2021年12月17日金曜日

論語雑感 雍也第六(その8)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
季康子問。仲由可使從政也與。子曰。由也果。於從政乎何有。曰。賜也可使從政也與。曰。賜也達。於從政乎何有。曰。求也可使從政也與。曰。求也藝。於從政乎何有。
【読み下し】
季(き)康(こう)子(し)問(と)う、仲(ちゅう)由(ゆう)は政(まつりごと)に従(したが)わしむべきか。子(し)曰(いわ)く、由(ゆう)や果(か)なり。政(まつりごと)に従(したが)うに於(お)いてか何(なに)か有(あ)らん。曰(いわ)く、賜(し)や政(まつりごと)に従(したが)わしむべきか。曰(いわ)く、賜(し)や達(たつ)なり。政(まつりごと)に従(したが)うに於(お)いてか何(なに)か有(あ)らん。曰(いわ)く、求(きゅう)や政(まつりごと)に従(したが)わしむべきか。曰(いわ)く、求(きゅう)や芸(げい)あり。政(まつりごと)に従(したが)うに於(お)いてか何(なに)か有(あ)らん。
【訳】
大夫の季康子が先師にたずねた。
「仲由は政治の任にたえうる人物でしょうか」
先師がこたえられた。
「由には決断力があります。決して政治ができないことはありません」
「賜は政治の任にたえうる人物でしょうか」
「賜は聡明です。決して政治ができないことはありません」
「求は政治の任にたえうる人物でしょうか」
「求は多才多能です。決して政治ができないことはありません」
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 何が政治家に必要な要件かと問われると、「公共奉仕精神」とか「リーダーシップ」とかありきたりなものなら思い浮かぶが、正直言ってよくわからない。ただ、身近なものとして「経営者」ということでは、ある程度の考えはある。上記で例示される「決断力」や「聡明さ」、「多才多能」ということはもちろん必要なことではあろう。それはすべて必要な要素であろうかとよくよく考えてみると、「聡明さ」も「多才多能」も結局、「決断力」に行き当たるように思う。聡明ゆえに決断できるのであり、多才多能であるがゆえに決断力のある経営者になれるという具合にである。

 そもそも「決断力」とは、「決断することができる」ことである。これに対する言葉としては「優柔不断」となるだろう。優柔不断は一方で「慎重」という見方もできるわけであるが、それは美化した言い方であり、実態として優柔不断は「慎重」とは相異なり、結局「決断できない」ということに他ならない。どちらがいいのか判断がつかず、迷いに迷って決断ができないだけであり、それは「慎重」とは異なるものである。端からみていれば誠にもどかしい限りであり、これがリーダーであれば実に頼りないと思わざるを得ないものである。

 決断力とは、聡明さに支えられた判断力でもあるし、「やってみなければわからない」という類のものであれば、リスクテイクに他ならない。最悪のリスクを見極めて、あとはそれを覚悟で「えいや!」とばかりにやるのである。会社の意思決定であれば、それは社長に属することであるが、社長でなくても自分に与えられた権限の範囲内で決断できることであれば、部課長レベルでもできることである。逆にこれができない人であれば、たとえ最終決定権者である社長になってもできないだろう。

 決断力の肝になるのは、リスクをどこまで取るかというリスクテイクであり、それは単なる度胸ではなく、冷静な判断力に他ならない。最悪の事態を想定し、その事態に陥った時にどうするか。それに対処する方法を念頭に置けば、あとは自らの責任で実行するだけである。そうした冷静な判断力が決断力を支えることになる。そしてその冷静な判断力には、もちろん聡明さが求められる。持っている知識によって、リスクに対する対処方法の選択肢が広がるかも知れず、結果としてリスクを軽減できる。リスクを軽減できればリスクテイクもしやすくなる。

 そうしたリスクテイク力がすなわち決断力であるが、さらに突き詰めると、その決断力とは、「責任感」でもあると思う。「何かあれば自分が責任を取る」という覚悟である。この責任感が薄いと、「指示待ち族」になる。「間違ったことをして怒られるのは堪らない、だから言われたことだけをしよう」というサラリーマンにありがちな考え方である。「間違えるかもしれない」というリスクを取りたくないから、「間違える心配のない行動」=「指示されたこと」になるわけで、実に簡単な理屈である。

 「間違えたら怒られてやろう」という覚悟が取れれば、リスクも取れる。そういう人が決断力があると評価され、昇進する。そうした決断力の積み重ねが、トップへと導くと言える。政治家も同じだと思うが、現代の政治家は人気取りも考えなくてはいけないようだからなかなか難しい。世間の人気を常に気にしながらだと思い切ったことはできにくい。だから支持率が高かったりすると、そういうリスクテイクもしやすくなり、そういう政治家はさらに支持率が上がる。

 いろいろと考えてみると、聡明さも多才多能も決断力には繋がるが、最終的に決断できなければ意味はない。聡明さがあってもリスクテイクできなければダメであり、多才多能であっても同様。結局のところ、行き着くところは「決断力」ということになる。自分にはこの決断力があるだろうかと考えてみると、少なくとも優柔不断には思われないくらいにはあるようには思う。過去には優柔不断というか自分の中に判断基準を持っていない上司に仕えて苦労した経験がある。同じ苦労を少なくとも自分の部下にはさせたくはない。独断専行はもっての外だが、必要な決断はきちんとできる上司でありたいと思うのである・・・


Maddy MazurによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

  



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