2009年9月5日土曜日

文化の違い

ランチタイムの社員食堂。
食べ終わると各自で食器を片付ける。
決められた場所には並ぶ順路が床に表示されていて、みんなきちんと並んで片付ける。
同僚がぽつりと呟く、「日本人はきちんと並びますよね・・・」。

かつて中国に赴任していたその同僚が語ってくれた中国人の姿は、現地ならではで興味深かった。中国人はまずきちんと列に並ばないそうである。マクドナルドなんかでも我も我もと押しかけ、受け付ける方も声のでかい人から注文を聞くらしい。私なんか、なかなか注文できそうもない。

かつてどこかのデパートが現地スタッフの忠告を無視して、トイレを誰でも使えるように開放したところ、あっという間に近所の人達が殺到し、トイレは故障しトイレットペーパーは根こそぎ持っていかれたという話を聞いたことがある。同僚に話したところ、「そんなのは当たり前」と語尾を強めた。彼も中国赴任中はトイレにバナナの皮を流され、もともと作りが悪いこともあって故障して大変だったと語ってくれた。それは女子トイレの話である。

ボーナス時には必ずひと騒動。みんなで比べあうから、必ず「何で私が○○より△元少ないのだ!」と半狂乱になって詰め寄られるらしい。隣の席の者が忙しくて髪の毛を振り乱して仕事していても、暇な隣人は自分の仕事ではないからと言って手伝おうともしない。朝からにんにく臭をたぎらせている。「かぁ~っ、ぺっ!」と勢いよく痰を吐く。
みんな女性の話である。

会社でシャワーに行く習慣のある中国では、仕事が終わったあとにすればいいものをわざわざランチタイムに行く。湯上りで髪も濡れたまますっぴんで窓口に平気で座る・・・

文化の違いと言えばそれまでなのだろうが、我々日本人にはなかなか受け入れにくいところがある。道端でまたを広げて座り込んでいる女子高生など実は可愛いものなのかもしれない。しかし、中国通のその同僚に言わせれば、仕方がないのだという。何せ13億という人口(しかも戸籍がない人達もかなりいるから実際には14~15億人と囁かれているらしい)。人が多すぎて、他人を押しよけないと生きていけないのだと言う。

確かにそうなのかもしれない。自分たちの尺度で相手を図る事は適切ではないのだろう。我々自身、中国に生まれていたら間違いなくそんな一人になっていたはずである。今はアメリカと並んでG2と言われるようになった中国。富裕層は日本人よりも多いらしい。そんな中国でも庶民レベルではまだまだ日本が憧れの社会だとの話も聞く。

我々の社会は、いろいろと批判されてはいてもまだまだ幸せな社会である。この国に生まれた幸福をもっと味わってもいいのではないかと思う。もちろん、更なる幸せを求める事は悪い事ではない。だが「もっともっと」と言う前に、足元をもう少し見つめてみる必要があると思う。少なくとも世をはかなんで自殺しなければならないほどではない。年間30,000人を越える自殺者の人達には見えない幸福に、もっとみんなが気付くべきだと思うのである・・・


【本日の読書】
「聖女の救済」 東野圭吾

     

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