先日、日経新聞に『学習塾は敵、ゲームは麻薬 習近平式「大衆動員」の深層』という記事が出ていた。なんでも急成長した中国の教育産業、ゲーム業界に衝撃が走り続けているという。その原因は、7月下旬、義務教育段階の校外補習を担う学習塾に突然、共産党中央から「非営利組織化せよ」というの命令が突き付けられたのだそうである。背景には、「学習塾など教育負担が重すぎる、学校から家に持ち帰る宿題が多すぎる、といった父母らの大きな不満に配慮する」ということがあるらしいが、「実態は民間教育への政治的な管理・統制の強化」ということでもあるらしい。
また、別の記事では、中国当局がマンション取引の規制を強めるというのがあった。主要都市で住宅購入に資格制を設けたり、中古物件の売買価格に当局が介入したりしているらしい。不動産高騰への社会の不満が強いためで、今後3年で投機や違法取引を抑え込む方針だという。不動産取引の制限については、過去に日本でも「総量規制」というのが行われ、バブル崩壊の原因になったとされているから極端ということでもないが、「非営利組織化せよ」というのは、日本(というか先進国)ではありえない。さすが共産党独裁国家である。
その「独裁」であるが、その意味は「反対を許さない」というところにある。仮に日本で「非営利組織化せよ」という決定が下ったとしても、まず教育産業界で反対の声が上がり、それに共産党他の野党が便乗して国会ですったもんだとなり、民間でも国会にデモが押し寄せたりして、大騒動の挙句、ひょっとしたら覆るかもしれない。しかし、中国では覆らない。決定は決定である。何より反対する野党はないし、デモは鎮圧されて終わりだし、すぐ逮捕されるし、逮捕されたらどうなるかわからないし。香港の例を見てもそれは明らかである。「鶴の一声」で決まってしまうことである。
怖いと言えば怖いのであるが、「意思決定即実行」という意味では、誠にスピーディである。例えば、日本でも民間企業では社長が基本的に決定権を持っている。上場企業であればまだしも、多くの中小企業では社長は独裁者である。たとえ全社員が反対したとしても社長の鶴の一声でなんでも決まってしまう。一応、法律では株主総会が最終的な権限を有しているが、社長が株のすべてまたは過半数を持っていれば意味はない。会社の意思決定は取締役会にあるが、社長が株の過半数を押さえていれば、最悪、役員を全員解雇できるからこれも意味はない。
しかし、会社は逆に民主的であると意思決定という意味で機能しなくなるところがある。それに多数決がいつも正しいというわけではない。ヤマト運輸が宅急便事業に進出すると決めた時も、役員は全員反対したというし、会社が民主主義を採用していたら今頃ヤマト運輸はとうの昔に消滅していたのであろう。もちろん、社長の独断専行で失敗して消えていった会社も数多くあるから、そこは良し悪しである。「会社は社長の器以上に大きくならない」と言われている通り、ダメ社長の下の社員は悲劇から逃れるには会社を辞めるしかない。
果たして会社は、独裁と民主主義とどちらがいいのかと言われれば、それはやはり独裁だと思う。日本電産や京セラ、ソフトバンクやユニクロなど「名独裁者」がいたからこそ大発展したのは間違いないし、中小企業でもそれでうまくいっているところが大半であろう。逆に中小企業では、たとえ役員という肩書きを持っていたとしても、「指示待ち族」だったり、自分なりの経営観を持っていない「名ばかり役員」も多いから「民主主義」が育たないという面も否定できない。
では国家はどうなのだろうか。「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」とは、かのチャーチルの名言であるが、これはやっぱり当面真実であり続けるのだろうと思う。もし、民主主義以上の政治形態が出てくるとしたら、それはやっぱり「AI独裁」なのかもしれないと思う。そういうAI独裁体制下で暮らしてみたいかと問われると、不安もあるが、個人的にはいいのではないかとも思う。少なくとも今の中国よりははるかに安心して暮らせそうな気もする。そんな「独裁体制」が実現するかどうかはわからないが、当面は独裁体制はどうも不安だし、今の日本に生まれて暮らせる幸せを改めて噛みしめたいと思うのである・・・
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