2016年6月15日水曜日

アラジン

劇団四季のミュージカル「アラジン」を観てきた。ミュージカルの観劇は、「赤毛のアン」以来だと思うが、実に久しぶりである。劇団四季のミュージカルは、基本的に良いと思っていて、機会があれば観に行きたいのであるが、チケットの取り難さと値段が少々お高いこともあって、ついつい先送りしてしまっていたのである。しかし今回、たまたま機会があったのと、興味のある内容でもあったのとで、重い腰を上げた次第である。

さて、会場の四季劇場「海」に着くと、例によってほぼ満席状態。2階席での鑑賞となったが、結果的にはこれも良かった気がする。初っ端からアラビアンナイトの衣装の人々が歌い踊りと、すっかり引き込まれていく。映画で観るとミュージカルはイマイチなのであるが、劇場で生で観るミュージカルは圧倒的な迫力。ストーリーそっちのけで楽しめるところがある。

そういえば、子供の頃、アラビアンナイトはどこか幻想的で夢の世界の憧れのようなところがあった。魔法があっても不思議ではなく、その後その感覚はアラブの砂漠の世界へと受け継がれ、映画『アラビアのロレンス』の世界に憧れのような感覚は繋がっていった。しかし今やその憧れの世界は血なまぐさいテロの世界と化してしまい、誠に残念である。

しかし、ミュージカルの中では、その感覚が蘇る。目まぐるしく舞台を行き交うのは出演者だけではなく、セットもまたしかり。よくよく観察していると、セットの動きも激しく、裏方のコントロールはさぞかし大変だろうと思う。そしてアラジンが魔法のランプをこすると、中からランプの精ジーニーが登場する。

これも舞台装置の動きで、地面から湧き上がるように登場し、雰囲気はばっちりである。ユーモア満載のトークでお客さんも楽しめるし、プロの仕事とはいえ「うまいものだ」と一人感心する。一応主人公はアラジンなのであろうが、このジーニーの存在感はそれをも上回るものがある。そしてジーニーはアラジンに3つの願い事を叶えようと申し出る。自分だったら何て答えるだろうかと、さっそく脳がフル回転する。

市場で泥棒をして暮らしていたアラジンがジャスミン姫と出会い、心を奪われ、ジャスミン姫に近づくためにジーニーの力で王子となる。本当の自分の姿を隠し、偽りの姿で相手に接し愛を告げるのであるが、それでたとえその愛が成就してもそれでいいのか。理想を言えばNoであるが、本当の姿ではそばにも近寄れないわけで、よくよく考えると実に哲学的な問題が突きつけられる。そしてラストでは思わず胸も熱くなる。ストーリーも感動的という意味では、『ウィキッド』と双璧をなすと言える。

久し振りに鑑賞した劇団四季であったが、大枚10,000円の価値は十分にあったと言える。こういうミュージカルに触れることは、人生を豊かにもしてくれると思う。観に行くまでは面倒が多いものの、その価値はある。

次回は何を観ようか。改めて楽しみにしたいと思うのである・・・


















【本日の読書】
フェルドマン博士の 日本経済最新講義 - ロバート・アラン フェルドマン, Feldman,Robert Alan 新装版 銀行総務特命 (講談社文庫) - 池井戸潤  






    

2016年6月12日日曜日

仕事は楽しく

仕事には面白い仕事のやり方と面白くない仕事のやり方がある
大前 健一
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今は、日々「仕事が楽しい」と思って通勤している。以前は、「金曜日の夜」が一番好きだったが、今はそれに加え「日曜日の夜」も好きなひと時である。明日からの仕事を控え、今週は「あれもしようこれもしよう」と考え、至福のひと時と言ってもいいかと思う。

そんな私も、初めからそうだったわけではない。バブル真っ盛りの1988年春に、今はもう名前が変わってしまった都市銀行に入行し、八王子にある支店で銀行員生活をスタートさせた頃は、最初から面食らうことばかりであった。新入行員は朝早く行って仕事の準備をし、やることもないのに毎日サービス残業。と言っても、セキュリティの関係で8時には支店を閉めていたからまだマシだったと思うが、職場にいる時間は長くて耐え難いものであった。

仕事帰りに上司や先輩に連れられて飲みにいき、休みの日にも「親睦」という名の支店行事が花咲りであった。仕事中も何かと嫌味っぽいモノ言いをされたりして、毎日机の下でこぶしを握りしめる日々であった。理不尽な仕事のノルマも嫌だったし、営業は「気合と根性」という時代。日曜日の夜なんて、まるで死刑前夜の気分であった。

そういう時代であったと言えばそうも言えたと思うが、やはり一段と輪をかけていたのは、「仕事をやらされていた」という部分が大きい。まぁ新入行員は、何をやるにしても指示してもらい、教えてもらわないと何もできない。当然、指示されても期待レベルとは程遠い仕上がりであっただろうし、指導も丁寧とは程遠く、直属の上司は「仕事は盗むもの」と公言していたほどであるから尚更であった。

そんな中で、初めて任せてもらえた仕事は、融資課新入行員の登竜門でもあるカードローンの担当と、面倒で誰もやりたがらない住宅金融公庫の取り扱い業務だった。住宅金融公庫業務など手続きはほとんど決まっているが、それでも工夫の余地はあって、独自に進捗管理表を作成し、どの案件がどの段階か誰でも一目でわかる工夫をするなどをしていたが、その部分は楽しかったものである。

その後、あちこち転勤し、担当先を持って「自分の仕事」が増え、楽しみも増した。しかし、やっぱりどこに行っても苦しんだのは「人間関係」だ。当時から合理的に考え、納得すれば動けるが、納得できないと動けないという性格が邪魔をして、日々不満の毎日だった。理不尽なノルマも嫌だったが、上司や取引先課に振り回されて泥水をかぶることも多かった。

国立支店の時のこと、親密先の不動産業者から住宅ローンが持ち込まれ、私が対応した。内容的にとても審査が通らないと、早目に先方に減額になるだろうと見込みの回答を伝えた。ところが納得いかない先方は、私の上司に「なんとかならないか」と頼みに来た。上司は安請け合いすると、私の反対も聞かず、強引に本部の審査に回した。ところが案の定、減額の裁定。すると「今度は審査を通せなかった」と私を叱り、挙句にお客様のところへお詫びに行かせた。最初の段階で減額のまま押し切ればお客さんも時間を無駄にしなくて済んだのである。

今の私があの時の上司の立場であれば、担当の意見をよく聞き、一応審査を通す努力をする一方、減額の可能性も踏まえて事前に手を打っておくだろう。まぁ上司も人間であり、それぞれ能力もある。今の私のレベルと比較するのも酷であろう。今の私も諸々の経験を経て今の自分にたどり着いたわけだからである。

考えてみれば、サービス残業しかり、仕事で徹夜したり、オーバーワークになったりというのもある程度は成長する上で必要な経験とも言える。よく「ブラック企業」などと言われるが、スポーツで楽な練習ばかりしていては強くなれないのと同じで、ハードワークもある一定の時期は必要である。理不尽な人間関係も今となってはいい経験だったと言える。

しかし、今はもうそんな「いい経験」は不要だし、自分の会社でもしたくはない。当然一緒に働くみんなにもさせたくない。願わくば、社員全員が「日曜日の夜は楽しい」と思えるようになってもらいたいと思う。まぁ、そこまでいかなくても、少なくとも「日曜日の夜は憂鬱」とは思わないようにしてあげたいと思う。

これから残り少なくなっていく「仕事人生」。向かい風がないと飛行機は飛び立てないのと同様、少々の困難はあってもいいだろう。そんな向かい風をも楽しみつつ、残りの「仕事人生」をエンジョイしたいと思うのである・・・



【今週の読書】
成功するイノベーションは何が違うのか? - ネイサン ファー, ジェフリー ダイアー, 新井 宏征 あの日にドライブ (光文社文庫) - 荻原 浩 新装版 銀行総務特命 (講談社文庫) - 池井戸潤








2016年6月8日水曜日

『マイ・インターン』に見るシニアの働き方

毎週末、映画を観ることを至上の楽しみとしている私だが、先週末はロバート・デ・ニーロ、アン・ハサウェイ主演の映画『マイ・インターン』を観た。映画の感想はブログ(『マイ・インターン』)に譲るとして、ビジネスマンとしていろいろと感じるところがあったのでそれを記したい。

 主人公は、70歳になるベン。長年電話帳製作会社に勤めたあと引退。ところが奥様に先立たれ、悠々自適の日々もそれに物足りなくなる。社会との関わりを求め、社会貢献の一環でシニアのインターンを募集していた会社に応募し、採用となる。配属は、創業社長のジュールズの直属の部下。ジュールズは、若い女性ながら、ネットのファッション企業を創業し、今や社員数220名を誇る会社の社長。家族は専業主夫の夫と娘というすべて時代の先端を行く存在。ベンとのギャップがまた映画の見どころでもある。

 このベンであるが、その働き方が実に示唆に富んでいる。電話帳製作会社で部長まで務めたというが、偉ぶるところがなく、年下のしかも女性のジュールズによく仕える。最初こそ指示もなく「放置」されるが、いつの間にか周りの人に頼られる存在になっており、やがてジュールズにも頼りにされる働きぶりを発揮する。

 私も銀行員時代、ある期間子会社に出向していたことがある。そこでは、私のように若手の出向行員と、銀行の第一線を退いて転籍した元行員と、中途採用のプロパー社員が混在していた。隣の部署は転籍社員のグループで、ある時そこの担当者に依頼することがあって話をしに行った。その方は大ベテランの転籍組。私の依頼をめんどくさそうに聞くと、「そういうことは部長を通してくれ」と言うと、言うが早いか「部長、ちょっと」と部長を手招きした。ちなみにその方は職責上はその部長の「部下」である。

 上司である部長を自分の席に呼びつけるなんて普通はあり得ない。だが、そこではそれが「普通」だった。そうした大ベテランの人たちは、銀行内では出世できずに転籍していて、年下の部長が彼らを束ねているのである。さすがに大ベテランは仕事は良く知っているので、部長も機嫌を損ねたくないから腫れ物に触るような対応である。見ていてあまりいい気はしないし、自分はそうはなりたくないと思ったものである。何より、そこでは通用するだろうが、他所では絶対通用しないだろう。

 年を取るといろいろと経験も積み、若い人のアラが目につくようになる。ついつい「上から目線」になりがちである。しかしながら、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ではないが、謙虚さは失ってはいけないと個人的には思う。少なくとも自分は保っていたい。映画ではあるが、ベンは同僚の若者たちとうまく歩調を合わせ、上司のジュールズには謙虚に部下として接し、部下としての役割を果たす。しかしながら細部に長年培ってきた経験が滲み出る。これが、シニアの働き方の見本ではないだろうか。

 本当に人格とビジネスマンとしての経験があれば、それは自ずと仕事をしていく上で現れるもので、部下として年下の上司に仕えていても、自然と周りの尊敬を集められるものであろう。そしてそれは、自席に部長を呼びつけるよりもよほど大きなものであろう。ジュールズの会社では、ネットベンチャーらしく社員はみんなカジュアルな服装だが、ベンは長年慣れたスーツにネクタイ姿で出勤する。その姿には、流行についていけない老人というよりも、己の信念と拘りを体現した威厳に満ち溢れている。

 いずれ自分もシニアとなる。その時の立場がどうなっているかわからないが、その時は大きな態度よりも内からにじみ出る威厳で周りの人たちの尊敬を集められるようにしたいと思う。そのためには、常にアンテナを張り巡らせ、自分の世界を広げる努力をし続けるとともに、誰にでも学ぶ謙虚な姿勢が必要だろう。自分より若い人には、ついつい物足りない部分に目が行きがちであるが、その人の持っている優れている部分もあるはずで、そういう部分から学べるようでありたいと思う。

 いつか自分でこれを読み返すかもしれず、白髪の頭を撫でながら(撫でる白髪が残っていればの話だが)、反省することのないようにしたいものである。そうして若者たちの間で、元気に働く。「ソウイウシニアニ ワタシハナリタイ」と思うのである・・・





 【本日の読書】
成功するイノベーションは何が違うのか? - ネイサン ファー, ジェフリー ダイアー, 新井 宏征 あの日にドライブ (光文社文庫) - 荻原 浩