その昔、長野県の御代田という町に住む従兄弟の家に、毎年春休みと夏休みに遊びに行っていた。かれこれ35年ほど前になるが、当時従兄弟の家の周辺はと言えば、買い物には不便なところだった。何か買おうと思っても、近所にあるのは小さな店が一軒だけ。
今でもよく覚えているが、その小さな店の戸を開けて中に入ると畳の上に商品が並べてある。とりあえず日用雑貨やお菓子などが、売られているような店だった。もちろん、すべて定価である。それでも他はと言えば、30分ほど歩いて駅まで行かなければいけなかったから、大概はそこで済ませていたようである。
翻って今は便利な世の中だ。特にネットショッピング。私もよく本を買うが、Amazonでオーダーしておけば、2~3日で家に届く。あちこちで手に入れたポイントをAmazonのギフトカードに交換して使っているから、お金もそんなにかからない。すっかり愛用している。
私にとって便利な“本屋”だったが、最近遅ればせながら本以外にも品揃えがかなり多岐にわたっているのに気がついた。以前から何となく気付いてはいたが、「本屋に電球を買いに行く」ような違和感があって、あまり意識していなかったのである。
「本はAmazon、その他は楽天市場」
何となくそんな棲み分けをしていた。
ところが、気がついてみると実にいろいろな品揃え。家電からファッション、なんとスイーツまでジャンルは多岐にわたっている。先週末にラグビーの練習に行き、25年前のジャージはさすがに古臭いので買い変えようと試しに検索したら、「あった」。娘が電子辞書が欲しいと言い出したから、どんなものかと試しに検索したら、「あった」。おじさんにグローブを買ってもらった息子に、軟式ボールを買ってやろうと思って検索したら、やっぱり「あった」。
ネットショッピングも最初の頃は、直接手に取って見る事ができないから、ファッションなんかは向いていないなんて言われていたが、ジャージなんかはどんなものか大体わかるし、値段もそんなに高くないから「えいや!」で買っても後悔はしないだろう。電子辞書に至っては、「Amazon限定モデル」なんてのもあるから、下手に家電量販店に行くよりいいかもしれない。まぁさすがにボール1個なんてのは向いていないかもしれないが、モノと値段の参考にはなる。
いつも行っていた1階の本屋だが、気がついたら2階から上は百貨店だったという感じである。これだと楽天もうかうかしていられないのではないだろうか。これからは、否が応でも両者を比較してから買う事になるだろう。同じものなら価格勝負になるが、やっぱりそう大して変わりない。
するとポイントなどの付帯サービスになるが、この点では楽天カードのある楽天の方がちょっとお得感がある。買い物やアンケートで溜まったポイントが使えるから、若干有利だ。だが、先の電子辞書のように「限定商品」などがあると、Amazonも負けていない。モノによってあれこれと比較検討する事になるのだろう。
それにしても、最近ではおもちゃを始めとして、家電以外でも“リアル店舗”では家電量販店が便利な事この上ない。ネットではAmazonか楽天か。欲しいものはまず“検索”。それから、「どこで買おうかな」だろうか。
息子の軟式ボールは取りあえず近所の高田スポーツに見に行った。狭い店内に入ると、店主ご夫婦が揃ってお出迎え。他に客はいない。笑顔で要件を聞かれ、野球のボールと答えると、サイズの説明をしてくれた上で真新しいボールを箱から出してくれた。「400円です」と言われ、瞬間的に「高いな」と思ったものの、断れる状況にはなく1個買って帰ってきた。
まぁこういう商売も、まだまだあって良いと思うのである・・・
2013年4月18日木曜日
Amazonが便利
2013年4月14日日曜日
やっぱり走ろうと思う
我が母校の大学ラグビー部にはシニアチームがある。現役を引退したが、まだボールを持って走りたい人たちが集まって、月に一回練習しているのである。
以前から声をかけられ誘われていたのであるが、まだ子供も小さいから遊んであげないといけないだろうとか、高校の財団関係のボランティアをやっているからそんなに時間を割けないとか、あれこれ考えて見送っていたのである。
しかし、やっぱり体を動かしたいという気持ちはあるし、それが12階のオフィスまで階段を上がる事とか、流行りのウォーキングだとかよりも、やっぱりボールを持って走るのがいいだろうと、とうとう重い腰を上げた次第である。
仕事から帰ると、腕立て伏せ・スクワット・腹筋のメニューをこなすのを日課としていたから、何となく基礎的な運動はできていると思っていたので、事前にトレーニングをしようなどとは思いもしなかった。
そして当日、春めいた心地良い陽気の中、国立にある母校のグラウンドへと向かう。我が街から国立までのルートは、かつて通勤経路でもあった道のり。西武池袋線の秋津駅からJR新秋津間は少し離れていて、乗り換えには3分程度歩かないといけない。知らないうちに飲食店や本屋などの店舗がたくさんできていた。考えてみると、このルートを通る事さえ10年振りくらいかもしれない。
JR国立駅も大きく様変わりしていた。5年ほど前にOBの寄付で出来あがった人工芝グラウンドを初めて目にする。懐かしい部室は、ロッカーのレイアウトが変わったままで、ほぼそのまま。自分の名前を書き込んだロッカーもどこかに残っていると思うと、「帰ってきた」感がある。トレーニングルームは立派なものができていた。現役時代にこんなトレーニングルームがあったら、たぶんグラウンド滞在時間が1時間は延びていたように思う。
さて諸先輩に挨拶を済ませて練習が始る。10分ほどで同期が一人リタイア。彼の運動不足も相当なものだ。軽く走っていたつもりだが、いつの間にか足に違和感を覚える。まだ全力疾走していないのに、だ。心臓の方はそれほどでもなかったが、それはつまりそこまで激しく運動していなかったという事に他ならない。
何とかリタイアだけは避けたいと、(20も年上の先輩が走っているから尚更だ)最後まで参加したが、それが精一杯。帰りはキャンパス内を散歩でもして帰ろうか、などと考えていたのだが、それどころではない。同期に頼んで駅まで車で送ってもらい、足を引きずりながらやっと帰りついた有り様。家に帰っても、「足が痛い」などと口にしようものなら、「それ見た事か、年甲斐もなく」と妻に罵られるのがわかっていたから、じっと忍の一字。妻の肩こり用のしっぷをこっそりくすねて貼って耐える。
正直言って運動不足がここまで酷いとは想像もしていなかった。自分の体が自分の思う通りに動かない。いくつになっても元気にグラウンドを走り回りたいとは思わないが、昔は簡単に振り切っていた同期に追いつけないというのもなかなかのショック。これを反省材料にして、少し体を動かそうかという気になっている。
モチベーションアップのために、まずはジャージを新調しよう。25年前のジャージはさすがに指摘されるまでもなく時代遅れだ。ボールを持ったのは、考えてみれば5年ぶりだったが、その感触は昔のままだった。懐かしい感触を糧に、頑張ってみようか。少し継続すれば、すぐにある程度は戻るだろう。まずは走るところからだろうか。
一夜明けて筋肉痛は甚だしいが、何だかちょっと心地良い気がするのである・・・
【今週の読書】
2013年4月11日木曜日
中学時代
娘が中学に進学した。小学校は入学式も卒業式も参列したが、さすがに中学は行かなかった。またすぐに卒業となるような気がする。いつの間にかどんどん大きくなっていく感じである。楽しい中学校生活を送ってほしいと思うが、自分の中学時代はどうだっだろうとふと思う。
品川区立荏原第六中学校に入学したのは昭和52年のことだから、もう36年前という事になる。正直言って、入学当時の事はほとんど覚えていない。ただ、他の小学校から上がってきたツッパリがあれこれといて、暗澹たる気持だったのをほんのりと覚えている。小学校時代もジャイアンみたいな奴がいたが、それがあちこちから集まってきていたのだ。
当時は私も気が弱く、喧嘩なんて口先だけだったから、からまれない事を願うばかりだった。手先になるのは嫌だったから、大体近寄らないようにしていたと思う。それでも同じ学校、同じ学年の悲しさで、何度も接触をしたが、その都度うまく逃げていた。1度だけ殴られたし、カンパと称して100円巻き上げられた事があったが、その程度で済んだと言えるかもしれない。
その後高校でラグビーを始めるのだが、体を鍛えて筋肉がついてくると度胸も備わってきて、おまけにぶつかり合いに慣れたせいか、喧嘩度胸もつくようになった。今にして思うと、あの頃今の度胸があったら上を向いて堂々と廊下の真ん中を歩けただろうし、ずっと楽しい中学生生活だったのではないかと思う。中学時代を思い返してみると、あまり明るい気持ちにならないのは、半分くらいはツッパリグループから逃げていたような思い出ばかりだからだろう。
高校は受験というフィルターを通るせいか、譬えれば澄んだ水のようで、ツッパリグループなどは存在しなかった。高校に入って何より嬉しかった事だ。それに比べると中学はいろいろと混じり合った泥水の中で、それなりの逞しさがないと楽しくは過ごせなかったのだ。
2年になって、バスケ部に入部した。なぜ1年から入らなかったのか、もう覚えていない。それなりに運動神経も良かったから、すぐにある程度のレベルには達した。ただ1年からやっていたメンバーがいたから、3年になってもレギュラーにはなれなかった。高校に入ってバスケ部に入らなかった理由は、身長が足りないと思った事と、中学でレギュラーになれなかった引け目があったからである。
バスケ部でも思い出と言えば、試合に途中から出してもらった事と、1年上の先輩から理不尽なシゴキを受けた事だ。練習を休んだという理由で、先生のいない時に休んだメンバーだけで“特訓”を受けさせられたのである。そのあと1週間くらい激しい筋肉痛で苦しんだ事を覚えている。ここでも思い出は、良い悪いが半々だ。
英語の授業は印象的だった。山口先生という慶応出身の20代後半の若い先生が教えてくれたのだが、英語の発音がネイティブ並みで、日本人でも流暢な英語が喋れるのだと希望を持たせてくれた。海外経験もあって、授業の合間に話してくれるアメリカやアメリカ人の話がとても面白かった。英語が好きになったのは、間違いなく山口先生のおかげだろう。
だが、3年になると転任してしまった。後任は“じゃぱにーず・いんぐりっしゅ”の中年の先生だったから、その落差たるやナイヤガラの滝レベルだった。こうして振り返ってみると、楽しかった思い出も嫌な思い出も、みんな友達や先生が絡んでくる。学校の思い出は、みんな周りの人たちとの思い出だから当然なのだが、それだけにどんな友達や先生に巡り合うかが、大きな影響を及ぼすことになる。
娘の通う中学には、どんな人たちがいるのだろう。娘が通うのは、地元の公立中学。雑多な泥水となるわけだが、自分の経験の割には、そういう泥水も成長過程では良いかもしれないと思ってみたりもする。どんな中学校生活になるかわからないが、それでも我が娘だし、泥水の中だけにできるだけ関心を持って見守ってあげたいと思うのである・・・
2013年4月7日日曜日
我が街
我が街大泉学園に住み始めて、早や17年になる。
その年数はほぼ結婚年数とイコールである。
元々実家は品川区であるが、関西人の妻と結婚するにあたり、どこに住もうかと考えこの地を選んだのである。
元々土地勘があったかと言うと、実はそれほどでもなかった。
当時、銀行のラグビー部に所属していた私は、週末には我が街の沿線にあるグラウンドに通っていた。我が街はその途中にあり、何となく馴染みがあったという程度である。
結婚する事になり、当時住んでいた千葉県は船橋市の独身寮を出る事になったのだが、どこに住もうかとあれこれ考えた。妻は関西人だから、どこだろうとわからない。
まさに私の一存で決められるという状況。
あれはそう何度も味わえるという経験ではないが、楽しいものであったと思う。
実は、最初は隣町の石神井公園にしようと考えていた。
何よりも近くに大きな公園があるから、週末の早朝に散歩したりしたら気持ちいいだろうと思ったのである。予算と睨めっこしながらいくつか物件を見てみたが、気に入った物件に出会えず、不動産屋のお姉さんの提案で一つ先の町にまで足を伸ばしたところ、最初に住んだマンションに行き着いたという次第である。一目惚れと言えば大げさだが、私も妻も一発で気に入ってしまったのである。
以来17年。
当時田舎情緒溢れていた駅舎は、その後劇的に駅ビルへと生まれ変わり、駅周辺の様子は一転してしまった。先見の明があったとも言えるが、個人的にはあの頃のローカル線の雰囲気漂う旧駅舎の方が良かったと今でも思っている。
「いつか住むなら映画館のある街がいい」と思っていたが、我が街には映画館もちゃんとある。たまに深夜のナイトショーを観に行き、ほとんど貸切状態で映画を堪能する事もあるが、車だと5分で帰ってこられる距離である。この深夜のナイトショーは時折楽しんでいるが、贅沢な気分にさせてくれるものである。
そして藤沢周平と松本零士という、小説と漫画の世界で私が好きな作家がともに住む(住んでいた)所でもあり、映画と本と漫画と3つの趣味で愛着を感じる事ができる土地である。
家の近在には畑が点在する。100円を入れて野菜を持って行けるスタンドはあちこちにあるし、いちご農家なんかもある。
川の源流があって、そこは公園となっている。
川には鯉が泳ぎ、カモが親子で水浴びをし、亀が甲羅干しをしている。
子供たちが小さい頃は、よく見せに連れて行ったものである。
そんな自然環境が残りながら、交通の利便性も割合恵まれている。
どこであろうと「住めば都」である事は確かであるが、それにも関わらずこの地は住み心地の良いところだと自負している。
難を言えば、戦後人口が急増した土地で歴史が浅いためだろうか、お祭りのような地域行事があまり盛んでないところだろうか。昭和30年代の航空写真を見た事があるが、我が家を含む周辺は一面の田畑であったようだ。子供たちの通う小学校も開校から50年ちょっとの歴史しかない。実家のある武蔵小山界隈の地域と比べると、人々のつながりは希薄かもしれない。
子供たちが大人になった時にどこに住むかはわからないが、我々夫婦は何事もなければこのままこの地で暮らしていくつもりだ。考えてみれば子供たちにとって、この地は“故郷”だ。
良いところだし、この地を選んで正解だったと思うし、終の棲家としたいと思うのである・・・
2013年3月31日日曜日
25年
期末であり、年度末でもある3月が終われば、また新しい年度。
今年も多くの新入社員が社会に出てくるのだろう。
ふと気がつくと、明日1日で社会人になって26年目となる事に気がついた。
もう四半世紀働いている事になる。
銀行員として25年。
すっかりプロの銀行員(と自負している)として定着したが、これが天職だっただろうかと考えると、どうだろうかと思えてくる。数字を扱う商売なのに、細かい数字は嫌いときている。
しかし決算書などの数字をあれこれと眺め、そこから何らかの意味を見出したりするのは好きである。企業の特徴は数字にきちんと現れるから、そんな数字を読みとったりするのは好きだったりする。仕事は面白いかと尋ねられたら、迷いなく面白いと答えられるから、まぁ良いと思う。
大学に入る時、将来は弁護士になろうと思って法学部の門を叩いた。しかし3年になって法律の勉強を専門的に始め、そして1年やってみて自分には向いていないと思った。その結論には満足しているが、何せその時はもう就職活動が始る時。方向転換するにも時間がない。今でも「教養課程」と称する1~2年の大学の授業のあり方には疑問に思うところである。
就職活動にあたっては、マスコミ(報道記者)と銀行と二つに絞った。
マスコミの方は、就職活動中に何となく自分の中のイメージと現実の姿がずれてきて、結局やめにした。その後、湾岸戦争時に真っ先にバクダッドから避難した日本のマスコミを見て、自分の出した結論は間違っていなかったと実感した。もしも日本にCNNがあったら入っていたかもしれないし、入らなかったら後悔していたかもしれない。
銀行を思い描いたのは、4年まで就職など考えてもいなかったので十分な企業研究ができなかったのと、法学部卒で経済もわからないのに社会に出てやっていけるのかと不安になったからだ。その点、お金という社会の“血液”を扱う銀行ならば、ある程度勤めれば社会の基礎がわかるだろうと考えたのである。もしもついて行けなくなって辞めたとしても、経理の知識ぐらいつくだろうし、どんな業種のどんな企業だろうと経理のない会社はないだろうし、何とかなるのではないかと考えたのである。
それから25年働いた今となってみると、たぶん経理でも財務でもどちらだろうとどこでも人並みにはこなせると思うから、贅沢さえ言わなければ仕事はできると思うし、思った通りにはなったわけである。銀行の中でも企業財務と接点のある部署をこなしてきたから、門前の小僧よりは経を習ったと言えるわけである。
何の職業にしてもそうかもしれないが、銀行も良いところと悪いところがある。
その中で、自分としてどんなやり方で仕事をしていくかというのは、途切れなく続く自分の課題のような気がする。
2013年3月28日木曜日
卒業式
期末の忙しい時期であったが、半日休暇をとって参列。
一般に卒業式と言っているが、正式には「卒業証書授与式」となっていた。
そうだっただろうか、と記憶を辿ってみるも思い至らない。
まあそんなものなのかもしれない。
早いもので、入学したのがついこの間のような気がする。
子供の成長は早い、と昔から言われているが、最近その通りだと実感する。
ランドセルに隠れていたような後ろ姿も、いつのまにか同じランドセルが小さくなっている。
今年は桜の開花が早く、入学した時と同じ桜の花の下での卒業式となった。
卒業式が近付くにつれ、「寂しい」と事あるごとに娘は漏らしていた。
幼稚園の卒園の時はニコニコしていたものだが、当日の娘は妙に神妙な表情。
おニューの洋服なのに、あんまり嬉しそうでもなかった。
やっぱり6年生ともなると、感情もそれだけ豊かになるのだろう。
式は「君が代」とともに始る。
こういう時は私もしっかり歌う。
そしてすぐに「授与式」。
130人が一人一人壇上で卒業証書をもらう。
娘の番の時は、漏らさぬようにビデオを構える。
あちこちで鼻をすすりあげる音が聞こえる。
お母さんたちも、子育ての一つの節目を迎え感無量なのだろうと、ふと目をやれば何とお父さんがハンカチを目に当てていた。
最近はついにここまで来たかと思う。
授与が終わると、校長先生の挨拶。
それは良いのだが、来賓の挨拶で指名されたのは、練馬区の文書なんとかの課長さん。
区長、教育委員長の代読だと断っての挨拶。
それを聞きながら、区長とか教育委員とかは区立の小学校の上部団体に当たるのではないかとふと思う。校長からすれば、「上司」ではないか、と。「上司」が主賓って言うのも変ではないのか、とくだらないことが脳裏を過る。たぶん、あの場でそんな事を考えていたのは私だけかもしれない。
130人みんなが順番に言葉を交わす。
そう言えば、自分も小学校卒業の時にやったよなと思う。
しかし、残念ながら「蛍の光」と「仰げば尊し」は歌わなかった。
これも時代なのだろうか。
退場する娘は涙顔。
乱暴者で有名なクラスメイトも何だか神妙な顔つき。
私も自分の小学校の卒業式では、あんまり好きでもなかった担任の先生に最後に握手してもらいに行った事を、ふと思い出した。
やっぱり当時の乱暴者も先生と握手していた。
そういう雰囲気があるのかもしれない。
「次は息子だな」と呟くと、「その前に中学の卒業式よ」と妻に言われた。
そうだ、息子はまだ1年。
その卒業前にもう娘は中学を卒業だ。
次もあっと言う間だろう。
あんまり急いで大人にならなくてもいいのだがと思う親父の立場なのである・・・
【本日の読書】

2013年3月21日木曜日
税金
ネットビジネスで巨額の年収を稼ぎだすある人物は、昨年家族ともどもシンガポールへ移住した。かの国の方が税金がはるかに安いというのがその理由。何でも家一軒建つほど違うらしい。日本の国に住むというメリットを放棄する価値があると言うことなのだろうが、アメリカなどでも話題となっている富裕層への課税はこういうリスクをはらんでいる。
豊かになればなるほど、あの手この手と節税策を工夫する事になる。節税か脱税かは微妙なところである。当然バカじゃないだろうから、税理士などが総力を結集して「節税」に取り組んでいる事は間違いないだろう。税理士にしても、いかに納税額を少なくするかが顧客を繋ぎとめる生命線となるから、あの手この手と工夫を重ねる。あれこれ研究して法の網の目をくぐり抜けると、くぐり抜けられた網の目はすぐにふさがれ、そしてまた次の網の目を探す。まさにイタチゴッコの世界だ。
我々のこの世界は当然税金で成り立っている。だから納税は市民の義務であるし、積極的に納めるべきものであるし、高額納税者は世間の尊敬を集めても当然だと思う。とは言え、そうした総論はともかく、実際に自分が納めるという各論になれば、「出来る限り少なく」と思うのは人の常、総論賛成各論反対の場となる。
サラリーマンは源泉税として否応なく持って行かれるから逃れようがないが、自営業者や会社経営者は日頃から節税意識が鋭い。ただ実際に本当にわかっているのかどうか怪しい人もいる。例えば「税金で落ちるから」と領収証をもらう行為。本当に使わないといけないなら仕方ないが、「(税金で)落とせるから」と使わなくてもいいお金を使うのは問題だ。
なぜなら税金で控除されるにしても、(交際費なら)損金算入限度額の制限があるし、その範囲内だとしても使ったお金が全額戻ってくるわけではないからである。例えば、法人税が約40%とすると、10,000円の利益で税金は4,000円。税金を払っても6,000円は手元に残るが、「落とせるから」と10,000円使えば、当然10,000円がなくなる。4,000円を「節税」するために、10,000円使うと言う事になりかねない。
まあ本当は認められない「家族での飲食を会社の交際費にする」といったものなら、使わざるを得ない(個人の)10,000円を使ってさらに(会社の)税金4,000円も節税してしまうと言うことになるので、理屈は通る。あれこれ節税に務めるのは「年貢米」の昔からそうなのかもしれない。
ただ、その使い道を見ていると、やっぱり納税意欲は減退する。3月ともなれば、年度末で「予算消化」のための事業があちこちで行われていると耳にすると、やっぱりそう思う。単年度会計の弊害なのだろうが、獲得した予算はその年度に使わないと次の年から不要とされてもらえなくなる。だから何が何でも使う事になる。民間のように、「無駄に使わずに貯めておいて使う」という事はできない。
映画『プリンセス・トヨトミ』では、税金の無駄遣いをチェックする会計検査院が登場した。その仕事は重要だと思うが、「無駄使い」はチェックできても、予算通り使われていれば、「本当は工夫すれば使わなくても済んだ」というところまではチェックできないだろう。予算を使わないで済ませられたら、その分必要な時に優先的に配布されるとか、賞与に反映されるとか、そうした仕組みがないと、一歩さらに進んだ「無駄の排除」はできないだろう。
税金でも何らかの団体の会費などでも、有益に使われていないという事は、納付のモチベーションを著しく下げる。正しく、あるいは有益に使われていると実感できれば、少しは余分に納めようと言う気にもなるが、そうでなければ例え100円でも惜しいと思う。
丸源ビルのオーナーが「ゲーム感覚」で節税する目的がなんであるかはわからない。使い道に対する不満なのかもしれないし、それともただ単に国家に取られる事が嫌なのかもしれない。ただ、80歳を過ぎて独身で家族もいないと言う。そうすると、その莫大な資産は何もしなければ国庫へ行く事になる。だとすれば何のために節税に勤しむのであろうか。
もしも金の亡者ではなく、ゲームとしての節税を楽しむのが目的で、貯めるだけ貯め込んで、節税するだけ節税して、最後にはすべて国庫に寄贈するつもりでやっているなら、実はあっぱれな人物なのかもしれない。願わくば、喜んで税金を納めたくなるような使い方をしてほしいものだし、いかに税金を納めたかが称賛されるような社会であってほしいと思う。
個人的には今のままでも年収が2倍になったら、喜んで税金を払うと思うところである(たぶん)・・・
【本日の読書】
2013年3月17日日曜日
レ・ミゼラブル
毎月1回は映画館に足を運んで、その時上映されている映画を観に行く事にしている。先月観に行ったのは、『レ・ミゼラブル』。正直言って、ちょっと遅れた鑑賞であった。
内容的には言うことなしで、1996年版と比べてもそれを上回る良い映画であった。そして例によって、映画を観ながらいろいろと考えた。
舞台は19世紀前半のフランス。貧しい民衆が蜂起してなされたフランス革命によって王政が倒されたものの、庶民の生活は依然苦しいまま。主人公のジャン・バルジャンは、パン一切れを盗んで投獄され、19年を獄中で過ごす。酷い話ではあるが、パン一切れがそれだけ(19年と言っても窃盗で5年、そのあとは脱獄の罪)貴重であったという裏返しだろう。
アン・ハサウェイが演じてオスカーをとったファンテーヌは、工場で働いている。背景はわからないが、一人身で幼い娘を他人に預けて働いている。たぶん、一緒に暮らすゆとりはないのだろう。賃金は少なく、娘の預かり料を送れば残りは食べるのが精一杯の様子。それでも職があるだけマシで、外には食べ物を求める人が絶望的な列をなしている。
そんな状況のファンテーヌは、トラブルから工場を首になる。娘の生活のためには仕送りが欠かせない。どうにもならない中、わずかなお金のために泣く泣く髪を売り、そして体を売る。前半のクライマックスであるアン・ハサウェイの歌う「夢破れて」は、こんな状況を見ているからよけいに胸を打つ。「お金で幸せは買えないが、不幸は追い払う事ができる」という言葉は、まさに真実である。
翻って21世紀の日本。生活保護というシステムがあり、19世紀のフランスのような悲劇は起こらないようになっている。世の中の進歩という意味では誇らしいところであるが、最近は逆に生活保護の高額支給や不正受給が問題になっている。不正受給については、過去最悪の件数だと言う。
先日の朝日新聞には、生活保護として毎月29万円を受給している女性(41歳子供2名)が、困窮を訴える記事が載っていた。住居費5万4,000円、被服費2万円、子供の習い事4万円、交際費1万1,000円、携帯代2万6,000円、貯蓄1万5,000円などとの内訳も明らかにされていた。
これを朝日新聞のように“困窮”と見なすかどうかは難しいところであるが、個人的には結構楽な暮らしができていると思う。
働かなくても二人の子供に習い事までさせて、携帯など我が家(夫婦合わせて)の2倍も使って、少しではあると言え貯蓄までできるわけであるから、ファンテーヌから見れば天国のような国に思えるだろう。それだけ弱者を保護できる財力があるなら問題はないが、積み上がった借金が減る気配もない我が国の財政事情を考えると、やっぱり“過ぎたる”ものに思えてしまう。
住居費などは、今は公営住宅に空き部屋がかなりあるようだからそういう部屋を使えば不要になるのではないかと思ったりするし、習い事や我が家の2倍の携帯代って何だと思うし、それにも関わらず貯蓄までできてしまうなら、この人は働きに出て生活保護を打ち切られたら確実に“困窮”すると思えてしまう。今は本当に良い社会と言えるのだろうか。
ジャン・バルジャンは、仮出獄後の社会の冷たさに世話になった司教から銀の食器を盗み出す。警察に捕まって司教のところに連れられてくるが、司教は「それはあげたものだ」と答える。そしてあろうことか、銀の燭台までジャン・バルジャンに手渡す。その広いキリスト教的な愛に触れ、ジャン・バルジャンは改心する。そして人々に善行を施し、子供を案じながら息を引き取ったファンテーヌの子コゼットを引き取って育てる・・・
19世紀のフランスよりもはるかに豊かな現代の我が国。果たして心も同じくらい豊かになっているだろうか。少子高齢化がこれから益々進む。支えきれぬほどの老人と借金とを託されて、我々の子供たちは幸せな暮らしを送れるのだろうか。中国のみならず、これからインドやインドネシアなどが発展していくだろう。東京のような都市がアジアにたくさんできるだろう。いつまでも「経済大国」と言っていられるのだろうか。
いずれやってくる老後の未来に、自分たちや子供たちが、レ・ミゼラブル(哀れな人々)にならんことを願わずにはいられないのである…
2013年3月13日水曜日
それをお金で買いますか2
この本には、議会の傍聴席や病院の整理券を獲得するために、「並び屋」を使う例が紹介されている。実際に並ぶのはホームレスなどであり、「並び屋」を営む会社は彼らを雇って並ばせ、それを欲する人に売る。並ぶのが嫌な金持ちはお金を払って嫌な事を回避し、ホームレスは収入が得られ、両者を結ぶ仲介会社も潤うという三方良しの商売である。
日本人はかなり平等という事を意識する国民であるからか、この手の話はあまり聞かない。
みんな公平に並ぶのが当然という雰囲気があり、それをお金で買うことを良しとしないところがある。むしろ金にモノを言わせるという行為を低俗な行為ととらえるところがある。
せいぜい予約してあれば優先されるのもやむなしと思う程度であろう。
そう言えばかつてアメリカのユニバーサル・スタジオに行った時、“Front of Line Pass”という行列に並ばずにアトラクションに乗れるチケットを利用した。当然普通のパスより割高なのであるが、できるだけ一度でたくさん体験したい海外旅行者にしてみればありがたいものであった。日本のディズニーランドには、ファストパスがあるが、これは一定のルールで並べばもらえるものである。「金で買う」アメリカと「金で買うのを良しとしない」日本の違いが表れていると思う。
それに連想してダフ屋が浮かんだ。コンサートや何らかのイベント会場の外で、「チケットないチケット?」、「チケットあるよ!」とガラの良くないおじさんたちが声をかけてくるアレである。条例などで禁止されているようであるが、本当のところ違法行為なのかどうかは知らないが、実際には大っぴらにやっている。ダフ屋などからチケットを買おうなどという気にはならないが、かつて一度だけ買おうと思った事がある。
あれは1995年10月9日の東京ドーム。
今や伝説とも言えるプロレスの試合があった。
絶対観に行きたいと思ったが、その日は平日。
銀行員という仕事柄、当時はやたらに休めなかった。
もちろん、そんなに早く仕事は終わらない。
泣く泣くチケットを買うのを諦めていたが、当日になってやっぱり諦めきれず、最後のメインイベントだけでも観たいと思い、仕事が終わってから東京ドームに駆けつけた。
当然当日券など残っているとは思えなかったから、ダフ屋から買おうと決めていた。
値段も構わないと覚悟して行った。そうして何とかまだあと数試合は観られるという時間に東京ドームに着いたのであるが、周りは人気が無く閑散としている。ダフ屋らしきおっちゃんは影も形もない。何とあまりの人気にダフ屋もソールドアウトだったのである。
唯一ダフ屋からチケットを買ったかもしれないチャンスだったが、残念ながら購入には至らず。ただやっぱり時としては、法外な値段を払っても買いたいという事はあるものである。
後日、当日の試合をテレビで観たが、それまで観たいろいろな試合の中でもベストと言える満足度で、当日もし生で観ることができていたら、例えチケットに正規料金の2~3倍の値段がついていたとしても満足しただろう。
日本的な平等の精神はやっぱり良いと思う。
ディズニーランドでは常にファストパスを求めて走り回るのがパパの役目だとしても、それで手に入れられるなら走り回ろうじゃないかと思う。
ただ、やっぱりせっかく行った海外旅行先のテーマパークでは、多少高くても安心していろいろなアトラクションを利用できるチケットがあるならば、お金を出して買いたいと思うし、そういうサービスも悪くはない。混雑した病院では、子供を連れて行った時などは優先して診てもらいたいものだとよく思ったものだ。
お金を出して買えるモノと買えないモノ、売り買いの対象として良いモノとそうでないモノ。アメリカ人と日本人の感覚は異なるが、その異なり具合をあれこれと考えてみると面白い。マイケル・サンデル教授の投げかける問いはいつも面白いとつくづく思うのである・・・
【本日の読書】
2013年3月9日土曜日
それをお金で買いますか
刑務所の独房の格上げ:一晩82ドル
インドの代理母による妊娠代行サービス:6,250ドル
絶滅に瀕したクロサイを撃つ権利:150,000ドル
主治医の携帯電話の番号:年に1,500ドル~
額(あるいは体のどこか)のスペースを広告用に貸し出す:777ドル
病人や高齢者の生命保険を買って、彼らが生きている間は年間保険料を払い、死んだ時に死亡給付金を受け取る:保険内容によって異なる
アメリカを始めとした海外の例であるが、日本人的な感覚からすると、かなりの違和感を覚える。ただ、実際に自分が売買するかどうかは別として、発想としてはかなり面白いと思った。人の思いつかないようなものを発想できるかどうかは、もしも事業家になろうと考えている人であれば重要な要素だろう。事業家になるつもりはなくとも、そういう発想力は持っていたいものである。
そう言えば、私がかねてから参加している社会人向け勉強会「寺子屋小山台」での講義で、「政治家を雇う」という発想が出て来た。三流の政治家しかいないと嘆く我が国民に対し、「有能な政治家を雇ってはどうか」という発想だった。今だったら、誰を雇うだろうか。日本人に限らなければ、海外の著名な政治家を連れてくるなんて考えてみると、結構楽しい想像かもしれない。
また、雇うとは違うが、政治家になりたい人が票を買うというのはどうだろうと思う。もちろん、これは公職選挙法違反行為であるが、影でこっそりやるのではなく、堂々と公平にやったら問題ないような気もする。売買するとしたらいくらになるだろうと考えると面白い。まずは買収資金の総額がいくらかが重要なファクターだ。
あるいは、企業なら自社に有利な法律でも作らせようとしたら、100億、200億と出せるかもしれない。資金力の弱い人であれば、1万票クラスの市議会レベルでないと難しいだろうか。実現したら、候補者ごとに1票の価格がランキング表示されるかもしれない。選挙会場では、電光掲示板に候補者ごとの価格が表示されていて、出足の鈍い候補者が慌てて金額を釣り上げたりするかもしれない。資金力にもよるが、価格をいくらに設定するかはなかなか難しいところだろう。専門のコンサルタントが、跋扈したりするかもしれない。
売る方はどうだろう。高ければ何でも良いと思うだろうか。自分だったら、どうするだろう。共産党あたりだったら、よっぽど高い値段を提示しないと売らないだろうな。価格の高過ぎる候補者は却って敬遠されるかもしれない。「あいつが政治家になったら危ない」と、まともな人なら思うかもしれない。そうすると、やっぱり人物本位になるだろうか。
人によっては、堂々とお金は出しませんと言う候補者に潔さを感じて入れるかもしれない。そうすると、結局お金を出さない方に収斂されていくのかもしれない。くだらない事をうだうだと考えてみたが、マイケル・サンデル教授は相変わらず面白い示唆を投げかけてくれるものだと、つくづく思うのである・・・
2013年2月28日木曜日
塾へ行くの?
数日前、上場している学習塾がこぞって業績好調だというニュースを目にした。上場約20社のうち半数近くが過去最高益なのだという。知らないうちに20社近くも上場していたというのには驚いたが、この少子化でも儲かっているらしい。我が娘の通っていた「ena」を運営する学究社もそんな過去最高益を計上している一社らしい。
我が家もだいぶ業績に貢献したからなぁと、改めて思う。この一年、娘は熱心にenaに通っていた。もともと私はあまり塾というところが好きではない。子供の頃も塾へは行った事がない。母親からは何度も塾へ行けと言われたが、水泳や習字や野球などは何の疑問も持たず言われるがままに通った割には、塾だけは拒絶していた。何となく勉強だけしに行くというのが嫌だったのかもしれない。
そんなわけで、娘には塾へ行かせようという気持ちはサラサラなかった。しかし、地元の都立中高一貫校を受けるという話が出た時、過去問を見たところその内容に気持ちが変わった。とてもではないが、学校の勉強をしていても受かるわけがないと思ったからである。それもいかがなものかという気はするが、郷に入っては郷に従えで、塾に行かせる事になった次第である。
行きはじめたら、娘は「勉強は面白い」と言い出し、実に熱心に通っていた。夏は清里へ合宿に行ったし、日曜特訓、直前の冬期講習、正月特訓とまぁ片っ端から行っていた。1年間で「ハワイに行けるくらい」かかった、と妻がぼやいていたが、それだから過去最高益にも達するわなぁと思うのである。
それにしてもenaもお金を取るばかりではなく、よくフォローしてくれていた。家にもよく電話がかかって来たし、さすがに学校と比べると受験指導は熱心だ。直前の頃は、塾の先生はみな終電まで頑張っていたようである。残念ながら合格という成果には結びつかなかったが、娘は引き続き塾へ行きたいと言う。「少しは休んだら」と言ったのは、娘を気遣ったというよりは、正直言って懐を気遣ったのであるが、敵もさる者、何と継続通学は1年間授業料タダなのだという。「それなら行け」と言ったのは言うまでもない。
考えてみれば、塾は「実力(成果)主義」。合格者が多数出れば、塾の知名度も上がって生徒数も増えるが、合格者が少なければ他へ流れてしまう。中学受験に失敗した子供は、次の高校受験では他の塾へ行くかもしれない。1年間タダにしたところで、固定費は変わらないし、変動費など微々たるもの。失敗した子は早目に高校受験の準備を始めると考えたら、1年間つなぎとめておく効果は大きいかもしれない。「アフター・サービス」というよりも、そこにはしたたかな戦略性を感じる。
自分としては、塾へ行きたかったとは露も思わないし、娘にも行かせたいとは今もって思わない。ただ、「面白い」と言う娘の好奇心を満たしてくれるなら、まぁ悪くはないと思う。これまで娘には、「勉強しろ」とは一言も言っていないし、これからも言うつもりはない。塾へも行きたいなら仕方ないというスタンスだ。いずれ塾に頼らずとも、自分で勉強をしていってくれるようになってほしいと思う。
懐も共感するところだと思うのである・・・
【本日の読書】

2013年2月20日水曜日
親父の誕生日
本日は、親父の戸籍上の誕生日である。「戸籍上の」というのにはわけがあって、この世に生れ出た日はどうも21日だという事なのだが、役場に届け出た誕生日が20日だったというのである。子供の頃から事あるごとに、「誕生日は20日だけど本当は21日なんだ」と聞かされてきた。個人的には「マイ・ヒーロー」であるアントニオ猪木と長嶋茂雄と同じ誕生日なんだから20日の方が良いじゃないかと思うのだが、どうもそうではないらしい。
親父は、今は仕事を辞め、趣味にしている写真を日々の楽しみにしている。年賀状はもちろん、家にもたくさんの写真が飾ってある。写真の良し悪しなど見てもわからないが、それでも何となく良さそうなものを褒めたりすると、嬉しそうにいろいろ語ってくれる。
親父は、長野県は山梨との県境にある富士見という町の出身。小淵沢という割合メジャーな駅が近くにあって、八ヶ岳の麓の避暑にはもってこいでいながら、それでいてまだ田舎のままの町である。そこで中学まで過ごした父は、卒業と同時に東京へ出てくる。当初は地元で大工になるつもりだったらしいが、友人が兄の招きで東京に行って働く事になり、一緒にと誘われた事から東京に出てきたという。若干16歳の春である。
今でこそ中央高速に乗れば車で2時間ほどで行けるが、当時は汽車で6時間の旅。友人と二人とはいえ、さぞかし心細い旅だっただろうと想像させられる。着いたところは印刷会社。丁稚奉公で、朝の6時に叩き起こされ、職人さん達が来る前に一働き。昼こそ45分間の食事時間があったが、朝晩は交代でわずかな時間で食べたという。田舎では麦飯が主流で、芋など色々混ざっていて、白米は大晦日に魚一匹と一緒に食べるのが唯一の機会だったらしい。ところが東京に出てきたら毎日白米で、逆に気持ち悪くなったと言う。随分生活水準が違っていたようである。
田舎から出てきた親父は、印刷工として丁稚奉公からスタート。下着はおばあさんが縫ったさらしのもので、親父はそれが恥ずかしく、人前で裸になれなかったらしい。半年後に下着一式をもらいようやく人前で服を脱げるようになったと言う。そんな思いなど、ありがたい事にした事がない。
仕事は夜の12時まで続く。お腹が空いて、工場の前に夜泣きそばが来ると、みんなで食べたという。さらに寝がけにお菓子まで食べて、寝るのは1~2時。今なら間違いなく労働基準法違反だ。そんな酷使が祟って親父は体調を崩す。体というよりも心の方で、幻覚まで見えたと言う。医者の勧めで故郷で療養する事になり、隣町の医者まで母親と通う。病名は「神経衰弱」。さしづめ今ならうつ病なのかもしれない。
やがて回復し、東京に戻って仕事を再開。丁稚時代は給料などなく、映画の切符をもらって月に一度観に行くのが楽しみだったらしい。根が真面目な親父は、他の人よりも良く働き、社長の奥さんに気に入られて、よくこっそりこずかいなどをもらったと言う。
当時の印刷業界は、職人が腕一本で渡り歩く時代。親父もやがてあちこち転職し、その都度給料が上がる。腕も良く、転職先では次の日からすぐトップクラスの時給にしてもらった事もあったらしい。けれどいずれも中小企業の話で、ちょっと大手の印刷会社に行くとたちまち「学歴の壁」が立ちはだかる。私は聞いた事がないが、たぶん自分も高校や大学へ行きたかったという気持ちもあったのではないかと思う。
そう言えば最近、私が大学に合格した時、親父がこっそり合格発表を見に行ったという話を母に聞いた。私が「だれも行くな」と言ったからこっそり行ったらしいのだが(私にはそんな事を言った記憶がない)、ひょっとしたら自分が行けなかった大学に息子が受かって嬉しかったのかもしれない。
エピソードはまだ長々と続く。そんな人生の途中で私が生まれ、弟が生まれ、大きくなって今では一人前の顔をしている。冒険などしそうもない親父が独立したのは、今もって不思議に思うが、自営業になったおかげでたぶん私も大学にも行けたのだと思う。同業者の中には借金を抱えて夜逃げした人もいたらしいが、大きな勝負とは無縁に生涯一印刷屋を通し、無借金で引退した。
嫁姑関係のこじれから、あまり孫には合わせていないのが、今は唯一申し訳なく思うところだ。せめて「本番」の明日の夜は孫からバースデーコールをさせるとしよう。まだまだエピソードを集めたいし、もう少し嫁姑の関係修復に努力して、孫と交流を持たせられるようにしよう。週末にはプレゼントとして好きなワインを届けたいと思うのである・・・
【今週の読書】
2013年2月16日土曜日
日本的意思決定
先日、世話役として参加している社会人向け勉強会で、「日本的意思決定」の話が出た。その中で、ある銀行の頭取が重要案件を決める席上で、「金融庁は何と言っているのか」「前例はあるのか」「他行はどうなのか」という質問をしたと言う。会議に参加していたある外国人が、滑稽に思って広めたらしい。それを聞いて笑えなかったのは、私が銀行員だったからでもあるし、これこそ「日本的意思決定」であると思ったからでもある。
そもそも日本は聖徳太子の時代から、「和をもって貴しとなす」(17条憲法第1条)国である。第2条(仏)よりも第3条(天皇)よりも「和」が先に来る国である。欧米の個人主義は個々の個性が尊重されるが、日本人は「和」である。そうすると、組織における意思決定も、トップダウン型よりもボトムアップ型となる。銀行では、支店長が決めて来た融資案件であっても、担当者が稟議という形でお伺いを立て支店長に改めて承認をもらう形を取るのである。
ボトムアップ型も悪くはない。一担当者が組織に自分の考えを働きかけていける良さがある。しかしながらそこに組織の多数の意見が加わる。全員が一致して無条件に賛成というなら問題はないが、大概はいろいろな意見が出てきて調整が必要となる。どの意見も尊重すると、まとまらなくなる。どうするか。
ここで生きてくるのが、自分達の輪から超越した意見あるいは絶対に間違いのない意見。要は「錦の御旗」であり、過去の成功体験=前例である。そしてそれがなければ、「みんなが同意していること」、つまり「みんなで渡れば怖くない」理論だ。
先の頭取も、欧米であれば一人で決めるだろうが、「和をもって貴し」とする社会では頭取と言えども私利私欲ではない「正しい回答」をする必要がある。だから「錦の御旗」=金融庁の意見、「前例」、そして「みんなの意見」=他行動向を尋ねたのである。
この「錦の御旗」はいろいろと形が変わる。日本が“外圧”に弱いのも、その一種だと思う。最近読み終えたばかりの「ローマ法王に米を食べさせた男」という本にも、「内側の人間は近い人間の悪いところしか見ない」という説明があった。我が子の良いところを近所の人の評価で知るという例だったが、会議で身内の人間が意見を言っても取り上げず、権威のある識者が語っていたりすると信用するというのも同じ理屈だ。
「他所で流行っている」などという説明が説得力を持ち、だから日本人はオリジナルな創作に弱く、モノマネに強い。スティーブ・ジョブズもソニーに勤めていたら、例えアイディアを思いついてもiPhoneは作れなかっただろう。
考えてみれば、「絶対的に正しい答え」などそうあるわけではない。どこかで割り切るしかないが、問題は「誰が割り切るか」だ。個人主義社会では絶対的トップがいるから問題ないし、そもそもそれがリーダーシップの証で称賛される。ところが和の社会では、トップと言えども調和を求められる。
トップが創業者で、「絶対君主」なら問題はないし意思決定も早いが、サラリーマンが階段を上りつめたタイプのトップだと、みんなが正解だと思うような答えを求める。「絶対的に正しい答え」を求めるから、会議の回数も増えるし、意思決定にも時間がかかる。稟議に回す書類の形式でさえ、いろいろ意見がでると収拾がつかず、それを回避するため書式も統一したりする(ここでも前例踏襲だ)。それが高じると「フォント」の大きさや種類を直すという作業に気を取られ、時間を取られる事になる。そうしてようやく晴れて意思決定がなされる。
稟議書の出来栄えは見事だが、ようやく卵が割れた時には、隣では同時に産み落とされた卵から孵ったヒナが成長して次の卵を産んでいたりする。国会議員の削減がなかなかできず、震災の復興が進まないのもある意味必然なのかもしれない。政治家が悪いという指摘も、突き詰めていけばそんなところに当たるのではないかという気もする。
大きな組織になればなるほど、公平性が求められればられるほど、行きつく姿なのかもしれない。そしてそれこそが、我が日本社会の持つ特質なのかもしれないと思うのである・・・
2013年2月9日土曜日
自動改札機
毎日通勤で、そして仕事での移動で電車を利用している。通勤で使っているのはPasmoの定期券であり、それ以外ではSuicaだ。昔のように切符を買うという事はほとんどない。それどころか、Suicaはオートチャージ機能付だから、券売機の前に立つこと自体、半年に一回の定期券の更新の時だけである。便利になったとつくづく思う。
それと同時にふと気がついた。そう言えば、「キセル」もしなくなったと。あまり大きな声では言えないが、昔は何気なくキセルをしていたものである。乗る時だけ最短期間の切符を買っておいて、出る時は定期。それでもって、本来払うべき電車賃を最低金額で済ませていたわけである。正直言って罪の意識なく普通にやっていたものである。
それが自動改札とPasmoとSuicaの登場によってできなくなった。ひょっとしたら、そんな今の環境下でもうまくやる方法はあるのかもしれないが、そんな事に頭をひねってわずかなお金をごまかそうなんて気持ちはサラサラない。それどころか、最近では電車賃にいくら取られているのかさえもほとんどわからないくらいである。たぶん他の人もみんな似たような状況だろうと思う。いくら使っているのかわからないとまではいかなくても、みんな自動改札機でしっかり正規料金を払っているのだと思う。
そう考えると、JRもさぞや儲かっているのかと思って調べてみた。平成10年と24年とで比較してみたら、運輸収入は462億円増えていた。まあこれがすべてキセル分だとは思わないが、かなり貢献しているのではないかと思うが、JRもあまり宣伝しにくい部分かもしれない。
駅員の削減という部分を取ってみても、人件費は大きく減らせただろうし、最終的な利益はかなり増えたのではないかと思う。ひょっとしたら「キセル」という言葉自体死語になっているのかもしれないと、会社で若い女性に聞いてみたら、20代半ばのその女性はまだまだ最後の切符世代だったらしく、言葉の意味自体は知っていた。しかしその言葉が、昔の「煙管」から来ている事までは知らなかった。うまいネーミングだと思ったが、あと10年もしたら死語になっているのではないだろうか。
銀行の店舗では、お客様が入って来た時に、「いらっしゃいませ」と声をかける。これは顧客サービスであると同時に、実は防犯対策になっている。入った途端に声をかけられて注目されているという意識が、悪い事をしようという意識を削ぐ結果になるという心理を利用しているのである。自動改札のシステムも、利便性の提供と同時にずるを防ぐ機能も持っている。「犯罪を取り締まるよりも起こさせないシステム」という意味でも、これはいいと思う。
そう言えばその昔、原宿の駅で駅員さんに捕まった事がある。期限の切れた定期券を使って見つかったのである。その時は途中で気がついたのだが、面倒なのでわからないだろうとタカをくくっていたら、微妙な後ろめたさが態度に出たのか、不自然なしぐさが注意を引いたのか、しっかり見つかってしまった。
嫌な体験だったので今でも覚えているが、あの時の駅員さんもきっとそうだっただろうし、そうした“嫌な体験”を防ぐ役にも立っているだろう。世の中どんどん便利で快適になっているが、こうした“死語”が増えていく事は歓迎すべき事態だろう。あとは乗客のマナーだろうが、これはなかなか一朝一夕というわけにはいかないのだろうなと思うのである・・・
【今週の読書】
2013年2月3日日曜日
マニー・パッキャオ
先週NHKで一人のボクサーの特集をやっていた。その名はマニー・パッキャオ。フィリピン人ボクサーで、有名なオスカー・デ・ラ・ホーヤに継ぐ史上2人目の6階級制覇を成し遂げた実力者のようである。
私は、もともとボクシングは嫌いではなく、たまに観ていたりしたし、かつてマイク・タイソンの試合には随分熱狂していた事もあるくらいなのだが、この選手の事はこれまで全く知らなかった。
6階級制覇と言われても、今は階級が細かく分かれ過ぎているからピンとこない。昔はボクシングの階級は、フライ級、バンタム級(矢吹丈はバンタム級だった)、フェザー級、ライト級、ウェルター級、ミドル級、ヘビー級などとシンプルだったが、今はスーパー○○級やクルーザー級、ミニマム級など複雑に分かれ、何と17階級もあるようだ。○階級制覇という言葉もよく聞くし、ナンボのものかと思ってしまう。
しかし、デビューから20キロも上のクラスで戦っていると聞くと、「それは凄い」と単純に思ってしまう。ラスベガスを中心にペイパーヴュー方式で行われるアメリカのボクシング興業は、巨額のマネーが動く。マニーの試合は人気が高く、なんとファイトマネーは1試合30億円だと言う。もう庶民には想像もできない。
確かに番組で垣間見るマニーの試合スタイルは、派手なノックアウトシーンが多く、観客の興味がそそられるのもよく分かる。だが、私が興味をそそられたのは、ファイトスタイルではなかった。ケタはずれの報酬を稼ぐマニーだが、普段は出身地のミンダナオ島に住み、地元の古ぼけたジムで幼馴染みとトレーニングをしている。
フィリピンでもミンダナオ島は貧しい地域で、マニーも子供の頃は日々の食事にも事欠く有り様だったようである。見事なサクセスストーリーだが、それも興味の対象にはならない。興味深かったのは、今でもミンダナオ島に住んでいることだった。普通、ハリウッドあたりに豪邸を建てて、贅沢三昧の暮らしをするだろう。それがアメリカンドリームで、みんなそうしているし、結局マイク・タイソンもそれで身を持ち崩したのではないかと思っている。
アメリカでは一部の金持ちが富を独占しているから、そうしていても不思議はないし、当然そうしていると思うのだが、彼はいまだにミンダナオ島に住んでいる。そして有り余るファイトマネーで、学校を作り、体育館を作り、台風で深刻な被害を受けた地域に15,000人分の緊急支援をしている。富を独占せずに、生まれ育った地元に還元し、自分もともにみんなと暮らしている。そんなところに心が動いてしまった。
昨年12月に行われた試合。故郷ではみんなが一台のテレビを囲んで応援している。しかし、その試合でマニーはライバルに壮絶なノックアウト負けを喫する。負けて故郷に帰った彼を迎えたのは、地元の人々の熱狂的な歓迎。ろくに舗装もされていない道路の沿道で、大人から子供までみんなが彼の乗る車に殺到する。彼の手にしたものは、巨額のドルではない。
日本人にも世界チャンピオンはいるが、ラスベガスで試合をするような選手はいない。それはなぜなんだろうとふと思う。亀田兄弟とか少し前の浪速の辰吉とか人気選手がでたりするが、いかにもローカルチャンプである。ハングリー精神の違いというのもあるかもしれないが、それだけだろうかとも思う。詳しい事情はわからないから何とも言えないが、その理由には興味があるところだ。
マニーの次回の試合がいつになるかはわからないが、ちょっと注意していて、次回はWOWOWあたりでやるだろうから、是非ともTV観戦したいと思うのである・・・
2013年1月27日日曜日
日本核武装論
尖閣諸島を巡っての漁船衝突事件や国有化問題に端を発し、中国とのイザコザが収まる気配がない。今も連日のように領海や領空で、中国のプレッシャーが続いている。右寄りの産経新聞は元より、中国批判の論調は強く、私の周りでも中国との本格的な軍事衝突の可能性を訴える声を耳にする。
そんな中で、国有化問題の発端とも言うべき石原元都知事は「日本核武装論」まで唱えている。世界唯一の被爆国として、我が国の核兵器に対するアレルギーは、たぶん世界一だと思うが、そんな中でも最も極端な意見だと思う。いつの世も過激な事を言う人たちは必ずいるものであり、石原さんもそんな一人だと片付けるのは簡単である。
しかし、よくよく考えてみると、これは真剣に検討すべき課題なのではないかという気が最近ではしている。普通に考えれば、核戦争などやったら人類は終わりに近くなるだろうし、経済の密接し合った現代で、かつてのような戦争などやっても益はないだろうし、周辺国の反発は必至だし、持つ意味などないように思える。私は基本的に「米中等距離外交論者」だし、「中国とは友好を築くべき」だと考えている。ただ、だからこそ、その前提として「核兵器の保有」が必要だとも思えるのである。
男の感覚からすると違和感はないと思うかもしれないが、男は子供の頃から「殴り合いの喧嘩」を多かれ少なかれ意識する。「やられる」と思えば、譲歩しなければならないし、「勝てる」と思えば交渉も強気になる。殴り合いの喧嘩でなくても、例えば上司との議論を想像してみるとわかりやすい。上司と議論して論破できるか否かは、悲しいながら上司の力量次第。
いくら立派な理屈を並べ立ててみたところで、「俺がNoと言ったらNoだ!」と言うタイプだったら、どうしようもない。中国との小競り合いも、アメリカという後ろ盾があるから「小競り合いで済んでいる」とも言える。いじめっ子に睨まれた優等生が、かろうじていじめられずに済んでいるのは先生の目があるからである。先生がいなくなれば、手も足も出ない。
尖閣諸島に中国軍が上陸したら、日本は単独ではどうしようもない。抗議など「蛙の面に○○」というところである。では「アメリカと徹底的に仲良くして」いれば良いかと思えば、本当に大丈夫と言いきれるだろうか。
今朝もアメリカのケリー上院議員が中国重視の発言をしていた。アメリカは限りなく国益を追求する国である。これから益々経済力をつけてくる中国である。いつまでも日本の方が重要だと思ってくれるだろうか。
そうした時に、核兵器を保有していれば、中国もおいそれとは過激な行動がとれなくなる。日本の技術力を背景にすれば、北朝鮮の怪しげな核兵器よりもさらに強烈なインパクトを与えるだろう。アメリカの後ろ盾を失ったとしても、中国には単独で相対できるはずである。
今の時代、核兵器は攻撃用の兵器ではなく、あくまでも「抑止力」である。使えばお互い大変な事になるから使えない。しかし、「ある」のと「ない」のとでは大きく違う。ひ弱な優等生が空手の黒帯を取れば、いじめっ子も手を出せなくなるのである。
「使わない兵器」というのもおかしなものであるが、核武装はあくまでも喧嘩の道具ではなく、話し合いの道具と言う事もできる。石原さんが、「軍事的な抑止力を強く持たない限り外交の発言力はない。今の世界で核を保有しない国の発言力、外交力は圧倒的に弱い。北朝鮮は核を開発しているから存在感がある」という意味が、ここにあると思う。
経済でも軍事でも外交でも、今は中国の方が一枚上手である。そんな中国が、過去の経緯もある日本と本当に友好関係を築いてくれるか、は今は相手の力量にすべて委ねられている。しかし、核武装すれば相手は一目置いて、初めてきちんと話を聞いてくれるのではないかと思う。逆説的ではあるが、本当に友好的にやろうとするのであれば、核兵器こそその有効な後ろ盾となるのではないだろうか。
まあ結局は自分で何とか自立するか、相手の力量に頼るかの話である。相手の力量に頼るのが一番問題は少ない。中国が「理解ある上司」であれば問題はない。人任せではなく、空虚な理想論でもなく、現実的にドラスティックな国際社会で自立していこうと思ったら、やっぱり考えなければならない事かもしれないと思うのである・・・
2013年1月20日日曜日
日記
よく有名人の残した日記が公開されたりしているが、自分はそんな大それた存在でもないし、残して誰かに読んでもらおうなどとも思わない。そう考えてパソコンに保存しているのである。そういう日記は、もちろん後で読み返す事に意味がある。
高校生以後のものは今も手元にある。文章の巧拙はあるものの、テイストはあまり変わっていない。しかしながら、やっぱり10代の“青さ”が滲み出ている文章は、とてもではないが人に見せられたものではない。いつか人生の終わりに身辺整理をする時に、忘れずに処分しないといけない。
人間の記憶というものは、曖昧であり、頼りない。過去に過ごした一日一日はほとんど忘却の彼方だ。しかし、日記に書いてあるとその時の記憶が呼び起こされる事もある。過去の日記を読み返す事は、けっこう面白いものである。
高校生の時に初めて女の子と付き合った。こういう記述は、例え自分のものでも一層興味深い。付き合うに至る過程の心の動きもきちんと書いてある。「若いなぁ」と改めて思う。初めてのデートの時の記憶など、完璧に失われているが、日記にはその時の様子が書いてある。これぞ、日記の効果であろう。
自分でもわりと記録に残す事は好きな方だと思う。映画館に観に行った映画は、小学校6年の時に初めて観に行った「ジョーズ」から、先日観に行った「007 スカイフォール」まで454本に及ぶ。読書はさすがにすべての記録はないが、それでも2005年からはすべてある。近年はブログにして残してあるが、もうすでに内容を忘れてしまっているものがあるから、自分の記録として重要だ。
日記の方は、ここ10年ではやはり子供に関する記述が多くなる。それは子供の成長記録でもある。そしてやっぱり仕事についての記述も多い。その時々に携わっていた仕事。同僚に対する意見。その時食べたランチ・・・
くだらない事もあるし、わざわざ人に見せるほどのものでもない。覚え書き程度のものではあるが、その時過ごした一日がそこにはある。年々月日の経過が早くなっていくが、日記にはそんな矢のように過ぎ去った過去が毎日きちんと記されている。当たり前だが、早過ぎる事もなく、遅すぎる事もなく確実に過ごした一日の記録がそこにはある。それを読めば、知らないうちに時間が過ぎてしまっていたという事はないのだと、改めて実感できる。
今度はいつまで続くだろうか。もうろくして書けなくなる時までだろうか。日記にはすべてパスワードがかけてあるから、子供たちが読む事はないし、自分が死んだらそれまでだろう。それで良いと思っている。
せっかくここまで続けたし、毎日寝る前の良い習慣になっている。時間がなくて急いで書いたら、あとで読みなおした時に何かその日は損をしたような気になってしまう。だから、日記は優先的に余裕をもって、書こうと思う。これからも、毎日続けていきたいと思うのである・・・
2013年1月13日日曜日
アルバイト
自分も社会人になる前はアルバイトの経験がある。初めてのアルバイトは中学3年の時、と言っても高校に入る直前の春休みだ。近所の幼馴染みのお父さんが棟梁だった伝手で、建設現場でお手伝いをしたのが記念すべき初めてのバイトだった。そこは以後も休みのたびに働かせてもらい、こずかいを稼がせていただいた。おかげで、高校生になってからというもの、親からこずかいをもらわなくて済んだのである。
これに味をしめて、高校・大学に入っても当然ながらバイトでこずかい稼ぎを続けた。さすがに学費まではカバーできなかったので、教科書代や通学交通費などの学業に関わるものは親に出してもらい、こずかいは自分で稼ぐという事を貫いた。自分で言うのも何だが、随分感心な学生だったと思う。
アルバイトは親の知り合いの本屋さんというのもあったが、自分で探す事もした。普段はラグビー部の活動があって時間もなく、家庭教師くらいしかできなかったが、今の時期などのシーズンオフはいろいろと探した。年賀用のひよこのお菓子を売った事もあったし、店頭でカメラのフィルム売りの呼子をやった事もあった。その中でも一番のお気に入りは、やはり肉体労働系であった。
最初の建設現場もそうだったが、大学時代にやった築地魚河岸のバイトや防水工事の会社でのバイトなどがなかなかのお気に入りだった。魚河岸の朝は早く、怒声の飛び交う現場に最初は面食らったが、すぐに慣れて怒鳴り返していた。防水工事では、毎日いろいろな現場に連れて行かれ、9時から5時まで作業をした。
10時と3時にはきっちり「一服タイム」が入る。作業が終わって事務所に帰ってきて、その日の報酬をもらって帰る。そのうち新入りのバイトから、「社員さんかと思いました」と言われるほどになった。20数年前の当時で一日7,000円前後は貰えたが、報酬にも内容にも満足していた。
当時も選り好みするつもりはなかったが、それでもスーパーのレジというのは選択肢には入らなかった。その理由を探っていくと、何となく男がする仕事ではないという感覚がある。批判するつもりはないのだが、自分ではやらないだろうし、将来息子がやると言ったら反対するだろう。それは偏見なのだろうか。
もっとも最近では男もお肌の手入れをしたりするようだし、それほど大げさとは言わなくても何の抵抗感もないのかもしれない。そこにニーズがあって、それを満たすのに男女差は関係ないという事であれば、誰がやろうが構わないのも事実だ。そういう意識は偏狭なのかもしれない。
それはともかくとして、アルバイトはいいものだと思う。社会に出る前に稼ぐという体験ができるし、世の中の仕組みもなんとなくわかる。ひよこのお菓子を売った時は、当日の朝、その日付の製造日の日付判を押してから売っていた。当然製造日の表示の偽造であり、今ならまずいと思うのだが、当時は「こんなものか」と思ったものである。
世の中数多ある職業をいろいろと体験する事は難しいが、アルバイトはそんな職業のいくつかを疑似体験できる。子供たちもいずれそんな年齢になるだろうし、その時は積極的にこずかい稼ぎをさせようと思う。どんなバイトがいいだろうか。自分の事ではないものの、今から考えても面白いかもしれないと思うのである・・・
2013年1月6日日曜日
我が家の子供たち
この年末年始は何と9連休だった。
無事にお正月を迎えられる上に、長く休む事もできて、つくづくありがたいと思う。
娘は受験勉強に勤しむ毎日。
塾も積極的に居残りをしている。
そんな娘に妻は厳しい。
今朝も娘は、今ハマっている「踊る大捜査線」の録画(最初のTVシリーズ)を観ようと6時半に早起き。終わってから朝の勉強。ところが妻は、そんな娘に厳しく言う。
「TV観るために早起きなんて・・・受験が終わってからにしなさい!」
合否に不安な妻は、事あるごとにこんな調子。妻の言い分もわからないでもない。しかし、普段だったら娘は8時まで寝ているところ。それをTV観たさに早起きする努力は認めてあげないといけない。8時に起きてそれから顔を洗って準備して勉強するのと、TVを観て終わって7時半から勉強するのとどっちが良いのか、考えるまでもないのだが、妻にはその判断もつかなくなっている。
かつて受験生がいる家では、「すべった」とか「落ちた」とかは禁句だといったものがあった。非常に滑稽だと思っていたのだが、それくらいピリピリしていたのだろう。だけどそうしなければ受からないというものでもない。まだ小学生だという事を考えれば、もっと考えてあげないといけない。私はと言えば、眠い目をこすりながら6時半に起きて一緒にTVを観てあげた。趣味は一緒に楽しむ人がいれば尚更楽しいし、当然ながら娘もそれを喜んでいるようだった。そういう応援をしていきたいと思うのである。
一方息子はここのところ日本の歴史にハマっている。特に戦国武将にご執心だ。『そーなんだ!歴史編』という歴史漫画を、本当は歴史に苦手意識を持つ娘のために購読したのだが、逆に息子がハマってしまったという有り様。せっかく47都道府県を覚えたと思ったら、今度は「尾張の国」だとか「美濃の国」だとか、そっちが気になるようだ。徳川15代将軍の名前を知りたがったり、家系図にも興味が派生しているようである。
挙句の果てに、「我が家の家紋は何か」と尋ねて来た。良い機会だと思って「おじいちゃんに聞け」と答えたら、さっそく実家に連れて行った時に質問し、「丸に根笹」と教えてもらい、さらにそのキーホルダーまでもらってご満悦。
「お姉ちゃんはお嫁に行くから、僕が名前を継ぐんだよね」
と涙ぐましいセリフまで吐いてくれた。「お嫁に行ってくれればね」というセリフをぐっと呑み込み、「そうだね」と答える。
それぞれに、それぞれの子供たち。
今年は子供たちにとってどんな年になるのだろうか。
自分のばかりでなく、子供たちの一年もしっかりと見守りたいと思うのである・・・
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| 丸に根笹 |
2013年1月3日木曜日
2013年新春雑感
2013年が始った。
今年はいつもと違うスタートだ。
まず長女が受験という事もあって、大阪の妻の実家訪問はなし。
長女は元旦のみ休んで、2日から塾だ。
塾の先生も娘の話によると連日終電帰りという事。
先生たちも書き入れ時らしい。
元旦はいつも家族そろって近所の北野神社へお参りに行くのだが、例年よりも遅めに家を出る。長女は起きてこないので置いて行った。家族そろって行くものだという意識はあったが、いずれ子供たちもバラバラとなってそうもいかなくなるだろう。そんな事を考えて、敢えて置いて行ったのだ。いずれ夫婦二人でのお参りとなるのだろう(それとも一人だろうか)。
そのあとは恒例行事として、私の実家へ。妻と母は表面上は穏やかな会話。母親も年末のゴタゴタについては気に病んでおり、体調も悪いらしく、そのあたりは大分気になっていたが、また改めて様子伺いをしようと思う。嫁姑問題が少しでもデタントに向かうよう、今年はこの問題に諦めずに対応していきたいと思う。
さらに気になるのは、祖父母と孫との関係だ。妻の両親と子供たちは会話が多いが、私の両親とはあまり会話が続かない。その最大の要因は、接触時間の長さが影響している。妻は年間にして約1ヶ月実家に帰省する。それに対して私の実家へは年間数回だ。この差は大きいと思う。これも今年は少しでも改善したいと思うが、妻の顔色を見ながらという事になるのだろう。
2日から長女は塾に行く。
正月特訓である。
我が娘ながらよく頑張る。
受験は親がやかましく言ったところでどうなるといったものではない。
何よりも本人のモチベーションが重要。
幸いな事に本人がやる気になっているところが、良いところ。
塾通いは親の懐には優しくないが、そこは親も耐えないといけない。
長女が塾へ行って勉強する間、私はテレビでラグビーの大学選手権を観戦。
これも恒例行事。結婚前は、毎年国立競技場へ行っていたものであるが、結婚してからは大阪への移動日になるため、半分くらいしか観られない。
仕方がないと諦めてはいるが、今年はじっくり観る事ができた。
特にする事もない三が日。あれこれと今後の事を考えてみる。常に、「昨日より少しだけ良い今日、今日よりも少しだけ良い明日」と考えて生きている。しかしながら、このところ停滞しているようにも思う。仕事でも家庭でもその他でも、これまで割と自分なりに努力しているつもりなのだが、あまり成果は上がっていない。正直言って辛いところではあるが、かと言ってやめるわけにもいかない。成果を焦らず必要な事を続けていくしかない。
嫁姑問題も含めて、今年はネバー・ギブアップ~できるまでやる~をテーマとして頑張ろうと思うのである。
【本日の読書】

2012年12月31日月曜日
2012年年末雑感
大晦日。早いものでもう2012年も終わりである。終わりよければすべて良しという言葉があるが、良い年だったと思うにはちょっと厳しい年だった。それは仕事でもそうだし、親子関係・夫婦関係でもそうだ。それ以外にもうまくいかずに悪戦苦闘しているものがある。人生に試練は付き物だと思うが、自分の場合、ちょっと重すぎるのではないかと最近感じている。
娘は中学受験に備えて勉強している。年末年始も塾通いだ。お受験などバカにしていた私だが、最近では都立高校も中高一貫化しており、我が娘が目指す地元の都立高校もそうなってしまったから仕方がない。それにしても自分の小学校6年の時と比べると、娘は遥かに勉強している。同じ学年で比較すれば早くも親を越えたと言える。親としては子供にどんな影響を与えられるだろうかとよく考えている。基本的に財産はそんなに残せないから、それに代わる無形の資産をたくさん残してやりたい。それにはいろいろと語って聞かせる事だろうと思う。
息子は今日本の歴史にハマっている。特に戦国武将に興味を惹かれているようである。一緒に風呂に入るとあれこれと質問してくる。大した答えができるわけではないが、それでも思いつくまま答えていると、目をキラキラさせながら聞いている。こういう瞬間を大切にしたいところだ。
嫁姑問題は、一朝一夕にはいかないだろう。自分ですべて解決できるとは思わずに、周りの手も借りながら少しずつ歩みを進めていくしかない。自分の事でないから、なかなか難しいところだ。今年がどうだったかという事も大事だが、来年どう生きるかはもっと大事。やっぱり「昨日よりも今日」、「今日よりも明日」と日々より良く生きたいと思う。常に良き夫、良き父親、良き息子、良き友人であるかを自らに問いかけていきたい。そしてそれに応えられるように、今日も明日もより良く生きたい。
ありきたりではあるが、一日一善の善行を心掛けていば、最後にサイコロの目が良い方に出るかもしれないと信じてそう行動したい。小さな事でも構わないから、来年はそんな日々を過ごしてみようと思う。また明日から新しい一日、新しい月、新しい年が始る。
顔を上げ、前を向き、常に前傾姿勢で倒れる時も前に倒れる。
そんな姿勢で行きたいと思う。
より良き明日に備えて、2012年の完了キーを押したいと思うのである・・・
2012年12月28日金曜日
難問(嫁と姑)
一定量の心配や苦痛・苦労はいつも誰にも必要である
誰にでも悩みごとの一つはあるものだと言うが、やっぱりそうなのだろうか、とふと思う。今の自分にも頭の痛い問題がある。それが嫁姑問題である。結婚した頃は、嫁姑問題なんてどこか他所の話かと思っていた。今の妻と結婚しようと思ったのも、この女性なら母親ともうまくやってくれるだろうと思ったのが理由の一つでもあった。いずれ両親が年老いたら同居も、などという考えも抱いていた。すべて幻想となった今、何が悪かったのだろうと考えてみるも、これという理由は思い浮かばない。
その昔は、結婚とは「嫁をもらう」事であり、女は文字通り家に入って嫁となった。「嫁ぐ」とはそういう事であった。家に入ればそこには既に君臨している女帝がいるわけで、厳しい指導にお嫁さんも苦労したし、そこから衝突して嫁姑の争いとなったのだろう。だが今は、我が家もそうだが、互いに独立した家庭であり、そんなに接点があるわけではない。なのにどうしてうまくいかないのだろうか。
原因は姑、つまり私の母親にある。というか、あったと言った方が正しいかもしれない。妻もはじめから喧嘩腰で結婚したわけではない。始めは、旦那の母親に気に入られようという健気な気持ちであったと思う。それが母親の「悪気はないけど余計なひと言」、「軽い気持ちで言った傷つく一言」が積み重なり、次第に反発を覚えていったようである。
人間、感情は隠していても態度に出る。やがて、母親に対する反発心が知らず知らずのうちに態度に出る。それを母は面白くないと思うし、時として気分を害する。もちろん、何で妻がそんな態度を取るのか思い当たる節は何もない。「自分は娘ができたと思って仲良くしたいのに・・・」と言いつつも、そんな態度に対する不満がまた余計な一言になって表に出てくる。あとはその泥沼のような連鎖である。
双方その不満のはけ口は、間に立つ人間、すなわち私に来る。私もまた事態を軽く考え、真剣に受け止めなかった。
「何でああなの?普通は○○するでしょう」→「世代も違うし、自分たちの常識をあんまり押し付けるのもどうかと思うよ」
積もり積もった積年の思いが、ついに先日火をふいた。
直接衝突したわけではないが、妻の怒りの矛先は鋭く私に向けられた。双方からその言い分をじっくりと聞く。妻との話し合いは、深夜にも及ぶ。双方それぞれ言い分があり、双方それぞれもっともである。大体、喧嘩なんてそんなものだ。みんな自分には自分の正義があるのだ。どちらも正しいから答えは出ない。長い年月の経過は、その原因を曖昧にする。
アラブとイスラエルの紛争が良い例だ。どちらの主張にも正義があり、だからこそ解決が難しい。互いに歩み寄る気持ちがあれば、と思うのだが、それも「相手が非を認めるならば」と双方が考えている。何とかうまく取りまとめようと何度も試みたが、双方それぞれを立てるとそれぞれから反発を喰らう。
「母親に何も言えない」
「嫁の言いなりになっている」
双方からの私に対する批判は手厳しい。
今のところ解決の糸口は見えない。双方もう少し寛容にとも思うが、それは私の立場だから言える事なのだろうか。解決できない問題はないと言われるが、こればっかりは難しそうだと思うのである・・・
2012年12月20日木曜日
選挙雑感2012
選挙が終わった。
事前の予想通りの自民党の圧勝。
前回は民主党が怒涛の大勝利。
その結果はともかく、これだけ大きく振れるのはどうなんだろうという気がする。
自民党もこの勢いで国民の期待に応えてくれればいいのだが、自ら自滅して政権を開け渡した3年前からどれだけ復活できているのだろうかという気もする。私が投票した地元の議員さんは見事小選挙区で当選を果たした。自民党の議員さんだが、「自民党だから」という理由で投票したのではない。個人的に頑張っているなと感じての投票だ。
前回の選挙でも投票したのだが、前回は民主党旋風の前に小選挙区で落選し、比例代表で復活していた。今回は堂々の小選挙区での、それも圧倒的な勝利であった。そして前回、「民主党だから」という理由で当選していた議員さんは、残念ながら落選。選挙前に民主党を離党し、今度は「民主党だから」という理由で落選するのを回避しようとしたようだ。さらにそれだけでは不安だったのか、直前になって日本未来の党の看板を掲げて選挙に臨んだのだが、我が選挙区の選挙民はそれほど甘くはなかったようだ。「看板頼み」も限界があるだろう。
民主党も、大物議員が次々と落選するという逆風下でも、立派に小選挙区で当選している議員さんはいる。こういう人は勝負できる「自分の看板」がしっかりとあったのだろう。政治家だったら、やっぱり「自分の看板」で勝負できるようでないとダメだろうと思う。
比例代表は、今や大物議員さんの「セーフティネット」みたいになっている。今回は菅直人前首相もこれで救われている。個人的には比例代表制も悪くはないが、今のあり方はどうかと思う。本当は比例代表はもっと数を減らし、「自分の看板」を持たない有望な若手議員を並べ、政界でキャリアを積んだ議員は、「自分の看板」で勝負するのが理想のような気がする。
若手議員はキャリアを積むにつれて比例名簿の順位が下がるようにしておく。
次の選挙までに自分の看板を作らないと、その先はない。
そうなると、必死で頑張るのではないかと思ってみたりもする。
まあ保身に忙しい政治家の先生に、そんな制度を受け入れる度胸はないだろう。
前回の選挙の時に思った事を読み返してみたが、ある程度民主党政権の失敗はわかっていたのだと改めて思う。前回感じた通り、民主党にとってみれば、ここで膿を出せれば次回また機会が巡ってくるのではないかと思う。「権力は腐敗する」との格言通り、一党支配はやはり良くない。今回は第三極と言われる勢力が出て来たが、いずれ二大政党くらいにはなってほしいと思う。
選挙に行く朝、長女から「どういう基準で選ぶの?」と聞かれた。
子供からの純粋な質問に時として戸惑う事もあるが、この時もそうだった。
「みんな『選挙で当選したらこんな事をやります』と言っているから、それをよく聞いて選ぶんだ」とありきたりな答えをした。
しかし、基本はそうだ。
前回は民主党の勝利後、マスコミはこぞって「マニュフェストに拘るな」と大合唱し、私の周りでもそれに賛同する人が多かった。私は一人、「拘らなくては困る」と言い続けていた。当選したあとに手のひらを返されたら困るからだ。そして今、野田さんは「マニュフェストになかった消費税増税をやった」と批判されている。いい加減なマスコミだから、国民もマスコミの報道なんかに左右されずもっと考えて行動しないといけない。右に左に極端に振れるのは、考えていないからに他ならない気がするのである。
政治家は国民の姿を映す鏡。
政治家が情けないと思うなら、それが日本国民の姿だと考えないといけない。
韓国の大統領選の投票率は75.8%だったという。
それに対して我が国は59.6%。
この投票率の低さこそが、大きな問題だろうと思えてならない。
さて、安部総理は日本では珍しい「返り咲き」総理だ。
前回は途中降板だったが、今回は先発完投を目指してほしい気がする。
もうコロコロ総理大臣が代わるのはみっともないし、せっかくだから大いに期待したいと思う。
また次の総選挙の時にはどんな事を感じているだろう。
その時またこの文章を読み返してみるのを楽しみにしたいと思う。
あっ、衆議院の影に隠れてしまったが、同日行われた都知事選では猪瀬副知事が当選した。
かねてから著書を読んでいた事もあって、清き一票を入れさせていただいた。
オリンピック誘致はいかがかと思うが、こちらも頑張ってほしいと思うのである・・・
【本日の読書】

2012年12月11日火曜日
より良く生きるために
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
およそこの世は人間関係がほとんどすべて。仕事でも家庭でもその他においても。人間社会の中で生きていくには仕方のない事であるが、この人間関係というものが世の幸不幸の大部分を占めているような気がする。
そしてその人間関係の鍵となるのが、「言葉によるコミュニケーション」=「言葉のキャッチボール」であると思う。「モノは言いよう」と言うが、本当にこの言葉の使い方一つで、同じ事を言っていてもまったく結果は違ってくる。「そういう言い方はないだろう」と、文句を言いたくなる事は日常茶飯事。言い方一つで気分を害する例は枚挙に暇がない。
20代の頃は、棘のある言葉に接すると、真っ向から歯向かっていた。気分が悪い時は、相手を不快にさせるとわかっていて、そういう言葉を使った事もあったと思う。30代で多少考え方が変わった。そうあちこちで対立ばかりしていても疲れるだけだと悟ったのだ。
また、気持ちの良い対応をされると嬉しくなるのは誰でも同じだろうが、自分もまたそうであった。それに輪をかけたのは、片思いの影響もあった。どうしたら、意中の女性に愛されるのだろうかと考えたら、他人と勇ましく対立ばかりしている人間が対象になるとは思えなかったのだ。
40代になって、『自分が源泉―ビジネスリーダーの生き方が変わる』という考え方に触れた。「目の前のすべての結果は自分が作り出していると考える」考え方は、自分にしっくりとくるものだった。だがそれでも、何気ない相手の一言や対応に腹の立つ事は絶えない。仕事でも家庭でも極力感情を抑えようとはしているものの、なかなか難しいところがある。
そんな時に「距離を置く」というのは一つの解決策だ。嫌な相手とは接触の機会を断ってしまえば、それ以上ストレスは感じないで済む。しかし、仕事でも、そして家庭では特に逃げる事はできない。であれば、正面から受け止めるしかない。最近ようやくこの受け止め方がわかって来た。
相手は相手なりに自分が正しいと思っている。そしてしばし、そこに悪意はない(と考える)。時に鈍感になり、言葉の棘の痛みをやり過ごす。自分で転んだ時は、痛くても誰にも当たれないように。相手が悪意で言って来ても、『自分が源泉』の立場に立てば、それを言わせたのは自分だとなる。
考えてみれば、「キャッチボール」は「キャッチ」ボールであって、「スロー」ボールではない。投げるのではなく、捕るのがキャッチボールなのである。相手の胸に向けて、(取りやすい)ボールを投げるのがキャッチボールの基本とされているが、実は相手の投げたボールを、例え取りにくくても頑張って捕るのがキャッチボールの本来の意味なのかもしれない。
そう考えれば、言葉のキャッチボールも受け止め方が大事だと言えるだろう。自分にはまだまだ練習が足りないと改めて思う。人生もそろそろ半分を過ぎただろうし、好きな事をして楽しく毎日を暮らしたいと思うが、それには上手な言葉のキャッチボールが必要だと思う。
元旦に「今年一年は家では腹を立てない」と決めた。もうそろそろ期限を迎えるが、今のところはうまくいっている。相手が気分がよければ、それは自分にも伝播する。上手なキャッチボールは何よりも自分のより良い人生に直接結び付く。50になるまでまだ少し時間がある。
それまでにはこの境地をもう少し極めたいと思うのである・・・
【本日の読書】

2012年12月6日木曜日
雨について思う
この時期の我が家恒例の年中行事である。
しかし空は生憎の曇り空。
天気予報は無情の「夕方から雨」を告げていた。
そして、その通り、夕方暗くなると同時にパラパラと雨が降り出した。
雨は降っても困るし降らなくても困るという、考えてみれば誠に奇妙な現象だ。しかしながら雨というキーワードで過去を振り返ってみると、せっかく後楽園球場に野球を観に連れて行ってもらったのに試合が中止になってしまったりとか、旅先で恨めし気に空を見上げたとか、そんなネガティブなものが多い。「恵みの雨」とは言うけれど、よくよく考えてみればそれは農家の人たちとかで、我々都会人にはやっぱり煩わしいものである。
妻などはよく「洗濯物が乾かない」と嘆いているし、それは主婦にとっては共通の認識でもあるだろう(そういう妻は小学生の頃、運動会の前の日に真剣に雨乞いしていたそうである)。都会人にとっては、雨は嫌われ者と言えそうだ。いざという時の雨は、本当に嘆かわしいものだ。もっとも私自身は自称「晴れ男」なので、雨に泣かされる事は少ない方かもしれない。
雨で印象深いのは、やっぱりラグビーだ。高校に入ってラグビーを始めた時、一番驚いたのが、「ラグビーの試合は雨でも中止にならない」という習慣だ。それまで野球をやっていたから、これはちょっとした驚きだった。困ったのは、「だから練習も中止にしない」という最もな理屈。
それでも主要グラウンド(通称A面)は学校が使わせてくれなかったから、雨の日の練習はもっぱら通称“C面”と 呼んでいた、グラウンドというよりも体育館の裏の空き地だった。狭いから大した事はできず、もっぱら地面のボールを滑り込んでキープするような練習ばかりさせられた。練習後の姿は想像するに難しくないと思う。
年に一度の夏合宿では、やっぱり辛くてみんなで雨乞いをした。「雨でも練習する」という習慣を忘れたわけではなかったが、それでも雨乞いせざるを得なかった。「ひょっとしたら」という奇跡にすがったと言えるが、結果はやっぱり雨の中で練習は続けられた。
当然試合も雨の中で何度もやったが、相手も同じ条件とは言え、実力が十分発揮できたとは言えない。ボールはすべるし、ぬかるみに足は取られるし、動きも大きく制限されてしまう(もっとも最近は人工芝化も進んでいるので、状況も少し違うかもしれない)。
雨の日の試合は、やっぱり悲壮感が漂う。ドラマでも、傷心の主人公が雨にずぶぬれになるのは定番のパターンだが、雨にはそういう効果がある。「涙雨」という言葉があるくらいだし、「氷雨」は悲しい内容だし、雨がふって楽しいのは童謡くらいではないだろうか。
外出する時に雨というのはやっぱり鬱陶しい。しかしながら、この世に生きていく以上、雨は避けられない。避けられないものなら、それなりに受け入れるしかない。それが休みの日だったりしたら、諦めて晴耕雨読の精神で穏やかに過ごしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
2012年11月30日金曜日
イスラエル
イスラエルは中東のど真ん中に位置する国である。世界の火薬庫と言われた紛争地帯で、つい先日もイスラエルとハマスがガザ地区で衝突した。ハマスは1週間で1,000発を越えるロケット弾をイスラエルに撃ち込み、イスラエルは、“Iron Dome”という迎撃システムで300発ほどそれを撃ち落としたものの、着弾被害も免れず70人程の被害者が出ている。
イスラエルは、報復として空軍によるピンポイント爆撃を行い、幹部の自宅やハマス政府ビル・警察・ミサイル基地など1,300カ所を破壊している。
ようやく休戦になったものの、あくまでも休戦に過ぎない。
突然飛んできたロケット弾で、母親と自らの指を失ったユダヤ人の男の子の話や、イスラエル軍の爆撃で瀕死の重傷を負い、ガザでは手当てできず、イスラエル側の病院に恐る恐る入院したパレスチナの子供の話がCNNのニュースで紹介されていた。この子たちも大人になったら、やっぱり憎しみ合って戦うのだろうか。日本人的な感覚では、どうにか話し合いで仲良くできないものだろうかと思わざるを得ない。
されど2000年の放浪生活を送り、世界各地で嫌われ迫害されたユダヤ人は、身を守るために身につけた商才も「金持ち忌み嫌われる」で嫌われ、それはシェイクスピアにも強欲な商人として叩かれる(「ベニスの商人」)ほどだった。ナチスによるホロコーストを乗り越え、ようやく先祖の地に自らの国を築いたユダヤ人には同情しうるものがある。
されどユダヤ人が追い出されたあと、2000年も祖国として暮らしてきた土地に、突然ユダヤ人がやってきて国を作り、追い出されたとなっては、パレスチナ人の無念もよくわかる。たかだか230年ちょっとのアメリカの歴史を考えてみても、2000年の歴史は長い。ちょっとやそっとでは、やっぱり解決しないだろう。
私がこの地に興味を持ったのは、もう中学生くらいの事だ。この頃から歴史好きだったのだが、キリストの時代のこの地域の事に特に興味を惹かれたのである。たまたま友人の家が教会であった事もあり、頼んで聖書を一冊売ってもらったのだが、創世記から始る旧約聖書はなかなか面白い「読み物」であった。
チャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」はこの時代の物語であり、もちろん、キリストも出てくる。そのものすばり「ナザレのイエス」という映画を観に行った事もあった。しかし、かと言ってキリスト教に帰依するまでには至らなかった。新約聖書を読んで、確かにキリストの言動には心を動かされるものはあったし、「愛の宗教」と言われるキリスト教が世界に広まった理由も良く分かったが、聖書は私にとってあくまでも歴史書であったのである。
3つの宗教の聖地であるエルサレム。この何とも言えない響きの名前を持つ都市を訪れてみたいという気持ちはいまでもある。ゴルゴダの丘やなげきの壁を見てみたいし、死海に入って浮かんでもみたい。旧約聖書の舞台に対する憧れは今でも強い。
しかし、自爆テロがあったり、ロケット弾が飛んできたりという一触即発の紛争地に、のんきに観光気分で訪れるのも、なんだかなぁと言う気がする。この地に真の和平が訪れるのはいつの日の事なのだろう。
シリアのアサド政権が倒れ、民主政権が誕生したら、イスラエルとの間に和平の空気が訪れるだろうか。シリアが折れれば、ヒズボラも後ろ盾を失うから武闘派は大人しくなるだろうか。北が平和になれば、南のガザもそういう空気になるのだろうか。自分が生きて元気なうちに、和平が成立しないものだろうか。
平和なエルサレムに、いつの日か訪れてみたいと思うのである・・・
【本日の読書】
![影響力の武器[新版] 人を動かす七つの原理 - ロバート・B・チャルディーニ, 社会行動研究会](https://m.media-amazon.com/images/I/41RYTnLB+AL._SL160_.jpg)














