2025年4月3日木曜日

新入社員に伝えたいこと

 新入社員が入社した。今年も新卒社員を迎える事ができた。さっそく社内研修を行ったが、外部から招いた講師の話を新入社員とともに聞きながら考えた。その講義では、「あなたにとって何が重要ですか」として、「家族・健康・仕事・趣味・時間」の中から選ぶというものであった。私は何となく、「①家族②趣味③健康④時間⑤仕事」の順番で選ぶかなと思った。新入社員の回答はバラバラで、それはそれで面白かったが、よくよく考えると違う側面が見えてきた。それは①と②は、③~⑤がなければ成り立たないという事である。

 家族は大事といっても、病気であれば家族に世話の手間をかける。趣味もできない。時間がなければ家族と過ごす時間が維持できなくなるし、趣味も同様。仕事(=お金)がなければ家族の生活やましてや趣味など論外である。つまり、①または②を大事に思うなら、③〜⑤を大事にしなければならないという事になる。気持ちの上で重要な事と、実際に重要な事は異なっているという事になる。面白いものである。結局のところ、大事なものを優先するためには、まずはしっかり稼がなければならないという事なのだろう。

 そういうこともあり、新入社員には研修で働く意義を伝え、働き方も伝えたいと考えている。どんな仕事でも「やり様」はある。ただやるだけではなく、人に真似のできないくらいのレベルでやる意気込みがあった方がいい。どんな仕事でもそれは可能だと思う。私がまだ子供の頃の思い出であるが、ある郵便配達員がいつも「〇〇さん、郵便です」と言いながら郵便を配達していたのを覚えている。返事などほとんどないだろうが、その人が配達にくると私もすぐに郵便を取りに行ったものである。

 その人はまだ若い郵便配達員で、ある夏の日、いつものように「〇〇さん、郵便です」と言って配達していた彼を母は慌てて呼び止め、スイカを振る舞った。その人は恐縮しながらも、汗をぬぐいながら自転車にまたがったままスイカを頬張っていた。母は暑い夏の日に一生懸命配達している若い配達員に何かしてあげたかったのだろう。黙って配っていても誰も文句は言わないだろう。なのにその人は「〇〇さん、郵便です」と言って配る事で、母の、そして同じように近所の人たちの好意を勝ち取っていたのである。

 そしてもう50年くらい前の話なのに、その人の事が私の心にしっかりと残っている。「人の心に残る仕事ぶり」と言えば大げさなようであるが、その人の仕事はしっかり私の心に残っているのである。ただ郵便を配るという誰にでもできる仕事を、その人は一軒一軒「〇〇さん、郵便です」と言って配る事で、誰にもできない仕事に変えてしまったと言える。「誰にでもできる仕事を誰もやらない方法でやる」「人の心に残る仕事をする」というのは、あくまでも理想であるが、そういう仕事をしたいという気持ちは常に私にもある。新入社員にもそんな心構えをもってほしいと思う。

 「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。(小林一三)」とは、私も好きな言葉であるが、同じ事を言っている。ただ言われた事をやるのではなく、自らその仕事では日本一と言われるくらいのレベルでやる。そのためには熱意や創意工夫が必要になってくる。そんな風に仕事をしていたら、たちまち頭角を表すだろうし、当社であれば間違いなく未来の社長候補である。ただ、社会人デビューしたての若者にどこまでこの思いが通じるのだろうかという疑念がなくはない。

 かく言う私も37年前に社会人デビューした時は、まさに「①家族②趣味③健康④時間⑤仕事」の順番通りの考え方であったので(ひょっとしたら⑤なし⑥なし⑦仕事くらいだったかもしれない)、とても自慢できたものではない。もしもあの頃の自分と話ができるのであれば、上記のような話をして性根を叩きなおしたいと思う。通じるか通じないかとあれこれ考えるのではなく、あの頃の自分に言い聞かせるつもりで、我が社の新入社員に語ることにしようか。いずれ社会に出る息子にも話したいと思うし、いいと思う事は疎まれても話すことにしようと思うのである・・・


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【本日の読書】

MORAL 善悪と道徳の人類史 - ハンノ・ザウアー, 長谷川圭 ヒール 悪役 (日本経済新聞出版) - 中上竜志





2025年3月31日月曜日

論語雑感 泰伯第八 (その20)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
舜有臣五人、而天下治。武王曰、予有亂臣十人。孔子曰、才難。不其然乎。唐虞之際、於斯爲盛。有婦人焉、九人而已。三分天下有其二、以服事殷。周之德、可謂至德也已矣。
【読み下し】
舜(しゅん)に臣(しん)五(ご)人(にん)有(あ)りて、天(てん)下(か)治(おさ)まる。武(ぶ)王(おう)曰(いわ)く、予(われ)に乱臣(らんしん)十(じゅう)人(にん)有(あ)り。孔(こう)子(し)曰(いわ)く、才(さい)難(かた)しと。其(そ)れ然(しか)らずや。唐(とう)虞(ぐ)の際(さい)、斯(これ)より盛(さか)んなりと為(な)す。婦(ふ)人(じん)有(あ)り、九(く)人(にん)のみ。天(てん)下(か)を三分(さんぶん)して其(そ)の二(に)を有(たも)ち、以(もっ)て殷(いん)に服(ふく)事(じ)す。周(しゅう)の徳(とく)は、至(し)徳(とく)と謂(い)う可(べ)きのみ。
【訳】
舜帝には五人の重臣があって天下が治まった。周の武王は、自分には乱を治める重臣が十人あるといった。それに関連して先師がいわれた。「人材は得がたいという言葉があるが、それは真実だ。唐・虞の時代をのぞいて、それ以後では、周が最も人材に富んだ時代であるが、それでも十人に過ぎず、しかもその十人のうち一人は婦人で、男子の賢臣はわずかに九人にすぎなかった」またいわれた。「しかし、わずかの人材でも、その有る無しでは大変なちがいである。周の文王は天下を三分してその二を支配下におさめていられたが、それでも殷に臣事して秩序をやぶられなかった。文王時代の周の徳は至徳というべきであろう」
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 人材は、国家でも企業でも重要である。大きな組織であれば優秀な人材はいくらでもいるだろうが、中小企業ではそうはいかない。我が社もその例外ではなく、どうしても育成に時間がかかるし、手間も掛かる。管理職に登用したり、経営職に登用したりする際、どうしても「選択肢」が限られてくる。私が転職する前に取締役が2名いたが、今から思うと首を傾げたくなるような方であった。それでも会社法で取締役は3名以上いないといけない。そんな中での苦肉の策だったそうである。

 最近は「転職組」が増えて経営人材は充実しつつある。しかし、生え抜き組の中には、日頃の言動から経営という観点では違和感を覚える発言をする人が目立つ。考えてみれば、これまでエンジニアとして腕を磨き評価されてきた人たちである。優秀ではないという事はない。ただ、「経営」はどうしても違う分野になる。それまでやってきた技術の世界とは違うので、なかなかそこの切り替えができないといったところのようである。野球でも「名選手必ずしも名監督ならず」という言葉があるが、それと同じかもしれない。

 その昔、銀行員時代、取引先の社長がよく「我が社には人材がいない」と嘆いていた。この場合の人材とは、いってみれば「経営人材=経営のことを理解できる人材」という意味だと思う。みんな言われた事をやる事に慣れてしまっていて、自分からやろうとはしない。社長の言葉を待っていて、自分の意見を言おうとしない。社長は結構孤独で、経営についてこれでいいのかと悩む事が多い。その時、相談に乗れるかどうか。相談に乗れるような頼もしいNo.2であれば喜ばしい。しかし、そういう人材が社内にはいない。

 我が社も経営人材だけでなく、本業たるソフトウェア開発の人材育成が急務である。ゆえに技術者人材を育成するというのが、我が社の課題の一つである。それはそれで正しい戦略であり、若手のエンジニアにはひたすら技術の向上を目指してもらいたい。ただ、管理職になったら経営の方にも考え方をシフトしてほしいと考えている。ここで語られている「人材」とは経営人材である。国家も企業と同様、「経営」がある。そういう経営人材が必要なのは国家も同様である。

 現代は、女性は数に入らないなどと言えば顰蹙を買うだろう。女性でも立派に経営人材になれる。我が社もこの4月に女性管理職が1名誕生する。その手腕には大いに期待するところであるが、少しずつそれらしい経営人材になれるよう教育とサポートが必要だと考えている。選り取り見取りの大企業と違って、中小企業は少ない選択肢の中から育成しないといけない。しかし、考えようによっては、自分たちにふさわしい管理職を自分たちで養成できるというメリットもある。

 「わずかの人材でも、その有る無しでは大変なちがいである」のは我が社でも同様。そういう人材が10人もいれば安泰かもしれない。いつの世も人材は大事。我が社では「人財」と称しているが、そういう人財を育てられるようでありたいと自分自身思うのである・・・


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【本日の読書】

いま世界の哲学者が考えていること - 岡本 裕一朗  ヒール 悪役 (日本経済新聞出版) - 中上竜志



2025年3月26日水曜日

会社の魅力は?

 会社では本業の財務に加え、人事も担当している。その主な業務は採用である。今の会社にきて驚いた事の1つは、新卒採用を実施しているという事である。それまでの感覚では、新卒採用などは上場企業かそれに類するような規模の企業でないとできないものであった。それが毎年複数の新卒採用を実施していると聞いて驚いたのである。とは言え、さすがに首都圏では難しく、地方の専門学校が中心であり、若干名の大卒が加わるといった感じである。それでも新卒採用は新卒採用である。

 新卒は育てて稼働するまでに時間がかかるというデメリットがある。それを補うのが、即戦力たる中途採用であるが、エンジニア市場は人手不足が顕著であり、中途採用はなかなか思うようにいかないのが実情である。そんな採用の現場では、どうしたら思うように採用ができるのかを考えているが、やっぱり一番欲しいのは「会社の魅力」だろうと考えている。わずか社員100名程度の会社であるが、規模はそれほどハンディにならないと感じているが、それも「会社の魅力」次第だろうと思う。

 「会社の魅力」と言ってもいろいろある。キーエンスのようにとにかく給料が高いというのも1つの魅力だし、上場企業というのもそうだろう(上場して採用がやりやすくなったと聞いた事がある)。純粋に仕事内容というのもあるだろうし、福利厚生もあるのかもしれない。今の時代はフルリモート可能というのも入るようである。特に中途採用だと、応募者はある程度経験を積んでわかっているから、よほど心に刺さるものがないと応募すらしてくれない。その点、新卒採用はみんな白紙なので、「働きやすい」、「人に優しい」といったキーワードでも魅力を感じてくれるが、中途では難しい。

 考えてみれば、それは恋愛と同じなのかもしれない。人を惹きつけるものは何よりもその人のもっている「魅力」であろう。女性にモテたいと思うのであれば、自分を磨いて魅力を備えないといけない。もっとも、恋愛でもその魅力がかつて言われた「三高」のようなものかもしれないので、その魅力にもいろいろある。お金持ちの男が好きな女性もいれば、イケメンがいいという女性もいる。ただ、そういう「三高」のようなものを持ち合わせない男は、やはりそれに匹敵するような魅力を備えないといけない。

 我が社は残念ながら、男の「三高」にあたるようなものはない。給料が特別高いわけではないし(業界平均は維持できているとは思う)、特別休みが多いわけでもない。大企業=金持ちのイケメンとするなら、到底太刀打ちはできない。ならばどうするか。男なら何かの夢に向けて努力している姿が眩しかったり、相手を大事にする姿勢だったりするのかもしれない。金持ちでもイケメンでもないならないで、それに代わる魅力を磨かないといけない。小さな会社であっても、キラリと光る技術や得意分野などがあったらいいのかもしれない。

 私も過去に転職経験がある。いい会社に入りたいと思うが、外からだとわからない部分もあり、見極めるのは難しい。だが、いい会社に入るより、入った会社をいい会社にすれば一番間違いがない。私はそんな考えで「居心地のいい」会社にしようとあれこれ提案している。もちろん、社員からの提案も受け付けている。その成果として、独特の休暇+休暇奨励金制度も作っている。そんなところも会社の魅力作りの1つと考えているが、やはり技術の会社だから技術の魅力が欠かせないと考えている。

 女性がお金持ちに惹かれるのはよくわかる。男も女もお金はできるだけたくさん欲しい。だが、「お金があればそれだけでいい」という女性に、それほどの魅力は感じない。それと同様、「給料がより高い会社がいい」という応募者にも魅力は感じない。もちろん、だから安月給で雇おうというわけではないが、給料+αのものを求める人に魅力を感じる。「働きを見てから給料を上げてくれ」という人であれば、個人的には大歓迎である。「大きな組織の小さな歯車よりも小さな組織の大きな歯車になれ」とは社員によく言っているが、受け入れ側も魅力ある職場作りをしたいところである。

 お金があって、イケメンであれば選り取り見取りなのだろうが、そうではない。そういう恵まれた人生は送れなかったが、あれこれ奮闘努力して成果を上げるという喜びもある。財務担当という形で入社したが、思いもかけずに担うことになった「採用担当」。楽しみながら奮闘努力したいと思うのである・・・

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【本日の読書】

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書) - 吉田裕 春の雪 (新潮文庫) - 三島 由紀夫






2025年3月20日木曜日

幹部合宿

 会社では何回か経営幹部による合宿をやっている。経営に関する事を徹底して話し合おうというもので、普段営業時間中にはなかなかできないので休みの日に行ってきたのであるが、最近は平日の営業時間中にもやるようになっている。話し合あう事は今後の経営のあり方などであるが、こういう時間も実に大切であるなと実感している。メンバーは社長と取締役以外にも部長クラスの経営幹部も含めている。より広く意見を募ろうという考えと、より多くに経営的な考え方を身につけてもらい、もって将来の役員育成も兼ねるためである。

 経営的な考え方という意味では、かなり効果があるように思う。これまで「自分の視点」からしか見ていなかったものが、「会社の視点」から見られるようになれると思うからである。「自分の視点」に立つと「やりたくないなぁ」とか「大変そうだ」とか「めんどくさそうだ」などという理由からなんとかやらずに済まそうとするなるかもしれない。しかし、「会社の視点」を持つことができれば、自ずと行動も変わってくる。「自分がやらないと」と思うようになる。

 視点の違いは大きな行動の違いになって現れてくる。現場でずっとエンジニアをしていた社員には、管理職になった時から「会社の視点」を身につけてもらいたいと思っている。これまで特にそれが意識されてきたことはなく、なんとなく「肩書きだけ変わって意識が変わらない」状態で来ている。中小企業ゆえに教育制度が整っているわけでもなく、仕方がなかった面もあるが、自分としてはそういう状況は変えていきたいと考えている。中小企業であっても、課長は課長らしく、名ばかり管理職ではなく大企業の課長と比べても意識面で遜色ないようにしたいと思う。

 それは当然、役員、部長ら経営幹部陣にも当然言えることである。それでもまだ意識の面で「自分視点」から抜けきれていない者がいるのも事実であるが、そういう者の視点転換も幹部合宿の意義の一つではないかと思う。考え方としては、「何も休みの日に」というのもあるかもしれない。それじゃぁまるで仕事が趣味のようで、他にやることもないのかと思われてしまうかもしれない。休みの日に仕事をさせられるなんてと思うかもしれない。しかし、強制されてやるものでもないというので、原則自由参加が我が社の基本スタンスである。

 例えば「会社のあるべき姿は」などという議論は、普段の営業時間中にのんびり話せるものでもない。かと言ってそういった考えもなく走るのは、目的もなく足元だけ見て走るようなものである。売上だってただ◯◯億円といった数字だけを掲げるのではなく、どんな事をやって◯◯億円を達成するのかというのも大事である。既存事業だけを粛々とやっていくのか、新規分野に進出するのか、それによっていろいろと変わってくると思う。自分としては、もっと技術力を高める事を一つの目標にすべきだと思っているが、次回のテーマにはそんな事も提案したいと考えている。

 それ以外にも今は一つの事業を柱としていて、新規事業として自社製品の開発を細々と始めたところである。将来的にはこの二本柱を太くするとともにもう一つの柱を育てて三本柱とすればいいのではないかと考えている。もしも同意が得られれば、「ではどうやるか」という具体論に入っていく事になる。こういう事はじっくり時間を取ってワイワイガヤガヤやるのがいいと思う。会社としてももっともっと成長していきたい。より大きな会社になって経営を安定させたいし、収入も増やしたい。それには将来を語るのは大事だと思う。

 働くのは最低限70歳までと決めている。それまではただ働くのではなく、今の収入を保って会社での今のポジションもキープしていきたい。社員の将来も担っているわけであるし、やりがいもある。幹部合宿も積極的にみんなをリードしていきたいと思うのである・・・


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【今週の読書】
イスラエル戦争の嘘 第三次世界大戦を回避せよ (中公新書ラクレ) - 手嶋龍一, 佐藤優  頭のいい人だけが解ける論理的思考問題 - 野村 裕之  春の雪 (新潮文庫) - 三島 由紀夫




2025年3月16日日曜日

中学の同窓会

 中学校の同級生から同窓会をやるという連絡が届いた。前回はコロナ禍前の2017年だからおよそ8年ぶりということになろうか。前回、勇気を振り絞って行き、それなりに思い出のある面々と再会して楽しいひと時を過ごした。中には前回来ていなかったメンバーもいて、卒業以来、45年ぶりの再会という者もいた。名前を聞いても思い出せない者もいて、とうとう最後まで思い出せず、申し訳なく思った。それにしても年月は人の外見を見事に変える。指名手配写真などは月日が経てば間違いなく本人とわからなくなるだろうと思う。

 中学の時は、いわゆるツッパリグループがいて、変に絡まれないかと目を伏せてなるべく関わり合いにならないようにと過ごしていた。今回、同窓会でもできれば会いたくないし、たぶんみんなに嫌われていたから来ないだろうと半ば安心していた。ところが、来たのである。初めはそれとわからず、普通に「誰だろう」と思って話をしていたが、なんと会いたくない筆頭メンバーだったので驚いてしまった。内心の動揺を隠しつつ、表面上は穏やかに話していたが、外見からして羽振り良さそうで、聞けば会社経営者ということであった。

 意外な気もしたが、よくよく聞けば高校にもきちんと行き、頭は悪くなかったようで、社会に出てから真面目に頑張ったのであろう。中学時代は確かに喧嘩番長的なところがあったが、道を間違えずに成長したということなのだろう。一方で、その取り巻きだった者は、高校も定時制に行き、まともに卒業せず消息不明。まともな道には進まなかったらしいという話も聞いた。同じように悪い仲間にいても、まともに社会に出る者と道を外れてしまう者との差は、やはり考え方、意識の違いだろう。その会社経営者は私もよく知る同級生の女性と結婚したと聞いて2度驚いた。

 小学校から好きだった女性とは今回も再会できて感慨ひとしおであった。孫も5人いて、それなりに幸せそうであった。小中学校でかわいかった子は、大人になっても美人になるのだろう。当然と言えば当然。そうでなかった子も大人になればそれなりに綺麗になるものだとは思うが、還暦を迎えても見惚れてしまうのはやはり元がいいという事に尽きるだろう。聞けば私がまだ学生の頃に早々に結婚したと言う。交わる事のなかった互いの人生が何となく恨めしい気もする。

 訃報も一件あった。前回も来ていた者だった。同じように生きてきて、途中でそれが終わってしまう。本人もそういう未来は予想もしていなかっただろう。人の寿命はそれぞれだから不思議ではないが、その運命の違いに何とも言えないものがある。本人もたぶん8年後の同窓会に自分が参加できないとその時は想像もしていなかっただろう。考えてみれば、そういう自分も未来は永遠に続くわけではないが、いつになるかわからないが、次にやる時も出席したいし、親よりは長生きしたいと思うだけである。

 今は便利な時代。好きだった子とは2人で記念の2ショットを撮らせてもらい、LINEを交換し、LINEグループにも招待してもらった。次回があればまた誘ってもらえるだろう。それにしても話しかけられ、親しげにあれこれと思い出話をしてくれた友人がいたが、名前を聞いても最後まで思い出せなかった者がいた。名前を聞くとだいたい昔の記憶が蘇ってきたのだが、その者だけはどうしても思い出せなかった。帰ってきて卒業アルバムを引っ張り出して探してみたら、何とクラスメイトだった。昔の顔を見たら何となく思い出したが、考えてみればそれほど仲良くしていたわけではないから無理もない。

 中学時代に仲が良かった者とはさすがに話が弾んだ。卒業後の人生はそれぞれ。毎日のように遊んでいたのに、卒業してプッツリと関係が途切れてしまったのも寂しい気がする。もっとも高校に行って新しい友人ができ、ラグビーも始めてそれなりに充実した日々だったから無理もない。共学だったからそこにはまた魅力的な女の子もいたし、初めて彼女ができたのも高校に入ってからだった。ツッパリグループもいなかったし、楽しい毎日だったからそれはそれで良かったと思う。

 それにしても時を経てこうして昔の同級生に会うというのもいいものだと思う。仲の良かったメンバーとはまた別に飲みに行こうと約束をして別れた。自分の過ごした時間を共有した仲間だし、また会いたいと思う。会いたくなかったツッパリグループの一部のメンバーとも握手して別れた。自分の歴史の一部でもあるし、これからも大事にしたい繋がりだと思うのである・・・

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【今週の読書】
頭のいい人だけが解ける論理的思考問題 - 野村 裕之 世界は経営でできている (講談社現代新書) - 岩尾俊兵 〈他者〉からはじまる社会哲学 - 中山元





2025年3月13日木曜日

親父の運転免許証

 父は今年で88歳になった。今のところ特に大きな病気を抱えているわけではないが、やはり年齢によるものなのか、認知的なところで衰えが目立つようになってきた。伝えた事も一晩寝れば忘れてしまうという事は日常である。この冬、家の中でも寒いからと言ってダウンを着ているのを見かねてユニクロのフリースをプレゼントした。温かいしちょうどいいと言ってさっそく着ていたが、翌週行くとまたダウンを着ている。フリースは気に入らないのかと聞くと、その存在を忘れていた。

 昨年は何度も財布をなくした。最初の時は銀行のキャッシュカードやクレジットカード、運転免許証が入っていたので大騒ぎ。キャッシュカードとクレジットカードは喪失再発行手続きを取り、免許証は諦める事にした。翌週、実家に行き、確認すると再発行されたクレジットカードは届いていたが、同じカードが2枚ある。運転免許証もある。よくよく聞いてみると実はなくしていなかったのである。

 その後、また財布をなくしたと言うが、今度は知らん顔をしていた。なくした免許証はどうすればいいかと何度も聞かれ、キャッシュカードも止めたと言う。それがまた次に行くと、「キャッシュカードが使えない」と言う。銀行に停止連絡をしたのを忘れていたらしい。もちろん、なくしたはずの財布も手元にあった。私も幾度か付き添って銀行に手続きに行ったが(その前にも使わなくなった口座の解約手続きがあったのである)、とうとう窓口の担当者に私の顔を覚えられてしまった。

 そんな騒ぎもあり、運転免許証は返納することにした。付き添って近所の警察署に行く。手続きは簡単で、運転経歴証明書が必要なら写真と手数料を持って行けば良い。父もそれを申し込んだ。警察署の担当者は「長い間ご苦労様でした」とねぎらいの言葉をかけてくれた。一律、こういう対応なのか、この担当者が個人的にそうなのかはわからないが、ちょっといい気持になれる対応である。父が運転免許を取得したのは私が生まれる前だから60年以上前という事になる。当時の教習車は(国産車がなかったのか)左ハンドルだったらしい。

 当時、父はたまたま失業中だったという。印刷工として腕一本であちこち渡り歩いており、「何もしないなら運転免許でも取れば」という母の声に背中を押されて取りに行ったそうである。のどかな時代で、教習所で何時間か運転したところ、「あなたはうまいからもう受けに行ったら」という教官の言葉を受け、試験場に行って試験を受けたそうである。今なら教習所も商売だからきっちり30時間以上乗って実技免除資格を取らせるだろう。そんなわけで直接試験場に行った父は、実技も一発合格で晴れて免許を手にしたそうである。

 父は腕のいい印刷工で、どこへ行っても重宝されたらしいが、勤め人だったら自家用車は買えただろうかと思う。幸い、自営業として商売をはじめ、腕がいいからいいお得意さんもでき、おかけで我が家に自家用車がやってきた。それまで車に乗ると言えば親戚の伯父の車に乗せてもらうのが関の山で、我が家に自家用車があるというのは、なんだかものすごく贅沢になった気がしたのを何となく覚えている。父はスカイラインを何回か乗り替え、最後はハリアーと長く日産車を愛用していた。

 70歳で商売を終了し、工場をたたんだ。年金生活に入り、そろそろ運転はやめるべきだと家族は進言したが、運転をやめようとはしなかった。ちょっと心配していたが、最後のハリアーを手放す後押しをしたのは、都内の高い駐車場代だった。さすがに年金生活では無理だと諦めたのである。それでも免許だけは手放さず、5年ごとに更新を続けた。まだ乗る機会はあると思っていたようである。それがとうとう、「もう乗る事はない」と自ら言って、免許更新のタイミングでの返納となったのである。

 自家用車がきたからといって家族で頻繁にドライブに行ったという記憶はない。私も高校ぐらいから家族と行動をともにしなくなったのでよけいである。私が免許を取ると、父の愛車も私が頻繁に借り出すようになった。父はよく愛車の手入れをしていて、いつもぴかぴかだったが、新米ドライバーの私がちょこちょこ傷つけてしまった。父が怒ることはなかったが、今にして思えば申し訳なかったように思う。最後は故郷へ母を乗せて行くくらいが唯一の遠出だっただろうか。

 警察署へ向かう道すがら、「免許証は提出したら返ってこないのだろうか」とぽつりと父が呟く。運転はしないが、免許証は記念に取っておきたいらしい。「穴をあけて返してくれるんじゃない」と私は答えたが、やはり未練は残るのだろうかと思ってみたりした。免許証は簡単な記念のカードケースに入れて返してくれた。もう父が運転する車に乗る事はないんだなと改めて思う。父の運転する車に最後に乗ったのはいつだっただろうか。愛車の廃車を決めた時、最後に父とドライブでもすれば良かったなと改めて残念に思うのである・・・

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   【本日の読書】
世界は経営でできている (講談社現代新書) - 岩尾俊兵頭のいい人だけが解ける論理的思考問題 - 野村 裕之

2025年3月10日月曜日

目標達成に向けて

 我が社では3年スパンの中期経営計画を立ててそれを目標に経営を行っている。今期その最終年度であるが、半年を過ぎようとしている現在、その達成が危ぶまれている。それなりに高い目標を立てているのである程度は未達でも仕方がないが、それでも来期は次の3ヵ年計画を立てる必要があり、そこに臨む「勢い」というものがあった方がいい。しかし、その「勢い」がないから問題意識を持っている。ここで言う「勢い」とは「意識」と言い換えてもいいかもしれない。

 高い目標に向かうには、高いモチベーションがないといけない。そのモチベーションは肝心の収益部門の幹部には見られない。財務担当の私は、直接収益を生み出せる立場にはない。ゆえに側面サポートにならざるを得ない。先日読んだ『ユニクロ』には、柳井社長が読んで感銘を受けた書籍として、ハロルド・ジェニーニンの『プロフェッショナル・マネージャー』が紹介されていたが、そこに「現実の延長線上に目標を置いてはならない」と書かれていたという。我が社の目標はまさに「現実の延長線上」にはない。ならばどうするか。

 基本的に、今やっていること以外、これまでやってきた事以外のことを何か考えないといけないわけで、なのに現場の幹部はこれまでやってきた事を一生懸命やっている。一生懸命やっているのはわかるのだが、それだと「現実の延長線上」にしか行けない。それをわかってやっているのかというと、おそらくわかっている。わかってはいるが、他のやり方を知らないから今までの方法で頑張るしかないと思っている。私からは新たな方法を現場に提案してはいるものの、受け入れてはもらえない。

 受け入れてもらえない理由については、明確な回答をもらえないのでよくわからない。門外漢の私が的外れな事を言っているのかもしれないし、的外れではないが手間暇を面倒に思っているのかもしれない。人間誰しも新しい事に踏み出すのは億劫なものであり、それが自ら進んでやるなら勢いよくやれるが、人から言われた事に対しては腰が重くなる。私の提案は、同業他社と提携してやろうというもので、それほど的を外しているとも思えない。たぶん、心理的抵抗感であると思う。

 「ならどうするか?」、ここのところそれを考えているが、妙案は浮かばない。「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」というイギリスの諺があるが、まさにその通り。目標達成に向けてモチベーションを高くと思っても、それが伝わらなければ意味がない。今のところ「面従腹背」状態である。たぶん心の中では「こんな目標はそもそも達成するのは無理」と思っているのかもしれない。目標も自分で立てないと意味がない。与えられた目標なら、一旦それを自分の目標に落とし込む必要がある。

 銀行員時代、私も高い目標を与えられていたが、内心「無理だろう」と思っても、やらないと成績に(つまりボーナスに)関わるからやらないわけにはいかない。それゆえに心がけていたのは、それを「自分の目標」に転換する作業。与えられた目標を自分で立てた目標に切り替えていたのである。単に気持ちの問題であるが、「やらされ感」が軽減されるだけでも気分はだいぶ前向きになれたものである。それは今に至るまで変わっていない。たとえ収益部門に属していなくても、「何かできないだろうか」と常に考えている。

 「こんな目標できるわけがない」という考え方は、それまでの発想からきている。それこそ「現状の延長」の発想である。現状の延長で考えるから「できるわけがない」と思う。現場に詳しければ詳しいほど、その発想にずっぷりと浸かり逃れられなくなる。一旦、現場の発想から離れ、今やっている事、今までやってきた事以外に何かできないかと考えてみないと「現状の延長」線上の思考からは逃れられない。「人の振り見て我が振り直せ」とは昔から言われている言葉だが、他人の行動は客観的に見るからよくわかる。

 間接部門の財務担当の立場からどこまで考えられるかはわからないが、初めてM&Aで会社を買収するというチャレンジを成功させたのは私の一つの功績であり、これからもいろいろとアイディアを出していきたいと思う。「自分の立場で何ができるか」を考え、幹部に「勢い」をもたらしていきたいと思うのである・・・


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【今週の読書】
刑事捜査の最前線 (講談社+α新書) - 甲斐竜一朗  世界は経営でできている (講談社現代新書) - 岩尾俊兵 傲慢と善良 (朝日文庫) - 辻村 深月 頭のいい人だけが解ける論理的思考問題 - 野村 裕之





2025年3月8日土曜日

論語雑感 泰伯第八 (その19)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、大哉、堯之爲君也。巍巍乎、唯天爲大。唯堯則之。蕩蕩乎、民無能名焉。巍巍乎、其有成功也。煥乎、其有文章。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、大(だい)なるかな、堯(ぎょう)の君(きみ)たるや。巍巍乎(ぎぎこ)として、唯(た)だ天(てん)を大(だい)なりと為(な)し、唯(た)だ堯(ぎょう)のみ之(これ)に則(のっと)る。蕩蕩(とうとう)乎(こ)として、民(たみ)能(よ)く名(な)づくること無(な)し。巍巍乎(ぎぎこ)として、其(そ)れ成功(せいこう)有(あ)り。煥(かん)乎(こ)として、其(そ)れ文(ぶん)章(しょう)有(あ)り。【訳】
先師がいわれた。「堯帝の君徳はなんと大きく、なんと荘厳なことであろう。世に真に偉大なものは天のみであるが、ひとり堯帝は天とその偉大さをともにしている。その徳の広大無辺さはなんと形容してよいかわからない。人はただその功業の荘厳さと文物制度の燦然さんぜんたるとに眼を見はるのみである」
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 孔子はしばしば過去の君子を褒めたたえる。しかし、それがどんな様子だったのかまでは明らかにされていないので、何がどれほど素晴らしかったのかわからない。「大きく荘厳な君徳」とはいったいどんな君主だったのかと興味深い。そもそも名君の条件とは何であろうか。前回も同様の話であったが、世の君主は誰もいい点と悪い点があり、無条件で名君とは決めかねるように思う。ある人にとっていい施策が別の人には不利益である事も珍しくないだろう。名君の条件とは何であろうか。現代に置き換えれば、さしずめ「良い政治家とは」という事になるのだろうか。

 先日、就活の学生に何気なく「日本の総理大臣は誰だか知っている?」と聞いたところ、驚いたことに答えられなかった。家に帰って恐る恐る息子に同じ質問をしたところ、「石破茂」と、なんでそんな当たり前の事を聞くのかと言いたげな怪訝な顔をして答えてくれた。ちょっと安堵したが、知らない方が悪いのか、知られていない方が悪いのか、微妙なところであるが、どちらにしろ日本の総理大臣は、日頃何をしているかよくわからないし、我々の生活に直接の影響を及ぼしているように思われないせいかもしれない。

 戦後の日本の総理大臣は何人もいるが、メジャーなところでは、吉田茂、岸伸介、佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三といったところが挙げられる。みなそれぞれに功績があり、優れた宰相だとは思うが「名君」かと聞かれると答えに窮してしまう。そもそも「名君」の条件がよくわからないし、表に現れない人となりもわからない。ただ、日本のトップの地位に上り詰めたわけであるから、それなりに優れた人物であることは間違いない。民主主義のリーダーは独裁者ではないから、すべて1人で決めるわけでもない。名君かどうかはよくわからない。

 歴代の総理大臣の中には、女性問題でわずか3か月ほどで辞任せざるをえなかった人もいる。小沢一郎のように力があっても総理大臣になれなかった人と比べてどうなのかと思う。総理大臣がすべてではないが、「名君」を考えるなら総理大臣の立場にあった事が必要になるだろう。それにしても総理大臣になった時には得意絶頂だっただろうに、わずか3か月で辞任せざるをえなかった心境はいかばかりだっただろう。「英雄色を好む」ではないが、みんなそれぞれにそういう相手はいただろうにと思う。

 名君と言っても、人間である以上、完全無欠で非の打ちどころのない人物などいないだろう。であれば、女性問題くらいどうという事もないように思うが、「男には2種類しかいない。浮気をする男とそれがバレる男」(ドラマ『夫婦の世界』)という言葉を鑑みれば、バレる時点でダメとも言える。芸能人なら袋叩きにされる問題であるが、「名君」の条件はやはり政策面であるだろうし、浮気の有無は「する、しない」ではなく、「バレる、バレない」であるのだろう。

 政策面も後から評価されるという事もある。田中角栄など、金権政治で最後はロッキード問題で批判一色になったが、後に復権ともいうべき再評価がされている。安部総理も批判勢力がすごかったが、歴代最長の在任期間に現れているように、特に外交面で優れた実績があったと思う。想像でしかないが、総理大臣にまで登り詰めた人であれば、あと求めるのは名誉だけだろうから、善政を敷いて「名君」の評価を得られるようにするのではないかと思える。結果はともかく、みんなそれなりにいい政治を心掛けるのではないかと思える。

 現代の名君とはどんな政治家になるのであろうか。名君であるかどうかはともかく、みんなそういう名君を目指してほしいと思うのである・・・

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【本日の読書】

世界は経営でできている  傲慢と善良 (朝日文庫) - 辻村 深月






2025年3月2日日曜日

結局は「意識」の違いなのだろう

 人はみなそれぞれの考え方をもっていて、それに従って行動する。必ずしも同じように行動するのではなく、同じ現象を前にしても人によって違う。当たり前ではあるが、自分では当然のようにやる行動を同じ立場の人ができない、やらないと違和感を禁じ得ない。どうしてそうなのか。人によって考え方や行動が違うのは当たり前ではあるが、なぜそうなのかとよくよく考えてみれば不思議である。部下に仕事をやらせるにしても、同僚のTとはそのやり方が私とは違う。

 業務でとある社員の残業時間が月の上限の45時間を超過した。会社は従業員といわゆる「三六協定」を結んでいて、月間の上限を45時間としている。もちろん、一か月だけ超えたからといって直ちに問題となるわけではない。ただ、それが続くと問題になりうるものであり、管理者としては現状を把握し、場合によっては対策を指示しなければならない。Tがその対応について社長に問われていた。Tの答えは「部下(の管理職)に任せてある(のですぐには答えられない)」というものであった。

 当然、社長としてはその答えに納得はできない。当然ながらすぐに確認しろという事になった。私であればそもそも社長に言われる前に確認していただろう。一応、総務担当役員として全社員の残業については確認しているが、総務でなくても自分の部署の社員については確認するのが当然であり、言われなくてもやるのが当然な事である。認識が甘いと言えばその通り。おそらく、「サービス残業が当たり前」の「社会人昭和デビュー世代」の感覚が邪魔をしているのかもしれない。

 考え方の基には興味・関心の違いもあるのかもしれない。本業の責任者であるがゆえに業績推進の方に関心が行っていて、残業管理に対する関心が薄いのかもしれない(それではいけないのだけれど)。役員ともなれば幅広く目を向けなければならないわけであり、それは言われてやるものではなく、自ら関心を持ってやるものである。ただ、Tにはそこまで考えが及ばないのであろう。そういう関心の有る無しはどこからくるのだろうかと思うも、それはなかなかわかりにくいものである。

 週末、私はシニアのラグビーチームで汗を流している。練習時間は基本的に2時間であるが、私はたいてい、その前後30分くらいを自主練に当てている。本当はもっとやりたいのであるが、借りているグラウンドの時間の都合上の制約があってそれくらいしかできない。ただ、そういう自主練をやっているのはほぼ私1人で、みんなは全体練習だけである。自主練は個人的に強化したいところをやるのであるが、私の感覚では「もっと上手くなりたい」と思えば自然とそういう行動に出ると思うのだが、みんなにはそこまでの気持ちはないのだろう。

 趣味でさえそうなのだから、仕事となればもっと関心が低くなるのもやむを得ないのかもしれない。結局のところ、「どこまで気がつくか」の問題であり、それは興味関心の領域に入るものであり、それはとどのつまり、その事に関して「どれだけ気持ちが入っているか」になるのではないかと思う。学校の勉強ができなくても、ゲームなら得意という子供は五万といるだろう。それは学校の勉強よりもゲームの方が面白いからであり、「気持ちが入る」からのめり込む(だから得意になる)。

 この週末、『BLUE GIANT』という映画を観た。主人公は世界一のサックス奏者になる事を夢見る高校生。ジャズに魅せられ、自らサックスをやりたいと思い、毎日毎日地元仙台の河原で練習する。「一念岩をも通す」という諺があるが、人間そこまで入れ込んで夢中になると、自然と実力もついてくる。それは一般的に「才能」と呼ばれるものの正体であるが、そこまでやると、他の人には見えないものも見えてくるのかもしれない。「好きこそ物の上手なれ」という諺も同様である。

 人の事はとやかくいうものではないが、同僚のTを見ていると、一方で自分のやる事も見えてくる。Tは私にとって「他山の石」的な存在とも言える。住宅ローンを払い終え、年金をもらい始める70歳までは今の地位と給料を維持したい(と言うよりもっと上げたい)と思うが、それには実績も示さないといけない。人はともかく、自分は頑張らないといけない。仕事も趣味もやるならきっちりとやりたい。そういう心意気を維持したいと思うのである・・・

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【本日の読書】
「悩まない人」の考え方 ── 1日1つインストールする一生悩まない最強スキル30 - 木下勝寿 傲慢と善良 (朝日文庫) - 辻村 深月







2025年2月27日木曜日

紛争は終わるのか

 戦火の飛び交っていたガザ地区で停戦が実現し、ウクライナでも停戦の動きが出てきた。停戦の条件を巡っては当事者間でいろいろと思惑があるのかもしれないが、殺し合いが止まるという事はなによりも好ましいと思う。ガザでは世間的にはパレスチナ寄りの意見が多数であるように思う。ウクライナ戦争ではロシアよりもウクライナに対して同情的である。しかしながら、喧嘩には双方に理由があるものであり、どちらか一方にのみ肩入れするのはどうかと思う。トランプ大統領の誕生はいろいろと物議をかもしているが、停戦の気配が出てきたのはトランプ大統領の功績に間違いはないと思う。

 良し悪し別としていきなりプーチン大統領にコンタクトを取ったのは正解だったのだろう。もともとアメリカがロシアを追い込んだと思っているし、アメリカの支援で戦争が継続しているわけであり、そのアメリカがロシアに歩み寄れば停戦の話が出てくるのも当然だろう。これに対し、ウクライナが頭越しの交渉を批判するのもよくわかるし、ヨーロッパがアメリカが単独で動く事を警戒するのもよくわかる。要は「どこに視点を置くか」であるが、「停戦」というところに視点を置くなら、トランプ大統領の行動は正解だと言える。

 視点を「停戦の条件」に置くなら、ロシアに歩み寄る事はロシアに有利な停戦条件になる可能性があり、当事者のウクライナをはじめとして不満に思うところは多いだろう。あえて侵略に打って出たロシアの行動を正当化するものであり、今後の影響を考えたならまずいのかもしれない。1名でも多く救う事を考えて「停戦第一」に考えるか、今後の影響を考えここまで来たのだからさらなる死傷者が増えようと好ましい「停戦条件第一」に考えるか、どちらもそれなりに筋は通っており、あとは「考え方」次第であると思う。

 ガザの停戦も好ましい事だとは思う。世の中は「イスラエル=悪」に傾いているように思うが、そもそもの発端はハマスの暴挙であり、市民約1,200人を殺害し、240人以上を人質とした行動はどんな理屈をもってしても正当化はできないだろう。これに対するイスラエルの反撃により、パレスチナ市民4万人以上が亡くなっていて、イスラエルに囂々たる非難が寄せられているが、一方でハマスに対し、「直ちに人質を全員解放せよ」という声が聞こえてこないのはどういうわけかと思う。

 少し前に『ハマスの実像』という本を読んだが、これはハマスを取材して行くうちにハマスにシンパシーを感じてしまったジャーナリストの一方的なハマス寄りの偏った立場から書かれているものである。そもそもであるが、自らの要求を通すために武力でもってなそうというところが既に間違っている。それも私の個人的な考え方であるが、やはり武力ではなく平和裏に交渉によって勝ち取るべきものだと思う。「天井のない牢獄」と称されるイスラエルのガザへの圧力は確かにひどいのかもしれないが、それはハマスの武装闘争方針がもたらしているものと言える。

 ハマスもイスラエルが反撃する、そしてそれによって市民に死傷者が多数出るとわかっていてなぜ武力で攻撃を仕掛けるのだろうか。自らの信念を通すためなら自分たちの同胞に被害が出ても構わないと考えるのはなぜなのだろうか。『ハマスの実像』の著者はハマスこそがパレスチナの代表だとするが、本当にパレスチナの市民はハマスを自らの代表だと思っているのだろうか。もしそうだとすれば、自分たちに被害が出てもそれはそれで仕方がない、それにも増してイスラエル憎しの感情が上回っているという事になる。そしてそうだとすれば、「被害覚悟の闘争」と言える。

 被害覚悟の闘争であるなら、イスラエルのみを非難するのはやはり間違っていると思わざるを得ない。個人的にはパレスチナの人には非武装闘争をしてほしいと思う。すべての武器を捨ててガンジーのような非暴力の抵抗に出るなら、国際世論はパレスチナの方に傾くと思う。イスラエルも硬直的な態度を改めないといけなくなるし、その方が遥かにパレスチナ問題の解決に近づくと思う。そうした考えがパレスチナの人々の間に生まれてくるのは、まだまだ時間がかかるのだろうか。

 世の中話し合いだけですべて解決できるほど人間は人間ができているとは言い難い。しかしながら殺し合いよりは時間がかかっても話し合いで解決するスタンスは捨てて欲しくないと思う。我が国の近隣にもきな臭い煙が漂っているが、何とか賢明なる解決策を後世に残してほしいと思うのである・・・

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【本日の読書】
「悩まない人」の考え方 ── 1日1つインストールする一生悩まない最強スキル30 - 木下勝寿 刑事捜査の最前線 (講談社+α新書) - 甲斐竜一朗





2025年2月24日月曜日

論語雑感 泰伯第八 (その18)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感

【原文】
子曰、巍巍乎、舜禹之有天下也、而不與焉。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、巍巍乎(ぎぎこ)たり、舜(しゅん)・禹(う)の天(てん)下(か)を有(たも)つや、而(しこう)して与(あずか)らず。
【訳】
先師がいわれた。「何という荘厳さだろう、舜帝と禹王が天下を治められたすがたは。しかも両者ともに政治にはなんのかかわりもないかのようにしていられたのだ」
************************************************************************************
過去の統治者についての評価は難しいと思う。
「昔は良かった」とはしばしば聞かれる言葉であるが、私自身は実はこう思ったことがない。いろいろと問題はあるが、世の中は進歩していて、「今の方がいい」と考えているからである。孔子はしかし、古の政治を褒め称えている。「舜帝と禹王が天下を治められた」時代というのは、伝説の夏王朝の時代のようであるが、本当に孔子の言う通り優れた治世だったのかは極めて疑問であると思う。それは「世の中は常に進歩して良くなっていくもの」というのが、私の基本的な考え方でもあるからである。

たとえば、映画『三丁目の夕日』は非常に感動的ないい映画で、私のお気に入りの映画の一つでもある。この正月に一気に3作観て感動を新たにしたが、ここで描かれている昭和30年代と比べたらどうか。映画では貧しくとも人の人情あふれた時代として登場人物たちの様子が描かれる。テレビ一つでみんなが幸せな気持ちになれたのも事実だろう。しかし、時代としてはスマホ一つとってもいろいろなことが可能だし、海外旅行にも自由に気軽に行けるし、現代の方が比較にならないくらいいい時代である。

ちょっと前の時代を舞台にした映画では、登場人物たちは所構わずタバコに火をつける。非喫煙者にとっては煙たい時代だったと思うが、今は禁煙環境がスタンダードであり、喫煙者である私も今の環境の方がいい。セクハラ、パワハラといった事が問題になり、昔は我慢するしかなかった事が、今は我慢しなくてもいい。サービス残業も私の身の回りでは死後になりつつある。働くなら私が社会人デビューした昭和の終わりよりも、今の方が圧倒的にいい。

もっとも、現代と昔とでは時間の流れ、時代の変化が違うということもある。伝説の夏王朝の時代と孔子の時代とでは、ほとんど差はなかったのではないかと思う。現代では10年でも大きな差が出たりする。夏王朝もほとんど同時代の感覚だったかもしれない。それであれば、ただノスタルジーで古き良き時代の施政者を崇めているのではなく、同時代感覚で善政を評価していたのかもしれない。しかし、それでも両手を挙げて褒め称える前に意識すべき事もあると思う。

それはどんなに優れた統治者(政治家)であっても、いい部分と悪い部分があるという事。トランプ大統領にもプーチン大統領にも善政と悪政とがあるだろう。イメージだけでどちらか一方に決めてしまうのは、正しい評価スタイルとは言えまい。舜帝と禹王もそうであったと思うが、後世にはすべて伝わるものではないし、孔子には悪政の部分はわからなかったのだろうと思う。それゆえに、いい部分だけを見て舜帝と禹王の統治に荘厳さを感じたのかもしれない。

人には誰でもいい部分と悪い部分がある。お茶の間の人気者が実は不倫していましたとバッシングされるのは珍しいことではないし、爽やかなイメージの裏で実はそれに反した事をしていても不思議ではない。何よりも人間なのであるから、そういう部分を含めて人を判断しないといけない。もっとも、そうは言ってもその人のすべてがわかるわけではない。どうしても外からは窺い知れないその人の裏面はあるだろう。そこがわからなければ評価できないのか、とするとそれもまた窮屈であるし、それはそれとして「◯◯の部分だけは素晴らしい」とすればいいと思う。

きっと孔子もそんな事を踏まえた上で、舜帝と禹王の統治に荘厳さを感じたのかもしれない。「わからない部分があるから評価しない」とするのも味気ないし、「見えないところに尊敬できない部分があるとしても、それはそれとして」「◯◯は素晴らしい」と評価する方がいいと思う。そういう考え方で、人を評価したいと思うのである・・・


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【今週の読書】

ユニクロ - 杉本 貴司  イスラエル戦争の嘘 第三次世界大戦を回避せよ (中公新書ラクレ) - 手嶋龍一, 佐藤優  トヨトミの世襲~小説・巨大自動車企業~ - 梶山三郎





2025年2月21日金曜日

どうしたらできるだろうか

「どうしたらできるだろうか」という発想は、何かを成し遂げようとする場合にとても大事だと思う。私は仕事でもスポーツでも事を成すには「意識」「熱意」「創意工夫」の3つが必要だという信念を持っている。このうちの「創意工夫」にあたるのが、「どうしたらできるだろうか」という発想である。実に簡単であると思うが、できない人にはとことん難しい事のようである。そもそも「無理」と考える「意識」の問題もあるかもしれない。だから何よりもまず「意識」がないとダメなのであるが、意識だけでもダメである。「創意工夫」とそれを支える「熱意」がないと難しい。

初めてこの言葉を使うようになったのは、銀行員時代に初めて部下を持った時である。銀行員とは結構忙しい種族で、当時当たり前のように山のような仕事を抱えていた。私の部下はそれを目の前にし、「こんなにできるわけありません」と言い、毎日のように「人を増やさないとできるわけありません」と訴えてきた。それに対し、私は毎回「どうしたらできるかを考えろ」と答えていたのである。結局、新米上司の私に部下の行動を変えられるわけがなく、しびれを切らした支店長が優秀な男(しかもその部下の同期)を連れてきて交代させてしまった(そして仕事はスムーズに回るようになった)。

考えてみれば、私も「どうしたら部下の考え方を変えられるか」を考えれば良かったのであるが、そこまではできなかったのである。それ以来、「どうしたらできるだろうか」と考えるのは私にとって当たり前の思考になっていったのであるが、誰もがそう考えられるわけではないのだという事をその後も幾度も経験している。「どうしたらできるだろうか」と考える以前に「無理だ」「できない」という意識が働くのであろうか、考える以前で止まってしまうようなのである(だから「意識」がまたしても大事なのである)。

先日の事、とある案件の入札があった。私としては是非取りたいと思い、現場の担当者に相談を持ちかけた。もちろん、現場担当取締役にもである。ところが、しばらく検討してもらって出てきた回答が「リスクが高い」「採算が合わない」という否定的な意見であった。採算なら合うようにすればいいと私は考えるが、説明を聞いて感じたのは、「否定から入っている」という感覚であった。たぶん、「無理してまでやりたくない」という意識があったのだろう。私と現場との間では温度差があったのは間違いない。

否定から入っているから「できない理由」を探す。あるいはちょっとでも不安な要素を探す、目につく。今の仕事で充分だから何も無理して手間暇のかかる入札などに手を出す必要などないではないかという意識がおそらく働いている。しかし、経営の観点からすれば、今の仕事だけで満足していては、いずれ環境変化の中で淘汰されるかもしれず、事業の幅を広げておきたいという考えがある。そういう中での一つのチャンスであり、積極的にチャレンジしたいところである。リスクを無視しろというつもりはないが、「リスクがあるからやめる」ではなく、「取れるリスクは取る」というスタンスで臨みたいところである。

そこで必要なのが、「どうしたらできるか」という考えである。人の手配であれば、自社だけでなく外部の協力企業に頼む手もあるし、それは直接だけではなく他のプロジェクトから抜くのであればそこへの補充という間接的な方法もある。難しい仕事でなければ他の業務から抜いても影響の少ない新人を抜いて充てるという方法もある。コストは抑える考えも大事だが、相手からの要望にプラスアルファの提案を加えて価格に転嫁するという発想もある。それでも最終的にできないとなるなら、その理由は何なのか、どうしたらその理由を(次回は)克服できるのかを考えたい。

結局のところ、「創意工夫」は「意識」と「熱意」があってはじめて出てくるものなのかもしれない。一方、「どうしたらできるだろうか」という「創意工夫」の発想があって、そこから「意識」と「熱意」につながるものなのかもしれない。どうしても結論としてその「三位一体」があるかないかになってしまうのであるが、その「三位一体」も私の場合は「創意工夫」の考え方から辿り着いたように思う。まずは何事も「できない」と結論づけるまえに「どうしたらできるだろうか」と考えてみたいものである。

「断ったらプロではない」という言葉が好きであるが、「どうしたらできるだろうか」と常に考え続けたいと思うのである・・・


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【本日の読書】
イスラエル戦争の嘘 第三次世界大戦を回避せよ (中公新書ラクレ) - 手嶋龍一, 佐藤優  トヨトミの世襲~小説・巨大自動車企業~ - 梶山三郎




2025年2月17日月曜日

『人間の証明』を読んで

人間の証明 勾留226日と私の生存権について - 角川歴彦

角川歴彦氏の『人間の証明 勾留226日と私の生存権について』を読んだ。あまり関心がなく、ほとんど知らなかったのだが、著者は元KADOKAWAの会長であり、会長時代に五輪汚職をめぐる贈収賄容疑で逮捕され226日間を拘置所で過ごしたという。それは誤認逮捕であり、氏は無実を訴えるが、その拘置所での扱いが人権を無視した「人質司法」であり、その理不尽を訴えたのが本書である。

そう言えば、不動産会社プレサンスコーポレーションの創業社長も無実の罪で逮捕され勾留された経験を綴った『負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部』(読書日記№1453) を出していて読んだが、どちらも勾留中の理不尽な扱いに怒りを込めて体験記を綴ったものになっている。一般の感覚では罪を犯していなければ逮捕されることもないのであるが、著者のように思いもかけないところから逮捕されるという事もあり得なくはない。そういう私も検察に任意で呼ばれて事情聴取を受けた経験がある。

それは前職時代の事、取引先である上場企業が金融商品取引法違反で罪に問われ、そのとばっちりを受けたのである。簡単に言えば粉飾決算だったのであるが、我が社もグルだと疑われたのである。取り調べで社長は20回以上も任意調査に呼ばれ、時に罵声まで浴びたらしい。取り調べは役職員にも及び、私も計2回呼び出された。我々には身に覚えのないことであり、特に不安には思わなかったが、身元調査では自分の預貯金の額まで書かされた。不安には思わなくとも、同じ事実でも見方によっては違う印象を与えるものであり、検事の尋問にはそういう危険性は感じたのである。

そういう経験があるので、なんとなく著者の取り調べの様子も実感を持って想像できるところがあった(もっとも「被疑者」と「参考人」ではだいぶ圧力も違うだろうが・・・)。世の中では時折冤罪事件が話題になるが、それもまんざらわからなくもない。当時、社長は完全にグルだという前提で、時に検事から怒鳴られたりしたそうである。最終的には起訴に至らずに終わったが、気の弱い社長は体調も崩し、だいぶ参ったようである。検察としては罪に問うためには自供を得て裁判に必要な証拠を揃えなければならないため、必死だったのだろう。

実際に罪を犯していても、裁判で有罪にするにはきちんとした証拠を揃えて罪を立証しないといけない。裁判には「疑わしきは罰せず」の原則があるから、そこは厳密に要求される。その苦労はわからなくもないが、問題は疑われる方が無実だった場合である。「無実であれば心配することはない」という事でもなく、事実、著者は持病を抱え、体調悪化を恐れて早期の保釈を認めてもらうために、意に反していくつかの主張を諦めたそうである。それが裁判にどの程度の影響があるのかはわからないが、せめて有罪が確定するまでは「犯人扱い」のような事は避けるべきであろう。

何事も一方的に判断するのは良くない。拘置所側には拘置所側の事情というものがあるだろう。著者が「人質司法」と呼ぶ実体にもそれなりに意味のある事情はあると思う。しかし、持病があって3度倒れ、体重も15キロ落ちるというのはやっぱり問題があるだろう。少なくとも未決勾留の間は「配慮ある対応」が必要だろうと思う。世の一般人にはなかなか知り得ない世界の話は興味深い。興味とともに問題点についても考えさせられた一冊である。当たり前であるが、自分では決して体験したくはないと思うのである・・・

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【本日の読書】
ユニクロ - 杉本 貴司  トヨトミの世襲~小説・巨大自動車企業~ - 梶山三郎







2025年2月13日木曜日

札幌出張

札幌へ出張に行った。私の主担当は財務であるが、人事も担当している。採用も大きなミッションの1つなのである。我が社のような中小企業は、新卒採用ではかなり不利である。知名度は圧倒的に劣り、首都圏の大学では(ゼロというわけではないが)コンスタントな採用はなかなか難しい。勢い、採用は地方中心になる。今回は札幌にある学校を定例訪問し、ついでに内定者との内定式(という名の懇親会)に札幌を訪れたというわけである。時に札幌は雪まつりの真っ最中。インバウンドもあって飛行機とホテルの予約を心配していたが(値段はちょっと高かったが)、何とか確保して札幌入りした次第である。

出張はどうしても効率が悪い。目的(面談)に比して移動時間が多すぎる。今回も先方との面談は約1時間。そのために丸2日間(まぁ、1日は祭日だったので実質1日とも言える)潰れた。仕方がないが、効率云々よりも成果に目を向けるようにするしかない。この時期の面談はさり気なく重要で、2026年の採用戦線への参戦根回しというところがある。それで密かに便宜を図ってくれたりする(例えば会社説明会の日程について優先的に第一希望を通してくれる)のでなおさらである。中小企業はそういう「寝技」も駆使して大手や同業他社に対抗していかないといけないのである。

出張は仕事であって遊びではない。当たり前であるが、以前銀行員時代、「ついでに仕事をする」ために出張する人たちを目の当たりにしていたのでよけいに意識している。その人たちは関連会社に片道切符で出向し、半分銀行員人生を終えたという意識だったからよけいにだったのかもしれないが、「どこに行く?」「何を食べる?」という話ばかりしていた。上に立つ立場の人間がそうだと、下の者はモチベーションが下がる。「ああいう上司になりたくない」というお手本としては良かったかもしれないが、大企業ゆえに遊びの出張費用も問題にはならなかったのだろう。

もちろん、ガチガチのお堅い頭で考えているわけでもない。やる事をきちんとやって、その上で余裕のできた時間で楽しむのは悪くないと思う。今回は、先方の都合でアポは午後も遅い時間になった。午前中に千歳空港に着き、市内に入ったのは昼前。少しゆとりもあったので、ラーメンを食べて雪まつりも見て行こうと考えた。ところが、雪まつりという北海道の観光の目玉ともいう時期。インバウンドと相まって、狙っていた札幌駅近くのラーメン屋は見た事のない長蛇の列。おいしいものは並んで食べるという関西文化に慣らされた私でもさすがに断念した。ラーメンはまたの機会にする事にした。

腹ごしらえだけして向かったのは大通り公園。雪まつり会場となっている場所である。休日の谷間の平日だったためか、覚悟していたほど混んではいない。ニュースで見た事のある雪像がさっそく出迎えてくれる。屋台も出ていて賑やかである。しかし、何か不思議な違和感がある。それは「こんなものなのか」という感覚であった。有名な観光スポットである札幌の時計台は「日本三大がっかり観光地」としても有名であるが、雪まつりにも同じものを感じた。札幌の雪まつりは、青森のねぶた祭り、仙台の七夕祭りと並んで個人的に行ってみたい日本の祭りの1つだったが、「こんなものなのか」であった。

確かに並んでいる雪像の様子はニュースで見た通りなのであったが、イメージはもっと圧倒的に大きなものであったが、実際はそれほど大きくない。もちろん、「北海道庁旧庁舎」などの迫力あるものもあったし、自衛隊の力作もあったが、それはほんの一部。大多数が背丈より少し大きい程度の雪像群で、それはそれでよくできているなと感心したが、そこまでである。何となくそれは近所の神社の夏祭りのような感覚であった。事前の期待が大きすぎたのかもしれない。仕事スタイルで行ったためか、革靴は足元も心もとない。それでもせっかくだからと雪像を1つ1つ見ていたら、見事に滑って転んでしまった。

出張時にはいつも会社と家族に土産を買う。会社はみんなで食べられるお菓子。家族はリクエストに応じるパターンが多い。以前は、「赤いサイロ」やかま栄のかまぼこだったが、今回は「生ノースマン」と「ほたてのスープ」であった。ともに空港で簡単に買えるのがありがたい。「赤いサイロ」は人気が凄くて買うのに苦労したので、簡単に買えるというのは重要なありがたい要素である。それにしてもよく次から次へと見つけてくるなと感心する。アンテナの張り方が違うのだろうが、自分ももう少し各地の名産品に興味を持ってもいいかもしれないと思ってみたりした。

夜は内定者との懇親会。他の企業は内定式なるものをやっているところがあるらしいが、我が社は実施せず。その代わりの懇親会である。4月から東京での新生活を控え、期待に溢れている感じがした。初々しくて好ましい感じを受けたのである。下手に格式ばった内定式よりもいいのではないかとこのスタイルを続けている。春から一緒に働ける事を頼もしく感じた次第である。学生時代、北海道へラグビー部の仲間と旅をした。その時は、最後の夜はすすきので大人の遊びをしたが、さすがに今はもう面倒でまっすぐホテルに帰って映画を観る方を選んだが、この過ごし方も出張時の楽しみの一つになっている。

これから、沖縄、新潟、鹿児島、そして再び札幌と採用活動の出張が続く。ビジネスは結果が大事なので、何より結果を求めたいと思う。「ついでに仕事をする」出張なら行きたくないというのが正直なところ。「成果を挙げたついでに」その土地の食べ物やお土産を買うことを楽しみたいと思う。採用活動に終わりはなく、成果とともにその旅を楽しみたいと思うのである・・・


【本日の読書】
ユニクロ - 杉本 貴司  トヨトミの世襲~小説・巨大自動車企業~ - 梶山三郎



2025年2月9日日曜日

会社目線で判断してほしい

 最近、会社では経営メンバーの育成を図っている。経営も社長1人でやるよりも複数の幹部でやる方がいい。取締役だけでなく、部長レベルまで含めたいと考えてのことである。そしてこの4月から、かねてから部長に昇格予定だった者の昇格について議論した。結論としては「見送り」であった。残念ながら期待値に達していないと。4人の取締役全員一致の結論であった。それぞれ見方は違ったかもしれないが、結論として異論が出なかったので、みんなそれぞれ物足りなさは感じていたのだろう。

私が感じたのは、「会社目線で行動できない」というところであった。以前、「経営者目線で働くということ」というところでも考えた事に似ているかもしれないが、要は「自分の都合でなく、会社の視点から考えられるか」という事である。例えばある仕事を頼まれたとする。個人的にはあまりやりたくない。難しいというところもあるし、できればプレッシャーのある仕事は避けたい。これが普通の「自分目線」である。それが会社目線だとどうなるか。

そこで会社の立場に身を置いて考えられるか。すなわち、その仕事をやる会社としての意義である。十分意義があり、社内を見回しても自分しかいない(あるいは自分に話があるのも無理はない)となれば、嫌だという感情を抑えてやるしかない。そういう判断ができるかというと、彼はまだできない。実際、最近そういう重要な仕事を固辞し、説得に時間がかかってしまった事があったのである。それ以外にも「自分はまだまだ」と後ろに下がるケースが散見されるのである。

よく言えば謙虚であるが、部長職を任せるには謙虚もほどほどでないといけない。会社としてはもう1人部長職を作りたかったのであるが、無理に昇格させても後が大変だと考え、泣く泣くの決断である。その彼もまったく会社目線で行動できないというわけではない。事実、別の機会に課長への昇格者を決めたところでは、きちんと会社目線で判断できているのである。自分より下位については鳥瞰できるが、問題が自分のレベルになると途端に自分目線になってしまうのである。

課長人事については、抜擢も含む人事であった。中小企業の悲しさゆえ、管理職となる課長候補がたくさんいるわけではない。どうしても限られた中から抜擢せざるを得なかったが、少し背伸びしてもらう必要があったという次第である。面白い事に、その1人は「自分はまだまだ、自信がない」と固辞したため、当の彼が「きちんとサポートするから」と説得に回っていたのである。もう少し視野を広くして自分にも当てはめてほしかったところである。

会社目線で考えられれば、社長すら一つの役割である。必要とあれば社長にも動いてほしいと要求できるようになる。現に営業担当の取締役は年初の挨拶に社長を連れ回していた。「今後のために一緒に挨拶に行ってくれ」と。そういう会社目線で見て判断できるメンバーが増えてきたら、経営の意思疎通、意思決定が早くなると思う。今後は管理職すべてが会社目線での判断力をつけてもらえるようにしていかないといけない。“For the team”の意識とでもいうのであろうか。そこに向けて尽力したいと思うのである・・・

Danny ChangによるPixabayからの画像

【本日の読書】

刑事捜査の最前線 (講談社+α新書) - 甲斐竜一朗  人間の証明 勾留226日と私の生存権について - 角川歴彦