2008年12月19日金曜日

あざなえる縄の如し

 
「幸せとは気づくこと」
とはいえどうしても幸せとは思えない事が出てくるかもしれない。
それはそれで仕方がない。
なぜならこの世はすべからく善と悪、幸と不幸とが互いに交じり合い両者のバランスの上に成り立っているからである。
ことわざにあるように「禍福は糾える縄の如し」なのである。

人によってはその割合は5:5だったり、8:2だったりするかもしれない。
だが、10:0になる事はない。
どんな人でもきっとそうだろう。
「お金持ちになれたら幸せだろうな」と誰もが思う。
だが、金持ちには金持ちの悩みがあるのはこういうわけだからだ。
だから何か不幸・不運があったとしても嘆く事はない。
それはそれで幸せの対価なのだ。

もしもたくさんの幸せに囲まれていて不幸な事は何もないと思ったら、気をつけた方がいい。
どうしてもという時は世の中に幸せを還元するべきだ。
そうしてバランスを取った方がいいだろう。

そんな考えでこれまでやってきた。
だから例えば私はくじ運が悪い。
ここまでひどいかというくらい悪い。
(商店街の福引では14回連続で外れたし、TDLのショーの抽選にだって外れたし、当たったと思って喜んだらショーそのものが強風で中止になった事もある。
トーストを落としたら間違いなくバターを塗った方が下になると思っている。)

だが、それでいいと思っている。
くじ運が悪い事で禍福のバランスがとれているのならこんな結構な事はない。
なに、宝くじで大当たりする事が一生ないというだけの事だ。
「抽選で・・・」なんて言葉があったら、「あなた以外の方に・・・」と読み替えればいいだけの事だ。
そんな程度で済むならお安い御用だ。

だが最近はそんな私の考えが神様に見透かされたのか、大きな悩み事ができてしまった。
誰にも相談できず(相談してもどうしようもないのだ)、一人で抱え込んでいる。
時折どうしようもないくらい不安に押しつぶされそうになる。
そんな時思うのだ。
これが幸せの対価か、と。
ならば仕方ないと思って受け入れている。
(家族の病気なんて事よりは当然ながらはるかにましだ)

だが当分は解決しそうにないし、心穏やかになる事もない。
ただこんな考え方ができるせいか、誰を恨む事もなくなんとか過ごしていられる。
だからいいと言えばいいのだが、さすがに来年あたり何とか目処をつけたいが難しいかもしれないと密かに悩ましく思うのである・・・

  

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