今年2回目の献血をした。人生で12回目の献血である。初めての献血は高校生の時。以来、献血などしようという気にもならなかったが、10年前に職場で実施してからというもの、たびたびするようになったのである。なぜ献血などするのかと言うと、それは自分自身、「禍福は糾える縄の如し」という考え方があるためである。人間、幸せにばかり囲まれていることはできず、不幸まみれのままでいることもない。必ず禍福は入り乱れて自分に降りかかってくると信じている。それが根底にあるのである。
良いことがあれば悪いこともある。だから良いことが続いたら悪いことが起こるかもしれないと警戒しないといけない。しかし、悪いことが起きるのをビクビクしながら待っているのもバカらしい。そこで自ら不快(=自分にとって悪いこと)を作り出して不幸の代わりにしてしまおうという魂胆である。献血は実に不快な経験である。針を刺されるのも不快なら、機械で血液を吸い上げる際に針を通して微妙に伝わってくる振動も実に不快である。そういう不快感は、自分にとっての幸福と釣り合わせるのにちょうど良い気がするのである。
こういう考え方は、いつの頃からか漠然とあったのであるが、欽ちゃんの『負けるが勝ち、勝ち、勝ち! 「運のいい人」になる絶対法則』(読書日記№626) を読んだ時に確信した。欽ちゃんは、かつて『欽ドン!』が視聴率30%を超えるたびに、運を使うために馬券を300万円買っていたという(もちろん、当たり狙いではなく、損してそこで悪運を使ってしまうのである)。残念ながら私にはそんな資金力はないから、自ら不快に身を委ねる方を選んでいるのである。
献血を終えると、少し休憩するように求められ、お菓子や飲み物や、最近ではいろいろと小物をプレゼントしてくれる。飲み物は失った水分を補給するという意味で、医学的観点から飲むように言われるからそれはいいとして、いろいろもらってしまうとせっかく運を減らしにきているのにその効果が薄れてしまうような気がする。なるべくお菓子は食べないようにし、今回もらった歯磨き粉(なぜこんなモノをくれるのかはわからない)は家族に渡した。今回に限らず、献血は別途行なっているユニセフへの寄付と併せて定例化しようと思っていることである。
毎回400ml。血液検査もしてくれるのでその数値も参考になる。前々回基準値を超えて医師の診断を勧められ、前回はギリギリ基準内だったコレステロール値が、今回は一気に下がっていた。どうやら『LIFESPAN-老いなき世界-』(読書日記№1243) を読んで感化されて始めた「一日二食」の生活の効果が現れてきたのかもしれない。これも「空腹」という不快を毎日味わうという目的もあったのだが、体重も春から7㎏落ちて腹回りもスッキリし、ズボンも緩くなった。コレステロール値の改善は想定外だったが、運を減らすつもりがいい結果につながってしまうと、良いのか悪いのか複雑な気分である。
また、今年は町内会の班長役が当番で回ってきている。これも面倒だしやりたくないのは本心だが、こういう面倒ごとを引き受けるのも「運減らし」の効果があるかもしれないと考えている。だからなるべく積極的に参加している。妻はこれ幸いとばかりに私にすべてを押し付けてくるが、「少しはお前もやれよ」とは決して言わないのはそういう考え方があるからである。仕事でも、やらなくても誰にも何も言われないことをわざわざ引き受けたり、何かあれば二つ返事で引き受けたりしているが、それもこういう「運減らし」の考え方である。
この世は不条理であり理不尽であり不公平である。心正しき者が必ず幸せになるとは限らず、憎まれっ子は世に憚る。それを嘆いても仕方がない。この世に神様がいたとしても、とても全人類を公平に見ることなんて不可能だろうから期待はしない方がいい。であれば個々人が不条理な世の中で心安らかに暮らしていく術を身につけるしかない。普段から運減らしをしていれば、大きな不運には襲われないと信じて平穏に暮らせるのであればそれでいいではないかと思う。
今年に入って突然理不尽な失職を味わった。とは言え、再就職の相談に乗ってもらった人たちは皆真摯に対応してくれた。それほど人付き合いがうまいとは思えぬ自分であるが、まだまだ友人知人には恵まれている。そして縁あって再々就職した今の会社も、いい雰囲気で楽しく仕事ができている。収入が減ってしまったのは難事であるが、あっちで減った運、減らした運の分だけ良いことがこっちでちゃんと起こっているように思う。少なくとも今の職場はストレスとは無縁である。
献血した400mlもどこかで誰かの役に立っているかもしれない。もしかしたらアマのジャッキーな血が混じって迷惑しているかもしれないが、それは笑って許してもらおう。個人のささやかな思い込みであるが、それで日々穏やかに暮らせて、少しだけ誰かの役に立っているとしたら、まぁいいだろうと思う。これからも少しの不快と面倒とを自分のために引き受けていこうと思うのである・・・
rovinによるPixabayからの画像 |