2011年10月12日水曜日

ラグビーはタックルだ

タックルはラグビーの象徴的なプレーだ。豪快に決まれば観ている方もやっている方も気持ちが良い(やられた方はたまらない)。しかし、ラグビーをやっていれば、誰でもがタックルがうまくなるかというと、実はそうでもない。苦手としている人もかなりいると思う。

 

大概の者は、ボールを持って突進していくプレーは好むが、タックルには初めは抵抗感を持つもの。何せボールを持って勢いよく突っ込んでくる敵に、飛び込んでいくのだから躊躇もしようというもの。特に「守り=受身」と感じてしまうと、よけいである。かく言う私も高校時代はタックルが好きではなく、自分は「アタック型」の人間だと自分に言い聞かせていたものである。

 

それでも大学へ進むと、ポジション争いも激しくなり、そんな事を言っていられなくなった。

必然的にタックルの練習にも身が入り、いつのまにか抵抗感はなくなった。むしろタックルが好きになり、トライを取るよりもタックルで相手を倒す方に生きがいを感じるようになって今に至る。

 

しかし、特に体の大きなプレーヤーはこの過程を経ないままの者も多い。

体の小さな者は低いタックルをしないと大きな者を倒せない。

しかし逆は真ならず、体が大きければ捕まえるだけでも相手を倒せる。

身をかがめるのも大変だし、勢い腰の高い「抱きつくスタイルのタックル」になりやすい。

これは体が自分と同等か、あるいは自分よりも小さい相手にしか通用しないが、日本人同士だと体の大きい者はこれでやっていけてしまう。

 

ワールドカップでJapanの試合を観ていて、タックルが悪いなと感じていた。

タックル好きゆえにそういうところに目が行くのかもしれない。

しかし、何せJapanの選手は国内一流のプレーヤー。

私のような二流レベルが批判するのは、おこがましいというもの。

きっとグラウンドで実際にプレーしてみないとわからないものがあるのだろうと思っていた。

 

しかし先週末のウェールズvsアイルランド戦を観ていて、その考えは間違いだと気がついた。

予選でランキング3位の南アフリカに敗れたウェールズと2位のオーストラリアに勝ったアイルランドの準々決勝。アイルランドが勝つかと思っていたが、ウェールズの大きな選手が低いタックルでアイルランドの選手に襲いかかる。激しいプレーの連続で、アイルランドの攻撃を阻む。タックル好きの私が、画面に釘付けになってしまった。

 

結果はウェールズの勝利。

あの低くて激しいタックルが勝利を呼び込んだと言える。

それに比べるとJapanのタックルは情けない。

一流チームの大男があれだけ低いタックルをしているのに、格下のJapanがあのタックルでは勝てない。

 

思うに彼らは国内では一流で、低いタックルなどしなくともみんな格下だし通用してしまうのだ。アタックは一流だから、そこばかりが強調される。必死になって低いタックルをしなくても、「国内やせいぜいアジアでは」十分に通じる。かたやウェールズは国内で激しい競争があり、代表になってもアイルランド・イングランド・スコットランド・フランス・イタリアとの6カ国対抗戦で揉まれている。大男だって必死の低いタックルを必然的に繰り返すようになる。その差が出たのだと思う。

 

ワールドカップだって、国内の片隅で行われている草ラグビーだって、ラグビーはラグビーだ。低く激しいタックルはどんな試合だって大きな武器だ。「ボールを持っている選手」を「持っていない選手」が攻撃する方法がタックルだ。それが出来ないチームは格下相手でないと勝てない。Japanがワールドカップで勝てない理由がそこにあると思う。ウェールズのようなタックルをしていたら、少なくとも最終戦のカナダ戦は勝っていたはずだ。

 

あんなタックルではワールドカップでは勝てない。

Japanと言って威張るのなら、一流らしい低くて激しいタックルの見本を見せてもらいたいものだと思うのである・・・

2011年10月9日日曜日

最後の運動会

幼稚園に通う長男の、幼稚園最後の運動会があった。

当日朝の手伝いをすると、優先的に席を確保できるとあって、妻の指令でお手伝いに応募。

朝も早くからテントの組み立てを手伝い、パイプいすを運び、ロープを張ってとそれだけで一汗かく。その甲斐あって最前列に場所を確保する。

 

運動会は国家斉唱で始る。

「あの歌わけわかんない」とぼやいていた長男だが、幼稚園の時から訳がわからなくても歌わせるという事は大事な事。国旗・国家について「わけのわからない」反対をする輩は、長男の通う幼稚園にも長女の通う小学校にもいなくて幸いだ。

 

長男には「かけっこ一等賞」を義務付けていた。

私は9月から週末指導を繰り返してきたし、妻は「2等以下だったらお寿司を食べに行ってもおいなりさんしか食べさせない」と脅していた。

 

そのかけっこが始まる。あれだけ練習したのに、一人がフライングしてペースを崩し、スタートで出遅れる。4人中4位のスタート。「あちゃ~」と思ったのも束の間、二人を押しのけるようにして抜き去ると、カーブで先頭に追い付き、直線で抜き去りみごと一等賞。二人を押しのけるシーンのビデオは、後世の話題になりそうである。

 

毎年恒例の親子競技は、「おんぶ騎馬戦」。

親が子供をおんぶして、相手の帽子を奪い合う騎馬戦である。

妻がビデオを構える前を「戦闘区域」に決め、そこを中心に積極果敢に攻める。

混戦の中で周囲に気を配り、油断している騎馬に急接近して帽子を奪う「一撃離脱」作戦で、1回戦では2個、2回戦では3個の帽子をゲット。2回戦とも我がクラス連覇に貢献。私自身、「たかが幼稚園の競技」でも負けるのはプライドが許さないクチである。

 

最後の選抜リレーにも長男は出場。8人中7番手走者。

6番目がバトンタッチで転倒し、3組中最下位に転落して長男はバトンを受け取る。

最初の10メートルで2位の組を抜き、カーブから直線で追いついてアンカーにバトンを渡す。

アンカーの子は最後引き離して見事チーム優勝。8人の走る順番は各クラスの先生がそれぞれ研究して考えたらしいが、担任の先生も飛びあがって喜んでいた。

 

私も運動会は大好きだったし、かけっこはいつも一番だったし、リレーの選手にも当然のように選ばれていた。それゆえに楽しかったし、長男にもそれを求めたかったし、結果は上々で本人も大満足だったようである。まあその代りダンス系の競技は、隣の子が間違えると大変な事になるという有り様で、そんなところまで私の血を引いたようであるが・・・

 

かくして幼稚園の運動会はこれでもうお終い。

親子競技なんて小学校はないし、これが私自身参加する最後の運動会だろう。

いつか懐かしく思いだすのだろうなと、感慨深いものが残ったのである・・・







2011年10月6日木曜日

幸せはお金で買えるか

  この国に生まれて、曲がりなりにも生活できているという事は、世界的に見ればかなり幸せな事だと思う。今の生活だけでも十分満足すべきだとは思うものの、人間とはより多くを目指すもの。それに今後の事を考えれば不安要素もかなりある。
そうした今、あと何が必要かを考えると、「お金」という答えに行きつく。
よく「幸せはお金では買えない」と言われるが、今の私にしてみれば、「十分買える」と断言できる。「世の中金だ」とまでは言いたくないが、「幸せはお金では買えない」と言ってしまうのもどうかと思う。誤解を恐れずに言えば、「幸せはお金で買える」と思う。

 日本には長い儒教の伝統があって、お金というものは卑しいものとする風潮がある。
江戸時代では、商人は一番地位が低かったし、成金や拝金といった言葉は尊敬とは対角線上の先にある。そしてそのわりに、みんな熱心に宝くじを買う。
「欲しいけれど、欲しい振りをしない」のがその実態だろう。
どんなに欲しい振りをしなくても、私から見れば、宝くじ売り場に2時間も並ぶ人たちは金の亡者にしか見えない。

 正直言って毎月の収入が、それもあと何万円かのわずかであったとしても、増えれば豊かな気持ちになるだろう。(もっともたぶんそれもしばらくの間だけだと思うが・・・)
旅行に行くときだって、パンフレットをたくさん集めてきて、予算とにらめっこして溜息つかなくてもいいし、家族みんなで映画やコンサートや観劇などにちょくちょく行って、健康で文化的な生活を送れるだろう。老後の心配だってしなくていいし・・・
なんだかそんな程度の幸せで良いなんて、我ながら実に庶民的だ。

 もちろん、金で買えるかどうかは、「幸せ」の定義にもよる。
「好きなあの子に想いが通じたら、それだけであとは何もいらない」と思っている者には、当然当てはまらないし、医者に通ってもなかなか治らない病を抱えている人にも当てはまらない。世の中に「買えない幸せ」が多くあるのも事実。
「幸せ」というものが値札を下げて売っているわけではないから、買うと言っても間接的に買う事になる。それを買う事によって幸せになれる事が必要だし、そういうものであれば、「幸せはお金で買える」と言えるだろう。そしてお金さえあれば、今はかなりの幸せが買える。

 もっとも、宝くじを当てた人がその後不幸になるなんて話は良く聞くし、あれば良いと言うものでもないだろう。醜い遺産相続の話なんかもしょっちゅう聞く。
そういう例を持ち出してきて、「幸せはお金では買えない」というのだろうが、それは単に使い道を誤っているだけで、欲張らずに正しく使えば十分に幸せを買う事ができるはずだ。

 我が家の子供たちももう少し大きくなれば、金銭教育も必要になるだろう。
「お金で幸せは買えない」などときれい事を教えたくはないし、かと言って「世の中金だ」と思うようになってもらっても困る。汗水たらして働く事の意義をしっかり教えて、そうして手にしたお金を上手に使えばそれが幸せに繋がるはずだ。

 残念ながら残りの人生で収入はあまり増えそうもないから、せめて賢く使う事で小さな幸せを買いためようと思うのである・・・


【本日の読書】

2011年10月2日日曜日

神経衰弱

子供の頃、よくトランプをした。
いろいろなトランプゲームの中でも特に「神経衰弱」が私は得意だった。
親戚などが集まって神経衰弱をやったりした時はいつもトップだった。
大人たちは「あれっ!この数字どこかにあったな、どこだったっけ?」とおろおろしている間、私はしっかりとマークしていて、順番が回ってくるとごっそりいただいたものである。
大人たちが悔しがるのを横目に、子供心に得意になっていたのだ。

考えてみれば、トランプはかなり偶然に左右されるゲームが多い。
「七並べ」然り、「ババ抜き」然り。
手元に配られるカードはすべてコントロール不能だ。
勝つも負けるも運がかなり影響する。
しかしながら神経衰弱はほとんど実力。
そんなところも高い勝率に寄与したのかもしれないが、そんなふうに実力で勝敗を決められるからこそ、神経衰弱は好きなトランプゲームであったのかもしれない。

最近、我が家でもたまにトランプをするようになった。
Wiiで遊ぶのもいいが、昔ながらのボードゲームやトランプも無視するわけにもいかない。
それはそれで良いのだが、トランプで神経衰弱をやると娘にしばしば負けるのである。
昔取ったなんとかで、最初は余裕で相手をしてやり、時にはわざと勝たせて機嫌を取ったりしていたものの、この頃実力で負けるのである。

難しいゲームでもないし、ただ単に記憶力だけのゲームであるのだが、その記憶力が働かない。カードの種類と場所を覚えるキャパシティが減ってしまったのか、たくさん覚えていられない。ちょっと目をそらしたり、注意がそれたりするともうダメである。
そんな私をあざ笑うかのように、娘が次々と札をひっくり返して持っていく。
これが年を取ったと言う事なのであろうか、とふと思う。
きっとあの時の大人たちも同じようだったのだ。

何となく、子供相手だし、真剣にやっていなかっただけだろうと思ってはみるものの、それが理由かどうか心もとない。
夏にはプールで競争をしたが、まだ25メートル程度では余裕で負けない。
ところが50メートルとなったらわからない。
100メートルだとそもそも続けて泳げるかどうかの問題だ。
これは年というよりも体力の問題だから、挽回はできる。
たかだか10歳の娘に負けるものが出てきた事に、少なからず驚きを感じる。

思い返せば子供の頃、将棋では早々に父親を負かしていたし、神経衰弱は言うに及ばず、遊びで親に何か勝てないものがあったかと言うと、あまり思い当たらない。
それが当然だと思っていたが、逆の立場になると微妙だ。
元々負けず嫌いの性格の私だが、子供の成長は逞しくもあり嬉しくもあるが、まだまだ負けるわけにはいかない。

来週は長男の幼稚園最後の運動会。
かけっこではまだまだ私とは勝負にならないが、いずれ私よりも早くなるのだろう。
ただ、それが私が衰えたという理由ではあってほしくない。
少しずつ運動始めようかなとも思う。

神経衰弱はいずれまたそのうち機会もあるだろう。
今度は一つ真剣勝負してみようと思う。
子供相手に大人げないという問題ではなく、これは自分自身へのチャレンジだと思うのである・・・
 
 

2011年9月28日水曜日

予選敗退

ラグビーのワールドカップ、日本は最終戦でカナダと引き分け。
残念ながらまた1勝もできずにグループ最下位で終わってしまった。
途中まではいい感じでリードしていたのに、最後に追いつかれてしまった。
と言っても、トライ数では負けていたし、ゴールキック一つきちんと決められていたらアウトだった。
試合の経過を観ていても、そんな結果を見ても実力の程が表れている。

思えば学生時代に対戦した早稲田のAチームはとんでもなく強かった。学生トップレベルの実力を遥かに仰ぎ見る思いだったが、その学生トップも社会人には及ばない。さらにその社会人から選りすぐりのメンバーであるJAPANがまったく勝てないのだから、世界のレベルは到底私の皮膚感覚で及ぶ世界ではない。

ワールドカップともなれば、各チームも国の威信をかけて勝ちに来る。
国際試合で5連勝していたトンガに負けたのも、2連勝していたカナダに勝てなかったのも、ワールドカップという特別な場に、各国が威信をかけて臨んできたからだろう。
たぶん、今大会で日本が勝てるのはナミビアくらいだ。
ワールドカップで勝つには組み合わせに恵まれるしか、今のところはない気がする。

そもそも激しい激突の伴うスポーツなだけに、体格がモノを言う。
平均的体格では、日本人は欧米人や南太平洋諸島の人々には劣る。
日本代表も外人選手抜きではもっと悲惨な成績に終わっただろう。
体格的には日本代表も大きな選手がほとんどだが、分母が違う。
子供の頃から馴染んでいるかも大きな差になるし、(Davidは幼稚園からやっていたのだ)「芝生のグラウンドでやるのが当たり前」という環境面の要因もある。

ラグビーに親しみ、後押しする人たちの雰囲気の差もある。
残念ながら、サッカーの方がこの雰囲気(みんなの盛り上がり)は遥かに上だ。
昨日の試合もサッカー日本代表のワールドカップなら生中継だ。
みんな仕事を早く切り上げて家路についていただろう。
子供たちも幼稚園の頃からボールを蹴っている。
8年後には日本でワールドカップが開催されるが、そんなに大きな改善は期待できない気がする。それでもカナダやトンガあたりには勝てる可能性はあるし、頑張ってもらいたいと思う。

それにしても昨日の試合を観ていて、先週観たNZ対フランス戦と比べるとレベルの差は歴然としている。やっぱりランキングトップ10のチームとそれ以下のチームとでは一段違う。
これから決勝トーナメントだが、たぶんどれも見逃せないだろう。
JAPANの結果は残念だけど、それでもラグビーは心底面白いと思うし、何試合でも観ていて飽きない。

もうしばらくは、興奮に浸れそうである・・・


【本日の読書】


2011年9月26日月曜日

職場にかかる迷惑電話

最近よく職場にセールスの電話がかかってくる。
職場の電話は直通回線で、電話帳にはもちろん載っていない。
名刺には記載しているから、取引先などにはオープンになっているが、一般には知られていない。どうしてこの番号にかけたのかと尋ねたところ、一つわかった番号から順番に1番ずつずらしてかけてきたそうである。なるほど、その熱意には感心する。

しかしながらセールスの内容は「投資用マンションを買いませんか」というものだ。
よく休日に家にもかかってくる。大概が価格帯2,000万円前後のワンルームマンション。家賃が月々78万円、利回り(年間家賃収入/購入価格×100)で言うと5%程度という内容だ。「全額ローンを組めば月々の返済を差し引いて10,000円程度手元に残り、ローン完済後はまるまる家賃がおこずかいとなり、所得税控除にもなります」といった謳い文句だ。

職業柄この手の投資判断はできるつもりで、バカにしたような悪い条件をあたかも良い条件のように言ってくるから呆れてしまっている。まぁそれでも見ず知らずの相手に突然電話をかけてきて、一体どんなセールストークをするのだろうという興味から、最初の頃は相手にしていた。しかしそのうちやっぱりマニュアル通りで、とにかくアポを取ろうとするだけだとわかって、最近はあまり相手にしない。アポを取れば、裏にいる鵜匠が出てきて本格的に“落としにかかる”のだろう。“鵜”である若手はとにかく片っ端から電話して、うまく引っ掛かったカモを鵜匠に渡すまでが仕事なのだろう。

そういう仕事ってどうなのだ、と思う。
もちろんいかがわしい物を売っているわけではないが、突然見ず知らずの相手に電話してくるなんていうのは、職業としてとても誇れるものではないと思う。
セールスというのは、相手の顔を思い浮かべ、どんな提案なら受け入れられるかと腐心し、相手に喜んでもらって自分も儲けるというものでないといけない。

当然、そんなのは電話をかけている当の本人も感じているのかもしれない。
何十件も電話しても、うるさがられて断られるだけだろうし、上司には尻を叩かれるし、ストレスも溜まるだろうしで気の毒な気がする。まぁ今は就職難だし、ひょっとしたらいまだ蹴活浪人中の同級生を横目で見ながら、我慢しているのかもしれない。

そもそもそんなセールスのやり方をしている会社の方が問題で、経営陣が無能だという事に尽きる。サラリーマンなど相手にしないで、こうした投資用のマンションを喜ぶような相手は誰かを考えれば、片っ端から闇雲に電話を掛けまくるなんて頭を使わない営業をする必要もないはずだ。そう考えてみれば、そんな電話をかけさせられている若者こそ気の毒だ。

こうした「下手な鉄砲数打ちゃ」作戦は言ってみれば現代の押し売りだ。
今は押し売りなどという行為は出来なくなっているが、昔は押し売りがいた。
相手の迷惑を考えず、人の良さに付け込んで何とか売ろうとするところは押し売りと一緒だ。
そう言えばその昔、親父が押し売りにあってハンドバックを買わされた事があった。
母に怒られていた親父の姿を今でも覚えている。人の良い親父だから、たぶん断れなかったのだろう。

そういう私も独身時代、行きつけの床屋でよくシャンプーなどの新製品を買わされた。
担当の人懐っこい兄ちゃんは私の顔を見るなり、「良いのが入ったんですよ」と笑顔で話しかけてきた。まぁ独身貴族の気楽さと、たかが知れている値段だったのでいつもカモになっていたが、投資用のマンションとなると、気軽に買える身分になるまで待ってもらわないといけない。

気の毒な気もするが、仕事中だしと断る。
一日何件くらい電話しているのだろう、などとふと考える。
私の職場は銀行の本部ビルだし、1番ずつずらして何人くらいかけられるのだろう、などとも考えてみる。さあ仕事と気持ちを切り替えると、「仕事中ですから」とはす向かいの同僚が電話でしゃべっている。どうやら次の番号だったらしい。
仕事中の迷惑電話ではあるが、その努力に免じて許そうと思ったのである・・・


【本日の読書】

2011年9月22日木曜日

トンガ戦に思う

ラグビー日本代表の注目の第3戦は、残念ながらトンガに敗れてしまった。
ディフェンスの差というのが、まざまざと表れていたような試合だった。
どちらのチームも攻撃力には大差なかった。
(それが証拠にトライ数はともに3個だった)
差がついたのはディフェンスだ。

もともと体格に勝るトンガが、強い当たりを繰り返す。
日本が攻めてもしっかりと倒してそこへ殺到してボールを奪う。
密集の中でボールを奪い取ろうとする動きが観ていて凄かった。
日本は外国人選手の突進で何度か良い展開になったが、それを観ていてやっぱり日本人には不利なスポーツなのだろうかと思ってしまった。

最近では相撲もすっかり外人パワーに席巻されている。
まだ日本人主流だが、本格的に「世界の競技」になったら日本人は幕内に残れるだろうかと思う。陸上競技で黒人に勝てないように、ラグビーの世界で日本人が世界の中で勝てるようになるのは難しいのかもしれないと、そんな気もする。

観ているとわからないが、実際にやってみた時、相手とのぶつかり合いというのは試合を左右する大きなファクターだ。体の大きな相手とぶつかりあっていると、始めはよくてもじわりじわりとダメージは残る。スタミナのロスも体の小さい方が大きい。
体の大きな相手が、それをうまく活かして強い当たりをされると、やっぱりかなりの不利は否めない。それはメンタルな部分にも影響する。

大学3年の時の公式戦で対戦した成城大学戦の事だ。
前年までは対等だったが、その前年あたりから成城大学は選手を強化。
試合前に相手をみると、ずらりと体の大きなフォワードが目についた。
「今年は勝てないかもしれない」と正直思った。

案の定、初っ端から押されてゴール前まで追い込まれる。
そして最初のスクラム。
覚悟して臨んだものの、予想外の軽さ。
スクラムの端のポジションでもそれは感じられた。
結局そこでトライは奪われたものの、フォワード陣には力がみなぎって来た。
相手は体こそ大きいものの、あたりは弱くプレッシャーは感じられない。
よくプロレスラーが、「お互いに組みあった瞬間に相手の実力がわかる」と言うが、おそらくそれと同じ感覚だ。

その後トライを奪い返し、一進一退。
ハーフタイムでは、やはり不利を予想していた監督が、「よくやっている、十分いける」と興奮気味に檄を飛ばしてくれた。
あたりが軽くて弱い相手だと闘志も湧くし、意気も上がる。
重くて強ければその逆だし、ミスも起こる。

結局その試合は、6-7で1点を追い掛ける展開となった。
相手は体の大きさに反してあたりは弱い。
いけるという感覚は最後までなくならず、攻めまくった。
最後に逆転トライと思った瞬間、反則の笛を吹かれた。
大学時代、初めて負けて悔しくて泣いた試合だった。
反則を取られたものの、それはミスジャッジで、「あれはトライだった」と今でも思っている。きっと死ぬまでそう思っているだろう。

日本代表の次の試合は最後となるカナダ戦。
IRBのランキングはいつの間にか変動していて、カナダは11位と日本より上位になっている。トンガにも勝っているし、極めて厳しいと思うが、何とか1勝を挙げてもらいたいものである・・・
               

【本日の読書】

2011年9月18日日曜日

大敗

 ワールドカップ第2戦目の日本の相手は、実力世界一のオールブラックス。結果は7-83と厳しいものになってしまった。日本が「勝てそうな」相手であるトンガは、そのオールブラックスに対して10-41だし、カナダはそのトンガに勝っているし、という状況を考えると、残るカナダとトンガに勝つのも厳しそうである。ワールドカップに唯一参戦しているアジアの国として、なんとか次のトンガ戦には頑張ってもらいたい。

 ラグビーはトライで5点、その後のゴールキックで2点、ペナルティキックで3点が入る。したがって点数はそれなりに入るが、それでも83-7という数字はワンサイドゲームだ。私もそういうワンサイドゲームの経験がある(もちろん、負けた方だ)。その相手は学生時代に対戦した天下の早稲田大学。日本対オールブラックスよりももっと差はあった。練習試合は何回かやってもらったが、相手はいずれも5本目(=5軍)、6本目といったレベル。それでも勝てなかったのだが、私が3年の秋に何と対抗戦グループの公式戦で対戦したのだ。

 公式戦となると、両校とも礼儀として一本目(=1軍)が出る。三沢競技場で有料試合として行われ、私も家族や友人たちに声をかけて来てもらった。相手はほぼベストメンバーを揃えてきた(日本代表の合宿に呼ばれた2名だけが欠場)。前早稲田大学およびサントリー監督の若き日の清宮もその中に入っていた。何せラグビーでは2流(3流ではない!)の国立大学が、学生チームのトップクラスとやれるのは大きなチャンスだ。勝てないのは当然だが、同じ土俵に立つ以上は精神的には対等だと思って試合に臨んだ。

 結果は0-114惨憺たるものだ。
当時はまだ1トライ4点だったから、今だったらもっと差がついていた。気持ちとは裏腹に、実力差は想像以上。一人一人が強いので、11では止められない、止まらない。勢い2人、3人がかりで止めに行くと、相手は当然人数が余る。余った人間が余裕でトライを重ねていく。

 ディフェンスでは、味方がきちんと相手を止めていれば、次のプレーヤーは次の展開に備えて動ける。その結果ディフェンスも早くなるし、早いディフェンスは攻撃側にプレッシャーを与えミスを誘う。それをやられてしまい、せっかく攻めてもあっという間にボールを奪われ、蹂躙される。その連続である。せめて1トライくらいはと思うものの、手も足も出ないままにノーサイドのホイッスルを聞いた。

 かたや全国レベルの人材が100名以上集まって日々切磋琢磨するチームと、かたや2流、3流のチームでラグビーを齧った経験者半分プラス大学でラグビーを始めた初心者半分のチームとの、それは悲しいほどにもリアルな差だった。それ以降、早稲田大学とは公式戦で対戦する機会はない。

 ただその試合がまったく無意味だったわけではない。それ以後の試合相手からは強いという印象を受けなかった。当然と言えば当然だ。一人一人みんな「早稲田に比べれば」当たりも弱いし、スピードも遅い。息つく間もなく攻められる事もない。そういう強い相手と闘った経験は次に生きてくる。

 例えば1部リーグで全敗したチームが、2部リーグで全勝したチームと闘っても、勝つ可能性が高いのは、例え全敗であっても強豪上位校と対戦した経験がバックにあるからに他ならない。そういう事を肌で感じた経験であった。次のトンガはオールブラックスと比べれば「弱く感じる」だろうし、こじつけかもしれないが、日本代表のこのあとの試合に期待したいと思うのである・・・
(でもそれはトンガにも言えてる事だったりするのである・・・)
               

                   

2011年9月16日金曜日

日大練馬光が丘病院の決断

私の住む練馬区の一角で、ちょっとした問題が起こっている。
それは日大練馬光が丘病院の撤退問題だ。
同病院はその名の通り、光が丘に位置している。大江戸線の終点で、あたりかまわず立ち並ぶ団地は壮観だ。我が家もたまに出掛けていく。
その地で約20年にわたり地域医療の中心となって来た同病院が、赤字を理由に撤退表明したのである。20年の累積赤字が140億円にもなるという。
まあ経営者だったら、「やってられない」となるだろう。

赤字経営と言うと、何やら非効率だったり、閑古鳥状態だったりと思いがちだが、
・病床稼働率80
・入院患者数年間97,000
・救急患者受入数19,000
という数字を筆頭に、病床稼働率、平均在院日数、人件費率などは全国でトップクラスなのだという。外来もいつも混んでいて、「行列のできる」病院だったらしい。

なぜそんな「行列のできる」病院が、20年間も赤字を垂れ流し続けるのだろう。
素人的には信じ難いものがあるが、どうやらそれは診療報酬制度にあるらしい。
治療の成果を点数にして、一部は患者が負担し残りは国が払うという我が国の医療制度である。要は治療してもそれに見合った報酬が得られないという事らしい。

練馬区側は、何せ地域医療の事だから「後釜を捜せ」と日大側に働きかけているようである。
日大だって、世間体というものがあろうから、無碍にはできないだろうし、病院がなくなるのは住民も困るし、ですったもんだしているのである。
だけど単に後釜を据えたって問題は解決するとは思えない。
日大以上に効率的運用で利益を出せるところでないと無理だろうが、本当にそんなところあるのだろうか。

そもそもは国の保険制度の問題だろうと思うが、目をそちらに転じてみればまた別の問題がある。増税の旗印を高々と掲げて登場した野田首相だが、財務省もそれにつつかれている政治家も、無駄を省くのはそっちのけで増税の一点張り。
というのも、国家財政の赤字は酷いものだと言うのは国民の誰もが知っているが、その原因はと言えば、無駄ばかりではない。
高齢化という理由だけで、黙っていても年間1兆円増え続けている社会保障費の存在がある。
そんな数字を目の前にしたら、とにかく医療費を押さえこもうと必死になるだろう。
あちこちの歪みときしみとが民間病院に集約され、破裂した問題だという事だ。

我が家は同病院は一度しか利用した事がない。
娘が夜間ひきつけを起こして連れて行った事がある。
夜勤は若い先生がやらされるという噂に聞く通りのお姉ちゃん先生が診てくれたが、意外とたくさんの人が来ているものだと驚いた記憶がある。
でもあまり利用しないからと言って、閉鎖しても良いとは思わない。
どこかにしわ寄せは来るだろうからだ。

医療行為で儲けるなどと言うと批判を浴びる風潮があるが、やっぱり少しはお金がかかった方がいいのだろうかと考えてもみる。
タダだからと言って、安易に利用しているところが患者側にもあるのではないかと思う。
大した事もないのに救急車を呼ぶ行為が批判されたりして久しいが、「♯7119」の利用とか進んでいるのだろうか。やっぱり本当にいざという時に大病院は必要だし、赤字で撤退などという事態は起こってほしくない。

国民健康保険制度だって、例えば「重くなればなるほど患者負担は軽くなり、軽いほど高くなる」ような制度だって良いと思う。
風邪なんかで医者に行くのなら、子供は別として全額自己負担だって良いんじゃないかと思う。みんなが少しずつ負担しないと本当に高度医療が必要になった時に困るだろう。
そういう社会にするために、今自分は何をすべきだろうか。
やっぱり、「風邪は気合で治す」事がその第一歩だと信じて実践するのである・・・


【本日の読書】
人生という名の手紙

2011年9月14日水曜日

ストレス

よく「ストレスは溜まりませんか」と尋ねられる。
銀行員という仕事柄か、ストレスが多そうというイメージがあるのかもしれない。
確かに過去には胃が痛くなるような経験も何度かした。
昔の上司はみんな胃を壊していた。
しかしながら今は仕事でストレスを感じる事はほとんどない。
まあ職場の同僚に恵まれているという事が大きな要因だ。

そもそもストレスとは何かと考えてみる。
わかっているようで、実はあんまりその正体がよくわからない。
思うにたぶんそれは「思い通りにいかないイライラ」と定義できるような気がする。
そしてそれは、大半が人間関係に起因するのではないだろうか。
上司は無理難題を言うし、部下は思う通りに動かないし・・・

長時間労働が大変だというのもあるかもしれない。
しかしいくら大変でも、成果が上がれば苦労も報われる。
思う通りにできるのなら、仕事量が多くても苦にはならない気がする。
しかるに、そこに意見の違う者が入り込み、思うに任せぬようになると、途端に疲れが増してくる。今までの経験からするとそんな感じがする。

思い通りにいかないイライラが募り、ストレスメーターが上がって来て、いざ発火点が近づいたのを感じると、私の心の中ではブレーカーが落ちるようである。
まあそんなに思いつめる必要もないじゃないか、と言う声が聞こえてくる。
別にできなくても死ぬわけじゃないし、と。
そうして力がすっと抜けていく。
この「脱力」がストレス防止に役立っているような気がする。

これは仕事ばかりではなく、日常生活においてもそうだ。
先日もプライベートのある打ち合わせに出席した。
普段考えていた改善案を提案したのだが、何だかんだで結局は進まず、あまつさえ筋の通らぬ反対論まで出た。「やってられないな」と血が上る半面、「まあ別にお金もらっているわけじゃないし、嫌ならいつでも辞めればいいんだし、むきになる事もないな」と思い直し脱力していく。そうするとすぐに穏やかな自分に戻れる。

そういうケースはけっこうある。
思い通りにいかなくてイライラしそうになれば、「無理にやらなくてもいいじゃないか」と脱力する。やりたい事を楽しくやれるように心掛けていると、自ずからストレスも少なくなる。
それでもそれなりに逃れられない問題は起こるもので、それがやっぱり頭を悩ませる。
それがストレスと言えばそうなのだろうか・・・

まあ人生に問題はつきものだろう。
ショーペンハウアーも、「生きる事は悩む事だ」と言っている。
逃れられないものは正面から向き合うしかない。
それはそれで仕方がないが、だからこそ、それ以外のよけいなストレスはうまく回避したい。
「思い通りにいかなくても、どうでもいいじゃないか」と考えて、うまく脱力して対処していこうと思うのである・・・


【本日の読書】
人生という名の手紙  ダニエル・ゴッドリーブ

2011年9月12日月曜日

ラグビーの秋

いよいよ始ったラグビーのワールドカップ。
初日のオールブラックスの試合を堪能した後、土曜日は我らが日本代表の初戦。
IRBランキング13位の日本に対し、相手のフランスは4位。
ラグビーの世界はトップ10の壁が厚く、まず番狂わせは起こりにくい。
日本もどこまで善戦できるか、が残念ながらの見所。

それでも一時は4点差まで詰め寄る。
アナウンサーも仕事柄興奮気味であったが、アナウンサーの言うような「フランス選手に焦りの色」など私には見えず、それどころか「このまま4点差で終われば上出来だな」との方向に期待を向けていた。案の定、後半ラスト20分で一気に突き放されてしまい、21-47で敗戦。この「後半ラスト20分」というのが、ラグビーでは一番実力の差がでるところなのである。

翌日は「アイルランド対アメリカ」、「南アフリカ対ウェールズ」、「オーストラリア対イタリア」戦がテレビ欄に並ぶ。ケーブルTVではご丁寧に全試合放映してくれるのだが、とてもすべて観られない。アイルランド対アメリカ戦は子供と遊びながら半分ほど観戦。息子には少しでもラグビーに興味を持つよう、「さり気なく洗脳作戦」だ。アメリカのフランカーの選手の動きが良い。同じポジションだとついつい目がいくのだが、どんな選手か知識ゼロなのだが、良い動きをしていた。

「南アフリカ対ウェールズ」は世界3位と6位の激突。これは見応え充分。南アフリカのウィングとウェールズのセンターが目についた。特にウェールズのセンターは190センチの巨漢。日本だとそれだけの体格があったらまずフォワードだ。バックスは、「小柄でスピードのある運動神経の良い選手向き」という感覚があるが、みんなデカければ関係ない。たぶん出場している選手たちを目の前で見たら、体格でポジションなどわからないだろう。今日本の監督をしているカーワンも、かつてはオールブラックスの大型ウィングとして鳴らした大男だ。Davidも苦労したと思う。

オーストラリア戦は断念。
我が家でチャンネル権を持たない私にはそれ以上TVを占領する事は困難だった。
まあこのくらいでも満足だ。
そして夜にはネットで母校の試合結果をチェック。

国内では「ラグビーの秋」が始っている。
大学ラグビーも各地で熱戦が始っている。
我が母校の初戦の相手は、あの「松尾雄治」監督(元新日鉄釜石の名プレーヤー)率いる成城大学。昨年対抗戦Bグループ3位(母校は6位)の相手だったが、なんとこれを撃破。
幸先の良いスタートにすっかり満足(こちらも観に行きたかった・・・)。
今後が楽しみである。

さて一週間が始ったが、毎週末は忙しくなりそうだ。
少しでも時間を作ってチャンネル権を確保して、できれば母校の応援にも1試合くらいは、と欲張りな算段を練っているのである・・・


【本日の読書】

2011年9月10日土曜日

ワールドカップ開幕


いよいよラグビーのワールドカップが、本場ニュージーランドで始った。
そして、さっそく昨日オープニング・マッチとして開催国ニュージーランドとトンガの試合が行われた。日本では深夜の放送で、翌日朝早くに用事を控えた私は、睡眠時間を逆算して途中まで観ようと考えていた。

ところが、観始めるとやめられるものではない。
どちらも日本代表と同じブロックだし、どのくらいのものだろうという興味もあった。
ランキング世界1位のニュージーランド・オールブラックスと同12位のトンガとでは、試合結果は見えている。しかし、オールブラックスも勝つには勝ったが、トンガの粘りとパワーが目についた。日本はこのトンガとカナダに勝つのが目標だが、かなり難しそうな気がする。

2メートルを超す選手も混じり、筋骨隆々の選手たちが激突する。
その迫力に唸り、スピード感溢れる展開に酔い、華麗なテクニックに溜息が出る。
ワールドカップの魅力は、「日本代表がどんな試合をするか」という興味よりも、こうした世界の強豪同士のハイレベルな試合を観る事に尽きる気がする。

華麗なテクニックはどのスポーツでも観られるが、力でねじ伏せるプレーはラグビーとアメフト系ぐらいだ。ボールゲームの魅力と格闘技の要素をミックスしているわけで、これが面白さのゆえんだ。気がつけば試合終了。
途中でやめてなんて寝られるものではない。

やっぱり南半球3強(オールブラックス、オーストラリア・ワラビーズ、南アフリカ・スプリングボックス)の絡む試合は必見だろう。あとはイングランドを始めとする5カ国(フランス、ウェールズ、アイルランド、スコットランド)だろうか。
ワクワク感一杯の季節の始まりである。

残念ながらこのワクワク感を共有できる仲間が周りにはいない。
サッカーのような熱狂もないし、寂しい気分だ。
一時期ラグビーの魅力を伝える伝道師になって周りに広めようかとも思ったが、そんな無駄な事はやめる事にした。人の好みはそれぞれだ。
ラグビーの魅力を熱く語っても、そんなに通じるものでもない。

我が職場に熱烈なサッカーファンの同僚がいる。
今はなでしこジャパンがオリンピックにどうのこうのとか、先週はウズベキスタン戦がどうのこうのと話していたが、まったく興味がわかない。
なでしこジャパンの試合のために、深夜に起きて試合を観た人も随分いたようだが、私にしてみれば気が知れない。いくらサッカーの魅力を熱く語られても煩わしいだけだ。

そんな私もラグビーなら深夜だろうがなんだろうが、テレビにかじりつく。
次の日仕事だとかなんだかと言ってはいられない。
そんな気持ちを語ったところで、興味のない人には煩わしいだけだろう。
そういうわけで、この一カ月間はご機嫌に過ごす事になりそうだ。

ケーブルテレビでは全試合を放映するらしく、今この瞬間もスコットランド対ルーマニアが放映されている。観れば観たくなる。どうやらワクワクとあわせて、たくさん行われる試合を観切れないというフラストレーションも溜まりそうである。
ブログの更新が滞っていたら、たぶん「それどころではない」のだろうと思って間違いないと思うのである・・・


【作日の読書】
「四つ話のクローバー」水野敬也
「放課後」東野圭吾
                  

2011年9月6日火曜日

性教育

私もよく知っている中学3年生の男の子が、付き合っていた同級生の彼女を妊娠させてしまった。まあ今のご時世だし、別に不思議な事ではないのかもしれない。
その子は別に不良というわけではない。
むしろ学業ではクラスでトップグループに入り、スポーツでは中学2年時より上級生に交じって大会に出場するなど文武両道を極め、担任の先生からは「文句のつけようがない」と絶賛されていたほどだと言うから、ごく普通の少年だ。

何年か前の事、長女が高校生になったら直接性教育をしようと考えていると友人に語ったところ、「それでは遅い」とあっさり言われてしまった。
「そうかなぁ」とその時は思った。
その昔、「3年B組金八先生」で中学生の妊娠の話をやっていた。
観ていなかったので詳しくは知らないが、「所詮ドラマの話」と遠いところの話と考えていた。それが身近なすぐそばの現実問題となって表れてきた。

本当は直接その子と話ができればいいと思う。
避妊の知識はなかったのか、あっても大丈夫と思ったのか、ただ単に避妊具が買えなかったのか、どういう状況だったのかよく聞いてみたい。
今はちょっとパソコンで検索すれば、大人の映像は簡単に観る事ができる。
そういう「攻めの知識」はいくらでも手に入る。
しかし、避妊という「守りの知識」は案外おろそかかもしれない。
あるいはビデオの男優のようにやれば大丈夫と思っていて失敗したのだろうか・・・

我が子に対する性教育は、面と向かってきっちりやろうと考えている。
もはや以前のような婚前交渉に対する罪悪感などないだろう。
「するな」という事を説いても意味はなく、「どうやってするべきか」という方法論をきちんと教えないといけないと思う。
我が家は男の子と女の子と両方いるから、それぞれに応じてやらないといけない。
我が身を振り返ってみて、どうやってそういう知識を身につけたのか思い出そうとしたが、もう忘れてしまった。 だけどいずれ自然にわかると問題を避けるのはよくないだろう。
やっぱりきちんと知識のある者から教える必要はあると思う。

生まれて初めてコンドームを買いに行った時はかなり緊張した。
夜中にこっそりと家を抜けだし、あらかじめ目をつけていた、家よりちょっと離れた薬局の横の自動販売機まで買いに行ったのだ。
あたりを見回し、満を持してコインを投入したら、大きなブザーとともにケースが出てきて、販売機に悪態をつきながら慌てて取り出して一目散に家に帰った。
高校生ですらそうだったのだから、中学生の彼にはひょっとしたら買う勇気がなかったのかもしれない。

私自身は初体験の時もその後も、(あまりもてなかったせいか数は多くない)きちんと避妊だけはしてきた。
我が子たちにもその部分だけはきちんとしてもらいたいと思う。

相手の女の子の親との話し合いがどうなったかは、聞くのも憚られるところだが、どちらの立場にしても良いものではないだろう。
でもそれはやっぱり親の責任なのだろう。
日本ではそういう話はタブー扱いされているところがある。
私も親とそういう話をした事はない。
だがこれからはそうもいくまい。
避けては通れぬ道だと考えている。

ただなぁ、中学3年と言えばもうあと3年半先だ。
今はまだ一緒にお風呂に入る我が娘。
その時どんな風に話すのだろう。
嫌が応でもその時はやってくる。
もっとゆっくり大きくなってほしい、とつくづく思うのである・・・


【本日の読書】

ユダヤ人大富豪の教え ―ふたたびアメリカへ篇
卒業 (講談社文庫)

2011年9月2日金曜日

戦争と平和の表と裏

2011/09/02, 01:26, 日経速報ニュース,

新興国で戦闘機の大量導入相次ぐ 軍事バランス変化の懸念も
 経済成長が続く新興国で新型戦闘機を100機以上と大量に導入する計画が相次ぎ、財政難から自国向け販売が伸びない米欧メーカーが契約獲得へしのぎを削っている。開発・製造を継続しないと戦闘機に関わる技術力を維持できないため、先進国は自国の防衛産業の基盤を維持する目的で新興国向けの輸出を奨励。大型商談の成約が続けば、世界の軍事バランスにも変化を及ぼしそうだ。
************************************************************************

今朝はこんなニュースを目にした。
歴史の授業で、20世紀初頭の大恐慌をアメリカはニューディール政策で乗り切ったと教わった。
公共事業で需要を喚起し、経済を盛り上げたのだ。
しかし、アメリカの景気を回復させた真の公共事業は、実は「第2次世界大戦」だ。
ドイツもヒトラーが台頭し、軍備増強に走って一気に景気を回復させて国民の人気を得た。
軍事産業も立派な一大産業なのだ。

ニュースでは、今年のパリ航空ショーで、防衛産業大手が最新鋭機を対リビア軍事作戦での「コンバット・プルーブン(実戦で使えた)」を謳い文句に売り込んでいるらしい。
かつてはいいお客さまだった先進諸国が財政難で購入を控える一方で、新興国が100機単位で発注しているらしく、「実践使用済み」で箔がつくのだろう。

対リビア軍事作戦では、フランスが主導的な立場を取っていたが、フランスもダッソー社のミラージュという戦闘機を作っているし、今回の作戦では多国籍軍に空軍を派遣した事のないスウェーデンも突如として作戦に参加したが、自国のサーブ社の戦闘機を売り込むハラもあったようである。

そう考えると、独裁制に反対して立ち上がった反カダフィ派を、「民主化を後押しする先進国側が支援のための空爆を行った」という表面的な事実だけで考えるわけにはいきそうもない。
その裏で、「大チャンス」とばかりにそろばん片手に、政治家に戦闘機を送るように働きかけるメーカーの姿があったのかもしれない。

本来、兵器というものは自国を守るもので、当然相手よりも優れていればそれを維持して渡さないようにすべきもの。それが「商売道具」となっているのは、何より「売れる」からだし、友達に売れば大丈夫という安心感からなのだろう。

それでもアメリカが技術供与には慎重な一方で、欧州のユーロファイターという戦闘機は、『ブラックボックス・フリー(非開示の武器技術一切なし)』を売り物にしているという。
敵も多いアメリカは自国製兵器が敵に渡るのを恐れている。
しかしながら、ヨーロッパは割と敵も少ないという背景からなのかもしれない。

いまや軍事産業は一大産業であり、産業である以上は収益を追求する。
セールスには「実戦での効能」が一番の宣伝なわけで、そのための機会を関係者は虎視眈々と狙っている。かつて武器の闇商人を描いた「ロード・オブ・ウォー」という映画を観た。
今朝のニュースは闇商人の話ではないが、正規の商人だからいいというものでもない。
武器輸出国のトップは国連常任理事国5大国だと言うし、これが世の中の裏側というやつなのだろうと思うのである・・・


【本日の読書】


ユダヤ人大富豪の教え ―ふたたびアメリカへ篇
卒業 (講談社文庫)
    
     

2011年8月30日火曜日

示談交渉

親父が交通事故に遭ったのは、もう2年前になる。
横断歩道を渡っていたら、自動車が突っ込んできたのである。
もちろん、相手が100%悪いと認定された。
膝の靭帯を痛め、通院で治らず結局手術した。
1年後のボルトを取り除く手術とリハビリを経て、治療は終わった。

事故直後から加害者とは別に、保険会社が何くれとなく連絡をよこすようになった。
相手の保険会社である。治療費は一時的にこちらで立て替えるものの、ほぼ全額負担してもらった。
自分達が出す費用を減らす為でもあるのだが、かいがいしく手続きをしてくれた。
調子がいいなと感じるところもあり、また理屈に合わず腹立たしい事もあり、親父はそんな愚痴を時々もらしていた。

治療がすべて終わった段階で、いよいよ損害賠償の和解ということになった。
父は「いくら提示してくるのだろう」と楽しみにする一方で、不安も抱いていた。
何分、温和で穏やかな性格の父は、相手と「切った張った」の交渉は苦手としている。
いいように言いくるめられてしまうのではないか、と心配もしていた。
保険会社の担当者もプロだし、私も何度か話をしたが、穏やかな話振りでとても父が対抗できる相手ではないと思った。そこでもっぱら交渉は私が引き受ける事にした。

交渉事は事前準備が肝心。
そこであらかじめ、「相場」を調べる事にした。
何せこちらも初めての経験。
一体どれくらいが相場なのか見当もつかない。
金額の提示を受けても、それが多いのか少ないのかもわからない。
事前に父とも話したのだが、「欲張るつもりはないが、体よくあしらわれるのは嫌」という事だった。当然と言えば当然の考え方だが、それも相場がわからないとどうにもならない。

ネットで調べたが、はっきりとはわからない。
有料査定サービスはあるが、そんなのもったいない。
損保会社に勤める友人に問い合わせたが、担当職務外なのか参考にならない。
父の知人の保険会社の人も、「とにかく最初の提示額でOKしてはダメ」というだけだった。
なんとなく「自賠責基準」「任意保険基準」「地裁基準」というのがあるというのがわかった程度だった。

そしていよいよ送られてきた和解案には、和解金として75万円の数字が。
知人の体験談から100万円以上は固いと期待していた父はがっかり。
さっそく電話交渉に臨んだが、相手は当然の事ながらそれが如何に妥当かと言う説明に終始。
一通り聞いた後、「でもこちらは後遺症も出ていますしね」と切り返した。
「なら後遺症認定を申請しましょう」と相手も提案してきた。

まあ相手もそれで出しやすくなるなら、とこちらも応じ、医師の診断書をもらい、あとは状況説明書を書いた。曰く、「正座を3分以上できない」「階段の上り下りに不安感」「(しゃがむ行為が難しく)和式便器が使えない」などである。私も膝の靭帯を切った事があるから、そこは自分の体験をベースにすらすらと書き連ねた。

それが良かったのか、後遺症が認定され75万円が上乗せされ、和解金は2倍となった。
父は満足して刀を鞘に納めた。
それにしても、当初の和解金はいったい相場的にはどうだったのか?
結局、そこの部分はそのままで、相手の担当者は自分の主張を通したわけである。
交渉事では、最初は低い球を投げるというセオリーに従えば、もっと上乗せできる余地はあったわけである。自分のことだったら、私も良い経験だと思ってもっと粘っていただろう。

そこから先に行くと、弁護士会のあっせんなどもあるようだし、こういうところでは第3者的な立場での意見を出してくれるだろうから、その時こそ“妥当な相場”がわかったと思う。
父からすれば、交渉が長引くのはいい気持ちがしないという事もあり、「もうそれで十分」となったわけであるが、まあそれはそれで仕方がない。
根拠はともかく、金額的には満足したので、それで十分と言うわけである。
それにしても、他の人たちはどうしているのだろう。

適度な相場が開示されていれば、迷いも少ないと思うのだが、それは難しい事なのだろうか。
保険会社からすれば、「少しでも安く済ませたい」となるのは当然であり、プロが交渉に乗り出してくる。迎え撃つのは素人だから、不利な勝負のような気がする。
今回は、「裁判まではやらないけど、あっせんまでは行ってもいい」と事前に決めて臨んだのだが、そうした制度を調べておけない人は困る気もする。
まあ素人なりに、案外感情論で押しまくって、「泣く子には勝てない」理論で勝負しているのかもしれない。

一度経験すれば、二度目はたやすい。
「今度は私がそうなった時には、手ごわい相手になるぞ」と思うも、よく考えてみればそうならないに越した事はない。やっぱり「いい経験」で終わるのが一番だと思うのである・・・


【本日の読書】
「反対尋問の手法に学ぶ嘘を見破る質問力」荘司雅彦
「タッポーチョ太平洋の奇跡」ドン・ジョーンズ
   



2011年8月25日木曜日

子供に野球

大阪の実家に里帰りしていた妻と子供たちとが帰宅した。
約3週間の帰省だったが、妻も子供たちも楽しんできたようである。
大阪に行っている間、長男は野球好きの叔父(私の義弟)に連れられて、何と甲子園球場に行って来たという。買ってもらったメガホンを誇らし気に見せてくれた。

野球好きの義弟には子供がいない。
それでよく我が家の子供たちを可愛がってくれている。
長男が生まれた時から、「野球をやらせましょう」と言ってくるくらいだった。
グローブなら○○、バットなら○○と決めてあるらしい。
ラグビー好きの親父の子供になんと大胆な、とも思うが、私も野球は好きだから異存はない。
まあどこかでラグビーに転向したらいいなと思う程度である。

私も子供の頃は、野球をやっていた。
親父は、いつも夕飯後にナイターで巨人戦を観ていた。当然ながら、横には私もいて一緒に観ていたわけで、気がついた頃には私も立派な野球大好きジャイアンツファンになっていた。
当時は今のように携帯ゲームなんてないから、子供たちは近所で遊ぶ、学校で遊ぶ。
必然的にその中に野球も入ってくる。

そしてそんな私を見ていてか、母親は私を近所の少年野球チームへ連れて行った。
確か小学校3年の時だったと思う。
ユニフォームを新調し、背番号「6」をつけて、私は【小山5丁目ハリケーン】の一員となった。チーム名からもわかるように、当時は5丁目だけでチームが作れたし、他のチームも似たようなものだった。

初めの頃は自分がうまいかどうかなんてわからない。
というか買ってもらったバットは重くて素振りすらも満足にできない状態。
ゴロだって強いのは取れない。
ただ、もともと根が真面目なだったこともあり、毎週末の練習には欠かさず参加。
少しずつうまくなっていった。
しかしそれもそこそこのレベルまで。打順は2番、ポジションはファーストというのが、最後に落ち着いたところだった。

我が町の町内にも野球チームがある。
小学校に上がってしばらくしたら、長男を入れようかとも考えている。
チームスポーツは一人ではできないし、みんなと力を合わせて相手チームと競う面白さがある。練習してそれが成果に結び付くのも大きな喜びだし、勝利の味は格別。
まずは興味を持つという点では、甲子園は良い体験だったかもしれない。
ナイターを観る事のない親父としては、いい叔父がいて良かったと思うのである・・・


【本日の読書】
「掃除道」鍵山秀三郎
「壬生義士伝(下)」浅田次郎

     

2011年8月20日土曜日

夏休みの思い出

世間はお盆休みとあって、勤務先の丸の内界隈ではよく親子連れを見かける。
お父さんが夏休みでどこかへ出掛けていたのであろう、リュックサックを背負って嬉しそうに歩いていく子供たちの顔を見ると、何となく微笑ましくなる。
みんな今年の夏休みはどんな思い出を作ったのだろうか。

子供の頃の夏休みの思い出って何だろうとふと考える。
やっぱり一番の思い出は、長野県の御代田で従兄と過ごした日々だろうか。
最初は親に連れられて行ったのだが、小学校3年の時に初めて一人で御代田に行った。
当時は新幹線もなく、信越線の急行電車に揺られて3時間。
最初の時は途中まで母が一緒に行ってくれたが、次からは一人で行った。
正直、最初は心細い一人旅だった。
高崎を過ぎ、碓氷峠のいくつもあるトンネルを潜り、軽井沢を通り過ぎて少し行ったところが御代田である。

そこは叔母の家であるが、ちょうど1歳年上の従兄がいて、彼と一緒に遊ぶのが楽しみで、毎年春休みと夏休みに1~2週間遊びに行っていた。
従兄が行くところには、金魚のフンよろしくどこにでもついて行った。
長男である私にとって従兄は兄貴のような存在で、末っ子だった従兄にとっては私は弟だったのかもしれない。
従兄の友達とも一緒に遊んだ。
おかげで今でも従兄の友人たちは、会えば昔の事をよく話す。

小学校のプールに行って泳いだり(田舎の学校はのんびりしていて、在校生でなくても入れてくれたのだ)、みんなで野球をしたり(まあ体力的にはついていくのがやっとだった)、裏の林や田圃や畑などの、都会にはない自然の中で、何をするとはなく遊んでいた気がする。
都会ではカブトムシを買うと聞いて驚いた従兄、「裏の林に行けばいくらでも取れる」と聞いて驚いた私。
次の日朝早く起きて林にカブトムシを取りに行った。
いかにも「いそうな」木をケリ飛ばして落ちてくるカブトムシを捕まえようとしたが、落ちてきたのは小さなクワガタばかりでガッカリした。

近所の公民館ではお盆の時期(田舎では8月だ)に盆踊りが行われた。
東京ではそんな機会なくて、みんなで盆踊りに参加してえらく楽しかったのを覚えている。
後日大人になって懐かしくなってその公民館へ行ってみた。
そこにあった公民館は記憶のままなれど、貧相でちっぽけで、盆踊りのやぐらが組まれていた広場も狭くて猫の額ほどの広さに思えた。

従兄と過ごす毎日が楽しくて、帰る時は本当に切なくて、いつだったか本当に駅までの帰り道で涙ぐんだ記憶がある。
避暑地軽井沢の近くだけあって、今の時期はもう朝晩も涼しく、学校も20日過ぎには始る。
もう夏も終わりだと思って帰ってくると、上野の駅は残暑の熱気とスモッグとが充満し、まだまだ終わらぬ夏が残っていて、異世界のように思えたのを覚えている。

第2の故郷という言葉があるが、田舎を持たない都会育ちの自分が、何となく故郷に思うところ。それが御代田であり、従兄と遊んだ春休みと夏休みのあの日々が故郷の思い出。
いつか自分にも子供ができたら、同じ体験を味わわせてやりたいなぁと漠然と思っていた。
従兄にも子供はいるし、自分の子供が従兄の子供と遊ぶのを楽しみに毎年御代田へ行くようになったら、と思っていた事もあった。
されどそんな機会もないまま、子供たちは今年も恒例である大阪の妻の実家へ。
それどころか、あれだけ一緒に遊んでいた従兄とも、会うのも数年に一度といった有り様だ。
この前会ったのは、可愛がってくれた叔父の葬儀の時だ。

しかたがないとは言え、ちょっと寂しい気もする。
まあ子供たちは子供たちなりに、自分たちの思い出を作っているに違いない。
それはそれでまた違う思い出。
そう言えば私も子供の頃親子4人での旅行なんてあまり記憶にない。
それに比べれば、今は時代の流れもあって、親子で毎年旅行に行けるのはありがたいことだし、思い出を作っているのは子供たちだけではない。

今年はどんな夏休みの思い出を作ったのだろう。
来週からは学校も始るし、もうあとちょっとで子供たちの夏休みも終わり。

いい夏休みであったと思ってくれれば、幸いである・・・


【本日の読書】
「日本一心を揺るがす新聞の社説」みやざき中央新聞
「壬生義士伝」(下)浅田次郎



2011年8月14日日曜日

夏の日雑感2011

ラグビーのワールドカップまで1ヶ月を切った。
サッカーのワールドカップと比べると、その盛り上がりは恐ろしいくらい欠けている。
まあ世間の関心からして仕方がない事ではあるが、個人的にはとても楽しみである。
昨夜、というかもう今朝であるが、ワールドカップに向けての前哨戦であるイタリア戦が行われた。もっと早く気がつけばそれに合わせて寝ておいたのであるが、朝の3時半からのテレビ放送ということもあって、30分で断念した。

メンバーを見てみると、やっぱり外人が多いのが気になる。
15名の先発メンバーのうち6人が外国人だ。
まあうち二人は日本国籍取得者だとしても4人。
リザーブにも4人くらい入っているのはやっぱり多い。
3年日本にいれば代表資格はもらえるし、代表になれば母国の代表にはなれない。
外国人たちもそういう覚悟で日本のジャージを着ているとはいえ、やっぱりなあという気持ちはする。

まあそれはそれとしても、やっぱりレベルの高い試合は何を観ても面白いし、「頑張れ日本代表」という意味合いではなく、ラグビーそのものを楽しみたいと思う。
日本は、オールブラックスやフランス、トンガといった強豪チームのブロックだし、深夜だろうが早朝だろうが観ようと考えている。

毎日とにかく暑い。
今日も入院している母の見舞いに、根津にある日本医大に行ってきた。
頼まれた買い物に病院の外に出ると、すでに夕刻で暑さも一息ついている。
蝉は相変わらず激しく鳴いているものの、少し涼しくなった夕暮れ時のそれは、日中のそれとはちょっと違って聞こえる。日中に聞くのと違って、何となくほっとする気がする。

ぶらぶらとコンビニまでそぞろ歩きを楽しむ。
大通りよりも一歩入った住宅街を歩く方が好きである。
知らない人の知らない家が立ち並ぶ。
そうした家々を、どんな人が住んでいるのか想像しながら歩くのが結構好きである。

一歩裏手は結構な住宅が目に着く。
サラリーマンの家ではない。
自営業か会社経営者だろうな、と思いつつ眺める。
やがて一軒の家が目につく。
真ん中で二つに分かれている二世帯住宅だ。

同じ名字なのに一方には「弁護士」の文字が入っている。
「法律事務所」の看板はないので自宅で開業している様子はなく、これだけの豪邸だからきっとどこかに事務所を構えているのだろうと思う。
ならばわざわざ表札に「弁護士」の文字を入れる必要はないだろうと思うのだが、本人の自分の職業に対する誇りなのかもしれないなと思う。面白いものである。
私も表札に入れようかな、「銀行員」と・・・

知らない街並みを眺めつつ病院に戻れば途端に汗が噴き出す。
やっぱり東京の夏に風流という言葉は見当たらない。
夜遅くなっても蝉はガンガン鳴いている。
もっとも彼らも限られた時間の中で精一杯なのだから、そんな蝉の声も今のうちに楽しんでおこうと思う。

もう間もなくすれば、鈴虫系の虫の鳴き声が聞こえてくるだろう。
半年前、コートの襟を立てて朝の通勤路を駅に向かって歩いていた時、「もう半年もすればここを汗を拭き拭き歩くのだろう」と考えていた。早くそうならないかな、とも。
いざそうなれば、もう少したてば涼しくなるだろうし、半年後にはまたコートの襟を立てて、背中を丸めて駅に向かっているのだろうと考えている。

「夏が来ると冬が良いと言う、冬になると夏が良いと言う、忙しいと暇になりたいと言い、暇になると忙しい方がいいと言う・・・」
野村監督の本に紹介されていた言葉だが、まさにそんな風に思う。
そんな事を考えるから、あっという間に時間だけが過ぎて行くのかもしれない。
今この瞬間を楽しんでおかないと、何だかもったいない気がする。

8月もあと半分。
暑い暑いと思うものの、この暑い夏を今年も十分に楽しまないといけないなと思う。
蝉の鳴き声もリアルタイムのBGMとして、楽しんでおこうと思うのである・・・



【本日の読書】
「壬生義士伝(上)」浅田次郎




2011年8月9日火曜日

カーナビ

先日の事、転院する母を送って行く事になり、実家の車に乗った。
親父は運転歴が長いのだが、「道を知らない」と運転を躊躇したので、代わりにハンドルを握ったのだ。「都内の道だし、適当に看板見ながら行けばいいじゃないか」とも思ったが、そこが年という事なのかもしれない。私も道を知っていたわけではないが、事前に地図を見て、大体の方向感だけ掴んでキーを回した。

運転してしばらくして、なんとなく違和感を感じた。
まもなくそれがカーナビだと気がついた。
自分の車には、車を買い換えた時につけたカーナビがあるが、親父の車にはない。
違和感の正体は、ダッシュボードを見るたびに視線が空振りする事だったのだ。
無意識のうちに、あるべきところにあるはずのカーナビを求めていたのである。

慣れというのは恐ろしいもので、運転する時にカーナビを見る癖がすっかりついていたようである。といっても、運転するたびにナビゲートしてもらっているわけではない。
ただ、地図上に現在地が表示されるため、「今どこを走っているのか」がナビの地図上ではわかる。それが、現実の道路とミックスされて脳内にインプットされていたのだろう。
沖縄でレンタカーを運転したが、今はレンタカーにもカーナビは標準装備されており、その時は違和感を覚えなかったのだ。

やはり、というか曖昧な記憶を頼りに、なんとなくの方向感で行ったのだが、右折したいところでできなかったり、曲がるべきところを曲がらなかったりとだいぶ無駄な時間を取ってしまったが、無事に往復できた。まぁ都内だから、看板見ればなんとなく地図が頭に浮かぶから方向は間違えない。しかし、見知らぬところでは、こうはいかない。


やっぱり、カーナビって便利だと感じる。
もっとも、常に最適表示されるわけでもない事はとっくに気がついている。
家の近所などでは、「どこ連れて行く気だ!」とカーナビに向かって毒づく事はしょっちゅうだし、同じ遠回りの案内を決して改めようとしない。
学習効果という機能はどうやら搭載されていないらしい。

カーナビなどなくとも、親父は相変わらず昔流で運転しているし、私自身どうしても必要だとは思わない。ただそれでも渋滞情報と到着予想時刻は重宝している。
これはアナログな方法ではきめ細かく入手できない。
リアルタイムで表示されるから、先回りして行動を選ぶことができる。
「カーナビなんて」とはバカにはできない。
やっぱり便利だ。

人生にもこんなナビゲーションシステムがあったら、後悔ばかりの人生を歩む事もないだろう。「この先渋滞中」とか、「ここに行きたきゃこのルート」、「今ここ」などその都度その都度表示してくれたら便利だ。受験や就職や恋愛なんかの様子もかなり違ったものになっていただろう。
無駄は減るし、迷っても暗中手探りで模索なんてしなくて済む。たとえあっても盲信は危険だけど・・・
ドラえもんの世界だな・・・

親父にとっては「今さらカーナビ」らしいから、実家の車はこれからもカーナビなしだ。
昔はマニュアルギアが当然だったが、今はほとんどオートマだし、車もどんどん変わっていく。昔ながらの感覚を磨くのに実家の車は便利だ。
これからもアッシーになる事は多いと思うが、それはそれで楽しもうと思うのである・・・


【本日の読書】
「フォールト・ラインズ」ラグラム・ラジャン
「壬生義士伝(上)」浅田次郎


2011年8月5日金曜日

Old friend

彼の名はデビッド。
私が大学3年の時、大学院にニュージーランドから留学してきた。
なにせラグビーが国技というお国柄。
デビッドも幼稚園からラグビーを始めたという経歴だった。
そんなデビッドが、我々のラグビー部にやってきたのである。

それまでにも何人かの留学生がグラウンドに来て、一緒に試合をしたりした。
しかしながらみんな一時的な腰かけで、言ってみれば「週末の暇つぶし」的な参加だった。
ところがデビッドはそれまでにグラウンドに来たどの外国人とも違っていた。
土のグラウンドに驚きながらも、きちんと練習に出てきて、あろうことか夏の菅平の合宿にまで参加したのだ。

ちなみに、今でこそ我が大学のラグビーグラウンドは人工芝になっているが、当時は土のグラウンド。ニュージーランドを始めとして、世界各国では芝生のグラウンドが当たり前。
世界広しと言えども土のグラウンドでラグビーをやっているのは日本ぐらいではないかと、個人的には思っている。そんなグラウンドで、デビッドは我々と一緒になって泥まみれの汗を流したのだ。

さすが本場の出身者。
デビッドは白人にしては小柄で、私とほぼ同じ体型だったが、迫力あるタックルは見モノだった。デビッドのタックルを見て、私ももっとパワフルなタックルができるはずと励みに思った。そんな彼は、秋の公式戦もレギュラーでフル出場し、その年公式戦で3勝を上げる原動力となった。そしてわずか1年で彼は卒業し、某ホテルに就職した。

卒業後、私も一度だけ彼の勤めるホテルへ彼を訪ねて行った事がある。
しかし、その時彼はたまたま非番で会う事はできなかった。
その後、クラブチームでラグビーをしているらしいという噂は耳にしたものの、ついに会う事もなく、今日に至っている。

先日の事、大学のメーリングリストに一人のOBが投稿した。
6月で定年退職し、そのまま冬のニュージーランドにスキーに行ったという。
現地で「日本語ができる人」という条件で雇ったガイドが、なんと偶然にもデビッドであった。いつのまにかニュージーランドに戻り、ガイドの仕事をしているらしい。
そのOBは、その神懸かり的な偶然の出会いを、OBみんなに報告してくれたのである。
添付されていた写真に写っていたのは、だいぶ中年にはなったものの、人懐っこい笑顔はそのままのデビッドであった。

メールアドレスが紹介されていたので、さっそくメールを出した。
私の事を覚えているかわからなかったので、先日ディズニーランドで家族とともに写した写真を添付した。そうしたところ、彼から返信が来た。実に25年振りだ。

日本人の奥さんがいて、子供も一人。
奥さんと一緒にその名も「Tanken Tours」という会社で、ガイドをしているという。ちょっと不安だったが、デビッドは私の事を覚えていてくれた。
「ニュージーランドに遊びに来てくれたら、我が家に招待するよ」
メールにはそう書かれていた。

卒業旅行では計画こそしたものの、結局オーストラリアだけにしてしまった。
以来ニュージーランドは、いつか行ってみたい国の筆頭にあるのだが、ますます行きたくなってしまった。今年はラグビーのワールドカップがニュージーランドで開かれる。彼もきっとオールブラックスを応援しているだろう。私もジャパンの次に応援してみたくなった。

いつかは行きたいニュージーランド。
デビッドに直接会って、積もる話をしたいものだ。
できればあの頃のチームメイトと一緒に行きたい気がする。
そんな楽しみを持っているのもいいと思う。
その時までは時々メールでもして、デビッドと繋がりをもっていたいと思うのである
・・・


【本日の読書】
「フォールト・ラインズ」ラグラム・ラジャン
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」石田衣良他
   

   

2011年8月2日火曜日

沖縄2011

今年の夏季休暇として沖縄に行ってきた。
家族で行くのはこれが3回目。
前回は2007年だったから、4年振りという事になる。
前回は小学校1年と2歳だった長女と長男も、4年経って少し成長しての再訪となった。

今回はホテルを南部に取り、美ら海水族館だけは本島を北部へ移動して行ってきたが、それ以外は南部を中心に行動した。最終日は那覇市内のホテルに一泊し、有名な国際通りにも初めて足を運んだ。
沖縄と言ってもそれなりに広いから、3回目とはいえ、初めてのようなものだ。

最も子供たちにとってはホテルのプールで遊ぶのが楽しくて、それだけで満足してしまう。
それだと家にいてプールだけ行っても良いのではないかとさえ思ってしまう。
まあそこがまだ子供なのだろう。それでも新原というビーチへ行って、シュノーケリングでお魚さんたちを直接見たのが一番印象深かったと言ってくれたから、まあ親としても良しとしたい。

28日の夜には流星群が見られると言う事で、ホテル前の夜のビーチに繰り出した。
雲が多かったとは言え、夜空に輝く星は東京とは比較にならない。
星座なんて北斗七星くらいしかわからないはずだったが、どう見てもあれはさそり座だろうと言うのがはっきりと見えた。長女も初めて肉眼で見るさそり座に興奮。
昔の人は夜空を見上げていろいろと想像したんだという事がよくわかる。

肝心の流星群だが、明るい方角と重なって条件は悪かったが、何とかいくつか見えた。
じっと目をこらしていると、さっと一瞬光の線が引かれる。それは本当に一瞬。
子供たちに願い事を言うのよと教えていた妻が、「3億円!」と叫んでいたが、たぶん届かなかったと思う。最後に珍しく大きな火花のように輝いた流れ星が現れた。たぶん、大きな欠片だったのだろう。それだけは家族全員で観察できた。子供たちが夜のビーチを怖がらなければ、もう少し観察できたのだが・・・

3回目でも変わらないのが食べ歩き。
ガイドブック片手に妻が選択した店を訪ね歩く。
沖縄そばは私も気に入っているので、あちこちの名店の味を堪能した。
どの店にも訪ねてきた有名人のサイン色紙が所狭しと飾られている。
それを見ながら、果たしてお店の人たちは有名人が来た時はそれとわかるのだろうか、とふと疑問に思った。

私自身飾られている有名人は半分も知らない。町ですれ違ったってわかるはずもない。
それなのに、ふらりとやってきてここのいかにも田舎のオバちゃん店員に、それがわかるのだろうかと疑問に思えたのだ。ひょっとしたら、取り巻きを引き連れて、いかにもそれらしくやって来たのかもな、と一人自問自答していた。

あっと言う間の4泊5日。
終わってみればあっけない。
軽くなった財布とデジカメで撮ったたくさんの写真とを残して休みも終わってしまった。
これからまた一年間働かないといけない。
職場でも同僚たちが順番に夏休みに入り始めた。

そこかしこの空席がそれを物語る。
すでに夏休みが終わってしまった立場としては、ちょっと寂しい気もする。まあそれはそれ。
また来年も良い夏休みが過ごせるように、暑さにめげずに頑張って働くことにしようと思うのである・・・


【本日の読書】
「大前研一洞察力の原点-プロフェッショナルに贈る言葉」大前研一
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」石田衣良他