2023年8月2日水曜日

死後の世界は存在するのか

『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』と言う本を読んだ。著者の田坂広志は、多数の著作があるが、原子力工学の博士号を持つ人物。そんな著者が「死後の世界」について語った一冊である。もともと私は、「人間は脳の活動によって思考しているのであり、脳の活動が止まれば思考も止まり、人間はそれでおしまい」という考えである。したがって死後の世界も霊魂も存在などしないと考えている。著者が「唯物論的思想」と呼ぶ考え方である。そう考える方が自然であり、違和感がない。

 そもそもなぜこの世に神や仏があり、霊魂の存在や死後の世界がまことしやかに語られるのかと言えば、それは人間の不安からきているのだと思う。「人間は死んだらどうなるのか」と問うても誰も答えられない。一度死んで死後の世界を見て来た人間がいない以上(臨死体験は除く)、それも仕方ない。そこで死後の世界を「考えた」わけである。「人間はどうやって生まれて来たのか」、「この世はどうやってできたのか」そんな疑問を太古の人たちは「神」を生み出して答えにしたのである。

 著者もそう考えていたらしい。しかし、「直感」「以心伝心」「予感」「予知」「シンクロニシティ」「コンステレーション」などの説明ができない出来事や、何より人類はまだ物質からどのように「意識」が生まれてくるのかを解明できていないという事実などを突き詰めていくと、「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場が量子真空の場に存在するのではないかという仮説をこの本で主張しているのである。『なぜ宇宙は存在するのか はじめての現代宇宙論』を読んだ時は、科学と宗教の違いが曖昧になってきているようにも感じたが、あまり合理的な考えに凝り固まるのも良くないのかもしれないと感じる。

 この本を読んで、著者の主張する仮説が本当かどうかは半信半疑(と言っても「疑」の方が強い)だが、この世にふしぎな現象があるのも事実。父からはよく父が体験したふしぎな話を聞かされてきたし、それをすべて笑い飛ばしたり、合理的な説明を加えることはできない。私自身はあまりそういう経験をしたことはないが、子供の頃、親戚が集まって甲子園の優勝校を当てる賭けをやった時、出場校の名前を眺めていてなぜか目を惹かれた2校が決勝に残ったという経験ならある。「第六感」とでもいうのであろうか。あの時は何故かこの2校がくると確信めいた閃きを得たのである。

 そのほかにも野球を見ていて、ホームランを打つような「予感」が当たることなどはよくあったが、著者はそれも「ゼロ・ポイント・フィールド」という場で説明する。なるほど、とは思うが、まだ半信半疑。しかし、なぜ人間が死後の世界があると考えるようになったのかと言えば、それはやはり「不安解消」だと思う。私も神は存在しないと考えているが、信じてはいる。神社にお参りに行き、首を垂れることによって安心感を得られるのであれば、それはそれで有意義であり、宗教の効能だと思う。自分の限られた知識の中で、「合理的でない」からと言って否定するのもおかしいだろう。

 確かに死後の世界があれば安心はする。体がなくなるだけで、心が存在し続けると考えられれば不安はなくなる。ただ、そこに映画館はないだろうし、本屋もないだろうし、ラグビーもできないだろう。そんな死後の世界があるからと言って安心するかと言えば、そんなことはない。つまらない世界のように思えてならない。著者は自我が消えて宇宙意識と一体になると語るが、不安や苦痛はなくともいい世界なのかどうかはわからない。著者の意見を否定するつもりはないが、不安や苦痛はあっても喜びや楽しみのある世界の方が圧倒的にいいように思う。

 人間は間違いなく死ぬのであり、私も残りの人生はたぶん長くても40年くらいだろう。いずれ行く世界ではあるだろうが、早く行きたいとは思わない。まだまだ観たい映画もあるし、読みたい本もある。ラグビーもやりたいし、今年のW杯も楽しみである。仕事は大変ではあるが、やり甲斐もあって楽しい。辛いことも困難もあるが、やっぱり今の現世をしっかりと楽しむ方がいい。死後の世界があろうがなかろうが、興味はあるがどうでもいい話。大事なのは現世であり、それがすべてである。生まれた意義は現世においてのみにあるのだろうと思う。そんな現世を最後まで楽しみたいと思うのである・・・

PexelsによるPixabayからの画像

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