2024年5月9日木曜日

経営マインド

 最近、会社では社長が「経営マインド」という言葉を意識して使用している。要するに「経営感覚を持て」という事なのであるが、そう言うという事は、「そういう状況」という事である。取締役から成る経営陣であるなら当然持っていて然るべきものであるが、悲しいかな、我が社ではどうも怪しい人がいる。これに対するのが、「サラリーマンマインド」であろうが、これならたくさんいる。というかほとんどの社員はそうだろうと思う。何が違うのかと言うと、1つにはその姿勢がある。「自分が会社を動かす意識」とでもいうのだろうか。サラリーマンマインドの人にはこの意識は希薄である。

 サラリーマンマインドの特徴とでも言えるのが、「我が物意識」かもしれない。例えば自分の家の中にゴミが落ちていたら、拾ってゴミ箱に捨てるだろう。しかし、会社では知らん顔する。自分の持ち物なら丁寧に扱うが、会社の物であれば粗雑な扱いになる。よく営業車があちこちぶつけて傷がついているのを見かけるが、自分の車ならもっと慎重に運転するのではないかと思う事がしばしばである。会社が儲かろうと損しようと、自分の給料がきちんと出るなら問題はないと考える。「我が物」でないから、極端な話どうでもいいとなる。

 当然ながら、会社は利益が出ないと社員の給料は払えない。しかしながら社員にはそこまでの意識は薄い。与えられた仕事をきちんとこなせば、給料がもらえるのは当然である。若いうちならともかく、役職が上がればそういうサラリーマンマインドでは困ってしまう。会社は社長だけがシャカリキになってもうまくいくものではない。1人1人の社員の奮闘が大事だが、1人でも多くの社員がサラリーマンマインドではなく、経営マインドをもって仕事にあたってくれれば、これに勝るものはない。きっと収益性の高い組織になるだろう。

 取引先との間で、新たなプロジェクトの打診があったが、現場の課長が「目一杯」と言って断ってしまった。経営陣は何とかして増収の道を探っている中で、それはないだろうと思わざるを得ない。その課長は確かに目一杯だったのかもしれない。だが、私がその課長であれば上司に相談して「こういう話があるから対応してくれ」と言うだろう。会社ベースで考えたら、「自分はできないけど、会社としてやるべきなので他の人に対応してもらってほしい」という発想に繋がるだろう。

 我が社は全社員に経営計画を提示して、「これを目指す」と宣言している。それがなくても、会社は収益を向上させなければならないものだし、管理職ぐらいであればそういう意識を持ってほしいものである。「自分」目線であれば、「忙しいし、面倒だし、何も自分がやらなくても、給料が上がるわけでもないし」となるだろうが、「会社」目線なら「やるべき」となって動くだろう。若手なら仕方がないが、ベテランの課長がそうだと愕然としてしまう。我が社はまだまだ課長レベルでの意識レベルが低いと言わざるを得ない。経営マインドとは程遠い。

 そんな経営マインドをどうしたら養えるのだろうか。リクルートなどはたぶん組織の末端まで浸透しているのだろうと思うが、我が社では管理職でさえこの有様である。怒っても身につくものではなく、意識を変えてもらう方法を懸命に探るしかない。もちろん、意識が高く、経営マインドの身についた課長もいるので、そこは救いである。個人個人の力量に任せていてはこの有様は変えられない。根気強く、まずは課長から教育していくしかない。そもそも、職人の世界は「いい仕事をしていればいい」という意識で終わりがちである。そこにまずは「収益マインド」を植え付けていくしかない。

 そこで始めは「我が物意識」だろうと思う。給料は「仕事をしていればもらえるもの」ではなく、「みずから成果を挙げて稼ぐもの」でなくてはならない。自分のチームの仕事が果たして採算が取れているのか、数字で把握、報告させて行くのが1つ。それぞれ数値目標をもっているので、その達成について問うていく(ただし、「詰める」のではない)。管理職レベルになれば、「自分の部下は自分が食わせる」という意識ぐらいはもって欲しいところである。それには常に採算を意識して稼がなければならない。

 ニデックの永守会長は、「能力の差は5倍、意識の差は100倍」と言っているが、この「意識の差」はとてつもなく大きい。ただ嘆いているだけではなく、少しずつでも働きかけていくしかない。中小企業は大企業と違って優秀な人たちばかりというわけではない。しかし、ダメ人間ばかりでもない。意識改革には時間はかかるが、根気よく伝えていくしかない。仕事は常に趣味ではなく「金を稼ぐ」ためにやっているわけで、採算も考えないといけない。「部下の給料を上げるのは自分」という意識を持ってもらいたいと思う。

 社長が1人で奮闘するだけではダメで、私も機会を見つけて語るようにしようと思う。上から目線でなく、本人が気づくように。きっと今までそういうトレーニングを受けてこなかったせいであり、であればこれからトレーニングすれば間に合うのである。新たなチャレンジとして、これからやりたいと思うのである・・・

PexelsによるPixabayからの画像

【本日の読書】
思い出せない脳 (講談社現代新書) - 澤田誠  安倍晋三 回顧録 - 安倍晋三, 橋本五郎, 尾山宏, 北村滋








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