2011年6月4日土曜日

今週のニュースに思う

今週は二つのニュースが目にとまった。
最高裁で国旗国歌訴訟の判決が言い渡され、大阪府で国歌起立条例が成立した。
そして政治では内閣不信任案が反対多数で否決された。
どちらも悪い結果ではないが、そんな事しないといけないのかと空しくなるニュースだ。

もともと国旗と国歌には敬意を表すのが国民としてのあるべき姿だ。
自分が生活を共にする家族を愛し、自分が住む地域を愛し、自分が住む国を愛するのが自然な姿だ。それが歪められたのは太平洋戦争が原因だが、戦後の間違った思い込みが、国旗と国歌に対する歪んだ敵意となり、それに反対する事があたかも「戦争反対・軍国主義反対」につながるかのような錯覚を持ってしまっているのが、おそらく事実なのだろう。
最高裁まで争った人たちは、自分たちは極めて正義の活動をしていると信じ込んでいるのだろうが、怪しげな新興宗教と同じで、目覚めさせる事などは不可能なのだろう。

数年前に、あるグループ討論で突然、「君が代は天皇礼賛の歌で、そんなのは国歌としておかしい」と言い出した人がいた。個人崇拝の歌はおかしいという理屈だ。
そういう考え方もあるのかと納得した一方で、「でもイギリス国歌は『God save the Queen』だよ」と切り返した。「君が代」以上に女王礼讃歌なのだが、その人はもちろん知らなかった。
系統は違うが、中国の国歌もフランスの「ラ・マルセイエーズ」もともに戦意高揚の歌詞で、とても国歌にふさわしいとは言い難い。

大阪府では、わざわざ条例にしなければならないところが、問題の根の深さを物語っている。
それで思想が改まるとも思えないが、そもそも先生として採用する前に、しっかりと教育する事が必要なのではないだろうか。
呆れる教師の次は呆れる政治家。

内閣不信任案に事もあろうか民主党から70人余りが賛成に回り、菅内閣もいよいよこれまでかと思ったら、土壇場での菅・鳩山トップ会談で方向転換。
蓋を開ければ、民主党で賛成に回ったのは二人だけだった。
菅さんが辞任を約束したというが、今朝の新聞では鳩山さんは菅さんを「ペテン師」と呼んでいる。菅さんが鳩山さんに「Trust me!」と言ったか言わないかは知らないが、庶民には伺い知れない舞台裏だ。

それにしても造反70人もどんな事を考えていたのだろう。
政党政治だから徒党を組むのが悪いとも言わないが、何だか信念のようなものが感じられない。
本来はこの国家の非常時、私情を捨てて、不本意であろうと自分たちのリーダーを支えるのがあるべき姿だ。どうしても反旗を翻したいならそれも仕方ない。
せめて二人の議員のように堂々と反対すればいいと思う。
この二人の政治家には、考え方にはまったく賛成できないが、少なくとも政治家としての信念を感じる。残りの人たちは、誰についたらいいだろうかと考えているだけの風見鶏のようだと思えてならない。

戦争に負けて国土が荒廃し、戦前の膿が一掃された。
我が国に自浄作用が効かないというのは悲しい事だが、またもう一度荒廃しないと我が国は良くならないのだろうかとさえ思ってしまう。
自分にできる事は何なのだろうと空しく考える。
選挙にはきちんと行っているが、それが何になるのだろう。

まあせめて投げやりにだけはならないようにして、来週もまた精一杯働こうと思うのである・・・

【本日の読書】
「なぜ『そうじ』をすると人生が変わるのか?」志賀内泰弘
「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」テリー伊藤
      


2011年6月1日水曜日

誕生日に思う

47回目の誕生日の朝、母親からメールが届いた。
体調を崩して検査入院している病院のベッドから送ってきたみたいだ。
「日の出とともに生まれた子」と書かれている。
今の私よりも20歳も若かった47年前の母は、その時どんな気持ちだったのだろう。

これまでの事やこれからの事を考えるのに、誕生日というものはいい機会だ。
定年まであと13年。自分で仕事でも作り出さない限り、雇ってもらって働ける年数も考えてみればそんなに長くはない。以前は悠々自適の引退生活を考えていたのだが、今の調子で行くとどうやら悠々自適とは程遠くなりそうだ。    それでもまあこの国がしっかりしていればいいのだが、己の老後よりも何だか心配な状況である。

残りの人生はと考えると、あとどのくらいだろう。
親の年齢までとすると、最低あと27年。
敬愛していた祖父の年までだとあと42年。
いずれにしても、折り返し地点を越えた可能性は高い。
それまで出来るだけ働いて、遊んで、愛せたらいいのだが・・・

せっかく産んでもらったのに、この不肖の息子はあまり親孝行ではない。
自分の家族と親との関係を、いまだにうまく築けないでいる。
あちらを立てればこちらが立たず。七転八倒、試行錯誤の繰り返し。
出たと思ったらまたトンネル、かつての信越線碓氷峠のトンネルのようである。

両親も私が生まれた時には、どの親もそうであるように喜びと期待に溢れていただろう。
日一日と成長する姿を見て、いろいろな事を期待し夢想した事だろう。
人並みに学校を卒業し、就職し、結婚して子供もできたが、今の姿はだいぶ期待を裏切ってしまっていると自覚している。
それが今の私の大きな悩みの一つである。

48回目の誕生日までには、もう少し改善できているだろうか。
今よりも良き息子、良き父親、良き夫、良き友人、良き同僚、良き隣人になれているだろうか。これから一年、どう過ごしたらそうなれるだろうか。
そんな事を自問自答しながら過ごしていこうと思う。

「親の年までは頑張って健康に暮らしたいと思うから、良き手本となってほしい」
母親にはそんな内容の返信メールを出しておいた。
その通りにしたいと思うのである・・・



【本日の読書】
「この国を出よ」柳井正/大前研一
「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」テリー伊藤



    

2011年5月30日月曜日

車中にて

時折仕事で外出する。
千葉方面に取引先が多い事から、往復に総武線の快速電車を利用する事がままある。
総武線の快速は千葉から東京へ向かい、そのまま横須賀線に乗り入れ神奈川県の逗子まで走っている。取引先からの帰りに、千葉駅のホームでこの電車を待っていた。

ちょっと疲れていたので座りたかったし、先頭に並んでいたからまあ座れるだろうと踏んでいた。電車が到着し、扉が開いても駆け込んだりはしない。よく降りる人も降り切らぬうちに、空いた座席に突入して行く人がいるが、そういう行動は私の美学に反する。その時も悠然と車内に乗り込み、「空いているから座ろうか」という態度で座席をゲットした。

やれやれと安堵する間に次の駅。
乗り込んできた人たちを迎え、隣の女性が席を立った。
どうやらお年寄りに席を譲っている。
ちらりと見ると、相手は老夫婦。
咄嗟に隣に座っていた女性の向こう隣を見ると、老婆が般若心境のようなものを読んでいる。私が座っていられたのは一駅だけだった。

空いたらまた座ろうと吊革につかまる。
隣に立っていたのは女子高生。
何やら数学のテキストを開いている。
ちょっと興味が湧いて、横目で覗きこむ。
何せ数学は好きだったし、何より文系のくせに数学のテストがある(しかも配点も高い)大学を受験した経験がそうさせたのだ。

ところが、テキストの内容がちんぷんかんぷん。
聞いた事のない定理が書いてあるし、数式も何が何やらわからない。
あとでちらりと見えたタイトルには「数学C」とあった。
なるほど、昔は数学Ⅲといった記憶があるが、文系の私はやっていない。
わからないはずだ。

すると座っていたお爺さんが立ちあがって話しかけてきた。
早々に降りるのかと思い、しめしめと思っていたら、「東神奈川に止まりますか」と聞いてきた。(そんな、東京駅より先のことなどわからないよ)と思いつつ、確か止まらないので乗り替えないとだめだと答えた。それだけだと不親切というもの。
「品川の次あたりで乗り換えだと思う」と答え、路線図はあったか、誰か周りの人に尋ねようか、携帯で検索したら出てくるかななどと迷っていた。

すると突然隣の女子高生が、「品川に止まりますよ」とスマートフォンを差し出して話しかけてきた。たぶん我々の会話が聞こえたのだろう。
さっと検索して教えてくれたのだ。
(いや品川に止まるかどうかじゃなくて、どこで乗り換えるかなんだけど・・・)と内心思いながらもその親切心に関心した。

情報リテラシーには不足していないつもりだったが、数学Cのテキストとスマホをもった女子高生には遅れを取ってしまった。
女子高生はそのあとの駅で降りていき、私も同時に空いた席に腰を下ろした。
そう言えば、友人もipadを買ったとブログで自慢していたな。
歩き去る女子高生の背中を見送りながら、そろそろ私も買おうかなとちらりと思ったのである…

【本日の読書】
「この国を出よ」柳井正/大前研一
「殺人の門」東野圭吾


2011年5月28日土曜日

日本的なものについて思う

我が町の周辺には畑が多い。
昔からの農家や、市民農園などが散在している。
そうした畑の脇道を歩いていると、時折野菜の無人スタンドを見かける。
代金を箱に入れて置いてある野菜を取っていくシステムのものだ。

こうした野菜スタンドを見ても、別になんとも思わない。
だが、先日読んだ本によれば、アメリカ人でも中国人でもブラジル人でもこうした光景に一様に驚くという。人気のない国道沿いの自動販売機などもそうだが、彼らの国ではこうしたお金や商品の詰まった箱がポツンと置いてあれば、持っていかれるのが当たり前なのだというのである。確かに持っていこうと思えば、それらのものは無防備で何のリスクもない。
それを防いでいるのは、「お天道様が見ている」という我々の倫理観に他ならない。

先日取引先の社長と雑談していて聞いた話だ。
その社長は埼玉県の熊谷駅前に駐車場を持っている。
私も現地を見たのだが、何の変哲もない駐車場で料金は一日500円。
車のナンバーを紙に書いて500円と一緒に備え付けの箱に入れるという実にのどかなシステムだ。タイムズやらパーク24やらの時間貸し駐車場も真っ青なシステムだが、それがそのあたりでは一般的なのだという。

ところが最近料金箱荒らしが横行しているのだとか。
警察の話では外国人窃盗グループの仕業らしい。
まさに日本的牧歌的なシステムは、彼らの手にかかればひとたまりもない。
そうした損失が続けば、いずれこの周辺はタイムズやらパーク24やらの駐車場に変わっていくのかもしれない(それにしたって監視カメラや警報機がないと同じかもしれないが・・・)。

国際交流は大いに進めていくべきだと思うが、多くの外国人たちが入ってくればその影響は当然にある。「朱に交われば赤くなる」ではないが、日本的牧歌的システムは「国際標準」からすればあまりにも白過ぎる。温室の外では生き延びる事はできない草花の如く、簡単に赤く染められてしまう。いつしか「お天道様」も見えなくなるのかもしれない。

そう考えると、少子化対策として移民を唱える意見には強い反発を覚える。
単純に数字合わせだけをしようという浅はかな発想で、それによって失われるものを考えていない。観光客ならあまり影響はないかもしれないが、生活を共にするとなるとどうだろうと思う。

日本の豊さはGDPだけでは測れない。
総額では中国に追い抜かれても、一人当たりではまだまだ10倍近い開きがあるし、牧歌的システムに代表される安心感もプラスすれば、その居心地の良さは比較にならない。
それだけでも嘆かわしいのだが、残された良きものを末永く温存していきたいと思わずにはいられない。そのために必要な事があれば、これからもやるように心掛けていきたいと思うのである・・・

【昨日の読書】
「怒らないこと」アルボムッレ・スマナサーラ
「殺人の門」東野圭吾



2011年5月25日水曜日

町内会

先週末に町内会の会合があり、初めてそこに参加してきた。
我が家の属する町内会は、24の班に分かれており、それぞれの班が持ち回りで班長を選び、各々の班長と役員が定期的に会合を持っているのである。
我が家は今年その班長の当番が回ってきて、そして班長として初めて出席したというわけである。

集まったのは町会長所有の会議室。
我が町では○○家と△△家という二つの地主がいる。
あちこちでそれぞれの名前を見かけるし、大きな家も多い。
詳しくは知らないが、たぶん昔の地主から分家しているのだと思う。
町会長は○○さんだし、理事の一人も○○さんだった。

会合は「定時総会」と名打たれ、予算や活動報告の承認といったありきたりな内容であった。
町会長や役員はどうやって決めているのだろうとふと疑問に思う。
たぶん、地元名士である○○家の大黒柱が「推薦多数」で決められているのだろう。
まあ町会長や役員などにはなりたいとも思わないからいいのであるが・・・

今の家に越してきて7年。
それなりにご近所とは親しくしているが、町内会の活動は今一盛り上がっていない。
子供の頃は町内会で運動会や遠足、写生大会、お祭りなどいろいろ賑やかだった記憶がある。
実家では今も母親が手伝いに駆り出されている。

しかし、我が家の周辺は比較的新しい住宅街であるせいだろうか(何せ練馬区は東京で最後にできた区である)、そうした町内会の活動が乏しい。
お祭りの神輿だって笑ってしまうような子供神輿しかない。
新しい住人と、賃貸住宅に住む浮動住民が多いゆえだろうか、などと思ってもみる。
個人的には表面的ではなく、もっと濃い関係を築きたいと考えているので、ちょっともどかしい気がする。

その昔、先輩Hが岩手県に単身乗り込んでいって農業を始めた時、私もGWを利用して訪ねていったことがある。借家に住み、晴耕雨読の生活を送っていた先輩Hと夕食を食べていたら、近所の人が窓からいきなり覗きこんで来て、おすそ分けを置いて行ってくれた。
田舎ながらの「濃い人間関係」であるが、そんな近所付き合いを今では羨ましく思う。

都内でやはり地元密着で生活している友人から「地元の消防団に入れば」と勧められたが、いまだに踏み切れていない。
自分の時間がただでさえ少ないし、子供と遊ぶ時間や奥様の機嫌をとる時間も必要だし、ご近所で居場所を作ったら家の中には無くなっていた、なんてシャレにもならないから控えているのだ。でももう少ししたら、やってみたいと本気で考えている。

毎朝、娘の通う小学校の校長先生とは、通勤途上ですれ違いざまに挨拶を交わしている。
駅前の交番のお周りさんや行きつけの病院の先生やら、昔は八百屋や魚屋のおじさん、今ではコンビニの店長さんなんだろうか、そんな「向こう三軒両隣」の世界が築けたらいいなとしばし思う。そんな契機になるかどうかはわからないが、これから月一回の会合には7軒を代表する班長として真面目に出席したいと思うのである・・・


【本日の読書】
「怒らないこと」アルボムッレ・スマナサーラ
「殺人の門」東野圭吾
     


2011年5月21日土曜日

金曜日雑感

完全週休二日制のサラリーマンにとって、金曜日とは誠に心地良い。
次の日は確実に休みという身分は本当にありがたい。
そんな心地良さに流されていてはいけないのであるが、我が職場は毎週金曜日はカジュアルデー。そんな制度も金曜日の心地良さに拍車をかけている。

例年だと6月1日からクールビズが始るのであるが、今年は予定が繰り上げられ来週から。
通常のカジュアルデーと組み合わせて、実質的には昨日からスタートとなった。
まだそんなに暑くはないが、やはりネクタイがないのはありがたい。
本番になればネクタイがなくても大変だが、今年はさらに節電で大変かもしれない。

今一番悩ましいのは職場の冷蔵庫の使用停止だ。
例年だとペットボトルのアイスコーヒーを持ち込み、製氷機から取り出した氷を入れて食後のコーヒーを楽しんでいた。缶コーヒーの味が好きになれない私としては、今年はそれが出来ないのが今から悩ましい。何かうまい方法はないものか、模索している。

夜は久々に友人と飲みに行く。
店を予約しようと夕方電話をしたが、どこもかしこも予約が一杯。
飲食店は景気が悪いというのは、銀座だと当てはまらないのかもしれない。
ぐるなびのサイトを片っ端から当たり、ようやく銀座から外れた新橋で場所を確保した。

しかし今は便利になった。ぐるなびのサイトの事だ。
無数の飲食店が掲載されていて、選ぶのに事欠かない。
昔はどうしていたのだろうと考えてみるも、いつも「行き当たりばったり」の私としてはどうしたもこうしたもなく、行き当たりばったりだったのだから関係ない。
手痛い大失敗もしたくせに、今も懲りていない。
しかし、昨日のような場合は、やっぱり検索サイトはありがたい。

こうした検索サイトにしてみれば、登録店舗が多ければ多いほど、訪れる人も多くなるから、タダでも掲載したいだろう。一方検索の結果、選ばれるのは上位に掲載された店舗だ。
そうすると店舗側としては、どうせなら上位表示を希望する。
その方が利用者が増えるのは想像に難くない。
そうなると高い掲載料を払っても上位に載せてくれとなる。
検索する人、される店、検索の場を提供するサイト、それぞれのニーズがうまくブレンドされた良いビジネスモデルだと思う。

ほろ酔い気分で0時過ぎの西武線に乗る。
これがラッシュ並みの満員電車。
みんなそれぞれ一週間の仕事の疲れを癒してきたのだろう。
避難生活を送る人たちが大勢いる中で、こうした生活をしているのは申し訳ない気がするが、こうした消費活動が日本経済の活力を維持しているのだからまあ良いのかもしれない。

生きるか死ぬかと考えず、毎日帰る家がきちんとあるのはありがたい。
人生は平凡な毎日の積み重ね。
できるだけ平凡で平和な毎日をたくさん過ごしたいものである・・・

【昨日の読書】
「もっといい会社 もっといい人生」チャールズ・ハンディ
「野球の神様がくれたもの」桑田真澄


2011年5月17日火曜日

ハリー・ポッター

長男が今ハマっているのは「ウルトラセブン」だとご紹介したが、長女の場合は「ハリー・ポッター」である。学校でも流行っているらしく、ある日突然「読みたい」と言ってきた。
我が家にもその昔買った第1巻「ハリー・ポッターと賢者の石」があったので、さっそく読ませた次第である。

以来、読み続けて今は第5巻「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」を読んでいる。
第1巻を買ったのは、当時ベストセラーになっていたからで、ならばと買って夫婦で読んだのである。しかし、やっぱりなんとなく「お子様向け」の内容に、その時は1巻だけで終わってしまった。映画の方は、さすがに映画好きとして観ているが、本は読んでいない。

長女に言わせるとやはり面白いそうである。
子供にはたくさん本を読ませたいと思っているし、今はそれが「ハリー・ポッター」であろうと構わないと思っているから、夢中になって読んでいるのは好ましい事だと思っている。

こうした物語からはいろいろな影響を受けると思う。

本を読んで場面場面を想像する。
学園モノとしてはセオリー通り仲の良い友達がいて、意地悪な同級生(ボスとその取り巻き)がいる。優しい先生と厳しい先生が出てくる。
ハリーの行動を追う事で、自分だったらどうする、とか喜怒哀楽の感情を共にする。
そうしたものが、長女の人格形成の一部になるかもしれない。

そう言えば、私も長女くらいの年に「アルセーヌ・ルパン」シリーズを夢中になって読んだ記憶がある。図書館で片っ端から借りて読んだものである。
アルセーヌ・ルパンは泥棒ではあるものの、貧しき者からは盗まぬ義賊であり、頭が良くてフランス人なのになぜか柔道が得意で、約束は守り信義に厚い。
ルパンの活躍にワクワクしながらも、自分もそんな男になりたいというイメージが、いつしか自分の中に組み込まれていった。

長女は読み終わるごとに、映画で「復習」している。
活字では想像するしかなかった世界が、今ではCGでリアルに目の前に描き出される。
そんな世界が本とは別の楽しみになっているようである。
もっとも映画は時間の制約もあって、本の世界を完全には描けない。
どうしても「ダイジェスト版」にならざるをえないが、そこがちょっと残念なようである。

いずれ読む本の種類も重なってくるだろう。
映画も大人の映画を観るようになるだろう。
同じ趣味を持ってくれれば、将来ずっと一緒に読んだり観たりとできるかもしれない。
自分の世界も広がっていくと思うし、この習慣が根付いてくれればいいなと思う親心なのである・・・

【本日の読書】
「もっといい会社 もっといい人生」チャールズ・ハンディ
「逆説の日本史17」井沢元彦

2011年5月14日土曜日

人生の幕引き

芸能人の自殺のニュースを目にした。
ほとんど知らないタレントだったが、まだ24歳と若く、いくら辛い事があってもこれからいくらでも変わっていくだろうにと、何とも言えない気がする。
我が国では、毎年3万人以上の人が自ら命を断つ。
中には小学生もいるから驚きだ。

私自身これまで自殺しようなどとは考えた事もなく、たぶん間違ってもしないとずっと思っていた。人生の目的は生きる事で、それも「より良く生きる」事であって、途中で諦めるべき事ではないと。しかし、最近ちょっと考え方が変わってきている。
場合によっては、それも「より良く生きる」ための選択肢ではないかと・・・

私の最も敬愛していた父方の祖父は1994年に亡くなった。
癌の告知を受け、もう治らないと医師から言われ、農薬を飲んだのだ。
10日ほど地元の病院に入院したあと、そこで息を引き取った。
死ぬ1週間ほど前に病院に見舞いに行った時、何も語らず私に形見となる品をくれたのだった。

親戚内では告知をした医師に対する批判が出ていた。
その時は、なぜ祖父が農薬を飲むなどという事をしたのかわからなかった。
いつも陽気だった祖父だが、いよいよ治らないとなって、そこで人生を投げ出したくなったのだろうか、と。

だが、最近思うのだ。
祖父は投げ出したのではなく、自分の手で静かにピリオドを打っただけなのだ、と。
子供たちはみんな立派に成長して家族を持ち、孫たちも次々に社会人になっている。
孫の私とも酒を飲めるようになっていたし、痴呆だった祖母も見送り、やる事もやって満足してもう潮時だと思ったのだろう。祖父の死に暗いものが感じられなかったのも、たぶんそんな満足感に薄々気がついていたからではないかと思う。

私も年をとって同じような状況になったら、お迎えが来るのを待つよりも、自分から行くのも悪くはないと思う。子供たちに必要以上に手間をかけさせるのもどうかと思うし、毎日同じ天井をいつとも知れずに眺めていたいとも思わない。
ただひたすら「死ぬまで生きる」事が良い生き方だとも思えない。
自分で満足できたなら、祖父のように自分で幕を下ろすのも悪くはないと思える。
何より身の回りの整理もできるし、葬式に誰を呼べとか、葬儀屋の手配もしておける。
日取りも、年末年始や誰かの何かの記念日は避けようとかもできる。
そんなに暗いアイディアでもなさそうである。

しかし、ふと考えると「どうやって」というところが問題だ。
飛び降りたり、飛び込んだりは後片付けが大変だし、首を吊るのも発見者にいい印象を与えない。しずかに布団の中にいる方が面倒をかけなくて済むが、それだと薬物しかないが手に入るだろうかという懸念が残る。せいぜい睡眠薬くらいだろうか。
確実に楽に行ける薬がうまく手に入ればいいのだが・・・

だがそれも意識がはっきりしていないとダメだ。
痴呆になったらそれどころではないし、脳死なんてケースはどうにもならない。

海外では自ら安楽死を選べる国があるらしいが、日本もそうなるにはまだまだ時間がかかりそうである。そういう時に、自ら楽に人生の幕を下ろせる方法があればいいのだがと案じてみたりする。

まあそんな心配はまだまだ先の事だ。
悩み多い毎日だとは言っても、ゴールまではまだまだ遠いし、いくらでも逆転の可能性はある。楽しい事だってあるだろうし、映画だって本だってこれからも面白いものがどんどん生み出されてくるだろう。

しばらくの間は、「最後のこと」などに思い煩うことなく、人生を堪能していきたいと思うのである・・・

【昨日の読書】
「もっといい会社 もっといい人生」チャールズ・ハンディ
「逆説の日本史17」井沢元彦

    

2011年5月10日火曜日

新聞というもの

 物心ついてから、新聞というものを読み始める時、普通まず読むのはその家で取っている新聞だ。私の場合、それは読売新聞で、実家に行くと今でも読売新聞を購読している。就職して以降は日経新聞になったが、結婚してからはそれに産経新聞が加わった。妻がやはり実家で取っていた産経新聞をそのまま購読する事にしたのだ。このままいくと、我が家の子供たちも最初に目にするのは産経新聞と言う事になる。

 新聞は、公平・中立にニュースを報じるものとしばらくの間何となく思っていたが、そうではないと気付いたのはだいぶたってからだ。だが普通は、新聞ごとに主張が違うなんて意識しないから、ついつい新聞の記事が世の中の真実だと思ってしまう。怖い事にそれで意図的に世論形成に使われてしまう危険性があるのだ。

 週末に政府が浜岡原発に停止要請を出した。それを報じる産経新聞には下記のような見出しが躍った。
「浜岡原発 全面停止へ」
「見えぬ根拠 熟慮の判断か」
「菅降ろしの機先制す 首相唐突また保身?」
「首都圏・関西でドミノ式需給逼迫 全国的な電力不安も」
「百出する難問 拙速要請鮮明」
「30年超の老朽原発も『浜岡だけ』に疑問」
「『逆風に先手』見え隠れ」
ざっとこんなところだが、これを読めば産経新聞は、浜岡原発に対する停止要請に反対である事がわかる。

 それどころか中立を装いつつ、巧妙に反対意見に導いている。反対なら反対で構わないのだが、はっきりそう言わず、そう思ってしまうように疑問形を取りつつ導いているところがいかがなものかと思う。菅総理の肩を持つわけではないが、今回の決定は極めてまともだ。福島の災害がいまだ収まらず、損害賠償も国が東電の尻拭いをしなければならない見通しだ。そんな状況下、30年以内にM8規模の地震が起きる確率が87%あり、なおかつこれまでの「想定」を見直す必要がある。そういう状況下で、「安全対策が取られるまで」停止するのは極めて当たり前の措置だ。

 例えて言うなら、航空機が事故を起こし、同型機で同じ事故が起こる可能性が87%あった場合、ただちに同型機の運行を停止し、安全対策を取るだろう。「すでに予約客がたくさんいるから運行停止すると多大な迷惑をかける」などと言って使用を継続するだろうか。唐突と言ったって、では「唐突でない」発表ってどんなものだと疑問に思う。「拙速」とは言っても場合によっては、「構え、撃て、狙え」という事が必要な事もある。


 新聞が大企業寄りになるのは、スポンサーに気を使っているからだろう。そうしたバイアスは理解していないといけない。中部電力が渋るのも、代替電力を火力で補おうとすると、コストが上昇して今期の利益が吹っ飛ぶからだ(ちゃんと新聞に書いてある)。公平・中立なニュースを掲載してほしいと思うが、はっきり言って期待はできない。

 今は「あさひ小学生新聞」を熱心に読む小学校5年の我が娘。間違っても朝日新聞を読ませるつもりはないが、いずれ普通の新聞を読むようになったら、盲信しないように教えないといけないと考えている。本当は全紙購読して比べれば面白いと思うのだが、さすがにそんなゆとりはない。
せいぜい新聞の読み方をどう教えるか考え、「その時」に話を聞いてくれるように、娘とはコミュニケーションをしっかりとっておきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「利益第二主義」牧尾英二
「逆説の日本史17」井沢元彦



2011年5月7日土曜日

ひどいニュース

 何ともひどいニュースを目にしてしまった。
焼肉屋でユッケを食べた6歳の男の子2人+大人2名が食中毒で亡くなったというニュースだ。同じ6歳の男の子の父親としては、見逃せないニュースだ。店で出されたユッケを食べたのが原因だと言うが、何を信じたらいいのかわからなくなる。特に一人の男の子は、お父さんの頼んだものを一口食べたのが良くなかったという。オーダーさせたのなら、多少なりとも親の監督責任もあろうかと思うが、「一口」くらいなら親として平気だと思うのは普通の感覚だ。親もたまったものではない。

 マスコミも相変わらずお得意の池に落ちた犬を叩くような報道ばかりだが、見れば見るほど肝心な事は伝わってこない。報道振りからすると、何やら焼肉用の肉をユッケとして生で出したと言う事らしいが、報道を見ていくと、どうやら生食用などというものはそもそも国内では流通していないらしい。そうすると巷に出回っているユッケは、どうなっているのだと新たな疑問も湧いてくる。

 牛角とか安楽亭は一斉にユッケの販売停止に踏み切った。まあ企業スタンスとしては当然だと思うが、それは全体の35%で、残りは引き続き提供しているようである。ならばそこのユッケはみんな焼肉用を転用しているという事になる。それなら問題は「焼肉えびす」だけの問題ではない。

 えびすの社長の記者会見やインタヴューを見たが、きちんと逃げずに応じているし、自らの非も認めている。その点では私も潔いなと感心した。東電の社長だったら入院しているところだ。被害者にも誠意をもって賠償したいと語っているし(まあ現実的にはこの会社は潰れるだろうから、限度はあるだろう)、悲痛な表情や詫びる姿勢は東電の社長には見られないし、両者を比較すればはるかに立派だ(まあ同じ経営者といっても東電のような大企業のスーパートップエリートと一緒にするなと言われるかもしれない・・・)。

 その「えびす」社長は、焼肉用を悪意的に生食提供したかのような質問には色をなして反論している。事実、その点に関しては他の焼肉店も同じなのだからその言い分は最もだ。マスコミはそれを「逆ギレ会見」と悪意的に報道しているが、向きになって否定する「態度」を問題視するのではなく、「内容」で判断すべきだ。その内容は極めてまともな反論だ。「逆ギレ」と偏向報道する前に、責めるべきところは責める、世の中の問題点は問題点として報じるべきだろう。「悪人の言う事はすべて悪である」という前提での報道には呆れるばかりだ。

 それに食中毒を起こす3日前の4月18日には日本テレビの「人生が変わる1分間の深イイ話」で取り上げられ全員一致の深イイ話として紹介されていた。これを見たら「行ってみよう」と思うだろう。おいしい食べ物にはすぐに食いつく我が家だったら、まず行くはずだ。このテレビを見て行った人がいるかもしれないし、それに責任があるとは思わないが、間接的に仕向けたと言われても仕方がない。

 肉を卸した業者もひどい。「生食用の肉は卸していない」とコメントしているらしいが、責任回避も甚だしい。せめて「当社の卸した肉でこのような事になり、誠に残念です」と言った上で、「当社は生で食べても安全な肉を卸している、他では何の問題も起きていない、当社としてもどうしてこのような事になったのか真相解明願いたい」くらい言えば、責任はないと間接的にもわかるというもの。「売った相手がどう使うか興味はないし、知ったこっちゃないから責任もない」と言っているように聞こえるし、それはつまりは「あなたの売る肉はきちんと焼かないと危なくて食べられないわけですね」と言うことなのかと思ってしまう。

 しかしながら、同じようにやっていても、他の業者は問題を起こしていないし、富山・福井・神奈川と離れた地域で、「えびす」のチェーン店が問題を起こしているわけだから、原因は絶対この会社の管理方法にあったわけである(社長も認めている)。それは責めるべきで、もうこのチェーンの存続は許されるべきではないだろう。
それにしてもここのユッケは、単価が280円だったらしい。量はわからないから同列に比較する事はできないが、一人前として「牛角」は590円、我が家ご用達の「牛蔵」は580円、「叙々苑」に至っては1,500円だ。際立つ安さの裏にはやっぱり、コスト削減の中での「管理コスト」削減があったのだろう。

 これからもユッケは食べても安全なのか、それとも「君子危うきに近寄らず」なのか。わからない消費者は取りあえず回避するしかない。それは一種の風評被害と言われるものの正体だが、それもしかたないだろう。マスコミもその視点からまともな報道をしてほしいものである・・・
    


      

2011年5月6日金曜日

我が家のGW

 GWまっただ中、高速道路の渋滞もGWらしくなってきた事もあり、我が家はいろいろと立てていた計画を変更。近場で過ごす事にして、家族会議の結果(私は議長ではあるものの議決権はない)、一昨日は昭和記念公園に行って来た。ここはプールもあるし、なかなか我が家では重宝しているのであるが、今回は「パターゴルフができる」という点が、娘の評価を勝ち取ったのである。

 連休中なのにというのか、連休中だからなのか園内は混み合っている。予定していたサイクリングは、早々に「品切れ」状態でできず。まずは芝生で野球をして、そのあと子供たちは遊具へと向かう。野球と言っても下からトスしたボールをプラスチックのバットで打つという単純なものであるが、昨年までは息子のバットに“ボールを当てる”のに苦労したものだが、今年はそんな苦労をする事無く、息子は何度も打ち返してきた。そんな成長の跡を、こうした機会に確認するのもいいものである。

 イベントとして、ミニコンサートをやっていた。けたたましいロックなどではなく、耳触りのよいクラッシックやポップスなどで、BGMとして心地良い。吹き寄せる風はどこまでもさわやかで、木々の緑もバックの青空に映えて、眺めていると衰えた視力が回復しそうな気がする。知らず知らずのうちにうたた寝をする幸せ感・・・

 パターゴルフは本当に簡単なもの。子供でも無理なくできるところがいい。パターゴルフと言えば、大学時代に菅平の合宿に行った時、帰りにみんなでやった事を思い出す。9ホールだけ楽しんだが、スコアもきちんとつけてそれなりに雰囲気も味わえた。

 閉園時間が来て帰路につく。帰り道にある「ステーキガスト」で夕食。スカイラーク系のファミレスであるが、「ステーキ」という看板名に以前から一度行ってみようと話していたところである。こういう情報を引き出しから取り出してくるのも、家族の中での存在感を維持するには欠かせない私の役割である。何せ食べ物の事はしっかりと押さえておかないと、我が家ではご機嫌取りはできないのである。

 ステーキ自体は見た目もボリュームあって、それらしい。味はやっぱり“ガスト”なのであるが、値段とのバランスが取れているので不満はない。それよりもサラダバーにカレーがついているのが、なかなかのヒットだ。デザートもしっかり食べて満腹。どうもこの連休中にせっかく減ったウエイトが戻りそうな勢いである。

 時間の余裕があれば、さらに“お風呂の王様”で一風呂浴びるという選択肢もあったのだが、それはまた次回だ。せっかくの連休なのにという気もするが、高速道路の渋滞を考えればそれで疲労とストレスを溜めるのもよくない。

 これはこれで有意義な休日であったと満足しているのである・・・

【本日の読書】
「カッコウの卵は誰のもの」東野圭吾
  

2011年5月2日月曜日

風評被害について思う

出身高校の財団法人では短期交換留学制度を設けている。
今年の夏休みには、ドイツから交換留学生を受け入れる予定である。
ところが、今回は予定が流動的だ。というのもドイツの留学生たちの一部の親が、日本行きを不安視して子供たちの出発を迷っているらしいのである。

原発問題ゆえであるが、福島に来るわけではないし、と東京に住む身では思うが、遠いドイツの国からすると(東京福島間の)200キロの差なんてないに等しいのかもしれない。
逆の立場に立って考えると、彼らの不安も良くわかる。もしも原発事故がドイツであって、自分の子供がドイツに行くとなったら、やっぱり不安に思うだろう。何かあっても遠く離れていて自分は何もできないとなれば、やっぱりGOサインを出すのは迷うだろう。
震災後の1カ月間で、53万人の外国人が出国したらしいが、それも無理もない話だ。

今回の原発事故で風評被害が広がってるという。
せっかく苦労して作った農作物が出荷できないとか根拠もなく売れないとかなると、農家の人たちも誠にお気の毒としか言いようがない。
被害は国内のみに限らず、海外にまで及んでいるようである。
しかしながら、「必要以上に警戒しすぎる」とその矛先を消費者に向ける論調には、いかがなものかと思わざるをえない。消費者側からすれば当然の自衛行動だからだ。

そもそも供給側にはこれまで様々な問題があった。
産地偽装や消費期限の改ざんなどの問題はまだまだ記憶に新しい。
そんな悪質な例外でなくても、農薬問題だって農家は自分たちの食べる分と出荷する分と(農薬量を)分けて作っているという話だって聞いた事がある。
今回の原発事故で、出荷停止を無視して農作物を出荷していた農家の事がニュースで報じられていた。そんなのはたぶんほんの一部の話だ。
だが、問題はそのほんの一部がどれなのか、消費者にはわからないという事だ。

わかったとしてもそれで安心できるか、という問題もある。
つい昨日は、焼き肉チェーン店で出されたユッケを食べた子供が、食中毒で死亡したとニュースでやっていた。こんなのは防ぎようがない。
せいぜい安売りの焼き肉チェーンには近寄らないという事しかない。
我が家では子供たちには念のためペットボトルの水を飲ませているが、宇都宮餃子ツアーでは、各店舗で出された水は、そのまま飲ませるしかなかった。

そういう消費者の立場からすると、「君子危うきに近寄らず」は賢明な措置だ。
あれは良い、これはダメというのも限界がある。
ちょっとでも不安に思うものは全部避けるというのが賢明な策だ。
スーパーで同じ野菜が並んでいたら、福島から遠いところのものを選ぶのは当然だ。
それを非難されても、改めないといけないとは思わない。

そもそもこうした自衛手段は、極めてまっとうな方法だ。
例えば私も初めて知ったが、献血では渡英歴があると献血ができないのである。
過去に起こったBSE問題に対する措置らしいが、目立たないところでこんな事をやっているのである(英国人が知ったら風評被害だと言うだろうか)。
もちろん、個々に良い悪いはあるだろうが、そんな事をチェックするのは大変なのだろう。
だから「まとめて全部ダメ」としているのだ。日本赤十字社でも堂々とやっている方法だ。
個人がやって悪い事ではない。

風評被害とは消費者の無知に起因するものではなく、あくまでも供給側の問題だ。
本当に被害を受けている人たちにとっては誠に気の毒であるが、その責任は消費者にはない。
「信用とは、信じても用心する事」とは私の好きな言葉だ。
今の世の中、残念ながら手放しで信じられるほどの安心社会ではない。
自衛策として絶対必要だと思うのである・・・


【本日の読書】
「ルポ貧困大国アメリカⅡ」堤未果
「カッコウの卵は誰のもの」東野圭吾

     

2011年4月30日土曜日

宇都宮餃子ツアー

ゴールデン・ウィークである。
子供のいる家庭では、なかなかのんびりまったり家で過ごすというのが難しい。
年々存在感が薄くなる一家の大黒柱としては、やる気のなさを見せるわけにはいかない。
というわけで、ゴールデン・ウィーク前半3連休中日の今日、我が家は宇都宮へ行ってきた。

この時期出かけるとなると憂うべきは渋滞。
ところが原発問題で東北方面は行く人も少ないだろうと考えたのだ。
天の邪鬼の本領発揮である。
そこで出てきたアイディアが宇都宮餃子ツアー。

実は、まだ子供たちが生まれる前の11年前、やはりゴールデン・ウィークに妻と二人で行き、いつかまた行こうと話していたのだ。
子供たちもそこそこ大きくなったし、行列に並ぶ事もできるだろうと決めた次第である。
読み通り道中渋滞もなく、出発から2時間ほどで宇都宮市内に入る。

11年前は滞在8時間で4軒食べ歩いた。
移動と食べるので1時間、並んで待つのに1時間、だいたい2時間で1軒のペースだ。
ちなみに我が家の奥様は、食べる事にかけては貪欲。
このくらいのペースはなんでもない。
今回もそんなイメージでいた。


まず向かったのは、「みんみん」。
たぶん宇都宮餃子では一番有名な店だ。
本店前にはすでに列ができている。
約40分ほど待って、最初の餃子にありつく。
ちなみにここで食べたのは、焼き餃子と揚げ餃子である。

私はもともと餃子はそんなに好きな方ではない。
しかし、宇都宮の餃子はそんな私でもうまいと思う逸品が多い。
家族4人満足して次の「めんめん」に向かう。
「めんめん」は餃子専門店ではないが、肉汁たっぷりの餃子は美味の一言に尽きる。
本日一番の美味であった。ちなみに家族で注文したのは、焼き餃子4皿である。

次に向かったのが、『来らっせ』という、いわば餃子パーク。
11年前にはなかった。
「龍門」、「さつき」、「幸楽」、「みんみん」と4種類の餃子が食べられる。
1皿ずつオーダーして食べ比べ。
見事にみんな味が違う事に、娘が感動。
「みんみん」は未体験の水餃子に挑戦。
ここでは「幸楽」の餃子が、ほんのり甘味があって一番の美味。
娘の「本日の逸品」に選ばれた。

途中本屋に寄ったり、宇都宮城址公園で遊んだりしたが、夕方「正嗣」で焼き餃子を食べ、〆は再び「めんめん」で各々夕食を取った。
食いしん坊の母娘は大満足。
長男は2件目でギブアップしたものの、娘は親と同じ量を食べた。
食べる事に対する情熱を、もうちょっと抑えてもいいんじゃないかと、父親としては将来がちょっと心配な我が娘である。

帰りの車中はいびきとげっぷと寝言の大合唱。
たぶん、関係ない人が乗り込んだら鼻をつまんだに違いない。
帰りも渋滞なくスムーズに帰宅。
なんとなく人通りが寂しかった宇都宮市内。
各餃子店舗も予想したほど混んでいなかった。
震災の影響だとしたら、今日の我が家は宇都宮市の消費に少し貢献できたはずだ。
これも復興支援だと、餃子臭い息を吐きつつ記すのである・・・


【昨日の読書】
「カッコウの卵は誰のもの」東野圭吾

      

2011年4月27日水曜日

ウルトラセブン

我が家の6歳になった長男は、今ウルトラマンシリーズにハマっている。昨年あたりから興味を持ち始めたのであるが、今やすっかり仮面ライダーにとって代わっている。

しかし今は新しいシリーズもないし、テレビで見る機会はなく、もっぱら雑誌などで見るだけであった。中でもお気に入りなのがウルトラセブンだったが、なんとケーブルテレビでウルトラセブンの全話がまとめて放映された。全49話をすべて録画し、長男と週末に少しずつ見て楽しんでいる。子供の頃何度も再放送を見たものであるが、大人になって改めて見てみると、また違った印象を持つものである。

第1話ではウルトラ警備隊のメンバーが紹介される。
貫禄のあったキリヤマ隊長は38歳。
思わず「若いじゃないか」と思ってしまった。私よりも8歳も若い。
もともとずんぐりしていて老け顔だから、今見てもとても30代には見えないのであるが、まあ地球防衛軍の最前線、ウルトラ警備隊の隊長として日夜宇宙人の侵略から地球を守る役目としては、考えてみれば適度な年齢だ。

アマギ、ソガ両隊員は24~25歳。
大学卒としても「若過ぎるだろう」と思ってしまうのだが、軍隊でも最前線の兵士は20歳前後だからまあいいのかもしれない。
そのソガ隊員だが、現在多岐川裕美の旦那さんだというのは、ちょっとしたトリビアだ。

ストーリーは大人になって見ると、粗が目立つ。
無理やり30分の枠に収めているからか、突っ込み所満載だ。
それはともかくとして、どきりとするようなストーリーもあったりする。
第6話「ダークゾーン」で登場するのはペガッサ星人。
高度な文明を築き、生まれた星を出て宇宙空間に都市を作って移動している。
その都市が推進機の故障で地球の軌道に入り込んでしまう。
このままだと衝突して大惨事となる。

ここで地球防衛軍は宇宙都市ペガッサの破壊を決める。
子供の頃は(我が家の息子もだ)、気にもしなかったが、これは大変な事だ。
自らが生き残るために、一つの文明を滅ぼす事は許されるのかという問題だ。
まさにサンデル教授が取り上げそうなテーマではないか。
さすがにそのまま破壊したのでは、教育上よくないと思ったのか、番組ではウルトラ警備隊が破壊する前にペガッサの人たちに地球に移住するように呼び掛ける。
(しかし結局応答がなく、破壊してしまうのである)

それを見ていて、もしも相手が応答してきて、「お言葉に甘えて」移住すると言ってきたら本当に受け入れるのか、とパパは一人でブツブツとつぶやいてしまった。
(何人来るのだ、どこに受け入れるのだ、何を食べるのだ・・・)
息子はもちろん、夢中になって見ていてそんなパパの悩みは知る由もない。

あれはウルトラホーク1号で、α号、β号、γ号に分離するんだぜ、とかカプセル怪獣は3体いるんだぜ、とかこちらも昔覚えた知識で解説してやる。
目をキラキラ輝かせて聞き入る長男に、かつての自分を思い浮かべてみる。
たぶん、ウルトラセブンだから親子一緒に見られるのだろう。
その他だと私も一緒に見るのは苦痛かもしれない。

まだまだ見始めたばかり。
これから週末はしばらく長男とテレビの前に陣取ってあれこれ話の花が咲く事だろう。
その昔テレビの前に一人座って夢中になってウルトラセブンを見ていた記憶がある。
いつか長男も大人になって同じように思い出す時がくるだろう。
その時、長男の記憶の中では隣に親父がいてくれるだろうか。
そうであれば良いだろうな、と思うのである・・・




【本日の読書】
「ルポ貧困大国アメリカⅡ」堤未果
「ザ・ベロシティ 製造業・起死回生のシナリオ」ディー・ジェイコブ/スーザン・バーグランド
   
   

2011年4月23日土曜日

キャンディーズ

元キャンディーズの田中好子さん死亡というニュースが駆け巡った。
年齢的にもそんな事が考えられるわけはなく、私も例にもれずショックだった。
なんでもキャンディーズのCDに注文が殺到しているらしいし、中高年の元ファンも数多くいるのだろう。かく言う私もその一人だ。

ちょうど小学校の高学年から中学にかけての頃だった。
いわゆる『アイドル』に夢中になったのは、キャンディーズが最初だ。
キャンディーズが載っている雑誌を買ったり、ポスターなどのグッズを集めたが、それらは今でも実家のどこかに眠っているはずだ。サイン入りのハンカチは、いまでもタンスのハンカチ入れの底に未使用のまま置いてある。

当時は年齢的にもコンサートに行ったりするところまではいかなかった。
だからもっぱらテレビで声援を送っていたクチだ。
特にドリフの「8時だよ、全員集合!」は、キャンディーズも常連だったので一石二鳥で観ていたものである。というかひょっとしたらこの番組を観ていてファンになったのかもしれない。

小学校の中学年くらいまでは西城秀樹が好きだったのだが、年齢が上がり私の目も異性へと向いて、その先にキャンディーズがあったのかもしれない。3人の織りなすハーモニーは耳触りが良く、母親などは顔をしかめていたが、今でも聞いて違和感はない。最近はYoutubeで昔の映像を見られるので、キャンディーズも時折見る中に入っていたのである。

好きな曲を3つ選べと言われたら、「哀愁のシンフォニー」、「アンドゥトロワ」、「やさしい悪魔」だろうか。どちらかと言うと、前期の元気な歌よりも後期のちょっと大人びた雰囲気の歌が私の好みだ。のちに映画「結婚しようよ」を観ていて初めて知ったのだが、「アンドゥトロワ」、「やさしい悪魔」は吉田拓郎の曲であるから、納得である。

引退した日は、当時恒例行事だった長野県の御代田にある従兄弟の家に遊びに行っていた。
ニュースでさよならコンサートの様子を見て、行けなかったのが本当に残念だったのを覚えている。のちにやっぱり大好きだったアントニオ猪木が、キャンディーズとおなじ4月4日に引退した時には、自分にとって少なからぬ因縁を感じたものである。

キャンディーズではやっぱりランちゃんのファンだったが、今ならミキが一番好みのタイプかもしれない。彼女がメインの「わな」も実は名曲だと思う。
解散後に一番活躍していたのはやっぱりスーなのだろう。
スーというよりも田中好子の方が今ではしっくりくる。

キャンディーズ以降、いわゆるアイドルに夢中になることもなくなった。
ピンク・レディーは始めから興味なかったし、松田聖子や中森明菜も時々のヒット曲には惹かれたがそれだけだ。そういう意味では、最初で最後のアイドルだったと言える。

小学校5年の長女は今、嵐に夢中である。
家族で出掛ける車の中のBGMはほとんど嵐だし、下敷きなどのグッズも大事にしている。
そんな姿を見ていると、自分自身もたぶん同じだったのだろうと思い、そんな気持ちを大事にしてあげたいと思う。

だんだんとノスタルジーに浸ることが増えていく気がする。
年齢を経ていけばそれもしかたあるまい。
そうした一つ一つを大事にしたい。
キャンディーズは間違いなくそんな一つなのである・・・


        

2011年4月21日木曜日

自衛隊を考える

震災当日の自衛隊の初動は次のようであったと言う。

14:46 三陸沖を震源とする最大震度7の大地震が発生
      発生と同時に陸上自衛隊東北方面隊第6師団、同第9師団は、部隊全部を第3
      種非常勤務態勢に移行し、海上自衛隊大湊地方隊、航空自衛隊北部航空方面隊
      も同様に災害派遣準備に着手
14:50 首相官邸危機管理センターに官邸対策室設置
14:52 海上自衛隊自衛艦隊司令官、出動可能全艦艇に出港命令
      岩手県知事が自衛隊に災害派遣要請
14:56 海自P3C哨戒機による状況偵察開始
14:57 海自第73航空隊のUH60J救難ヘリ1機が離陸
15:01 陸自東北方面航空隊からUH1映像伝送ヘリ1機離陸
15:02 宮城県知事が自衛隊に災害派遣要請
15:05 三沢、百里、小松の各空自基地からF15戦闘機計6機が離陸
15:15 海自第2航空隊のP3C哨戒機1機が離陸
      陸自東部方面航空隊のUH1映像伝送ヘリ1機が離陸
15:20 海自第4航空隊のP3C哨戒機1機が離陸。
      以降、海自や陸自の各航空隊から航空機・ヘリ等が相次いで離陸
15:25 横須賀の海自艦艇全13隻が抜錨、三陸沖へ。
      大湊、舞鶴、呉、佐世保からも護衛艦などが三陸沖に向け次々出港、計42隻

阪神淡路大震災の時は、自衛隊アレルギーの自治体が派遣要請を渋り、自衛隊の出動が4時間後であったと言うが、その教訓を活かし今回は実に素早い展開となったようである。
テレビでも海から迫る津波を上空から捕えた映像が流されていたが、それもこうした早い展開の為せるわざということらしい。

大災害時にはやはり自衛隊の力が群を抜いている。
やはり国家にはこうした軍隊というものは必要なのだとあらためて思う。
しかし、世の中にはまだまだアレルギーの強い人たちはいる。
それはやはり戦争の結果ではあるのだが、だからと言ってその憎しみが軍隊や国歌や国旗に向かうというのは、どうにも理解できない。

例えば太平洋の真ん中で遭難したとする。
その時北に米海軍、東に英海軍、南に中国海軍、西にリビア海軍の軍艦が現れたとしたら、どの方向へ助けを求めに行くだろうか。
日本人なら英米だろう。

例えばまったく同じ種類の銃が2丁あったとする。
一つは警察官、一つはヤクザが持って街中を歩いている。
どちらが怖いだろうか。
答えるまでもない。
同じ種類の銃なので、銃それ自体が脅威ではない。
持つ人が脅威なのだ。

軍隊も銃と同じ。
きちんとシビリアン・コントロールが効いていれば、それ自体は脅威ではない。
米英の軍隊に恐怖を抱かないのと同じである。
歴史をきちんと学び、シビリアン・コントロールの仕組みをきちんと作れば、軍隊が自然にクーデターを起こして暴走するなど、現代の日本では到底考えられない。
自衛隊はそういう組織になっているのである。

そういう私も中学生のある頃までは、確かに軍隊など持つべきものではないと考えていた。
まだイラクのクウェート侵攻なんて起こっていなかったから、侵略されても無抵抗でいれば良いじゃないかと無邪気に考えていた。
そんな私の目を覚を覚ましたのは、中学のある社会科の先生だ。

国連では、もしも日本がどこかの国に侵略されたら、加盟国がそれぞれ軍隊を出して国連軍を形成し助けに来てくれる。
アフリカの小さな国からも兵隊が来て戦ってくれる。
でも今度は逆にそのアフリカの小さな国が侵略された時、国連から軍隊を出せと言われたら、日本はそれを断れるだろうか?

先生のその問い掛けで、自分の考えのおかしな点に気がついた。
「もしも嫌なら国連には加盟していられないんじゃないの」と言われてその通りだと思った。(まあ現実的には各地域での安全保障があるので、あくまでも『理屈では』という話だ)
今から思うとあの先生は日教組ではなかったのだろう。
まだ世間知らずの頭に現実を教えてくれたので、今でも印象に残っている。

しかし世間にはいい大人になってもまだ夢みたいな事を考えて、自衛隊を毛嫌いしている者が大勢いるのは困ったものだ。大臣でさえ「暴力装置」とのたまうのだから呆れてしまう。
本当は学校できちんと教えるべきだと思うのだが、その学校に日教組みたいなものがあるから如何ともしがたい。

まだまだ東北地方も瓦礫の山だし、原発周辺は手つかずみたいだし、現場ではいろいろと大変だろうと思う。何より現場が一番大変だ。
命令一つで危険な場所に行かなければならない。
それが可能なのは軍隊だからだ。
自分にできる事の一つとして、自衛隊の人たちにエールを送りたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「ハーバード白熱教室(下)」マイケル・サンデル
「ザ・ベロシティ 製造業・起死回生のシナリオ」ディー・ジェイコブ/スーザン・バーグランド

2011年4月18日月曜日

原発問題について考える~その2~

震災から早や1カ月超。
原発はまだ6~9カ月かかるとの見通しが発表された。
なんと言うべきか言葉もない。
しかしお陰で原発については詳しくなってしまった。
良いのか悪いのかわからないが、詳しくわかればわかるほど、これまで無知であった事に対する恐怖心が出てきてしまっている。

日本人にはもともと原子力アレルギーがある。
反対している人もそんな人たちなのだろうと、今までなんとなく思っていた。
事故が起こらない限り、そんなの杞憂だろうと思っていたのだ。
先輩Hも地方から問題を発信していたが、私は読み流していた。

今あらためて、世の中の人はどのくらいこれらの問題を知っているのだろうと思う。
原発の問題は、地震などがあっても緊急停止すれば安全なのかと思っていた。
ところが事実はそうではない。というか、そもそもその前に大きな問題点があるということが、いろいろ見聞きした結果わかってきた。

まず、原発はウランを加工して作った核燃料を使って発電する。
そして使い終わった核燃料は、今やすっかりお馴染の「
使用済み核燃料」である。
これはウランとプルトニウムが大量に含まれる高レベル放射性廃棄物である。
この使用済み核燃料は、一般的には原子炉で使用された後、冷却するために貯蔵プールで保管される。福島の4号機ですっかり有名になったやつだ。

そしてここで冷やされるわけであるが、その崩壊熱を冷却するのに必要な期間はなんと50年だと言う事である。 さらに使用済み核燃料からはウラン及びプルトニウムを抽出することで核兵器への転用も可能であるため、大量に貯蔵することは好ましくないとされている。
核兵器を持たない国がプルトニウムだけ増やし続けるのは、いらぬ疑惑を招くらしい。

そこで、それをさらに再処理する事で、再度高速増殖炉での発電用の燃料に加工できる。
これがプルサーマルという技術で、ここから出る廃棄物はさらにパワーアップしていて、強力な放射線と崩壊熱を出し、その冷却に必要な期間は、なんとなんと500年らしい。
もう絶句である。

 そしてその廃棄物は、実は捨てる場所がない。
海に捨てるわけにもいかず、原発内部の貯蔵プールに入れておくか、青森県にあるまだ完成していない再処理施設に送るか、そこの施設内で長期保存するしかないようである。
しかもそんな廃棄物が、日本では54機の原発で年間1,000トンも排出されているという。
「そんなの聞いてねぇよ」と思わず言いたくなる。
地震以前にそれだけの問題があるのだ。

今年の流行語大賞に間違いなくノミネートされるであろうと思っている「想定外」。
便利な言葉だ。どれだけ想定しているのかは知る由もない。
震災後、慌てて削除された東京電力のホームページには、津波に関しては以下の説明が記載されていたらしい。

『津波への対策
 原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、重要施設の安全性を確認しています。また、発電所敷地の高さに余裕を持たせるなどの様々な安全対策を講じています。』

今さら、ではあるが大した想定だ。
さらに耐震強度については、『M6.5』までの直下型地震に耐えられる構造なのだそうである。ちょっと不安になるが、東京に一番近い原発である静岡の浜岡原子力発電所は、耐震基準が一段と強化されていて、理論上『M8.5』まで大丈夫だそうである。
それ以上の地震は起こらないらしいから、安心してもいいらしい。

 1,000年に一度と言われる災害に、必要以上に怯えても仕方ない。
だが年間1,000トンは現実問題だ。
我々は子供の代に借金を残すばかりか、末代までにわたって放射能のゴミを残す事になるらしい。電力がふんだんにある生活は確かに便利で快適だが、見えないところでそのつけは着々と溜まっている。

そろそろ自分の問題として、真剣に考えないといけないと思うのである・・・

【本日の読書】
「民の見えざる手」大前健一
「春秋山伏記」藤沢周平
 
     

2011年4月15日金曜日

春の夜雑感

「さだめなき 風にまかせて 散る花を 花とばかりに 思い眺むる」
                          (詠人不知)
「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
                          (細川ガラシャ)
「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」
                          (林芙美子)
*********************************************************************************

この時期、朝は少し遠回りして駅まで歩いている。
通勤路からちょっと離れた先の桜の木を観賞するためである。
毎朝すこしずつ、緑が増えていくが、風にあおられて舞うピンクの花びらが何とも言えない風景を作り出す。そんな風景を朝の忙しい一時に、楽しむ心の余裕を持ちたいと、ちょっと贅沢な遠回りである。

死者は増え続け、行方不明者は減らない、原発は解決の兆しも見えない。
そんな混乱が続いている中、小沢さんの名前がまた新聞紙上を賑わしている。
リーダーシップを発揮できない菅さんを総理から下ろそうとしているらしい。
小沢さんという政治家は、私はかなり評価していたのだが、ここのところどうも眉をひそめたくなる行動が目立つ。

震災でだいぶごまかせているとはいえ、今は民主党にとって大きな危機にある時だ。
ここを乗り切らないと、もう小さな波でひっくり返るだろう。
菅さんがいくらダメだと言っても、今は総理を代えている場合ではない。
一致団結して民主党自体を浮上させないといけない時だろう。
そうでなければ、菅さんを下ろしたところで、次の椅子に座った途端、足元から台座が崩れ落ちるという事態になりかねない。台座さえしっかり固めておけば、時間はかかってもやがて玉座に座る順番が回ってくる。どうしてそう思わないのだろうか・・・

小沢さんには小沢さんなりの戦略があるのかもしれない。
ただ民意というものは、小沢さんの考えているものとは違うように思える。
それは庶民の側からの方がよくわかるのかもしれない。
あるいは、とにかく自分が総理になれば、そこから猛烈な勢いで挽回できるという考えでもあるのかもしれない。政治家になるような人間は我が強いから、チームプレーに徹するなどと言う事は苦手なのかもしれない。

ラグビーでは、敵を自分に引きつけ、味方をフリーにしておいてトライを取らせるプレーは、称賛されるべきプレーである。ところが小沢さんは、自分がトライを取るために味方からボールを奪い取ろうと汲々としているように見える。
自分がトライを取るのとチームの勝利とどちらを優先するかだ。

夜の7時半を過ぎると職場に放送が流れる。
我が職場でも節電で、8時には全館消灯になるのだ。
ご丁寧に15分前には2/3の照明が落とされる。
何ともはやというところだ。
明日できる仕事は明日に、という精神でこなすしかない。
それにしても2/3の電灯が消えたオフィスというのも乙なものだ。
机の上で浮かび上がるパソコンの明かりが何とも言えない雰囲気を醸し出す。

外に出て周りのビルを見渡せば、ところどころに同じような試みをしていると思われるビルが見える。我がビルの目の前には某商社が入っているビルがあるが、一角は真っ暗だ。
世界中を相手にする商社が、とも思うが、出来る部署だけしているのかもしれない。

来年の今頃は元の生活に戻っているのだろうか、とも思ってみる。
しかし、それがいいかどうかはわからない。
ここで一度立ち止まって、これからの行く末を見直すべきなのかもしれない。
特に原発問題は喉元過ぎればというわけにはいかないだろう。
そういう意味では、来年桜が咲く世の中は、今より少し良くなった世の中であってほしいと思うのである・・・


【本日の読書】

「民の見えざる手」大前健一
「春秋山伏記」藤沢周平

【本日の漫画】
「JIN-仁⑳」村上もとか
「ONE PIECE⑥」尾田栄一郎     

     

2011年4月13日水曜日

人生やり直すべきか

幸せになりたいならば、
「あの時ああしていれば」と言う代わりに、
「この次はこうしよう」と言う事だ     
スマイリー・ブラントン(精神科医)
****************************************************************************

「もしも人生をやり直せるとしたら、いくつの時からにしたいですか?」
同僚K氏にこんな質問をされた。K氏は小学校4年生だという。
その時の写真を見ると、自分で見ても「良い顔」をしているらしい。
本当に楽しかったというのである。
「高校生かな」と私は答えた。

私はこういう空想めいた事を考えるのがけっこう好きである。
「あの時のあの失敗をやり直せたら、自分の人生は今よりも遥かに充実していたに違いない」と真剣に思うし、できるならそうしたいと心から思う。
小学校4年と言えば、今の長女とほぼ同じ年。
クラスメートの女の子に恋心を抱き、卒業したばかりの新卒の担任の女性教師にもほのかに憧れていた頃だ。ただもう一度戻りたいとまでは思わないなぁ・・・

小中学生の頃だってもちろん楽しい毎日だった。
近所の少年野球のチームに所属して、週末は練習や試合に明け暮れていた。
自転車飛ばして公園やら友達の家やら遊びまわっていた。
でもまだ自分に自信がなかった頃でもあり、喧嘩になっても殴られっぱなしだったし、つっぱりグループとは目を合わせないようにしていた頃でもある。
今となればあの頃に戻って喧嘩しても勝てると思うから、リベンジしに行くという考えもあるが、そんなのも後ろ向きでひねくれた考え方だ。

ほぼ咄嗟に答えたとは言え、「高校生」というのもよくよく考えてみてもやっぱりその通りである。中学生までの厳しい校則がゆるゆるになって、自由な気分が味わえたし、アルバイトもできて親にこずかいももらわなくなったから、ちょっとばかり大人になった気もしていた。つっぱりグループとも無縁になったし、初めて女の子とデートもしたし、勉強ですら面白いと思うようになっていた。衝動的に始めたラグビーであったが、こんなに面白いスポーツに巡り合えた幸運を今でもありがたいと思う。

特に悔いなどはないから、改めてやり直したいかと言われれば難しい気もする。
ただ、ラグビーの試合は連戦連敗だったから、せめて何試合かは勝てるようにできるかもしれないとは思う。だが、高校生に戻ると暗い受験生時代をもう一度体験しないといけなくなる。
浪人中は、家に籠って一日10時間、一週間で62時間の勉強を自分に課し、363日毎日勉強しようと決めて机に向かった生活は、やれと言われてももう無理かもしれない。
そうすると、やっぱりやり直すとすると大学に合格した日からかなあ・・・

楽しかった時代に戻りたいと思う一方で、何か悔いがあったりすると、そこからやり直したいと思う気持ちもあるかもしれない。たぶん、誰にでもそんな場面はいくつもあるだろう。東電の社長なんか3月10日以前(あるいはもっと前)に戻りたいと思っているかもしれない。そんな後悔を、みんなそっと胸に秘めて今を生きているのだろう。

就職・結婚とその時はベストだと思った選択も、今となってはやり直したいものばかりだ。
だが、結婚などはもしも違う選択をしていたら、今の子供たちとは出会えなかったわけである。そうすると複雑な心境だ。それだけはどうにも耐えられない気がする。

結局、様々な選択の結果が今日の自分なわけで、いろいろと悔いもあるが他の選択肢というのも考え難いものがある。結局戻ってやり直しても、またそこから別の後悔が生まれるものなのかもしれない。楽しかった時代に戻るのも、悔いある過去をやり直すのも、空想の中でしかできない事。やっぱり今を悔いなく生きたいし、明日も希望を持って迎えたい。

いろいろ大変な事が多い今も、いつかは懐かしく振り返れるようになると信じて、明日も頑張ろうと思うのである・・・

【本日の読書】

「民の見えざる手」大前健一

「春秋山伏記」藤沢周平





2011年4月10日日曜日

ハリネズミと金貨

「 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 」

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うららかな天気の中、近所の投票所となっている中学校へ行って都知事選の投票を済ませてきた。改めて気がついたのだが、その中学校にはぐるりと桜の木が植えられている。満開の桜に囲まれ、時折桜の花びらが舞い、それは何とも言葉には表せない風景。

練馬区は都心部から比べれば、いくらか緑は多いかもしれないが、それでも自然豊かとは言えない。しかし桜の花びらの舞うその光景は、それでも日本の原風景という気がする。一年のうちほんのわずかな期間だけしか、この風景を楽しめないというのも惜しい気がする。今この瞬間を味わいたいとしみじみ思う・・・

6歳になったばかりの長男にはいつも紙芝居か絵本を読んであげている。
先日読んだのは、「ハリネズミと金貨」というロシアのお話。
それは概略次のような内容だ。

ある時、老ハリネズミが道端で金貨を拾う。老ハリネズミは寄る年波には勝てず、これで楽して冬ごもりの支度をしようと考える。そこで干しキノコを買おうとリスのところへ行くが、リスはただでキノコをくれ、その金貨で靴を買えと言ってくれる。
続いてカラスの靴屋のところへ行くが、カラスは金貨で靴下を買えと、ただでどんぐりの靴を作ってくれる。くもの靴下屋もただで靴下をくれ、小熊もハチミツをくれて冬ごもりの支度はできてしまう。老ハリネズミは、きっと誰かの役に立つだろうと、使わなかった金貨をもとのところに置く・・・

ロシアの話にしては心が温かくなるような話で、じっと聞いていた長男も「みんな優しいね」と感想を語ってくれた。確かにそうなのだ。お金に汲々とする事無く、森の動物たちはみんなで分け与える精神を発揮する。そうした精神は成長期にある長男の心の中に根付いてほしいものだと思う。

だが一方で、日頃天の邪鬼な私としては、ついつい勘繰りたくなる。
果たしてどんな状況でもみんな優しくできるだろうか、と・・・
例えば干ばつなどで食べ物が無くなっていたら、果たしてリスはキノコを分けてくれただろうか?カラスやくもは食べ物を買えるかもしれない金貨を受け取らずに靴や靴下をくれただろうか?小熊はハチミツをくれただろうか、ハリネズミは金貨を元に戻しただろうか?
残念ながら温かい答えは出てきそうもない。みんな余裕あってこそ相手を助けられるのである。

そう言えば今日はお使いを頼まれてスーパーに行った。水を買いに行ったのだが、最近はどこも品薄。一番近くのいなげやは、朝からみんな並んであっという間に無くなるらしい。なのでちょっと離れたスーパーまで行ったのである。一本買ったのだが、「おひとり様1本限り」と注意書きがついていた。よく見ると納豆とヨーグルトもそうであったし、そう言えばガソリンも前回は30リッターまでと制限された。

考えてみれば売る立場としては、制限など設けなければ早い者勝ちであっという間に売り切れるだろう。値上げしたって売れるはずだ。売る方の理屈としては、効率的に売りきって儲けられるはずだがそうはしていない。便乗値上げは批判されるし、一部の人が買い占めれば買えなかった人から不満の声が上がる。制限をつけてくれるおかげで、少しではあってもより多くの人の手に商品が行きわたる事になる。普段の特売品の販売制限は違う意味があるが、今回については公平に多くの人に売ろうという意図だろうし、それはそれでありがたい事だ。これも分け合いの一種と言える。

本当は買い手の方が進んで控えるのが一番理想的だと思う。
自分が不必要に買い込んだら、買えない人が出てくると考えて必要な分だけにするのが良いのだ。そうすれば買占めなどという事は起こらない。それにもしも物資が窮乏したとしたら、買い占めた家ではカーテンを閉め切ってこっそりと家族だけで食べるのだろうか。きれい事を言ってはいられないという事態はもちろんあるだろうが、いろいろ考えてみると難しいものだと思う。

それにしても今回の震災はいろいろなテーマを都民に投げかけてくれる。直接の被害がなかったのは幸いな事だが、電気やガソリンや食料品が一時的に欠乏する事で、日頃のあり方を見直すいい機会になっている。いざ直接の災害となった時、果たして分け合い助け合う事ができるのだろうか。せめて同じような家族構成の人たちが多いご近所とは、そうできたらいいなと思う。

そんな事を念頭に、これからの行動を考えていきたいと思うのである・・・

【昨日の読書】

「インシテミル」米澤穂信

2011年4月6日水曜日

週末は都知事選

まだまだ落ち着かぬ世の中、そろそろ自粛も自粛しようという声があちこちから上がってきている。そんな世の中、日曜日には統一地方選挙だ。
浦安市はやるのかやれるのかでもめているようだが、我が東京は都知事選だ。
今回もきちんと義務を果たさないといけない。

さて、静かな選挙戦でまったく選挙ムードがないのだが、候補者は揃っている。
先日丸の内でドクター中松が選挙カーで回っていた。自らを優秀と言ってはばからず、さらに都知事には優秀な人間がならないといけないというお説には、「さすが」と唸ってしまった。毎度律儀に立候補しているし、もはや選挙には欠かせない人物だ。82歳と高齢ながら、毎回立候補するバイタリティは凄いと思うし、投票はしないけど頑張ってほしいと思う。

本命はどうやら現職の石原さんのようだ。
思えば初当選した12年前は、ちょうど伊豆に旅行した時で、帰りの車中のカーラジオで石原さんの当選速報を聞いたため、強く印象に残っている。あれから12年・・・
もう十分だろう。一度出馬しないと言ったのに、撤回したのはいろいろと裏工作があったのかもしれないが、12年は十分長い。アメリカの大統領だって2期8年だし、都民として4選は阻止しないといけないと思う。

では代わりに誰がと見渡せば、人気の面での対抗馬は東国原さんだろうか。
宮崎をPRしまくって県民に圧倒的な支持を受けたとしても、宮崎では成功しても同じ手法は使えまい。規模だって違うし、どうかなと思う。本当は政治家としてのキャリアを積むなら国政にでれば良かったのだと思う。あれだけの圧倒的な支持があれば、衆参どちらでも行けるだろう。ステップアップであれば、宮崎県民もおらが代表でいつまでも支持するだろう。だが横滑りで都会へ出れば、所詮は東京かと、宮崎県民にしてみれば裏切られた気持ちになるのではないだろうか。

そうすると共産党は論外だし、あとはワタミの会長しかいない。
ワタミを創業して大成功し、介護事業や学校・病院運営といった異業種に進出し、教育委員会などにも顔を出し、今やマルチ経営者である。「夢に日付を」という言葉も好きだし、著書を読んで共感できる部分も多かったし、今回はこの人かな、と思っている。

ただ、現実的に当選は難しいかもしれない。
一般的には居酒屋の経営者くらいのイメージみたいだし、いろいろな批判を耳にして嫌だと言う人もいるようだ。石原さんやそのまんまよりも知名度は劣るし、劣勢は否めないだろう。もしも当選したら、経営の発想を政治に持ち込んで、それがうまくいくかどうかは未知数だが、期待値は大きいと思う。凝り固まった役人にはできない発想を都庁に持ち込むだろう。グループの経営理念をそのまま当てはめ、都庁の職員に都民から「ありがとう」と言われるようにしようとしているらしい。
「もしも」と考えると面白いと思う。

どうやら週末は桜の花もかなり咲き誇っているようだし、12年前のような政権交代を期待しながら、投票の義務を果たそうと思うのである・・・


【本日の読書】
「20歳の時に知っておきたかったこと」ティナ・シーリグ
「インシテミル」米澤穂信




2011年4月3日日曜日

信無不立

And so,my fellow Americans,
ask not what your country can do for you – ask what you can do for your country 
(J.F.K)
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朝刊に「菅総理が被災地を視察」という記事が出ていた。
総理による被災地視察は2回目だと言うが、最初の視察については震災翌日で、それが初動の遅れにつながったと批判を浴びている。一国のトップが訪問するとなると、周りの準備は相当なもの。混乱する現場を訪問する事は、士気を鼓舞する部分と邪魔をする部分とが相重なる事でもあり、なかなか難しいところだ。

その菅総理は、この震災でだいぶ救われた感じがする。
何せ震災前は360度の集中砲火を浴びて青息吐息であったのが、ニュースの大半が震災に向いたからだ。ひょっとしたら「天の恵み」ぐらいに思っているかもしれない。それでも被災地に行けば行ったで批判され、表に出なければ引きこもりと批判され、まあ日本のマスコミのする事とは言え、何をやっても批判されるのは気の毒な気もする。

個人的に菅総理は高校の先輩でもあるし、頑張ってほしいと思うのだが、やっぱりリーダーシップの欠如という面は否定できない。ある程度の批判は仕方ないにしても、かなりの部分は自ら招いていると言っても過言ではない。何も菅総理に限る話ではないが、ここ数年の日本の首相はみなそうだ。なぜそうなのかと考えると、どうも国民の顔色を伺い過ぎるところがあるように思う。何とか支持してもらおうと、国民が喜びそうな事をしようとばかりしているように思える(しかも、それすらできていないから尚更なのだ・・・)。

例えば恋愛においても、相手の好みに合わせようとしたところで好かれるわけがない。
女性にどんなタイプの男が好きかと聞いて、「優しい人が好き」と言われ、一生懸命人に優しくしたところで好きになってもらえるという事はまずない。これは私に限らず、心に何針も縫った跡がある者ならば、身に沁みてわかる事だろう。彼女が語る好きなタイプなど、何の参考にもならないのである。

アップルのスティーブ・ジョブスは、こんなパソコンを作りたいというイメージがあって、それを次々と形にしてきたのだと言う。それは消費者に「どんなパソコンがほしいか」というアンケートを取って、その通りに作るというものではない。自分がこんなものを作りたいと考え、そしてiMacから始りiPod、iPadといった製品を次々に生み出し、消費者を惹きつけてきた。
一時期瀕死だったアップルはスティーブ・ジョブスの復帰とともに復活し、今は業界をリードし、他社はアップルの真似に忙しい。

要は相手がどんなものを望んでいるかではなく、自分はどんなものを相手に提示できるか、なのだと思う。その結果、それが受け入れられれば認められる。自分はこんな男なのだというものがないと、相手の気を引く事は難しい(もちろん、それは容姿やファッションなどではなく、信念や考え方や生き方などであってほしいのだが・・・)。
菅総理にも同じ事が言えるのではないかと思う。

日本の総理大臣として、どんな方向に日本を進めていきたいのか、我々日本人は世界の中でどうあるべきなのか、それを総理大臣としてどのように実現させていきたいのか、そんな考え方はまったく出て来ない。小泉元総理は、内容はともかくとしてそうした一つの考え方を提示していたと思う。
だから5年も総理大臣をやれたのだろう。

「信無くば立たず」
論語の言葉が重く感じられる昨今の日本の政治家である。
菅総理には未曾有の危機の中で、何とかリーダーシップを発揮して頑張っていただきたいものである・・・