2015年12月27日日曜日

男か女か

性同一性障害の会員が提訴 スポーツクラブで男性扱い
性同一性障害で女性への性別適合手術を受けた京都市の40代経営者が25日、男性としてフィットネスクラブを利用するよう求められ、人格権を侵害されたとして、運営するコナミスポーツクラブ(東京都品川区)に慰謝料など約470万円の損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こした。訴状によると、経営者は性同一性障害の診断を受け、昨年3月に女性への性別適合手術を受けることが決まった。しかし手術前、京都府内のクラブで男性用の更衣室以外を使えるよう配慮を求めたところ、「戸籍を変えないとだめ」と店長の意向を伝えられた。
共同通信 2015年12月25日
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最近、日本でもいわゆるLGBTの人たちの権利が認められるようになり、渋谷区では結婚に相当する証明書を発行してもらえるなど、世の中はマイナーな人たちにも住みやすくなってきているのだと思う。それにしてもこの問題はどうだろうと考えてしまう。詳しい状況はわからないが、上記の記事を読む限りスポーツクラブの対応は当然だろうと思う。「性別適合手術」がどんなものかわからないが、手術前であったということは、外見上は男だったと考えられる。であれば、いくら「心は女」と言っても、認められないだろう。

まず本当に心は女だったとしても、体が男である以上、「他の女性がどう思うか」を無視するわけにはいかないだろう。人によっては、「かまわない」と寛大さを示すかもしれないが、「嫌だ」という意見の人がいたらどちらを優先すべきかは明らかだ。それに「心は女のフリ」をする輩が出てくるとも限らない。それが簡単に認められるとなると、公然と覗きができてしまい、これもまずいだろう。結局、更衣室の利用については、「心よりも体」で判断するしかない。

では、手術を受けた後ならどうかといえば、これは体が女(になるのだろう)なのだから、これで判断してもいいと思う。逆に体が女の状態では、男の方は利用しにくいだろう。周りの利用者も戸惑うか、好奇心をそそられるか、いずれにせよ大注目の的となり、ご本人も居心地が悪かろう。ここで「戸籍で判断」したら、スポーツクラブにとって危険かもしれない。

性同一性障害については、ヒラリー・スワンク主演の『ボーイズ・ドント・クライ』という映画を思い出す。これは主人公の女性が、自分は男だとして振る舞うストーリーであった。男にしては華奢なのであるが、最後はバレて悲劇に見舞われる内容であった。世の中、そもそも男っぽい女も女っぽい男もいるので、外見だけでそれとはわからないかもしれない。この映画の主人公のように、初めから男だと振る舞われたらわからないだろう。

映画の主人公は、手術はしていなくて、服装だけでごまかしていた。こういう人は、スポーツクラブやましてや温泉などには行けないだろう。それはもう仕方ない。施設側だって、男用と女用しか作れないだろう。「心は女性の男」用と「心は男性の女」用とまで作るとなったら、費用も大変だし、そもそも見分けるのすら難しい。「心は男性の女」用を故意に偽って利用しようとする「身も心も男だが覗きのためならなんでもやる」男をどう排除するのかは、考えろという方が酷というものだ。

性同一性障害が、その名の通り「障害」であるならば、そもそも世の中は障害者にまだまだ優しくない。車椅子の人は温泉を利用しようと思っても大変だろう。もしかしたら、人手を煩わすのが嫌で諦めている人もいるかもしれない。本当ならそういう人が諦めなくて済む社会・施設を目指すべきであるが、費用負担も考えれば対応できない社会や施設を責めるのも酷だろう。

訴訟という手段に出た人が、一体どういう考えに基づいてのものなのかはわからない。よほど対応が悪かったのか、それとも社会にアピールすることが目的だったのか。いずれにせよ、今回のケースでは、スポーツクラブの方に同情してしまう。果たしてどんな判決となるのだろうか。マスメディアもきちんと結末を伝えていただきたいものである・・・


【今週の読書】
帳簿の世界史 (文春文庫) - ジェイコブ・ソール, 村井 章子 かもめのジョナサン【完成版】(新潮文庫) - リチャード・バック, 五木 寛之








2015年12月23日水曜日

正しく儲けよう

事業をやっていて、利益を出すことは重要なことである。何せ利益を出さなければ事業は存続できないし、それはすなわちそこに携わる者も食べていけないということになる。あまりにも当たり前すぎる理屈ではあるが、問題は「利益を出すのは難しい」ということである。

世の中、ビジネスチャンスはいたるところに転がっている。利益を出すのは、それをただ単に拾えばいいだけのことで、実は簡単なこと。問題は、それを拾おうとするライバルが多いことだろう。新しい事業ではそうではないかもしれないが、既存の事業、特に我が不動産業界には当てはまる真実である。

3月決算の当社も、そろそろ来期の計画を練り始めている。新しい物件を購入し、一部採算の悪い物件を代わりに売却しようとして資産の見直しをし始めた。ところが、ある物件の簿価の高さが目に付いた。なぜこんなに高いのだろうかと疑問を呈したところ、もともと4区画の物件であったところ、先に売却した3区画で利益を出すために簿価を残りの1区画にしわ寄せしたのだとわかった。

つまり、簡単に言えばこう言うことだ。もともと1億円で買った土地を4区画に区分して、家を建てて3棟売却した。土地は4区画だから、1区画あたり2,500万円である。土地部分を3,000万円で売れば500万円の利益が出る。ところがこれを簿価2,000万円として申告して売った。売値は3,000万円で変わらないから、単なる帳簿上の操作であり、ここで500万円分余計に利益を捻出したわけである。その結果、1億円のうち2,000万円×3=6,000万円が売れたことになる。
残りは4,000万円だ。

しかし残っているのは1区画だけである。3,000万円で売れば、1,000万円の損が出る。もちろん、トータルでは損は出ていない(3,000×4=1億2,000万円)のであるが、足元が苦しくて利益を先に出してしまったが故に、そのツケが回ってくるのである。

また別のマンションの例では、簿価に占める土地の価格が高いものがあった。尋ねてみれば、「消費税を抑えるために、建物部分の価格を低くした」と言う。マンションを買う時には、土地部分いくら、建物部分いくらと内訳を申請する。消費税は建物部分にしかかからないから、同じ5,000万円のマンションでも、建物部分の割合が少なければそれだけ消費税が少なくて済む。

しかし、建物部分は減価償却ができるから、保有期間が長くなれば償却が進み、その結果簿価が下がって売る時には利益が大きくなるが、土地部分が大きいとそうはいかない。売っても(よほど値上がりしていれば別であるが、しばしば売りたいのはそういう物件ではない)利益は出ない。

銀行員時代から、小手先の下手な帳簿操作は後で首を絞めると取引先には戒めてきたが、改めてそれを実感している。そんなことをして表面上の利益を出しても、実力が伴わなければ意味はないし、後で帳尻を合わせることになる。と言っても、合わせるどころか、帳尻はマイナスにブレて合わないことが多い。東芝の不正会計事件がそのいい例である(もっとも我が社の操作は一応合法で不正会計ではない)。

「そうは言っても今期は利益を出さないわけにはいかない、赤字は出せない」
そういう言葉は銀行員時代幾度も聞いたが、結局そうして無理やり正当化してみても、あとで状況は確実にもっと悪くなる。歯を食いしばっても、正しく処理するべきなのである。

さて、そうは言っても、過去から続く現状は変えられない。利益状況を見ながらだけど、売るべきものは売らないといけないだろう。今後は正しいやり方を貫いていきたいと思うところである・・・


【本日の読書】
帳簿の世界史 (文春文庫) - ジェイコブ・ソール, 村井 章子 昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー 671) - 半藤 一利