2019年4月29日月曜日

奢り奢られ

学生時代のこと、大学に入学と同時にラグビー部の門を叩いた私だったが、最初に連れて行かれた飲み会で面白いルールを教えてもらった。それは支払いのルール。当時ラグビー部では、毎週日曜日に試合が終わると4年生から1年生までチーム内で縦割りのグループに分かれて飲みに行っていた。そして支払いは、年次順に大体4:3:2:1年=6:3:1:0という感じであった。つまり1年はタダなのである。これが1年間続く。

タダとなればもちろんありがたいと思うが、なんとなくずっと奢られっぱなしでいいのかという思いもなくはなかった。しかし、「1年は雑用(ボール磨きやグラウンド整備、部室掃除等々)があるからバイトもそれほどできないだろう」という配慮があってのことであり、さらに「上級生になれば嫌でも払うようになるから」という言葉に納得してありがたく1年間タダ酒を飲ませてもらったのである。

もちろん、上級生になった時はその分きちんと払ったが、社会人になっても奢ってもらうこと(余分に出してもらうことも含め)は多かった。後輩よりも先輩の方が多いわけであり、ある意味当然と言える。そんな自分だが、女性とのデートでは当然、「出す」方であった(あまり機会には恵まれなかったが・・・)。と言っても当時はそれほど収入があるわけではなく、男友達との飲み会もあるわけで、カードローンなくては生きていけない状況であった。

そんな感覚がいまだに残っているからか、「お見合いで割り勘にして断られた男の話」など聞いてしまうとついつい「セコイ」と思ってしまう(私は「セコイ」ということに、とても敏感であるがゆえに、何としてもそうは思われたくないと思う)。と言っても、これは難しいところがある。女性相手の場合、全部出してもらっても抵抗のない人と抵抗のある人がいて、相手がどちらのタイプかを見極めるのは難しい。たとえ後者の場合であってもさすがに割り勘にはしないが、ではどのくらい出してもらうかの判断もまた難しい。

さらにデートであれば、ある程度「出してもおかしくない」という感覚は世間一般にもあると思うが、では単なる会社の同僚の女性と2人でランチに行った場合はどうかとなるとまた難しい。まったく対等であれば割り勘でもいいだろうが、微妙な上下関係の場合はどうだろうか。また、部下であってもたまになら奢っても喜んでもらえると思うが、度々となるとどうだろうかとなってくる。毎食2人分となると、サラリーマンの懐事情的にも厳しいものがある。

先日、初めて従兄弟会をやった。集まったのは男女5人。年齢順には男(2歳上)、男(1歳上)、私、女(年下)、女 (年下)という構成。非常に楽しいひと時だったが、幹事の私は会計の際にふと迷った。「みんなにどう割り振ろうか」と。気持ち的には男3人で出してもいいかと思ったが、それを男で一番下の私が言い出していいものかどうかと。それで合計金額を示して、妥当な5分割案(8,000円、女3,000)を提案したら、あっさり一番上の従兄に「俺10,000円出す」と言われ、続く従兄も右へ倣えで、無論私も同額で続き、無事女性陣はタダとなった。

もともと幹事をやるのは好きではないのであるが、それは酔った頭で金勘定などできないのに加え、微妙な男女差を考慮するのは大変だからである。こういう時、一番上が気前よく動いてくれるとありがたいものである。我らが従兄も2歳年上ながら昭和の気風を残した男だと言える。いまだ独身なのは、その気風をあまり発揮する機会に恵まれなかったのだろう。女性陣も親族間という気楽さもあったのか、素直に喜んでくれていた(ちなみに飲んだ量は私が一番少なかった気がする・・・)

毎週参加しているシニアのラグビーでは、練習後にはみんなで安い居酒屋に飲みに行くのが恒例行事。ここでは100円単位での完全割り勘制である。中には年金生活者もいるから余分に出すというのもしんどい話だろう。年齢的には私は年下の部類で恩恵を被る方であるが、それを望む気持ちは微塵もない。やっぱり年齢差があっても、これはこれで楽しい割り勘である。飲む量でいけば割り勘負けしているが、そこは父から受け継いだDNAゆえに仕方がない。と言っても「センベロ(1,000円でベロベロになれる)」の世界ゆえ、割り勘負けはご愛嬌である。

 考えてみると、男同士は気楽に奢り奢られができるが、相手が女性となると難しい限りである。いつもすべてこちらが出していると、なんとなく「出す素ぶり」でもして欲しいと思う時もある。そういう難しい機会の方が刺激があることも確かである。そんな刺激を求める気持ちがある一方で、気楽な世界に浸りたいとも思う。逆に奢ってもらう時も、この頃は遠慮すべきかありがたくお礼を言うべきなのか迷うところしばしばである。出す出さないはどちらでもいいが、そういうルールが何かあったら楽なのに、といまだに思うのである・・・











2019年4月24日水曜日

論語雑感 八佾第三(その23)

〔 原文 〕
子語魯大師樂曰。樂其可知也。始作翕如也。從之純如也。皦如也。繹如也以成。
〔 読み下し 〕
()()大師(たいし)(がく)(かた)りて()わく、(がく)()()るべきなり。(はじ)(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。(これ)(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり。皦如(きょうじょ)たり。繹如(えきじょ)たり。(もっ)()る。
【訳】
先生が魯の国の楽隊長に ―― 「音楽って、こうなんだね。はじめは、音をそろえる。そして思いきり、ひびかせる。すみ通らせる。長つづきさせる。それでいい。」
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孔子が音楽について語るというのも意外な気がする。2,500年前の孔子の時代の音楽が果たしてどんなものであったかはわからないが、何となく現代中国の音楽で奏でられる楽器のメロディーを連想してしまう。本格的な楽団があったのだろうか、その楽団の人たちは農業の片手間にやっていたのかそれとも専属でやっていたのだろうかと想像の翼は広がる。

個人的には昔から「音楽は好きだけど苦手」である。「つまり聞くのはいいが、演奏はダメ」である。今でも音符は読めないし、同じ音楽でも演奏者や指揮者が変わると違う音楽のように変わるというのもわからない。演奏の上手い下手もわからない(音程を外れていたらさすがにわかると思うが・・・)。ただ、クラシックから現代のポップスまで幅広く聴くぐらいはしているという程度である。

そもそも音楽の起源っていつぐらいまで遡るのだろうか。ネットで調べてみても明確な答えはない。たぶん、気がついたらそこにあったという感じだろう。音楽と言ったって、その起源は打楽器的なものかもしれない。何かの合図で木の幹を叩いたりするうちに、リズムがついて合図とは別に調子を合わせるようになっていったのかもしれない。どこかで誰かが、このメロディーはいいとなったものを、最初は口伝えで、やがて文字の発達とともに音符のような記号にされるようになったのかもしれない。

孔子の時代には、既に何らかの基準で演奏の評価がされるようになっていたのだろう。音楽そのものは私も「苦手ではあるが好き」である。映画だって音楽によって盛り上がったりするし、雰囲気を出すには欠かせなかったりする。片思いで苦しんでいた若き日には、なぜかブライアン・アダムスの“(Everything I Do) I Do It For You”が妙に心に染みたものである。小学生がたどたどしく練習している下手なリコーダーだって、我が子が練習しているそれは微笑ましく聴いていたが、他所の子のそれは騒音でしかない。

小学生の頃は、クラッシックはあまり興味を持たなかったが、映画音楽は父親の影響で好きになり、よく父親のレコードを聴いていたものである。それは今でも変わりなく、ジョン・ウィリアムスとかハンス・ジマーなんかの曲は好きである。クラッシックでは「パッフェルベルのカノン」は好きだし、作曲家ではバッハの宗教音楽が好きでよく聴いている(ただし、指揮者による違いまではわからない)。

そう言えば、マンガ『ドラえもん』で、スネ夫がしずちゃんに新しいレコードが入ったから聴きにくればと誘うシーンがあったのを覚えている。それはポップスではなくクラッシック。映画『無伴奏』でも学生たちが音楽喫茶で聴き入っていたのはクラッシックであった。クラッシックは当時の(エリートが嗜むべき)教養として確立されていたのかもしれない。

今は音楽だけを聴くというのは下火になっているのかもしれない。我が家の子供たちもジャニーズなどのJポップが中心だ(長男は最近洋楽に目覚めたようである)。それも悪くはないが、嗜む程度にクラシックを聴くことも教えたいなと、ふと思う。と言っても聴き方を伝授できるほどではないのであるが、家にはCDもいろいろあるし、パパとママの結婚式の入場音楽として使ったものとして『威風堂々』を教えてあげるのもいいかもしれない。

昔はレコード用のステレオセットやラジカセなどの「専用機器」が必要だったが、今はパソコンでも楽しめるし、スマホでも楽しめる。昨年の年末はスマホをポケットに入れて、音楽を聴きながら大掃除をやったが、心なしか効率が良かった気がする。妻の厳しい「小姑チェック」に辟易する気持ちを緩和してくれたのに一役買っていたのは確かである。音楽を聴く環境という意味でも今は良い時代である。

 孔子のように、楽隊長にうんちくをたれるほどになろうとは思わないが、今はいろいろと簡単に聴ける時代である(Amazonブレミアムに加入したら思いのほかいろいろと聴けるようになった)。これかもクラッシックから映画音楽やポップス、ロック、ジャズなんかも含めて幅広く、懐かしい曲や最新のものまでいろいろと楽しみたいと思うのである・・・・





【本日の読書】