたいと思うのである・・・


【今週の読書】

逆説の日本史 19 幕末年代史編2 井伊直弼と尊王攘夷の謎 (小学館文庫 い 1-34) - 井沢 元彦 人生と財産―私の財産告白 - 本多 静六 マスカレード・ホテル (集英社文庫) - 東野 圭吾







     

2013年6月16日日曜日

父の日に思う

自分自身に欠けていたものが
息子に実現されるのを見ようとするのは、
すべての父親の敬虔な願いである

ゲーテ
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 今日は父の日。実家の父には昨日、ワインを渡してきた。ここのところ、甘口フルーティなワインを嗜んでいるとの事で、まぁ何にしようか選ぶのも大変なので、手っ取り早く決めてしまった感もある。

 自宅に帰れば今度は自分が父親。されど子供たちからは何もなく、ごく普通の週末であった。中学生の娘は午前中から友達とカラオケに行き、小学校2年の息子こそ家にいたものの、取り立てて何をするという事もなかった。

 幼稚園の頃は、子供たちも幼稚園でお父さんの絵を描かされたりしていたから、それをプレゼントしてくれていたが、小学校はさすがにそんなものはない。そのためには、わざわざ何かをしないといけない。さすがに娘は5年生までは絵を描いてコメント付でプレゼントしてくれたが、息子はもうしてくれない。

 もっとも息子に言わせれば、学校の宿題や子供チャレンジの課題や、週末に録画してママと観る「八重の桜」や、レゴで遊ぶので「とても忙しい」らしい。まぁ仕方ないのだろう。子供たちからの絵のプレゼントは2011年でストップという事になりそうだ。

 そもそも父という漢字は、手に斧を持った男性を指すそうで、家族を守り、養い、率いる役割の象徴という事らしい。「母なる大地 父なる太陽」という言葉があるが、父親には近寄り難く、それでいて必要な時には必要な光を授け、時には雷も落とす存在という事らしい。我が身を振り返ると、だいぶ違うようである。

 自分の父親と比較すれば、子供たちと接触する頻度は遥かに高いと思う。父が私の授業参観に来た記憶はないし、わずかにサイクリングをしたり、海に連れて行ってもらったりした記憶がある程度である。時代も「男は仕事」の雰囲気に満ち溢れていたし、裸一貫で田舎から出てきた両親は、それだけで生活も大変だっただろうから仕方がないと思う。

 その点、今の自分は時代にも恵まれ、子供たちとより多くの接点を持てるのはありがたい事である。そんな現代において父の役割とは何だろうかと考えてみる。やはり自分の経験から、「自立して生きていける力」、「考え方」を身に付けさせたいと思う。その鍵は、勉強する事とコミュニケーションだ。

 勉強は学校の勉強だけに留まらない。社会人になっても、その時その時必要な勉強を継続できる力だ。帰りの電車で漫画を読み、帰宅しても晩酌をしながらお笑い番組を観て寝るだけというような社会人にはなってほしくない。

 コミュニケーションも重要だ。これは友達との関係でも、今から実践で十分学べる。社会へ出ても恋人や上司や同僚たちとうまくやっていくには、コミュニケーション力が必要である。自分が初めに躓いた所でもあるし、しっかり教えてあげたいところだ。

 そしてそんな教えを素直に聞いてもらうためにも、まさにコミュニケーションが大事だろう。今でこそ実家の父には何の遠慮もなく話ができるが、子供の頃はやはり何かあればまず母親だった。父に何かを相談すると言う事がなかったのは、やっぱり接点が少なかった事が大きい。自分としては、あまり「近寄り難い存在」にはなりたくないと思う。

 これから子供たちもますます大きくなる。話題もより大人の話題になっていくだろう。人生の岐路に悩む事もあるだろう。そんな時に、「必要な光」を与えられる父親でありたいと思う。そのためには、まだまだ日々是修行だと思うのである・・・

2013年6月13日木曜日

性格

 最近仕事である僚友店の担当者と頻繁にやり取りをするようになった。こちらから事務対応をお願いするのだが、その担当者は実に気持ちよく引き受けてくれる。モノによっては面倒なものもあり、担当者によっては電話口から面倒だという気持ちが伝わってくる人もいるのだが、この人はまったくそんな事もない。いつも気持ちよく仕事を引き受けてくれてありがたいのだが、自分は果たしてどうだろうかと我が身を振り返ってみる。

 なるべく、頼まれれば気持ちよく引き受けているつもりではある。仕事を頼む時は丁寧にお願いし、相手がミスした時も、最終自分がチェックしているのであなたの責任ではないと言うようにしている。事実、自分のミスなら許せるが、他人のミスだとやはりい
い気がしない。ならみんな自分のミスにしてしまうようにすればいいと考えている。

 そんな風に考えられるようになったのも、社会人になってからだ。学生時代から比べると、随分成長したものだと我ながら思う。「性格は変えられないが、対応は変えられる」とは、いつだったか研修で教えてもらった言葉だが、それを聞いて随分楽になった記憶がある。

 自分の元々の性格はと言えば、人と関わり合うのがあまり好きではなく、どちらかと言えば孤独を好む方だ。真面目だが明るくバカになりきれないところがある。一人で音楽を聞いて鼻歌を歌うのは好きだが、みんなでカラオケに行くのはゴメンだ。大勢でワイワイやるより、数人で静かに語り合うのが好きだ。そんな自分の性格は親父譲りだと思う。

 子供たちを見ていると、そんな私の性格を長女は多少受け継いでいる。群れる事を良しとせず、自分の好きな世界がある。孤独にも耐えられる。傍から見ていると、心配になる部分はあるが、カラオケは好きらしく、よく友達とつるんで行っているようだから、少しは安心できるかもしれない。

 息子はと言えば、誰の性格を受け継いだのか、クラスではひょうきん者で通っているらしい。「面白いのよ」と担任の先生のお墨付きも得ている。お姉ちゃんに比べたらだいぶズボラなのであるが、家族内でもずっとしゃべり続けているし、愛すべきキャラクターだ。友達にも愛されるのではないかと期待している。

 どちらが良いとは思わないが、やっぱり息子のように明るい性格の方が苦労しない気がするし、それは間違いないだろう。「笑う門には福来る」とも言うし、仕事をしていても、明るい人にはモノを頼みやすいし、ミスしても許してもらいやすいだろう。従兄弟にもそんな明るい性格の者がいるが、やっぱり友達は自分よりたくさんいるようだ。

 それはそれで羨ましい限りだが、ではこれからそんな明るい性格になれるかと言えば、確実に無理だ。やっぱり性格は変えられない。娘も100%私の性格を受け継いでいるわけではないから、多少は安心だ。だが、やっぱりこの世は人と人との関係で成り立っている。時によっては対応は変えていかないといけない。相手が気分良く自分と付き合ってくれるような対応を心掛けないといけない。いずれそんな事も子供たちには教えたいものである。

 とは言え、自分のこの性格を愛する事ができるのも自分だけ。ずっと付き合ってきたし、これからもずっとこれでやっていく。周りの人に対する対応には気をつけながら、愛すべきこの自分の性格と末永く付き合っていきたいと思うのである・・・


2013年6月6日木曜日

ゴースト~天国からのささやき~

 今ちょっとある海外ドラマにハマっている。それは、『ゴースト~天国からのささやき~』というドラマである。と言ってももう本場アメリカでは、シーズン5くらいまでやって放送も終わっているようだし、日本でも既に民法で放映されたようである。ふとしたきっかけで観始めたら、面白くてやめられなくなってしまったのである。

 主人公のメリンダ・ゴードンは霊能力者。子供の頃から代々受け継いだ能力を持ち、人には見えない霊が見え、そして話ができる。結婚して小さな町に住み、そしてアンティーク・ショップを経営しているのだが、その片手間に人助けならぬ“霊助け”をしている。

 ドラマの設定では、人は死ぬとみなあの世へと行く。しかし、何かこの世に想いを残すと、あの世へ行かずこの世に留まってしまう。メリンダが話をするのはこういうこの世に留まってしまっている霊たち。メリンダは、彼ら彼女らの心の内を聞き、その心残りを取り除いてやる。そうする事によって、霊たちは無事「光の中=天国?」へと旅立って行ける。

 踏切事故で亡くなった男の子が、その踏切で母親を待ちつづけている。古い屋敷に留まる火事で焼け死んだ子供たち。ベトナム戦争で死んだ男が、故郷に残してきた妻と幼い子供を案じる。自分の死後、反目する父と息子に心を痛める母親。そんな霊たちを助けるメリンダ。気がつくと毎回のようにウルウルしてしまっている。

 ドラマの設定は、映画「ゴースト~ニューヨークの幻」や「シックス・センス」などと似ている。だいたい日本でも同じだろうか。よく霊能力者だとか、霊感が強くて「見える」などという人の話を聞くが、実際のところはどうなんだろうと考えてみる。

 実は個人的には、幽霊というものはまったく信じていない。子供の頃は、田舎へ行くと、夜トイレまでの暗い廊下を歩けないなんて事もあったが、今ではまったく信じていないから、幽霊屋敷でも平気で一人で泊まれる(たぶん)。それでも古今東西、幽霊の話はあちこちにあるから、何らかのものはあるのかもしれないとも思う。

 たぶん、それは人間の生体エネルギーのようなもので、それが死後も残ったりして、いわゆる霊感の強い人はそれが見えるという事なら、あるのかもしれないと思う。それなら心霊写真だって説明がつく。誰もいないエレベーターに乗り込んだり、誰かが入っていたトイレに入った時に、香水やその他の残り香が漂っていたりするようなものだ。

 ただ、もしそうだとしても、それは残留物であって、それが思考するなどという事はありえないだろう。写真がモノを考えないのと同じだ。思考はあくまでも脳細胞の活動の結果だからだ。だからこそボケるのだ。死んでしまった人間が、生きている時のようにあれこれ思考する事は、どう逆立ちしたところで想像できない。「我思う、ゆえに我あり(COGITO ERGO SUM)」である。

 なんでも理屈で考えてしまう私は、人間の霊魂をそんな風に考えている。それはそれとして、もしもドラマのようだったとして、果たして自分は素直に昇天できるだろうかと考えてみる。この世に想いを残す事なく、あの世に旅立てるだろうかとなると、少々心もとない。というか、今は完全に無理だろうと思う。まだまだ責任の残っているものがたくさんあり過ぎる。それらを放り出すのは、あまりにも無責任だ。間違いなく、成仏できずに残るだろう。

 ではあと30年くらいしたらどうだろう。その時までには、あらかたの責任はきちんと果たし、穏やかな心境でいたいと思う。老後は午前中は毎日喫茶店に行って本を読み、午後は映画館へ行き、夜はブログを更新し、フェイスブックにも投稿しと、そんな老後を送っていたいがどうだろう。そんな老後まで、まだまだ人生長いし、楽しみはあるし、責任もあるし苦悩もあるが、そんな諸々も生きる証と考えていきたいものだ。

 メリンダの活躍はドラマの中だけで楽しみたいし、もしもドラマのような世界があるとしても、残された家族やお世話になった人たちにお礼のメッセージを託けるくらいで済むようにしたいと思うのである・・・


【本日の読書】

日本経済大消失 生き残りと復活の新戦略 - 中原圭介  真夏の方程式 (文春文庫 ひ 13-10) - 東野 圭吾