2025年3月10日月曜日

目標達成に向けて

 我が社では3年スパンの中期経営計画を立ててそれを目標に経営を行っている。今期その最終年度であるが、半年を過ぎようとしている現在、その達成が危ぶまれている。それなりに高い目標を立てているのである程度は未達でも仕方がないが、それでも来期は次の3ヵ年計画を立てる必要があり、そこに臨む「勢い」というものがあった方がいい。しかし、その「勢い」がないから問題意識を持っている。ここで言う「勢い」とは「意識」と言い換えてもいいかもしれない。

 高い目標に向かうには、高いモチベーションがないといけない。そのモチベーションは肝心の収益部門の幹部には見られない。財務担当の私は、直接収益を生み出せる立場にはない。ゆえに側面サポートにならざるを得ない。先日読んだ『ユニクロ』には、柳井社長が読んで感銘を受けた書籍として、ハロルド・ジェニーニンの『プロフェッショナル・マネージャー』が紹介されていたが、そこに「現実の延長線上に目標を置いてはならない」と書かれていたという。我が社の目標はまさに「現実の延長線上」にはない。ならばどうするか。

 基本的に、今やっていること以外、これまでやってきた事以外のことを何か考えないといけないわけで、なのに現場の幹部はこれまでやってきた事を一生懸命やっている。一生懸命やっているのはわかるのだが、それだと「現実の延長線上」にしか行けない。それをわかってやっているのかというと、おそらくわかっている。わかってはいるが、他のやり方を知らないから今までの方法で頑張るしかないと思っている。私からは新たな方法を現場に提案してはいるものの、受け入れてはもらえない。

 受け入れてもらえない理由については、明確な回答をもらえないのでよくわからない。門外漢の私が的外れな事を言っているのかもしれないし、的外れではないが手間暇を面倒に思っているのかもしれない。人間誰しも新しい事に踏み出すのは億劫なものであり、それが自ら進んでやるなら勢いよくやれるが、人から言われた事に対しては腰が重くなる。私の提案は、同業他社と提携してやろうというもので、それほど的を外しているとも思えない。たぶん、心理的抵抗感であると思う。

 「ならどうするか?」、ここのところそれを考えているが、妙案は浮かばない。「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」というイギリスの諺があるが、まさにその通り。目標達成に向けてモチベーションを高くと思っても、それが伝わらなければ意味がない。今のところ「面従腹背」状態である。たぶん心の中では「こんな目標はそもそも達成するのは無理」と思っているのかもしれない。目標も自分で立てないと意味がない。与えられた目標なら、一旦それを自分の目標に落とし込む必要がある。

 銀行員時代、私も高い目標を与えられていたが、内心「無理だろう」と思っても、やらないと成績に(つまりボーナスに)関わるからやらないわけにはいかない。それゆえに心がけていたのは、それを「自分の目標」に転換する作業。与えられた目標を自分で立てた目標に切り替えていたのである。単に気持ちの問題であるが、「やらされ感」が軽減されるだけでも気分はだいぶ前向きになれたものである。それは今に至るまで変わっていない。たとえ収益部門に属していなくても、「何かできないだろうか」と常に考えている。

 「こんな目標できるわけがない」という考え方は、それまでの発想からきている。それこそ「現状の延長」の発想である。現状の延長で考えるから「できるわけがない」と思う。現場に詳しければ詳しいほど、その発想にずっぷりと浸かり逃れられなくなる。一旦、現場の発想から離れ、今やっている事、今までやってきた事以外に何かできないかと考えてみないと「現状の延長」線上の思考からは逃れられない。「人の振り見て我が振り直せ」とは昔から言われている言葉だが、他人の行動は客観的に見るからよくわかる。

 間接部門の財務担当の立場からどこまで考えられるかはわからないが、初めてM&Aで会社を買収するというチャレンジを成功させたのは私の一つの功績であり、これからもいろいろとアイディアを出していきたいと思う。「自分の立場で何ができるか」を考え、幹部に「勢い」をもたらしていきたいと思うのである・・・


Beat WormstetterによるPixabayからの画像

【今週の読書】
刑事捜査の最前線 (講談社+α新書) - 甲斐竜一朗  世界は経営でできている (講談社現代新書) - 岩尾俊兵 傲慢と善良 (朝日文庫) - 辻村 深月 頭のいい人だけが解ける論理的思考問題 - 野村 裕之





0 件のコメント:

コメントを投稿