2018年3月21日水曜日

三方良し


金融の世界から不動産業界に転職してきた我が身であるが、いろいろなところでカルチャーの違いをこれまで感じてきた。その一つが、「職人の言葉使い」である。我が社はもともとが建設業の会社であり、社内には現場監督も経験した職人さんが工事部長をしている。内装工事等を自社で手がけられるのもそのためであり、会社の強みの一つにもなっている。そんな工事部長であるが、職人同士の会話となると、聞いていてハラハラするくらい言葉使いがぞんざいである。

その会話を聞いていると、とても他の会社の人との会話とは思えない。「友達言葉」ならまだいい方で、敬語などカケラも出てこない。もちろん、社内ではみんなと普通に会社員らしい言葉使いで話しているからそういう話し方ができないわけではない。しかし、職人同士となると途端である。まぁ職人の世界は逆にその方がいいのかもしれないし、それについてはあえて何も言わないことにしている。が、それにも増して気になるのは「値切り交渉」である。

下請け作業を依頼するに、先方からは必ず見積もりを取るのであるが、出てくると必ずまけさせる。払う方としては少しでも安い方がいいから悪いとも言えないが、でもなんとなく気になる。そんな疑問が先日露出する。あるちょっと規模の大きな工事を新しく付き合い始めた会社に発注した時のことである。提出を受けた見積もりはその会社が売り込みに来た時のもので、こちらで予測していた金額よりかなり安かったため、発注することにしたのである。

ところが、ここで工事部長がその見積もりに対し、さらなる値切りを始めたのである。それも例のぞんざいな口調で、である。相手もかなりギリギリの数字を出してきていたのであろう、その困惑が見て取れたのでディスカウントの依頼は取り消し、もともとの価格で発注した。工事部長は「見積り通りで発注するなんてありえない」と不満気であった。これはどちらが正しいという問題ではなく、考え方の問題である。

私の考え方としては、確かに安いのに越したことはないが、大事なのは信頼関係だと思う。そもそもこちらが予定していた価格よりもかなり低い見積もりであったわけであり、会社としてはそれで助かっている。相手も自分の出した見積もりで、希望する採算を確保できるならお互いにハッピーと言える。いわゆる三方良しだと思う。これに対し、さらにディスカウントすることで利を得るのは我が社だけである。

これがいわゆる「下請けいじめ」の典型だろうと思う。発注する側は確かに立場が強いわけであり、仕事をもらう方としては仕事が欲しければ相手の要求を呑むしかない。安くしろと言われれば価格を下げざるをえないが、それで利益が取れればいいが取れなければ死活問題である。もちろん、すべて言い値で取引すればいいというものではないのは当然で、ある程度の適正価格はこちらでも掴んでおかなければならない。発注側という強い立場にあるなら、それを理由してうまく自分と相手との利益を調整すればいいと思うのである。

そもそもであるが、建設業界というところは相手に対する信頼感が欠かせない業界だと思う。見えない手抜きをされても、それを見抜くのは容易ではない。内装工事程度であれば目を光らせていれば大丈夫だが、今回の発注のように規模が大きな外装工事となるとそれも容易ではないはず。一昔前の姉歯事件やマンションが傾いたりする事件はみんな行き過ぎたディスカウントが根底にあるのではないかとおもう。相手に安心していい仕事をしてもらうためにも、「気持ちの良い支払い」は必要だと自分は考える。

先日読んだ本の中に、「一人一人の力は微力であって無力ではない」という言葉があった。無力ではない以上、そういう考え方で続けていればそのうち何らかの形になるかもしれない。いい言葉だと思う。何かと行儀の悪い不動産・建築業界だからこそ、関わる人たちといい関係を続けて行くためにも、「微力」を尽くしたいと思うのである・・・





【今週の読書】
 
    
   

0 件のコメント:

コメントを投稿