シルバーウィークが明けてすぐの事、幼稚園に通う長男が何やら顔に引っ掻き傷を作って帰ってきた。何でも友達に引っかかれたとの事。幼稚園の先生に聞いたところ、喧嘩の原因は不明らしい。相手の子は理由を聞いても答えない(まあそういうもんだろう)。長男はと言えば原因を聞いても首をかしげている。正直わからないらしい。
おそらく、であるが長男の何かの言動が相手の気に触ったという事なのだろう。長男はそれが相手の気に触るなどとは想像もしていなかったのだと思う。だから相手が怒って掴みかかってきても、びっくりするだけだったのだろう。そういう事だとすれば、その気持ちはよくわかる。
私も突然妻が不機嫌になる事があり、それがどうやら私の言った何気ない一言が原因だったりする事があるからである。どこをどう解釈したらそんなひねくれた解釈ができるのかといつも不思議でならない。コミュニケーションは難しいのである。
さて、そんな長男であるが、やられた後にやり返さなかったらしい。「偉いんだよね」とママに褒められていたが、私としてはどうも素直に褒める気になれない。「やり返さなかった」のなら偉いと思うが、「やり返せなかった」のなら話は別だ。たかだか4歳で理性を働かせて「やり返さなかった」という事はないだろうから、「やり返せなかった」のではないかと思ってしまう。そうだとすれば問題だ。
何故なら女の子ならまだしも、男の子であればこういう場合はやり返さないといけない。「やり返せない」という事は「恐れ」の裏返しであり、要は怖くて出来なかったに他ならない。そういう恐怖は克服していかなければならない。かく言う私も中学生までは「やり返せない」タイプであった。つっぱりグループとは目を合わせないように逃げていた方だ。それを克服するのに随分と時間がかかった。
何も暴力を礼賛するわけではない。そうした恐怖心を抱えていると、それがその他の物事に対しても現れてしまうと思うからだ。いざという時に勇気を持って意見を言ったり何かをしたりする時に、躊躇する気持ちを乗り越えるのに必要だと思うからだ。これからいろいろな事が起こるに違いない。時として殴りあいになったとしても怯まず向っていけるか、は男の子にとって重要なファクターであると思う。
今回はどうやら思いもかけない相手の反応にびっくりして反撃の機会がなかったという事みたいだ。「やり返せなかった」と断じるのは早そうだ。いずれ「やり返さない」大切さも学んでほしいと思うが、まずは「やり返す」大切さだろう。「やり返さない」対応は、パパがママの理不尽な振る舞いに我慢している姿からいくらでも学べる。ただこれからしばらくの間、大きくなって理性によるコントロールを学ぶまでは、「やり返せる」男であるかどうかはきちんとみてあげたいと思う。
男の子はしっかりと鍛えたいと父親として思うのである・・・
【昨日の読書】
「ブラック・スワン(上)不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ
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