2022年2月17日木曜日

論語雑感 雍也第六(その12)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】
冉求曰、「非不說子之道、力不足也。」子曰、「力不足者、中道而廢。今女畫。」
【読み下し】
冉求(ぜんきう)曰(いは)く、子(し)之(の)道(みち)を說(よろこ)ば不(ざ)るに非(あら)ず、力(ちから)足(た)ら不(ざ)る也(なり)と。子(し)曰(いは)く、力(ちから)足(た)ら不(ざ)る者(もの)は、中(なか)ばの道(みち)にし而(て)廢(す)つ、今(いま)女(なんぢ)は畫(かぎ)れりと。
【訳】
冉求がいった。
「先生のお説きになる道に心をひかれないのではありません。ただ、何分にも私の力が足りませんので……」
すると、先師はいわれた。
「力が足りないかどうかは、根かぎり努力して見たうえでなければ、わかるものではない。ほんとうに力が足りなければ中途でたおれるまでのことだ。お前はたおれもしないうちから、自分の力に見きりをつけているようだが、それがいけない。」
************************************************************************************
 これを読んで真っ先に頭に浮かんだのは、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という米沢藩藩主だった上杉鷹山の言葉である。両者とも実は同じことを言っている。何事であれ、ダメだと思ったらたぶんできない。できるわけがないと思いながらやったら出来てしまったということは、たとえばサイコロを振るようなことであれば可能かもしれないが、なんらかの努力を要するようなことであればまず出来ないであろう。

 おおよそ困難に思えることを成すにあたって重要なのは「意思の力」であると思う。それが困難に行き当たった時に大きく効果を発揮する。ダメだと思っていれば、そこで諦めてしまう。しかし、できると思って努力し続けると、もしかしたらできるかもしれない。当然、出来ないケースも多いだろうが、可能性はゼロではない。しかし、諦めてしまったらゼロである。この差は大きい。諦めさえしなければ、目の前にある壁が実は重いドアだったということになるかもしれない。

 人は何よりも考え方でできている。何をどこでどう考えるかで、行動も変わってくるし、運命も変わってくる。諦めの種からは諦めの人生しか得られない。小野道風の蛙の逸話ではないが、諦めないからこそ、運が加わって結果となって現れることがある。凡人にはとても勇気が出る考え方であると思う。自分もそんな風に考えてきた。努力してもダメな時も当然多いが、できた時の喜びは大きい。そして途中で諦めてしまい、そして後で諦めなければ良かったという結果ほど後悔が大きいものはない。我が結婚などその最たるものである。

 今、会社で若手を指導している。苦手を克服するための練習を教え、家に帰って毎日30分やるように指導した。毎朝、結果を聞いているが、「昨日は30分やりました」という時もあれば、「10分しかできませんでした」という時もある。共通しているのは、いつも30分以内ということである。私が30分と言ったからだろうが、もしも私だったら1時間はやるだろう。1時間やれと言われたら2時間やるだろう。私はそういう人間だし、そういう私から見ると、「30分やりました」と得意気に報告してくる姿はちょっと物足りないものがある。

 また、誰もが認める美人が大してイケメンでもない男と付き合ったりするケースがある。よくよく聞くと、まわりの男たちはあまりにも高嶺の花すぎて指を咥えて見ているだけだったところ、なんの遠慮もなくアタックした男が攫って行ってしまったということだったりする。「こんなことならアタックしておけば良かった」と悔やんでも後の祭りなのである。その点、私はこれぞと思う女性には臆せずアタックしてきたので胸を張れるところである(結果が全滅であったところを除けば、であるが・・・)。

 ラグビーでも試合が始まった途端、「勝てないな」と思わされる試合がある。しかし、そこで臆したらワンサイドゲームになってしまう。面白いもので、相手が弱いとわかるとかさにかかって攻めてくるものである。余計な力を発揮するから余計勝てなくなる。だから私はいつも「チームは負けても自分だけは負けない」と自らを鼓舞して相手に向かっていく。タックルに行った時、体格差とか勢いで弾き飛ばされたとしても、その時気持ちで負けていなければすぐに立ち直れる。それはそれで仕方がない。ただ、臆して躊躇したタックルで弾き飛ばされたら悔いしか残らない。自分に負けた悔いである。

 なんでもそうであるが、物事は「やってみなければわからない」。ならば臆せずやった者勝ちである。やらずに負けるより、やって負ける方を選びたい。惚れた女性に想いが通じず何度も枕を濡らしたが、アタックせずに後悔するということがなかった点は良かったと思う。本当に恐るべきなのは、「負けることを恐れる己の心」であるのだろう。これからも「やらない後悔」を避けたいと思うのである・・・

Judi BellによるPixabayからの画像

【本日の読書】

   



0 件のコメント:

コメントを投稿