半年に一度を目処に母親を温泉に連れて行っている。もうあと何年温泉に連れて行けるかわからない。せめてできる間にと思ってのことである。「孝行したい時に親はなし」とはよく言われる事。そうした古人の教えは自分に生かしたいと思うところである。今回は、親父も連れて双方の故郷巡りも兼ねての計画であった。両親は共に長野県の出身。親父は富士見。母は望月である。しかし、出発当日、実家を訪れると親父はのんびりしている。「支度は?」と聞くと、「俺も行くのか?」とのこと。先週念押ししておいたのに・・・
親父も母親も最近はもうろくが激しい。3分前の会話をまるで初めてのように繰り返すのは日常茶飯事。1週間前の話など無理であったか。前日、母には確認の電話をしたが、親父にもすれば良かった。母も先週は「親父のもうろくが酷いので置いて行けない」と私に言っていたのに、その母自身が父は行かないものだという前提で前日2人で話をしていたというからどうにもならない。当日のキャンセルはできない。せっかくだからと親父を説得するも、最後は行かないと癇癪を起こす始末。結局、諦めて母と2人で出発した。
まず訪ねたのは、道中にある伯母が入所する施設。伯父と仲良く入っている。2人は90歳と91歳の夫婦。伯母は耳が遠く、母と伯父と伯母の会話は同じ話が何度も繰り返される。自分も90歳になったらこうなるのだろうかと想像してみる。しかし、89歳で死んだ祖父はもっとしっかりしていたし、高校の90歳になるラグビー部の先輩は、今年もゴールドパンツ(90歳超の人が履くパンツ)を履いて元気に試合のキックオフのボールを蹴っていた。自分はそちらの方になると信じて精進しようと思う。
母は常々腰が痛いと言っている。医者に行ってもどうにもならない。背骨も曲がっているし、細胞レベルで劣化しているのだろう。数年前は温泉に入ると痛みが消えると言っていたが、もうその効果は無くなっている様子。しかし、それでも温泉に入って寝たら珍しく朝までぐっすりだったという(そういう私も夜中に一度もトイレに起きなかった)。やっぱり普通のお湯と違って何らかの効能が温泉にはあるのかもしれないと思う。
息子の限界は、母と一緒に入浴できない事。部屋から風呂まで連れて行くが、部屋までの帰り道は何度も教え込む必要がある。今回は501号室だったが、部屋番号は覚えられないので、「5階」と「1号室」だけは何度も覚えさせた。今回はシンプルな建物だったからいいが、以前行った万座温泉の宿のように2回もエレベーターを乗り継ぐとなると、もう単独では帰れない。忘れるというよりそもそも覚えていないようである。自分もなってみないとわからないが、自分がそうなると考えると恐ろしい気がする。
そもそもであるが、人間とは記憶であり、記憶とは人間なのかもしれない。私の息子はこの春大学に入ったが、母は孫の合格した大学の名前を何度教えても覚えられず、毎週通って根気よく繰り返して覚えさせたところ、何とか大学名は覚えてくれた。だが、叔母に頼まれたLINEの使い方だけはどうにも覚えさせることができない。記憶には短期記憶と長期記憶とがあるという。人は短期記憶力から失い、やがて痴呆症が進めば長期記憶も失われる。子供の顔もわからなくなった時、果たして自分は両親に対してどう思うのだろうか。
伯父伯母と同じ施設には多くの老人たちがいた。ヘルパーさんの導きですごろくをやっていたが、その様子は幼児と変わらない。体は歳を取っても精神は歳を取らない。シニアのラグビーをやっていても、気持ちは二十代と変わらない(だから危ないとも思う)。だとすれば、ヨボヨボになって施設に入ってもヘルパーさんの指導ですごろくをやろうと言われても、とても自分にはできそうもない。努力して防げるものであればいくらでも努力はしようと思うが、これから20年くらいで医学はもっと進歩するのだろうか。たとえ体は動かなくなったとしても、頭の中はずっと自分自身でいたいと改めて思う。
あと何回母を温泉に連れて行けるだろうか。そう考えると、半年に一度ではなく、もっと短くてもいいと思うが、それにはいろいろと課題はある。せめて週末の実家通いは優先して続けようと思うのである・・・
Sabine van ErpによるPixabayからの画像 |
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