2022年9月19日月曜日

深淵をのぞき込む

 ここのところ『時間の終わりまで』という本を読んでいた。著者はアメリカの理論物理学者。大雑把に言うと、宇宙の始まりから時間に関する話、そして生命に関するあれこれといった話なのであるが、この手の話が好きなこともあって、よく関連する本を読んでいる。読んでも果たして本当に理解できたのかどうかは難しいところなのであるが、それでも読まずにはいられないところがある。

 そもそも宇宙はビッグバンによって始まったというのは、一般的によく知られている。しかし、ではそれ以前はどうなっていたのかはわからない。まったくの「無」だったのだろうか。そうだとしたらまったくの「無」からどうしてビッグバンが生じたのだろうか。ビッグバンというのはかなりのエネルギーの爆発(という表現が正しいのかわからないが・・・)だと思うが、いきなり「無」から生じるのか、それともそれ以前に何かがあったのだろうか。

 クリスチャンならそこに旧約聖書を持ち出して、「神が光あれと告げたから」ということで納得するのかもしれないが、実に不思議でたまらない。話は量子物理学の世界にも及び、そこでは粒子の話になるのであるが、そもそもそういう粒子はどうやって生まれたのだろうかと不思議に思う。おおよそこの世の物質はすべてミクロの世界では原子から成り立っているというが、そういう原子や物質そのものはどうやって生じたのだろうか。科学は恒星や惑星の成分は分析してみせるが、どうして物質が生じ、それが集まって恒星になり、惑星になるのかは明らかにしてくれない。

 地球に目を転じると、無機物の集まりの中からどうして有機物が生まれ、生命が誕生したのかも不思議なこと。いろいろと説明はしてくれるが、そこには結局、これでもかという奇跡の積み重ねによる結果であり、『生命の謎 ドーキンス「盲目の時計職人」への反論』という本では、とうとうそれを「神の御技」としてしまっている。考えてみれば、今この瞬間、自分自身が存在し思考していることすら不思議なこととしか思えない。我々は「自分の意志」で生きることができないのである。

 本はさらに先に進み、宇宙の終わりをも語る。「ビッグリップ」というそうであるが、ビッグバンからおよそ1,000億年後だそうであるが、1,000億年という時間単位も想像の範囲を超えてしまう。人類(ホモ・サピエンス)の歴史だって10万年くらいだろうから、まるでスケールが違う。ましてや1人の人間などせいぜい80年ちょっとであるから、想像すらできない時間感覚である。それに時間の進み方は一律ではないとされているので、もう何を基準にしていいのかもわからない。

 こうしたことは、著者のような専門の学者さんが日夜研究しているのであり、我々一般人はその恩恵にあずかるしかない。しかし、私ならもしもそんな専門家になっていたら、気が変になっていたかもしれない。確か映画『アビス』で知った言葉であるが、「深淵(Abyss)をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」というのがある。ニーチェの言葉らしいが、そんな果てしのない世界を覗き込むと、そこに落ちていってしまいそうな感覚になる。

 そんな「深淵」などのぞき込まないのが一番である気もする。そんなことなど考えなくとも日常生活は送れるし、何も困らない。しかし、のぞき込みたくなるのが人間なのではないかと思う。この世の始まりはどうやって起こったのか、は誰でも疑問に思うだろう。昔の人はそれを神様に集約した。この世の不思議はすべて神様にお任せできたのは、ある意味幸せだったのかもしれない。しかし、今や神様の領域は随分と縮小してしまったし、「深淵」をのぞき込んでしまった以上は仕方がないと思う。

 それにしても宇宙の果てはどうなっているのだろうとやはり思う。それがわかる日がいつかくるのであろうか。宇宙の広さは「観測可能な」範囲で半径約465億光年だそうである。人類が火星まで行くのに約8ヶ月かかるそうだが、光の速さだと13分。その光でさえ465億年かかる広さって一体何なんだと思う。まさに「果てしない」としか言いようがない。始まりだ果てだ、終わりだと言っても、想像が及ばないのも無理はないかもしれない。

 もしもこの世を創造されたのが神様であるのなら、広大な宇宙のほんの片隅の小さな惑星に暮らす人間のことなど気にもしないのではないだろうかと思う。それは我々が自分の体の細胞のことなど気にもとめないのと同じである。そう考えると、神頼みなどしてもやはり意味はないと思う。「神仏は尊ぶが神仏に頼らず」という宮本武蔵の精神はやはり有効である。

 たまにはこうやって「深淵をのぞき込む」のもいいのではないかと思う。そうして一晩寝たら、また明日から現実に足をつけて仕事を頑張ろうと思うのである・・・


Felix-Mittermeier.deによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 


2022年9月14日水曜日

論語雑感 雍也第六(その24)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「齊一變かは、至いた於に魯ろ。魯ろ一變かは、至いた於に道。」

【読み下し】

子し曰いはく、齊せい壹ひとたび變かはらば、魯ろ於に至いたらむ、魯ろ壹ひとたび變かはらば、道みち於に至いたらむ。

【訳】

先師がいわれた。

「斉が一飛躍したら魯のようになれるし、魯が一飛躍したら真の道義国家になれるのだが。」

『論語』全文・現代語訳

************************************************************************************

 

 ここでは「斉」と「魯」という二つの国が採り上げられる。内容からすると、道義国家とは孔子が理想的と考える国家であり、魯はもう一飛躍すればそこに至る国。そして斉はもう一飛躍すれば魯のようになれる国というようである。それぞれがどんな国だったのか興味深いが、ここではわからない。だが、一体どんな国が孔子は良いと考えたのだろうかと思う。


 そもそも私はあまり「理想の国」的な考え方を持たない。だから孔子がどんな国を道義国家と考えたのかはわからないが、そうしたものを考えない。なぜなら、国のように多くの人が住む以上、そこには善人もいれば悪人もいる。道義国家がどんな国家であろうと同じであり、そこには道義的な人もいればそうでない人もいる。非道義的な振る舞いを受けた人にとっては、そこは道義国家とは言えないだろうと思う。そういうものだろう。


 我が国も世界の中ではいい国だと思う。日ごろ暮らしているとわからないが、海外との比較では治安はいいと言われているし、落とし物が届くとか、自動販売機が壊されないとか、我々には当たり前だと思うことが当たり前でない国があるのだから、それはいい国なのだろう。しかし、そんないい国でも、格差が問題になったり贈収賄があったり、もちろん殺人事件なども普通にある。「いい国」と言ってもそれは「相対的に」という但し書きがつく。


 私は昨年会社を首になったが、それは社長が1人で会社を売却してしまったため。従業員も皆首になったが、雀の涙の退職金が支払われただけで、社長は億単位の金を1人手にして悠々自適のリタイア生活を送っている。赤字会社を立て直したのは私であるが、そんな貢献度は無視されてしまった。道義的には問題行為であるが、法律には触れていないため、社長が罪に問われることはない。みんな泣き寝入りである。


 法律がすべて正しく機能し、正義と悪とを分かてればいいが、そうではない。人の数だけ正義があり、だから裁判所に裁判が絶えない状態になる。道義と言っても結局は本人が道義的だと思っていれば、それを判定する仕組みはない。おそらく孔子の時代もそうであっただろう。そしておそらく孔子も「絶対的な道義国家」など意図しなかっただろう。「より道義的な」国という意味だったであろうことは想像できる。


 すべては相対論ではあるが、だからダメとは思わない。やはり「よりいい国」はあり、そういう国に住みたいと思うし、我が国はそういう「よりいい国」であると思う。朝、いつも同じ時間に家を出ると同じ時間の電車に乗れるし、同じ車両に乗っていれば顔見知りもできてくる。隣の駅で降りる人を覚えたので、いつも一駅乗った後に座って通勤している。毎朝同じ時間に苦もなく出勤できる。それは我々日本人が「概ね」真面目に働いている結果である。


 外出時に特に警戒しなくても安全に暮らしていられるのも「概ね」みんな平和に暮らしたいと思って他人に迷惑をかけないようにと心掛けている結果であろう。元首相が白昼堂々射殺されるという物騒な事件が起こったりするが、それでもそれは日常の一コマではなく、異例な出来事である。そういう比較的相対的にいい国に住むためには、生まれただけではダメで、そういう国を維持しようとしないといけない。それは「誰かが」ではなく、「自分が」である。自らそういう風に振る舞わないといけないと考えている。


 「非道義的なことをされたから自分も誰かにそうする」ではなく、せいぜいそれは「目には目を」に止め、他人には常に道義的に振る舞い、お年寄りには席を譲り、エレベーターでは最後に降りる。ささやかながらそういう一人一人の積み重ねが大事であろうし、自分もそういう一隅を照らしたいと思う。理想の国家も大事だが、それを求めるのであればまず我が振る舞いよりと思うのである・・・


Michael SiebertによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 





2022年9月11日日曜日

100年

 我が母校の大学のラグビー部は今年創部100周年を迎えた。先日、それを祝う式典があり、日頃OB総会などにはとんとご無沙汰している私も参加してきた。「100年に一度、すなわち一生に一度」という誘い文句に誘われたところもあるが、自分の居場所の一つでもあるから大事にしたいという思いもある。我が部の創部は関東では4番目の古さであり、実力的には強豪校の足元にも及ばないが、歴史だけは肩を並べているのである。何か一つでもそういうものがあると誇らしく思うものである。

 100年前と言えば大正11年。イギリス発祥の紳士のスポーツであるラクビーなどほとんど誰知るというスポーツだっただろう。それをやろうと言って仲間を集め、部を創ったわけである。練習はできても試合相手は3校しかないわけであり、当時どんな様子だったのか想像もできない。そもそもコーチなんかいなかっただろうし、ルールブック片手にいろいろと試行錯誤したのかもしれない。やがて続々と各大学にラグビー部が創設され、「対抗戦」が始まる。当時は「優勝」なんて概念もなく、ライバル校との「定期戦」が晴れ舞台であったという。

 以来、100年。連綿と後輩たちに受け継がれて本年を迎える。今は鬼籍に入った創部メンバーの先輩たちはこれを知ったらどう思うだろう。私が入部したのは1984年。創部から62年が経っているが、当時はあまりそんな歴史認識は持っていなかった。年配のOBがたくさんいるなという程度である。関心と言えば自分達の成績がすべてであり、夢中になって4年間を過ごした。今は人工芝に覆われたグラウンドだが、人工芝の下の土の地面には私の汗と思い出とが染み込んでいる。部室には私が使っていたロッカーが今でも使われている。

 時間が経てば100年経つだろうというのは、実は大いなる過ちである。部員が減れば試合ができなくなるし、当然廃部という危機も訪れる。創部メンバーに続いて入部者がいて、それが途切れることなく続いたからこその100年である。特に我が母校は国立大学ゆえに推薦というものがなく、すべて試験に受からなければならないという「壁」がある。私の高校からは、私以降入部者がいない。受験した後輩はいたのであるが、残念ながら合格できずに終わり、「壁」に阻まれてしまった。そうした「壁」を突破した者が続いた末の100年なのである。

 まず試験を突破しなければならないという壁があり、次にラグビーをやろうという意志がないといけない。実はせっかく壁を突破しても、高校でラグビー経験があるにも関わらず、同好会に流れてしまう学生も多い。それはそれで個人の趣味であるから文句は言えないが、体育会に入ってまでやりたいと思わないのは残念である。私も早慶明といった強豪校に入学していたら、多分体育会ではやらなかっただろうから、なんとなくその気持ちはわからなくもない。だが、強豪校とは違った良さもあり、それを知っているからこそ残念にも思う。

 強豪校には、高校の強豪校から猛者たちが集まる。私など経験者といってもレベルが違うし、もしも入部したなら、大学時代のすべてをラグビーだけに集中しないとついていけない。そこまで大学生活のすべてを注ぎ込みたくはないという思いもあり、強豪校に行ってもラグビー部の門は叩かなかっただろう。我が母校はその点、程よいレベルだったと言える。逆にだからこそ初心者でも気楽に入れてレギュラーを目指せるというのも我々の特色でもあると言える(もちろん、強豪校に初心者で入ってレギュラーになる猛者もいるが・・・)。

 4年間など振り返ってみればあっという間であった。それ以後のOB生活は34年に及ぶ。もはやOBが主であると言っても過言ではない。式典には特に誘い合う事もなく赴いたが、そこで顔を合わせたのは久しぶりに会う先輩後輩と同期の面々。友人の少ない私だが、ここではあちこち声をかけるのに忙しい。来賓の中には高校のラグビー班のOBもいた。昨年70周年を迎えた高校のラグビー班もまた歴史のある存在である。どちらも自分の居心地の良い居場所であり、そういう居場所があるのが何よりも自分の喜びである。

 少子高齢化が深刻な世の中であり、これからも150年、200年と存続していくのかは不安に思うところである。たとえ続いたとしても150周年の記念式典には私はおそらく出られないだろう。式典でもらった100周年記念史にはしっかり自分の名前があった。自分は間違いなく、100年の歴史の1ページに名前を連ねている。そう思うと感慨ひとしお。それは私の2度とは経験できない4年間の証である。

 後輩たちはライバル校の中で苦戦を強いられている。昨年は全8校中の7位という成績であった。一つでも上を目指して欲しいと思いつつ、2度とは経験できぬ4年間をしっかり堪能して欲しいと思う。いつまでも歴史が続いていくのをOBの立場から応援したいとつくづく思うのである・・・


Forest WhiteによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 



2022年9月8日木曜日

円安

 円安が止まらない。ついこの間、130円を突破なんでやっていたと思ったら、とうとう140円を超えてしまった。一体、どこまで行くのだろうかと興味はそそられる。それにしても、記憶の中には、過去1ドル80円を超えて円高になった時にも、大騒ぎしていたことがある。円高の時も大騒ぎしていたし、今回の円安もまた大騒ぎしている。「大変だ」というマスコミの論調はどちらも同じ。一体、円安と円高、どちらがいいのだろうか、そしてどちらが悪いのだろうか。

 そもそもであるが、円高になれば海外のものが安くなる。円安になればその逆。となると、海外から物を買う人は円高が良くて、海外に物を売る人にとっては円安がいいということになる。逆に海外から物を買う人は円安は悪く、海外に物を売る人は円高が悪いとなる。なんのことはない。円高の時は海外から物を買う立場で「大変だ」と言い、円安の時は海外に物を売る立場で「大変だ」と言っているに過ぎない。「大変だ」と言えば、ニュースらしくなる。つまりマスコミが適当に騒いでいるということに他ならない。

 円安で輸入に頼る石油や天然ガスが割高になる。ただでさえ戦争の影響で価格が上昇傾向にあるからダブルパンチである。しかし、逆に輸出している企業は潤っているわけである。我が社でも先日、銀行とのお付き合いで導入していたドル建ての仕組み債が償還期を迎えたのであるが、想定以上の円安で思わぬ為替差益が出た。個人でも外貨建ての保険に加入しているが、ドル建ての解約返戻金の評価額は大きく上がっている。その分、保険料は高くなっている(ドルベースでは定額だが円換算額が引かれるのである)が・・・

 この円安下でホクホク顔の人たちはいるが、そういう人の笑みを載せてもニュースにはなりにくい。だから、円安で打撃を受けている分野を取り上げて、「大変だ」とやっているわけである。それが証拠に今度また円高に触れたら、そこでまた「大変だ」とやるだろう。もうだいぶ前からマスコミのニュースなど斜めからしか見ていないからそんな冷めた目で見られるが、日経新聞をまじめに読んでいるサラリーマンは注意しないといけない。冷静にいい悪いではなく円安を捉えないといけない。

 では、そんなマスコミのことなど無視して、日本にとって果たして円安と円高はどちらがいいのだろうか。これは正直言って、その人の立場によるだろう。海外から物を輸入する仕事をしている人なら円高がいいし、輸出しているなら円安がいいとなるだろう。実に明快である。日本全体にとってもどちらがいいとは言いにくいように思う。ただし、個人的にははっきりしていて、私は「円高信者」である。円安より円高がいいという考えは昔から変わらない。

 なぜそうかと問われれば、「国の通貨が高く評価されるのが悪いわけがない」と思うからである。実にシンプルである。海外旅行に行った時は、円高だと割安になる。お土産も余分に買える。円安より円高の方がいいに決まっている。円安になったら国内で過ごし、円高になったら出かけて行くという風にしたいものである(と言ってもここ10年近く海外に行く機会がないが・・・涙)。円安は国の通貨が安くなってしまっているわけであり、今の「大変だ」の方が本来は正しいのである。

 というわけで、本来正しい円安危機に晒されている現在、何より物価の値上がりは深刻である。いつも買っていた近所のお弁当まで値上がりし、サラリーマンの乏しい財布は大打撃を受けている。それで物価も上昇しているが、「デフレが問題」と称して「2%のインフレ誘導」と言っていた日銀の見解はどうなんだろうと思う。こういう形の物価上昇は満足なのだろうか。個人的には「デフレの何が悪い」と思っていたから、物価の上昇はとんでもないという一言に尽きる。

 日本経済にとってどうだとかは関係ない。マスコミに踊らされることなく思うことは、個人としてはあくまでも「円高、デフレ」歓迎である。その両方に反する現状は、やはり早く改善されてほしいとつくづく思うのである・・・




【本日の読書】

 



2022年9月4日日曜日

仕事はなぜ辛いのか

 ビジネスマンも50代後半となると、そろそろ「定年後」を考え始めるようになる。もっとも、私もそうであったが、もっと早くから考え始める人も当然いる。先日、大学時代のラグビー部の集まりがあったが、誰彼ともなくそんな話題となった。大企業に勤める者は60歳で定年となり、65歳まで雇用は保証してくれるものの、給料はガクンと落ちる。今相当もらっているという関係もあるが、年収が1/5になる者もいる。当然、そこからどうするとなる。

 外資系企業の社長をしている者は、60歳でキッパリ辞めるという。収入も十分もらっているし、あとはその時ゆっくり考えるという。再雇用制度を利用して嘱託社員になるしかないという者もいるが、仕事は面白くなくて本音は辞めたいと語る。贅沢と言えば贅沢であるが、本人にすれば切実な悩みなのであろう。そんな中で、私も定年後のことを聞かれた。否、「いつまで働きたいと考えているのか」と問われ、「70歳まで」と日頃考えている通り即答した。

 私は幸いにして、今の会社で役員に昇格したので、定年による年収ダウンはない。働きが悪ければもちろんクビになるが、とりあえずは大丈夫であろう。あとは会社がきちんと存続するかであるが、それは頑張るしかない。それはともかく、70歳まで働きたいと思うのは、収入面の問題(何せ住宅ローンは70歳まで続く)もあるが、たとえ十分な蓄えがあっても、やはり働きたいと思うだろう。それは働くことは、収入だけではなく、何かをやろうとする時、仕事ほど刺激に溢れるモノはないと思うからである。

 現在も会社では次々に生じる問題にどう対処するかで満ち溢れている。ちょうど決算期にあたるが、来期の事業計画はどうするか、役員間での意見の不一致や社員のモチベーションアップ、営業戦略等々問題は山積している。仕事とはこうした問題を解決していく連続だと考えているので苦にはならないが、まるで問題のモグラ叩きにいささか閉口しているのも事実。すべて思い通りに行ったら仕事もさぞや楽しいだろうと思うが、思い通りにいかないのが仕事でもある。

 仕事が辛い、あるいはつまらないというのは、考えてみればそれが自分の好みに合っていないからに他ならない。学校の勉強もそうだが、人間嫌なことをやらされるのは誰でも苦痛である。だが、勉強でも仕事でも面白いと思っている人間がいるのも事実。だから「やりたいことを仕事にしよう」などという意見が出てくる。それはその通り。仕事をやりたいことと一致させれば、仕事は辛いこと、つまらないことではなくなる。生活のために仕方なくやるモノではなくなるから仕事も楽しくなる。

 しかし、誰もがそういうやりたい事を仕事にできるはずもない。先日の集まりでも昔話で就活時の話になったが、当時は真剣に考えいるつもりでも今から思うといい加減だったと思う。学生の限界でもあるが、そんな学生が「やりたい事」を仕事に選ぶのはかなり難しい。かくいう私も、最初は仕事を好きになれなかったのも事実である。されどそんな私も、いつの間にかやる仕事を好きになることを覚えてからは変わったと思う。と言うより、正確に言えば、「与えられた仕事を好きなようにやる」あるいは「与えられていなくてもやりたければやる」ようにしてからだと思う。

 今の会社では総務部の部長という役職を与えられていて、そのメインの仕事は財務である。日々の会計記帳をチェックしたり、銀行と交渉したり、計画と実績をまとめてフォローしたりという仕事を与えられたが、今はそれにとどまらず、今までなかった経営計画を作ったり、役員会議のやり方を改めたり、誰も手を出していなかった人事の仕事に手を広げたり、総務の仕事も気がつくそばからどんどん変えたりしている。営業の話にも現場の話にも顔を突っ込んで意見を述べている。

 そうして気がつけばいつの間にか頼られる存在になって、役員にも引き上げられた。仕事は問題のモグラ叩き状態であるが、それを片っ端から叩いている。モグラ叩きも考えようによっては、叩いても叩いてもモグラが顔を出すという嫌なモノであるが、それをゲームにしているから楽しいのである。仕事もそんな感じでやっているから、大変ではあるが楽しくもある。できればずっと続けていきたいし、できれば役員報酬ももっともらいたい。もっともらうためにはそれなりの実績を出せばいいだけで、このモグラ叩きはお金をもらえる楽しいゲームである。

 みんなの話を聞きながら、ようは考え方次第だと改めて思う。60歳でリタイアできるほど高収入を得ているのは羨ましい限り。されど人を羨んでも仕方がない。自分は自分が置かれた環境の中で、楽しんで働くしかない。悠々自適の生活には程遠いかもしれないが、働かざるを得ない現役生活も悪くはないと思う。明日からまた仕事。憂鬱な日曜日の夜とは無縁の生活。楽しい1週間をまた迎えたいと思うのである・・・


Wolfgang EckertによるPixabayからの画像 

【今週の読書】

 



2022年9月1日木曜日

論語雑感 雍也第六(その23)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「智者樂水、仁者樂山。智者動、仁者靜。智者樂、仁者壽。」

【読み下し】

子し曰いはく、智さとき者ものは水みずを樂よろこび、仁よきひとなる者ものは山やまを樂よろこぶ、智さとき者ものは動うごき、仁よきひとなる者ものは靜しづかなり。智さとき者ものは樂よろこび、仁よきひとなる者ものは壽いのちながし。

【訳】

先師がいわれた。

「知者は水に歓びを見出し、仁者は山に歓びを見出す。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽み、仁者は永遠の中に安住する。」

『論語』全文・現代語訳

************************************************************************************

二つの相対立するものを比べて論じるのはよくあること。ここでは知者と仁者が比較されている。どちらがどうかというのは判断がつかない。知者は知者でいいと思うし、孔子一押しの仁者も然り。どちらが優れているというより、ここでは相異なる両者という意味で捉えたいと思う。水と山、動と静の比較はよくあること。さらにその場の楽しみと細く長く生きるという対比なのだろうか。

 

それにしても、知者と言えば、どちらかと問われれば知者こそ静のイメージがある。落語でも慌てものは「大変だ、大変だ」と騒ぐが、知恵のある御隠居は落ち着いている。知恵のないものは体を動かす方が優先で、知恵者は落ち着いている。静かなのは知者の方だと思うが、孔子がどういう意味で言ったのか、興味のあるところである。ひょっとしたら「智者」には今とは異なった意味があったのかもしれない。その真偽は学者ではないのでわからないが、ここではこのまま受け入れるとする。

 

静と動。自分はどちらだろうかと考えてみるも、すぐに答えは出ない。個人的には静かな性格で、あまり騒ぐのは好きではない。何か大変な事態が起こっても、多分あたふたするよりどうするかじっくり考える方である。過去の実体験でも意外と自分はジタバタしない人間だとわかっている。総じて、自分としては「静」の方だろうと思う。しかし、シチュエーションによっては異なると思う。

 

例えば山で遭難したとする。じっと静かに助けを待つか、自力で活路を見出すかの判断を迫られる。その場合、自分だったら、基本的に動く方を選ぶと思う。じっと誰かの助けを待つより、自助を選ぶのが私の性格である。しかし、それが雪山なら動き回るよりじっと待っているだろう。無駄に動けば体力の消耗を招くことになる。飛行機が砂漠に墜落した場合など、どう考えても自力ではどうにもならないとなれば静かに助けを待つが、そうでなければ基本的に自ら動くと思う。どちらのタイプかと問われれば、自分は静よりも動の人間であると思う。

 

しかし、だからと言って自分は活動的な人間だとは思わない。休みの日にはラグビーの練習に出かけて行って汗を流しているが、基本的に家で過ごす方が好きである。何も予定のない休みだと至高の喜びを感じる。だが、若い頃は、「休みの日に家にいるなんて信じられん」と考えていた。休みの日に何もすることがなくても、部屋に閉じこもっているということはなく、あてはなくともとにかくどこかへ出かけていた。だが、今はどこかへ出かける必要がなければ喜んで家にいる。もしかしたらそれは年齢による体力の劣化、および嗜好の変化なのかもしれない。

 

最近、会社で新卒採用に利用する会社のプロモーション・ビデオの制作を依頼した。相手は創業から間もない若い会社。社長も当然若い。熱意がこちらまで伝わってくるセールスで、こちらにも需要があったのでお願いすることにした。メール連絡でも返信は早いし、勢いを感じる。自分にはとても真似ができない。だが、事業が順調に推移して会社もそこそこ大きくなって軌道に乗ったら、多分今のエネルギーは衰え、静かな巡航速度に移るのだろうと思う。

 

実家で飼っている猫も、子猫の時はとにかく忙しく家の中を駆け回っていた。じゃらしたりすると大変で、目を見開いて追いかけていたが、年老いた今はじゃらしても見向きもしない。反応してもせいぜい「お付き合い」程度である。猫も歳をとれば動かなくなる。年齢による静から動への変化は自然の摂理でもある。そう考えると、自分も年齢を経て静へと変化しているのかなとも思う。

 

孔子の唱えた知者も、きっと歳を取れば活動的ではなくなるだろう。水よりも山を好むようになるだろう。知者だから、仁者だからというのは、少なくとも今の文脈では当たらないと思う。基本的に静だとは思うが、必要に応じては動の人間になる。自ら進んでということはないが、仕事や人間関係の必要に迫られればそうなるだろう。強いて言えば、柔軟対応だろうか。それが一番しっくりくる感じがする。とは言いつつも、週末に雨ならば、程度によってラグビーの練習も中止になる。それはそれで嬉しかったりする。雨が降っても晴れても、静と動を使い分けて楽しむのが自分という人間であると思うのである・・・


MustangJoeによるPixabayからの画像 


【本日の読書】

 




2022年8月28日日曜日

新人ですから

  4月に入社した新人は、企業によって異なるところがあると思うが、たいていまず新入社員研修があって、その後実践に投入されるというのが一般的だろうと思う。新人研修の内容は企業によって異なると思うが、我が社の場合、2ヶ月コースと3ヶ月コースと二手に分かれて実施する。それぞれ外部の業者に委託をして行うが、今は助成金もあったりして資金的負担も軽くて済む。この夏、いよいよ新人たちも実践デビューしている。

 それは我が社だけではなく、当然どこの企業もであるのは日々実感するところである。というのも、営業系の電話を受けた時など、相手の感じから「新人だな」と感じられる時がしばしばあるのである。説明がぎこちなかったり(いかにもマニュアル通りに喋っていますと感じられる)、ちょっと突っ込んで質問するとすぐに答えられなかったり、言葉遣いがギクシャクしていたり(舌を噛みそうな敬語を使ったり)といった感じで、こちらもそれとわかるのである。

 その中で、気になる点がある。それはわざわざ自分から「新人です(あるいは新卒ですとか)」と申告するケースである。と言っても、「自己紹介系」であればまだ好感が持てる。「頑張ります!」という力強さが伝わってくるからである。それに対し、「言い訳系」はどうにも気になってしまう。「新人なのでわからないことばかりですけど・・・」という感じで来られるケースである。

 その気持ちはよくわかる。まだ業務に不慣れな中、1人で客先に行く、あるいは電話をかけるわけであり、「どんな人が出てくるのだろう」、「何を言われるだろう」という不安があるのだと思う。だが、「新人だから」と言ってミスしても大目に見てもらえるのは「社内だけ」である。それは、当たり前ではあるが、外部に求めてはいけないものである。外部の人間からしてみれば、電話をかけてきた相手、あるいは訪ねてきた相手が新人であるかどうかなど関係ないのである。

 「新人だからミスしても大目に見てほしい」という気持ちはよくわかる。私もそれを言い訳にした経験がある。あれは銀行に入り、最初に配属された支店でのこと。新人だから外部からかかってきた電話を真っ先に取るのが仕事の一つであったが、ある時支店長宛の電話を取り、支店長に取り継いだ。「○○様からお電話です」と。すると支店長から「何の用?」と問われた。聞いていない。そこで相手に尋ね、それをまた支店長に伝えた。すると「どういう人?」と再質問。ここで側で聞いていた先輩が慌てて私から電話を取り、丁重にお断りして電話を切った。

 ここで教育タイム。曰く、支店長宛の電話は相手と要件を確認して取り継ぐべきものとそうでないものを見分けないといけない。わからなければ支店長に取り継ぐべきか否か尋ねれば良いと。そして次にかかってきたのは僚友店の支店長。支店長をお願いしますと言う僚友店の支店長に、さっそく教わった通りに実践。「どういうご用件ですか?」と素直に尋ねた瞬間、「バカヤロウ」と怒鳴られた。支店長同士の話を何でお前に言うのかと烈火のお叱り。「ヤバい」と思ったが後の祭り。「お前は誰だ」と問われ、思わず「新入行員の○○です」と答えたのである。

 「新入行員の」と枕詞をつけた理由は、「新人だから許してください」という意味であったのは言うまでもない。後で支店長に謝りに行ったら笑って済まされたが、強烈な印象とともにいい勉強になった出来事である。それ以外に、自分から(言い訳の意味で)「新人です」と名乗った覚えはない。否、むしろ「新人だ」と思われたくないという気持ちの方が強かったと思う。それは半分、「舐められたくない」という意地のようなものだったかもしれない。

 そんなことを思い出したのも、つい最近、ある営業マンがきた事による。その営業マンは飛び込みで訪問してきたが、「自分、新人なんでよくわかってないんっすけど」と言いながら自社の説明をし、後日、営業担当から連絡させますと言って帰っていった。そして訪ねてきたのが営業担当者。若い女性であったが、きっちりと説明とセールスをして、そのサービスを試しに利用してみる事になった。そこで雑談タイムになり、最初にきた新人君の話になった時、「新人だから」という言い訳の話になった。するとその女性、「実は私も新人なんです」と。

 これにはこちらもどビックリ。こちらも若いとは思っていたが、てっきり入社数年の人かと思っていたので驚いた。何でも「新人と思われたくない」と考えているとのことであった。考えてみれば同期なのに随分と差があるなと感じてしまった。かたや新人を言い訳にし、かたや新人だと悟られまいとしている。今も既に差があるが、それはまだ小さな差、しかし、この考え方の差は先々に大きな差になると思う。こちらも自然と「新人と思われたくない」と考えて頑張る方を応援したくなる。

 日本電産の永盛会長は、「意識の差は100倍」と語っている。その通りだと思う。新人は、研修が終われば1人前という自覚を持たないといけない。「新人だから」という言い訳は、社内では通じるかもしれないが、だからと言って甘えていてはいけない。外部に対しては、それは言い訳にはならない。そういう「言い訳意識」を持っていては、成長もおぼつかない。「新人だから」という言い訳をしない。我が社の新人たちにもそういう意識を持って欲しいなと思うのである・・・

esudroffによるPixabayからの画像 

【今週の読書】

 


2022年8月24日水曜日

人間性

 現在、前職のT社長とは法廷バトルを展開している。そもそもの発端は、前社長が会社を売却してしまったこと。事前に何の相談もなく、ある朝突然全社員を集めて発表するというやり方であった。退職金はなし(理由は退職金規定がなかったから)、退職時期は2ヶ月後。希望者は知り合いの社長(一応、上場会社)に雇用を了承してもらったから自分で履歴書を持って行ってほしいというもの。当然、大ブーイングである。その後の交渉で、1人あたり退職金50万円を認めたものの、中には勤続20年近い社員もいて、納得感はゼロであった。

 そもそも入社したのは、母高のS先輩の紹介。といってもT社長も同じ母高の先輩で10年来の顔見知りであった。赤字会社であることは承知で銀行から転職した。小さな会社だったが、私には「鶏口となるも牛後となるなかれ」という考えが昔からあったので、「面白そうだ」と大胆にも思ったのである。そして、仕事自体は確かに面白かった。T社長から仕事をほぼ任せてもらえたので、会社の経営はすべて代行して行った。結果、私の入社前に8期のうち6期赤字だったものを6期連続黒字に変えたのである。

 もともとT社長は、親が会社を上場させた成功者であり、そのためいわゆる「金持ちのボンボン」として育つ。親が残した遺産でお金だけは億単位で持っていたが、おっとりしていて経営に関してはほぼ素人であった。その代わりお金に関しては執着心が強く、ゆえにM&Aによって会社を売却し、億単位のお金を手にしたのに8人の社員には1人50万円の退職金を渋々出すという有様であった。もしも私であれば、億単位のお金を手にするなら、一人当たり0ひとつ多く出すだろうと思う。

 そういう人柄がわからなかったのかと言えば、6年半一緒に働いてわからなかった。ただ、今にして思えば思い当たる節はある。机を整理していて自分の父親の運転免許証が出てきた時のこと、T社長は迷うことなくそれをゴミ箱に放り入れた。この感覚は私にはない。『ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み』という本に共感し、T社長に読んでもらったところ、「俺にはここまで(社員を大切に)する考えはない」と言いきった。

 また、高校の同級生を社外取締役にしていたが、その同級生が退任後、お金に困ってT社長に300万円の借金を頼んできた。その話を私にしながら、「返ってくると思うか?」と尋ねてきた。元銀行員の感覚から、貸すなら返済を期待しない方がいいと思ってそう答えたが、T社長はその場で断ったそうである。「泣かれて困ったよ」と半ば愚痴のようにこぼした。ちなみに、断られたその方はS先輩に頼みに行ったそうであるが、S先輩は困惑しつつも貸したそうである(後日返してもらったと言う)。S先輩は普通のビジネスマンの身分である。

 私であれば、親しさにもよるが、自分の会社の社外取締役を頼むくらいの間柄なら、無理のない金額で貸すだろう。少なくともゼロ回答はない。条件として、「例え返せなくても飲みに行く間柄は維持しろ」と言うだろう。それで友達を失いたくはない。T社長にとっては、友人関係よりお金の方が大事だったということだろう。例え損をしたとしても、その金額が自分に悪影響を与えるほどのものでなければ、困っている友人を助ける方が気分もいいと思うが、T社長にとってはそうではないのだろう。「お金には変えられないものがある」とはよく言うが、T社長にはそんなものはないのだろう。

 また、親の代から家族ぐるみである人と付き合っていたそうであるが、その人が数年前に金融証券取引法違反で逮捕された。T社長も我が社も関係を疑われて検察の取調べを受けたが(きちんと関係ないことは認められた)、それを機にT社長はその人とキッパリ関係を絶った。最初のうちは弁護士に接触しない方がいいとアドバイスを受けたことによるものであるが、ほとぼりが覚めて、後日お詫びを兼ねて連絡があった時も嫌々ながら弁護士を同席させて会ったそうである。私なら弁護士がなんと言おうと、無条件で会って励ますだろう。

 よく、窮地に陥った時の友こそ真の友と言われるが、T社長は真っ先に逃げ出すタイプである。おそらく、T社長には窮地に陥った時に友人などに我が身を顧みず手を差し出すなんて感情などないのだろう。いわんや社員の「使い捨て」を気にするようではない。私の感覚から言えばとても信じ難いのであるが、そういう人間性なのである。もっとも、本人はそれのどこが悪いという感覚であろうし、人の感覚は違って当たり前なので悪いとは言わない。強いて言えば、人間性の違いと言える。

 同じ高校の後輩を使い捨ての形で首を切り、そんなことをすれば同窓会での評判が悪くなるであろうにまったく気にする素振りもない。立派と言えば立派である。であれば、法廷バトルも遠慮はしない。徹底抗戦しようと意気込んでいる。世の中には色々な人がいる。冷たい心の人もいれば温かい心の人もいる。冷たい人を恨んでも仕方がない。温かい人とのみ交われば良い。少なくとも自分から人を裏切ることはせず、困った友には手を差し伸べられるようでありたい。そして願わくば、助け上げられるだけの「力」を持ちたい。「知り合えてよかった」と思われる人間でありたい。

 還暦が近づいてきている年であるし、自分自身に後ろめたくない人間、子供に対して恥ずかしくない人間。自分はそういう人間でありたいとつくづく思うのである・・・


Dim HouによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 


2022年8月21日日曜日

ひげ

 小学生の頃、床屋に行くと言うたびに、母親から「顔を剃らないように言いなさい」と言われた。「どうして?」と問うと、「髭が濃くなるから」と。その時はよくわからないまま言われる通りにしていた。しかし、後日、大学生になってから後悔したものである。「言われた通りにしなければ良かった」と。と言うのも、その頃髭を伸ばしたいと思うようになっていたのであるが、どうも自分は髭が薄くて思うように生えなかったのである。よってその時になって母親を恨んだというわけである。

 やがて社会人になったが、選んだ職業は銀行員。ドレスコードで髭はしっかりと禁止されていた。以来、髭を生やしたいという思いを封じ、朝起きて髭を剃る毎日。土日には髭を剃らないことにしているが、あわせて連続休暇の時に剃らないのが長年の習慣。それは肌を休めると言う反面(私は電動シェーバーは使わないのである)、髭を伸ばしたいという想いに対するささやかな意思表示。土日は大したことはないが、連続休暇は9〜10日間に及ぶので、結構伸びる。ただ、結婚してからは妻の評価は悪い。

 そもそもであるが、女性は男の「毛」に対して嫌悪感が強いように思う。髪の毛はともかく、髭や腕や胸や足などの体毛については特にである。その結果、美に聡い男子は「ムダ毛処理」をやっているそうで、私の感覚からするとこれはまったく受け入れられないもの。そんなものに金と時間を費やすなら、ベンチプレスに金と時間をかける方を選ぶだろう。人の趣味にとやかくは言わないが、それがモテる秘訣だと言われても、そんなことをしてモテるならあえてモテない道を選ぶだろうと嘯いてしまう。

 50歳で銀行を辞め不動産業界に転じた時、脳裏を掠めたのは、「髭を生やそうか」という想い。しかし、長年髭など生やさずにきたものだから勇気が出ない。それに1年先に入社した人が、入社に際して「髭を剃れ」と言われて剃ったと聞かされたので断念した。正式なドレスコードはないものの、「社長の意向」という暗黙のドレスコードがあったのである。そしてこのまま自分は髭を生やすことなく終わるのだろうなと漠然と感じていた。まぁ、生やすとしたらリタイアした後だろうが、その時にどうなっているかはわからない。

 そんな状況に転機が訪れたのは思ってもいなかった転職である。不動産会社の社長が、社員の誰にも告げることなく会社を売却し、ちょうど1年前、今のシステム開発会社に転職した。まず驚いたのは、会社の若者の自由な服装。Tシャツにジーンズといった出立。ネクタイはおろか、ワイシャツを着ている者すらいない。さすがに社長や部長らはビジネスモードだったが、ドレスコードは暗黙のものさえない状態であった。もちろん、とは言え、Tシャツのお兄ちゃんもさすがにビジネネス面談ではワイシャツ姿である。

 それに加えて、現在のコロナ禍環境。みんな当たり前のようにマスク姿。ふと見ると、ある課長がペットボトルを飲む際にマスクをずらすと無精髭がのぞいた。そこでこの夏、思い立って夏休み突入と同時に髭を剃るのをやめ、そのまま伸ばすことにした。もちろん、さすがに頬や顎髭はマスクでもカバーできないので、休みが終わるとともに剃り落としたが、口髭はそのままにした。以来、3週間。口髭はそれなりに成長している。

 髭も人によって様々であるが、私の場合、それほど「密度」は濃くない。人によっては芋虫みたいな髭の人もいるが、私は頑張ってもそうなりそうもない。それはそれで良かったと思うが、伸びてくると「無精髭の延長感」に満ちている。それなりに「お手入れ」が必要であるのは、一応想定はしていたものの、「やはりな」という実感である。これが面倒くさそうである。髭を生やす上での最大のネックになりそうである。

 生やし始めると、気になるのは周りの反応。まず家族の反応であるが、妻は冷ややか。もともと髭面を嫌っていたところがあるが、ラブラブな時代は「嫌だ」と意思表示していたが、無関心なこの頃は「本人が似合うと思っているならいいんじゃない」と私に直接ではなく娘に語る始末。娘はニヤリとしただけ。息子は気づいていると思うが、無反応である。実家の母親は批判を口にしない。唯一、父親だけは「俺も生やそうかな」と言ってくれた。やはり男同士である。

 職場ではマスクをしているので、部下の女性陣は気づいていないのかもしれない。社長とは飲みに行った時にマスクを外したが、ノーコメント。少なくとも否定はない。当面、外部の人と会う時はマスクをしているので問題は生じない。マスクを外したところで他所の会社のことだからクレームが出ることもない。ということで、しばらくはこのままにしていこうと思う。

 髭はイスラム圏に行けば男らしさの象徴である。文化の違いであるが、当たり前のように髭が受け入れられる文化は羨ましく思う。これからは、周りの反応を気にすることなく髭を生やしていたいと思う。唯一のネックは「お手入れ」だろうか。さすがにこれを否定する気はないが、面倒臭くなった時、それが髭を剃る時だろう。その時がすぐかどうかはなんとも言えない。それはともかく、長年の思いでもあるし、しばらくは鏡の中の髭顔を楽しみたいと思うのである・・・



BirgitによるPixabayからの画像 

【今週の読書】

   


2022年8月17日水曜日

年寄りは怒りっぽい

 昔、年寄りはみな頑固で怒りっぽいというイメージを抱いていた。だが、自分もだんだんと歳を取るにつれ、それは違うのではないのかと思うようになってきた。というのも、最近よく電話で相手をやり込めることが多いのだが、周りからどうも「またか」という目で見られているようなのである。当の本人は、当然のことと考えているのだが、周りから見るとそうではないとすると、少し認識を改めないといけないのかもしれない。自分も怒りっぽいジジイになりつつあるのかもしれない。

 先日、某通信社に対して電話をかけた。法人で利用しているサービスを解約しようと思ったのである。ところが電話応対に出た若い担当者がどうにも対応が悪い。こちらは法人として、社名、住所、電話番号を告げたが、それに加えて「届出の暗証番号」に「届出の担当者名」を聞いてきた。わかるわけもないのでその旨を伝えると、「ページが開けない」とのたまう。そんなの知るかと思って「調べてくれ」と言うが、何度も電話を保留にしてはできないと言う。

 言葉遣いは丁寧だが、言葉の端々に揚げ足を取られまいとする心遣いが窺える。慇懃無礼とも言える。「上司に代われ」と要求したが、しばらく保留にした後「できない」との回答。請求は法人カード宛にきている。そこで、「この請求は何かという問い合わせを受けたらどうするのだ」と聞いてみた。対応は同じだと言う。「わからない相手に請求をするのか」と問うと、「請求をすると言うことは契約があるということ」と答える。「ならその契約を示せ」とこちらも迫る。

 さらにこちらは「元々個人契約だったものを切り替えた」と情報を伝えると、「それはあり得ない」と答える。だが、現実に毎月請求は来ている。担当者は、念の為当該個人から電話をしてくれと要求してくる。なぜなら個人の契約のままの可能性があるから。「では法人契約か個人契約か調べてくれ」と問うと、「それは個人情報だから答えられない」と言う。ここで少しキレかかる(少しである。半分以上は呆れていた)。個人情報とは個人を特定する情報で、契約が法人か個人かを答えることのどこが個人情報だと担当者を詰める。

 実は、これも良くある。個人情報保護の世の中はいいのだが、何かにつけて個人情報と言えばいいと思っている。挙句にこの担当者のように個人情報でないものまで個人情報と言い出す。「個人情報とは何か」をよく理解しないままわかったつもりになっているのである。挙句に私のフルネームを聞いてくる。なぜフルネームが必要なのかと問うと、どうやら記録に残す社内ルールらしい。「それこそ個人情報だ」と答えて回答は拒否した。

 そんなやり取りが30分以上続き、若い担当者は「調べて回答する」ということになった。「いつまで」と問うと、「2〜3日」と答える。なぜそんなにかかるのかと問い詰めるも、「かかるのだ」と慇懃無礼に答える。ここに至り、部内どころか隣の部の人たちも耳ダンボになっているのを感じる。電話を切って、仕方なく社長に個人名で電話をするように依頼する。元々社長が個人契約していたサービスなのである。そして契約はあっさり解約できた。

 そもそもコールセンターのようなところは、客の問題を解決するのが仕事である。自分達の都合を押し付けて、言葉尻を取られないように警戒しながら対応するものではない。件の担当者も答えに気づいていたわけである。個人契約から法人契約に切り替えることがあり得ないなら、その場で心当たりのある個人名を聞いて契約を調べてみればいいのである。そうしてヒットしたなら、「個人で契約が残っている、ついては本人でないと解約はできないので本人に電話してもらってくれ」と回答すればいいのである。こちらもそこまでわかれば確証を持って社長に依頼できる。それで問題は解決する。

 件の担当者も若かったので、おそらく新入社員なのだろう(そうでなければ相当恥ずかしい)。そのように対応できたら余計なストレスも感じなかったはずである。今頃、私はクレーマーとして記憶されているのだろう。もう少し対応の仕方もあっただろうかと考えてみると、もう少し寛大な気持ちでいれば穏やかに接することもできたかもしれない。相手が自分の息子だと、そしてなれない仕事にあたふたしていると想像したら、もっと違う対応ができただろうと思えば反省の心も湧き起こってくる。

 やっぱりそういう対応ができず、自分の正当性ばかり主張していると、怒りっぽいジジイになってしまうのかもしれない。自分はまだまだ若いと思うのはいいが、「まだ若いものには負けない」と言うのもジジイのイメージである。身はともかく、心までジジイにならぬようにしたい。次回からもっと意識しようと、改めて思うのである・・・


Jinwoo AhnによるPixabayからの画像 

【本日の読書】