2011年10月15日土曜日
明学戦
2011年10月14日金曜日
この頃思う事
朝の通勤電車。
池袋から乗る丸ノ内線は始発だから、みんな並んで座ろうとする。
前の人たちはいいが、後ろの方の人たちは残りの席をめがけて殺到する。
その姿は浅ましく、そんな真似をするくらいなら立った方がマシだから、いつも立っている。
こんな人間にはなりたくないなと思うような例は街でよく見かける。
どうしても好きになれない人間はいるし、軽蔑したくなるような人間もいる。
どうしてそんな立ち居振る舞いをするのか、理解に苦しむ事も多いが、考えてみればその人にとってみればそれが普通の事。その人にとってみれば、それが当然の考え方なわけだし、もしかしたら私の事を軽蔑すべき人間と思っているかもしれない。
価値観は人それぞれだとよく思う。
私は親に幾度となく、「常識がない」と言われてきた。
ただ、私にはそんなつもりは毛頭ない。
いつも言い争うと、言い負かすのは私の方だ。
なぜ言い負かせる事ができるかというと、私の言い分の方が「筋が通っている」からだと思うし、常識外れはどっちだという思いもある。
しかしながらどっちもどっちなのだろう。
アインシュタインの言葉は実に的を射ていると思う。
みんな自分こそが正しいのだ。
そしてその「正しい目を通して」世界を見ているのだ。
外出する時に、一生懸命姿見を見てチェックしている人は、自分の基準に照らして、人からおかしく見えないかをチェックしている。
私は姿見こそチェックしないが、これでいいやと選んだ服装で外出しようとすると、「その恰好は一人で出掛ける時にして」と妻に冷たく言われる時がある。
その原因は大概わからないが、従っておく方が無難だという事だけはわかる。
しかし、行動についてはそれを映す鏡はない。
だからみんな自分の行動がどう世間に映っているかわからない。
内側から見る自分は常に正しい。
しかし、外側から同じように見えているかは難しい。
そこに大きなギャップがある。
野村監督は、「評価は人が下したものこそ正しい」と本に書いている。
自分の偏見というフィルターを通していない、外側から見た自分の姿だからなのだろう。
褒められれば嬉しいし、批判されれば腹も立つ。
悲しいかな、自分もそんな典型的な人間だ。
いつも外側から見える自分の姿を意識していたいと思うが、心の中の思いにかき消される事しばしば。言うは易しなのだ。
口は一つだが耳は二つ。
親に対する反論もだが、「2つ聞いて1つ話す」のがちょうどいいそうだ。
そんな事をあらためて意識したいと、この頃思うのである・・・
【本日の読書】
2011年10月12日水曜日
ラグビーはタックルだ
タックルはラグビーの象徴的なプレーだ。豪快に決まれば観ている方もやっている方も気持ちが良い(やられた方はたまらない)。しかし、ラグビーをやっていれば、誰でもがタックルがうまくなるかというと、実はそうでもない。苦手としている人もかなりいると思う。
大概の者は、ボールを持って突進していくプレーは好むが、タックルには初めは抵抗感を持つもの。何せボールを持って勢いよく突っ込んでくる敵に、飛び込んでいくのだから躊躇もしようというもの。特に「守り=受身」と感じてしまうと、よけいである。かく言う私も高校時代はタックルが好きではなく、自分は「アタック型」の人間だと自分に言い聞かせていたものである。
それでも大学へ進むと、ポジション争いも激しくなり、そんな事を言っていられなくなった。
必然的にタックルの練習にも身が入り、いつのまにか抵抗感はなくなった。むしろタックルが好きになり、トライを取るよりもタックルで相手を倒す方に生きがいを感じるようになって今に至る。
しかし、特に体の大きなプレーヤーはこの過程を経ないままの者も多い。
体の小さな者は低いタックルをしないと大きな者を倒せない。
しかし逆は真ならず、体が大きければ捕まえるだけでも相手を倒せる。
身をかがめるのも大変だし、勢い腰の高い「抱きつくスタイルのタックル」になりやすい。
これは体が自分と同等か、あるいは自分よりも小さい相手にしか通用しないが、日本人同士だと体の大きい者はこれでやっていけてしまう。
ワールドカップでJapanの試合を観ていて、タックルが悪いなと感じていた。
タックル好きゆえにそういうところに目が行くのかもしれない。
しかし、何せJapanの選手は国内一流のプレーヤー。
私のような二流レベルが批判するのは、おこがましいというもの。
きっとグラウンドで実際にプレーしてみないとわからないものがあるのだろうと思っていた。
しかし先週末のウェールズvsアイルランド戦を観ていて、その考えは間違いだと気がついた。
予選でランキング3位の南アフリカに敗れたウェールズと2位のオーストラリアに勝ったアイルランドの準々決勝。アイルランドが勝つかと思っていたが、ウェールズの大きな選手が低いタックルでアイルランドの選手に襲いかかる。激しいプレーの連続で、アイルランドの攻撃を阻む。タックル好きの私が、画面に釘付けになってしまった。
結果はウェールズの勝利。
あの低くて激しいタックルが勝利を呼び込んだと言える。
それに比べるとJapanのタックルは情けない。
一流チームの大男があれだけ低いタックルをしているのに、格下のJapanがあのタックルでは勝てない。
思うに彼らは国内では一流で、低いタックルなどしなくともみんな格下だし通用してしまうのだ。アタックは一流だから、そこばかりが強調される。必死になって低いタックルをしなくても、「国内やせいぜいアジアでは」十分に通じる。かたやウェールズは国内で激しい競争があり、代表になってもアイルランド・イングランド・スコットランド・フランス・イタリアとの6カ国対抗戦で揉まれている。大男だって必死の低いタックルを必然的に繰り返すようになる。その差が出たのだと思う。
ワールドカップだって、国内の片隅で行われている草ラグビーだって、ラグビーはラグビーだ。低く激しいタックルはどんな試合だって大きな武器だ。「ボールを持っている選手」を「持っていない選手」が攻撃する方法がタックルだ。それが出来ないチームは格下相手でないと勝てない。Japanがワールドカップで勝てない理由がそこにあると思う。ウェールズのようなタックルをしていたら、少なくとも最終戦のカナダ戦は勝っていたはずだ。
あんなタックルではワールドカップでは勝てない。
Japanと言って威張るのなら、一流らしい低くて激しいタックルの見本を見せてもらいたいものだと思うのである・・・
2011年10月9日日曜日
最後の運動会
幼稚園に通う長男の、幼稚園最後の運動会があった。
当日朝の手伝いをすると、優先的に席を確保できるとあって、妻の指令でお手伝いに応募。
朝も早くからテントの組み立てを手伝い、パイプいすを運び、ロープを張ってとそれだけで一汗かく。その甲斐あって最前列に場所を確保する。
運動会は国家斉唱で始る。
「あの歌わけわかんない」とぼやいていた長男だが、幼稚園の時から訳がわからなくても歌わせるという事は大事な事。国旗・国家について「わけのわからない」反対をする輩は、長男の通う幼稚園にも長女の通う小学校にもいなくて幸いだ。
長男には「かけっこ一等賞」を義務付けていた。
私は9月から週末指導を繰り返してきたし、妻は「2等以下だったらお寿司を食べに行ってもおいなりさんしか食べさせない」と脅していた。
そのかけっこが始まる。あれだけ練習したのに、一人がフライングしてペースを崩し、スタートで出遅れる。4人中4位のスタート。「あちゃ~」と思ったのも束の間、二人を押しのけるようにして抜き去ると、カーブで先頭に追い付き、直線で抜き去りみごと一等賞。二人を押しのけるシーンのビデオは、後世の話題になりそうである。
毎年恒例の親子競技は、「おんぶ騎馬戦」。
親が子供をおんぶして、相手の帽子を奪い合う騎馬戦である。
妻がビデオを構える前を「戦闘区域」に決め、そこを中心に積極果敢に攻める。
混戦の中で周囲に気を配り、油断している騎馬に急接近して帽子を奪う「一撃離脱」作戦で、1回戦では2個、2回戦では3個の帽子をゲット。2回戦とも我がクラス連覇に貢献。私自身、「たかが幼稚園の競技」でも負けるのはプライドが許さないクチである。
最後の選抜リレーにも長男は出場。8人中7番手走者。
6番目がバトンタッチで転倒し、3組中最下位に転落して長男はバトンを受け取る。
最初の10メートルで2位の組を抜き、カーブから直線で追いついてアンカーにバトンを渡す。
アンカーの子は最後引き離して見事チーム優勝。8人の走る順番は各クラスの先生がそれぞれ研究して考えたらしいが、担任の先生も飛びあがって喜んでいた。
私も運動会は大好きだったし、かけっこはいつも一番だったし、リレーの選手にも当然のように選ばれていた。それゆえに楽しかったし、長男にもそれを求めたかったし、結果は上々で本人も大満足だったようである。まあその代りダンス系の競技は、隣の子が間違えると大変な事になるという有り様で、そんなところまで私の血を引いたようであるが・・・
かくして幼稚園の運動会はこれでもうお終い。
親子競技なんて小学校はないし、これが私自身参加する最後の運動会だろう。
いつか懐かしく思いだすのだろうなと、感慨深いものが残ったのである・・・
2011年10月6日木曜日
幸せはお金で買えるか
2011年10月2日日曜日
神経衰弱
きっとあの時の大人たちも同じようだったのだ。
2011年9月28日水曜日
予選敗退
2011年9月26日月曜日
職場にかかる迷惑電話
しかしながらセールスの内容は「投資用マンションを買いませんか」というものだ。
職業柄この手の投資判断はできるつもりで、バカにしたような悪い条件をあたかも良い条件のように言ってくるから呆れてしまっている。まぁそれでも見ず知らずの相手に突然電話をかけてきて、一体どんなセールストークをするのだろうという興味から、最初の頃は相手にしていた。しかしそのうちやっぱりマニュアル通りで、とにかくアポを取ろうとするだけだとわかって、最近はあまり相手にしない。アポを取れば、裏にいる鵜匠が出てきて本格的に“落としにかかる”のだろう。“鵜”である若手はとにかく片っ端から電話して、うまく引っ掛かったカモを鵜匠に渡すまでが仕事なのだろう。
そういう仕事ってどうなのだ、と思う。
当然、そんなのは電話をかけている当の本人も感じているのかもしれない。
そもそもそんなセールスのやり方をしている会社の方が問題で、経営陣が無能だという事に尽きる。サラリーマンなど相手にしないで、こうした投資用のマンションを喜ぶような相手は誰かを考えれば、片っ端から闇雲に電話を掛けまくるなんて頭を使わない営業をする必要もないはずだ。そう考えてみれば、そんな電話をかけさせられている若者こそ気の毒だ。
こうした「下手な鉄砲数打ちゃ」作戦は言ってみれば現代の押し売りだ。
そういう私も独身時代、行きつけの床屋でよくシャンプーなどの新製品を買わされた。
気の毒な気もするが、仕事中だしと断る。
【本日の読書】
2011年9月22日木曜日
トンガ戦に思う
もともと体格に勝るトンガが、強い当たりを繰り返す。
最近では相撲もすっかり外人パワーに席巻されている。
観ているとわからないが、実際にやってみた時、相手とのぶつかり合いというのは試合を左右する大きなファクターだ。体の大きな相手とぶつかりあっていると、始めはよくてもじわりじわりとダメージは残る。スタミナのロスも体の小さい方が大きい。
大学3年の時の公式戦で対戦した成城大学戦の事だ。
案の定、初っ端から押されてゴール前まで追い込まれる。
その後トライを奪い返し、一進一退。
結局その試合は、6-7で1点を追い掛ける展開となった。
相手は体の大きさに反してあたりは弱い。
いけるという感覚は最後までなくならず、攻めまくった。
日本代表の次の試合は最後となるカナダ戦。
2011年9月18日日曜日
大敗
ラグビーはトライで5点、その後のゴールキックで2点、ペナルティキックで3点が入る。したがって点数はそれなりに入るが、それでも83-7という数字はワンサイドゲームだ。私もそういうワンサイドゲームの経験がある(もちろん、負けた方だ)。その相手は学生時代に対戦した天下の早稲田大学。日本対オールブラックスよりももっと差はあった。練習試合は何回かやってもらったが、相手はいずれも5本目(=5軍)、6本目といったレベル。それでも勝てなかったのだが、私が3年の秋に何と対抗戦グループの公式戦で対戦したのだ。
公式戦となると、両校とも礼儀として一本目(=1軍)が出る。三沢競技場で有料試合として行われ、私も家族や友人たちに声をかけて来てもらった。相手はほぼベストメンバーを揃えてきた(日本代表の合宿に呼ばれた2名だけが欠場)。前早稲田大学およびサントリー監督の若き日の清宮もその中に入っていた。何せラグビーでは2流(3流ではない!)の国立大学が、学生チームのトップクラスとやれるのは大きなチャンスだ。勝てないのは当然だが、同じ土俵に立つ以上は精神的には対等だと思って試合に臨んだ。
結果は0-114。惨憺たるものだ。
ディフェンスでは、味方がきちんと相手を止めていれば、次のプレーヤーは次の展開に備えて動ける。その結果ディフェンスも早くなるし、早いディフェンスは攻撃側にプレッシャーを与えミスを誘う。それをやられてしまい、せっかく攻めてもあっという間にボールを奪われ、蹂躙される。その連続である。せめて1トライくらいはと思うものの、手も足も出ないままにノーサイドのホイッスルを聞いた。
かたや全国レベルの人材が100名以上集まって日々切磋琢磨するチームと、かたや2流、3流のチームでラグビーを齧った経験者半分プラス大学でラグビーを始めた初心者半分のチームとの、それは悲しいほどにもリアルな差だった。それ以降、早稲田大学とは公式戦で対戦する機会はない。
ただその試合がまったく無意味だったわけではない。それ以後の試合相手からは強いという印象を受けなかった。当然と言えば当然だ。一人一人みんな「早稲田に比べれば」当たりも弱いし、スピードも遅い。息つく間もなく攻められる事もない。そういう強い相手と闘った経験は次に生きてくる。
例えば1部リーグで全敗したチームが、2部リーグで全勝したチームと闘っても、勝つ可能性が高いのは、例え全敗であっても強豪上位校と対戦した経験がバックにあるからに他ならない。そういう事を肌で感じた経験であった。次のトンガはオールブラックスと比べれば「弱く感じる」だろうし、こじつけかもしれないが、日本代表のこのあとの試合に期待したいと思うのである・・・
2011年9月16日金曜日
日大練馬光が丘病院の決断
赤字経営と言うと、何やら非効率だったり、閑古鳥状態だったりと思いがちだが、
なぜそんな「行列のできる」病院が、20年間も赤字を垂れ流し続けるのだろう。
練馬区側は、何せ地域医療の事だから「後釜を捜せ」と日大側に働きかけているようである。
そもそもは国の保険制度の問題だろうと思うが、目をそちらに転じてみればまた別の問題がある。増税の旗印を高々と掲げて登場した野田首相だが、財務省もそれにつつかれている政治家も、無駄を省くのはそっちのけで増税の一点張り。
我が家は同病院は一度しか利用した事がない。
医療行為で儲けるなどと言うと批判を浴びる風潮があるが、やっぱり少しはお金がかかった方がいいのだろうかと考えてもみる。
国民健康保険制度だって、例えば「重くなればなるほど患者負担は軽くなり、軽いほど高くなる」ような制度だって良いと思う。
【本日の読書】
2011年9月14日水曜日
ストレス
そもそもストレスとは何かと考えてみる。
長時間労働が大変だというのもあるかもしれない。
思い通りにいかないイライラが募り、ストレスメーターが上がって来て、いざ発火点が近づいたのを感じると、私の心の中ではブレーカーが落ちるようである。
これは仕事ばかりではなく、日常生活においてもそうだ。
そういうケースはけっこうある。
まあ人生に問題はつきものだろう。
2011年9月12日月曜日
ラグビーの秋
2011年9月10日土曜日
ワールドカップ開幕
2011年9月6日火曜日
性教育
その子は別に不良というわけではない。
むしろ学業ではクラスでトップグループに入り、スポーツでは中学2年時より上級生に交じって大会に出場するなど文武両道を極め、担任の先生からは「文句のつけようがない」と絶賛されていたほどだと言うから、ごく普通の少年だ。
何年か前の事、長女が高校生になったら直接性教育をしようと考えていると友人に語ったところ、「それでは遅い」とあっさり言われてしまった。
「そうかなぁ」とその時は思った。
その昔、「3年B組金八先生」で中学生の妊娠の話をやっていた。
観ていなかったので詳しくは知らないが、「所詮ドラマの話」と遠いところの話と考えていた。それが身近なすぐそばの現実問題となって表れてきた。
本当は直接その子と話ができればいいと思う。
避妊の知識はなかったのか、あっても大丈夫と思ったのか、ただ単に避妊具が買えなかったのか、どういう状況だったのかよく聞いてみたい。
今はちょっとパソコンで検索すれば、大人の映像は簡単に観る事ができる。
そういう「攻めの知識」はいくらでも手に入る。
しかし、避妊という「守りの知識」は案外おろそかかもしれない。
あるいはビデオの男優のようにやれば大丈夫と思っていて失敗したのだろうか・・・
我が子に対する性教育は、面と向かってきっちりやろうと考えている。
もはや以前のような婚前交渉に対する罪悪感などないだろう。
「するな」という事を説いても意味はなく、「どうやってするべきか」という方法論をきちんと教えないといけないと思う。
我が家は男の子と女の子と両方いるから、それぞれに応じてやらないといけない。
我が身を振り返ってみて、どうやってそういう知識を身につけたのか思い出そうとしたが、もう忘れてしまった。 だけどいずれ自然にわかると問題を避けるのはよくないだろう。
やっぱりきちんと知識のある者から教える必要はあると思う。
生まれて初めてコンドームを買いに行った時はかなり緊張した。
夜中にこっそりと家を抜けだし、あらかじめ目をつけていた、家よりちょっと離れた薬局の横の自動販売機まで買いに行ったのだ。
あたりを見回し、満を持してコインを投入したら、大きなブザーとともにケースが出てきて、販売機に悪態をつきながら慌てて取り出して一目散に家に帰った。
高校生ですらそうだったのだから、中学生の彼にはひょっとしたら買う勇気がなかったのかもしれない。
私自身は初体験の時もその後も、(あまりもてなかったせいか数は多くない)きちんと避妊だけはしてきた。
我が子たちにもその部分だけはきちんとしてもらいたいと思う。
相手の女の子の親との話し合いがどうなったかは、聞くのも憚られるところだが、どちらの立場にしても良いものではないだろう。
でもそれはやっぱり親の責任なのだろう。
日本ではそういう話はタブー扱いされているところがある。
私も親とそういう話をした事はない。
だがこれからはそうもいくまい。
避けては通れぬ道だと考えている。
ただなぁ、中学3年と言えばもうあと3年半先だ。
今はまだ一緒にお風呂に入る我が娘。
その時どんな風に話すのだろう。
嫌が応でもその時はやってくる。
もっとゆっくり大きくなってほしい、とつくづく思うのである・・・
【本日の読書】
ユダヤ人大富豪の教え ―ふたたびアメリカへ篇
卒業 (講談社文庫)
2011年9月2日金曜日
戦争と平和の表と裏
経済成長が続く新興国で新型戦闘機を100機以上と大量に導入する計画が相次ぎ、財政難から自国向け販売が伸びない米欧メーカーが契約獲得へしのぎを削っている。開発・製造を継続しないと戦闘機に関わる技術力を維持できないため、先進国は自国の防衛産業の基盤を維持する目的で新興国向けの輸出を奨励。大型商談の成約が続けば、世界の軍事バランスにも変化を及ぼしそうだ。
今朝はこんなニュースを目にした。
歴史の授業で、20世紀初頭の大恐慌をアメリカはニューディール政策で乗り切ったと教わった。
公共事業で需要を喚起し、経済を盛り上げたのだ。
しかし、アメリカの景気を回復させた真の公共事業は、実は「第2次世界大戦」だ。
ドイツもヒトラーが台頭し、軍備増強に走って一気に景気を回復させて国民の人気を得た。
軍事産業も立派な一大産業なのだ。
ニュースでは、今年のパリ航空ショーで、防衛産業大手が最新鋭機を対リビア軍事作戦での「コンバット・プルーブン(実戦で使えた)」を謳い文句に売り込んでいるらしい。
かつてはいいお客さまだった先進諸国が財政難で購入を控える一方で、新興国が100機単位で発注しているらしく、「実践使用済み」で箔がつくのだろう。
対リビア軍事作戦では、フランスが主導的な立場を取っていたが、フランスもダッソー社のミラージュという戦闘機を作っているし、今回の作戦では多国籍軍に空軍を派遣した事のないスウェーデンも突如として作戦に参加したが、自国のサーブ社の戦闘機を売り込むハラもあったようである。
そう考えると、独裁制に反対して立ち上がった反カダフィ派を、「民主化を後押しする先進国側が支援のための空爆を行った」という表面的な事実だけで考えるわけにはいきそうもない。
その裏で、「大チャンス」とばかりにそろばん片手に、政治家に戦闘機を送るように働きかけるメーカーの姿があったのかもしれない。
本来、兵器というものは自国を守るもので、当然相手よりも優れていればそれを維持して渡さないようにすべきもの。それが「商売道具」となっているのは、何より「売れる」からだし、友達に売れば大丈夫という安心感からなのだろう。
それでもアメリカが技術供与には慎重な一方で、欧州のユーロファイターという戦闘機は、『ブラックボックス・フリー(非開示の武器技術一切なし)』を売り物にしているという。
敵も多いアメリカは自国製兵器が敵に渡るのを恐れている。
しかしながら、ヨーロッパは割と敵も少ないという背景からなのかもしれない。
いまや軍事産業は一大産業であり、産業である以上は収益を追求する。
セールスには「実戦での効能」が一番の宣伝なわけで、そのための機会を関係者は虎視眈々と狙っている。かつて武器の闇商人を描いた「ロード・オブ・ウォー」という映画を観た。
今朝のニュースは闇商人の話ではないが、正規の商人だからいいというものでもない。
武器輸出国のトップは国連常任理事国5大国だと言うし、これが世の中の裏側というやつなのだろうと思うのである・・・
【本日の読書】
ユダヤ人大富豪の教え ―ふたたびアメリカへ篇
卒業 (講談社文庫)

