お父さんが夏休みでどこかへ出掛けていたのであろう、リュックサックを背負って嬉しそうに歩いていく子供たちの顔を見ると、何となく微笑ましくなる。
みんな今年の夏休みはどんな思い出を作ったのだろうか。
子供の頃の夏休みの思い出って何だろうとふと考える。
やっぱり一番の思い出は、長野県の御代田で従兄と過ごした日々だろうか。
最初は親に連れられて行ったのだが、小学校3年の時に初めて一人で御代田に行った。
当時は新幹線もなく、信越線の急行電車に揺られて3時間。
最初の時は途中まで母が一緒に行ってくれたが、次からは一人で行った。
正直、最初は心細い一人旅だった。
高崎を過ぎ、碓氷峠のいくつもあるトンネルを潜り、軽井沢を通り過ぎて少し行ったところが御代田である。
そこは叔母の家であるが、ちょうど1歳年上の従兄がいて、彼と一緒に遊ぶのが楽しみで、毎年春休みと夏休みに1~2週間遊びに行っていた。
従兄が行くところには、金魚のフンよろしくどこにでもついて行った。
長男である私にとって従兄は兄貴のような存在で、末っ子だった従兄にとっては私は弟だったのかもしれない。
従兄の友達とも一緒に遊んだ。
おかげで今でも従兄の友人たちは、会えば昔の事をよく話す。
小学校のプールに行って泳いだり(田舎の学校はのんびりしていて、在校生でなくても入れてくれたのだ)、みんなで野球をしたり(まあ体力的にはついていくのがやっとだった)、裏の林や田圃や畑などの、都会にはない自然の中で、何をするとはなく遊んでいた気がする。
都会ではカブトムシを買うと聞いて驚いた従兄、「裏の林に行けばいくらでも取れる」と聞いて驚いた私。
次の日朝早く起きて林にカブトムシを取りに行った。
いかにも「いそうな」木をケリ飛ばして落ちてくるカブトムシを捕まえようとしたが、落ちてきたのは小さなクワガタばかりでガッカリした。
近所の公民館ではお盆の時期(田舎では8月だ)に盆踊りが行われた。
東京ではそんな機会なくて、みんなで盆踊りに参加してえらく楽しかったのを覚えている。
後日大人になって懐かしくなってその公民館へ行ってみた。
そこにあった公民館は記憶のままなれど、貧相でちっぽけで、盆踊りのやぐらが組まれていた広場も狭くて猫の額ほどの広さに思えた。
従兄と過ごす毎日が楽しくて、帰る時は本当に切なくて、いつだったか本当に駅までの帰り道で涙ぐんだ記憶がある。
避暑地軽井沢の近くだけあって、今の時期はもう朝晩も涼しく、学校も20日過ぎには始る。
もう夏も終わりだと思って帰ってくると、上野の駅は残暑の熱気とスモッグとが充満し、まだまだ終わらぬ夏が残っていて、異世界のように思えたのを覚えている。
第2の故郷という言葉があるが、田舎を持たない都会育ちの自分が、何となく故郷に思うところ。それが御代田であり、従兄と遊んだ春休みと夏休みのあの日々が故郷の思い出。
いつか自分にも子供ができたら、同じ体験を味わわせてやりたいなぁと漠然と思っていた。
従兄にも子供はいるし、自分の子供が従兄の子供と遊ぶのを楽しみに毎年御代田へ行くようになったら、と思っていた事もあった。
されどそんな機会もないまま、子供たちは今年も恒例である大阪の妻の実家へ。
それどころか、あれだけ一緒に遊んでいた従兄とも、会うのも数年に一度といった有り様だ。
この前会ったのは、可愛がってくれた叔父の葬儀の時だ。
しかたがないとは言え、ちょっと寂しい気もする。
まあ子供たちは子供たちなりに、自分たちの思い出を作っているに違いない。
それはそれでまた違う思い出。
そう言えば私も子供の頃親子4人での旅行なんてあまり記憶にない。
それに比べれば、今は時代の流れもあって、親子で毎年旅行に行けるのはありがたいことだし、思い出を作っているのは子供たちだけではない。
今年はどんな夏休みの思い出を作ったのだろう。
来週からは学校も始るし、もうあとちょっとで子供たちの夏休みも終わり。
いい夏休みであったと思ってくれれば、幸いである・・・
【本日の読書】
「日本一心を揺るがす新聞の社説」みやざき中央新聞
「壬生義士伝」(下)浅田次郎
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