2026年5月20日水曜日

改めて印鑑について思う

 昨年、我が社では社内の書類に関して原則捺印不要にした。もう役所でも印鑑不要となってきており、印鑑の意味を考えて「やめるべし」となったのである。それ以前は、入社時に総務部で印鑑を預かり、必要に応じて社内文書に限り「代印」していたのである。それに何の意味があるのかと異を唱え、印鑑廃止に至った次第である。その他、社内稟議の電子化もあり、印鑑を使う機会は少なくなっている。とは言え、まだ社内には一部「紙」の回覧が残っており、それに対する専用の(日付の入った)承認印は使っている。

 そもそも印鑑の意味は何かと考えると、広く世の中では「実印」と「銀行印」とが「本人確認」という意味の不動の役割を担っている。本来はそういうものだろう。なのでいわゆる「認印」にはあまり意味がない。我が社でも認印を預かって総務部で必要に応じて「変更届」などに代印していたが、本人が押さないものに何の意味があるのか。例えばトラブルになった際、「自分で認めたでしょう」とは言えない。否、書類を本人から提出を受けた時点で本人も認めているわけであり、印鑑のあるなしは関係ない。廃止も当然である。

 我が家では(だいぶ認知能力が衰えた老親ゆえに)、銀行印が見当たらないと言う父に母が「そこにある印鑑を持っていけば」と言っていたが、何の印鑑でもいいというわけではないのは当然である。取引の最初に銀行に届けることによって、「その銀行でのみ」本人が確実に(例えば出金などの)意思表示として行為したという証になる。認印では「本人の行為」と銀行も言えない。実印は役所に登録することによって国がそれを認め、正式な証拠として「印鑑証明書」を発行してくれる。

 そうした本人確認以外に本来印鑑の意味はないはずである。印鑑がない場合、よく指紋を押すことがあるが、これの方がまだ「本人確認」の証にはなるが、どこでも手に入る三文判にはまったく押す意味はない。最近は郵便物の受取に印鑑を求められることが少なくなってきたが、我が家では長く玄関の靴箱の上に受け取り用の印鑑を常備している。しかし、それだといざ(届けた、届いていないという)トラブルになった時、「受取印があるから手渡した証拠だ」という抗弁になるのだろうかと思ってみる。たぶん裁判になったら勝てないのではないかと思う。「その印鑑はうちのではない」と言われればそれまでであるからである。

 仕事で迷うのは社判だろう。我が社には「実印」「銀行届出印」「角印」とがある。「角印」はいわゆる認印であり、気軽に押している。しかし、「実印」と「銀行届出印」については押した記録を残している。しかし、本来「銀行届出印」は銀行取引だけに使用すべきものだが、角印では何となくかっこつかない時に(そして実印を押すほどではない時に)押している。いつも疑問を感じつつ、それでもうまい解決策を思いつかないまま現状を続けているが、考えれば考えるほど迷ってしまう。

 我が国最初の印鑑と言われる「漢倭奴国王」印以来、我が国には印鑑文化が根付いている。それは悪いことではないと思うし、個人的には欧米のサイン文化よりいいと思う。しかし、どうも「認印」だけは意味がわからず、悶々としてしまう。個人的には実印と銀行印と認印とを持っている。初めて手にした自分の印鑑は、高校の卒業記念にもらったもので、何か大人になった気がしたものである。それを銀行印にし、今もそれ以外には使っていない。

 実印を作ったのは社会人になってからで、母が知り合いか何かに頼んで作ってくれたものである。「象牙と木製(材質は忘れてしまった)とどっちがいい?」と聞かれて木製を選んだのである。当時まだ象牙取引は禁止されていなかったが、何となく象の事を考えて嫌だったため木を選んだのである。それは今でも実印として利用していて、考えてみれば使ったのは車を買う時と家を買う時、そしてそのためのローンを組んだ時、それと役員になった時くらいで、あまり使用していないなと改めて思う。

 実印も銀行印も使う機会は少ないものの、持っていたいとは思う。昨年引っ越した時も印鑑登録の変更は忘れずに行った。自分のアイデンティティの1つであると思う。認印も唯一、仕事では役に立っている。取締役会の議事録などには自分が手元で管理している認印を使っているが、それは唯一、「自分が間違いなく押した」と「自分でわかる証」としてである。数えてみれば印鑑は全部で4本ある。世の中的には意味のわからない認印ではあるが、自分としてはそれにきちんと意味を持たせつつ、押す機会が少なくなろうと、意味を持って印鑑を使い続けたいと思うのである・・・




【本日の読書】
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