先週は夏休みとあって、母を含む平均年齢80歳の三姉妹を連れて母の故郷の望月に墓参りに行ってきた。望月は母の実家、つまり祖父の家があった場所だが、私の目的はもう一つ。それは御代田の従兄を訪ねることであった。御代田は伯母が嫁いだ先で、今は代替わりして長兄が跡を継いでいる。そこの次兄が私と1歳違いであったことから、子供の頃よく一緒に遊んだものである。
きっかけは覚えていないが、御代田に初めて1人で行ったのは、記憶にある限り小学校4年の時である。当時は国鉄の時代。信越線の急行電車で3時間の距離であった(特急だともう少し早かったが、小学生の身では乗り換えが不安だったため避けたのである)。春と夏の休みを利用し、初回は高崎まで母が同行し、次は上野駅まで送ってもらい、その後は家から1人で電車を乗り継いで行くようになった。当時は年間で最も楽しみなイベントであった。
外観は現代風になったが駅構内は昔のまま |
廃校となった小学校は今は別施設 |
急行電車で上野から3時間かかった御代田だが、JRになった今はもっと南を新幹線が通り、近くの佐久平駅までなら東京から1時間ほどである。数えながら通った碓氷峠のトンネルを通ることはなくなり、今御代田の駅はしなの鉄道がローカル路線として今なお利用されている。ホームと駅舎、そして駅周辺は今だ当時のままである御代田駅。廃線よりはいいと思うが、雑草に覆われたホームには何となく郷愁が漂う。
さらに車では、その昔は国道を通って6時間くらいかかっていたのが、関越自動車道が開通し、さらに上信越自動車道が開通したため、今では2時間ほどで行くことができる。子供の頃ということもあり、当時は遥遠くに感じられた御代田だが、今は随分と近くなった。もっと頻繁に行こうと思えば行かれるが、従兄も私も互いに家族を持つとなかなか遠慮があっていつでも好きな時にというわけにもいかなくなっている。
みんなで野球をし、プール遊びをし、公民館での盆踊りや町営グラウンドでの花火大会、のどかな田園風景の中で朝から晩まで遊んでいたのは、本当に楽しい日々であった。行けば2週間ほど滞在していたが、楽しい日々はあっという間に過ぎ、田舎の事だから20日過ぎには従兄も夏休みが終わってしまう。東京へ帰る朝は切なくて伯母さんに見送られての駅までの道のりは涙がこぼれそうだったのを今でも覚えている。
あの頃と比べると、伯母の家の周辺も随分と様変わりしてしまった。けれども行くたびに、そして帰り道につくたびに、「また来たい」と思うことには変わりがない。今回も母ら三姉妹のおしゃべりを聞きながら、「また来たい」と思った。親孝行の墓参りにかこつけて、また来年も母らを伴って行こうと改めて思ったのである・・・
【本日の読書】
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