2023年6月21日水曜日

十人十色

 先日、ダイヤモンド・オンラインで、『「子供産まなくてよかったです、マジで」投稿に賛否、子育てパパが抱いた違和感とは』という記事を目にした。記事の内容自体にどうこうというものはない。とある女性が「子供を産まなくてよかった」と語っているものである。それに対し、読んだ人から賛否の意見が殺到しているらしい。また、記事を書いた記者もそれに対する俯瞰的な意見を述べている。こういう「どちらがいい」的な意見を見ると、個人的にはいつも覚めた目で見てしまう。どちらがいいかなど「その人次第」だからである。

 「どちらがいいか」的な議論ほど空しいものはないと個人的には思う。なぜならそれは「蓼食う虫も好き好き」の世界だからである。「かつ丼がいいか、カレーがいいか」は人それぞれ(私はかつ丼派)。それを唾飛ばしあって「どちらがいいか」を議論しても永遠に結論は出ない。どんなにカレーがいいかと強調されても、私は「(カレーも好きだが、どちらかと言われたら)かつ丼が好き」という意見を変えるつもりはない。個人の好みだからである。

 個人的には、「子供を産んでよかった(産んだのは妻だけど)」と思っている。その前の結婚もしてよかったと思っているし、だからと言って「(結婚)しない方がいい」と思っている人が間違っているとも思わない。自分の人生なのだから、自分が望むように生きたらいいのであり、その生き方は人それぞれである。子供を持つ喜びはもちろん大きいが、苦労もある。経済的な負担も大きい。子育て方針を巡る妻との意見相違はストレスだし、子供も親が望むようには育ってくれない。

 ショーペンハウアーの言うように、「生きることとは悩むこと」というほど人生は苦悩に満ちている。子供を持てば持ったなりに、持たなければ持たないなりに苦労は伴う。どちらがいいかなどは比較しようがない。そこにあるのは、「どちらの苦労を選択するか」でしかない。もっとも、苦労ばかりではなく、どちらにも喜びがある。自分のDNAを受け継いだ子供が生まれたという喜び。ハイハイした姿を見る喜び。何気ない仕草の一つ一つ。今はもう過去の思い出であるが、それらは仕事の疲れも一瞬で癒す喜び。自分は子供を持って良かったと思う。ただそれだけ。それが万人に当てはまるというものではない。

 同じように「家を買った方がいいか、賃貸がいいか」もよくある論争だが、これもどちらがいいかはその人次第である。個人的にはどう考えても持ち家の方がいいと思う。何より賃貸は永久に支払いが続く。返せば終わりの住宅ローンとは大きな違いである。月々の家賃が10万円としても年間で120万円。それだけのお金が年金生活に入ってもかかるわけである。持ち家ならそれを旅行に回せる。比べるまでもないと思うが、それはあくまでも私個人の話で、賃貸派の人にはまた独自の心地よい理由があるだろう。それを否定することは誰にもできない。

 では、議論することが無駄かと言われればそうではない。お互いの意見を知れば考え方が変わる可能性もある。自分の意見は自分の意見として、違う意見を聞くのも悪いことではない。個人的には人の意見を聞くのは嫌いではないので、そういう議論もいいと思う。ただ、どこまで行っても平行線的な議論は、適度なところで切り上げたいとすぐに思ってしまうのも事実である。そういう不毛な議論にはすぐに飽きてしまうクチである。

 最近はネットで意見を発信しやすくなっているし、いたるところでそういう議論に出くわす。そういう議論は「どちらがいいか」と悩んでいる人にはいいと思う。「これから結婚すべきか」「子供を持つべきか」「家を買うべきか」等々、そういう悩んでいる人に対しては、大いに参考になると思う。特に自分がいいと思う意見をその理由とともに説明してくれれば、双方のメリット・デメリットを比較し、選択する判断材料になる。

 その際だが、思い通りの意見だけではなく、「思い通りでない」意見もあった方がいいかもしれない。すなわち、「したかったけどできなかった」意見である。「子供が欲しかったけどできなかった」「子供は欲しくなかったけどできてしまった」「家を買いたいけど買えなかった」などの意見である。こうした「後悔」系の意見もこれからの人には参考になるに違いない。人の生き方は、それこそ人の数だけあっておかしくない。これと決めるのもおかしな話。それぞれが自分に合った生き方をして、それで幸せだと思えるのであれば、それを他人がとやかく言うべきものではない。

 「子供産まなくてよかった」という人の気持ちは私にはわからない。「家は賃貸がいい」という人の気持ちもわからない。いくら言葉を尽くしてその良さを説明されても納得はできない。だが、それでいいと思う。私も自分の意見を押し付けようとは思わない。夫婦も死が2人を分かつまでともに暮らすべきだとも思わない。私もこのまま子供たちが巣立ったあと、妻と2人で暮らしていく自信はない。互いの価値観はここにきて大きく異なっており、離婚するかどうかは別として、一緒に暮らすメリットは少ないと感じている。別居夫婦も選択肢の一つである。

 人の生き方はそれぞれと言ったが、自分の生き方もまた世間の常識にとらわれたくない。自分にとって心地よいものにしたいと思う。たとえそれが人からどう思われようと、生きるのは自分であって他人ではないのだから。これからもいろいろな議論を参考にしつつ、心地よい生き方を目指していきたいと思うのである・・・

Марина ВельможкоによるPixabayからの画像

【本日の読書】

 




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