2025年10月26日日曜日

管理職合宿

 何かを集中してやるという時に、合宿はよくやる手段である。スポーツでは一般的で、私も小学生の時には野球で、高校でラグビーを始めてからはやはり山中湖や菅平で合宿を行った。小学生の時は野球の合宿というよりは、プールタイムもあったりしてどちらかと言えば遊びみたいなもので、辛いということはなかった。しかし、高校の時の山中湖の合宿はもう2度と行きたくないと思うほど辛いものであった。菅平は逆に楽しい思い出ばかりで、今でも学生時代に戻ったら行きたいとさえ思う。その違いは「自主性」のように思う。

 合宿に限らず何事もそうであるが、「やらされている」ものは面白くはない。高校の合宿がその際たるもので、キツイ練習だけで何も楽しみもなかった。しかし、大学に入ってからはガラリと変わり、自主性を重んじる伝統から自分たちで考えて全てをやる仕組みであり、私も上手くなるために何が必要か常に考えて練習していた。ラグビーそのものも楽しかったし、合宿でも1日の練習や試合が終わったると、外へ行ったりするのも楽しみであった。それは学年を上がるごとに(個人からチームへと責任範囲が広が流ごとに)充実していった。

 それは仕事においてでも同じである。今年に入り、役員だけでの合宿をやり、金曜日から土曜日にかけては管理職で合宿に行った。今や取締役として「主催」側であることもあるが、なかなか内容の充実した満足度の高いものであった。社会人になってからの銀行員時代も泊まりではなかったが、週末に終日かけての合宿のような会議があった。対象は総合職のみ。一般職の女性は対象外だったのも「時代」である(今回の管理職合宿には女性管理職も参加した)。若い時のそれは苦痛でしかなかった。

 会議の目的は、期初にあたっての事業計画の策定であるが、下っ端はほとんど訳がわかっていない。休みの日に強制参加ということもあってモチベーションなど上がるはずもなく、幹部だけでやればいいものをなぜ下っ端も参加しなければならないのかと不満であった。支店の成績によってボーナスの額が左右されることはわかっていたものの、下っ端のそれは変動幅も少なく、そもそもそれほど支店に忠誠心もない。今考えてみても、やっぱりある程度の幹部だけでやるべきだったのではないかと思えてならない。

 そういう意味で今回は管理職のみ。場所は温泉地のホテル。日常を離れた空間でさまざまな議論をし、演習などをやったりして普段使わない脳みそを使ってもらった。共に夕食を食べ、軽く飲みながら仕事以外の話もし、結束が強まったのではないかと思う。やはり管理職ともなると責任感もあるし、昔の私みたいなイヤイヤながら参加している者は皆無に見えた。管理職から経営は始まるものであり、それまで指示される立場であったのが、これからは指示する側に回る。そういう意識を強く持ってもらえたのではないかと思う。

 管理職はもはや指示される者ではない。もちろん指示もされるが、それ以上に全体方針を理解し、自ら考えて動いていかないといけない。全体方針に基づいて自分の課をどう運営していくかは、それぞれの管理職が考えていくべきもの。部下に指示をし、場合によっては経営層に意見具申をし、会社を動かしていく。中間管理職と言えば、一般に「悲哀」とともに語られる事が多いが、本来は会社の中心になって動かしていく面白い立場であるのである。

 新しい期の始まりにあたってこのような合宿をやれたのは良かったと思う。みんなの反応も好評であり、これから定期的にやっていこうという流れである。学生時代、菅平で合宿を行い、来るべきシーズンに備えて準備した。それは決して辛いものではなく、楽しみでもあり、内容については緊張感のあるものであった。今回の管理職合宿も同様であった。若い頃には苦痛であったものが、今は楽しめるものでもある。それを有意義なものにするためにも、今期はいい成績を収めたいと思うのである・・・


wal_172619によるPixabayからの画像

【今週の読書】
全体主義の起原 新版(1) ハンナ・アーレント  一度読んだら絶対に忘れない生物の教科書 - 山川 喜輝  黛家の兄弟 (講談社文庫) - 砂原浩太朗



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