2014年3月28日金曜日

まだ塾へ行くの?

 妻と娘の教育を巡って議論となった。
この春中学2年になる娘。中学受験を期に、近所の学習塾に通い始めた娘であるが、受験が終わって中学生になっても続けて通っている。
「塾へ行くの?」
熱心なのはいいのだが、週末も塾の宿題やらで忙しそうにしている姿を見て、何となく疑問に思っていたのである。

タイミングとしては今だろうと思って、思い切って妻に切り出した。
「1年間、塾を休ませたら?」
勉強ももちろん大事であるが、娘は学校のテストでは常にトップ10に入っている。もちろん、通っているのは近所の普通の公立中学だし、だから安心というわけではないのはわかっている。だが、そんなにあくせくする必要もないだろうと思うのである。

ところがこの提案に妻は猛反対。
レベルの高い都立高校に行くためには、十分ではないそうである。ここからお互いの意見は真っ二つ。私は学歴を絶対視していない。いわゆる「良い高校へ入って、良い大学へ入って、一流の企業に就職する」という事にどれほどの価値があるのかと考えている。

もちろん、本人が希望するならそれはそれで良い。
だが、今の段階で親がその路線を引くのはいかがなものかと思う。それよりもその都度そばに寄り添い、迷ったら相談に乗るとか、その時点で考えられる選択肢をいろいろ提示して上げるとか、あるいは考え方を教えるとかすればいいと思う。結果的に、一流と言われる高校・大学・企業となったのなら、それはそれだ。

だが、妻の意見は違う。
将来何になるかわからないからこそ、「(一流校に行けば)選択肢が広がる」と妻は主張する。それはそうだが、今からダッシュする必要はない。すでに進研ゼミの通信教育もやっているのだし、それだけでも十分。塾へ費やしている時間を他に向けさせたいと反論する。

映画を観たり、小説を読んだり、漫画を読んだり、友達と遊びに行ったり、そんな事だって大事だと思うのである。一流の大学へ行ったってノイローゼになるかもしれないし、一流企業に就職したって鬱で会社に行けなくなるかもしれない。勉強も大事だが、バランス良くいろいろ吸収しないといけない。それに何より自分だって今の娘の年頃でそんなに勉強していなかっただろうに、それを娘にやらせるなんて酷い事だと思う。

私も一応、受験の荒波を乗り越え、都立高校から国立大学へと進学しているから、その点では妻よりも言葉に説得力があるはずと思っていたが、「時代が違う」の一言で撥ねつけられてしまった。自分も、もともと学力レベルとしては、「中の上」くらいだったと思うが、宅浪時代は毎日10時間以上机に向かい必死になって勉強した。それは今の時代だって通じるだろう。今からやらなくても、本人がその気になればその時で十分間に合うと思うのである。

ああ言えばこう言うで議論は平行線。子供の幸せを願う気持ちはお互い同じだと思うが、この方法論の違いは歴然としていた。最後は、「娘の意見を聞こう」と妻に提案。
娘に最終決定を委ねた。
議論の決着は、「塾は続けたい」との一言であっさりとついてしまった。

妻を説得する前に、もっと娘と語り合って、「パパの考え」を伝えておけば良かったかもしれない。まあ仕方ない。これからまだまだ長い娘の人生。せめて、「お勉強バカ」にならないように常に関心は持つようにしてあげたいと強く思うのである・・・


【今週の読書】
悪韓論(新潮新書) - 室谷 克実 戦士の休息 - 落合 博満 ライス回顧録 ホワイトハウス 激動の2920日 - コンドリーザ・ライス, 福井 昌子, 波多野 理彩子, 宮崎 真紀, 三谷 武司






 

 

2014年3月21日金曜日

クリミア紛争を考える

 ここ1週間ほどクリミア紛争のニュースが気になっている。
親露派の大統領が地位を追われたと思ったら、一気にクリミア共和国の独立、ロシア編入へと動いている。大きな注目を集めているのは、そこがロシアの黒海艦隊の基点である事が原因であると思う。

 昔から不凍港を求めていたロシアにとって、クリミアのセバストポリは重要な軍港。ソ連時代は揺るぎもしなかったが、ロシアとウクライナに分離してからは、租借という地位になってしまう。一応2042年まで借りる契約はできているが、今回の政変でそれが危うくなった。アメリカもそれをわかっているから、「チャンス」とばかりに動いている。

 詳しい裏事情などわかるはずもないが、ニュースだけ見ていても、その内容には疑問だ。日本のメディアは、ロシア批判が大勢だ。だが、本当にロシアが悪いのかと思うと、そうとも思えない。その一番の原因は、クリミアの住民投票だ。83.1%の投票率で、96.77%という圧倒的多数で住民が「ロシア編入を望んでいる」のである。

 オバマ大統領は「銃で脅された」結果だとしているが、今の時代銃で脅されたからと言って、こんな圧倒的な結果が出るだろうか。それにNHKのニュース映像を見たら、住民は大喜びでコンサートまで開催されていた。ニュースによるとロシア系住民は6割だそうだから、ロシア系以外も賛成している事になる。ここはロシア編入を認めるのが筋というものだろう。

 ロシアは、「国際法違反」と批判されている。だが、アメリカだって「国際法違反」という批判を無視して、イラクに軍事侵攻して政権を打倒した“前科”がある。フセイン政権が「大量破壊兵器を隠している」という理由だったが、それは嘘だったと証明されているし、そのあたりの陰謀は映画にもなっている。
(⇒【フェア・ゲーム】

 アメリカは、冷戦時代、西ヨーロッパにソ連に向けた核ミサイルを配備しながら、逆にソ連がキューバに核ミサイルを配備しようとしたら、実力でそれを阻止した(キューバ危機)。公海を海軍艦艇で封鎖し、ミサイルを運搬するソ連の船を阻んだのであるが、そんな事ができる権利はアメリカには当然なかった。

 「自分がやる事は正当化し、同じ事を相手がやれば批判する」
アメリカもロシアもお互い様なのである。そんなキツネとタヌキの化かし合いのような国際情勢で、アメリカの肩を持ってロシア批判などして、日本のメディアはバカバカしくならないのだろうか。

 もしも立場が逆なら、アメリカは民主主義の旗をここぞとばかりに振り回して、「地元の民意」を尊重するだろうし、ロシアは口角唾を飛ばして批判するだろう。確かコソボでは、アメリカは独立を支持したはずだ。だからだろうか、毎朝見ているCNNのサイトは、トップニュースはずっと「マレーシア航空370便」だ。茶番には付き合えないと考えているなら、CNNはさすがだと思う。

 微妙なのは日本の立場。
北方領土の事もあるし、ロシアの天然ガスを安く仕入れられれば、貿易収支の悪化に歯止めもかかる。だが、対中国の手前、今の時期はアメリカも支持しなければならない。両方の機嫌を損ねることなく、うまく立ち回らないといけない。政府関係者は大変だろうなと同情する。

 先行きどうなるのだろう。
もうしばらくは、クリミアのニュースからは目が離せそうもないのである・・・

【今週の読書】
元融資担当が教える 小さな会社がお金を借りるなら 銀行はおやめなさい - 加藤 康弘 悪韓論(新潮新書) - 室谷 克実 誰も戦争を教えてくれなかった - 古市 憲寿








2014年3月16日日曜日

死の淵を見た男たち

川内、再稼働一番乗りへ 規制委、優先原発きょう決定
原子力規制委員会は12日、事実上の合格証となる「審査書案」を作成する優先原発を九州電力川(せん)内(だい)原発1、2号機(鹿児島県)とする方針を固めた。13日の規制委定例会で正式に決定する。川内は審査の重要課題となっていた基準地震動(想定される最大の揺れ)について、12日の会合で大筋で妥当と認められた。津波対策でも異論は出なかった。再稼働一番乗りが事実上決定した。
2014.3.13 産経ニュース
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 原発再稼働を目指す安倍政権。その動きが、静かに表面に出てきたようだ。いずれもっと脚光を浴びてくるようになると思うが、徐々に再稼働する原発が増えてくるのだろうと思う。

 個人的には原発反対であるが、先週はとくに震災からちょうど3年という事もあっていろいろとニュースに触れる中、また【死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日】という本を読んだ事もあり、その信念は一層強くなった。【死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日】は、当時の現場の様子が生々しく伝わってきて、迫力ある本である。

 原発再稼働を主張する側にも、いろいろと意見はあるようだ。やはり資源に乏しい我が国にとって、膨大な電力需要に応じるためには、ベース電源として必要であるという意見は理解できる。原発停止に伴って、代替資源の輸入増加により我が国の貿易収支も悪化(円安もそれに輪をかけている)している。長引けば我が国の“拠り所”でもある「経済力」にもダメージがあるのだろう。

 それに技術者問題というのもあるらしい。昨年世話役として関わっている「寺子屋小山台」で、講師としてお招きした東芝の方が、「“脱原発”となれば、若い人たちが原子力技術を学ばなくなる。そうすれば技術の継承ができなくなってしまうし、もしも中国・韓国で事故が起こっても我が国では対応できなくなる」とのご意見を伺った。
脱原発のその前に

 「技術が消失すれば、アメリカの技術協力も得られなくなるし、そうすると国内にある50tのプルトニウム(核兵器数千発分)の管理も難しくなる。技術は放棄できない。」との意見は、その通りなのだろうと思う。世の中で「脱原発」の声が大きくなると、こうした問題点を声に出して主張しにくくなるのは問題だ。しかし、無視できない指摘だと思うが、大事なのは「だからダメなんだ」というのではなく、「ではどうするか」と考える事だ。

 「技術消失」は確かに問題なのだろう。でもそれは「衰退産業」として若者に敬遠されないような仕組みを考えれば良いだけの事だろう。例えば、原子力技術を学んで技術者として就職した人には、国として給料とは別に「技術手当」のようなものを支給したらどうだろうかと思う。それで国と勤務先から同じ金額の給料と手当をもらえば、かなりの収入となる。そうした「職業」に若者はそっぽを向くだろうか。

 そもそも今でも原子力関連には膨大な税金が使われていると言う。地元自治体への補助金などを合わせると、「トータルコスト」では原子力発電も決して割安ではないと思うし、そうした補助の一部を「技術の継承」に向けるのは可能だろう。理論だけではダメだというのなら、どこか一カ所だけ原発を維持するというのもアリだと思う。一カ所で何機なのかわからないが、54機もある現状からすると、ずっと良いと思う。

 そもそも再稼働を主張する人たちは、福島第一原発の事故当時の緊迫した国内の雰囲気を忘れてしまっているのではないかと思う。あの状況下でも、「原発は必要だ」と思えただろうか。日本の国の1/3に人が住めなくなっていたら、それでも「原発は必要だ」と思うのだろうか。喉元過ぎて熱さを忘れてしまったのだろうか。

 福島の事故で、個人的に一番ショックだったのは、「使用済燃料棒」の問題だ。原発は稼働中の事故が怖いと思っていたのに、実はそうではないと思わされたのが、停止していた4号機の事故である。あれで心が決まったと言える。
 
 そもそも大きな問題というものは、右と左とどちらに行っても問題があるから、大きな問題となっているのである。であれば、どちらが理想的かと決めてその道を進むしかない。出てきた問題については、「だからダメだ」とせずに、「だったらどうしよう」と考えて解決を図る他ない。技術の継承も貿易赤字も温暖化もすべて「だったらどうしよう」と解決策が探れる問題だ。

 今後もその信念は貫いていきたいと思うのである・・・

     
【今週の読書】
死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日 - 門田 隆将  誰も戦争を教えてくれなかった - 古市 憲寿






 

 

 

2014年3月9日日曜日

ファッション

久しぶりに表参道を歩いた。
数年ぶりだったが、また少し雰囲気が変わっていた。
目についたのは、有名ファッションブランドの店舗。
この手の店舗には、何となく気後れする。 

昔から、ファッションという分野は苦手な分野である。
何事につけ「花より団子」ではないが、「見た目より機能」を重視する自分としては、衣服という面においてもそう考えてしまう。だから「気に入った服」であれば、それをずっと着続けたいと思うし、そういう服は大概「機能(=着心地)」面で気に入る事が多かったりする。 
それはそれで良いと思うのだが、問題は「世間がそれを良し」としない事だ。

それを初めて感じさせられたのは、1年間引きこもりそのものだった宅浪生活を経て大学に入った時の事だ。ラグビー部の門を叩いて一員となったある日、K先輩に「お前凄いズボン履いてるね」と言われた。その時履いていたのは、中村雅俊のドラマ「俺たちの時代」に象徴されるベルボトムのジーンズ。自分では気付いていなかったが、もはやそれは流行遅れのシロモノだったのである。 

人は大概他人のファッションについては、面と向かって批判はしないものだろう。だからわからなかったが、その後社会人になって、婉曲的に女性に指摘された事もある。もっとはっきり指摘されたのは、結婚してからだ。「お気に入り」だった服は、妻からみんな「室内着」の指定を受けた。何でも結婚前、妻は私と結婚を考えるのにあたり、マイナスポイントとして私のファッション・センスが気になっていたらしいのだが、仲の良い友人に「服は変えられるわよ」とアドバイスされ、目をつぶる事にしたのだと言う。 

こう告白すると、何だか情けない男のように思えてくる。だが、おかしいのはどっちなのかという気がしてならない。私の着ている服はすべて「購入したもの」だ。つまりどこかの誰かが、「これがいい」と決めたデザインで作られ、店頭に並べられていたものだ。その時点では、買って着てもまったくおかしなものではなかったものである。 ただ、それが「流行」というモノによって、「日陰モノ」にされてしまったのである。

「流行」って何だと言えば、それはどこかの誰かが、「今年はこれで行こう」と勝手に作りだしたものだ。そしてそれを、「今年はこれが流行るらしい」とみんなが採り入れる事によって決まっていくのだ。誰かが「右へ行け」と言うと、ぞろぞろと疑問も持たずについていく。「人が右へ行くなら我は左」という性格の私ゆえ、それは最も嫌悪するパターンだ。 

しかし、それが世の中の流れとなると、異端児としては居心地が悪くなる。「おかしい」と指摘されたものを、「おかしくない」と主張して我を通すほど私も強くない。勢い「室内着」が増えていく、あるいは廃棄宣告を受けるのを眺めているしかない。私としては、ただ買った時に自分で良いと思い、そしてそれを気に入ったなら、自分が飽きるまでずっと着たいと思っている。なのに勝手に流行遅れの烙印を押して、「ファッション・センス・ゼロ」と言われる。何とも納得のいかない話だ。 

まぁ嘆いていてもはじまらない。華やかな表参道のブティックの店舗を眺めつつ、せめて中味だけでも何とか維持していこうと感じた次第である・・・


 【今週の読書】
年収1000万円の貧乏人 年収300万円のお金持ち (中経の文庫) - 伊藤邦生  死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日 - 門田 隆将






2014年3月2日日曜日

陽の当らない場所

痩せ蛙 負けるな一茶 これにあり
小林 一茶
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 金曜日に妻が観ていたテレビは、フィギア・スケートの浅田真央の特集番組。イチローもそうだが、真央ちゃんも才能だけの選手ではないようである。ソチオリンピックが終わって1週間。良いタイミングでの特番だし、観た人も多かったのではないかと思う。 

 番組を横目で観ながら、何となく感じた。世の中には、陽のあたる場所とあたらない場所がある。世の中は、けっして公平ではない。それはそれで、仕方ない事である。 

 浅田真央は、残念ながらメダルを逃してしまったが、最後の演技は素晴らしいものであったらしい。我が家の妻も夜遅くまで起きて観ていて、涙腺が崩壊したらしい。翌日のニュースは、浅田真央一色。職場でも、その話題が聞こえてきた。  

 その同じ日に、女子パラレル大回転の竹内智香選手(銀メダル)とフリースタイルスキーの小野塚彩那選手(銅メダル)が、メダルを取った。しかし、ニュースは浅田真央。「取れたメダルより取れなかったメダル」が、明るく輝く日差しを浴びていた。

 世間の関心度からいって、それは当然の事。太陽が輝いてそれを浴びるものがあれば、当然その陰もできる。 そんな事が、最近私の身の周りでもある。母校である都立小山台高校が、この春の選抜甲子園大会に出場を決めた。実力的には、まだまだ甲子園は遠いようであるが、「21世紀枠」という制度で、全国3校の一つに選ばれたのである。それはそれで簡単な事ではないし、大変喜ばしい事でもあり、私も後輩たちを応援したいと思う。 

 当然の事ながら、これに卒業生も大フィーバー。寄付の募集や応援ツアーの話で、連日あちこちで盛り上がっている。されど、同時期に全国大会出場を決めた将棋班(我が母校では伝統的にクラブ活動を『班活動』と呼んでいる)の事は、ほとんど話題にも上らない。会報の扱いにしても、比較にならない。唯一、学校に掲げられている横断幕だけが、同じ大きさで公平な扱いであった。さすが、校長先生。 

 それは関心度から言っても仕方ない。同じ全国大会と言っても、やはり甲子園は別格だし、「野球だけが班活動ではない」と正論をぶったところで仕方ない。私自身は、ラグビー班0Bなので、野球も将棋も「他班の事」という意識がある。どちらも同じ後輩ではあるが、関心度に差はない。だから、よけい「陽の当らない場所」に敏感なのだと思う。 

 思えば高校生の時から、その差を感じていた。かたや甲子園の東京都予選の一回戦から結果が新聞に載る。かたや花園の全国大会ですら、試合結果は一回戦くらいだと新聞を隅まで探さないといけない。 大学に進んで、自分たちの(ラグビー部の)公式戦の結果がスポーツ新聞に掲載された時は、嬉しくて何度も見たし、もちろんそれを取っておいたのは言うまでもない。 

 そうしたマイナーの世界の経験と、もともとアマノジャッキーな性格が災いして、母校の甲子園出場に対する感応度は非常に低い。もちろん、将棋班の全国大会出場についても同様であるが、「陽の当らない場所」に対する共感度がある分、こちらの方がむしろ応援する気持ちは強いかもしれない。 まあ一人くらいひねくれ者がそっぽを向いていたところで、母校の甲子園には何の影響もないだろうし、そこが気楽なところ。

 当初はテレビで応援しようと思っていたが、それも段々と気持ちが萎えてきている。もちろん、寄付など初めから毛頭考えていない。もともと甲子園など、観なくなって久しいし・・・ 

 それより、小学校3年になる息子がいよいよ近所の少年野球チームに入る事になった。気になるのは視力の衰え。たぶん遺伝なのだが、これは由々しき事態。この春は、この問題に対する関心がかなりのウエイトを占める事になりそうである。 

 ところで、天の邪鬼な性格は遺伝するのだろうか。ちょっと気になるところである・・・

 【今週の読書】
鎮魂 〜さらば、愛しの山口組 - 盛力 健児 戦略参謀 - 稲田 将人







2014年2月23日日曜日

嗚呼、近眼

小学校2年の息子がメガネをかける事になった。
中学1年の娘は既にメガネをかけて久しい。両親ともメガネとコンタクトは手放せない状態だから、子供たちには、と考えていただけに、ちょっとショックを受けている。 

思えば自分の目が悪くなったのは、大学受験の時からだ。
その前に小学校の頃、一度視力が落ちた事がある。
その時は、何となく自然に回復。
6年生の頃は、1.2とか1.5くらいあったと思う。 

その後、気にする事もなく過ごしていたが、やはり受験勉強で一気に視力が落ちてしまった。特に浪人中は、自宅に籠って一日10時間のノルマを自分に課して机に向かっていた。その成果もあって、2回目のチャレンジで志望大学に合格できたが、視力はメガネがないと黒板の文字がもはや見えないレベルだった。 

大学合格後、初めてメガネを買う事になった。
程なくして自動車の運転免許を取りに行ったが、当然「眼鏡」条件がついた。ただ当時はまだ日常生活にはそれほど支障はなく、メガネをかけるのは授業中と運転時のみであった。ラグビーをやるにしても、裸眼で特に困る事はなかった。 

就職してからさらに視力が低下。
少しでも視力を回復させたいと思いつつも、仕事の忙しさもあって半分諦め、特にコンタクトレンズを使うようになると、メガネの煩わしさから解放された事もあってか、視力の回復については完全に諦めた。  数年前から手元が見えにくくなり、これが世に聞く老眼というものかと実感。「ついに来たか」という感じだ。

こうなるとコンタクトレンズは不便となり、メガネに切り替えた。
「遠近両用」のコンタクトレンズもあるようであるが、それには違和感を覚え切り替えるつもりにはなれなかった。今はスキーなどスポーツの時にのみ使い捨てコンタクトを利用している。 

メガネになった息子だが、やはりこれからスポーツをやらせようとしていただけに、メガネは具合が悪い。そんなところへ、知人からある視力回復サロンを紹介された。知人自身利用していて効果が上がっているという。値段は少々張るものの、やらせてみようと言う事になった。結果はどうなるかはわからないが、できる事はやってあげたいと思う。 これを機に、己自身も少し目の事を考えた生活をしようかと思うのである・・・

【今週の読書】
じゃ、やってみれば “感動という商品”を創り続ける男の言葉36 - 阿部 秀司  弥勒の月: 長編時代小説 (光文社文庫 あ 46-1 光文社時代小説文庫) - あさの あつこ







2014年2月16日日曜日

ブラック企業とは

 舛添さんの勝利に終わった先週末の都知事選。
主要候補の政策を見ていたら、宇都宮けんじさんだけが、「ブラック企業規制条例」の制定を主張していた。以前駅前で共産党が配っていたチラシにも出ていた「ブラック企業規制」。よくよく考えてみると、よくわからない。

 まずはどんな企業がブラック企業なのだろうかと思う。
以前観た映画「ブラック会社に勤めているんだが、もう俺は限界かもしれない」に出てくる中小企業などは典型的な例かもしれない。この映画では下請IT企業が出て来て、殺人的な残業(もちろん残業代はほとんど出ない)の日々に疲弊していく主人公が描かれていた。 
しかし、中には「ユニクロ」や「和民」などという声も聞こえてくる。
そうなると、頭の中は“?”マークだ。
「本当なのだろうか」と。

 ユニクロの柳井社長も、和民の渡邉社長も、本を読んでしかその人となりを知らないが、それでも若者を使い捨てるような経営者には見えない。むしろ自らの経験を振り返って、「若い時の苦労は買ってでもせよ」というタイプに思える。 すると、そのあたりの考え方が、誤解を招いている気もする。勉強でもスポーツでも、ある一定の時期、猛烈な負荷に耐えなければ何かを成し遂げられないという事はある。ユニクロの柳井社長も、和民の渡邉社長もきっとそんな時期を過ごした経験があって、それを求めているのかもしれない。 

 高校時代、ラグビーをやっていた私は、大学に進学してもラグビーを続けたいと思った。それも同好会などではなく、体育会の方でだ。そこで悩ましかったのが、第一志望の国立大学ならいいが、私立の大学に行った場合はどうするかという事だ。たとえば、慶応や早稲田などの名門校になった場合だ。 幸い第一志望に入れたから良かったが、もしも早慶明だったらまず体育会には入らなかっただろう。

 ハードな練習環境がわかっていたし、全国の一流高校から来た選手に交じってやっていく自信などなかったからだ。もしもやるとなれば、大学生活をラグビー一つに絞る覚悟がないとできない。そこまでの覚悟はできなかったし、したくなかったというのが正直なところだ。 覚悟が出来ていれば、ハードな練習にも耐えられただろう。現にそういう選手たちが、試合に出ているのである。

 思うにユニクロや和民で働いていて、「ブラック」と感じるか否かは、この覚悟の違いなのではないだろうか。「ほどほどに働きたい」と思っている人にとっては、たとえ自身の成長に繋がったとしても、ハードな労働環境は耐えがたいと感じるかもしれない。 

 そうすると、何がブラックで何がそうでないのか、を決めるのはますます難しいという事になる。創業直後の若い企業などで、未来を信じて会社に泊まり込んで仕事をしている創業メンバーたちもいるかもしれない。先日読んだ、『GILT』という本では、主人公は見事に過労でダウンしていた。では、そういう企業はブラック企業だと条例で決めて罰するのが正しいのだろうか。 「働かされる」のと「働く」のとでは、同じ働くのでも大きく異なる。それが同じ会社内だったら、どう判別するのだろう。

 単なる人気取りの共産党幹部には、そんな事はわからないだろうし、そもそも共産党に「喜んで働く」などという意味は、わからないのではないかとさえ思える。労働者は常に搾取される立場と考える政党だから、それは仕方ないのかもしれないが・・・  

果たして自分はどうだろうかと考えてみる。
仕事は確かに面白いし、大変ではあるが、苦痛ではない。さりとて、「24時間働こう」とまでの情熱はない。家族との時間や趣味の時間や友人たちと過ごしたり、ボランティアの活動をしたり、スポーツに汗を流したり、と考えていたらとてもそんな覚悟などできない。
それが良いのか悪いのか・・・ 

 ただし、現実的にブラック企業はあるのだろう。
収益力が弱く、従業員を酷使する事でしか存在しえない企業は確かにあると思う。そうした所からは、「辞める」という選択肢をもって対抗するしかないかもしれないし、そうして従業員が離れていけば、そういう会社も自然淘汰されるのかもしれない。そしてそれには、セーフティネットや再雇用など人材の流動性を高める仕組みを整えるのが良いのだろう。

 「ブラック企業規制条例」がどんなものをイメージしているのかわからないが、そんなものではないと思う。いずれ我が子たちも社会へと出ていく。どんなところに勤めるのか、あるいは自分で事業を起こすのかはわからないが、その時何らかのアドバイスができるようではありたいと思う。自らの働き方も含めて、そのあたりは常に関心を持っていたいものである・・・

【今週の読書】
俺のイタリアン、俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方 - 坂本 孝







2014年2月9日日曜日

除雪大日記

 「明日は雪かきお願いね」
妻の“お願いと言う名の指令”を受け取ったのは、まだ雪降りやまぬ前日の事。幸い我が家には、以前雪かきをしようとしたがチリ取りしかなく、難儀した経験から買い置いていたスコップがある。

 そして翌日となる今日、昨日とは一転した快晴の中、雪かきを始める。既にお隣とお向かいのご主人が雪かきを始めている。軽やかな挨拶とともに雪かき開始。今日が休日で良かった。仕事の日ならこうはいかない。震災の日は金曜日だったから、歩いて帰る事を選択できた。こういう偶然も目に見えない運命の作用だとこの頃感じる。

 まずは範囲の確認。何事もやみくもにやれば良いというわけではなく、事前の計画が重要だ。自宅玄関の周辺と、駐車スペース、それに家の前の道路の半分、そんなところだろう。雪は家の横の日向に積むことにした。何せ我が家の周辺は、日陰だと雪がずっと残ってしまう。

 さて初めて3分で容易ならざる事態に気がつく。思いもかけぬ重労働だとわかったのである。いまだラグビーで鍛えし時代の意識がある自分。「雪かき如き」という印象は、どうしても拭えない。されどすぐに腕が重くなり、5分で背中が痛くなり、挙句にプラスチック製のスコップにヒビが入った。

 頭の中で、計画の大幅修正プランが練り直される。道路は半分の半分。駐車スペースは雪が残ったって構わないだろう。今日はやっぱり仕事の方が良かったかもしれない・・・

 息子はお隣のクラスメイトの友達と雪遊び。双子のその友達に近所の子供たちも集まってきて、すぐに歓声とともに雪合戦が始る。雪まみれになる事など何のそのだ。微笑ましく眺めながらこちらは雪かきを続ける。上着を脱ぎ去り、トレーナー一枚になる。お向かいのご主人はTシャツ姿だ。

 かがんだ瞬間、すぐ横の車に当たった雪弾が炸裂する。さらには目の前を雪弾がかすめる。気がつけば“戦場”の真っただ中だった。息子と同級生の女の子もお兄ちゃんと参戦している。さらにふと見れば、さっき除雪したばかりの玄関の脇がいつの間にか“補給基地”と化している!萎えそうになる気持ちを奮い立たせ、飛び交う雪弾の下、ひたすら己のミッションに励む。

 やがて戦火は止み、ご近所のご主人もいなくなっていた。だいぶ計画を縮小したとはいえ、それでも取りあえず雪かきの格好はつけた。己の仕事に満足したところに妻が、昼食に呼びに来る。青空を見上げつつも、午後は映画でも観て過ごそうかと思案し始めると、成果を確認した妻が一言。

「御苦労さま、残りは午後ね♪」

 妻曰く、「家の前の道路は手前から道路の半分まで、そして範囲は少し隣の家にはみ出すくらい」が好ましい雪かきの範囲らしい。当初立てた計画は、間違っていなかったと言うわけだ。となるとまだまだ先は長い。結局、裏の老夫婦の事を考え、“好ましい”範囲を越えての大サービス。ようやく終わって、左腕がパンパンになった。明日、起きられるだろうか。

 嗚呼、真夏の太陽が恋しい・・・




 

 

2014年2月2日日曜日

日本的意思決定~映画編~

 週末となれば深夜に一人溜め込んでいる映画を観るのが、我が人生で至福の一時を味わえる一つと言える。観る映画は、「片っ端から」とでも言うのにふさわしいほど多岐にわたっている。それでも自然とハリウッド映画が多いのは、やはり分母が違うから仕方ないと思うが、邦画も観るし、中国や台湾などアジアの国の映画も観るし、国としては大嫌いな韓国のも映画は分け隔てなく観ている。

 そんな中でもやっぱり邦画には期待している所がある。
ハリウッドレベルとはいかないまでも、それに次ぐくらいの存在感は示してほしいと思う。
しかしそうは言っても、現実的には物足りない。残念ながら韓国映画の方が(特にアクション系では)、上ではないかと思える事、しばしばである。何でだろうと考えてみると、その陰には『日本的意思決定』がやっぱりあるような気がする。

 日本の映画の一つの特徴として、「劇場版」というものがある。ヒットしたドラマを映画化したものだ。これまでも【踊る大捜査線】【HERO】などを観てきたし、基本的に「劇場版」はあまり観ないのだが、最近でも【相棒】、【ストロベリーナイト】など数えきれないくらい封切りされている。

 こうした劇場版がなぜ作られるかと言うと、それは日本的意思決定=ボトムアップ型の意思決定の産物に思えてならない。つまり、何か映画化の企画をする時、独自に「これは面白そうだ」という思いでつき進むのではなく、周りの(特に上司の)コンセンサスを得やすいものになっていくように思うのである。「これは売れるのかね」と聞かれた時に、「大ヒットしたドラマですから」と言えば、説得力は高そうだと容易に思える。

 かつてシルベスター・スタローンが無名の頃、自ら書き上げたボクシングドラマの脚本をあちこちに持ち込んだと言う。どこも無名の男の話などに耳を傾けるところはなく、「ポール・ニューマン主演なら」と条件を出されたのがせいぜい。大金を積まれ迷ったものの、「自分主演」にこだわり、ついにスポンサーを見つけ、【ロッキー】の映画化につながったという。売れるかどうかわからない無名の新人の持ち込む脚本の映画化など、サラリーマンがボトムアップで企画を上げる日本では絶対あり得ないエピソードだと思う。

 おおよそビジネスというものは、売れるかどうかなど所詮「やってみなければわからない」ものである。リスクを腹に飲みこんで、果敢に攻めていく事が売れる結果になったりする。ジョージ・ルーカスだって、【スター・ウォーズ】を撮った後、コケるのが心配でハワイに逃げていたというエピソードがあるくらいだ。初めからヒットするかどうかなど、誰にもわからないだろう。

 だが、それだと上司を説得できない。「お前の『売れる』などあてになるか」と言われればそれまで。だから安易な「劇場版」やアイドル主演などに“逃げる”のだろうと思う。面白い映画を作るとなったら、「売れるか売れないか」など机上であれこれ議論する事なく、「これを作りたい」という熱い想いが必要だろうと思う。

 ヤマト運輸の故小倉昌男氏が、全役員の反対を押し切って宅配便事業を始めたように、トップダウンで誰かの熱い想いで映画化を進めるようなものでないと、本当に面白い映画などできそうにない気がする。ボトムアップ型の意思決定が悪いとは思わないし、それがうまく機能するケースはいくらでもあるだろう。しかし、新商品の企画だとか、事業だとか、今までにないものをやろうとする時には、この限りではない。

 実際の映画の企画現場がどうなっているのか、私には知りようがないからわからない。ハリウッド映画だって、【セックス・アンド・ザ・シティ】のようにドラマの映画化もあるから一概に日本ばかりというわけでもない。ただ、アニメも含めて「劇場版」がこれだけ多いとそんな事を思ってみたりするのである。

 もしも、「日本映画の水準を上げるにはどうしたらいいと思うか」という質問を受けたなら、私だったらまず「劇場版の製作禁止」を上げるだろう。安易な人気ドラマの映画化をやめるだけでも大きな変化が生まれるのではないかと思えてしまう。まぁそうしたら今度は東野圭吾原作とか、漫画の映画化が増えるのかもしれないとも思うが・・・

 日本映画の進化を期待して、ちょっと考えてみた事である・・・

日本的意思決定

【今週の読書】

模倣の殺意 (創元推理文庫) - 中町 信







2014年1月29日水曜日

スキーin湯沢2014

先週末は、今シーズンの初滑り。
毎年恒例の湯沢へ行ってきた。
朝5時に出発。
まだ暗い関越道をひたすら走る事2時間ちょっと。
目的地の岩原ゲレンデに到着。

初日は快晴。
それはそれで結構なのだが、ここしばらく雪が降っていないと言う感じで、雪の質は今一つ。
人間は自分に都合の良い事を要求するものなのである。
毎年通っていて、そこはもう慣れたゲレンデ。
子供たちもスイスイと滑る。


ふと、思い立ってボーゲンで滑る小学校2年の息子にターンを教える。
なんて名前だったか忘れたが、その昔、スキー教室で習ったやつだ。
するとそれが気に入ったのか、息子は熱心に練習する。
きっちり「ハ」の字に開いていたスキーが次第に平行になっていく。
褒めたら喜んで滑っていた。


考えてみれば、自分もスキーはそこそこ滑れると思う。
ただ、基本を習ったのは、初めの頃の数回のスキー教室で、あとは見よう見真似の我流。
それゆえ、子供たちに教えるのも憚られていた。
しかし、我流であったとしても、良いじゃないかと突然開き直る気持ちになったのである。
これからは遠慮なく教えようと思う。

2日目は湯沢高原へロープウェイで登っていく。
天気は一転して雪。
しかし体は暖かい。
最近のスキーウェアは良くできていると思う。
露出している肌の部分は痛いくらい寒いのだが、ウェアに隠れた部分は快適だった。

その雪が次第に強くなる。
息子が気に入った林間コースを滑る。
ゲレンデに流れていたポップスも林間コースには届かず、実に静か。
雪の降る音が、まさに「しんしん」と聞こえてきそうな静けさ。
自分のスキーが雪の上を滑る音が静かに響く・・・


何とも言えない雰囲気を楽しめたのはわずかの間。雪と風が強くなり、あたりはブリザードの雰囲気。2時過ぎにはついに、「これがホワイトアウトか」と思えるぐらい、視界が真っ白になり、家族みんなで顔を見合わせて「ギブアップ」。ロープウェイで早目の下山。

そしてふもとのホテル前で「雪合戦」。
どうも息子は相変わらずスキーよりも雪合戦が好きな様子。時間も早かったので、家族で付き合う事にした。

これが結構な体力の消耗となる。
最後に温泉に入り、帰路につくと、子供たちは爆睡。
次の日の仕事が脳裏を過ぎりつつ、ハンドルを握る。
昔ほどではないが、渋滞もあり、食事も上里のフードコートで急いで済ます。

昔は泊まりの方が楽だと思っていたが、どうも最近は考え方が変わってきている。
2日間滑るのは、なかなかきつく感じるのである。
日帰り強行軍でも、次の日寝ていた方が楽かもしれないと夫婦で意見が一致。
もしくは、来年は「2日目は温泉に入って滑らずに帰る」という形態になるかもしれない。

どちらにしろ、今シーズンはあと1回か2回、日帰りスキーを入れる予定。
それはそれで、楽しみたいと思うのである・・・



 

  

2014年1月22日水曜日

アルジャーノンに花束を

 家庭での子供のしつけや教育に関しては、妻任せになってしまっている我が家ではあるが、1点だけ私もこだわって来たところがある。それは読書の習慣付けだ。本を読むという習慣は、大人になってからも学び続けるためにはどうしても必要なもの。その時になって困らぬよう、子供の頃から習慣にしたいと思っていた。

 そんなわけで、子供が物心つくかつかないかのうちに、読み聞かせを始め、物心ついた後は、図書館で紙芝居や絵本を毎週のように借りて来ては寝る前に読んでやっていた。紙芝居などは、二人とも目をキラキラさせて聞いていたものである。そんな効果があってか、二人とも自然と読書に抵抗を持たなくなった。

 小学生の息子については、練馬区の推薦図書などからピックアップして読ませるようにしたり、伝記ものや世界の謎なんて興味を持ちそうなモノを図書館で探したり、その他子育て関連のサイトなどで目についたものを選んだりしている。難しいのは中学生の娘だ。

 もうすっかり自分で興味を持ったものを中心に読んでいるが、黙っていれば東野圭吾ばかりという傾向になったりしている。やっぱり、まだまだこちらから選んで読ませるようにする部分も必要だと思う。何が良いだろうかと自分の本棚を見まわしてみたが、読ませたいモノはいくつもあるが、なんとなくまだ早いような気がするものばかり。

 娘は私に似て感情があまり表に出てこないタイプ。だから無感動などという事ではない事は、私自身良くわかっている。ただ、やっぱり傍から見て心配なところもあるから、せめて本くらいは感動して心を動かされるようなものを読ませたいと思う。そう思ってあれこれ探していたら、本棚の奥で眠っていた【アルジャーノンに花束を】を見つけた。これを読んだのは、まだ20代の頃だったが、いたく感動していろいろな人に勧めたものである。

 主人公は、知恵遅れのチャーリー。いい大人なのだが、障害があって、中味は6歳ぐらいの幼児のまま。そんなわけで、周囲にバカにされるのだが、本人はそれとわからないからいつも笑顔を振りまいている。そんな彼が、ニーマン教授から開発されたばかりの脳手術を受け、驚異的なIQを獲得するに至る。

 物語は冒頭、「けいかほうこく」として、ひらがなで書きつづられる。それが段々と普通の漢字交じりの文章になっていく。それはチャーリーの知能の変化を表しているのだが、これがまた最後に味わい深いモノを見せる。ちなみにアルジャーノンとは、チャーリーの前に手術を受ける実験用のネズミの事である。

 驚異的なIQを獲得した彼であるが、やがて彼のレベルについて来られない周囲がみんなバカに見えてしまう。よくありがちな、頭でっかちの傲慢な男になっていく。ついにはニーマン教授でさえ凌駕する知能に達したチャーリーであるが、そんな時、先に手術を受けていたアルジャーノンに異変が生じる・・・

 娘は中学で成績が良い。それはそれで喜ばしい事であるが、勉強ができるというのは人の数ある能力のうちの一つでしかない。当然、それですべてが判断されるわけではない。勉強ができるという事は、100メートルを10秒台で走れるという能力と優劣をつけられる程のものではない。

 傲慢になったチャーリーと、みんなにバカにされながらも純真だったチャーリーとを比べ、どちらが良いとかではなく、何かを感じてくれればと思う。人にとって大切なものとは何だろうかと、感じてくれれば狙い通りだ。物語は再びひらがなばかりとなり、そしてタイトルの「アルジャーノンに花束を」で結ばれる。読み終える時、深い感動に包まれる。

 これなら今でも十分かもしれないと思う。読み終えてどんな感想を持つのか、楽しみでもある。娘にはこずかいと引き換えに、時折課題図書を課している。次の課題図書はこれにしようと一人ほくそ笑む。その前に、自分でももう一度読み返してみるのも悪くないかもしれないと思うのである・・・


アルジャーノンに花束を〔新版〕 - ダニエル キイス, 小尾 芙佐 

【本日の読書】
GILT(ギルト) - アレクシス メイバンク, アレクサンドラ ウィルキス ウィルソン








2014年1月19日日曜日

日中関係を考える

 昨日は毎年恒例の「中国から見た日本」の講座に参加。世話役としてお手伝いしている小山台教育財団の講座である。昨年までの講師の方が、中国で拘束されており、連絡も取れない事から今回は精華大学と中央大学で教授をされている方にピンチヒッターを依頼。例年とは違うアプローチながら、中国との関係を考えるいい機会となった。

 そもそもであるが、私は我が国は「米中等距離外交」路線を進むべきだと考えている。戦後ずっとアメリカの傘の下で発展してきた我が国であるが、そろそろ“自立”し独自の路線を歩むのが理想だと思う。アメリカも悪くはないが、アメリカは国益を前面に出して動く国。それも仕方ないとは思うが、「アメリカの国益≠日本の国益」である。我が国もそろそろ国益を意識してもいいと思う。

 アメリカは、自国の石油利権を守るために、「大量破壊兵器」というありもしない口実をでっちあげてイラクと開戦し、自国に都合の悪いフセイン政権を打倒した。我が国も国是を曲げさせられ、自衛隊をイラクに派遣した。そして次のターゲットとなっていたイランについては、我が国は長年友好関係を築いてきたにも関わらず、アメリカの経済制裁措置に無理やり歩調を合わさせられた。今後もこういう事は続くだろう。そろそろ我が国の国益に合わないアメリカの政策に対しては、“No”と言えるようにならないといけない。

 それには中国との関係改善が不可欠だ。尖閣諸島に毎日のように圧力をかけられている現状では、アメリカの庇護下からは抜けられない。高いアメリカの戦闘機だって不利な条件で買わないといけないし、沖縄の基地縮小も夢のまた夢。これは中国政府にも言える事。

 日本に対する“北風”政策は、日本に対しアメリカというコートを脱ぐどころか、ますますしっかり羽織るように仕向ける事になる。“太陽”政策で緊張緩和すれば、日本も「防衛費の削減」「米軍基地の縮小」といった事が可能になるし、それは中国にとっても好ましいはず。経済大国2位の国が、1位の国に対抗していこうとすれば、3位の国と組むのはもっとも望ましい事である。

 民主党政権は酷い政権だったと思うが、たった一点だけ良かったのは、小沢さんが「米中等距離外交」に足を向けた事だった。安倍総理の靖国神社参拝は個人的には大賛成だが、対中関係という点ではデメリットになる。“対中関係改善”という大きな目標を実現するためには、しばらく封印するのも日本の国益に適うと思う。

 中国人観光客がたくさん我が国を訪れ、日本製品を「オトナ買い」してくれれば、日本の消費も増加して経済にはプラスになる。中国市場の購買力は、我が国が重すぎる借金を返していくための有力な返済原資になると思う。大した国益にならない韓国は相手にする必要はないが、中国との関係改善だけは真剣に考えるべきだと思う。

 年に一度はそんな事を考えてみるのも良い事だ。来年は今までの講師の方の復帰は成るだろうか。中国政府も、日本における“中国の宣伝部長”とも言えるこの講師の方の拘束がいかに自国に不利益になるかを認識し、早く釈放してほしいものだと思う。

今後も折に触れ、ニュースには着目していきたいと思うのである・・・


≪過去の中国問題≫
日本核武装論
中国から見た日本2012
ああ中国人


2014年1月15日水曜日

バスタイム

 平日は、一人でゆっくり湯船につかるが、週末は息子と一緒に風呂に入るようにしている。風呂というところは、誰かと入るには良い空間だと思っている。と言っても、妻はもう頼んでも一緒に入ってくれないし、中学生となった娘と入るわけにもいかない。すると、もう我が家には一緒に入る相手は息子しかいないので、必然的に「誰かと」とは「息子と」と言う事になるのである。

 一緒に風呂に入ると親子の会話が始る。会話というより、「問答」であろうか。息子なりに興味を持ち、その時その時で疑問に思う事を聞いてくる。ニュースを見聞きして、聞きかじった事を聞いてくる事もある。「テロって何?何で起こるの?」そうした問いに答えるのもまた喜ばしい。

 先週末は日露戦争の話題となった。歴史漫画に出てきたらしい。我が家の風呂には世界地図と日本地図が貼ってある。長女が物心ついた時に買ってきて貼ってあるお風呂用の地図である。広大な土地があるものの、寒い土地が大半で、不凍港が欲しかったロシア。地図の西側での南下は、クリミア戦争となってイギリスに阻まれ、地図の東側で朝鮮半島目がけて南下してきて、日本と対立。
一緒に地図を見ながらの解説。

 「そーなんだ」という歴史漫画を購読し、すっかり歴史好きになった我が息子、こういう話には食い付きがいい。旅順攻略や日本海海戦などで勝利したものの、結局国力の限界で「判定勝ち」とならざるを得なかったが、「アジアの国々に与えた影響は大きかったんだよ」などと語って聞かせる。

 その昔、小学校低学年の頃、担任の先生がよくクラスのみんなに野口英世の話をしてくれた。一度で飽き足らず、みんなで機会あるごとに野口英世の話をしてくれとせがんだものである。ストーリーがわかっていようと関係なく、こうして何かを語ってもらうのを聞くというのは、子供には楽しいものだと思う。日露戦争の話に、息子が目をキラキラさせて聞き入っていたのも頷ける。

 その昔、「坂の上の雲」を読んでおいて良かったと思う。息子とそういう話をするのに、何も風呂でなくても良いとは思う。ただ、どういうわけか、風呂には何か特別な雰囲気がある。たぶん、閉ざされた空間だし、湯船に二人で浸かっていれば当然密着しているし、気を紛らわせるテレビも何もない。必然的に相手の話がすべてとなる。そんなところが良いのかもしれない。

 週末ともなれば、「パパ一緒にお風呂入ろう」と言ってくる。いつまで続くかわからないが、親子の貴重なお話しタイムの場として、これからもバスタイムは大切にしておきたいところである。今度はどんな話をしようか。

 「永遠の0」の映画も公開されているし、次回はこれだろうかと思ってみたりするのである・・・


  

2014年1月10日金曜日

最後の日は

ベルギー最高齢アスリートが安楽死、シャンパンで乾杯して旅立つ
【AFP=時事】ベルギーで「最高齢アスリート」として親しまれてきたエミール・パウウェルス(Emiel Pauwels)さん(95)が安楽死を選択し、家族や友人約100人とシャンパンで乾杯をした後に旅立った。
     
-2014.1.9-
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 日本では認められていない安楽死のニュースである。
日頃考えていた事でもあって、興味を惹かれた。安楽死については、賛否はあるだろうが、個人的には賛成である。というか、もしも自分が将来この人のような立場になったら、やはり同じように選択したいとさえ考えている。生まれる時は、わけもわからず生まれてきたわけであるが、死ぬ時は自分で決めようと思えば決められる。それも幸せな事だと思う。

 そもそもであるが、自殺は良くないとされている。キリスト教も自殺を禁じている。それにはまったくの同感だし、自分だったらやらないし、見知らぬ他人がしようとしていたら止めないだろうが、身内や知人だったら止めるだろうし、自分の場合はとくに、せっかく与えられた命だから最後まで全うしたいと思う。

 親になってから、よく子供たちの行く末を考える。
やがて学校を卒業し、社会人となって誰かと結婚し、子供を生み育て、いずれ老いて死んでいく。もちろん、自分は途中でこの世からいなくなるが、自分の子供が世をはかなんで自殺するなんて、そんなことは想像にすら耐えられない。それは同時に自分の親の気持ちでもあるだろうし、だからこそ元気に天寿を全うしたいと思う。

 ただ、冒頭のニュースの最高齢アスリートのような立場になったら、ちょっと違う。
病気で余命わずかとなったり、ボケて自分が誰かもわからなくなったりした時は、この限りではない。その時は、きちんと身辺整理をした上で、自分で自分の命日を決めるのも悪くはないと思う(もっともボケてたらできないが・・・)。

 日本で安楽死が認められないのは、「命は大事だ」という当たり前の理屈を盾にとって、そこに安住しているだけだと思う。助からないとわかっているのに、最後まで苦しむだけ苦しませるというのはもの凄く残酷だ。それは「命を大事に」している事にはならないと思う。もちろん、苦しまずに最後まで穏やかでいられるならそれに越した事はないと思う。要は、その「選択権」を持っていたいという事だ。

 私が敬愛して止まなかった祖父は、末期がんを宣告されたあと農薬を飲んだ。1週間くらい入院して亡くなったが、「バカな事をした」とは思わない。叔父たちは、告知した医者を批難していたが、逆に私はよくぞ告知してくれたと思う。そして、それを受けて自らの人生に自分でピリオドを打とうとした祖父の気持ちを理解できるような気がする。恐らく祖父は、“絶望”ではなく“満足”から農薬を飲んだのだと思う。

 その時、既に祖母は亡くなっており、子供たちも独立して孫も社会人になったりして、後顧の憂いはなかったはず。ボケて徘徊して亡くなった祖母の世話をしていたから、自分は子供たちにそんな世話をかけたくないと思ったのかもしれない。最後に見舞った病院のベッドで、私に軍隊で使っていた愛用の箸をくれると言い残してくれたが、そんな祖父を批難するとすれば、最後にゆっくり話をする時間をくれれば良かったのにという事だけだ。いつか自分も余命いくばくと宣告されたなら、祖父を見習いたいと思う。

 ただ、その時心配なのは、“手段”が確保できるかという事だ。
ベルギーのように医者が注射してくれれば楽でいいが、今のような安易な「命は大事論」がまかり通っていたら、そうもいかない。私の気持ちを組んで“協力”してくれた人が、「自殺ほう助」で罪に問われても困る。人生の最後に飲むのが農薬というのも哀しい。

 今からそんな事を心配しても仕方がない。もう人生は半分を過ぎただろうし、祖父の年齢まで生きるとして、あと40年。「その時」が来た時に、何の憂いも残さないように、毎日を大切に過ごしたいと思うのである・・・

自分の残り時間がわかるサイト
This Much Longer  
これによると、祖父の年齢まであと14,386日・・・






    

2014年1月5日日曜日

2014年新春雑感

 2014年が始った。
個人的に正月の過ごし方は大きく変えたくないと思っている。元旦に家族そろって初詣に行き、互いの実家へ新年の挨拶に行く。今年も当然そのつもりだった。しかし、いろいろと事情もあって、2日から家族と別行動。私は、妻と子供たちを大阪の妻の実家へと送りだした後、一人自分の実家へと向かった。ちょうど
2011年のお正月と同じパターンである。

 3日には、両親と近所を散歩した。これも
2011年のお正月と同じパターンであるが、ただし、今回は前回とは逆方向へと足を向けた。前回は、生まれてから4歳まで済んでいた林試の森公園の周辺。今回は4歳以降、現在の実家へ引っ越すまで約12年間住んだ武蔵小山と西小山界隈である。

 最初に行ったのが、小山小学校。
すでに校舎は建て替えられ、私が通っていた頃の面影は、プールと狭くなった校庭くらい。ここだと運動会をやるには狭過ぎると感じる。同じ事は、次に行った荏原六中学校にも言える。

 もともと校庭は狭かったが、校舎を建て替えてさらに狭くなった感がある。我が子供たちが通う小学校・中学校の校庭の半分以下だと思う。昔住んでいた家はそのまま。家の前には井戸があって、既に使えなくなっていたが、それもそのまま。今は他人が住んでいるから不可能だが、できれば中に入ってみたかった。

 幼稚園はさらに先。
昔の事とは言え、当時は一人でてくてく歩いて通っていたわけである。仕方ないとは言え、子供たちにも幼稚園には一人で通わせたかったと今でも思う。さすがにこのあたりは友達の家も多い。本人が住んでいるかどうかはともかく、表札は変わっていない。酒屋さんをやっていた家が「カクヤス」に変わっていたのには、時代の流れを感じた。

 昔、会社をやっていた跡地に、小学校の同級生の立派な家が建っていた。こちらは二世帯住宅で、本人の名前の表札も堂々と出ていた。そうして何人かの同級生の家の前を通った。あの頃毎日のように一緒に遊んでいたのに、もうかれこれ40~45年くらい会っていない事になる。だいぶお互いの境遇も変わっているのだろう。そのうち会って、お互いの境遇をおっかなびっくり確認してみたい気もする。

 実家がずっと変わらなければ、こういう散歩にもならなかっただろう。思いがけずに思い出散歩のようになってしまった。今の実家も道路計画で2年後には立ち退きを迫られている。数年後には今の実家の周辺の景色も変わっているだろう。そう思うと、残念な気がする。そのうち、自分達がこの地に住んでいた痕跡などまったくなくなるのだろう。ちょうど、今の実家や自分の自宅の周辺が100年前にどうだったかなんてわからないように。

 実家から自宅への帰り道。親父が車で送ってくれた。車中で約1時間、親父は昔話を饒舌に語ってくれた。若かりし頃、母と出会い、結婚に至る経緯。「今あの頃に戻れたら、お母さんとは結婚しない」と親父は言い切る。思わず苦笑してしまったが、みんな同じような思いを抱えているのかもしれないと思う。

 過ぎ去った過去は変えられない。未来はどうなるかわからない。誰にもどうしようもないが、せめて日々より良く過ごすようにしたいものである。一年後、ブログを読み返した時に進歩がなかったと思いたくはない。今年一年、「もう一歩頑張る」事をキーワードに毎日を過ごしたいと思うのである・・・




2013年12月31日火曜日

2013年年末雑感

 2013年も最後の一日となってしまった。例年通り我が家はこの日最後の大掃除。大した家でもないのだが、大掃除は例年4日間に分けて行っている。今日は玄関周りと洗車だった。

 始めの頃は、デッキブラシでゴシゴシこすっていたからかなりの重労働だった。今は、高圧洗浄機があるからかなり便利。みるみる汚れが落ちていくのはなかなかの快感である。


 終わって昼間に年越しそばも恒例。夕食はいつもすき焼きでお腹いっぱいになってしまうから、昼間に年越しそばを食べるのである。そして紅白を見ながらすき焼きを食べて、あっという間に新年になる。

 今年は娘が小学校を卒業。残念ながら、都立の中高一貫校受験は失敗。今は地元の公立中学に元気に通っている。失敗と言ってもそれは一時の事。長い目で見た時に、それが失敗なのかどうかはわからない。むしろそれが何かに至るための道だったりする事もあるから、失敗かどうかはわからない。

 自分はどうだろう。体を動かそうと大学のラグビー部のシニアチームに参加したものの、初回で足を痛めてリタイア。後半はお手伝いしている『寺子屋小山台』のスケジュールと重なってほとんど行けなかった。来年はもう一度やり直しだ。

 家族でスキーに行けたし、夏にはサイパンにも行けた。贅沢を言えばキリがないが、個人的には十分満足している(家族は物足りないかもしれない)。ブログはすっかり更新頻度が落ちてしまっているが、フェイス・ブックもあるし、映画を観て本を読んで、それらのブログも更新して、合間に勉強もしてとなるとさすがに限界だ。せめて来年はこのペースを維持したいと思う。

 いろいろと抱えこんでいた問題は、いまだ解決の兆しはない。ただ、底にコツンと当たったような感じがする。ここが底で、これから少しずつ浮上するのだとしたら、今の苦労も悪くはない。物事は考え方一つ。この程度の悩みと苦労で済むなら、大いに背負おうという心意気で行きたいものである。

 さて、明日から新しい一日、新しい月、新しい年が始る。昨日よりもより良い今日、そして今日よりもより良い明日と考えるなら、今年よりももう一歩進化したい。仕事でもそれ以外でも何かの、誰かの役に立てるようにしたいものだ。世の為、人の為と大言壮語するつもりはないから、誰かとは自分と関わり合う身の回りの誰かで良いと思う。

 それは親であり妻であり、子供たち、そして親戚・友人・知人だろうか。顔を上げ、前を向き、常に前傾姿勢で倒れる時も前に倒れる。今年もそんな気持ちでやってきたが、来年も続けてその姿勢を保ちたい。より良き明日に備えて、2013年の完了キーを、今年も押したいと思うのである・・・


【先週の読書】
ソロモンの偽証 第I部 事件 - 宮部 みゆき







2013年12月27日金曜日

フィギュアスケート

 先週末、我が家の夕食の席では珍しくテレビがついていた。基本的に我が家では、食事の時はテレビをつけないのがルールである。だが、たまに例外もある。どうしても見たい番組がある場合で、先週末はそれが妻の希望する「フィギュア・スケート」であった。ソチオリンピックの選考会も兼ねた全日本選手権が開催され、妻はそれに夢中になっていたのである。

 何となくその場の雰囲気でみんなで観ていたが、考えてみればこの“スポーツ”も不思議だと思う。そもそも“スポーツ”なのだろうか。まぁ、オリンピック種目だし、採点をして点数を競うので、やっぱり“スポーツ”なのだろう。“スポーツ”には違いないのだろうが、ただ観ている立場からすると、氷上バレエという気がする。だが、バレエは“スポーツ”ではない。見せて楽しませる“芸術”であり、採点をして点数を競うというものではない。まさに「似て非なるもの」と言えるだろう。

 さて、“スポーツ”と言ってはみたものの、このスポーツはわかりやすくて実にわかりにくい。何がわかりにくいかと言えば、優勝劣敗だ。素人目には、誰が勝ったか負けたかはわからない。終わって採点の結果が表示されて、はじめて結果がわかる。こういうスポーツも珍しい。

 我がラグビーも、よく人から「ルールがわかりにくい」と言われる。だが、「ボールを前に投げてはいけない」というルールはよく知られているし、難しい反則はレフリーを見ていれば「何か反則があった」とわかるだけで十分だし、何よりトライという明らかな結果は素人でもよくわかる。

 されど、フィギュアの場合、ジャンプやスピンや一時有名になった「イナバウアー」などが技術として採点されるのだろうということはわかっても、では「今のが何点か」となったらわからない。さらにショートプログラムとフリーとに分かれているが、何がどう違うのかわからない。いきなりテレビをつけて、フィギュアをやっていたとして、それを見てそれがショートかフリーかを果たしてみんなわかるのだろうか。

 こんなにわかりにくいスポーツのどこがいいのだろうか。その答えは、観ていればわかる。やっぱり観ていて、特に女子の演技は優雅でいいなぁと素直に思う。特に浅田真央は、トリプルアクセルがどうのこうのと言われているが、個人的にはくるくる回るスピン系の演技に見惚れてしまう。バレエでは表現できない“美しさ”のようなものを感じる。いつの間にか、つられて観入ってしまっていた。

 そうして振り返ってみると、いいなぁと思ったのは華麗かつ優雅な氷上の演技であり、ジャンプの技術がうんぬんではない。スポーツなのに、スポーツの要素では心が動かず、見事な舞いという芸術的な要素にテレビの前に釘付けになっていた。
まぁスポーツであろうがなかろうが、あまり観るのには関係がない。ソチの大舞台では、日本勢の活躍はどうだろうか。ちょっと冬季オリンピックに楽しみができたなと思うのである・・・





2013年12月19日木曜日

娘の誕生日

 今日は娘の13回目の誕生日。
娘が生まれたのは、20世紀最後の年、西暦2000年。
したがって、西暦の下二けたがそのまま年齢となる。
わかりやすくて良い。

 初めての我が子。何となく男よりも女の子の方がいいなと思っていた。そして思い通り生まれてきた我が娘。初めて抱いた時は、落としそうで怖かった。夜泣きをした時など、妻よりも私が抱いた時の方が泣きやむ事が多かった。今となっては懐かしい。

 娘が生まれてしばらくは、ずっと我が子が一番可愛いと思っていた。親バカではなく、客観的に見てそうだと思っていた。小学校に入ってしばらくまでは、他所のどの子を見ても、我が子より可愛いと思える子は稀だった。そのうち、だんだん娘よりも可愛い子を見かけるようになり、中学一年になった今では、“普通”レベルになってしまった。そうは言ってもやっぱりそこは我が子。可愛い事には変わりない。

 そんな娘は、特に仕向けたわけではないのだが、勉強については「好き」と言ってよくしている。テストも5教科の平均はいつも90点以上。前回の試験でも学年3位内に入ったらしい。中学受験は地元都立の中高一貫校に落ちてしまったものの、そのあとは大したものだと思う。

 そんな我が子の勉強に対し、気をつけている事は、自分自身の経験から来る事。私も娘ほどではないが、そこそこの成績を納めていたが、特に世の中の常識的な事についてよく親から注意された。「勉強ばかりできたってそういう事ができなければダメなんだぞ」と決めゼリフのように言われたものだが、それが何より嫌だった。

 今から思えば親の言いたい事はよくわかるが、言われた方は、「じゃあそういう事がわかれば勉強なんてしなくて良いんだな、ならそれを勉強するから学校のテストは0点でも文句を言わないでくれ」と反発したものである。そんなわけで娘には、「勉強はよくやっているからそれでいいけど、もう一つ平行して・・・」と伝えるようにしている。反面教師として、我が父には感謝しているところだ。

 実際、世の中勉強は大事だが、それだけでは片手落ち。やっぱり人とのコミュニケーションがもう一つの柱だ。私自身もこれで随分と苦労したし、今でも母親と妻との間で苦労している。これがそこそこスムーズにできたら、まずまずの人生を歩めるのではないかと思う。

 将来はどうなるのだろう。やっぱり誰かと結婚してほしいし、子供も産んでほしい。かと言ってこれからの世の中、専業主婦はどうだろう。本人が望むのなら別だが、仕事を持てるならその方が良いと思う。結婚相手には、協力的な人を選ばないといけない。

 もはや自分には何もできないだろうし、それを前提に自立型に育つようにしたいと思ってこれまでやってきた。男だって何人か付き合ってみないと、良い悪いの目は養えない気がする。家に連れてくれば、男の目から見た品評をしてあげてもいいと思うが、それを娘が望むかどうかわからない。

 今は、色気よりも完全に食い気。鏡の前に長時間向かうなんて事はないし、先日家族で行ったしゃぶしゃぶ食べ放題では、家族で一番食べていた。今は妻もうらやむ細身だからいいが、将来太り出したらその時は真剣に注意しようと思う。

 もはや抱っこなどできなくなってしまったが、その存在自体が私の生きる支えとも言える。
妻に冷たくされるたびに、「離婚」の文字が脳裏をよぎるが、それを打ち消してくれるのが娘とそして息子だ。「子はかすがい」とは良く言ったものである。

 もうそろそろパパの前で服を脱ぐのはやめてもいいような気がするが、どうだろう。ちょっと前まで嵐に夢中になっていたが、今は関ジャニに変わったらしい。目の前には開けた未来が広がっている。喜怒哀楽をいろいろ経験していくのだろう。その都度、経験談を語ってあげられたらいいなと思う。

 娘が成長していく後姿を、いつまでも見ていたいと思うのである・・・

【本日の読書】

ソロモンの偽証 第I部 事件 - 宮部 みゆき








2013年12月14日土曜日

特定秘密保護法案

 特定秘密保護法案が成立した。特に関心を持っていたというわけではないが、反対意見については予想できる内容だったのは確かである。『秘密保護』という言葉だけで、我が日本人が過剰反応するのは目に見えている。

 それはそれとして、毎朝新聞を読んでいても今一よくわからない。それはやっぱりメディアに問題がある証拠だと思う。普通に新聞を読んでいたら、理解できるように報道するのがメディアの努めだと思う。それでも理解している人は理解しているのだろうか、友人知人の中には反対デモに参加した人もいるようだし、日本版NSCと合わせて「戦争をする国作り」と批判する人もいるし、巷ではかなり反対意見を目にし耳にする。ネットでも同様。だが、それらの反対意見にはどうも何か違和感を覚える。

 改めて反対意見を調べてみたら、日本弁護士連合会が問題点をまとめてくれていた
 1 プライバシーの侵害
 2 「特定秘密」の範囲
 3 マスコミの取材・報道の阻害
 4 国会・国会議員との関係
となっている。相変わらず何か釈然としない。

 よくよく考えてみれば、それは反対論の議論の展開がおかしいところにあるとわかる。なぜなら、まず何か問題があって、それでこの法案が作られたハズ。何となく理解しているところでは、それは欧米のように国家秘密をきちんと守る仕組みが我が国にはなく、よって欧米(とくに米)が我が国と秘密情報の共有ができないと危惧していて、そこから法案整備の要請がきたらしい。

 そう言えば数年前、Youtubeに中国漁船衝突事故の映像が流された事があった。当時民主党政権が非公開としていたものを、一人の自衛官が流したのである。国家の秘密を個人の勝手な判断で暴露するなんて、何という事だと思ったが、ああいう例を見ると、個人的には法案の必要性を感じる。

 それはともかく、まず反対するなら、法案の必要性の元となった事をどうするのか、を論じないといけない。個人的に「対案のない反対論は聞く価値がない」と考えている。反対だけなら誰にでもできるし、それだけなら無責任だ。まずその問題をどうするのか、反対するならその対案を示した上でするべきだろう。

 日弁連の反対意見とか、あるいは「国民の知る権利」の侵害だとか言われているが、それらはこの法律にともなって付随するいわば“副作用”だ。まず病気があって、それに対する特効薬を使おうとしたら、強い副作用があるとわかった。ならどうするか?「副作用が強すぎるから薬を使うな」と反対するなら、肝心の病気をどうするのかという対案を出すべきだろう。

 事は簡単ではない。日本はまだ尖閣諸島一つとってもアメリカを頼らないといけない。それであれば、アメリカの要請にもきちんと応えないといけない。にも関わらず、それに反対するならその結果にどう責任を取るのか。反対論にはそれが欠けている。

 そもそもアメリカにも同様の法律はあるはずだし、どういう運用がなされているかを調べれば、“副作用”だって抑えられるかもしれない。実は副作用と言っても、そんなに大げさなものではないのかもしれないとすら思う。対案が出せないなら、まず“薬を使う”。その上で“副作用”をいかに軽減するか。これが考えるべき手順だろうと思う。

 考えてみれば、企業にだって企業秘密というものがある。社員が勝手な判断でそれを外部に漏洩させたら、罰せられるだろう。それは国だって同じである。国家公務員が自分の信条と合わないからと言って、国家の秘密を暴露する事を放置していたら、いずれ大変な事になるだろう。そういう問題をどうするのか。「国民の知る権利」の前に、考えねばならない事だと思う。

 法案に賛成か反対かと問われたら、今の議論を見ている限り賛成するしかないと思うところである・・・

【今週の読書】

日本人は「経済学」にだまされるな! (中経出版) - 中原 圭介






2013年12月7日土曜日

脱原発のその前に

 立場が違えばモノの見方、考え方も変わる事は、もう随分前から気づいている事だが、先週またそんな経験をした。いつも参加している勉強会で、某原発(も扱っている)メーカーの方に原発についての意見を伺ったのである。最近は、小泉元総理が脱原発を唱えて世論を沸かせている。日本の各地の原発も停止したままであるが、原発擁護の声も根強いものがある。そんな擁護側の意見を聞く機会に恵まれた、というわけである。

 まずは、「原子炉は安全ではない」との説明がなされる。「安全神話」とよく言われるが、実は「原子炉は安全なものではなく、危険なものである」との説明。そしてその上で、「それをいかに安全に利用するか」が重要なのだという。なるほど、言われてみればその通りでわかりやすい。

 原発の事故に際しては、「止める・冷やす・閉じ込める」の工程が重要。福島第一では、安全に「止まった」ものの、電源喪失という事態に「冷やす」事ができなくなった。それが重大事故の原因。しかし、もっと新しい設計の福島第二はほぼ同じ状況下で「冷やす」機能が働いたため、大事に至らなかった。最新技術では、「電気で冷やす」から「勝手に冷える」レベルに来ているのだとか。いたずらに福島の事故だけをもって、今後も同様な事故が起こる危険があるという事でもないらしい。

そして肝心な、「原発が必要な理由」であるが、
 ① 資源のない日本は、現在燃料購入費として以前より4兆円も余分に支出している
 ② 異常気象が話題になっているが、従来型エネルギーは、その原因となる環境負荷が大きい
 ③ 脱原発を宣言する事で原子力産業が斜陽産業となり、その結果若手の技術者が集まらなくなり、技術が継承されなくなる
 ④ 技術が喪失した場合、中国等日本に影響のある隣国で事故が起こった場合、対応できなくなる。
 ⑤ 技術が喪失すれば、日本にある核兵器数千発分のプルトニウムの管理処理や、日米原子力協定が改定できなくなる事で、アメリカの技術協力が得られなくなる
などが挙げられるのだとか。

 ①については、昨年の日本の貿易赤字が6.9兆円とか言っていたので、その大半が燃料関係と言う事になる。この影響はバカにならない。ただ、原発の危険性との比較でみれば、理由としては弱いと思う。②については、福島の環境汚染はもはやPM2.5がどうのと言うレベルを超越している。「どちらが環境に悪いか」と考えたら、比較にならない。
問題は③~⑤の技術の継承だろう。

 原発に反対するなら、この問題に対する回答を用意しないといけない。将来有望な産業に進もうと考えるのは、若者として当然。将来性のない業界となってしまったら、若者が集まらなくなり技術が継承されないという指摘ももっとも。銀行員としては、すぐ「では国費で年収を高くして魅力をPRすれば」と考えてしまうが、それについてはどんな反論があるのだろう。

 原発の一番の問題は、最新技術が進んでいる原子炉はではなく、むしろ使用済燃料棒だと思う。その問題は深刻で、いまだ最終処分場もない状況だ。オンカロのような施設も日本では難しいらしい。プールに沈めているだけというお寒い状況こそ恐ろしい。使用後も50年くらい冷やさないといけないというし、ここは今後も技術開発は継続していかないといけない事は事実だろう。

 技術継承の重要性は理解できるが、そのために原子炉を動かし続けないといけないのかどうかは、ちょっと疑問だ。コスト的には、シェールガスが普及すれば、よりクリーンなガス発電が安いコストで実現できると言われているし、技術の継承という目的のために原子炉そのものを動かす必要性があるとは思えないが、その点は今後興味のあるところだ。

 話をしてくれた方も、「業界としてもっと積極的に意見を言うべきだ」と仰っていた。説明責任という点からも、うやむやなまま推進を主張するのではなく、「ただ安全だ」だけでなく、必要性をもっと訴えるべきだろう。そして反対派も、それに対して正面から感情ではなく理論で反論すべきだ。健全な議論こそが、正しい方向へと導いてくれるに違いないと思う。
そんな考えを持ちながら、脱原発の考え方を維持していきたいと思うのである・・・

【今週の読書】

警視庁似顔絵捜査官001号 - 戸島 国雄  逆説の日本史 20 幕末年代史編3 西郷隆盛と薩英戦争の謎 (小学館文庫 い 1-35) - 井沢 元彦





   

2013年12月1日日曜日

ニュースより

 尖閣諸島を巡る中国の挑発は相変わらず続いている。先日はついに防空識別圏まで設定してきた。防空識別圏は領空とは違う。領空近くに設定し、ここに無届けの航空機が接近してくると、領空侵犯を警戒して防空戦闘機がスクランブルをかけてくる。それは、「ここは俺の縄張りだ」という威嚇行為である。

 中国がそれを設置してきたという事は、今後日本の航空機が近づいたらスクランブルをかけられて、場合によっては追い払われるという事になる。それが嫌ならあらかじめ飛行計画を提出しなければならないが、それは中国の権利を認めた事になる。尖閣諸島も今回の防空識別圏に入っているから、自ずと「ここには中国の権利がある」と認める事になる。我が国としては、到底看過できないわけである。

 どうなるのだろうと思っていたら、CNNでデカデカと米軍機のアクションを報じていた。グアムの基地から飛び立ったB52爆撃機が、この防空識別圏を飛行したという。“爆撃機”というところが、米軍もいやらしい。というのも、「足の速い」戦闘機ならいざとなったらすぐ逃げられるが、「足の遅い」爆撃機だとそうはいかない。という事は、初めから逃げるつもりなどないわけで、「やれるならやってみろ」という挑発に他ならない。スリルある「ピンポンダッシュ」ならぬ、悠然たる「ピンポンウォーキング」である。

 これに続いて自衛隊機も飛行したらしいが、果たして米軍がいなくてもやるだろうかと思うと、「挑発に挑発で応える」ような行為はやらない我が国のやり方からすると、答えは簡単だ。となると、やっぱり米軍のプレゼンスは大きいと思わざるを得ない。実際、米軍がいなければ尖閣諸島はあっと言う間に中国に取られているだろう。上陸されて居座られたら、抗議などカエルの面に何とやら。竹島が良い例である。

 沖縄の米軍の重要性もわかるというもので、基地を県外になどと言っている場合ではない事になる。「それはそれ、これはこれ」では、あまりにも虫がよすぎる。そうなると、安倍政権にも強気で行けという感情も出てくるのかもしれない。ただでさえ「右傾化」と批判されているのに、呼応していたらよけいそうなるのだろう。

 と思っていたら、突然の如く出てきた「秘密保護法案」がここに来て衆院を通過し、さらに日本版NSCが表面化している。憲法改正の主張も従来通りだし、たぶん安定政権の座を手に入れたからこそ、今まで出来なかった事を一気にやろうとしているのだろうが、どうだろう。

 それらに対しては、当然ながら「戦争をする国になる」と危機を煽る声が出てくる。だが、それはあり得ない不安だろう。20世紀初頭とは明らかに世界情勢も違う。戦争が国家間の紛争解決の一手段だった当時と、今やそれをやるのは世界でアメリカだけという現代とを同じに論じるのはナンセンスというものである。いたずらに危機感を煽っているだけで、本当の問題点をきちんと議論できていない。

 ただそうは言っても、こうしたニュースが続くのは気分的には良くない。アベノミクスと言っても、当分個人の財布にはマイナスの影響しかないだろう。物価が上昇していって、インフレが続けば借金の価値も減る。そんな「借金解消」方法を狙っているという主張もあるが、あながち的外れとも言えない。

 議員定数削減とか、国家公務員の削減とか、一時威勢の良かった意見はもうどこかへ消失してしまった。尖閣諸島問題では、米軍頼み。基地問題はとにかく沖縄に押し付けて終わり。支出の議論をしないまま、消費税を上げて済まそうとする。そこには、自分が痛みを耐えて何とかしようとする意思が感じられない。

 何だかなぁ、と思うものの、妙案はない。それよりももうすぐ支給されるボーナスを心待ちにしている自分がいる。実に小市民的であるが、何ができるかと考えてみれば何もできないのだから仕方ない。そう言い切ってしまうのも無責任な気がするから、当面はこうしたニュースに興味を持っていようと思う。

 それがせめて自分に出来る事だと思うのである・・・

【今週の読書】
警視庁似顔絵捜査官001号 - 戸島 国雄 逆説の日本史 20 幕末年代史編3 西郷隆盛と薩英戦争の謎 (小学館文庫 い 1-35) - 井沢 元彦








2013年11月24日日曜日

銀行員の転勤

同僚が一人、夕礼で最後の挨拶をし、転勤していった。
銀行員にとっては、日常の光景である。
私も銀行に入って25年。
この間、9回転勤した。
大体、3年が一つの目安である。

 銀行によって、パターンは違うのかもしれないが、我が銀行は、だいたい金曜日に辞令が出る。そして3~4日間の引き継ぎ期間を経て、次の任地に赴く。もっとも早いパターンだと、翌週の金曜日には、もう次の職場にいる事になる。銀行に入ってからこれが当たり前だったから、特に何も思わなかったのだが、いつだったか、知人から辞令が下りてから次の職場に行くまで1ヶ月ほどあると聞いて驚いたものである。なぜ銀行員はこんなに慌ただしく転勤するのか。

 その理由を知ったのは、銀行に入ってだいぶ経ってからだったと思う。それは「不正防止」である。何せ人間の欲望を満たす、最も手っ取り早い道具であるのが、「お金」。そんなお金を日常的に、(しかも大金を)扱っているわけで、良からぬ行為に走る人間も出てきてしまうというもの。転勤に際しては、万が一の場合、証拠隠滅を図る余裕を与えないというのが狙いなのだろう。

 不正にも、横領や取引先との癒着などいろいろある。本人にその気がなくとも、取引先から接待攻撃を受け、知らず知らず、あるいは断り切れず、受けられない頼みを聞いてしまう事もある。先輩たちの悲惨な例を、事あるごとに聞かされていたが、実際自分の身近でもそういう例が過去にはあった。

 その人は、かなり年配の(と言っても今の私より若かったと思う)預金課の人だった。それは、その人の転勤の辞令がおりて間もなくのことだった。何だか支店長・次長の姿が見えず、役席者もこそこそそわそわしている。我々若手は、「何かあったの?」と囁き合っていた。そこへいつも利用している司法書士さんが、「頼まれていた登記簿謄本をお持ちしました」とやってきた。

 司法書士さんからいつものように謄本を受け取って、ふと所有者の欄を見ると、その預金課の人の自宅の謄本だった。その瞬間、すべてわかってしまった。普通、行員同士で自宅の登記簿謄本を取ったりはしない。互いのプライバシーでもあるからだが、「謄本を取る」とはすなわち「資産状態を調べる」という事に他ならず、「資産状態を調べるような事が起こった」事にほかならなかった。

 後で判明したのであるが、その人はお客さんから入金を頼まれて預かったお金を横領していたのである。自分がいる間は、うまく何らかのやりくりをして発覚しないようにしていたらしいが、転勤となって万事休すとなったようである。詳しい事情までは聞けなかった(その人は発覚後すぐに別の銀行の施設に軟禁され、一切の接触を断たれて事情聴取を受けたらしい)が、いずれわかる事を何でやっていたのか、それほど追い詰められていたのかと思ったものである。

 間違いなく、懲戒免職になっただろうし、当然その後損害金は弁償させられただろうし、家族に何て言ったのだろうかとか、いろいろと考えさせられたものである。転勤で発覚というのも多いらしいから、辞令を出して有無を言わせずすぐに異動させるのも、経験則から来る知恵なのかもしれない。

 同じ理由で、在任期間が長くなると、強制的に一週間の休暇を取らされる制度もある。何もやましい事がなければ、ありがたい話であるが、そうは問屋が下ろさず、私もこの休暇を目前にして辞令をもらった事がある。その時は滅茶苦茶忙しく、「転勤(で引き継ぐの)も休暇もどっちも不可能だ!」と叫んだのを覚えている。

 顧客の接待もかなり誘惑度数は高い。かつて某支店の融資責任者だった時の事、ある取引先から韓国に行こうと誘われた。その取引先は、銀行融資が頼みの綱。私が何かとスピーディーにうまく対応していたから、社長も商売がやりやすくなったと喜んでくれていた。そのお礼という事で、悪意も下心もない純粋なお誘いだった(と思う)。

 韓国ツアーと言っても、観光地を回るわけではなく、ソウルのホテルに泊まって「ガイド付き」で遊ぶというもの。ガイドは24時間フルアテンド。もちろん若い女性である。かなり心が動き、具体的な日程の算段までしたが、寸前でお断りした。今でももったいなかったと思うが、その時は問題なくてもあとで何がどうなるかわからない。今でもそういうツアーあるのだろうかと、ふと思う。


 さすがに今のように問題先担当となると、相手も余裕がなくなるから、そういう“心配”もなくなる。ただ、担当が長くなると休暇を取らなければならないというルールは不変。接待はなくとも、「良からぬ私情」が混じる可能性もあるという事だろうか。そのうちまた異動となるのかもしれない。

 転勤となれば、環境も変わる。仕事も同僚もガラリと変わるわけで、マンネリ防止という意味でも個人的にはありがたいと思う。良い環境だと離れ難い想いが残るが、そうでない時は再スタートの区切りとなる。何にせよ、こういう環境にある以上、それをいい意味でとらえてこれからもやっていきたいと思うのである・・・

【今週の読書】
歪笑小説 (集英社文庫) - 東野 圭吾








2013年11月17日日曜日

ディズニーランド雑感

 昨日は、半年に一度の我が家恒例のディズニーランド。もっとも、春は娘の進学行事で時間が取れずに行けなかったので、一年振りという事になる。8時の開園を目指して家を出るも、非情な首都高の渋滞。結局、早ければ1時間かからないところを2時間以上かかってしまう。

 中に入れば、さっそく“スタンドバイ”と“ファストパス”取りに分かれる。家族が“スタンドバイ”で「ビッグサンダーマウンテン」に並ぶ間、私は「スプラッシュマウンテン」のファストパスを取りに行く。ちなみに、これらの選択はすべてすべて妻と子供たちとの協議の結果である。

 この“ファストパス”のシステムは、いつもながら優れていると思う。人気アトラクションだと平気で2時間前後の待ち時間がかかるから、これによって最低限のアトラクションは時間を合わせれば待ち時間なく乗れる。「一定間隔を空けないと取れない」という制限があるから、始めにかき集めるという事はできないが、ある程度の希望を叶えるという点では助かるものである。

 「カリブの海賊」では、列の少し前に中国人ファミリーがいた。最近は中国人も各地に海外旅行に行っているから珍しくもないのだろうが、国内の消費拡大には確実にプラスになるから、望ましい事だと好ましく思う。ところが、そのうちの一人のおばちゃんが、乗りながらスマホでパシャパシャと撮影している。フラッシュ禁止の場所であるにも関わらず、フラッシュをバシバシ焚いて、である。異例なことに注意のアナウンスまで流れたが、最後までどこ吹く風だった。

 たぶん、禁止を知らなかったのだろうし、注意放送も日本語だったからわからなかったのだろう。園内には中国語の表記があちこちにあるが、あれは北京語か広東語かわからないがすべての中国人に理解できるとも思えないし、わかりやすい絵などを利用するしかないのだろう。それでも以前見かけた大胆な割り込みおばさんと違って、きちんと並んでいたから、日本の「並ぶ文化」を理解してくれていたのだろう。

 今回は、カヌーに初挑戦。体を動かすアトラクションというのも悪くない。ちなみに、私のお気に入りのアトラクションは、「ウエスタンリバー鉄道」と「カリブの海賊」だ。どちらものんびり乗っていられるし、眺めも気に入っているし、何より好きなのは雰囲気だろうか。残念ながら、家族の意向と一致しないと乗れないという欠点がある。

 昨日はけっこう混んでいた。しかしながら、あらかじめ混んでいるのは想定済みだった事もあり、我が家は諦めも早い。いつも利用しているバズライトイヤーのアトラクションは、結局断念。「また今度」という気楽さがあるから、「断腸の思い」などという切実なものはない。だが、途中で「毎年なんて来られるわけないでしょ」とどこかのお母さんが子供に言っていたが、地方の人だとそうもいかないから、我が家はありがたい立場にあると言える。

 “ファストパス”のシステムがあっても、利用に制限があるから、長い“スタンドバイ”の待ち時間は避けられない。されど、それも考え方一つだ。各アトラクションとも、待機スペースに工夫が凝らしてあって、話題に利用できる。中一の娘には英語の勉強にもなったりする。昨日は“mine”という単語を覚えたハズ。学校では、“I,my,me,mine”と習ったというが、ビックサンダーマウンテンでは「掘る」だ。あれこれ単語を指して、話をしているといい時間潰しになった。

 夢と魔法の国でも、食事は“対象外”のようで、どうにも貧弱。ランチは「カレー」という名前のものを食べたが、まあないよりはマシとしないといけないのだろう。ちょっとしたものを買うにも行列。結局、アトラクション優先で動いていたら、夕食を食べそこなってしまった。それでも家族は満足だから、まあいいのだろう。

 早起きして、渋滞の首都高を走り、一日混雑した園中を“ファストパス”を求めて東奔西走し、パレードの場所取りでコンクリートの上に1時間座って待ち、閉園後に子供たちが寝息を立てる中、深夜の首都高をドライブして帰宅。疲れるのも道理であるが、こういう事も子供たちが家族と共に遊びに行く間だけだと思うと、大切にしたい一時と言えるかもしれない。

 子供たちが楽しそうにしている間は、体力維持に努めようと本気で思うのである・・・







2013年11月9日土曜日

ルールは何のために

 最近、仕事において「ルールの運用」で頭を煩わされている。本来ルールとは、何か目的があって、その目的を達成するために設けられているものだと思う。しかし組織になると、「ルールの運用」それ自体が目的となり、肝心の本来の目的がどこかへ飛んでしまうという事が起こるのである。

 例えればわかりやすい。以前北海道で、ニュージーランドから来日していたマオリ族の女性が温泉に入ろうとしたところ、「入れ墨禁止」ルールにより利用を断られたとニュースでやっていた。この女性は民族の伝統的な入れ墨を顔にしていたらしい。

 「入れ墨禁止」のルールは、こういった入浴施設やプールなどで最近よく見かける。その目的は、「暴力団排斥」だ。本来、「暴力団排斥」のために設けたはずの「入れ墨禁止」というルールが、いつのまにか独り歩きし、挙句にまったく関係ない外国人に適用されてしまったのである。本来の目的をきちんと理解していれば、こんなバカな事は起こらない。

 私も組織で働いている以上、ルールを守る事は当然だと考えているが、常にその「ルールの本質」を考えている。
「何のためのルールなのか」
それを見失うと、このニュースのようにおかしな事になるのである。大きな組織になると、こういう事が起きるのである。

 だが、厄介なのは、事はそんなに簡単ではないという事だ。ルールをバカみたいに守る方にも、それなりの理由はあるわけである。例えば「入れ墨禁止ルール」にしても、最近は若い女性でもタトゥーをしていたりする。明らかに暴力団でないとわかる人もいる。そういう“本来はOKな”人でも、このルールではダメとなる。まさに、ニュースのような事が起こってくる。

 ではその都度、「君はOK、あなたはダメ」と現場で判定できるだろうかと言えば無理だろう。ダメと判定された人は当然、「何でだ!」と食ってかかるだろうし、パートやアルバイトさんではそれに対して対応できないだろう。
また、外国人なら良いかと言うと、たとえば映画など観ていていると、アメリカのヒスパニック系のギャングなど、派手なタトゥーをしている人たちが登場したりする。そんな見るからに威圧感たっぷりのタトゥーをした人が近くに来たら、普通の人は安心して利用できないだろう。そんな人たちには、むしろ“No”と言ってもらいたいが、「君はOK、あなたはダメ」を誰がどうやるのか、という問題が出てくる。“一律No”もそれなりに理屈としては正しいのである。

 我が職場でも、ルールの適用を巡ってしばしば議論となっているが、「では誰がOKか否か」を判定するのかという難しさがある。上司が判定するのが一番だが、「人によって判断が分かれる」となれば、当然「ものわかりの悪い」上司の下では不満が生まれるし、その上司自身が「ルール厳格適用者」だったりする事もある。

 「ルール厳格適用者」からすると、それは立派に合理的な判断。いくら「本来の目的と違う」と言われても、ルールに従っている以上、(組織上)批判はされない。冒険を犯してモノわかりの良い上司にならなくとも「無難」であるし、減点もされない。自分で考えなくても良いから楽だし、傍から見てどんなにおかしくても、それは自分の責任ではなく、ルールを作った人の責任である。こうして、「お役所仕事」は出来あがっていくのだろうと日々実感している。

 どうしたら良いのだろうかと考えても、なかなか妙案は浮かばない。ただ、自分としてはどうしたいのかと考えて実践していくしかないだろう。自分が温泉施設の人だったら、かの女性の利用は認めるだろう。もしそれで他の利用客から文句が来たら、受けて立つしかない。なぜ、その客だけルール適用外とするのか、その説明をとことんするだろう。もちろん、それで相手が納得するとは限らないが、だからといって安易にルールの陰に隠れたいとは思わない。

 目を瞑ってルールを守っているのが一番楽だろう。どちらも同じように何か言われるとしたら、「ルールに従っている」のと「ルールの適用外としている」だったら、「ルールに従っている」方が遥かに楽だ。「文句があるならルールを作った奴に言え」と言えるからだ。それに下手に「適用外」として、その判断が間違っていたら、というリスクも負わなくて済む。あれこれ考える必要も手間もない。

 そう考えて行動する人を悪いとは思わないが、自分がそうしたいとは、やはり思わない。ルールの陰に隠れた方が楽だろうが、「そんなのは嫌だ」と思う性格だから仕方ない。と言っても、安易にルールを無視しても構わないと言いたいのではない。そもそも目的さえ外していなければ、ルールから多少外れても問題はないものである。ならば、目的に適うような行動を取りたいと思うのである。

 ルールを曲げて、かの女性の入浴を認めた結果、もしも他の2~3の客やあるいは同僚から批判を浴びたとしても、世間的に批判される事にはならないだろう。それが「目的に適っているかどうか」であると思う。
「常に考えて行動したい」
仕事においても何においても、そうしたいと思うのである・・・

【今週の読書】

55歳からのハローライフ (幻冬舎文庫) - 村上 龍   






2013年11月4日月曜日

女性社会

 最近、世の中は女性を中心に回っているように思う。スポーツの世界では、男子がなかなか活躍できないマラソンやサッカーで世界一を争っているし、身近な例でもそう感じる事が多い。例えば、母校の高校でやっている海外短期留学に応募してくるのは圧倒的に女の子だし、面接で合否を判定する段になると、上からずらりと女の子が並ぶ。

 消費でもグルメ、ファッション、旅行などは女性をターゲットにしないと成り立たない。会社でも、ランチタイムに男は大概社員食堂で済ましているが、女性は結構会社の外に出て行っておいしいランチを楽しんでいる。男同士では、「飲みに行こう」だが、相手が女性になると「おいしいものを食べに行こう」になる。

 男同士で「旅行に行こう」とはあまりならないと思うし、必然的に業界もそれに応じた対応を取るのだろう。そんなのを見ていると、男に比べ女性の方が遥かに人生を楽しんでいるように思える。女性の社会進出も話題になって久しいし、そういう風潮はテレビ番組にも現れている。少し前まで、息子は「戦隊モノ」が好きでよく観ていた。我々の世代では、「ゴレンジャー」などと言っていたやつだ。5人の戦隊の構成は、昔は男4に女1だったが、今は男3に女2となっている。

 さらに38年振りにリメイクされた「宇宙戦艦ヤマト2199」で、新たに追加された新キャラクターは5人ともみな女性だし、以前は「生活班」担当だったヒロインは「船務長」(レーダー、通信、航空管制担当)という戦闘色の強いものに変わっているし、新キャラクターにはパイロットもいる。世の中、男の活躍の場は確実に狭くなっている。

 しかし、そうでない分野も当然ある。女性の社会進出という掛け声はなされており、形の上では雇用機会均等が謳われているが、子育てが絡むとまだまだ壁が厚く、このあたりの負担は今だ女性の負うべきハンディとなっている。それに例えば夫婦共働きで、夫が地方転勤となった時、妻がついていく(つまり自分の仕事を諦める)ケースが、まだ一般的だろう。

 ただ、夫について行ったその地で起業してしまったりとか、ニッチなマーケットを対象に好きな分野で起業したりという女性も身の周りにいる。夫が生活費を稼いでいると、「安心して好きなことができる」というメリットがあり、専業主婦では満足できない女性などには絶好の環境かもしれないと思える。男と比べて会社に縛られていない分、女性には起業というフィールドで活躍する余地が大きいのではないかと思われる。

 女性の活躍それ自体は良い事だと思う。いつまでも「男が主、女が従」という関係がいいとは思わないし、対等は大いに結構だ。ただ気になるのは、男が小さくなっていく事だ。女性の元気に押されて委縮しているような気もしなくもない。下手をすると、「女が主、男が従」となりかねない。それでいいのかと言えば、それは違うだろうと思う。もうそうなってしまっている我が家の事は棚に上げるとして、そこは踏ん張らないといけないだろうと思う。

 先日、「キラキラネームランキング」というのを目にした。それによると、

1位:昊空(そら)
2位:心愛(ここあ)
3位:希空(のあ)
4位:希星(きらら)
5位:姫奈(ぴいな)
6位:七音(どれみ)
7位:夢希(ないき)
8位:愛保(らぶほ)
9位:姫星(きてぃ)
10位:匠音(しょーん)

となっている。

 ちなみに、これはペットの名前でなく、人間の子供の名前だ。「なんじゃこりゃあ!」と、思わず松田優作の古いセリフが蘇ってくる。小学校の頃に、同級生にこんな名前のやつがいたら、絶対いじめていたと思う。このキラキラネームの首謀者は奥さんだと思うのは、疑い過ぎだろうか。

 渋谷や代官山あたりでベビーカーを押しているヤンママなどを見ていると、子育てすらファッション感覚ではないかと思うが、それが名付けにも現れているような気がしてならない。女性が活躍する社会というのは、間違いなく平和な社会であろう。血なまぐさい争いが続出している“腕力の”社会では、そうはいかない。そういう意味では、現代の日本は良い社会を実現できていると言えるのだろう。それでもまだ、女性側からの不満は絶えないだろうし、まだまだ改善の余地は大きいのだろう。

 ただ、気になるのは、それと比例して男がどうなって行くかだ。女性に負けじと人生をエンジョイする方向に行けばよいと思うのだが、おかしな方向に行っても困る。その昔、松本零士の漫画で、「男が化粧をし、ハイヒールを履く」軟弱な男たちばかりとなった未来社会を描くものがあった。当時は奇想天外な空想と笑っていたが、だんだんと笑えなくなってきているのではないだろうか。

 これからの時代、男はどう生きるべきか。女性には不自由なく振舞ってもらえる社会を築く一方、男としての矜持は保たねばならないだろう。まだママの後を追いかけまわしている我が息子は、大丈夫だろうか。取りとめもない事を、あれこれと考えてみた連休の夜である・・・




2013年10月29日火曜日

ラグビー観戦

 週末の日曜日は久しぶりに母校の大学のグラウンドへ足を運び、後輩たちの公式戦の応援に臨んだ。「ラグビーは冬のスポーツ」というイメージが、かつて世間には広まっていたが、実際のところは今がシーズン真っ盛り。4年生にとってみれば、残りあと一ヶ月ちょっとの現役生活。本当は、現役の試合前にOBの試合があったのだが、春先に痛めた足がいまだに調子悪く、今回は参加を断念した。

 スポーツの秋という言葉がぴったりするような好天気。じっと観ていると少し寒いが、試合に出る者にはちょうど良い気候だろう。このところ、ラグビーと言えばテレビ観戦ばかりであったが、グラウンドに足を運んでナマで観戦するのがやっぱり一番。選手たちの息遣いや、テレビには写らない動きなどがよくわかるという利点がある。

 試合前には、相手の実力をあれこれと想像するものである。今シーズンそれぞれ同じ相手と戦ってきており、その結果を見て少しでも有利な点を探そうとするのである。例えば同じグループで、実力一と想定される立教大学に、うちは17-58で負けているが、今回の相手は14-80で負けている。それだけ見れば、うちの方が“理論上は”強いとなるわけである。

 もちろん、そんなのは気休めでしかないのであるが、それでもその気休めが少しの自信となる。やる前は、「絶対勝つ」と強く思うものであるが、ただ思い込むだけでなく、相手より少しでも有利な点を見つけ、勝てるという自信に加えたいものなのである。過去の対戦成績が良くない相手であれば、尚更そう思うのである。

 試合前の軽いアップが終わり、キックオフの瞬間が近づく。選手たちはキャプテンを中心に円陣を組んで、出陣前に気持ちを高める。キャプテンがメンバーにかける言葉に、みんなが絶叫で応える。かつては自分もあの円陣の中にいたのだ。見ているこちらも自然と胸が熱くなる。

 キックオフで試合が始る。最初のうちこそ卒業後にできた観覧席に大人しく座って観ていたが、やっぱり立って観る事にした。その方が随時移動して好きなポジションで観る事ができる。観ているOBたちからも、時折檄が飛ぶ。私の場合、性格もあるのだろう、こういう時は黙ってじっくり観る。

 しかしながら、観るのも苦痛に思う時がある。「自分だったら・・・」ともどかしく思ってしまうのである。もちろん、かつてならともかく、今の自分がグラウンドに出ていっても大した事はできない。頭の中の自分はいまでも最高のプレーヤーだが、哀しいかな肉体は遥か後ろに置いてきぼりだ。

♪同じゼッケン誰かがつけて、また次のシーズンをかけていく♪
ユーミンの「ノーサイド」の歌詞が脳裏に浮かぶ。やっぱり、背番号「6」の選手に目が行く。自分と比べてどうだろう。それにしても、果たして一体今までに何人の選手があの番号をつけたのだろう。そのうち大集合したら面白いかもしれない。

 月に一回、老OBが集まったシニアチームが練習をしている。私もこの春から参加している。かつては、「タックルができなくなったらラグビーはやるものではない」とうそぶいていたが、「まあ、そうカタイ事言わず、ランニングの延長だと思って」やる事にしたのである。でもやっぱり心のどこかで、まだガンガン当たる激しい試合をしたいと思っている自分がいる。

 ハーフタイムに席に戻り、2つ上の先輩と話をする。仕事の事少々、子供の事半分、その他諸々。先輩の子供が、私の母校である都立高校を希望していると聞く。残念ながらラグビーではなく、野球が希望らしい。さすがに、昔みたいに女の話はしない。

 善戦空しく、後輩たちは惜敗。そう言えば、自分達も4年間勝てなかった相手だったと今さらながら思う。負けはしたものの、日頃よく練習しているというのは、試合を観ていればよくわかる。冷静に考えてみて、もしも自分達が現役の頃のチームと今の現役とが試合をしたら、たぶん今の現役の方が強いような気がする。

 いくら練習していても、相手のある話だから仕方がない。また次の試合に期待したいところだ。試合は残念だったが、久しぶりに母校のグラウンドに行き、もはや人工芝グラウンドで懐かしい土の匂いと枯れた芝の匂いを嗅ぐ事はかなわなかったが、何となくあの頃のエネルギーが湧きあがってきた気がする。

 また一週間、「めげず・くじけず・へこたれず」頑張ろうという気になって帰ってきたのである
・・・
    



【本日の読書】
「これから」を生きるための授業 ハーバード・ビジネススクール 昨日までの世界(下)―文明の源流と人類の未来 (日本経済新聞出版) - ジャレド・ダイアモンド, 倉骨彰






       

2013年10月24日木曜日

雑感記録

 日々あれこれと感じている事、考えている事を綴る事にしたこのブログ、最近更新頻度が減ってしまっている。書く事がなくなってしまった訳ではなく、ただ時間がないのである。記録される事なく、消失してしまっている己の雑感が、ちょっともったいない気もする。と言っても、実はそれほど大した内容ではない事が大半である。

 今週は仕事で外出し、某JRの駅前でチラシを配っている白衣の女性を目にした。ついいつもの癖で、チラシはもらわずにスルーしてしまった。通り過ぎながら耳にしたのは、「マッサージ」という言葉。どうやらマッサージ店のPRだったようである。

 駅前でチラシを配っていると言う事は、まだ「お客さんが多くない」という事だとすぐ思う。お客さんが十分来ていれば、チラシなど撒く必要もない。またチラシを配っていたのが、白衣の(中年の)女性だと言う事は、おそらく施術されるご本人。しかも年齢からすると、「雇われている」人というより、オーナーご本人かあるいはその共働きの配偶者なのかもしれない。アルバイトを雇う余裕までないのだろうか、などと想像してみたりする。

 「てもみん」のようなチェーン店なら、アルバイトにやらせるだろうから、恐らくは独立系の個人事業者なのだろう。まだオープンして間もないのだろうか?駅前という事は、すぐ近くに、すなわち駅ビルなどの周辺に店舗があるのだろうか、それとも少し離れた住宅地だろうか。住宅地であれば、この時間(午後3時頃)に配っているのは何か戦略的な意図があるのだろうか、それとも単にお客さんがいなくて暇なのだろうか。どうせならサラリーマンをターゲットにし、朝の通勤時間帯にやっても良いのではないだろうか。この時間だと、お客さんが来たら留守番からすぐコールが来て店に戻るのだろうか。あれこれ想像が膨らむ。

 京浜東北線に乗り込む頃には、「チラシをもらっておくんだった」と後悔していた。そうすれば、あれこれと想像した事に、ある程度の答えが得られたはずである。いつもはゴミになるから受け取らないようにしているチラシ。受け取るのは、ティッシュ入りのものだけ(ティッシュ入りは我が家の奥様に、「とにかくもらえ」と厳命されているから条件反射的にもらっているのである・・・)。今度からもらうようにしようと思う。

 チラシをもらう事の効能は何だろうと次に思い巡らせる。まず上記のような想像の答え合わせができるだろう。それに例えその店に行かなくても、もらうだけでも配っている人は喜ぶかもしれない。長い時間配っていて、手にとってくれる人が少なければ、配る人の精神的な疲労も大きいかもしれない。さり気ないゴミ拾い以外の「一日一善」にしても良いかもしれない。

 そう思うと、よく我が街の駅頭で配っている政治家のチラシも、気になる政党以外にももらう方が良いかもしれない。たとえそれが嫌いな共産党であったとしても。という事を考えていたら、次の日その共産党の方がさっそくチラシを配りながら演説をしていた。「ブラック企業を規制します」というチラシだった。

 「サービス残業代は“倍返し”よっ」と「雇用のヨーコ」という名のキャラクターが宣言している。結構面白い。
「ブラックな実態を公表させる」
「パワハラをやめさせる」
と威勢が良い。
「どうやってブラック企業を見つけるのだろう?」
「生きがいを感じて進んで長時間労働している人はどうするんだろう?」などと思考は広がる。毛嫌いせずにチラシをもらってみたら、案外ちょっとした娯楽になったと気がついた。

 振り返ってみても、「思考の記録」なんて大げさなものではない。タイトルにある通り雑感記録なのであるが、そんな事もあとで読み返してみると、自分でも楽しめたりする。やっぱり、何とか時間を確保して、この「趣味」に没頭する一時を確保したいと思うのである・・・

【本日の読書】

昨日までの世界(下)―文明の源流と人類の未来 (日本経済新聞出版) - ジャレド・ダイアモンド, 倉骨彰




 

2013年10月19日土曜日

好きこそものの上手なれ

 息子は今、ヒップホップダンスを習っている。その始りはまったくの偶然で、たまたま訪れたスポーツクラブでヒップホップをやっているのを見た息子が、「やってみたい」と言ったらしい。これから学校の授業でもやるようになると聞いたため、「それならやらせてみるか」となったのである。

 自分としては、ダンスなどに興味の“き”の字もなく、見るのもやるのも関心が湧かない。されど、だからと言って息子を自分の興味のある分野にだけ向かわせるのもどうかと思うから、まあ反対はしなかったのである。

 さて、そんな息子のヒップホップであるが、先週「発表会」があった。日頃の練習の成果を披露しようというわけである。妻はともかく、自分は普段の練習をまったく見ていない。だから、どんな様子なのかもわからないし、ヒップホップをどんな感じで踊るのかもわからないから、興味深々であった。

 そして当日。
いつもの教室をそのまま舞台にして子供たちが順番に登場する。息子は第一陣として登場。総勢20人くらいで、さらに4つのグループに分かれて順番に踊る。男の子は4人だけ。圧倒的に女子の世界である。目の前で子供たちが踊るヒップホップというのも、何だか微笑ましい。

 第一グループは幼稚園児くらいの女の子二人。息子は第二グループで登場。みんな小学校低学年くらいの男女4名ずつのメンバーである。音楽に合わせて踊りだすも、何だかぎこちない。何となく周りに合わせて体を動かしている感じで、それはほんのコンマ何秒か体の動きがずれている事からそう感じるのである。他の子も見ていると、それぞれでだいぶ印象が違う。

 中には「うまいな」と思わされる子がいる。子供たちは上は中学生くらいまでいるが、さすがに中学生くらいになると、「うまいな」と思わされる子も増えてくる。うまい子とそうでない子。その差は何なのだろうと考えてみた。

 観察していると、その差は「楽しそうか否か」であると感じる。「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。好きな事をやっている時、人はその時間が楽しいし、あれこれいろいろやってみようとする。息子もお手伝いはおざなりにやってよくママに怒られているが、好きな怪獣遊びだと、周りにあるあらゆるものを基地や武器やその他もろもろに見たて、独自の世界を作り出していつまでも遊んでいる。

 踊る事が楽しくて、面白くてたまらないから、練習時間以外でも体を動かしているかもしれない。息子などは教室で練習する以外はやらない。その差は歴然。「音楽に合わせ、体が動いてしまう」子と、「音楽に合わせ、教えられた通りに体を動かそうとする」子と、同じダンスでも違うものになる事は容易に想像がつく。

 学生時代、ラグビー部に入っていた私は、いつも練習時間の1時間半前くらいにはグラウンドへ行っていた。全体練習が始まる前に、バーベルを上げたりしていたのだ。それは誰からも強制されたものではなく、自分でやりたかったからに他ならない。そういう事は、他の様々な事に当てはまるのではないだろうか。

 良い悪いではない。
決められた時間に来て、決められた時間に決められた通りに仕事をし、決められた時間に帰るという事が悪い事だとは思わない。ただ、少しでも違う事、プラスアルファの事をしようとして、人より早く来たり、人より遅くまで残っていたりして仕事をする人は、おのずと結果も違ってくるだろうという話である。

 息子は、ヒップホップに対してどう思っているのだろう。普段と違って親たちがたくさんギャラリーに居て、緊張と照れくささもあったかもしれない。あるいはもしかして、勢いで始めたものの、あまり興味が持てなくなってきているのかもしれない。好きになれる事なら続ければ良いし、そうでないなら他に目を向けるのもいいかもしれないとも思う。何せ運動神経自慢のパパでも、まったくアドバイスできない分野であるからである。

 これから折にふれ、コミュニケーションをとって気持ちを確かめながら見守っていきたいと思うのである・・・

【今週の読書】

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来 (日本経済新聞出版) - ジャレド・ダイアモンド, 倉骨彰





2013年10月12日土曜日

働く事について考えていること

日雇い派遣、禁止後1年で「解禁」議論なぜ?
 10月4日、政府の規制改革会議は「日雇い派遣」を解禁するよう求める意見書をまとめました。~略~
 日雇い派遣は、労働者と派遣元の契約が30日以内である短期の派遣のこと。仕事があるときだけ派遣会社と雇用契約を結ぶ「登録型」の派遣です。派遣元に常時雇用され、仕事の有無にかかわらず給料が支払われる「常用型」の派遣に比べると、不安定な雇用形態とされています。
 2008年、リーマンショック後の不況により、「派遣切り」「年越し派遣村」などが社会問題化しました。このとき「雇用を不安定にしている」として批判されたのが日雇い派遣でした。その後の「ワーキングプア(働く貧困層)」の増加もあり、労働者保護の観点から、2012年10月の労働者派遣法改正で原則禁止となりました。

THE PAGE 10月10日(木)10時7分配信 
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そう言えば数年前、だいぶ「派遣切り」の事が話題になっていたなと思いだした。
当時から何が問題なのかわからないと、このブログでも書いている。
「派遣斬り」
日本のマスコミは本質的な議論そっちのけで、自分の勝手な思い込みを大々的に拡散し、世論を操作する傾向があるから、ニュースの盲信には気をつけないといけない。
そんなわけで、働く事についていろいろと考えてみた。

働く形態はいろいろあっていいと思う。
例えそれしかなくて渋々就労するのだとしても、「あるだけマシ」という考え方もある。
そもそも「派遣」は、「解雇」を前提とした雇用形態だ。
“切られ”て文句を言うのはおかしいし、企業を批判するのも間違っている。
大企業に勤め、安定した雇用環境にある自分としては言い難い意見だが、それが事実だ。

そもそも人は自分の食い扶持は自分で確保しないといけない。
太古の昔からそうだし、今でも自分で仕事を作るなり見つけるなりしないといけない。
作れなければ見つけるしかないのだが、それには雇い主にうまくPRして仕事をもらわないといけない。雇用主を満足させられなければ、仕事を失う事になる。

日本は、ありがたい事に労働者が強く守られている。
一度雇用されると、企業側の解雇は簡単ではない。
だからいつしか労働者側に“甘え”が生じているのだろう。
その延長上で「派遣」をとらえるから、批判が出てくるのだ。

かつて、外資系の投資銀行の人たちと一緒に仕事をした事がある。彼らは1年ごとに査定があって、そこでダメとされれば即クビになる。求められるパフォーマンスを上げようとする姿は、少々の事ではクビにならない我々とは対照的だった。考えてみれば、プロ野球を始めとするプロの世界も同様だ。収入面での違いはあるだろうが、その精神は見習わないといけないと思う。

よく丸の内界隈で、赤い旗を振ってデモをしているのを時折見かける。外資系の銀行の前で、「不当解雇反対」と看板を掲げている集団を見かけた事もある。詳しい事情は知らないが、「不当解雇反対」と抗議する目的は何なんだろうと思う。解雇を撤回し、再雇用せよというのだろうか。組織から「いらない」と言われた以上、そんな事をしている暇があったら次の仕事を探すべきではないかと考えてしまう。

もしも自分だったらどうするだろう。
業績が悪化して、リストラ対象になってしまったら、その時は潔く辞めるだろう。クビを宣告する人だって辛いかもしれないし、「いらない」と判断されてしまった以上は仕方がないではないか。まぁせめて退職金の上乗せを頼むとか、再就職のため3ヶ月くらいの猶予をくれとか、そのくらいの交渉はすると思うが、基本は辞めるだろう。いきなり海に放り出されるのは大変な事だし、せめてライフジャケットを要求するくらいはしてもいいと思う。

正直言ってその時辛いのは世間体だと思うが、安っぽいプライドは諦めて捨てるしかない。できるのはコンビニのアルバイトなのか日雇いなのか、ひょっとしたら派遣かもしれないし、はたまた雇用の確保に苦しんでいる飲食業界を狙うかもしれないが、そのあたりで一からやり直すしかない。年齢的なハンディは長年培った創意工夫で補い、フリーター如きには負けないくらい働いてみせるくらいの腹積りはある。

まあ思うだけなら誰にでもできると言われそうではあるが、世の中には自営業の人たちがたくさんいる。組織に頼らず、自分の力量で仕事を確保して生活をしている。私の父も一人で印刷屋を経営していたし、そういう友人知人もいる。
そうした人たちに対し、一人世の中に放り出されたからと言って、嘆いたりしがみついたりしているのは実にみっともない。

せめて親父には、「恥ずかしい息子」とは思われないようにしようという心意気くらいはあるから、たぶんそうなっても、掃除でもなんでもやれると思う。
残りどのくらい働けるのかはわからないが、そういう気持ちは常に持っていたいと思うし、そういう気持ちでまた来週からの仕事を頑張ろうと思うのである・・・



【今週の読書】

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来 (日本経済新聞出版) - ジャレド・ダイアモンド, 倉骨彰 






2013年10月5日土曜日

ミディアム霊能者アリソン・デュボア



 少し前まで、海外ドラマ『ゴースト~天国からのささやき~』にハマっていたのだが、最近は『ミディアム霊能者アリソン・デュボア』に興味が移っている。

 『ゴースト~天国からのささやき~』の方は最終シーズンの途中まで観たのであるが、何だか話が大きくズレていくように思え、面白くなくなってきたところに、この『ミディアム』を観てしまい、乗り換えたという次第である。

 『ミディアム』も『ゴースト』と同様、霊能力者が主人公の話である
(ちなみにミディアム=Mediumとは霊媒・霊能力者という意味らしい)。主人公のアリソン・デュボアは、死者と話ができるという点では、『ゴースト』の主人公と同じだが、その他に相手の心が読めたり、夢で未来や過去のワンシーンを見たりといろいろな能力を有している。

 アリソンは弁護士を目指して検事局で働いていたが、ふとしたきっかけでその“能力”を検事に認められ、パートタイムの特別“コンサルタント”として検事局で働き始める。夢を元に犯罪者を特定したり、死刑に賛成しそうな陪審員を選ぶのを手伝ったり、犯人が怖くて嘘の目撃証言をしている証人の嘘を見破った上で助けたり、埋められている死体の場所を特定したりと、大活躍する。

 そんなアリソンは3人の娘の母親で、家庭では夫とごく普通の生活を送っている。ただ、“仕事”が忙しくなると、夫に子供たちの世話や家事を丸投げし、時に夫の不満を招いたりして、仕事と家庭の両立に悩んだりしている。ごく普通のオバさんで、体型もちょっとぽっちゃりしていて、『ゴースト』の主人公メリンダが、美人のジェニファー・ラブ・ヒューイットだったのとは対照的である。

 物語は、大概主人公アリソンの見る夢から始る。それは犯罪シーンだったり、何かから逃げたり、あるいは見知らぬ他人の会話だったりする。本人もそれが何を意味するのかわからないのであるが、やがてそれがストーリーと結びついてくる。死者と話をして死体のありかを聞き出したり、夢をヒントに危機を逃れたり、あるいは心に浮かんだ犯罪シーンを克明に語ったりする。普通の人にはできない芸当で、その能力を高く買うデヴァロス検事やスキャンロン刑事から信頼されまくっている。

 私自身、幽霊の類はまったく信じていないのであるが、どうもこの手のドラマには心惹かれてしまうものがある。それは一つには、「こんな事できたらいいな」という願望なのかもしれない。例えばアリソンの娘アリエルもその能力を一部受け継いでいて、相手の心に浮かんだ事を読みとってしまう事ができる。

 航空技術者で数学の得意なパパが、アリエルに算数を教えようとする。出された問題を次々に解くアリエル。小学生レベルをはるかに越え、パパは「天才だ」と狂喜するが、実はアリエルはパパの心に浮かんだ答えを答えただけなのである。こんな事、できたらいいだろう。

 我々は常に予測不能な未来に向かい、心の読めない相手と対峙している。妻の不機嫌の原因が黙っていてもわかれば(特に自分にその原因があれば尚更)、火がつく前に消し止められるし、自分に寄せる好意を読み取れれば、女性を口説くのも簡単だろう(ふられて切ない想いを何度もする事もなかっただろう)。明日の株価がわかればお金持ちになるのも簡単だ。誰もが解決できない事件を解決する快感は、「名探偵」モノがウケル理由でもあると思う。そんな願望を、知らず知らずのうちにドラマを観ながら己の内側に見ているのかもしれない。


 それにしても、じつは主人公のアリソン・デュボアは実在の人物なのだという。そればかりか、ご主人のジョーやアリエルら3姉妹もすべて実在の家族だというから驚いてしまう。架空のお話ならともかく、ここまで大っぴらに実在の人物をドラマ化して大丈夫なんだろうかと思ってしまう。実在のご本人は著作もあり、その身分を隠していない。

 その能力の真偽はともかく、ドラマはドラマで楽しみたいと思う。実際、願望とは言いつつも、自分の能力ならいいが奥様がそうだったら、いろいろと不都合がありそうだ。まぁ、自分に与えられた自然の能力の範囲内で、慎ましく暮らすのが一番なのだろう。まだシーズン1を終えたところだし、最終7シーズンまでしばらくある。途中で軌道修正する事なく、続いてほしいところである。当面は、楽しめそうなドラマである・・・





【今週の読書】
社長は少しバカがいい。~乱世を生き抜くリーダーの鉄則 - 鈴木喬 昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来 (日本経済新聞出版) - ジャレド・ダイアモンド, 倉骨彰