2017年8月2日水曜日

御代田

 先週は夏休みとあって、母を含む平均年齢80歳の三姉妹を連れて母の故郷の望月に墓参りに行ってきた。望月は母の実家、つまり祖父の家があった場所だが、私の目的はもう一つ。それは御代田の従兄を訪ねることであった。御代田は伯母が嫁いだ先で、今は代替わりして長兄が跡を継いでいる。そこの次兄が私と1歳違いであったことから、子供の頃よく一緒に遊んだものである。

 きっかけは覚えていないが、御代田に初めて1人で行ったのは、記憶にある限り小学校4年の時である。当時は国鉄の時代。信越線の急行電車で3時間の距離であった(特急だともう少し早かったが、小学生の身では乗り換えが不安だったため避けたのである)。春と夏の休みを利用し、初回は高崎まで母が同行し、次は上野駅まで送ってもらい、その後は家から1人で電車を乗り継いで行くようになった。当時は年間で最も楽しみなイベントであった。

 
外観は現代風になったが駅構内は昔のまま
車中の食事では、途中通過する高崎のだるま弁当と横川の釜めしとがあり、乗客はホームで売り子さんから購入していた。個人的には高崎のだるま弁当の方が好きであったが、限られた時間の中で駅弁を買うという行為は小学生には難しく、買って食べた記憶はあまりない。もっともまったくないわけではないので、中学時代には食べていたかもしれない。そして横川を過ぎると碓氷峠のトンネルを数えて軽井沢へ着き、そこからソワソワし始め、御代田駅のホームに電車が到着すると、気分はマックスを迎えたのである。いろいろと変わった御代田であるが、駅のホームはいまだ当時のままである。

 
廃校となった小学校は今は別施設
春は家の裏の空き地で従兄と野球をして遊び、夏は従兄の通う小学校のプールへ行った。この小学校は今はもう廃校になってしまったが、東京の小学校のプール手帳を提示するとそのままハンコを押して返してくれるという、誠にのどかな環境であった。周りには従兄の友人たちも多数いて、一緒に遊んでもらったものである。そんな経緯があったので、大人になった今でも、従兄の友人たちに会うと自然と当時の話ができるのである。
御代田駅のホームと列車とは今も当時のまま

急行電車で上野から3時間かかった御代田だが、JRになった今はもっと南を新幹線が通り、近くの佐久平駅までなら東京から1時間ほどである。数えながら通った碓氷峠のトンネルを通ることはなくなり、今御代田の駅はしなの鉄道がローカル路線として今なお利用されている。ホームと駅舎、そして駅周辺は今だ当時のままである御代田駅。廃線よりはいいと思うが、雑草に覆われたホームには何となく郷愁が漂う。

さらに車では、その昔は国道を通って6時間くらいかかっていたのが、関越自動車道が開通し、さらに上信越自動車道が開通したため、今では2時間ほどで行くことができる。子供の頃ということもあり、当時は遥遠くに感じられた御代田だが、今は随分と近くなった。もっと頻繁に行こうと思えば行かれるが、従兄も私も互いに家族を持つとなかなか遠慮があっていつでも好きな時にというわけにもいかなくなっている。

みんなで野球をし、プール遊びをし、公民館での盆踊りや町営グラウンドでの花火大会、のどかな田園風景の中で朝から晩まで遊んでいたのは、本当に楽しい日々であった。行けば2週間ほど滞在していたが、楽しい日々はあっという間に過ぎ、田舎の事だから20日過ぎには従兄も夏休みが終わってしまう。東京へ帰る朝は切なくて伯母さんに見送られての駅までの道のりは涙がこぼれそうだったのを今でも覚えている。

あの頃と比べると、伯母の家の周辺も随分と様変わりしてしまった。けれども行くたびに、そして帰り道につくたびに、「また来たい」と思うことには変わりがない。今回も母ら三姉妹のおしゃべりを聞きながら、「また来たい」と思った。親孝行の墓参りにかこつけて、また来年も母らを伴って行こうと改めて思ったのである・・・



【本日の読書】
 


0 件のコメント:

コメントを投稿