2021年6月13日日曜日

座右の銘

 先日のこと、知人から「座右の銘はありますか」と尋ねられた。よく座右の銘はこれだという人はいるが、改めて考えてみるとそういうことは意識したことがない。座右の銘など今さら必要だとは思わないが、仮に決めるとしたら何になるだろうかと考えてみた。敢えて決めたいとも思わないが、いいのがあれば決めてもいいだろう。そう考えて何があるかと思い浮かべてみると、やはりそれは普段からいろいろ考えている自分の考えを表したものがいいだろうと思う。そういうものこそが、座右の銘としてふさわしいとやはり思う。

 そうして考えてみると、日頃から大事にしていることの1つとして真っ先に脳裏に浮かぶのは「考える」こと。それで思い浮かぶのは、
 「人間は考える葦である」(パスカル)
であろうか。あまりにもベタである。ただ、「思考する存在」としての近代人の精神をよく示す句であり、表現はともかく根本的な部分ではこれが適していると思う。

 次に思うのが、事を成すに至ってはやはりその意思が大事だと思う事。「できる」と思えばできるし、「できない」と思うものができるわけもない。となると、思い浮かぶのが、
 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)
という言葉だろう。「できる」と思えば、「どうやったら」と「考える」し、そこから創意工夫も生まれる。そうして奮闘するうちに何かの偶然でできてしまうかもしれない。「できない」と思えば思考もそこで停止してしまう。

 働く上で意識しているのは、常に「給料分以上働くこと」。実は就職した直後、本来は研修期間中で定時で帰れるのに、私の配属された八王子支店は田舎の雰囲気が色濃く残っており、「先輩が働いているのに若手が先に帰るのはもってのほか」という目に見えないカルチャーがあった。ゆえに「付き合いサービス残業」をして寮に帰ると、定時に上がった都心店の同期がビールを飲んで赤ら顔をしていて出迎えてくれた。その境遇の差に己の不運を嘆いたものである。「時給が一番安いじゃないか」と。新人だから残っていても残業代など当然出るわけもない。「働いている分の給料をもらっていないので損だ」と感じていたのである。

 学生時代のアルバイトでも似たような考え方で、時間をオーバーしてその分タダで働くなどもってのほかだと思っていたが、今ではそうは思わない。常に給料分の働きをして、払う方に「申し訳ない」と思わせるくらいでちょうどいいと思う。そう思わせたら、「もっと給料をあげないといけない」と思って給料を上げてくれるかもしれない。それはともかく、損か得かではなく、常に「給料分以上働く」というのは私のスタンダードである。これに該当する言葉は思い浮かばないが、あえて言うなら、
 「給料分だけ働いていると給料分の人間で終わる」(植松努)
であろうか。

 また、仕事で意識しているのは「自分から動くこと」。社長ではない以上、上司から仕事の指示をされるのは仕方ないが、それだけに終わっていてはいけない。「言われたことだけ」やるのは、裏を返せば「言われたことしかできない」ことになる。言われたことをやるのはもちろんであるが、言われた(期待された)以上の結果を出さなければいけない。
 「下足番を命じられたら日本一の下足番になってみろ。そうしたら誰も君を下足番にしてお
  かぬ」(小林一三)
まさにそういうことである。

 父は中学を卒業してすぐに長野県の富士見から東京に出てきて丁稚奉公を始めたと言う。朝6時に起きて、夜12時に寝るまでほとんどの時間を働く毎日。朝食は時間がなくて立って食べたと言う。それでいて、「丁稚奉公」だから給料はゼロ。休日に社長に映画のチケットをもらって観に行くのが楽しみだったと言う。しかし、真面目に働いていたからだろう、社長の奥さんが時々みんなに内緒で小遣いをくれたらしい。真面目な親父は「適当に手を抜く」ということができなかったらしいから、そんな働きぶりが奥様の目に止まったのだろう。

 その話をよく聞かされたから、というわけではないが、私も仕事として報酬(給料)をもらう以上、多い少ないは別として全力を尽くさなければならないと考えている。「多いから一生懸命やる、少ないから手を抜く」という考えは私の中にはない。それを何かうまい表現で表したものがあれば、それが座右の銘になるのかもしれないと思うが、そういう言葉にはこれまでまだ出会っていない。

 座右の銘と似たようなものに「名言」があると思う。昔から「名言」の類は好きであり、いろいろとストックしているが、ただそれは「座右の銘」とはちょっと違うように思う。「名言」はある事柄に関して言える真理であるのに対し、「座右の銘」は広くその人自身の行動指針のようなものだというイメージがあるからである。大事にしている信念あるいはポリシーといったところであろうか。もちろん、名言にもそういう効果があって、座右の銘になっているものもあると思う。あくまでもその人の捉え方だろうと思う。

 座右の銘があれば、ちょっと体裁がいいようにも思う。これと1つに決めるのは今のところちょっと難しいが、大事なのは芯にある自分の考え方だろうと思う。年齢的にもいい年齢になってきたし、人にものを教えるにしてもそろそろ内容のあるものが求められるだろう。座右の銘もそんなものの1つとして、これからゆっくり探していこうかと思うのである・・・



【今週の読書】



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