2024年9月16日月曜日

伯父の一周忌

 伯父の一周忌の法要に不死身の父の実家を訪れた。伯父が亡くなってはや一年である。中央道の渋滞に巻き込まれ、法要には出席できず、墓参りから参加。長年、先祖代々の墓にはこれといった墓石がなかったが、とうとう従兄弟が建てたので、そのお披露目も兼ねてである。伯父の墓以外にも曽祖父や祖父母などの墓石も一つ一つ作られていて、なぜよくあるように一つの大きな墓石にしないのだろうかと思ったが、考えてみれば30年前の祖父は土葬だったので、遺骨を簡単に移せないという事情もあるのだろうと考えた。

 法事には兄弟とその家族が参加した。次男の父と家族4人、三男の娘夫婦、四男、長女と娘、次女と息子。葬儀とは違って身内だけ、しかもその一部。それも仕方あるまい。さすがに葬儀とは個人との最後のお別れであり、万難を排して参加するものだろうが、一周忌はそれほどではない。そして三回忌は故人の家族だけで行うと早くも宣言された。皆の負担を考慮したのであろう。父も四男も1人では参加できないし、三男は認知症で施設に入っている状況ではそれも仕方ないのだろう。

 みんなでささゃかに食事をして法事はお開きとなった。今さらながらであるが、日本の死者に対する慣例は仏事に即している。葬儀も宗派のお坊さんが来てお経を上げ、戒名をもらい、葬儀と同時に初七日の法要を行う。そして四十九日、一周忌、三回忌、七回忌と続く。死者を手厚く悼むという事では宗教儀式としての仏教は密接な存在であるが、今や忙しくなり、しかも高齢となった現代人は、葬儀と共に初七日の法要を行い、一周忌までしかやらないというのもやむを得ないのかもしれない。伯父の三十三回忌など、自分が生きているのも怪しいから仕方ないと言える。

 この機会にと、いとこ3人とLINEを交換した。今後何か必要があるかもしれないと考えたのである。するとそれを機に、ライングループ「いとこ会」が6人で立ち上がった。父方のいとこは確か8人であり、6/8の参加率はなかなかかもしれない。これに対し、母方のいとこ会もあるが、こちらは7/13である。今さらながら、昔は兄弟が多かったのでいとこの数も多い。我が子など、従兄弟は2人しかいない。それも元々交流が薄くてほとんど会う事もない。なんとなく可哀想な気もする。

 母方のいとことは、子供の頃から一緒に遊んでいるので今でも仲が良い。それに対し、父方のいとこは昨年、数十年ぶりに会うという有様だった。やはり子供は母親と行動を共にするし、母と娘は仲が良いからどうしても交流は母方の方が多い。我が家も例外に漏れず、子供たちは私の両親とは年に1〜2回会う程度である。妻の実家との接触頻度とはだいぶ差がある(しかし、義妹に子はなく従兄弟がいない)。子供たちがいとこ会を作ることはないような気がする。いとこの交流を促したのは伯父の残した遺産かもしれない。

 食事会が終わって父の実家に顔を出した時、父はおもむろにひとり散歩に出かけた。しばらく帰ってこなかったが、カメラ片手に付近を散策したらしい。父は今でも「富士見に住みたい」と言う。現実的にはもう車に乗れないし、家事もおぼつかない母と2人で富士見に住むのは無理がある。息子に甲斐性があって、お手伝いさんでも雇えればいいが、そうもいかない。残念であるが、諦めてもらうしかない。それにしても、87年の人生で15年しか住んでいない故郷が70年以上暮らしている東京よりもいいと言うのが故郷の意味なのだろうか。

 中央道は関越道に比べて渋滞が酷である。父をなるべく故郷に連れて行きたいと思うが、どうしてもそれが心のネックになる。そんなネックはあるものの、いとこ会も立ち上がったし、葬儀以外で共通の祖父母を持つもの同士、たまに集まるのも良いかもしれない。これからそんないとこ会の音頭取りをしてみようかと思うのである・・・


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【今週の読書】
戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司  汝、星のごとく - 凪良ゆう





2024年9月11日水曜日

差別について

 差別はなぜ生まれるのだろうかと、ふと考えた。世の中には人種差別や部落差別など様々な差別がある。「その人がどういう人か」に関係なく、ただその人が差別対象に入っているからという理由で差別するのは誠に理不尽である。アメリカの人種差別については、映画化されたり、ドキュメンタリーで放映されている事もあって実態がかなり知られているが、知られている限りでも酷いものである。肌の色が明確に違うから差別しやすいということもあるのだろうが、白人が自分たちこそ最高だという思い上がりの現れであると思う。

 見た目が変わらなくとも差別は存在する。アメリカではかつてイタリア移民が差別されていたらしいし、ヨーロッパではユダヤ人が差別されてきたのも有名である。どちらも我々日本人から見ると同じ白人であるから見た目ではわからない。また、単一民族に近い我々日本人でも部落差別や朝鮮人差別というものがある。見た目で異質なものを排除するというのは何となく理解できるが、そうでないものを差別するのはどういうわけなのであろうか。私には幸いにしてそういう差別感覚がないのでよくわからない。

 私が差別について意識した最初のものは小学校の頃の朝鮮人差別であろうか。当時、朝鮮人を「チョン」と呼んでいた。私は友人たちから聞くまでまったくその存在を知らなかったので、印象深く残っている。ただ、差別と言っても「朝鮮人は凶暴」という内容で、「喧嘩をしたらまずい」というようなものであった。差別というより恐れであろうか。わけもわからない小学生のガキの話であるが、「チョン」という言葉に差別の色合いを強く感じる。幸い、私が朝鮮人から何かされるという事も、遭遇することもなかった。

 次に記憶にあるのは部落差別である。就職した銀行が関西系の銀行で、最初の研修の時に「同和問題」として部落差別はいけないという内容の話を聞かされた。部落差別については歴史の教科書にも出ていたので、いったいいつの時代の話なのかと訝しく思った。東京生まれの東京育ちのシティーボーイであった私にとって、部落差別などは歴史の教科書の中の話に過ぎなかったのである。ところがそれが現代でも注意しないといけない話だと知ってそちらの方に衝撃を受けたのである。大阪というところはそんなに前近代的な地域なのだろうかと。

 実はそれ以前にも、長野県の御代田に住む伯母から部落差別の話を聞いた事があり、田舎の方にはまだ残っているかもしれないという程度の認識はあったのであるが、大阪という都市で、都市銀行に勤めていて業務上の注意として意識しないといけない話だとは思えなかったのである。もともと差別意識などなかったが、どこで見分けるのだろう(何せ見た目ではわからない)とか、どうすればいいのだろうとか思ったが、結局、「意識などしなければいい」という結論に落ち着いた。もともと知らなかったのだし、知らないままでいればいいのだと思うに至ったのである。研修など寝た子を起こすようなものだと思ったものである。

 しかし、その後関西人の妻と結婚し、義理の祖母と話をした時に、「差別されるには差別されるだけの理由がある」という話を聞かされて驚いた。大阪には部落地域が散在しているようで、市民の間にはそういう意識が根付いているのだとわかった。関東人には無用でも関西人には必要な研修だったのだろう。ただ、出身地で分ける事も出来ないから全員一律の研修となったのだろう。私も関西に生まれていたらそういう空気に染まっていたのだろうと思う。部落差別など希薄化していた東京に生まれ育ったのが幸運だったのだろう。

 そう言えば、母に聞いた話だが、父との結婚の話が出た時、当時長野県の望月に住んでいた祖父が、父の実家をわざわざ訪ねて行ったそうである。父の実家は同じ長野県の富士見にあり、60kmほど離れている。当時は交通手段もろくになく、原付バイクで行ったそうであるが、どうやらそれは挨拶というよりも、「部落」ではないかを確認しに行ったらしい。父親とすれば、娘を嫁がせる相手の氏素性を確かめたかったのだろう。もしも「部落」だったら反対していたのだろうが、考えてみれば部落の人たちはそういう差別を受けてきたのだろうし、気の毒な事ではある。

 私はもともと理不尽な事が嫌いであり、部落差別のような理不尽な差別を受けたら我慢がならなかったろうと思う。人間がなぜ差別をするのかと言えば、人間にはもともと異質なものを排除したいという気持ちがあるからなのだろう。それは肌の色というわかりやすい違いがあれば簡単であるが、一見してもわからないものの中にも違いを見つけるのだろう。それを防ぐとしたら、「寛容」の精神しかないように思う。肌の色が違おうと、人とは違うものがあろうと、それでも相手を認める「寛容」の精神があれば、差別はなくなるように思う。逆にそれがなければ、研修をしたぐらいではなくならないのではないかと思う。

 最近ではLGBTという異質も世の中でスポットライトを浴びている。実はその昔、私は同性愛や「体は男だが心は女」という人種には虫唾が走ったものであるが、今は何とも感じない。ただ、それは「寛容」というよりも「無関心」という方が正しいだろう。「人は人であり、他人がどういう趣味を持とうがどうでもいい」という感覚で、あまり褒められたものではないかもしれない。それでも差別よりはマシだろうとは思う。自分に他人を差別する気持ちがないのは幸いである。たとえそれが無関心の結果でもいいじゃないかと思う。

 世の中に必要なのは「寛容」の精神であるとつくづく思う。それがあれば世の中の人と人との対立も差別もほとんどがなくなるように思う。だが、なくならないって事はそれだけ難しいのだろう。自分が世の中を良くできるとは思わないが、せめて自分はより寛容の精神を身につけていきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司  汝、星のごとく - 凪良ゆう






2024年9月8日日曜日

男女共学

 先日の日経新聞に面白い記事が出ていた。戦前、学校は基本的に男女別学だったが、戦後のGHQによる改革で旧制中学や高等女学校の男女共学への転換が進められたという。しかし、地方によって進捗はまばらで、その後共学化が進むも、現在でもまだ全国で公立高校の42校が男女別学なのだという。その中でも埼玉県には12校が残っているらしい。そう言えば大学時代のラグビー部の同期は県立浦和高校の出身だったが、同校は男子校である。

 私は都立高校を卒業したが、もちろん男女共学である。第一希望は地元の都立高校で、滑り止めに私立を受けたが、当時都内の私立高校はほとんどが別学であった。私はもともと親への負担を考えて公立高校を志望したが、それだけが理由ではなく、共学へ通いたいという思いもそれに加わっていたのである。念願かなって無事、第一志望の都立高校に合格したからよかったものの、不合格で滑り止めの私立に行っていたら男子校だったわけであり、そうなっていたら、親に申し訳ないという思い以上に残念だっただろうと思う。

 記事にも書いてあったが、男女共学化に対しては、OBを中心に根強い反対論があるらしい。高校時代、私立高(つまり男子校)に進んだ友人が、男子校はいいという話を力説していた。私は聞き流していたが、男子校には男子校の良さがあるというのが、たいがいの男子校出身者の主張である。それを否定するつもりはない。もともと高校時代というのはただでさえ楽しい時期である。男女別学だろうが共学だろうがそれは変わらないだろう。男子校出身者の主張に反論するつもりはまったくない。ただ、私自身は共学派であるというだけである。

 そもそもであるが、なぜ男女別学だったのかと言えば、それは「男女七歳にして席を同じゅうせず」という伝統だろう。男女の間にはどうしても性的な関係が絡む。自由な恋愛が御法度だった時代には余計な騒動を回避するという意味では、意味のある事だったと思う。しかし、現代ではもう男女を分ける意味合いというのはなくなってきている。共学であれば「恋愛にうつつを抜かして勉強に身が入らない」という考えがあるのかもしれないが、別学にすれば解決するという問題でもない。

 私は絶対共学派だったし、都立高校に入って過ごした3年間、やはり共学で良かったと思う。初めて彼女もできたし、彼女でなくてもマネージャーやクラスメイトなどに女の子がいるのはやはり違う。卒業してもクラス会で女性がいるのは華があるし、今に至っても女友達は男友達とはまた違う良さがある。ラグビーの試合も女子マネがいるとそれだけで気分が違う。試合が始まれば意識から抜けてしまうが、その前後の気分は違う。自分だけを観ているなどと自惚れるわけではないが、「目を意識する」のは確かである。やっぱり自分は男なのである。

 大学は女性比率が低く、法学部のゼミは男だけであった。なんとなく男子校の雰囲気は味わえたが、やはり女子が参加していると気分が違う。男子校の良さを訴える声を否定するわけではないが、共学の良さを知っても尚それを主張できるだろうかという気はする。今年は久しぶりに高校の同期会があるが、とても楽しみである。もう還暦のジジイとババアの集まりであるが、高校時代の友人は歳をとってもあまり違わない。たぶん一緒に歳をとっているからだろう。

 男子校の楽しさがわからないのは残念ではあるが、わからなくてもいいし、わかりたいとも思わない。東京はさすがにGHQのお膝元だったから共学化が進んで公立高校は共学になったのだろう。我が家は子供たちも2人とも公立高校だったから、親子でその恩恵を受けた事になる。戦争に負けてGHQに変えられてしまったもののうち、間違いなく良かったのはこの共学化だろう。今まで知らなかったが、改めてその点だけはGHQに感謝したいと思うのである・・・


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【本日の読書】
戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司 ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清






2024年9月4日水曜日

論語雑感 泰伯第八 (その7)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
曾子曰、士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以爲己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎。
【読み下し】
曾(そう)子(し)曰(いわ)く、士(し)は以(もっ)て弘(こう)毅(き)ならざる可(べ)からず。任(にん)重(おも)くして道(みち)遠(とお)し。仁(じん)以(もっ)て己(おの)が任(にん)と為(な)す。亦(ま)た重(おも)からずや。死(し)して後(のち)已(や)む。亦(ま)た遠(とお)からずや。
【訳】
曾先生がいわれた。「道を行なおうとする者は大器で強敵な意志の持主でなければならない。任務が重大でしかも前途遼遠だからだ。仁をもって自分の任務とする、なんと重いではないか。死にいたるまでその任務はつづく、なんと遠いではないか」

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 昔の偉人は生涯をかけて追及する道をあれこれと考えていたのであろう。「仁をもって自分の任務とする」というのは大きな目標で、並大抵のことではできないと思う。それに比べて一般庶民は日々の暮らしに追われ、これといった目的などなく暮らしているのだろうと思う。かく言う私もそんな庶民の1人である。これといった大きな目的があるわけでもなく、ただ日々を過ごしていると言える。

 しかし、「仁をもって自分の任務とする」と言えば大げさであるが、ある程度はみな自分の信条というものを持っているのではないかと思う。私の場合、独身の間は自由気ままであったが、結婚してからは、働く目的、生きる目的の第一は家族のためになったし、子どもが生まれてからはその対象が子どもに広がっている。子育ての目的は自立した人間になる事であり、それは今のところうまくいっているように見える。

 本来的にはあまり人と関わらずに生きていきたいところであるが、この世の中ではそうもいかない。人間関係は大事であるが、基本的に他人には迷惑をかけず、関わった人には少しでも関わって良かったと思ってもらえるように振る舞っているつもりである。会社では高い給料をもらえるように自分のパフォーマンスを意識しているし、会社の人たちには少しでも働きやすい会社になるように心がけている。

 社会人になった時、当時の銀行というところは、行員に辛い思いをさせたがっているのではないかと思うような環境であった。先輩行員もストレスは後輩にぶつけて発散しているのではないかというくらい意地の悪い人がいたし、サービス残業は当たり前だし、若手はまるで奴隷のようであった。自分はそういう先輩にはなるまいと心に誓い、それを今も実践している。社員がいかに快適に働けるかを意識して日々の仕事をこなしているのが現状である。

 それは決してきれいごとではなく、きちんとした打算に基づいている。いい環境であればパフォーマンスも上がるし、みんながベストパフォーマンスで働いてくれれば会社も安泰であるし、それによって自分の高い給料も維持できる。自分の気分もいいし、まさに一石二鳥である。けっしてよそ行きのきれいごとを言っているのではなく、自分の利益についてあくまで追求した上での考え方である。

 人生は長く、途中で何があるかわからない。年齢とともに働ける範囲は狭まってくるし、私も今の会社を離れたら今の給料を維持できないだろう。であれば今の会社で全力を尽くすしかない。家族のために働く任務は重大でしかも前途遼遠である。死に至るまで続くという事はないが、子供たちが独立して(あと3年)、住宅ローンを完済し(あと10年)、いくばくかの老後の資金も貯めようと思えばなんと遠いではないか。

 曾子のように大きな任務ではないが、庶民には庶民なりの大きな任務があると思う。それは私1人の事ではなく、大概の人にはそれが当てはまるのではないかと思う。ただ、家族を養うためではなく、「どうやって」というのもある。私が入行した当時の先輩行員もそうであったが、後輩相手にストレス発散しているような人たちは違うだろう。少なくとも尊敬の念のかけらすら持てなかったが、生き方も大事だと思う。

 話題になったドラマ『不適切にもほどがある』の中で、ハラスメントを防ぐには相手を「自分の娘だと思う」とすべきとやっていたが、まさにその通りだろうと思う。私の娘もちょうど今年社会人になったが、我が社の若手社員を見ていると、娘も職場で私のような上司に仕えているのかもしれないと思うと、若手社員に対する対応もどうするべきかとおのずと決まってくる。そういう意識で若手とは接し、年齢の近い同僚ともその延長で考えれば自然と丁寧な対応になってくる。

 「仁」などという大きなものではないが、それが現代の「仁」と言えるかもしれないし、そういう生き方が「道」なのかもしれない。と、こじつけてみる。まぁ、偉人とは程遠い庶民であるし、庶民なりに人に対して恥ずかしくない生き方を維持していきたいと思うのである・・・

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【本日の読書】

離職率ゼロ!部下が辞めない1on1ミーティング! - 竹野潤 戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司 ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清







2024年9月1日日曜日

取締役部長の問題点

 我が社では役員が3人いる。社員100名の中小企業では普通だし、十分だと思う。役員3人はそれぞれ開発現場、営業、人事・総務・経理を担当している。私と営業担当の役員は「部長兼務」である。中小企業故に人がいない事もあって、どうしても兼務せざるを得ないのである。また、会社法で企業には取締役が最低3人必要であり、中小企業では役員の兼務も珍しくはないと思う。しかし、取締役と部長とは厳密には相容れない関係であり、本来兼務すべきものではないと思う。

 なぜなら、取締役は、簡単に言えば「雇う立場」であり、部長は「雇われる立場」である。両方を兼務するのはおかしな話である。その弊害が我が社にも見られる。現場担当の取締役(元現場の部長である)がどうも取締役としての役割を果たせていないのである。と言っても、仕事をサボっているわけではない。きちんと仕事はしているし、部下の管理も顧客対応も問題はない。ただ、それは言ってみれば「部長の仕事」であり、取締役の仕事ではないのである。

 新卒で入社し、現場で叩き上げの彼は、いまだ仕事のやり方は部長時代と変わっていない。本来、部長から取締役に昇格した時に、これから何をするべきか、役員の仕事とは何かをよく考えるべきであったのであるが、それをせずにそれまでの延長上で来てしまっているのである。もっとも、取締役と言っても「部長兼務」であったため、必然的にそれまでの仕事をそのままやる事になり、そういう意識も持てなかったのだろうと思う。

 中小企業では仕方のないことかもしれない。役員(正式には取締役)は一種の名誉職のようになってしまっているのだろう。私が学生時代アルバイトをしていた防水工事の会社は社員が4人くらいだったが、アルバイトを引き連れて現場に向かう人は「専務」と呼ばれていた。役割的には係長と言ってもおかしくはなかったから、さしづめ専務兼部長兼課長兼係長といったところだったのだろう。

 それで問題ない企業規模であれば、役職なんてただの飾りであるが、規模が大きくなってくると、役割は意識しないといけない。我が社では経営計画を策定し、それを実行に移すといったところで役員としての役割が出てくるのである。ただ、そこも考えようで、私などは初めはただの部長として今の会社に入社したが、もともと銀行で中小企業については経営的な見方を常にしていたので、そういう見方のまま入ったから、部長でありながらも役員的な言動をしていた。それゆえに役員に引き上げてもらったという経緯もある。

 それは能力というよりも経験であり、私も現場上がりだったら「部長の思考」が抜けなかったかもしれない。社員から役員に昇格する時、一旦退職して退職金をもらい、そして株主総会の承認を得て取締役に就任する。我が社では役員になれば会社の株を持たされる(買わされる)。それを単なる事務手続きと意識してしまうと、役員になる意味というものが理解できないまま役員になってしまうかもしれない。

 会社を客船に例えるなら、役員はブリッジで目的地を決め、航路を決定し、それを船員に指示する役割である。船員はその指示に基づいて各自の持ち場で船がきちんと運航できるようにするのである。当の部長は、例えて言えば、現場に出突っ張りでブリッジに上がってこない状態と言えるだろう。社長へのホウレンソウ、経営方針をめぐり時に社長と議論し、相談して会社を有るべき方向に導いていく。そんな役割がある事に気づいていない。

 「課長になる時」、「部長になる時」、「取締役になる時」それぞれその意味を十分説明し、よく理解してもらってから昇格させるようにする仕組みづくりが必要であるなと考えている。各自に任せていると、かの取締役のようになってしまうだろう。中小企業とは言え、そのあたりはしっかりと意識して仕組みづくりをしていかなければいけない。さしあたり、かの役員とは一度膝詰めで私の考えを伝えなければいけないなと思うのである・・・


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【今週の読書】
離職率ゼロ!部下が辞めない1on1ミーティング! - 竹野潤 ひこばえ (上) (朝日文庫) - 重松 清 ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清





2024年8月28日水曜日

友人K

 友人Kは、私の銀行員時代の友人である。銀行内の研修で隣に座ってからの仲で、いろいろと共通点が多く、その場で意気投合。後に同じ職場になった事からも親しくしてきた。私が銀行を辞めてからも何度か2人で飲みに行ったりした。しかし、最近は疎遠になってしまっている。お互い職場が違うというのもあるが、それ以上に何か私の方が原因で彼に距離を置かれてしまっているような気がしてならない。何度か誘ってはみたものの、多忙との事で色よい返事はなく、返事すらなかった事もある。鈍い私でも何となく感じるところがあってそれ以上声はかけていない。

 もしかして私の気のせいで、本当に忙しかったのかもしれないし、メールも見ていないか気がつかないのかもしれない。ただ、何となく感じるだけなので何とも言えない。はっきりとわかればいいのだが、もしも会いたくないのなら直接言うのも憚られる事だろうし、たぶん私が知ることはできないのだろう。そういう相手が他にも1人いるし、私にも良くないところがあるのだろう。何がいけなかったのかと考えてみるも、残念ながらこれと言った原因は思い浮かばない。

 あれこれと考えてみると、まったく思い浮かばないという事でもない。何かと考え方も同じで息が合った彼であるが、唯一意見が合わなかったものがある。それは「仕事に対する考え方」であった。私は仕事は楽しいし楽しむものという考え方だが、彼は仕事は辛くて厳しいものでありやりたくないものという考えであった。退職してから何度か彼と飲みに行ったが、私は仕事が楽しいという話をしたと思うし、彼もそれに対して異を唱えていなかったが、内心では快く思っていなかったのかもしれない。

 退職後の収入も違っていた。銀行員時代は同じ職責だったのでほぼ給料は同じだったと思うが、私が退職し、彼が子会社に転籍して収入に差がついた。お互いに年収はダウンしたが、私は3割減、彼は半減という感じである(ちなみに今は銀行員時代の年収にほぼ近い)。銀行は52〜53くらいを目途に関連会社に移るか他社に転籍するか、銀行に残るにしても一旦退職して退職金をもらい特別職員となるのである。そこで年収はぐっと下がる。銀行としては人件費を抑える必要もあり、そういう制度を設けているのである。彼は関連会社へと転籍したのである。

 銀行というところは、心穏やかに働けるところではない。全部の銀行とは言わないが、最近読んだ『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』によると、みずほ銀行(筆者は富士銀行出身)でも似たような状況だったので、どこもかしこも似ているのかもしれない。何より一番のストレスは人間関係である。私も仕事自体は面白いと思っていたが、特に上司との関係は最大のストレス要因であった。簡単に言えば意見が合わないのである。

 意見が合わないのは仕方ない部分もあるが、私の建設的な意見を「石橋を叩いても渡らない」的な保守的・保身的考えで否定されるのは本当にストレスであった。そんなエピソードは数えきれないほどある。彼ともよく互いの愚痴を言い合っていたが、転職後は私はそういうストレスからは解放されてのびのびと仕事をした(前職では「そうせい候」の社長の下、ほとんど1人で会社の経営を担っていたほどである)。それを彼に楽し気に語ったのが面白くなかったのかもしれない。

 彼は仕事を続けたくなかったのだろう、今年定年退職している。私はと言えば、住宅ローンも残っているし、息子はまだ大学生だし、定年退職など夢のまた夢であるからうらやましい限りではあるが、たとえゆとりがあったとしても仕事は続けるだろう。それは仕事を楽しめている(ストレスを感じていない)からに他ならないが、その点でも彼とは話が合いそうもない。たぶん、飲みに行ってお互いに現況報告になったら、彼に不快な思いをさせてしまうのかもしれない。

 すべては想像でしかない。本当のところはよくわからない。私の方にはなんのわだかまりもないが、彼の方には何か私の気づかないものがあるのだろうかと思ってみる。それがあるのであれば、何だろうかと知りたいと思う。ただ、上記に想像した仕事に関する価値観の違いであれば話が弾むことはないのかもしれない。そう言えば同じ職場であった頃は、共通の上司のダメさ加減の話題で盛り上がっていたのを思い出す。いつかまた飲みに行ける日がくれば、あの時のダメ上司の話なら盛り上がれるかもしれない。そんな関係にまたなれたらいいなと、今は思うのである・・・


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【本日の読書】

ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清 グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない (&books) - ロバート・ウォールディンガー, マーク・シュルツ, 児島 修




2024年8月25日日曜日

自慢話について

 少し前だったが、役員研修を受けた時の話である。「取締役とは」という内容で、取締役の役割について改めて学ぼうというものであった。私からすれば内容的には特に目新しいものはなかった。取締役の役割など分かりきっていたし、その内容は私の理解からズレるものではなかった。こういう時、私はわかっているからとスルーするのではなく、「自分だったらどんな講義をするだろうか」という視点で捉える。そうするとまた違った勉強になるからである。そういう視点では有意義な研修であった。

 その時、一緒に受けたのは我が社の先輩取締役。実はその先輩取締役がどうも取締役の役割を理解していなくて、それで一緒に受けてもらったという経緯だったのである。「どうでしたか?」と終わってから尋ねたところ、「自慢話ばっか」と辟易したような表情で答えが返ってきた。確かに、講義の中で講師の方の「成功体験」がいろいろと語られていた。「成功体験」であるから見方によっては自慢話になってしまうのだろう。むしろ、そちらに意識が行っていたとしたら、あまり話は響かなかったのかもしれない。

 野村監督の本を何冊か読んだ事がある。主として野球の話ではあるが、いろいろとビジネスや人生に通じるものがかなりあり、読むべき価値は高い本だと思っている。ただ、「自慢話」が多いのも確かである。阪神のエースだった江夏が南海に来た時、本人を説得してリリーフに回して大成功した話は繰り返し出てくる。当時は今のようにピッチャーの分業体制は一般的ではなく、「先発完投こそが投手」という時代である。リリーフ・エースの先駆けであり、それは凄いと思う。

 その話は確かに「自慢話」ではあるが、「自慢話」と捉えてしまうとどうしても反発心が出てきてしまう。人は誰でも他人の自慢話ほどめんどくさいものはない。しかしながら、そんな自慢話満載の野村監督本を何冊も読んだのは、その中に込められたエッセンスに惹かれたからである。要は自分の「為になる」話が多いのである。単に面白いエピソードというのももちろんあるが、自分の中に取り込みたいものもある。だから、次々と読んだというわけである。

 考えてみれば、研修の講師の話もそうであるが、「こうやったらうまく行った」という実際の成功事例は、理屈ばかりの話よりもよりイメージしやすいという利点がある。実際の成功例だから尚更である。そうなると、理屈を補強する手段としては、実際の成功体験はあった方が良いとわかる。しかし、実際の成功体験は、見方を変えれば「自慢話」に他ならない。それを排除してしまうのは残念な話である。

 実際の体験談を「成功事例」と捉えるか、「自慢話」と捉えるかはひとえに受け手の問題だと言える。せっかくの研修で、私はそれなりに有意義だと感じられたものを件の同僚取締役は「自慢話」のオンパレードとしか捉えられなかったわけである。結果的にも彼にとっては意味のない研修に終わってしまったようであり、同じ研修を受けながら結果が違って出たというのは、やはり受け手の捉え方に他ならないのだろう。

 同じ経験をしながらもその経験を生かせる人と生かせられない人がいる。それは受け止め方の問題であり、その人の心のあり方の問題でもある。「賢い者が愚か者から学ぶ事の方が、愚か者が賢い者から学ぶ事よりも多い」とはモンテーニュの言葉として知られているが、その通りだと思う。悦に入って自慢話に耽る人も確かにいて、それはあまり心地良いものではない。自分の成功体験は確かに心地良いし、他人のそれは煩わしい。しかし、何かを伝えたい時に、成功体験は欠かせないツールでもある。

 教訓として、他人の自慢話はそのエッセンスを汲み取って自分の血肉にするように聞き、自分の自慢話は何か伝えたい事の具体例としてのみ控えめに語るという事になるのだろうか。自分が悦に入らないように、意識したいと思うのである・・・



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【今週の読書】
グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない (&books) - ロバート・ウォールディンガー, マーク・シュルツ, 児島 修  もう明日が待っている (文春e-book) - 鈴木 おさむ




2024年8月21日水曜日

論語雑感 泰伯第八 (その6)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
曾子曰、可以託六尺之孤、可以寄百里之命。臨大節而不可奪也。君子人與、君子人也。
【読み下し】
曾(そう)子(し)曰(いわ)く、以(もっ)て六尺(りくせき)の孤(こ)を託(たく)す可(べ)く、以(もっ)て百(ひゃく)里(り)の命(めい)を寄(よ)す可(べ)し。大節(たいせつ)に臨(のぞ)みて奪(うば)う可(べ)からず。君(くん)子(し)人(じん)か、君(くん)子(し)人(じん)なり。
【訳】
曾先生がいわれた。「安んじて幼君の補佐を頼み、国政を任せることができ、重大事に臨んで断じて節操をまげない人、このような人を君子人というのであろうか。まさにこのような人をこそ君子人というべきであろう」
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 君主制の国家では、若くして君主となった幼君を側近が支えるというのが歴史上でもよくあり、この場合、事実上その側近が国家権力を握る事になる。そうなるとその側近がどんな人物かによって国政が左右されることになる。それが立派な人物であれば言う事はないが、私利私欲に走るような人物だと国家を私物化したり、権力の乱用に走ったりという事もありうる。ひどい場合には幼君を排除して自らの王朝を立てたりする。古代の中国をはじめ、そういう歴史は珍しくない。

 我が国でも石田三成などが幼君を補佐した例としてすぐに頭に浮かぶ。また、幼君ではなくても、有能な側近に政治を任せるというのもよくある事。江戸時代の「側用人」などはその最たる例であろう。柳沢吉保や田沼意次などが有名で、側用人が将軍に取って代わる事はなかったが、老中を上回る権力があったとされる者もいる。こうした側近が力を発揮するのは、「君主(実権者)」の能力が不足している場合であるが、補佐する者の能力に加え、「忠誠心」がやはり重要だと思う。これがないと政権が維持できなくなる事になり得る。

 「重大事に臨んで断じて節操をまげない」というのも重要であろうが、やはり「忠誠心」の方が大事だろう。漫画『キングダム』でも側近が力を持ち過ぎていつ何時反旗を翻すかと案じる場面が出てきていたが、安心して委ねられるという部分では「忠誠心」が何よりの安心材料なのではないかと思う。翻って現代でも経験の浅い二代目社長をベテラン役員が支えるというのが似たようなケースではないかと思う。二代目が社長として独り立ちできるまでベテラン役員が支えるケースでは、役員の力量が問われるのは言うまでもない。

 私も前職では不動産会社に役員として入社した。その会社は父親が息子のために作った会社で、役員も父親がかつての部下を集めて未熟な社長の補佐をさせるべく体制を整えてスタートしたものであった。最初は役員がしっかりと仕事をし、事業は順調に進んでいったが、会長となっていた父親が高齢で経営から身を引いたあたりから迷走に入っていった。社長が自分の力量を過信。主要な役員が高齢で退職し、真面目で仕事はできるが大人しい役員だけになると迷走は加速。赤字決算が連続して存続の危機も出始めていた。

 私が入社したのはそういうタイミングで、私も銀行で企業再建のお手伝いをした経験もあり、それを生かして再建計画を立てて再建をスタートさせた。さらには実行が何より大事であり、採算の悪い不動産を計画的に売却し、新たな投資計画を立てて収益物件を購入。さらに清掃等外注に任せていたのを内製化し、マンションの管理組合におけるサービス提供も開始し、入社翌年から6年連続の増収を実現した。100%私の考えた通りに進め、(社員の協力もあり)その結果を手にしたが、我ながら名参謀ぶりであったと自負している。

 では忠誠心はどうであったかと言うと、そもそも会社の株主はすべて社長が持っており、クーデターなどできる余地はなかったし、それ以上に多額の債務の保証人になってまで会社を乗っ取ろうという気持ちは欠片もなかった。ましてや自分で資金を集めるのも大変であるし、独立までして自分で経営しようという気持ちも欠片もなかった。忠誠心などという大げさなものではなかったが、雇われ役員の気楽な立場で会社を思うように動かせるわけであるから、その方がはるかに魅力的であった。忠誠心というよりも損得という問題である。君主制ではないし、権力の規模も違う現代の中小企業となればそうかもしれない。

 確かに、それなりの力がある人間なら、幼君(または力のない人間)に取って代わろうという誘惑に心を動かされるかもしれない。その誘惑を断ち切ってきちんと国政を運営してくれるという安心感を与え、さらに重大事に臨んでもひるまず意思を通すような人物なら「君子」と言えるのであろう。私が社長に代わって経営に勤しんだのも、「面白かったから」が6割(会社が潰れると収入がなくなるからが4割)であり、君子とは程遠かったが、最後まで信頼して任せてくれたのであればもっといい結果をもたらせたと思う(結果的には社長に裏切られたのである)。

 現代でも無私の心で社長(というよりも社員を含めた会社)のために全力を尽くしているつもりである。自惚れかもしれないが、それが現代の君子なのかもしれないと思ってみる。願わくば周りのみんなにそういう君子だと思われるように、今の仕事に邁進したいとあらためて思うのである・・・


Mohamed HassanによるPixabayからの画像


【本日の読書】

グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない (&books) - ロバート・ウォールディンガー, マーク・シュルツ, 児島 修  もう明日が待っている (文春e-book) - 鈴木 おさむ





2024年8月18日日曜日

派遣がなぜ悪いのだろうか

 『派遣で16年同じ職場で働くも雇い止め 渡辺照子・練馬区議「雇用形態で差別が合法化」』というネットニュースを目にした。なぜか我が国では「派遣=悪」という図式が出来上がっているように思える。しかし、以前から私はこの図式がどうも腑におちないでいる。「差別が合法化」とは物事の本質を無視した物言いであるように思える。派遣の問題点として、マイナビの「派遣社員の意識・就労実態調査2023年版」というものから、「現在の派遣元に不満な理由」というものが発表されていた。それは以下の通り。

 1. 高賃金の仕事が少ない(ない)
 2. 同一労働同一賃金に対する意識が低い
 3. (派遣先で)就業中のフォロー体制が制度化されていない
 4. 正社員に転換できる仕事が少ない
 5. 通勤費の支給など福利厚生が少ない

 このうち「3」と「5」はわからない。が、たとえば「1」などはスキルによると思う。「高い金を払ってでもやってほしい」というスキルがあれば問題はないだろう。そうではなくて、なんのスキルもないのに、ただ「高賃金の仕事が少ない」というのは、そもそも虫が良すぎる。意識の段階でわかっていないとしか言いようがない。そんな仕事があれば正社員を辞めてみんな派遣になるだろう。

 「2」であるが、そもそも派遣先の企業は派遣元にそれなりの費用を払っている。以前、我が社でも正社員が辞めてその補充として派遣会社に派遣を依頼したが、月額の費用は「正社員に対する給料よりもずっと高かった」。確かに毎月定額で賞与などはなかったが、1年間の合計は正社員を雇うのとほとんど変わらなかった。幸い、派遣されてきた人がいい人であったため、派遣会社と交渉してそれなりの移籍費用を払って正社員になってもらった。その後昇給したが、昇給前の年収は「派遣費用の年間費用よりも安かった」。

 しかし、最終的にその派遣社員に支払われる給料(派遣元から支払われる給料)は、我々が払った派遣費用から「派遣元が利益を抜いて」派遣社員に払うため、ずっと安くなる。その派遣社員からすれば、正社員登用によって給料が上がる(賞与も含めてである)ので喜んでもらった。同一賃金同一労働は当たり前であるが、派遣会社が利益を抜けば同一にならないのも当たり前である。それがわかっていない。「4」は上記の通り我々のような利用方法であれば正社員になれるルートはある(少ないのかもしれないが)。

 そもそも、派遣は企業にとって都合の良い制度である。それは雇用の調整弁としてであり、正社員は簡単に首にできないが、派遣社員なら都合で雇い止めにできる。そういうニーズから生まれてきたものである。もし派遣という制度がなければ、企業としては正社員として雇うか雇わないかの選択を迫られる事になり、もしかしたら雇用自体が生まれなかったかもしれないのである。その時は「派遣の口」すらなかったわけで、失業が長引いていたとも言える。それでいいのだろうか。

 そもそも派遣制度に文句があるなら、派遣になどならなければいいのである。派遣しかないのであれば、失業したままでせいぜいアルバイトくらいしかないわけで、それが良かったのであればアルバイトをすればいいのである。「アルバイトは嫌、でも正社員にはなれない、失業も嫌」となって派遣社員になったのであれば、何で文句を言うのだろうかと思う。雇い止めになる可能性がある事はわかっている事であるから、その時に備えておけばいいだけである。冒頭のネットニュースの方は、16年間も何をしていたのだろうかと首を傾げざるを得ない。

 マスコミも「雇い止めはひどい」という論調でしか語らないが、そういう問題の本質を理解していないとしか言いようがない。16年間派遣で働いていたこの方は、派遣制度があったから働けたのであり、そうでなければ働けなかったのである。その方が良かったのだろうか。派遣制度があるから正社員になれないというのは間違った考えである。もちろん、派遣制度がなければ企業もある程度は正社員として雇わざるを得ないだろうが、それでも総数ではない。派遣の者が「すべて正社員になれるわけではない」のである。

 「雇用形態で差別が合法化」などどこをどう見ればそんな発想が出てくるのだろうかと思う。もちろん、物事を上部だけ見ていればそういう結論は出てくるが、嘆かわしい限りである。我が社も過去に正社員の産休時になどに派遣を利用したそうであるが、まさにそういうのが派遣制度のありがたいところである。正社員の給料以上の費用を払わなければならないが、その利便性には変えられない。今後もお世話になる機会はあるだろうが、大いに利用させていただきたいと考えている。

 いつもの事ではあるが、マスコミにはもっと勉強してほしいと改めて思うのである・・・

Rosy / Bad Homburg / GermanyによるPixabayからの画像

【今週の読書】
「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策 - 今井 むつみ  グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない (&books) - ロバート・ウォールディンガー, マーク・シュルツ, 児島 修  メガバンク銀行員ぐだぐだ日記――このたびの件、深くお詫び申しあげます (日記シリーズ) - 目黒冬弥




2024年8月14日水曜日

娘に時計

 先週末の3連休、娘と買い物に行った。娘はこの春大学を卒業して就職。そのお祝いに何かプレゼントしようと希望を聞いたところ、「時計」という答えが返ってきたので、それを買いに行ったというわけである。就職したのは4月だからずいぶんのんびりした話なのだが、一度買いに行ったところ、娘もどれがいいか決めかね、少し時間が欲しいとなったのである。娘なりにあれこれと調べていた結果、ようやく欲しいものが決まったとなってこの時期となったというわけである。そういうわけで、娘と再度一緒に出掛けたのである。

 出かけて行った先は池袋のヤマダ電機。家電量販店で時計というのも異な気がするが、その品揃えは下手な専門店より充実している。前回は時計専門店を数店回って見たのだが、娘の気に入るものはなく、結局のところ家電量販店に落ち着いたという次第である。商品は各メーカーのものがいろいろとあって、価格帯もそれなりに幅広くある。就職祝いという事で、やはりそれなりのモノにしたいと思っていたが、結果的にはそれなりの価格で、本人の気に入ったものが買えたので良かったところである。予算的にも覚悟していたほどではなく、親子ともに満足であった。

 就職祝いをと思ったのも、これで「子育て」は終わりという自分自身への一つの大きな区切りであり、また社会人となる娘に対する激励の意味もある。資金は私のポケットマネーであるが、どこから出してきたのかと妻に問いただされないかヒヤヒヤしたが、杞憂に終わったのも良かったところである。やはりこういう時のために自由になるお金は手元に置いておきたい。そうした余裕を持てるようになったのも(秘密の収入を確保したからなのだが)、これまでいろいろと努力して身につけてきた仕事の能力の成果だと密かに自負している。

 思い起こせば、私も大学に合格した春に父親から腕時計を買ってもらった。それまで親にあまり何かを買ってもらう(ましてや父親から)という事がなかったから、突然言われて驚いたものである。そうして迷って今でも使っている腕時計を買ってもらったのである。時計を買ってもらったという事以上に、何かその時の父親の思いのようなものを感じて嬉しかったのであるが、自分も父親となった現在、同じ事をしたかったという事もある。娘が今回の買い物についてどんな感想を持ったのかはわからないが、記憶に残ってくれれば嬉しいと思う。

 想定していた予算の半分で済んで良かったのは確かだが、もしかしたら娘も遠慮したのかもしれないという思いもある。実際はどうだろう。支払いを終えた時に娘から「ありがとう」と言われた。それは当然のようにも思うが、ふと思った。その感謝の気持ちはどちらからだろうかと。父に時計を買ってもらい、自分も娘に時計を買ってあげられた。無事に生まれ育って社会人となってくれた。お金は私が出したが、それで娘に時計を買ってあげられたという喜びが得られた。むしろ私の方が感謝したいという気持ちである。

 普段、娘とはあまり話をしない。何を話していいかわからないという戸惑いもあるが、娘の好みなんかもほとんどわからない(好きなアイドルくらいはわかるが・・・)。今回は2人だけで買い物に行き、帰りに2人でフラペチーノを飲み、いつになく充実した時間を過ごせたのも良かった。まだ仕事の愚痴は聞かないが、これからいろいろと大変な事も出てくるだろう。親に何ができるという事もないだろうが、相談くらいには乗れるかもしれない。頑張って人生の試練を乗り越えていってほしいなと思う。

 親父に買ってもらった時計は41年経ってもまだ普通に動いている。私もそれを週に1回はつけて出勤している。娘がその時計をどれくらい使うかはわからいが、同じSEIKOだし、長持ちしていつまでも「父親に買ってもらった」事を覚えていてくれたらいいなと思う。次は4年後に息子が社会人になる(きちんと大学を卒業して就職してほしい)。息子にもやっぱり何かお祝いに買ってあげたいと思う。そしたらもう一度感謝の気持ちを持てるだろう。その時までにまた秘密の資金をしっかり貯めようと思うのである・・・

【本日の読書】
「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策 - 今井 むつみ



2024年8月11日日曜日

夏休み

 先週、夏休みが終わった。今の会社も夏休みは交代で取ることになっていて、毎年のことだが、どこへ行くにも激混みとなるお盆を避けての取得である。前職では、転職時にお盆に夏休みを取得した事があるが、それは会社全体でこの時期に休みを取るというものであったためにやむなく従ったのであるが、元々アマノジャッキーな私としては我慢ならず、翌年から交代制にしようと主張して会社の制度を変えてしまったという過去がある。そうして今年もお盆を避けて休みを取ったという次第である。

 思い起こしてみれば、昔は「休むことは悪」という風潮が世の中にはあったが(何せ「24時間戦えますか」の世の中であった)、今はそういう風潮はほとんどないと言える(少なくとも私の周辺では)。いい時代というか、昔が異常であったと言える。銀行員時代、夏休みはもちろん交代で取っていたが、毎日1回は職場に連絡を入れなければいけないというルールがあった。休み中の本人に聞かないとわからない事があった場合のためというのがその理由。私はこれが嫌でたまらなかった。

 今考えても当然であるが、休みは従業員としての権利であり、心身ともにリラックスするために、休みの日は仕事を離れてのんびりできる期間である。しかしながら、休む事が悪という風潮にそれは反している。その根底には、「休んでも周りに迷惑をかけないようにしなければいけない」という雰囲気があった。ちなみに今は「おかげさまとお互い様」を合言葉に、「休む人が気持ちよく休めるようにすれば自分も気持ちよく休める」という精神を部下には強要している。当時の風潮に対する反発である。

 銀行の主任時代だったが、反抗的な私はその夏海外旅行へ行った事もあって、あえて休み中に電話を入れなかった事がある。海外から高い国際電話をかける気にはなれなかったのである。すると、なんと日本の職場からホテルにまで電話がかかってきたのである。呼び出しを受けて、何かトラブルがあったのかと慌てて電話を取った。すると「連絡がないから」と言う。ついでのように事務的な質問をされたが、私も本部の事務部門に聞かないとわからない。「こちらで聞きますか?」と嫌味のように返したが、さすがにそこまでは求められなかったが、旅行気分をぶち壊されたのは言うまでもない。

 今も私と同世代の人間には、「休むのが悪」という雰囲気は根強い。我が社の社長のように「仕事が趣味」となれば休まないのも理解できる。そういう人はいいと思うが、私は今でも「休む派」である。もう子供も大きくなれば家族旅行という事もなく、休んでも何をするのかと問われると痛いところだが、それでも普段平日にしかできないことをしたり、今年は家族にも黙って都内のアパホテルで1人過ごしたが、エアコンの効いたホテルの室内でのんびり映画を観たりドラマを観たり、ネットサーフィンをしたりと過ごし、大浴場に浸かったのはいいリラックスタイムであった。

 もっとも私も完全に頭の中をオフにしたわけではない。取締役として仕事には責任を持っているが、今はスマホで会社内のやり取りが見えるし、メールチェックもできる。合間合間に確認する事で、「何か起こってないか」と案じる事もなく、チェックする事で逆に安心を得られたという効果もある。あの時もスマホとチャットツールがあれば、お互いストレスなく海外旅行を楽しめたかもしれない(ただあの時はそこまでしたいとは思わなかったと思うが・・・)。

 世の中の進歩は、確実にいい方に向かっていると思う。時代の風潮や技術などの恩恵も大きい。今は銀行ではどんな働き方をしているのだろうかとふと思う。働くのが苦行だったのは過去の事になったのだろうか。私も仕事が趣味ではないが、安定した望み通りの生活を送るためにも仕事で成果を上げる事は必須であり、そのためにこそ頑張ろうと思う。夏休みは十分リラックスできたし、また来年の夏休みを楽しみに、1年間楽しく働こうと思うのである・・・


นิธิ วีระสันติによるPixabayからの画像


【今週の読書】

歴史学者という病 (講談社現代新書) - 本郷和人  父が息子に語る 壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書 - スコット・ハーショヴィッツ, 御立 英史




2024年8月8日木曜日

論語雑感 泰伯第八 (その5)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感

【原文】
曾子曰、以能問於不能、以多問於寡、有若無、實若虚、犯而不校。昔者吾友、嘗從事於斯矣。【読み下し】
曾(そう)子(し)曰(いわ)く、能(のう)を以(もっ)て不(ふ)能(のう)に問(と)い、多(おお)きを以(もっ)て寡(すく)なきに問(と)い、有(あ)れども無(な)きが若(ごと)く、実(み)つれども虚(むな)しきが若(ごと)く、犯(おか)さるるも校(こう)せず。昔者(むかし)吾(わ)が友(とも)、嘗(かつ)て斯(ここ)に従(じゅう)事(じ)せり。
 【訳】
曾先生がいわれた。「有能にして無能な人に教えを乞い、多知にして少知の人にものをたずね、有っても無きがごとく内に省み、充実していても空虚なるがごとく人にへりくだり、無法をいいかけられても相手になって曲直を争わない。そういうことのできた人がかつて私の友人にあったのだが」 
 ************************************************************************************ 
 どんなに優秀な人間であってもすべての物事に精通しているわけではない。となれば、自ずと知らないことが出てくるのは当たり前だと言える。しかし、世の中には「知らない」という事を恥じるのか、知っているふりをする人間はいる。自分は日頃から「知らない」「わからない」という事をきちんと表明するように心掛けている。それは何も恰好をつけているわけでもなく、聖人ぶっているわけでもない。ただ、「かっこ悪く思われたくない」からである。

 やはり知らないのに知っているふりをするという事は、特にそれがばれた場合、とてもかっこ悪いものである。立場上、知らないとは言えないケースがあるのかどうかはわからないが、立場が下の者にばれたらよけいその権威は崩落する。そんなかっこ悪い無様な姿をさらすくらいなら、初めから「知らない」と言ってしまった方が、少なくとも内心でバカにされる事態は防ぐことができる。どちらがいいかなど、考えなくても答えは出る。

 私の知り合いの方は、高級官僚時代は時の総理大臣とも交流があったほどの方であるが、齢90を越えてもなお矍鑠としていて、非常に謙虚であり、人に教えを請うのを厭わない。まさに「実ほど首を垂れる稲穂かな」といった有様である。その姿勢ゆえに尊敬の念が自然に湧いてくる。人に尊敬されたいと思ったら、まさにその方のように振る舞うべしという見本のような方である。そのような良き見本がいるからこそ、私も自然にそう思える。

 それに謙虚な姿勢だろうか。知らない事を素直に知らないと言う事も大事であるが、常に学ぶ姿勢を示している姿も尊敬の念を起こさせる。知り合いのシステム開発会社の社長さんであるが、昨年社長を引退した。悠々自適の生活を送ろうと思えば送れるのに、今も顧問として残って毎日出社している。と言っても何か仕事をしているわけではなく(困った時の相談役という位置付けである)、これからのAI時代に中心となるPythonという言語を独学しているのである。

 私のラグビー人生も随分長くなったが、やっぱりうまい人ほどよく練習している。チーム練習が終わったあとも、自分の弱点を克服すべく、あるいは得意なプレーを強化すべく、次の試合でやりたいプレーの精度を上げるべく練習する。そうでない人は、全体練習が終わると満足してすぐに上がってしまう。うまい人は、歯を食いしばって練習しているというより、「楽しいから」練習しているようにも思える。「このプレーを試合で使ってうまく行ったらうれしい」というワクワク感から練習しているように思える。

 論語の時代は今から2,500年も前であるが、その頃から既に人の尊敬を集めるような人の姿というものは一定のものがあったように思う。そしてそうした知恵が2,500年も前からあったのであれば、もう少し尊敬できる人物が世の中に溢れかえっていてもいいように思う。もっとも、それも学んでいてこそであり、学んでいなければそもそもそんな事もわからないのであるから、知ったかぶりをしたり、無いのにあるように振る舞い、充実しているように振る舞うのかもしれない。古の教えはやはり大事であり、それを学ぶ事も大事であると思わされる。

 「無法をいいかけられても相手になって曲直を争わない」というのは、わかっていても難しいところがある。「(争いたくても)争えない」というケースは別として、「争うことができる」場合、そこに必要なのは、己の相手に勝ちたいという気持ちを抑える理性が必要となる。これが私にはけっこう難しい。そういう時はいつも「ライオンに勝てると思えば猫にもなれる」という言葉を思い出すようにしているが、まだまだそういう境地には至れていない。わかっていても難しいという事はあるものだと思う。

 わかっていれば適切に行動できるところと、わかっていても難しいところはある。2,500年も変わらぬのが人間の性なのだろうが、「かっこ悪い人間にはなりたくない」という己の思いを実現するように行動したいと思うのである・・・


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【本日の読書】
父が息子に語る 壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書 - スコット・ハーショヴィッツ, 御立 英史




2024年8月4日日曜日

提案力が大事

 私が働く会社はシステム開発の会社である。私はと言えば、銀行、不動産と仕事をしてきたがエンジニア経験はないので、今の会社の本業はよくわからない。わからなくとも、取締役という立場上、わからないから何もしないというわけにはいかない。みんなどんな仕事ぶりをしているのか、それがいいのか悪いのかも判断がつかない。私の担当は財務・人事・総務部門なのだが、それでも問題意識を持っていて、聞こえてくる話を基に考えてみたところ、どうやら社員のみんなには「提案」という考えが弱いらしい事に気がついた。

 「提案」とは文字通りであるが、「言われた通り」にするのではなく、こちらから「こうしたらどうか」と働きかける事である。これがあるかないかで、仕事の成果もだいぶ違ってくると思う。銀行は以前は護送船団方式で、どこにお金を預けてもどこでお金を借りても一緒であった。だから提案力がないと取引も厚くならない。現実にはそれまでの「お付き合い」を基にしたお願いベースで取引を増やしていたのであるが、「こんなことをしてみたらどうか(資金はご融資いたします)」という提案ができれば、他行に差をつけられたものである。

 前職の不動産業時代、とあるアパート大家からトイレにウォシュレットを設置したいという相談を受けた。全室で確か30万円くらいだったと思う。私はそこで、「なんでウォシュレットなのか」と聞いたところ、話を聞いてきた担当者によると、「女性を入居させたいから」という事であった。ウォシュレットのない部屋だと女性に敬遠されるという事でウォシュレットを設置したいという事になったそうなのである。しかし、ならば「ウォシュレットでいいのか」という疑問がその時私に湧いた。

 当時、私も賃貸住宅の競争力アップに関心があり、いろいろと考えていて、「デザイン」という事に行き着いていた。クロスから始まり、キッチンなど独自のデザインにしてこの部屋に住みたいと思わせれば、他との比較にならずに済むと考えたのである。価格競争(家賃の値下げ競争)に陥らずに済むと。そこでウォシュレットだけでなく、部屋の内装についても女性が喜びそうなものにしようとオーナーに提案することを提案した。ところが社内の反応はイマイチ。というか及び腰であった。

 それもある意味当然で、それまで誰もそんな発想など持っていなかったからである。いろいろと議論する中で、社長が言ったのは「理屈はわかるが、まずはお客さんの言う通りにきちんとする事が大事ではないか」という事であった。もっともらしく聞こえるが、要は「言われた事だけやりましょう」という事である。それがお客さんの希望であり、それに応えていれば問題はないという事である。しかし、それだとお客さんがうちに依頼する理由は何だとなると、「価格(どれだけ安いか)」になってしまう。つまり価格競争になるという事である。

 価格競争はどれだけ安いかの競争。それだと利益を減らすか、原価を落として(それは質を落とす事にもつながる)いくという事になる。しかし、価格以外の価値を提供できれば価格競争から脱する事ができる。普段から社員には「言われた事だけしていてはダメ」と言っているのに、お客さんに対しては「言われた事だけしましょう」というのはないだろうと私は反論した。そんな仕事をしていては、いつまで経っても相見積もりからは抜け出せず、薄利に苦しむ事になる、と。

 残念ながら、結果的にその時点では会社にそれだけの提案力がなく、薄利でその仕事を請け負った。後日、内装力アップに取り組むきっかけにはなったが、「提案」という事を考えるいい例だと思っている。提案力とは会社の競争力そのもののように思う。たとえこちらの提案に反対されたとしても、それはそれで構わない。その時点で初めてお客さんの言う通りにすれば良いのである。その提案は、きっとどこかで相手の心に残っていて、次の機会に繋がるのであれば、その効果はあったと言えるわけである。

 提案と言っても簡単にできるものでもない。必死になって考えないと相手の心を動かすような提案はできないだろう。だが、だからと言って言われた事だけしていてもいいと言うわけではない。そこに甘んじていると、提案をしてきた競争相手に仕事を取られるかもしれないし、現実的に我が社のある長期プロジェクトでは単価のディスカウントを要求されてしまった。「何も提案もしてくれないし・・・」と言うのが相手の担当者の弁。仕事の質を高める事を意識しないといけないが、そのための具体的手段が「提案」であると思う。

 個人でも言われた事だけしている人よりも、いろいろと意見を出してくる者の方が頼り甲斐があるように思える。一味違う事を見せるためにも、「提案」は欠かせないと思うのである・・・


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【今週の読書】
歴史学者という病 (講談社現代新書) - 本郷和人  父が息子に語る 壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書 - スコット・ハーショヴィッツ, 御立 英史




2024年7月31日水曜日

管理職を育てる

 社員教育の重要性はどこの会社でも同じだと思うが、中小企業においては特にそうである。我が社の場合も例外ではないが、まずは管理職について、一定レベルまでにはなって欲しいと思う。我が社に来てちょうど3年。それまでどうしていたかというと、「育つ奴は勝手に育つ」という状況。管理職についても、各々が「これでいいのだろう」と各自が思うように振る舞っており、統一感がない。それではさすがにまずいとなって、教育について力を入れていく事になったのである。

 さっそく、目につくのが部長候補のA氏。仕事の面では問題ないが、部長となると+αの管理能力が求められる。そこで社長自らがあれこれと要求を出すが、「私はまだ部長ではないので」とか、「部長になったらやります」との答えが返ってきて頭を抱える。「部長になったらやる」と言われても、こちらとしては「やれるから部長にする」のである。順番が違う。これは課長以上の管理職にはみな当てはまる事であるが、管理職というものの意味を理解できて行動できる人を管理職にするのであるから、「なったらやる」という人は一生なれない。

 新人には「給料分だけ働いていると給料分の人間になる」と教えている。常に給料分以上の仕事をしろという意味である。そしてそれは新人だけに当てはまるものではなく、役員を含めた全員に当てはまる事だと考えている。「管理職ではないから」と管理職未満の仕事をしていると、管理職未満の仕事に見合った人間になり、管理職にはなれない。「なれる」と言いたい人はいるかもしれないが、できなければ降格してもとに戻すというわけにはいかない。やはり「できるから昇格させる」ものなのである。

 また、別の機会であるが、来期の計画をそろそろ立てようという事になっているが、A氏は「目標が高すぎる」と言い出した。そもそも目標をどこに置くかという問題はある。目標は低過ぎてもいけないし、高過ぎてもいけない。しかし、目標自体は役員間で同意したもの。頑張らないと手の届かないものではないが、簡単に達成できるものではない。そこは個人の感覚による違いはあるかもしれないが、役員で同意した目標なので適切だとの前提で考えるが、「目標を下げる」という考え方は何よりも間違いであると考える。

 A氏には足元の現状から届く範囲というのが見える。それが適正だとするなら、手の届く目標ばかり追いかけていては会社の成長はない。微妙に手が届かないからこそ創意工夫をするのであって、その創意工夫が大事だと考えている。普通にやっていたら手が届かないからこそ、今までとは違うやり方を試みたり、新しい事にチャレンジしたりするのである。そうしないと目標には届かない。そしてそれこそが企業に成長をもたらすものだと思う。A氏は現場に近く、現場がよくわかっているからこそ、現場の発想でしか考えられないという限界がある。

 そうした事がすんなりと腹落ちして理解できる者とA氏のように引っ掛かって腑に落ちない者とがいる。ではすんなり理解できるものだけを引き上げれば良いかというと、そこは中小企業の悲しさ、そんな事を言っていたら引き上げる人間がいなくなってしまう。なので、引き上げられるように教育していく必要がある。何と言ってもA氏は実力があるのである。足りない部分は経営感覚だけなのである。そこを補うのは、やはり経営陣の役割だと思う。それにしても、すんなり理解できる人とできない人との差はどこからくるのだろうかと思ってしまう。

 1つには「視野の広さ」というのがあるかもしれない。自分の仕事の周辺しか見えていないと、「この現状でどうやって売上を伸ばせばいいんだ」と思うのは当然だろうと思う。しかし、そこをもっと俯瞰して考えるのが経営である。新規の取引先を開拓したり、他の企業と戦略的に提携して新たな収益ルートを確保する等、現場だけでは考えられない事を考えたりする事も必要だったりする。もちろんそれは経営陣の役割部分も大きいが、すくなくとも自分たちの限界以上は何か考えなければならないという意識だけでも持っていてほしいところである。

 そういう意識の部分はやはり教育という事になるのだろう。いずれ会社を担う立場になってもらうためにも、そこは自分たちの責務としなければならないと思うのである・・・


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【本日の読書】

歴史学者という病 (講談社現代新書) - 本郷和人  父が息子に語る 壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書 - スコット・ハーショヴィッツ, 御立 英史





2024年7月28日日曜日

臓器売買は本当に悪なのか

Mine! 私たちを支配する「所有」のルール - マイケル ヘラー, ジェームズ ザルツマン, 村井 章子

 『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』という本を読んだ。面白い着眼点の本で、言われてみれば確かにその通りだが、そんなことは考えてもいなかった「所有権」にまつわる様々な問題が挙げられている。どの事例もそれぞれ興味深く、その根底に「所有/所有権」にまつわる問題があることがわかって面白かった。ただ、その中には深く考えさせられる問題もあった。それは自分の身体に関するもの。自分の身体は自分のものであるが、では自由にできるのか。そしてその一例として臓器売買が挙げられる。

 臓器売買は世界のほとんどの国で禁止されていて、公認されているのはイランくらいらしい。我々の感覚でいけば当たり前のようであるが、髪の毛は自由に売買できるが、なぜ臓器はダメなのか。かつて血液も売ることができたが、今は禁止されている。その理由は「命に関わるから」であろう。髪の毛は切ってもやがて生えて元に戻る。切ることは簡単で命の危険もない。しかし、臓器は手術のリスクがあるし、摘出後に健康を害する可能性もある。だから禁止するのもよくわかる。

 血液も同様で、適度(3ヶ月間隔で200〜400ml)であれば献血は認められているが、無償である。これも多過ぎれば命のリスクがある。そして売血を認めると、お金に困った人が命のリスクを顧みずに献血に走る可能性もある。2015年の韓国映画『いつか家族に』は、主人公がまわりが止めるのを無視して、家族のために限度を超えて売血する姿が描かれる。おそらく売血が可能となれば、金に困った人たちを中心に売りに行く人間はかなりいると思う。生活のためもそうだが、小遣いに不足するサラリーマンもかなり行くかもしれない。

 臓器売買が禁止されるのはよく理解できる。よくヤクザが絡む物語では、金を返せない相手に「臓器を売れ」と迫るのはよくあるストーリーだし、闇金なんかが金を返せない債務者にそんな返済方法を迫るのも容易に想像できる。しかし、『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』では思ってもみなかった世界の現実が紹介される。それは臓器売買が禁止されるアメリカでは、年間43,000人もの人が移植が間に合わずに亡くなっているのに対し、認められているイランではなんと0だと言う。

 考えてみれば、売る方に着目してばかりだと気づかないが、売った先には助かる命があるというのも事実である。もちろん、借金の取り立てに本人の意思に反して売らされるのは論外だが、自主的に売ってもいいと思うのも禁止すべきなのだろうかと思う。事実、先の本では住宅ローンを返済するために深夜労働などの重労働を強いられるよりも、臓器を売って楽に過ごせるならその方がいいのではないかという疑問も投げかけられる。

 考えてみれば、血液だって戦後の混乱期ならまだしも、今であれば厳格な本人確認と記録化によって安全に売血できる仕組みは作れるだろうし、そうすれば売る人も増えて血液が足りなくて必死に呼びかける必要もなくなるように思う。問題があるとしたら、私も今不定期に献血を行なっているが、売血と見られると嫌なので足が遠のくだろうと思うので、そういう献血者が減るかもしれないという危惧だろうか。

 ただ、臓器が買えるようになった場合、うまく仕組みを作らないと、「金持ちだけが助かる」という事態を招くことになるかもしれない危険がある。うまい具合に供給が需要を上回れば問題がないかもしれないが、そうでなければお金のない者が臓器移植のネットワークから弾き出されてしまうかもしれない。これは真剣に考えないといけないところである。ただ、頭からタブー視して議論もしないという態度ではなく、どうやったら問題なくできるのかを考えてもいいようにも思われる。

 売る側の倫理的な問題からだけではなく、「助かる命」という視点からも考えるべきではないかと思うのである・・・


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【本日の読書】
リーマンの牢獄 - 齋藤栄功, 阿部重夫





2024年7月25日木曜日

論語雑感 泰伯第八 (その4)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
曾子有疾。孟敬子問之。曾子言曰、鳥之將死、其鳴也哀。人之將死、其言也善。君子所貴乎道者三。動容貌、斯遠暴慢矣。正顏色、斯近信矣。出辭氣、斯遠鄙倍矣。籩豆之事、則有司存。【読み下し】
曾(そう)子(し)、疾(やまい)有(あ)り。孟敬(もうけい)子(し)之(これ)を問(と)う。曾(そう)子(し)言(い)いて曰(いわ)く、鳥(とり)の将(まさ)に死(し)なんとする、其(そ)の鳴(な)くや哀(かな)し。人(ひと)の将(まさ)に死(し)なんとする、其(そ)の言(げん)や善(よ)し。君(くん)子(し)の道(みち)に貴(たっと)ぶ所(ところ)の者(もの)三(さん)あり。容貌(ようぼう)を動(うご)かしては、斯(ここ)に暴慢(ぼうまん)に遠(とお)ざかる。顔(がん)色(しょく)を正(ただ)しては、斯(ここ)に信(しん)に近(ちか)づく。辞気(じき)を出(いだ)しては、斯(ここ)に鄙(ひ)倍(ばい)に遠(とお)ざかる。籩豆(へんとう)の事(こと)は、則(すなわ)ち有(ゆう)司(し)存(そん)す。
【訳】
曾先生が病床にあられた時、大夫の孟敬子が見舞に行った。すると、曾先生がいわれた。
「鳥は死ぬまえに悲しげな声で鳴き、人は死ぬまえに善言を吐く、と申します。これから私の申し上げますことは、私の最後の言葉でございますから、よくおきき下さい。およそ為政家が自分の道として大切にしなければならないことが三つあります。その第一は態度をつつしんで粗暴怠慢にならないこと、その第二は顔色を正しくして信実の気持があふれること、その第三は、言葉を丁重にして野卑不合理にならないこと、これであります。祭典のお供物台の並べ方などのこまかな技術上のことは、それぞれ係の役人がおりますし、一々お気にかけられなくともよいことでございます」

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 普段、自分が死ぬことなど考えることはないが、それでも何となく死ぬ時までにやっておいた方がいいなと思う事はある。曾先生のように死の間際に子供たちを枕元に呼んで思いの丈を語るというのも悪くはないが、自分はみんなに看取られて死ぬよりも人知れずひっそりとというのがいいと考えている。よって言いたい事は事前に伝えておきたい。そうすると、遺言という言葉が頭に浮かぶが、遺言と言うと財産の分配というイメージが強い。そういう意味での遺言はたぶん残さないだろう。

 子供たちに伝えたい事は、自分が今まで生きてきて学んだ事だろう。社会の中で生きていく上での考え方である。ただ、それも死の間際にまとめてというよりも、今から少しずつという風に思う。やはり曾先生の言うように「死ぬ前に善言を吐く」というのは自分にはあたらないだろう。善言ではないが、死に際して言い残すとしたら、自分の葬儀とか供養とかそういうものになるだろう。それであれば、忘れずに言い残したいと思う。

 まずは葬儀であるが、近親者だけでいいし、何より仏教式でなくていいという事は強調したい。もとより仏教徒ではない。なのに死んだときだけ急に仏式にする必要はない。よってお坊さんを呼んでお経をあげてもらう必要はない。生きている時に聞いてもわからないお経を死んでからあげてもらっても嬉しくもない。お釈迦様に弟子入りするつもりもないので戒名もいらない。今は簡略化して同時にやる初七日も四十九日の法要も必要ない。葬儀は自由形式でいいし、供養ならそれぞれ心の中で思ってくれるだけで十分である。

 葬儀に関しては、みんなどうしていいかわからないから無難な仏式にしていると思う。その時になって慌てて何宗だったか調べ、お寺を紹介してもらい、あたふたと葬儀社の人に言われるまま準備しているのをこれまで目にしてきた。家族が事前に準備するのもいかがかと思うから、ある程度は自分で(葬儀社を決めて打合せをするとか)準備しておきたいと今は思う。仏式でやらないとすれば、どうすればいいかと戸惑うだろうから、そのあたりも考えておかないといけない。

 墓は両親が故郷の長野県に自分たちのために用意しているところがある。小さな墓所だが、そこでいいと思う。家族が(特に妻が)どうしたいかは妻が決めればいいこと。一緒でなくてもいいと思っているので、そこはいずれ話し合いだろう。長野県は遠いが、墓参りも不要だと考えているので気にしない。それも言い残すことになる。供養は心の中で思ってくれればいい。どうせ墓には私の骨しかないし、本人たちが骨に意味があると思えばくればいいが、来なくても恨みはしない。

 私は人間は死んだらそこで消滅して終わりだと考えている。だからこの世に私の霊魂は残らないし、墓には骨があるという以上の意味はない。墓に来るという行為が何かの意味を持っているなら、わざわざ時間をかけてくるのも意味があるだろうが、私に悪いと思うだけならそれは無用だと伝えたい。死者を悼むのであれば、それは体を動かす事ではなく、心の中で思うだけで十分なのである。納骨を済ませれば、あとは時折私の事を思い出すだけで自分たちの生活を優先してくれればいいと考えている。

 自分の葬儀では、義務感で来てほしくはないなと思う。実は私は人の葬儀に参列するのがあまり好きではない。最後になにか話ができるのであればともかく、死顔を見たいとは思わないからである。それは裏を返せば自分も見られたくないという事であり、「お世話になったから」とか、そういう感覚で来てほしくはない。ただ、生前に挨拶状か挨拶文を作っておき、死んだら息子にそれを投函または投稿してもらいたいとは思う。そこでお世話になった人に自らの言葉でお礼を伝えるのである。死者からのお礼状というのも面白いと思う。

 曾先生の言うように死ぬ前に善言を吐くよりも、生きている間に善言は伝えておき(あれば、だが)、死んだ後の事は上記の通り伝えたいと思う。それが私の遺言と言えば遺言と言えるものである。唯一の不安と言えば、認知症であろうか。そんな思いもすべて忘却の彼方に行ってしまったら意味はない。意識のしっかりしている間にやっておきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】
リーマンの牢獄 - 齋藤栄功, 阿部重夫





2024年7月21日日曜日

ハッキリ言いにくい

エレガントな毒の吐き方 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術 - 中野 信子

 『エレガントな毒の吐き方』という本を読んだ。著者は脳科学者の中野信子氏。サブタイトルに「脳科学と京都人に学ぶ『言いにくいことを賢く伝える』技術」とあるが、あまり脳科学とは関係ない。むしろ京都人の「イケズ」を採り上げてこれをメインテーマとしているのが特徴である。京都人のイケズとは「ぶぶ漬け」が有名であるが、遠回しに言いにくいことを言うことである。

 個人的には、昔から「言いたい事はストレートに言う」というのが好みで、以心伝心など都合の良い言い訳に過ぎず、人間はやはりハッキリ言わないと伝わらないと考えている。子供の頃からそれでよく母親と言い争いをしたし、いわゆる「空気を読む」のも苦手であり、嫌いである。若い頃は女性に振られると、なぜなのかと理由を知りたがった。どうして自分ではダメなのだろうかと。しかし、誰1人としてその理由を教えてくれる女性はいなかった。

 銀行員時代には、よく融資の申し出を断る場合に理由として「総合的判断」という言葉を使っていた。お断りすれば、当然相手はその理由を知りたがる。しかし、その理由をハッキリ言うと相手はそこにつけ込んでくる。「担保がない」とすれば、「では担保があれば良いのか」とか、財務内容が理由だとすると、次の決算までにそこを直せば良いのかとなる(もちろん良い場合もあれば、ダメな場合もある。ダメな場合は、「前回そう言っただろう」とのクレームになる)。経験則上、「総合的判断」と言えば、それ以上のツッコミはかわせるのである。

 おそらく、私がかつて女性たちに振られたのも「総合的判断」だったのだろう。「何となく違う」という気持ちも今なら理解できるし、自分なりにダメだった理由もわかるし、もしもう一度時間を戻せたら、今度こそうまく行く自信はある。そんな経験を繰り返してきたからか、「ハッキリ言わない」という良さも悪さもわかっているつもりである。しかし、それでもやっぱり「ハッキリ言う」方がいいと思うのは今も同じである。会社でも基本的にそれで通している。人事評価などは本人にハッキリ伝えているし、聞かれれば余程の秘密事項でない限り、業績なんかも含めてすべての社員に教えている。

 しかし、やはり言い難いことはあるもので、さすがの私もハッキリ言えないことがある。それは同じ役員に対する意見である。その役員は叩き上げの古参役員で、もちろん私が転職して入社した時にはすでに役員であった人物である。ところが当時から、役員というより部長的発言が多く、私も違和感を禁じ得なかったのである。我々は小規模な中小企業であり、役員は全員担当部門の部長を兼務している。そこで「役員とは」を理解していれば問題はないのであるが、その役員はそれを理解していないのである。

 会社の業績目標未達に際し、「自分の部は目標を達成した」と主張する。「達成できなかったのは他の部の責任であり、自分の責任ではない」と。部長としてはその気持ちはわかるが、役員は全社ベースで考えないといけない。自分の部の成績も大事だが、それも全社目標を達成した上での話である。私も総務部という間接部門を担当しているが、どうやったら業績目標を達成できるのか、自分の部署とは関係なくても「役員として」責任を持って意見具申している。

 それがあらゆる所でそういう言動が目につき、社長との折り合いも悪い。どうにもいかがなものかと思うも、やはり同じ役員としてハッキリ言うのも抵抗があり、間接的に気づいてくれるようにいろいろ試みてきた。社外の役員向け研修をあたかも社長の指示であるかのように装って一緒に受けたり(私にはわかりきった内容であった)、社外の講師を呼んで役員合宿をやって一緒に学んだり(もちろん講師には事前に狙いをネゴしておいた)、直接言わずに理解してもらおうとしたのである。ところが、やっぱり通じない。人間はやはり言葉で直接言わないと通じないものなのである。

 それはもう仕方がない。ただ、私の方が役員としては後輩だし、立場を尊重する必要もある。言われて素直に改善してくれればいいが、下手に感情的に対立されても困る。「猫に鈴をかける」のは確かに難問である。京都人ならどんなイケズを言うのであろうか。残念ながらそんなヒントになりそうな事はこの本には書かれていなかった。私はハッキリ言うのが信条ではあるが、人間関係も大事である。もう少し「遠回り戦略」を続けようと思うのである・・・


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【今週の読書】
Mine! 私たちを支配する「所有」のルール - マイケル ヘラー, ジェームズ ザルツマン, 村井 章子  ある行旅死亡人の物語 - 武田 惇志, 伊藤 亜衣