【原文】
子曰、語之而不惰者、其回也與。
【読み下し】
子曰く、之に語げて惰らざる者は、其れ回なるか。
【訳】
先師がいわれた。「何か一つ話してやると、つぎからつぎへと精進して行くのは回だけかな」
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日本の諺では「一を聞いて十を知る」という言葉があるが、それと似たイメージであろうか。一つ指示されるとその先を自分で想像して仕事を進めていける人がいる。一方、その反対は一々手取り足取り指示されないと動けないということであるが、そういう人も実際にいる。その差は何なのかと考えれば、それは「意識の差」に他ならない。実際、私の部下にもそういうタイプがいる(年上のおじさんだ)。なるべく自分のやる事は最小限にとどめんとしてとにかく自分から仕事はしない。言われればやるが言われないとやらない。
上司からすれば何とももどかしい。しかし、本人にすれば余計な責任を負わなくて済むし、余計なことを考える必要もない。おそらくいろいろと気がつく事はあるだろうが、それを指摘すれば自分がやる羽目になるから黙っている。もちろん、指示されればきちんとやる。私の前任者には随分と怒られていたが、私はそういう人だと認識したので、イライラすることもなく、自分が指示するのを忘れないようにするだけである(忘れたらそれは自分の責任)。
その逆に別の部下は(こちらは20代の女性だ)、一度言えば後は自分から動いてくれる。年末近く、挨拶用の会社のカレンダーを発注しているのだが、昨年それを指示して業者との交渉から全部やってもらった。すると今年は自分から「カレンダーはいつ発注しますか?」と聞いてきた。「昨年は今頃だったので」と。どうやら自分で来年も同じことを言われるだろうとメモでもしていたのだろう。今回はデザインと費用の承認だけで、私はほとんど任せっきりで何もせずに済んだ。両者の違いは天と地である。
当然、私の2人に対する評価も大きく違う。別に仕事人間になれというつもりはないが(女性部下の方もそんな様子は微塵もない)、ただよく気がつくということだけだろうと思う。自分が部下の立場なら言われたことだけをやる仕事は、責任もなくていいかもしれないが、圧倒的に面白くない。どうせやるなら面白い仕事の仕方をしたいし、その方がいい。仕事を面白くするなら、ゲーム感覚で自分なりの目標を決めてその達成を目指してもいいし、「できないやつ」より「できるやつ」と思われたい。
スポーツでも同様。上手くなりたいと思ったら教えてもらうだけではダメで、自分なりに考えて必要だと思う練習をしないと人より上手くはなれない。チームの全体練習で不足する分は、自分で時間を作って練習しないといけない。それは「やれ」と言われてやるものではなく、自分で考えてやることである。私も学生時代は練習開始の1時間前にグラウンドに行って筋トレをしていたし、練習後はチームメイトに手伝ってもらってスローイングの練習をしたりしていたものである。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるが、同じ理屈かもしれない。その根底にあるのはやはり「意識」である。「能力の差は5倍、意識の差は100倍」(永守重信)という言葉は真実であると思う。孔子の弟子である回もそういう意識が高い人物だったのだろう。だから孔子も回を高く評価していたのだろう。私が女性の部下を評価するように。回も自分の名前がこんなにも長く残るとは想像していなかったに違いない。他にも弟子はいただろうが、名前の残る弟子になるかどうかの違いはこの意識の差に他ならない。
こうした事は、これから社会に出る息子に伝えたいと思う。もう自分の意識を高める段階は終わったと思う。これからは息子や会社の若手の意識を高めることを考えていきたいと思うのである・・・
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| StockSnapによるPixabayからの画像 |
【今週の読書】

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