2011年5月2日月曜日

風評被害について思う

出身高校の財団法人では短期交換留学制度を設けている。
今年の夏休みには、ドイツから交換留学生を受け入れる予定である。
ところが、今回は予定が流動的だ。というのもドイツの留学生たちの一部の親が、日本行きを不安視して子供たちの出発を迷っているらしいのである。

原発問題ゆえであるが、福島に来るわけではないし、と東京に住む身では思うが、遠いドイツの国からすると(東京福島間の)200キロの差なんてないに等しいのかもしれない。
逆の立場に立って考えると、彼らの不安も良くわかる。もしも原発事故がドイツであって、自分の子供がドイツに行くとなったら、やっぱり不安に思うだろう。何かあっても遠く離れていて自分は何もできないとなれば、やっぱりGOサインを出すのは迷うだろう。
震災後の1カ月間で、53万人の外国人が出国したらしいが、それも無理もない話だ。

今回の原発事故で風評被害が広がってるという。
せっかく苦労して作った農作物が出荷できないとか根拠もなく売れないとかなると、農家の人たちも誠にお気の毒としか言いようがない。
被害は国内のみに限らず、海外にまで及んでいるようである。
しかしながら、「必要以上に警戒しすぎる」とその矛先を消費者に向ける論調には、いかがなものかと思わざるをえない。消費者側からすれば当然の自衛行動だからだ。

そもそも供給側にはこれまで様々な問題があった。
産地偽装や消費期限の改ざんなどの問題はまだまだ記憶に新しい。
そんな悪質な例外でなくても、農薬問題だって農家は自分たちの食べる分と出荷する分と(農薬量を)分けて作っているという話だって聞いた事がある。
今回の原発事故で、出荷停止を無視して農作物を出荷していた農家の事がニュースで報じられていた。そんなのはたぶんほんの一部の話だ。
だが、問題はそのほんの一部がどれなのか、消費者にはわからないという事だ。

わかったとしてもそれで安心できるか、という問題もある。
つい昨日は、焼き肉チェーン店で出されたユッケを食べた子供が、食中毒で死亡したとニュースでやっていた。こんなのは防ぎようがない。
せいぜい安売りの焼き肉チェーンには近寄らないという事しかない。
我が家では子供たちには念のためペットボトルの水を飲ませているが、宇都宮餃子ツアーでは、各店舗で出された水は、そのまま飲ませるしかなかった。

そういう消費者の立場からすると、「君子危うきに近寄らず」は賢明な措置だ。
あれは良い、これはダメというのも限界がある。
ちょっとでも不安に思うものは全部避けるというのが賢明な策だ。
スーパーで同じ野菜が並んでいたら、福島から遠いところのものを選ぶのは当然だ。
それを非難されても、改めないといけないとは思わない。

そもそもこうした自衛手段は、極めてまっとうな方法だ。
例えば私も初めて知ったが、献血では渡英歴があると献血ができないのである。
過去に起こったBSE問題に対する措置らしいが、目立たないところでこんな事をやっているのである(英国人が知ったら風評被害だと言うだろうか)。
もちろん、個々に良い悪いはあるだろうが、そんな事をチェックするのは大変なのだろう。
だから「まとめて全部ダメ」としているのだ。日本赤十字社でも堂々とやっている方法だ。
個人がやって悪い事ではない。

風評被害とは消費者の無知に起因するものではなく、あくまでも供給側の問題だ。
本当に被害を受けている人たちにとっては誠に気の毒であるが、その責任は消費者にはない。
「信用とは、信じても用心する事」とは私の好きな言葉だ。
今の世の中、残念ながら手放しで信じられるほどの安心社会ではない。
自衛策として絶対必要だと思うのである・・・


【本日の読書】
「ルポ貧困大国アメリカⅡ」堤未果
「カッコウの卵は誰のもの」東野圭吾

     

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