2019年4月29日月曜日

奢り奢られ

学生時代のこと、大学に入学と同時にラグビー部の門を叩いた私だったが、最初に連れて行かれた飲み会で面白いルールを教えてもらった。それは支払いのルール。当時ラグビー部では、毎週日曜日に試合が終わると4年生から1年生までチーム内で縦割りのグループに分かれて飲みに行っていた。そして支払いは、年次順に大体4:3:2:1年=6:3:1:0という感じであった。つまり1年はタダなのである。これが1年間続く。

タダとなればもちろんありがたいと思うが、なんとなくずっと奢られっぱなしでいいのかという思いもなくはなかった。しかし、「1年は雑用(ボール磨きやグラウンド整備、部室掃除等々)があるからバイトもそれほどできないだろう」という配慮があってのことであり、さらに「上級生になれば嫌でも払うようになるから」という言葉に納得してありがたく1年間タダ酒を飲ませてもらったのである。

もちろん、上級生になった時はその分きちんと払ったが、社会人になっても奢ってもらうこと(余分に出してもらうことも含め)は多かった。後輩よりも先輩の方が多いわけであり、ある意味当然と言える。そんな自分だが、女性とのデートでは当然、「出す」方であった(あまり機会には恵まれなかったが・・・)。と言っても当時はそれほど収入があるわけではなく、男友達との飲み会もあるわけで、カードローンなくては生きていけない状況であった。

そんな感覚がいまだに残っているからか、「お見合いで割り勘にして断られた男の話」など聞いてしまうとついつい「セコイ」と思ってしまう(私は「セコイ」ということに、とても敏感であるがゆえに、何としてもそうは思われたくないと思う)。と言っても、これは難しいところがある。女性相手の場合、全部出してもらっても抵抗のない人と抵抗のある人がいて、相手がどちらのタイプかを見極めるのは難しい。たとえ後者の場合であってもさすがに割り勘にはしないが、ではどのくらい出してもらうかの判断もまた難しい。

さらにデートであれば、ある程度「出してもおかしくない」という感覚は世間一般にもあると思うが、では単なる会社の同僚の女性と2人でランチに行った場合はどうかとなるとまた難しい。まったく対等であれば割り勘でもいいだろうが、微妙な上下関係の場合はどうだろうか。また、部下であってもたまになら奢っても喜んでもらえると思うが、度々となるとどうだろうかとなってくる。毎食2人分となると、サラリーマンの懐事情的にも厳しいものがある。

先日、初めて従兄弟会をやった。集まったのは男女5人。年齢順には男(2歳上)、男(1歳上)、私、女(年下)、女 (年下)という構成。非常に楽しいひと時だったが、幹事の私は会計の際にふと迷った。「みんなにどう割り振ろうか」と。気持ち的には男3人で出してもいいかと思ったが、それを男で一番下の私が言い出していいものかどうかと。それで合計金額を示して、妥当な5分割案(8,000円、女3,000)を提案したら、あっさり一番上の従兄に「俺10,000円出す」と言われ、続く従兄も右へ倣えで、無論私も同額で続き、無事女性陣はタダとなった。

もともと幹事をやるのは好きではないのであるが、それは酔った頭で金勘定などできないのに加え、微妙な男女差を考慮するのは大変だからである。こういう時、一番上が気前よく動いてくれるとありがたいものである。我らが従兄も2歳年上ながら昭和の気風を残した男だと言える。いまだ独身なのは、その気風をあまり発揮する機会に恵まれなかったのだろう。女性陣も親族間という気楽さもあったのか、素直に喜んでくれていた(ちなみに飲んだ量は私が一番少なかった気がする・・・)

毎週参加しているシニアのラグビーでは、練習後にはみんなで安い居酒屋に飲みに行くのが恒例行事。ここでは100円単位での完全割り勘制である。中には年金生活者もいるから余分に出すというのもしんどい話だろう。年齢的には私は年下の部類で恩恵を被る方であるが、それを望む気持ちは微塵もない。やっぱり年齢差があっても、これはこれで楽しい割り勘である。飲む量でいけば割り勘負けしているが、そこは父から受け継いだDNAゆえに仕方がない。と言っても「センベロ(1,000円でベロベロになれる)」の世界ゆえ、割り勘負けはご愛嬌である。

 考えてみると、男同士は気楽に奢り奢られができるが、相手が女性となると難しい限りである。いつもすべてこちらが出していると、なんとなく「出す素ぶり」でもして欲しいと思う時もある。そういう難しい機会の方が刺激があることも確かである。そんな刺激を求める気持ちがある一方で、気楽な世界に浸りたいとも思う。逆に奢ってもらう時も、この頃は遠慮すべきかありがたくお礼を言うべきなのか迷うところしばしばである。出す出さないはどちらでもいいが、そういうルールが何かあったら楽なのに、といまだに思うのである・・・









2019年4月24日水曜日

論語雑感 八佾第三(その23)

〔 原文 〕
子語魯大師樂曰。樂其可知也。始作翕如也。從之純如也。皦如也。繹如也以成。
〔 読み下し 〕
()()大師(たいし)(がく)(かた)りて()わく、(がく)()()るべきなり。(はじ)(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。(これ)(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり。皦如(きょうじょ)たり。繹如(えきじょ)たり。(もっ)()る。
【訳】
先生が魯の国の楽隊長に「音楽って、こうなんだね。はじめは、音をそろえる。そして思いきり、ひびかせる。すみ通らせる。長つづきさせる。それでいい。」
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孔子が音楽について語るというのも意外な気がする。2,500年前の孔子の時代の音楽が果たしてどんなものであったかはわからないが、何となく現代中国の音楽で奏でられる楽器のメロディーを連想してしまう。本格的な楽団があったのだろうか、その楽団の人たちは農業の片手間にやっていたのかそれとも専属でやっていたのだろうかと想像の翼は広がる。

個人的には昔から「音楽は好きだけど苦手」である。「つまり聞くのはいいが、演奏はダメ」である。今でも音符は読めないし、同じ音楽でも演奏者や指揮者が変わると違う音楽のように変わるというのもわからない。演奏の上手い下手もわからない(音程を外れていたらさすがにわかると思うが・・・)。ただ、クラシックから現代のポップスまで幅広く聴くぐらいはしているという程度である。

そもそも音楽の起源っていつぐらいまで遡るのだろうか。ネットで調べてみても明確な答えはない。たぶん、気がついたらそこにあったという感じだろう。音楽と言ったって、その起源は打楽器的なものかもしれない。何かの合図で木の幹を叩いたりするうちに、リズムがついて合図とは別に調子を合わせるようになっていったのかもしれない。どこかで誰かが、このメロディーはいいとなったものを、最初は口伝えで、やがて文字の発達とともに音符のような記号にされるようになったのかもしれない。

孔子の時代には、既に何らかの基準で演奏の評価がされるようになっていたのだろう。音楽そのものは私も「苦手ではあるが好き」である。映画だって音楽によって盛り上がったりするし、雰囲気を出すには欠かせなかったりする。片思いで苦しんでいた若き日には、なぜかブライアン・アダムスの“(Everything I Do) I Do It For You”が妙に心に染みたものである。小学生がたどたどしく練習している下手なリコーダーだって、我が子が練習しているそれは微笑ましく聴いていたが、他所の子のそれは騒音でしかない。

小学生の頃は、クラッシックはあまり興味を持たなかったが、映画音楽は父親の影響で好きになり、よく父親のレコードを聴いていたものである。それは今でも変わりなく、ジョン・ウィリアムスとかハンス・ジマーなんかの曲は好きである。クラッシックでは「パッフェルベルのカノン」は好きだし、作曲家ではバッハの宗教音楽が好きでよく聴いている(ただし、指揮者による違いまではわからない)。

そう言えば、マンガ『ドラえもん』で、スネ夫がしずちゃんに新しいレコードが入ったから聴きにくればと誘うシーンがあったのを覚えている。それはポップスではなくクラッシック。映画『無伴奏』でも学生たちが音楽喫茶で聴き入っていたのはクラッシックであった。クラッシックは当時の(エリートが嗜むべき)教養として確立されていたのかもしれない。

今は音楽だけを聴くというのは下火になっているのかもしれない。我が家の子供たちもジャニーズなどのJポップが中心だ(長男は最近洋楽に目覚めたようである)。それも悪くはないが、嗜む程度にクラシックを聴くことも教えたいなと、ふと思う。と言っても聴き方を伝授できるほどではないのであるが、家にはCDもいろいろあるし、パパとママの結婚式の入場音楽として使ったものとして『威風堂々』を教えてあげるのもいいかもしれない。

昔はレコード用のステレオセットやラジカセなどの「専用機器」が必要だったが、今はパソコンでも楽しめるし、スマホでも楽しめる。昨年の年末はスマホをポケットに入れて、音楽を聴きながら大掃除をやったが、心なしか効率が良かった気がする。妻の厳しい「小姑チェック」に辟易する気持ちを緩和してくれたのに一役買っていたのは確かである。音楽を聴く環境という意味でも今は良い時代である。

孔子のように、楽隊長にうんちくをたれるほどになろうとは思わないが、今はいろいろと簡単に聴ける時代である(Amazonブレミアムに加入したら思いのほかいろいろと聴けるようになった)。これかもクラッシックから映画音楽やポップス、ロック、ジャズなんかも含めて幅広く、懐かしい曲や最新のものまでいろいろと楽しみたいと思うのである・・・・




【本日の読書】
 家賃滞納という貧困 (ポプラ新書) - 太田垣 章子 妻に捧げた1778話(新潮新書) - 眉村 卓





2019年4月22日月曜日

統一地方選2019雑感

 この週末は統一地方選があった。選挙権を得て以来、基本的には毎回きちんと選挙権を行使してきており、おそらく投票参加率はこれまでで9割近いと思う。そんな「真面目な」有権者であるが、今回は前日の土曜日に期日前投票をしてきた。基本的には選挙当日に行くことにしているので、期日前投票は久しぶりの事で、記憶にある限りでは独身時代に1度やったことがあるくらいだと思う。あまり人はいないのかと思いきや、意外と来ている人が多くて驚いたところである。

 期日前投票をしたのは、選挙日当日都合が悪かったからであるが、都合が悪かったのは私ではなく、実は娘である。18歳になった娘は晴れて今回が初投票。ところが選挙日当日は友達と遊びに行く約束があるとか。せっかくの初選挙だし、期日前投票をしたらと誘ったら思いがけず、「そうする」という答えが返ってきたのである。でも初めてだし、とブツブツ言うので、「ベテラン」のパパが同行することにした次第である(ちなみにママは今回も不投票である)。

 年頃の娘と父親というのは、世間では微妙な関係にあるらしいが、幸い我が家では幼少期から一貫して大きな変化はない(さすがに「パパ大好き!」とは言われなくなったが・・・)。ただ、油断は大敵なわけで、せっかく娘が一緒に行くと言っているわけであるから、急遽ラグビーの練習をボイコットして同行した次第である。その裏には、もしかしたらこれが娘と一緒に行く最初で最後の選挙かもしれないという思いもあった。思えば前回一緒に行った時は、体育館の入り口で娘はストップを食らったのであるが、今回は晴れて堂々と会場入りできたわけで、感慨深いものがあった。

 期日前投票と言っても、特に何か変わった点があるわけでもない。ただ、用紙に住所・氏名と当日投票できない理由を書くだけである。区議会議員選挙の場合は、いつもあまり深く考えずに投票しているので、今回も某政党という理由だけで名前を書いて投票してきたのである(残念ながら落選してしまったが・・・)。投票率は我が練馬区で41%であり、世間的には(我が妻のように)無関心派が多数のようである。

 そもそも区議会議員がどんな仕事をしているのかは、あまりよくわからない。必要な理由としては、条例の制定ぐらいじゃないかという気もする。であるにもかかわらず、政権政党の批判だとか反原発だとか、あきらかに国政レベルの話を熱弁している候補がいたりして、ちょっと違和感を感じたりすることがある。正直言って、国政レベルには関係ないだろうと思うから、あまりしっかり関心を持って見ていないところがあって、ちょっと反省すべきかもしれないとは思う。

 とは言え、選挙活動中は絶対支持しない候補でもチラシは受け取ったりする。どんな主張をしているのか興味深いからである。だからたとえ共産党の候補でもチラシを受け取っている(それで勘違いされて握手されたりするのであるが・・・)。他の選挙区では、友人・知人が立候補していて、みんな当選していたから喜ばしい限りである。今度議員としての活動内容を聞いてみようかと思う。たぶん、我々の見えないところでいろいろと働いているのだろう。

 私も、選挙権を得て初めての選挙は嬉しかったことを覚えている。娘もそうだろうと思うし、みんなそうではないかと思う。しかし、人間は当然に与えられたものにはありがたみを感じなくなるもので、その結果が投票率41%という誠に嘆かわしい現状になっているのだろう。かつては選挙権を要求して流血事件になった歴史もあるわけであるし、日本でも女性に参政権が与えられたのは戦後のことである。もっと我々はありがたみを持たないといけないのである。娘にはママを見習うことなく、今回の喜びをずっと持ち続けていて欲しいと思う。

 次回は国政選挙だろうか。この次もまた娘と一緒に行けたらいいなと思うのである・・・




【本日の読書】
 しょぼい起業で生きていく - えらいてんちょう どんな人も思い通りに動かせる アリストテレス 無敵の「弁論術」 - 高橋健太郎





2019年4月19日金曜日

将来のことなんか何とでもなる

知り合いの娘さんは、この春都立高校を卒業したそうである。成績優秀な都立高であり、卒業生のほとんどが大学進学であるが、その娘さんは受験しなかったという。在学中に既に勉強意欲を失い、卒業も「辛うじて」という状況だったという。現在はアルバイトをしていて、進路は「模索中」とのこと。一応、大学へ行こうかという気持ちもあるらしいが、だからと言って勉強をする気は起きないらしい。精神科にも通っているのだとか。

自分の娘だったら、どう対応するだろうかと考えてみた。
「進学したければすればいいし、したくなければしなくてもいい」
まずはそんなところからだろうか。私はもともと「鬱は病気ではない」という考えであるから、精神科に通院するのもいかがなものかと思う。本人がそれで少しでも楽になると感じるなら別であるが、悩みを抱えて気持ちが塞ぐのは誰にでもあることである。それを「病気」とするより、しっかりとした考え方を持って克服できるようにしてあげるべきだと思う。

 大学へ進学するのは、時間稼ぎとしてはかなりいい。新しい環境に触れれば友達も増えるし、何かその先のヒントが見つかるかもしれない。私の父は中学を卒業して東京に働きに出てきた。当時は高校以上への進学など(父の故郷では)ごく限られた者のみに許されていたことであった。父も進学の思いを殺して働きに出たのかもしれない。翻って現代は良い時代だと言える。そういう良い環境にあるわけだから、それを生かせばいいと思う。

 それに反してどうしても勉強する気になれず、大学へ行きたくないならそれもいいと思う。別に大学へ行かなくとも今の世の中はどうにでもなる。私も高校時代、一緒にラグビーをやっていた同期のうち2人だけ大学へ行かなかった。卒業直後はどうするんだろうという状態だったが、今では2人ともサラリーマンである我々よりもしっかりと稼いでいる。1人は業界では著名人だし、もう1人は会社社長だ。大学へ進学するよりはるかに優秀な成果を上げている。
 
 世の母親たちがバカみたいに受験、受験と我が子を急き立てているが、結局「安定してはいるがそれだけ」のサラリーマンになるだけとも言える。一流企業に入ったとしても、所詮サラリーマンだ。中には立派に出世する人もいるだろうが、大半はそこそこの地位で終わるのだろう。進学しないとろくでもない人間になる可能性もあるが、一応進学校を出ているような者なら何とかなる可能性の方が高いと思う。その娘さんも何とかなるだろう。

 ただ、一言言うなら、「目の前のことを一生懸命やった方がいい」ということである。さすがにプラプラしているだけで何とかなるほど甘くはないと思う。アルバイトをしているなら、それを一生懸命やることだ。「時給以上に働く」「自分を雇って良かったと思われるように働く」という意識があれば十分だろう。そこから誰かの目に止まったり、縁があったりして次の道が開けていくかもしれない。

 将来が見えない若者時代は、しばし先行きに不安を持つものだと思う。自分もそうであった。精神科に行くほど気を病むその娘さんもそうなのかもしれない。ただ、言ってあげたい。「それは病気ではない」と。「健全な悩みなのだ」と。その経験はいつかきっと役に立つかもしれない。それは自分自身にとってかもしれないし、あとに続く弟かもしれないし、いずれ生まれてくる自分の子供かもしれない。その時、自信をもってその体験を伝えてあげられるはずである。
 
 もともとこの世の誰であろうと安定した道などというものはない。一流企業に入ってもJALのように倒産する例もあるし、大学へ行かなくても高級車に乗れる身分になれる。不安はあっても前に進んでいくしかない。魯迅ではないが、目の前に道はなくとも自分の歩いてきたところが道になるのである。だから今は苦しいことは考えず、自分の目の前の事を一生懸命やればいいと思う。

 「大丈夫だよ」と伝えたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 しょぼい起業で生きていく - えらいてんちょう どんな人も思い通りに動かせる アリストテレス 無敵の「弁論術」 - 高橋健太郎





2019年4月14日日曜日

ラグビー

『ラグビーは少年をいちはやく大人にし、大人にいつまでも少年の魂を抱かせる』
ジャン・ピエール・リーヴ(元フランス代表FL)
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 週末にシニアのラグビーチームで汗を流すのがすっかり恒例となった。1週間に1度ではあるが、みんなでボールを追うのは今更ながら楽しいものである。ラグビーを始めたのは高校時代。当時一年上に知り合いがいて、突然やりたくなったのである。まだ一般的なスポーツとは言えず、経験者も少ないことから、みんなが同じスタートラインから始められるというのも背中を押す一因であった。
 
 その後、大学、社会人とプレーし、30代に入ってから次第にフェイドアウトしていった。子供が生まれたという要因も大きいし、何より加齢による筋力・体力の衰えと練習時間の減少により怪我のリスクがだんだん大きくなっていったこともある。それはそれで仕方ないことでもあり、自然とラグビーは「やるスポーツ」から「観るスポーツ」へと変化していったのである。
 
 それが再び「やるスポーツ」になったのは、四、五年前に大学のシニアチームに誘われたのがきっかけである。そろそろ運動不足もなんとかしたいし、かといって黙々と走るジョギングは好きではないし、なら人工芝グラウンドの上でボールを持って走るのも悪くはないと考えたのである。その時は試合をしようなどという気はサラサラなく、既にシニアチームで試合をしていた先輩から誘われたものの、断っていたくらいである。

 そうして始めたが、やはりジョギングよりははるかに楽しい。ボールを持って走り、パント(要はキックである)を蹴る。息も切れるし汗もかく。いい運動であることは間違いない。現役時代は楽に勝てていた同期についていけないこともショックで、きちんと練習に参加するようになったのである。もともと運動することは嫌いではないし、むしろ体を鍛えるのが好きな方だから自然に再開できたと言える。

 そうして次第に体が動くようになってくると、月に一回の練習ペースでは物足りなくなり、高校時代の先輩の伝手を辿って別のチームに参加するようになった。毎週練習に参加し、現役時代慣れ親しんだフォワードから新たな挑戦としてバックスへと転身し、体を動かすだけではなく、新しいポジジョンを習得すべく頭も使う。YouTubeもフルに活用して技術を磨く。そしてその流れで試合にも参加するようになったのである。

 シニアの試合は「安全第一」の試合ルールを採用している。若手の頃のようなハードなあたりは、ただでさえ怪我しやすい衰えた体には危ない。そこで「自分より上の世代に対するロータックル(腰から下へのタックル)は禁止」「スクラムは組むだけで押しあわない」のようなルールを作っている。それをわかりやすくするために、40代より下は白、50代は紺、60代は赤、70代は黄色、80代は紫と年代別にパンツの色を分けている。加減色が強くなるのは赤パンツからであり、紺パンツまでは一応ロータックルありのルールとなっている。50代の私は紺パンツであり、したがってまだまだロータックルありのルールである。

 先週末はその試合があり、私も参加した。相手チームには大学の先輩後輩がいて、こういうのもなかなか面白い。試合の方は残念ながらチームに実力差があって防戦一方。私もボールを持ってのアタックより、相手を止めるディフェンスばかりの試合であった。試合が終われば肘や膝はすり傷に血が滲み、腰には打撲、さらには全身の筋肉痛が加わり、翌日は大変な状態であった。
 
 若いうちならいざ知らず、50代も半ばになってなんでこんな痛いスポーツをやるのだろうかと自分でも思う。テニスとかゴルフとか、年齢に相応しいスポーツは他にもある。そうではあるけれど、ボールを持って走り、相手の隙をつくパスをする。狙い定めてパントを蹴り、体から相手に当たる。走りこんできた相手に思いっきり飛び込んで倒す。無我夢中のひと時は何事にも変え難い面白さである。かつての充実感が蘇ってくる。

たとえ痛くとも、そこには他には変えられない楽しさがある。観るのも面白いが、ラグビーはやっぱりやる方がもっと面白い。昔はチームの勝利という大目的があったが、今は純粋にプレーを楽しむのが大目的である。相手チームも倒すべき相手というより、一緒に楽しむ仲間という感じである。何より、相手がいないと試合はできないし、メンバーが集まらなくても然り。ラグビー経験者でも年をとったら引退してしまう人が大半であり、そう考えると、いい年してまだラグビーをやっているのは貴重な存在であると言える。

この充実感をいつまで続けられるだろうか。我らがシニアチームは、赤パン、黄色パンの人たちが中心である。となればまだまだ楽しむことはできるということである。練習が終わった後にビールを飲みに行くと、一緒に練習している先輩たちからは、「君も早く赤パンになれ」と言ってくれる。ありがたいが微妙な心境である。今は何者にも変え難いこの週末のひと時。いつまでも楽しめるように、心と体を鍛錬し続けたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか - 山本 崇雄 沈黙のパレード (文春文庫 ひ 13-13) - 東野 圭吾




2019年4月10日水曜日

論語雑感 八佾第三(その22)

〔 原文 〕
子曰。管仲之器小哉。或曰。管仲儉乎。曰。管氏有三歸。官事不攝。焉得儉。然則管仲知禮乎。曰。邦君樹塞門。管氏亦樹塞門。邦君爲兩君之好。有反坫。管氏亦有反坫。管氏而知禮。孰不知禮。
〔 読み下し 〕
()()わく、(かん)(ちゅう)(うつわ)(しょう)なるかな。(ある)ひと()わく、(かん)(ちゅう)(けん)なるか。()わく、管氏(かんし)三帰(さんき)()り。(かん)(こと)()ねず。(いずく)んぞ(けん)なるを()ん。(しか)らば(すなわ)(かん)(ちゅう)(れい)()れるか。()わく、邦君(ほうくん)(じゅ)して(もん)(ふさ)ぐ。管氏(かんし)()(じゅ)して(もん)(ふさ)ぐ。邦君(ほうくん)両君(りょうくん)(よし)みを()すに反坫(はんてん)()り。管氏(かんし)()反坫(はんてん)()り。管氏(かんし)にして(れい)()らば、(たれ)(れい)()らざらん。
【訳】
先師がいわれた。
「管仲は人物が小さい」
するとある人がたずねた。
「管仲の人物が小さいとおっしゃるのは、つましい人だからでしょうか」
先師がいわれた。
「つましい? そんなことはない。管仲は三帰台というぜいたくな高台を作り、また、家臣をおおぜい使って、決して兼任をさせなかったぐらいだ」
「すると、管仲は礼を心得て、それにとらわれていたとでもいうのでしょうか」
「そうでもない。門内に塀を立てて目かくしにするのは諸侯の邸宅のきまりだが、管仲も大夫の身分でそれを立てた。また、酒宴に反坫を用いるのは諸侯同士の親睦の場合だが、管仲もまたそれをつかった。それで礼を心得ているといえるなら、誰でも礼を心得ているだろう」
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今回は珍しく孔子が人を批判しているものである。管仲という人物は、孔子より170180年前の人物で、斉という国の桓公を補佐して春秋戦国時代に最初の覇者にした名宰相らしい。そんな名宰相たる人物を批判するのかという気もするが、その批判の内容を見てみると、どうも「分をわきまえなかった」ということがその批判の元らしい。そう言えば、孔子は「分をわきまえる」ということを重視するようで、その前にも「分をわきまえない」ことに対する批判があった(八佾第三その1)。孔子の価値観からすると、「分をわきまえる」ということは大事なことだったようである。

その管仲であるが、なぜ分をわきまえなかったのだろう。詳しい事情は知る由もないが、現代でも優秀なNo.2がトップを差し置き、勝手に振る舞うということはよくあることだろう。「俺が支えている」「実質的に(組織などを)動かしているのはオレだ」という意識があったりすると一歩下がるということを忘れたりする。分を超えて諸侯のように振る舞ったのもそういう意識があったに違いない。

組織にとって優秀なNo.2がいることは大事なことだと思うが、No.2はやっぱりNo.2であって、そこははっきりとトップとは違うという意識が大事だろう。それができるかどうかが、本当に優秀なNo.2であるか否かの分かれ道なのかもしれない。人間にはどうしてもマズローの欲求五段階説で言う「承認欲求」があるから、優秀な実績を認めて欲しいという思いがある。そのレベルで止まればいいが、トップのように振る舞うという形で「自己実現の欲求」までいってしまうのだろう。

管仲が門内に塀を立て、酒宴に反坫を用いていた時、桓公は何を考えどうしていたのだろう。実力のあるNo.2がいる場合、トップが負けず劣らず優秀なら問題はないが、そうでない場合は「何も言えない」ということもあるだろう。内心、苦々しく思っていたかもしれないが、それを本人にいうことはできなかったかもしれない。ヘソを曲げられても困ると思えばなおさらであろう。そしてそういう対応がまたNo.2を増長させたりする。

戦前の日本では、天皇陛下が主権者で現人神とされていたが、実際の政治は内閣が行っていた。天皇は自ら判断せず承認するのみであったが、マスコミと世論の後押しを受けた軍部が暴走していったのも、「優秀なNo.2」の傍若無人な振る舞いと同じだと言えると思う。抑えられないトップが情けないのか、思い上がるNo.2が悪いのか、その両方かもしれない。

家庭でもいい奥さんは巧みに旦那さんを立ててうまく動かしているだろう。そんないい奥さんは羨ましい限りだが、組織において影の存在としてそれでいて組織を動かしていくのが真に優秀なNo.2だと思う。人間の持つ承認欲求をどう抑えていくかは難しいが、私も会社では一応No.2だし、そんな優秀なNo.2を目指したいと思う。残念ながら家庭では存在感の薄いトップだが、それも致し方ない。家でも会社でも黒子として尽力することで自己実現の欲求を満たしたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 活きる力 - 稲盛 和夫 沈黙のパレード (文春文庫 ひ 13-13) - 東野 圭吾





2019年4月8日月曜日

祖先

先週末、富士見を歩きながら考えた。ところどころに残る自然を見てである。町中はそうでもないが、祖父母の眠る墓に向かうには、林を抜け、畑の中の道を通っていく。この景色は子供の頃からほとんど変わっていない。たぶん、父が子供の頃に見ていた景色とそれほど違わないと思う。道路が舗装され、ビニールハウスが目につくという違いくらいだと思う。おそらく、祖父も同じ景色を眺めていたのだと思う。

父や祖父が見ていたのと同じ景色を眺められるというのも何だか不思議な気がする。人は変われど、自然は変わらない。さらに曾祖父はどうだろうと思いは続く。さらにその上は、と。よく言われることだが、人には2人の両親がいて、4人の祖父母がいる。曾祖父母は8人であり、その上は16人。自分には一体何人の祖先がいるのだろうかと思考は飛ぶ。16人の先は32人。その上は64人。さらに128人、256人、512人、1,024人と続く。

どこまで遡れるのだろうかとふと思う。一世代25年として、1,024人の祖先がいたのは10世代前なので25×10250年前、ちょうど徳川幕府10代将軍家治の時代であり、田沼意次の時代である。さらに4世代100年遡ると祖先の数はなんと16,384人となる。さらに4世代100年遡ると祖先の数は262,144人。驚異的な倍々ゲームである。さらに4世代100年前だと4,194,304人。応仁の乱の時代の我が祖先は4百万人もいたというのは俄かには信じがたい。

そのまま続けると、さらに4世代100年前には67,108,864人となる。ここまでくるとブレーキがかかる。そもそも南北朝時代の日本の人口がどのくらいだったかはわからないが、江戸時代末期の人口が3,000万人と言われていることを考えると、この時代の人口ははるかに凌駕した数字になってしまう。ここまで遡ると理論的にはすべての日本人がみな我が祖先ということになる。もちろん、実際には重複もあるだろうし、そもそも今と違って移動も徒歩が主流だったことを考えると地域間の移動も限定的だっただろうし、したがって祖先のエリアも限定的だったはずで、すべての日本人が祖先ということもないだろうとは思う。

ただし、親なくして子はないわけであり、ルーツは必ず辿れるわけである。日本人のルーツは、さらにそのルーツはと辿っていけば、およそ700万年前に誕生したとされる人類のルーツにまでたどり着いてしまうのだろう。「人類はみな兄弟」という標語もまんざら嘘ではないわけである。そんな祖先を延々と辿って想像していくのも面白いが、やっぱり会ったこともないご先祖はあまり親しみを感じられない。富士見の伯父の家にある写真と、墓石に名前のある曾祖父までが実感として感じられる限界である。

そんな祖先に想いを馳せていると、まだこの地に来たことのない我が子に想いが及ぶ。子供たちはこの地に何の感慨も覚えないであろう。将来、孫ができるのかどうかわからないが、もしも孫、ひ孫と続いていくとしても、その頃にはいずれ富士見の地も意識されることなく忘却の彼方へと追いやられてしまうのだろう。曾祖父からの一族が眠る墓も子供のいない従兄の代で絶えてしまうと、あとは無縁墓地化してしまうのだろう。何となく寂しい気もするが、4世代も後になればもう誰もそんなこと気にする者はいなくなって歴史の中に埋もれてしまうに違いない。

私の存在を記憶してくれるのもせいぜい孫の代までだろうか。長い歴史から見ると、我々が生きている時間なんてほんの一瞬だとあらためて思うのである・・・


富士見・祖父らが眠る墓地へ向かう道


【本日の読書】
 活きる力 - 稲盛 和夫 仕事にしばられない生き方 (小学館新書 や 7-2) - ヤマザキ マリ