大学のラグビー部からメールで明日は明学戦だと連絡が来た。
明学(明治学院大学)と聞いて、現役時代のあの試合が脳裏を過った。
試合が終わって泣いたのは、生涯3度だけ。
高校時代の最後の試合と、大学3年の時の2試合だ。
そのうちの最後の1つが明学戦だった。
明治、早稲田、慶応ら歴史のある伝統校で構成している対抗戦グループ。
それまで準加盟扱いだった我々の大学が、明学・武蔵とともに対抗戦グループに正式加盟したのは1985年のことだ。1986年、3年になった私は晴れてレギュラーの座を手に入れて、公式戦に臨んだ。早稲田と試合をしたのもこの年だ。
明学は有望な高校生を集め始めたという情報が伝わってきていた。
我々は国立大学ゆえにそんな真似はできない。
“普通レベル”の経験者と初心者を鍛え上げるしかない状況。
肩を並べていた相手が、急速に強くなっていくのをただ眺めているしかない。
そんな中で迎えた最終戦。相手は明学。12月6日のその日は快晴。
苦戦続きであったが、対抗戦加盟2年目で3勝目を目指してのキックオフ。
ここから明学の怒涛の反撃が始る。
防戦一方となった我々はゴール前に釘付けにされる。
スクラムは押され、相手は次々にゴールに雪崩れ込もうとする。
相手のバックスに綺麗にボールが渡り、フルバックが勢いよく突進してくる。
何も考えず、必死にタックルで倒した。
試合後そのタックルについて、「監督が絶賛していたぞ」とベンチにいたチームメイトが教えてくれた。
何度ももうダメだと思ったし、「1トライぐらいなら取られても仕方がない」と脳裏を過った。早くノーサイドの笛を吹いてくれと、プレーが途切れるたびにレフリーを見た。
20分間、ほとんどゴール前で防戦し、そしてついにレフリーがノーサイドの笛を吹いた。
ベンチでは大歓声が上がり、ようやく相手の猛攻から解放されたと思った瞬間、目の前が滲んで見えなくなった。
後年、70周年の記念誌が作られた時、当時のキャプテンがこの試合を指し、「あの時のみんなの涙が忘れられない」と書いていた。
その時はわからなかったが、どうやらみんな目を赤くしていたらしい。
あんなに熱く熱中していたのも学生時代ならではなのだろう。
翌年、夏合宿で明学と練習試合をした。
相手のメンバー表を見たら、4年生はキャプテン一人で残りは1・2年だけだった。
有望高校からのスカウトの結果だ。
その年の秋の公式戦では、残念ながら勝てずに終わった。
今年も明学は対抗戦Bグループで1、2を争う勢い。
我が母校の不利は否めない。
だが、やっぱり後輩たちには頑張ってほしいと思う。
勝っても負けても、思い出に残るような熱い試合をしてほしいと我が身を振り返りながら思うのである・・・
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