週末にはシニアラグビーで汗を流しているが、つい最近チームを移籍した。もともと先輩を頼ってのチーム加入だったが、続けて行くうちにどうにも思わしくないことになってきたのである。それはまたコロナ禍の影響でもあるし、年代別チーム構成と言うシニアラグビーの特徴でもある。加入していたチームは、60代以上が中心のチーム。我々50代は人数が少なく、試合ができるだけの人数がいない。コロナ禍でグラウンドを失った人たちが集まって来て練習に参加するようになったが、そうなると常に新顔が入れ替わる有様で、どこのチームに所属しているのかわからない状態になってしまったのである。
そうした中で、満足いく練習もやりにくくなってしまい、チームの移籍を決断したという次第である。移籍といっても、同じグラウンドを半分ずつ使っていた「親密先」のチームであり、角が立ちにくいという事情もあった。それに50代以下が中心のチームであり、移籍の理由も説明のしやすいこともあった。世話になっただけに遺恨を残したくはないし、そういう意味では環境が良かったという事情もある。ただ、それを決断したのは、やはり「変える」より「変わる」方を選んだということである。
もともと私自身、自ら積極的に人の先頭に立って行動すると言うタイプではない。50代のメンバーが少ないなら、(試合をできるだけの)人数を集めて来てチームを作るという選択肢だってある。それをしないのは、わざわざそこまで手間をかけてやるだけのエネルギーが自分にはないということ。人によっては、そういう手間を惜しまないリーダータイプの人もいるが、自分はそうではない。これは単純に好みの問題であり、性格の問題である。そしてそういう性格であるのに加え、嫌な環境を放置できないという性格もある。
嫌な環境なら変えてしまえばいいというのが一つの解決策。しかし、自分の性格はそうではない。人を、あるいは組織を変えるよりも自分が変わる方を選択してしまう。入れ替わり立ち替わりいろいろな人が来て、その都度コンビネーションの練習をするというのも面白くない。やはり日頃から同じチームメイトと何度も練習を繰り返したい。そういう希望があるなら、自分がそういう環境に移動すればいいと考えたのである。それであれば自分1人の考えで簡単に動ける。他人を変えるよりも簡単である。これもまた私の性格である。
この傾向はかなり強い。不平不満を抱えてブツブツ言っているのは好きではない。不満があれば自ら動いて解消するようにすればいいし、できないのであれば不甲斐ない自分を恥じて文句を言わないようにすればいいし、それが嫌ならその場を去ればいい。チームを移籍することにしたのはそういう自分の性格からのものである。もちろん、「そのまま止まる」という選択肢もあったわけであるが、我慢するより自ら動く方がいいという考えである。それが裏目となることもあるだろう。それで変化を躊躇する人もいるだろうが、裏目となったらなったで、後悔するより「次どうしよう」と考えればいいわけで、それもまた自分の性格である。
「後悔するより次どうしよう」は仕事でも基本的な考え方である。いろいろと新しい試みがあるが、基本的に「やってみればわかる」と考える。事前にあれこれと想定することも大事だが、何事も「やってみないとわからない」というのは共通している。ならば「やってみればいい」と思うのである。サントリーの「やってみなはれ」と同じである。それで、思うような結果が出なかったら、その時は「次どうしよう」と考えればいいのである。多大なコストがかかる場合はもちろん慎重を期するが、基本は「とりあえずやる」である。
性格は人それぞれ。自分のこの考え方は、自分にとっては常に正しいが、他人にとってはそうではない。「仕事がつまらない」という人は、そういう仕事の仕方、仕事に対する考え方だと思うが、それを悪いとは言わない。それがその人にとっての考え方だからである。性格に関するところでもあるし、それをとやかく他人が言うべきものではない。自分のこの性格、自分ではよくないと思うところも正直あるが、それも含めて自分の性格、まぁ最後までこの性格で生きていくわけであるし、自分にとっては良いものとして付き合っていきたいと思うのである・・・
ElisaRivaによるPixabayからの画像 |
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