2015年12月23日水曜日

正しく儲けよう

事業をやっていて、利益を出すことは重要なことである。何せ利益を出さなければ事業は存続できないし、それはすなわちそこに携わる者も食べていけないということになる。あまりにも当たり前すぎる理屈ではあるが、問題は「利益を出すのは難しい」ということである。

世の中、ビジネスチャンスはいたるところに転がっている。利益を出すのは、それをただ単に拾えばいいだけのことで、実は簡単なこと。問題は、それを拾おうとするライバルが多いことだろう。新しい事業ではそうではないかもしれないが、既存の事業、特に我が不動産業界には当てはまる真実である。

3月決算の当社も、そろそろ来期の計画を練り始めている。新しい物件を購入し、一部採算の悪い物件を代わりに売却しようとして資産の見直しをし始めた。ところが、ある物件の簿価の高さが目に付いた。なぜこんなに高いのだろうかと疑問を呈したところ、もともと4区画の物件であったところ、先に売却した3区画で利益を出すために簿価を残りの1区画にしわ寄せしたのだとわかった。

つまり、簡単に言えばこう言うことだ。もともと1億円で買った土地を4区画に区分して、家を建てて3棟売却した。土地は4区画だから、1区画あたり2,500万円である。土地部分を3,000万円で売れば500万円の利益が出る。ところがこれを簿価2,000万円として申告して売った。売値は3,000万円で変わらないから、単なる帳簿上の操作であり、ここで500万円分余計に利益を捻出したわけである。その結果、1億円のうち2,000万円×3=6,000万円が売れたことになる。
残りは4,000万円だ。

しかし残っているのは1区画だけである。3,000万円で売れば、1,000万円の損が出る。もちろん、トータルでは損は出ていない(3,000×4=1億2,000万円)のであるが、足元が苦しくて利益を先に出してしまったが故に、そのツケが回ってくるのである。

また別のマンションの例では、簿価に占める土地の価格が高いものがあった。尋ねてみれば、「消費税を抑えるために、建物部分の価格を低くした」と言う。マンションを買う時には、土地部分いくら、建物部分いくらと内訳を申請する。消費税は建物部分にしかかからないから、同じ5,000万円のマンションでも、建物部分の割合が少なければそれだけ消費税が少なくて済む。

しかし、建物部分は減価償却ができるから、保有期間が長くなれば償却が進み、その結果簿価が下がって売る時には利益が大きくなるが、土地部分が大きいとそうはいかない。売っても(よほど値上がりしていれば別であるが、しばしば売りたいのはそういう物件ではない)利益は出ない。

銀行員時代から、小手先の下手な帳簿操作は後で首を絞めると取引先には戒めてきたが、改めてそれを実感している。そんなことをして表面上の利益を出しても、実力が伴わなければ意味はないし、後で帳尻を合わせることになる。と言っても、合わせるどころか、帳尻はマイナスにブレて合わないことが多い。東芝の不正会計事件がそのいい例である(もっとも我が社の操作は一応合法で不正会計ではない)。

「そうは言っても今期は利益を出さないわけにはいかない、赤字は出せない」
そういう言葉は銀行員時代幾度も聞いたが、結局そうして無理やり正当化してみても、あとで状況は確実にもっと悪くなる。歯を食いしばっても、正しく処理するべきなのである。

さて、そうは言っても、過去から続く現状は変えられない。利益状況を見ながらだけど、売るべきものは売らないといけないだろう。今後は正しいやり方を貫いていきたいと思うところである・・・


【本日の読書】
帳簿の世界史 (文春文庫) - ジェイコブ・ソール, 村井 章子 昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー 671) - 半藤 一利





     

2015年12月19日土曜日

名前とは

夫婦同姓「合憲」、女性の再婚禁止期間「違憲」 最高裁 
「規定自体に不平等なし」「国会で論ぜられるべき」など言及

夫婦の同姓義務や女性の再婚禁止期間を巡る民法の規定が憲法違反かどうかが争われた2つの訴訟の判決で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は16日、夫婦別姓を認めない規定は合憲、女性は離婚後6カ月以降でないと再婚できないと定めた規定は違憲との初判断を示した。姓を巡る制度は「国会で議論されるべきだ」と指摘した。
日本経済新聞2015/12/16 16:24
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 以前いた職場でのこと、ふとしたきっかけで、同僚女性の「戸籍上の姓」を知った。
その時、ずっと独身だと思っていたその女性が、実は結婚していて職場では「通称」を使っているのだと軽い驚きをもって知った。
まぁこういうご時世だし、違和感はなかったのであるが、私が社会人になった頃にはありえなかったので、世の中の進歩を感じたものである。

 そんな「通称」では満足できなかったのが、今回の訴訟なのだろう。
個人的には「そこまでする?」という感じだが、そこまでする必要があると言われればそれまでである。我が家はといえば、結婚する時、妻は私の姓になることに、抵抗どころか喜びを感じているように感じられた(もっともそう感じただけかもしれない)。
個人的には夫婦別姓をする必要はないと思っている。
嫌なら籍を入れないという方法だってあるし、それだと「内縁」関係になって、法律上の保護が得られないとなりそうだが、それは遺書なりなんなり工夫でできるような気もする。

 アメリカなどでは両姓を名乗れるようで、その昔ファンだったファラ・フォーセット・メジャーズは、自身のもともとの名前は「ファラ・フォーセット」で、「メジャーズ」は旦那さん(リー・メジャーズ)の姓だった。
日本ではどうだろうかと考えてみるに、例えば「伊藤・佐藤太郎」なんてなったらおかしいし、別姓導入賛成派もたぶんそこまでは望んでいないだろう。

最近は「通称」も普通になってきたし、個人的には構わないような気もするが、結婚はともかく離婚して旧姓に戻った場合、いろいろ煩わしいことがあるようだし(たとえば離婚したのに、結婚して姓が変わったと勘違いされるとか・・・)、一概に「不要」とは言いにくものもある。
さらに「家名が途絶える」ということもある。

「家名」については、「家制度」の名残だろうが、代々続いてきた(その代々も実は怪しかったりするが)家名が途絶えてしまうという気持ちはわからなくもない。
事実、我が家も息子が生まれた時に思ったのが、「これで家名が存続する」だった。
今でも学生時代のラグビー仲間が奥さんの姓になっているし、そういう「家名存続」に対する思いは、我々日本人の根底にあるだろう。

夫婦別姓反対論者の意見として、「子供がかわいそうだ」というのがあった。
「兄弟で姓が違ったらかわいそうだろう」というものだが、それは説得力に乏しい。
というのも、それなら既に過去に大量に例があるからだ。
この夏に亡くなった伯父は、子供の頃、別姓だったという。
次男だった伯父は、どこかの知り合いの家が子供に恵まれず、養子になったというのである。
(その後どういう経緯で元の姓に戻ったのかは知らない)
今更「かわいそう」はないだろう。

夫婦別姓が認められたら、長男は「伊藤太郎」、次男は「佐藤二朗」、その下は「伊藤花子」なんてなるのかもしれない。
だが、一人っ子だったらと想像の翼を広げるときりがない。
夫の姓を名乗らせるならともかく、妻の姓にしたらなんとなく一悶着起こりそうな気がする。

そもそもであるが、今回の訴訟は、「民法の規定は違憲だ」という内容であった。
違憲か否かと問われたのが争点なのだが、そう聞かれれば、「合憲」というのもおかしなことではない。それよりもアプローチを間違えてないかという気がする。
「憲法解釈」で訴えたるよりも、ズバリ法改正を訴えるべきではないかと思うのである。
誰か理解のありそうな女性議員を説得し、「民法改正」というアプローチを目指した方が、正道な気がする。

考えればこの問題きりがない。
ただ、「別にいいんじゃないの今のままで」という私のような意見は、「男の側からの意見」である。それを切実に必要だとする人がいるなら、否定するのも違う気がする。
そもそもこの問題が出てきた背景にあるのは、やはり女性の社会進出だろう。
そうした女性たちが「必要だ」というのであれば、認める方向に持っていくべきなのかもしれない。


「伊藤佐藤太郎」はともかくとして、夫婦が話し合って決めるのであれば、その自由に法律のサポートがあっても良いかもしれないと最後に思う次第である・・・

【今週の読書】